私は理科が嫌いだったので興味を持たなかったのですが・・・

理科に関する事に対しては目を反らした生き方だったのでは無いかと実感しているのですが、朝早くに起きての習慣ついてからは否応なしに自然の不思議に気が付きます。例えば月の様子であったり、星の様子であったり、影の写り具合だったりと言う事です。

69歳になった今、探究心が旺盛になった事とパソコンで検索すれば大抵の事は教えてくれると言うのも大きいと思います。そして私は最近まで冬至が一番遅くに日の出になると理解していたのですが、実はそれが事実で無い事を知って本日その事実を調べてみました。リピーターの皆さんの中には「そんな事は知っているよ」と言われる事がおみえになるかも知れませんがお付き合い下さい。

先ずはどうしてそんな事に拘ったかと言う事からお話します。私が6月から基本的には毎日(『基本的には』と書いたのはコロナの予防接種で熱を出した時と出張で泊まった時以外と言う意味です。)お墓まで歩いている事は周知の事と思いますが、開始をした6月の頃は4時30分と言えども外は明るかったです。(当然な事ですがパソコン情報によると今年の6月1日の日の出は4時27分なので。)

ところが最近は家の外に出た時には真っ暗で「冬至までのあと20日間で何処まで日の出が遅くなるのか。これ以上遅くなるようなら灯かりの確保をしないと妙応寺本堂や今須稲荷で階段の昇り降りやお賽銭の確認をするのも六地蔵様での水替えも大変になるなあ。」と思っていた時に「日の出は冬至よりも後の方が遅い。」との情報だったので本日しつこくパソコンで調べました。

リピーターの皆さんビックリです。と言うのは何と年が明けた1月2日から1月13日までが6時51分と最も遅いのです。「だったら冬至とは何」と言うと「日の出と日の入りの時間が最も短い日」と言う事なのです。そう言えば冬至を過ぎると「陽が落ちるのが急激に遅くなる様に思う。」と言うのはガテンがいきました。だって、一般的に4時30分に行動する人は少ないから「日の出は気にならないけれども日の入りは気になる。」と言う方が多いからだと思いました。私が言いたかった事を理解して頂けたでしょうか。

蛇足的な情報ですが本日の日の出は日本の最東端の南鳥島では5時12分24秒で、最西端の与那国島では7時17分00秒と言う事ですから2時間以上の差があるわけで『日本は広い』と言っても良いのではないかと実感しました。ちなみに岐阜市の日の出は6時45分53秒で沖縄県那覇市では7時01分32秒ですが、僅か15分の事ですが出張に行った時に「沖縄の夜は遅くまでだな。」と思ったのは私だけでは無かった様に思います。リピーターの皆さんこの情報は結構使えると思うのですが・・・。

我が家の猫『お餅』は私よりも大人かもしれない

昨日の朝はつれない顔で部屋の片隅にいたので「可愛くな~い」と思って猫部屋を通ったのですが、昨夜猫部屋の前を通ると私が廊下を通るのがわかったのか廊下の近くに来て「ニャーニャー」と尻尾を立てている。「お餅は『うい』奴じゃ」と言う事で私は猫部屋の電気を点けて中に入りいつもの様に『チュール』を持っていつもの椅子に座って『チュール』をあげようとすると足元にからみながら「ニャーニャー」と鳴くのに私はメロメロです。この姿をよくよく考えてみると私は単純な人間なのかと思ってしまいます。でもね、「私の趣味は仕事です。」とは言え私だって『癒しの空間』は欲しいのです。お餅が気になる存在であって他愛無い事に怒ったり喜んだりするものがあっても良いのでは無いかと思っているのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか・・・。

「同級生との朝の会話から」

いつもの様に朝5時30分に家を出てお墓参りの途中にある妙応寺の駐車場にある幸福地蔵菩薩様を目指していると薄暗い中での先客を確認しました。お参りの邪魔をしない様に歩いて行くとお参りを終えられて私の方に振り向かれざまに「おはようございます。」と言われたので私も「おはようございます。」と言うと共に「今日は底冷えですね。」と投げかけると同級生が「朝起きての仕事が増えた。」と言われるので「何ですか」と聞くと「まきストーブに火を点ける事」と言われたのでまたまた「火を点けるのは大変ですか」と再び聞くと「木を細く刻んだのに火を点けてからだと簡単です。」と言われたので「優雅な仕事ですね。」と言って別れました。

