週刊現代の昨日の続きです

(利用者の見分け方リストを紹介して私のコメントをします。

①髪型がボサボサ・・・職員が入居者さんの髪の毛を櫛で綺麗に整えるのにどれだけの時間がかかるのでしょうか。ほんの短い時間であっても職員を独占出来る時間であり、何と言っても入居者さんが綺麗な状態でいて頂くのは職員にとっても嬉しいことです。その様に考えられない事自体が問題だと思います。

②服がよれたり汚れたりしている・・・「職員自身が汚れた服でいられますか」自分が嫌な事を入居者さんにしている事自体言語道断だと思います。

③笑顔が少なく、無表情・・・喜怒哀楽があるからこそ、人として生きていると思います。当施設の合言葉は「今日一日楽しかったよ」です。

④職員にすぐに謝るなど、おびえている・・・かつて精神病院に訪問した時に職員さんの後ろについて荷物を持って従順に従っている姿を見てショックを受けたのを覚えています。

⑤エレベーター前に10分以上放置されている・・・26年前に施設見学をさせて頂いた時にエレベーターの前に車椅子に乗った状態で10人以上の入居者さんが待たれていたので「どうしてエレベーターの前で待ってみえるのか」と聞いた時に「食事の階が下の階なので並んで待って貰っているのです」と言われたのを聞いたので本館施設を計画した時から『食堂』と『風呂』はそれぞれのフロアにないといけないし、食事に行く為にジッとエレベーターを待っているのと入浴の順番の為に待って頂くのも申し訳ないとの気持ちを職員は思わないのだろうか。

(食事と設備について)

①全ての食べ物をごちゃ混ぜになっている・・・入居者さんがごちゃ混ぜにするのを喜んで見えるわけが無い。私もたまにご飯に味噌汁をぶっかけて食べる事がありますが(今日もそうでした)それは時間に余裕が無くて止む無くしているのであって好んでしているわけではありません。

②食卓や椅子の高さが利用者さんにあってない・・・『個別ケア』と言う概念がなければ介護施設としての大切さが理解されていないと言わざるを得ない

③ほぼ全員が全く同じものを食べている・・・『②』と同じです

④車椅子に汚れがあり、タイヤに空気が入っていない・・・「忙しいから出来ない」との考えの中で杜撰な管理がされているのは入居者さんや利用者さんにとっても失礼な事だと思います。自分の車が汚れていたりましてや空気圧が入っていなくても大丈夫なのでしょうか それに空気が入っていなければ座り心地も悪いし動きも悪いと思います。

⑤施設内に独特な嫌な匂いが充満している・・・換気に対する意識も低いと言う事は感染症対策も出来ていないと思うし、だいたい嫌な匂いのするところで生活したくは無いです

⑥建物は立派だが、清掃が行き届いていない・・・本部施設も開設をして1年が経過した頃『疥癬』(ダニの一種)がでて大変だったです。これは、一見綺麗に見えるので掃除を怠ったからです。その時の教訓を生かして常に清掃に留意しています。

(その他で)

①掲示板にイベントのお知らせがない・・・最低限度のケアしかしてなくて全く「ワクワク感」などないと言う事なのでしょうか。

②ボランティアを募集してない・・・ボランティアさんが来て誘導など余分な仕事はしたくないと言う事でしょうか。

※昨日・今日と週刊現代の『虐待する施設の見分け方リスト』についてコメントしている内に気分が滅入ってきました。もしこの様な事が実際にあるとしたら何の為の施設なのでしょうか。人としての対応がされていなければ『虐待』も起こり得ると言う事なのだと改めて思った次第です。

週刊現代の3月11日・18日の記事から

令和5年3月23日

大見出しは『患者を虐待する 病院・老人ホームは こう見分けろ』小見出しに『「寒い」と震える入居者を裸のまま放置する老人ホームに、入院したばかりの患者を縛り付けて死に追いやる病院―――。自分や家族が殺されないために、五感を最大限に使って虐待施設を回避しよう。』『虐待する施設の見分け方リスト (職員についての記事を紹介してから私なりのコメントをします。)

①髪型や服装に統一性が無い・・・「服装の乱れは生活の乱れ」と言われる事が気になりますし、このような施設には統一性が無いのだと思います。ちなみに当施設には制服と言うものはありませんが「働きやすい服装で」と言う事で統一していますし、髪の毛の長いのは顔に掛からない様にしっかり縛って貰っています。

