できるとき、できること、できるだけ
本日の大谷徹奘師の言葉に自問自答をしています。
だって自分自身その時々でしっかりと頑張っているのかと。少なくとも効率的には頑張れていないと自分でも思っているものですから。
「整理整頓が出来ない人は仕事が出来ない。」と良く言われますが、先ずはこの時点で私は失格です。私は何かをするときに一生懸命に完成するまでは頑張るのですが、後片付けがさっぱり出来なくて次に何かをしようとした時には周りの整理から取り掛からなければいけないのでいつもいつも効率が悪くて大変なのであります。
何故こんなに片付けが出来ないのかと言うと・・・。そうです、私が神戸北小学校4年3組の担任をしている時に6月に校内研の授業をさせて貰った時に最悪の授業をしてしまいました。この時は完全に準備不足で板書も適当だったので徹底的に校長先生の指導が入りました。(その当時の校長先生は教育センターから赴任されたエリート校長先生だったので。)この時は正直落ち込みました。
そして9月に岐阜県教育事務所の教育課長さんの指導があると言う事で父進さんの協力も得てしっかりと資料作りもして、父進さんから「板書が上手く行かないのであれば、板書したいことを事前にマジックでビー紙に書いておくと楽だぞ。」と教えて貰い、その通りに準備しました。結構な時間を掛け完成して余裕を持って研究授業に挑む事が出来ました。
但し、授業に持って行くものの準備はしたものの、マジックやビー紙や準備に使用した教材も含めてバンバラばんの状態で次の日を迎えたのですが、朝起きてバンバラばんの状態が綺麗に片付けられていて私は何の疑問も持たずに出勤して無事に研究事業を終え満足な気持ちで家に帰って父進さんにその時の課長さんの評価について話をすると自分の事の様に喜んでくれて、一言も片付けて無かった事については触れる事も無くて今はあの時の事を思うと父進さんは何と寛大な父なのかと、思わず手を合わせずにはいられません。
かなり話題が逸れてしまいましたので戻します。表題には「できるとき できること できるだけ」と言うのは良く理解出来るのですが、「あの頃の私は正直チャランポランだった。」と思います。今は「起承転結が大切だ」と言っている私ですが、若い時の私の生き方とは違う事に気が付きます。但し、片付けについては今もかなり出来ません。父進さんがいないのだから頑張らなければとは思うのですが正直出来ません。これは、父進さんが私を甘やかせたためだと・・・。父に転嫁している私です。
リピーターの皆さん私にはこんな面もあるのです。(威張って言う事ではありませんが・・・。)