その後本堂でのお参り、今須稲荷神社、六地蔵様等々と若山家他3軒のお墓に水替えをしてから若山家でのお経を済ませて再び幸福地蔵菩薩様の駐車場まで戻ると同級生の家の屋根から煙が出ていたので「まきストーブとは優雅なものだ」と思いつつ写真を撮りました。そして、「きっとまきストーブだから家全体が温められるのだろうな」と思いつつ家に帰りました。

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そう言えば昨日は伊吹山にも白い雪が被っていましたし、今朝の口から吐く息は白くなっていたので『冬本番がやって来た』と実感しました。リピーターの皆さん冬到来と言う事は暖房を使用する時期になりました。寒いからといって、換気やうがい手洗いをしないと『コロナ感染』『インフルエンザ感染』する確率が増えますのでお互いに充分気を付けて冬を乗り切りたいものです。

 

我が家の猫の話です。

令和4年12月2日

我が家の猫の名前は『お餅』と言うのですが私は何故か分りませんが『お餅』と言っているつもりが、いつもいつも『お豆腐』と言ってしまうのです。もっとも『お餅』と言っても『お豆腐』と言っても猫部屋(8畳)の猫の反応は部屋の片隅に隠れるのが常だったのですがここ1週間はテレビでコマーシャルをしている『チュール』を餌にして段々と近づく事が出来て1本しっかりペロペロと舐めてくれる様になりました。と言う事は私の近くにいられる様になり、朝4時30分頃に猫部屋の前を通ると廊下側でちょこんと座って「ニャーニャー」とないてくれるようになり「うんうん可愛い奴じゃ。うい奴じゃ」と思っていたのですが、昨夜は2階に上がって行く時に私の奥様かをり様が後ろにいたのが面白くなかったのか、『チュール』を手にしている私がいるにも関わらず部屋の片隅に行ってそこから動こうとしないので「私の癒しの時間が奪われた。」と言う事で私は不貞腐れて寝室に行ったのです。たわいない事をしてしまったと思う反面「可愛くない」と思う複雑な感情に陥りました。そして朝も、ここ1週間は廊下側で座っていたのに、部屋の中ほどで椅子の下に隠れるようにしていたので私が声を荒げるとなななんと毛を逆立てているではありませんか。これは「可愛さ余って憎さ百倍」(そんなに大袈裟な事では無いのですが)とばかりに益々声を荒げると毛を逆なでながら後退りをしながら部屋の隅に退避です。折角仲良くなってきて『癒し抜群と』思っていたので今は「大人げない事をしてしまったな。」と反省してます。

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これでまた私と『お餅』との癒しの時間は当分お預けだと思っています。でもね。お餅君は我が家に来て2カ月にもならないと思うのですがここまでになれたのは奇跡かも知れません。と言うのは先代の猫『リッド』は20年も我が家にいたにも関わらず私と親しくなれたのはなくなる1年前位かなと思うとまだまだ親しくなる可能性は充分にある様に思います。但し、私の記憶の中には19年間嫌われ続けだった思い出は無いのです。ところが私の奥様に言わせると私が車を車庫に入れていると今までのんびりしていた『リッド』君が慌てて部屋がある2階に退避していたとの事を聞き「そんな事なかった。死ぬ前にも私のベットの所に来て私の傍で寝ていたも~ん」と言っているのですが事実は奥様の方が正しい様なので私の特技は「良い思い出だけを記憶して悪い思いでは消去されるのだ」などと考えている次第です。リピーターの皆さん、なるべく早く『お餅』君との関係が改善され再び癒しの時間を持てる事を祈って下さい。(いやいや。これは私自身の問題かなあ・・・)

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疲れてバテバテでしたが・・・。

令和4年12月1日

昨日、東京出張から帰ったのが19時45分で、直ぐにお風呂に入り夕食を頂き22時には爆睡して、しっかりと寝たはずなのにいつものように4時25分にアラームがなり目をさましたのですが、いつものようにスッとは行動に移すことが出来ず10分近く葛藤した後、ベットでの準備運動をして布団から脱出しました。布団から離れて着替えをしていて「寒い」と感じました。気合いを入れて1階に降りて仏間の水のお供えと花の水替えをしてからは気合いが入りしっかりとお経を唱えてから外に出て妙応寺経由のお墓参りをして家に入ろうとして気が付いたのは背中に汗をかいていると言う事です。