②訪問時に挨拶が返ってこない・・・「挨拶は数秒で出来て相手の方にとって不快な思いをさせる事は無い」と常に職員に言っていますし実践して貰っています。

③利用者の行動をゆったりと待てない・・・「待つ事」の大切さを指導しています。その様にすることによって入居者の自立を促す事にもなることも理解したケアに心掛けています。

④利用者への声掛けをしない・・・声掛けをしないのは言語道断です。介護の基本はコミュニケーションからですから

⑤赤ちゃん言葉を使っている・・・自分が赤ちゃん言葉で言われたらどの様に思うかがわかります。入居者さんの尊厳を大切にしなければ介護施設の意味がありません

⑥「おい」「やめろ」と言葉遣いが乱暴・・・入居者さんは大切な方です。「世話をさせて頂いている気持ちが無い職員はされ」と考えています。

⑦介助の際に服や腕を不必要に引っ張る・・・乱暴なケアは顧客満足の観点からも決してしてはいけない行為です

⑧若手の職員がいない、極端に少ない・・・若手の職員が少ないと言うのは入職をして3年以内に辞めてしまうからだと思います。色んな年齢層の職員がいるのが理想的な職場環境だと思います ⑨職員の離職率が異常に高い・・・職員が定着しないのでは落ち着いたケアも出来ないし職員資質向上も望めないと思います

⑩職員の休憩スペースや事務所が狭く、汚い・・・職場環境に気を配れなければ良いケアは出来ません。休憩をする時にリラックス出来る生活のメリハリも必要だと思います

⑪案内担当の職員とその他の職員の態度に差がある・・・案内をする職員がいくら綺麗ごとを言っても説得力がないと思います。そう言う意味では居室環境や掲示物に対する充実も大切です

⑫過去にあったトラブル事例やその対応策を答えられない・・・事故等が絶対に起きない等と言う事は絶対に言えません。事故が起きた時は管理者が本人及び家族対応の先頭に立って行い、再び同じ事故を起こさないために何をすべきかを現場の職員が考えて周知徹底をする事が大切だと思います。

※本日は職員変のみのコメントをしましたが「利用者」「食事と設備」「その他」について次回に述べます

久し振りに東京への出張です。

13時30分から東京の砂防会館で全国老施協の代議員総会があり今は岐阜羽島駅のホーム内の待合室でコラムを打ちながら列車を待っています。時間には余裕を持って出掛けたとは言え9時30分過ぎに列車があると勘違いしていて9時51分のこだまを待つことになり「しっかりコラムが打てる」と誰もいない待合室でガラケーの携帯電話で格闘しています。岐阜羽島駅の切符売り場で私は納得がいかない事があったのでリピーターの方の中でお分かりの方は是非教えて下さい。

それは何かと言うと、本日は19時30分からリモートではありますが、「コロナの5類変更に伴う入院対応の検討会」が岐阜県主催であるので16時過ぎには総会会場を出て東京駅で新幹線に飛び乗り羽島から車で本部施設に行っての対応をしなければいけないと帰りには時間が無いと考えて「本日東京までの往復をお願いします。」と言ってから「総会が会場を抜け出せなければ全国老施協事務局でリモート会議に参加させて貰い安いホテル泊に泊まって明日一番の新幹線で帰る選択肢もありか」と考えて「明日になるかも知れませんので変更出来ますか」と係員に聞いたところ、「その場合は本日中に変更して貰えば大丈夫です。」との対応に私は大いに疑問を持ちました。と言うのは明日までの切符にすれば【有効期限】的に何ら問題がないのにどうして今、変更が出来ないのか。こんなことなら最初から明日までのものにしておくべきだったと思った次第です。時間がよめないから指定をとらないのにどうしてなのか不思議で仕方がないのです。明日にすると若干料金が高くなると言うことならそのような説明をすべきでは無いかと思った次第です。駅員さんにとっては当たり前の事であっても、たまにしか利用しない者にとってはわからない事なのですから。確かに私は昭和おじさんですからスマホでピッピとは操作が出来ないので・・・。

岐阜羽島から名古屋までは【こだま】に乗りました。(よくは分かりませんが2分遅れで出発をしましたが、名古屋で【のぞみ】への乗り換えは直ぐに来たのに乗りました。自由席はこう言う自由がきくので有り難いです。結構に乗車されていましたが3席並びの通路側に席を確保出来ました。マスクはされている方の方が少ないように思いましたが、私はしっかりマスクをしての乗車です。11時40分には東京に着くと思うので全国老施協事務局近くの地下の蕎麦屋さんで昼食をとり、事務局に挨拶をしてから砂防会館に向かいたいと考えています。

