正に『民俗学』
令和4年5月28日
週刊現代5月28日号で、シリーズ「あの街角を覚えている世田谷」で昭和28年~49年の写真が特集記事で掲載されていました。私が生まれた昭和28年からと言う事で興味を持って見たのですが、写真1枚1枚が『おどろき』の一語でした。と言うのは、私が知っている『東京』のイメージとは全くかけ離れたものだったからです。そしてつくづく感じたのは私が生まれて69年の間に日本はめざましく発展してきたと言う事です。もう1つ、私が学生時代に所属していた『郷土研究の会』の顧問の先生だった祝(はふり)宮静先生から教わった「『民俗学』は決して難しい学問ではありません。たとえば若山君の住んでいる関ヶ原で一年に1回、同じ場所に立って360度回転して八ミリカメラで撮影して50年後に順番に見て行ったとしたらこれが正に『民俗学』なのです。」と言われた事を。(私は出来の悪い教え子だったので全くしてないのですが、今となっては何ともならないし出来ない話ですが実施していたらと思うと勿体ない事です。)そんな事を思いながら1枚1枚写真を見ていきました。
1枚目は昭和44年の『三軒茶屋交差点を走る玉電』とあり、説明書には「明治40年に開業した玉電は、撮影年の5月10日に廃止となった。写真左手が国道246号、中央奥が世田谷通りにあたる」そしてもう1つの説明書に「広大な武蔵野の田園地帯は、やがて23区で人口トップに」とあったので、私はつくづく自分の知識の無さを感じました。
そして、改めて歴史を振り替える事に依って未来を見通せるものだと1枚の写真から感じる事が出来ました。(こんな調子で書いていくと特集全部は紹介できないと思っています。)昭和44年と言えば私は16歳の高校生。もしその当時の世田谷を訪れていたら「すご~い都会」と驚いていた事だろうと思うのですが、今見ると「岐阜駅前の方が勝っているかな。」等とアホな事を思っています。
次に昭和36年の『松竹マークが懐かしい三軒茶屋中央劇場』でコメントには「昭和27年に松竹系のロードショー館として創業。30年代の映画黄金期に人気のピークを迎えるも、平成25年に閉館。」と事で、いつの時代も栄華盛衰はあるのだな。と思うと同時に考えてみたら『東京』が栄えたのは徳川家康が江戸に行ってから。それまでは私の拙い知識の中では『単なる田舎』だったんではなかったかと。と言う事は『東京一極集中では駄目だめだ』と言われながらも、未だ一極集中は続いていますが、今後はどの様な日本を目指すべきなのか等と大きな事を私が考えても何ともなりませんがリピーターの皆さん、私は福祉に拘った生き方で邁進して行きますので今後共宜しくお願いします。
※まだまだ特集記事の写真で面白いのがありますので、第2弾は必ず書きますが、多分明日は本日18時から行われる彦根市にある『東福寺』での月1回の護摩供養の紹介になると思いますし、コロナ感染の報告も書かなければいけないので「いずれまた」と言う事で宜しくご理解下さい。