福岡県でのこぼれ話等々・・・。
令和5年1月9日
①私が米原駅側のお弁当屋さんで3人分のお弁当を購入した事は一昨日のコラムでも書きましたが、実は大阪から乗り込まれた大久保先生も3人分のお弁当を買われていたので、私と太田先生は2個分のお弁当を食べました。ただし、太田先生は2個目は半分残されたのですが、私はしっかりと完食しました。と言う事は私の胃袋は際限なく入っていくと言う事でしょうか・・・。
②新大阪駅でのぞみに乗り込む時に降りる方が終わり、乗り込みが始まり私は結構後からだったのですが、一人の女性の方が慌てて降りられる時に私が肩に掛けている荷物に当たられて私は無意識の内に「ああっ」と言う声が出てしまったら、その女性の方は歩くのを止まられて振り返りながら「すみませんでした。」と言われた顔が恐怖の表情だったので、私はその女性に申し訳ない事をしたと思ってしまいました。「私は決してヤクザのような振る舞いがしたくて声を出したのではなくて無意識の内に声が出たのですが相手の方にしてみると、坊主頭でこの風体なのできっと恐ろしかったんだと思うと「申し訳ない事をした。」とは思いましたが、私も好き好んでこの様な風体になったわけではないのでご容赦下さい。
③24年の年月は生き方や考え方まで変えてしまうのかとしみじみ思った事がありました。と言うのは海外研修で初めてお会いした時の大久保先生は、研修会のまとめ役で団長や副団長に対してもしっかりと意見が言えて団員のまとめ役で、女性としての『凜』とした方だったのですが、あまりにも自信のない発言が多かったので私はさり気無くコーディネートをしながらもかつてお世話になった時のお話に話を持っていくと、目を輝かしてお話をして頂けました。そして話が私が法人を立ち上げると言う時の話では、真剣に心配して頂いた事を話して下さった時には改めて感謝していました。但し、朝食を終えてお互いにチェックアウトをしてホテルを出て小倉駅に向かおうとすると、外が寒くてコートを忘れている事を思い出されてUターンをしてコートを取りに戻りました。私はその瞬時に思ったのは『寒い』との感覚があり、コートを忘れている事に気が付かれたのはまだまだ大丈夫だと思いましたし、大久保先生の自信の無い発言に対しては「ゆっくりでも自分の足で歩けて新大阪まで一人で来て私たちと合流出来たのだからまだまだ大丈夫ですよ。」と何度も話しさせて頂きました。
④米原駅に着いて出口に向かっていると、太田先生からの電話でホテルにスマホを忘れているとの連絡に「おいおい大久保先生の事を話題にしていられる状況ではないぞ」と思うと共に「連絡が花田先生からでは無くて太田先生からだったのは何故なんだ。」と思ったのですが、よくよく考えれば当然の事ですよね。私は基本的にガラケーの携帯を使用していてスマホは無くても困らない(いやいや全国の役員からラインが来ます。)のですが、常識的に言えば「スマホを忘れた=連絡がつかない。」になるので太田先生と本部施設に連絡が入ったのだと気が付きました。」今後は2台目ある事に留意した片付けを心がける事にします。
⑤15時25分に大久保先生から「家に着きました。色々と配慮して下さってありがとう。」との連絡に「流石に配慮の出来る大久保先生だからまだまだ大丈夫ですよ。」と思った次第です。
⑥16時前に我が家に送って貰い、余りに眠くてしっかりと眠りについていたのですが18時12分に本部施設からのメールで目を覚ましました。(この報告については後日コラムにしたいと思っています。)「一旦起きたので夕食は昼食が遅かったので無しでも良いけどお風呂は入りたい。」と言う事でゆっくりとお風呂に入りその後は午前3時35分まで眠る事が出来、いつもの様に4時25分のアラームで行動開始をして朝食後は再び横になると眠る事が出来ました。だから施設に行っても元気に仕事が出来ます。心身ともにリフレッシュ出来たのでまた頑張っていきますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。