さて、話は変わりますが昨日私にとって唯一の姉春子さんからメールが来ていたのに対応していない事に気付き朝のお墓参り後のお風呂の中で返信メールを打ちました。姉からのメールの内容は私がお彼岸のお花を姉の家のお墓にも供えた事のお礼だったのですが、その中に「今の宏は頑張れる様になったね」的な事が書いてあったので私はつくづく「小さい頃のひ弱で軟弱な私を指摘出来るのは姉の春子さんだけやな」と思った次第です。総会は16時前に終わったので色々な方にご挨拶をして(今日が最後になる方もおみえになるので)タクシーに乗り東京丸の内で降りて急いでホームに向かうと16時33分の岐阜羽島に泊まるひかりがあったので、しっかり走らせて貰いました。ひかりの自由席は6号車までなので6号車で待ってみえる所まで行くと丁度ドアが開き結構に混んでいましたが座席を確保出来ました。18時40分には岐阜羽島に着くと思うので岐阜羽島駅構内の売店で夕食を買って車の中で食べて本部施設で19時30分からのリモート会議に備えたいと思います。本日は4時25分のアラームから今までと言うより会議終了多分21時頃になると思うのですが、ホッとする時間がない1日になると思うのですが新幹線の中でコラムが打てたのを良しとします。リピーターの皆さん、そのような考え方で大丈夫ですよね。

本日は春分の日です。

令和5年3月21日

今朝も4時25分のアラームでの行動開始はいつもと同じだったのですが、玄関先に置いてあるペットボトルが入ったリュックサックに水を入れる為に取りに行くと土間の所にバケツに入ったお花が置いてあったので「お彼岸の花を準備しておいてくれたので頑張ってお墓に持って行かなければ」と思いながら6本のペットボトルに我が家の水道水を入れてから仏壇での正信偈と般若心経を終えてから外に出ると首に掛けたライトが必要ない位の明るさになっていました。

我が家のお墓と吉澤家お墓でしっかりとお花を整えたいと考えていたのと、4つの花束を持っての屈伸運動は難しいと考えてスルーをして、本堂と今須稲荷でのお参りもそこそこにして六地蔵様はお水替えと燈明は点けましたが、とにかく本日は我が家のお墓に急ぎました。先般購入した小菊はまだ大丈夫なので残し、しきび(「しきみ」とも言います。)を取り除き花筒を綺麗に洗い準備した花と小菊を飾りました。吉澤家のお墓でも同じ様にさせて頂きました。

 

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お水替えだけは及川家と柴田家もさせて思おうとしたところ、柴田家は新しい花が供えられていたので私は思わず「勝ちゃんナイス。おばちゃんが喜んどるぞ」とつぶやきました。お墓でのお経もいつも以上に気合が入りました。妙応寺の境内に行くと桜と桃の木の花があまりに綺麗に咲いているので思わずガラケー携帯で写真を撮りました。

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桃の木の所まで行き、心に余裕があったためか直ぐ傍にある『徳川家康公天下腰掛石』の所で改めて石碑の説明を読みその中に書いてあった「嬉しい・楽しい・有難い」を腰掛石に座って3回大きな声で言いました。大きな声で言えるのも朝早くの特権かなとも思った次第です。

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妙応寺から旧中仙道に入ると腰掛石が元々あった本陣の所に黄色い建物で「今須改善センター」なるものが建っているのですが、本陣の原型を私は知っているのですが関ケ原町の方でご親切にも壊して頂いたのですがその当時の今須の有力者の方達は何も思わなかったのでしょうか。

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その当時私がそれなりの立場だったらきっと体を張ってでも阻止したしたのにと思うと残念で仕方がありません。『覆水盆に返らず』の諺の通り壊してしまった物は元に戻りません。今はNHKの大河ドラマで「どうする家康」が放映されているので今も本陣が現存していたらと思うと・・・。

いや待てよ。もし本陣が現存していて旅行者が多く訪れていたら、私の家は『門前』にあるので旅行者が必ず通るところだから・・・。リピーターの皆さんひょっとしたら、私は茶店の店主で蕎麦を湯搔いてぼちぼちとした生活をしていたかも・・・。多動な私ですからあり得ないか。