家に帰り、お風呂に入り朝食を食べた後少し疲れが残っているようだったので少し休んでから行く事にして「万が一寝すぎるといけない。」と言う事でアラームを9時にして目をつむると、しっかりと寝ていたのか9時のアラームで起こされましたが目、覚めはしっかりしていて体も軽くなった様に感じました。

本日は嫁さんサービスで12時からの名古屋栄にある膝関節専門病院に私の運転でいかなければいけないのですが、2日間施設を開けたので「例え1時間でも」と施設に行き色々な打ち合わせをして10時30分に施設を出て嫁さんを乗せて名古屋に向けて出発しました。12時までに着かなければいけないのに1時間位で着くようになったのは、名古屋高速が出来たからだと思うと改めて「便利になったな」と思いました。12時前に着き、完全予約制での治療なので、13時前には名古屋を出る事が出来たので大垣で高速を降りて遅い昼食を頂きました。

そして14時30分にお店を出て車の中の温度計を確認すると、11℃だったので「昼間の温度としては低いな」と思いながら家に向かったのですが、垂井に入ると9℃になり、関ケ原町野上(ローカルな話ですみません。)まで来ると8℃に下がり結局施設の駐車場では6℃にまで下がりました。と言う事は大垣から施設まで40分の移動でしか無いのですが5℃の温度差があったのには改めて絶句です。「5℃も違えば冬の雪の量が今須に多いのはいた仕方ないな。」と思わざるを得ませんでした。

本日が12月1日で『師走』に入った途端に「寒い」(昨日の東京は暖かでした。)本部施設では暖房を初めて可動させました。物価高騰の波はまだまだ続きそうなのですが必要に応じて暖房も入れていくのですが、入れっぱなしだと心配なのが『コロナ』『インフルエンザ』『風邪』です。だからこそ『必要に応じた換気』と『うがい』です。

リピーターの皆さん、何事も手抜きと面倒くさいからは大変な事が何倍かになって帰ってくるので、お互いに手抜きをしないで健康な毎日を過ごしたいものです。

 

2日間出張で疲れた上に最後のだめ押しで・・・。

令和4年11月30日

昨日は全国老人福祉施設協議会の本部事務所に14時集合と言う事で荷物を宿泊する都市センターホテルに預けてから昼食を食べて13時過ぎに事務所に入り、事務所内の職員に挨拶をしてから会議室に行くと既に来てみえた役員さんと話をしていて、14時から広報誌の1月号の為の写真撮影があり、15時から正副会長と事務局の幹部の方との懇談会があり、18時30分からは正副会長だけの懇親会がありました。サントリーのお店の個室でよく話をしてしっかりお酒も頂き22時でお開きになり、素直にホテルに帰りお風呂は止めて爆睡しました。

流石に本日は4時25分にアラームが鳴ったのは気が付きましたが6時まで寝させて貰いました。その後はゆっくりとお風呂に浸かりしっかりと汗をかいでシャキッと鳴ってからこれまたしっかりと朝食を頂き8時になったのを確認してからスーツに着替えて、チェックアウトをして、歩いて本部事務所に行きました。8時30分には着いたので先ずは事務局の職員に挨拶をしてから会議室に行くと私が一番乗りだったのですがデイサービス部会の打ち合わせをしていると9時から朝礼で話をすることになっていたので、会長さんもみえて、9時に再び事務所に行き1分スピーチをさせて貰いました。

その後は12時まで正副会長での打ち合わせをして、昼食のお弁当を頂いてから13時30分からの理事会の時間まで雑談をして外部理事さんがみえたりしたので、この間にコラムが書けたらと思っていたのですが出来なかったので、今(午後5時29分)新幹線の車中で頑張ってます。本日のタイトルに『だめ押しで』と書いた事について書きます。

