本日はいつもと違う予定です。
いつもだと、5時25分のアラームで起きて仏間の花と蝋燭と線香を用意してからお参りを約30分した後、お墓まで歩いてからシャワーを浴びて朝食を食べて、朝食後に少し休憩を取りながらコラムの半分位を打ってから施設に出掛けるのですが、本日は朝食が6時過ぎと言う事なので仏間でのお参りのみ無しにして、外に出たのが5時と言う事で、まだ少し明るくなった程度でしたが「歩くには支障がない。」と言う事で妙応寺に向けて歩きました。
いつもの様に幸福地蔵菩薩樣の所で花立に水をさし、前掛けは少し曲がっていたのですが「これくらいは許される範囲だ。」と考えていたのですが水をさした後で「幸福地蔵菩薩樣としっかり会話をしたいし、後から直しておけば良かった。と思うのは嫌だから。」と言う事で石段を上がって会話をしつつ前掛けを直しました。
その後山門は早い時間にも関わらず開いていたので本堂まで行くと本堂の方から木魚と鐘が聴こえてきたので「方丈樣の邪魔はしてはいけない。」と考えて本堂の戸の外で『般若心経』のみを唱えて今須稲荷、【本尊樣、不動明王樣、毘沙門天王樣】の所で水をさし、関ヶ原与一の墓、六地蔵樣にも水をさした後でお参りをして、我が家のお墓で初めて我が家の水道水ではなくて飲み水にしている水を注ぎました。と言うのは昨夜の水分補給の為の準備に昨日飲みきれなかったペットボトルのお茶で間に合い、水の入ったペットボトルは手を付けなかったのでいつもの3本の水道水以外に持っていったからです。お墓の主もさぞかし喜んでいる事だろうと思っています。
お墓でのお参りを終えて再び本堂に行くといつものように戸が開いて線香も点いていたので改めて本堂のお参りをすることにしました。本日は『地蔵盆』と言う事でお賽銭の他に200円を用意しておいたので先ずはごま木に今一番思っている事『全力解決成就』の祈願を書きました。

その後家に帰り着くと丁度6時で、家の前の朝顔の5時と6時の比較の為にガラケーの携帯で写真を撮ろうと持ち出すとメールが入っていたのに気が付き慌ててメールを開くと看取りの方が5時49分に心停止したとの連絡だったので直ぐに管理宿直の北島部長に連絡すると既に多賀先生と家族の方には連絡したとの事だったので、私は本日の対応が出来ないので副施設長に対応して貰う旨を話しました。本来であれば、いの一番に施設に行くところなのですが、本日は私の奥さまの膝治療の為に名古屋まで行く予定があり、いつもとは違う対応になってます。


7時15分には奥さまを乗せて名古屋に向けて出発。途中での渋滞は有りましたが9時30分には病院に着き今は奥さまは検査に行ったので私は待ち時間を利用してコラムを書いている次第です。本日の病院は手術をしないで自分の血液と脂肪を利用しての治療と言う事でいわゆる『無保険治療』なのでかなり高額にはなるのですが痛くて歩くのに苦労している姿を見て「申し訳ない。」との気持ちがあり、治療に付き合ってます。私は38歳から30年以上に渡って『自分の使命を果たす』と言うわがままを貫いてきたので、奥さまだけでなく、子ども達にも無理を通してきたので、(私の生き方の中で母子家庭に近い生活だったと思います。)「せめて、楽に歩ける足にしてやりたい。」との殆ど『罪滅ぼし』に近い思いです。

ただし、だからといって今の事業を適当な形にしたいとは考えていないのでリピーターの皆さん、これからも過激な生き方をしていきますので今後とも宜しくお願い致します。