ひこうき雲なのです

令和5年3月20日

お墓参りの帰りに幸福地蔵菩薩様の所で再び手を合わせていて、ふと天を仰ぐと「ひこうき雲」があり、昨日寝る前に少しだけかなり前に購入したDVDで三蔵法師を深津絵里が孫悟空を香取慎吾がしていたのを見ていたためでしょうか、ひこうき雲に見えて、そこから私は尾ひれをつけた事を考えていました。

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それは、三蔵法師がいた時代に飛行機が時空を超えて飛んでいたら間違い無しに「龍」だと思った事だろうと言う事です。そこでまたまた尾ひれをつけた事を考えてしまう私がいるのです。私が背中に背負っているペットボトルが江戸時代にあったら、竹を利用した水筒など作らなかったし、水もそれほど大切にはされなかったのでは無いかと考えてしまう私がいます。「水筒」と言う字を見つめていて「筒に水を入れるもの」と書くのでもし、漢字が産まれた時にペットボトルがあったらどんな漢字になっていたか等と考える私がいるのですがリピーターの皆さんこんな私の事をどう思われますか。

さてお陰様で本日も忙しい一日でした。9時過ぎには本部施設を出て先ずは優・悠・邑 和(なごみ)のお経の後の全体会を終えて昼食を頂きながら吉澤施設長との打ち合わせをして、その後銀行に寄ってから岐阜県老施協事務局にいき岐阜県福祉人材総合支援センターの運営委員会のリモート会議を13時30分から15時まで参加した後3月23日に行われる岐阜県老施協総会の打ち合わせをしました。その後1件の用事を済ませてから本部施設に戻ったのは18時前と言う事で、朝のひこうき雲を見ながら悠長に構えていたのとの何と開きの大きい事。でも、朝の時間帯だけでも心豊かになれる時間があるのは有難いと思っています。

これは4時25分のアラームで行動開始をしているからこそ出来る事なのでこの生活リズムは続けていきたいと考えています。ところで、今年の春の迎え方が異常に早い為か『スギ花粉』は例年よりはるかに多いとの情報の中、当法人は『杉和会』と言う位に杉の木々に囲まれたところで今須育ちの私ですが毎年花粉症に悩まされるのです。勿論当然の事ながら目が痒くてたまらないのですが、目薬をさしているのと忙しい時は『痒い』のを忘れさせてくれるのは有難いです。この様に感じる事が出来るのは健康な証です。健康である限りは頑張りますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

ポッコリお腹ではありますが・・・。

お風呂に浸かる前に必ず洗い場の前に設置してある鏡を見るのですが、自分で言うのも変なのですが醜くお腹が出ているのを嫌がおうにも見るのです。しかしながら、中学生の時に160cmの40㎏だった時のあばら骨が見えるのでは無いかと言う体が嫌で、以前のコラムでも書きましたがその当時のあんこ型のお相撲さんで若秩父に憧れていたのです。しかしながら実際にあの当時の若秩父の様なお腹になっても全然嬉しくないのも事実です。

改めて思う事は「他の人の事を羨ましい」と思うのは私を含めて『世の常』なのでしょうか。自分自身で「醜い」と思うのなら少しは食生活を留意した生活に改めるべきだとリピーターの皆さんも思われる事だと思います。私もその様に思っているのですが出来ないのです。『意志薄弱』と言ってしまったらそれまでなのですがわたしの場合は「違うんだ」と言う訳の分からない『屁理屈』とも言える理由で自分自身の意志薄弱な事なのに出来ない私を慰めているのです。

その最大の理由は毎日の緊張感の中でストレスも多くクリアしなければいけない課題も多く有るので、そのバランスを取っているのが食欲であり、時にはお酒であると考えています。そしてもう一つの大きな理由は昨年6月から基本的には4時25分のアラームで行動開始をして仏間でのお参りとそれを終えてからの妙応寺の本堂、今須稲荷、我が家のお墓プラス3軒のお墓参りに6本のペットボトル(段々増えていったのですが)に我が家の水道水を入れてリュックサックに背負ってのウォーキングが出来ていて風邪もひかない毎日を送れているので、「今の生活がベスト」と考えているからです。

午後からは藤下の高木さんとのジョイントカラオケがありました。この3年はコロナの影響で飲みに行ってカラオケに行く事は全く無くなったので、月に1回のお参りの時に各フロアでカラオケが準備してある時には1曲歌わせて貰うのと、今日の様にジョイントカラオケがある月1回を除いては全く無い(いやいや和(なごみ)でもお参りの後3曲歌わせて貰っているか)のですがジョイントカラオケの時は5会場で3曲プラス最後の会場でアンコールに応えて1曲歌わせて貰うので合計16曲歌ったのですが、しっかり歌えるのでまだまだ大丈夫です。と言うより、このお腹があるから歌えるのか・・・。(結局『お腹』か)