それは、理事会が16時に終了して、会長らに挨拶をしてから事務所にも行き挨拶を済ませて本部事務所前でタクシーを拾い東京駅丸の内に着いたのが16時25分で「急げば16時33分のひかりに乗れる」と言う事で「昨日岐阜羽島駅で往復切符を買っておいて良かった。」と思って改札を通り抜けようとしたら通る事が出来ない。直ぐに駅員さんが来てくだれたので切符を見せると「急行券が昨日の日にちになっていますので、改めて購入して貰わなければいけません。」と言われたので「自由席なのに駄目なの」と聞くと「申し訳ありませんが改めて購入して下さい。」との事なので「急いでいるので駅員さん私のカードで購入してくれる。」とささやかな抵抗。

新たな切符を手に今度は無事に改札を通れましたが予定していた16時33分のひかりには乗れなかったので『のぞみ』で名古屋まで行き『こだま』に乗り換えて帰るしかないのです。「すんなりと改札を通れたら16時33分の『ひかり』に乗れたのに」と思うと共に「自由席特急券だったら日にちを指定しなくても良いのに。不思議なシステムだな。」と思うと共にドット疲れを覚えた次第です。リピーターの皆さん、世の中には理不尽なルールがあるものですね。

明日から12月です。頭を切り替えて頑張ります。ただし、4時25分の行動開始は頑固に続けて行きます。何故ならば元気の源だと思うから。と言う事でこれからも宜しくお願い致します。

『その一言待っている人がいます』

令和4年11月29日

いつもの大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、いつもの事ながら『深い』と思うと共に『私自身の振り返りをしなさい。』と感じましたので、本日は全国老施協本部への出張があるので新幹線の中で色々と考えたいと思います。

今はお墓参りから帰ってきてお風呂に浸かりながらコラムの書き出しを書いているのですが、脱衣場で服を脱いでいるときにいつも以上に汗をかいていたので、「今朝は雨が降っていたのに温かかったのでいつも以上に汗をかいたと言う事は私の体は正直なんだな。」と思った次第です。

突然ですがラッキーでした。と言うのは本日は東京への出張で2日間施設をあけるので出張前に施設に 出向き昨日、コロナ感染で職員派遣の依頼を岐阜県から受けた対応として職員依頼をしてきた施設に連絡をして、事務局長さんに指示を出してから岐阜羽島に向かう事にして、施設に行くと明日締め切りの決済印を事務部長が押して欲しいと施設に着くなり言われたので「私が施設に来るとの前提で仕事をするな。」と言ってから決済を済ませて、予定通り職員依頼をしてきた施設に電話をすると電話に出た方が私が名乗った段階で「担当に代わります。」との事で、しばらくしてから電話に出られた方は、私が内容を話すると「その用件でしたら担当に代わります。」と言われて、次に出られた方とようやく具体的な話が出来ました。

確かにクラスターが発生している施設だからバタバタされているのは理解できますが私は昨日も16時過ぎにかけたのですが、その時は「担当がいませんので明日9時過ぎに連絡をして下さい。」にも参ってしまいました。ただし、この時も大変な状況だから仕方がないなと理解はしたのですが。「すみません。ラッキーの話がどっかに行ったしまっています。慌てない慌てない。」

以外と施設で時間を取ってしまったので職員に指示を出してから急いで車に乗り込み「10時10分のひかりに乗れると良いけど最悪は次の列車でも昼食の時間を節約すれば大丈夫かな。」と思いながら羽島で高速を降りていつもの駐車場に着いたのが10分3分。「切符を買って乗り込むには無理だな」と思いつつ券売機で切符を買って改札口に行くと10時15分の標示を見たのが10時12分と言う事でこれまた急いで改札を入りホームに行くと列車が停まっていてくれたので、ここで「ラッキー」と言う事です。尚且つラッキーなのは、この列車に乗り込めた事によって、名古屋での乗り換えもなくてゆったりと座って東京に迎えるし、昼食も久しぶりにゆったりと食べる事が出来ると言う事です。本日は14時迄に本部事務所に入り、写真撮影があり(だから中村会長から頂いた赤の勝負ネクタイを絞めてます。)15時から久しぶりのリアルでの常任理事会があり、夜はこれも久しぶりに懇親会があり、明日も9時30分から常任理事会、13時30分からは理事会があり、明日の会議終了予定時間16時30分で終了次第に帰らせて貰うのですが家に着くのは順調に行って20時位かな。

結構ハードなスケジュールですがリピーターの皆さん。役割を受けたからには目一杯対応するのが当たり前。こんな私ですが今後も宜しくお願い致します。

(追記)

昨日参加したごま供養の写真と我が家の家族『お餅君』の写真もせっかく撮りましたので載せさせて貰います。ごま供養は大迫力だし、『お餅君』は可愛いでしょ。お餅君にはでれでれです。

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本日は本部施設において認知症の研修があります

令和4年11月28日

長野県松川市から認知症の指導者を招いて認知症の実践者研修もしくはリーダー研修の受講が終了している職員を対象に研修を行います。講師の先生は朝5時30分に家を出られて8時30分には施設におみえになったので「責任感の強い方だ」と思いつつ私の名刺をお渡しすると「すみません。名刺を持ち合わせておりません。」と言われたので、私の悪い癖で「名刺も持たずに挨拶するのは3流だよ。」と言ってから「これは、私の恩師のひとりの方の受け売りですから気にしなくて大丈夫です。」と言うと「確かにその通りです。」と返されたので「めっちゃ真面目な方だ。」と思った次第です。どんな研修も研修終了後の展開が始まってからがスタートなのに、受講しただけでその後の展開が無いのでは意味が無いにも拘わらずその様な展開の方が多いのが現実です。

研修に送り出す側は『費用対効果』を求めますがなかなか望んだ通りに行かないのが現実です。当法人は医療については嘱託医と何人かの看護師がいるだけの施設です。そう言う意味では『認知症に強い施設』を目指すべきであると共に『今日一日楽しかった』を確立したいとの思いで出来る手立てを講じています。その意味では今回の研修は『フォローアップ研修会』と言う事です。私は社会福祉法人杉和会理事長としてより良い施設にしていく為には『人材の確保と育成及び定着』が大切だと考えています。そこで、理事長として考えて実行してきた事をこの機会にまとめてみます。

先ずは「人材の確保が難しくなるぞ」と意識したのは平成18年から介護養成校の入学者が右肩下がりになり、外国人留学生を積極的に入学させてもまだ歯止めが効かない状況があります。そんな中で当法人は子育て支援として事業所内保育所を建設すると共にEPAによるインドネシア人介護福祉士候補生の導入も視野に入れてアパートの建設もしました。今では1Kではありますが20部屋を確保して古民家を改修して4人がシェア出来るものも確保しました。これによって外国人については特定技能及びインターンシップの導入も出来、中卒の職員も安心して働ける環境を作った事によって『確保』については今のところ順調に推移しているので『資質向上』に力を入れていく為の一環としての企画が本日の『認知症フォローアップ研修』と言う事です。今後驚異的に増える予測が立てられている認知症についての知識を持った展開は大切だと考えてのものです。

また、平成19年に全国老人福祉施設協議会による全国研修岐阜大会が開催された折り、記念講演でデンマーク在中の小島ブンゴード孝子さんのお話を聞いて腰に負担がかかりにくい『北欧式トランスファー』の話を聞いて「長く勤めて貰う為の一つの手立てだ。」と思った私は岐阜県内4ヵ所(高山・中津川・岐阜・大垣)に小島先生を招いて研修会を企画したり、本部施設に小島先生に来て頂いての研修をしたり、現在盲養護老人ホーム優・悠・邑和(なごみ)の施設長をしている吉澤施設長にデンマークの小島先生の所でホームステイをしながらの研修に派遣して全員がトランスファーが出来る体制を構築しました。

しかしながら、フォローアップ研修をしないでいるといつのまにか『持ちあげない介護』でないものの蔓延に、しびれを来してあらためての構築に努めている次第です。リピーターの皆さん、私は社会福祉法人杉和会理事長としてより良い環境を構築する中で『今日一日楽しかった』が常に言える状況にしたいと考えていますので今後共ご支援ご理解をよろしくお願いいたします。

 

『日々に感謝』とは・・・

令和4年11月27日

禅問答の様なタイトルで恐縮です。ただ、本日の朝のお墓参りの時にふっと浮かんだ言葉を本日のコラムで正直な気持ちを書いてみたくなったので、リピーターの皆さん申し訳ありませんがお付き合いして下さい。

私は38歳の時に初めて大学の講義をさせて頂いた時に(大垣女子短大幼児教育科)「福祉の『福』にも福祉の『祉』にも『しめすへん』がある。このしめすへんの元は神様に供える為の三宝(仏教の世界では『三方』)を表しているそうです。つまりお供えするものが無ければ三宝などは意味のないものになってしまう。と言う事は豊かさがあってこその福祉なのです。この世界を超越した教えは仏法の中にはあります。手塚治の『ブッタ』と言う作品の中でお釈迦様に何も差し上げるものが無いと思った兎は、自ら火の中に飛び込みお釈迦様に食べて貰おうとして昇天して天国に召されると言うのが有りますが、その様な事は現実にはあり得ないのです。だから、福祉を語る時には、先ずは豊かな国を築かないといけないのです。」等と話したのを今でも覚えています。

現代において理不尽な事がまかり通っているのが統一教会の手法だと思います。つまり、寄付が出来る根拠も無く多額のお金を寄付するのは断じて許される行為ではありません。(そんなのは宗教でも何でも無いと思います。)

さてそろそろ本題に入ります。(いつものことながら本題に入るタイミングが遅くてすみません。)『日々に感謝』が出来るのは日々の生活が満たされているから「ありがたい」と言う言葉が自然に出てくるのだと思います。勿論、日々の生活で完璧に充足されているかと言えば、そんな事は有り得ないと思います。しかしながら、不足を言えば切りがないので、今の状況の中で『感謝』の気持ちを持った日々こそ幸せな生活だと思います。

そう言えば『感謝』とは少し話題が変わりますが、最近楽しみが一つ増えました。それは我が家に『お餅君』と言う家族が増えた事です。お餅君は所謂『野良猫』を一年近くしてきて野良猫の仲間の中では「臆病のいじめられっ子」(可哀そうに尻尾の先の毛が無いのです。)だった為かなかなか家族の中に溶け込めなくて猫部屋の中の隅っこに隠れてしまい、顔を見せてくれないのです。それでいて皿に入れられた食事はしっかりと食べてあるのです。我が家に来た当時は「可愛くない猫じゃ」と思っていたのですが最近は朝私が4時30分に猫部屋の前を通ると廊下に近い所に座っていて「ニャー」と鳴いてくれるのです。それに対して私は優しく「おはよう、お餅君」と話しかける様になりました。もっと劇的な事は私が寝にいく為に猫部屋の前を通るとこれまた「ニャー、ニャー」と鳴くので猫部屋に入ると私に絡んでくるので『チュール』と言うスティックを1本食べさせるのにお付き合いしているのですが「めっちゃ可愛い」と言う事で癒されている事にこれまた感謝です。

本日は14時から社会福祉法人杉和会の理事会が開催され無事に終わった事にも感謝です。リピーターの皆さん、つまらない一日より感謝の一日の方が幸せだと思いませんか。

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自分からひとりにならないで

朝の大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉ですが「お陰さまで私には無縁な言葉だ。」と思っています。

と言うか一人になったら生きていけない。でも、沢山の師がいて、支援して下さる方も沢山いて下さり、慕ってくれるよき友も沢山いて下さるのは本当にありがたい事です。

ただし、昨日は少し厳しかったです。と言うのは昨日のコラムで書きましたが昨日午前1時15分に看取りの方の連絡が施設の管理北島部長から入り、強引に目を覚まし6分後に再び嘱託医と家族に連絡がつき6時に嘱託医と家族が来て頂く事になった。との報告があり、「いつもの4時25分のアラームでの行動開始で大丈夫」と言う事で再び寝る事にしたのですが『ヤクルト1000』の効果よりも『目が冴えて』の状況の方が勝ってしまいウトウトとしか眠れないままに4時25分のアラームで行動開始をしました。

仏間のお参り後は施設に行き、妙応寺の本堂とお墓でのお参りをして、遅い朝食を獲り、休憩も無いままで約束の10時に岐阜県老人福祉施設協議会事務局に行く為に車を運転していて車の中が温かい事もあり、睡魔に襲われた様な状態には参ってしまいました。どんな状態だったかと言うと眠くなった時に大きな声で歌を歌うと大抵はクリアになるのですが、昨日は大きな声を出す事も出来ず、信号で停まるとウトッとするような状況だったのですが、何とか岐阜県福祉会館の駐車場について5分だけ目をつぶって生気を取り戻しました。但し、打ち合わせに入った時にはしっかりと頭が働いている事が自覚出来たのは良かったです。

打ち合わせ後に昼食をとり、岐阜県共済会の理事会及び永年勤続表彰の会に行く時には眠気は吹き飛んでいました。私の生き方は文字通りソーシャルアクションを起こしながらの展開ですから『孤独』と言うのには無縁の生き方ですが、人生には「もしもこんな風な生き方だったら」等と言う中で、仮にネットワークを構築出来ない生き方をしていたら、今の様な展開は全く考えられないものになっていたと思います。

そして本日は10時のお約束でインドの奥地で技能実習生の教育に当たってみえる方を岐阜県老人福祉施設協議会の西垣制度政策委員長が案内して下さったので色んな提案を聞いている時に60年振り位に我が家の川西に住んでみえた方が突然みえました。と言ってもお互いが名乗らなければ分からない位に変わっていたのですが。話をしていると間違いなく話題が合います。但し、相手の方は「本当に宏クンか。小さい頃は身体がひ弱でよくお袋(今須診療所の看護師さん)に注射して貰っていたのを覚えているけど本当に宏クンなの」と言われて、「お陰様でこんな体になってしまいました。」と半ば自虐的に話をした次第です。そう考えると今の様な状態になるとは60年前の私しか知らない方にとっては考えられない事何だと思います。でも、『現実は小説より奇なり』ですからリピーターの皆さんこんな人生もある事をご理解下さい。

先生早や過ぎです

 

 

真夜中の午前1時15分に本部施設から電話。「厳しい状況の入居者さんが亡くなったか」と電話に出ると、管理宿直の北島部長が「夜中にすみません。看取り対応をしていた〇〇さんが息を引き取られたのを確認しました。」との事。いずれは対応しなければと覚悟をしていた方だったので冷静に「先ずは主治医の先生と家族に連絡をして、その結果を連絡して下さい。」と言うと6分後の1時21分に再び北島部長から「先生は6時に死亡確認に来て頂けるとの事で、家族さんにもその様に連絡しました。」との事だったので「先生は言われた時間より早くみえる事があるので5時30分過ぎには施設に行きます。」と言って電話を切り、「5時30分過ぎに施設に行くのであればいつもの様に4時25分のアラームで行動開始をして仏間でのお参りだけして施設に出掛けて看取りの家族対応をして家に帰る途中で妙応寺の本堂のお参りとお墓参りを済ませる為に出掛ける時にはいつものお賽銭(1円玉2個、5円玉2個、10円玉3個、50円玉1個)を持って行かなければ」と考えてから再び眠る事にしました。

再びの眠りは浅いものでしたが予定通り4時25分のアラームで行動開始をして、5時23分に仏間でのお参りを終えて家を出ようとした5時25分に施設から電話「先生がみえました。」と言う事で「おいおい、いくら何でも早過ぎと違うんかい」と思いながら車に乗り込み施設の駐車場で先生の車に出会ったので車を停めてお礼を言って施設に入り家族を待ちました。勿論待っている間にコラムを打っていたのは当然の事です。先生がこんなに朝早くても対応して頂けるのは本当にありがたい事です。多分施設を出られた先生はそのまま往診に回られるのだと思うのですが地域医療には欠かせない存在だといつも思っています。6時との連絡に合わせて高齢のご主人とともに子どもさん3人で来て頂きましたので感染症対策の為にガウンを身に付けて頂き居室に行って頂いた後、家族の方に対して施設側がお手伝い出来る事について説明して私自身は本来ご自宅までお送りするのですが本日は10時から岐阜県老人福祉施設協議会の事務局と来月行われる常任理事会の打ち合わせがある為に私自身の対応が出来ない事をお話して、玄関先でお見送りをした後は、事務局との打ち合わせの後は岐阜県退職共済会の理事会に引き続いての永年勤続表彰が岐阜市柳ケ瀬にあるグランヴェールホテルがあり、終了したのが16時20分で、急ぎ本部施設に帰る途中で夕食用のパンと金ちゃんヌードルを購入したのを食べて19時からの全体会前に何とかコラムを打ち終えました。

リピーターの皆さん、私は急いで食事を取ってしまったので満腹感がなくて一杯食べてしまうのでお腹が際限なく出ている事は知っているのですが「わかっちゃいるけどやめられない」状態です。優雅に食事を取る日がくるのかなあ。こないだろうなあ。だって趣味は仕事と言っている私だから・・・。

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