本日、幸福地蔵菩薩様の前掛けを新しいのに代えさせて頂きました。アフターとビフォアの違いを理解して頂きリピーターの皆さんのご意見を下さい。今後の参考にさせて頂きます。

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玉砂利が敷き詰めてあると有り難い

令和5年3月18日

今朝は傘をさしてのお墓参りでしたが、自分で言うのも変ですが「頑張りました。」傘をさしての橋の欄干と今須稲荷のお狐様の台座を活用しての屈伸運動は少し無理があるので、本堂とお墓を繋ぐ廊下の下で行きと帰りに三回ずつ屈伸運動をして、いつもの分をクリアとしました。本堂から今須稲荷までは簡易舗装や石畳になっているので、雨の中でもそれほど歩きにくいとは思わなかったのですが、本堂裏のお墓の方に行くと自然な土のままなので、凸凹になった泥濘(ぬかるみ)(水溜まりとも言います)で歩きにくい状態でした。但し、今朝は真っ暗な中ではなかったので、真っ暗な中で歩いていた時よりは楽に歩けたので、有り難かったです。

そしてもう一つ有り難かったのは「常在不滅之塔」を綺麗にしていただいた時に玉砂利を敷き詰めて頂いたので、これまた歩き易くなっていました。この現象は雨が降っていてわかった事です。この様にさり気無くお参りをされる方への配慮は有難いと思います。当施設に於いても学ぶべきものがあると考えています。

① ② ③

本日は14時から当法人の理事会が開催されます。議題としては令和4年度の補正予算案と令和5年度の予算案、事業計画案の承認です。勿論その他にも諸物価の値上げにより、食費の改定も議題にあります。本日は議題として9号議案まで上程されるので理事・監事の皆さんにご了承頂いて今月26日の評議員会での上程に持っていけるように今は気を引き締めています。(先程理事会が終了しました。)予算については物価高騰により厳しいものはありますが、法人全体の職員が一丸となって必要なものについての予算は執行していき、節約出来るものについてはより工夫をしていく事を周知していきたいと思っています。お陰様で9号議案まで全て承認を得ました。食費の改正についての承認も頂いたので、早速入居者さん・利用者さん及び家族の方々への周知を職員に指示しました。値上げは申し訳ない事ではありますが、ご理解を得て行くようにしていきます。

理事会が始まる前から改めて資料の確認をしたり手持ち資料を作成したり依頼をして確認したりして、昼食は早めに尚且つ簡単に済ませて理事・監事の方々がおみえになるのをお迎えして14時の定刻に理事会は始まり、しっかり2時間の討議が終了した時にホッとした為か急にお腹が空いてきて、あられやラスクをパクパクと食べました。パクパクと満足するまで食べてから思ったのは、「こんな生活をしているのではお腹が突き出ているのも仕方がない。」と自嘲気味に思った次第です。リピーターの皆さんこんな私の生き方をどう思われますか。

 

できるとき できること できるだけ

いつもの大谷師の言葉なのですが、今の自分にとって最も大切な事を導いて下さる言葉だと思いました。

と言うのは先週の金曜日に月一回開催している岐阜県老施協の常任理事会の日程を忘れていて、急遽リモートによる参加をすると言う大失態をしたのです。岐阜県老施協会長として最も大切な会議を忘れていたと言うことは、足が地についた生活になっていない証しだと猛烈に反省をしているのです。この現象は「忙しいから仕方がない」等と言う問題ではなく、「効率的な対応をしっかりとしていかなければいけない」と言う事を教えて頂いているのだと思うと、正に本日の「できるとき できること   できるだけ」と言う事だと思ったわけです。しかしながら言葉にするのは簡単だけれども、実行に移した毎日は難しいですが形にしていかなければと思っています。

では、この様な失敗をしない為に何をすべきかを考えた時、つまりはリスクマネジメントとして何をすべきかと言う事で、今実践しているのは2ヵ所に記録する事です。今まではガラケーの携帯のスケジュール管理に打ち込んで、朝一でその画面を開き一日の動きを確認していたのですが、今回の事は多分一旦はスケジュールに打ち込んだものを追加で打ち込んだ時に消してしまったのだと思います。機械は便利なのですが、操作ミスが絶対に無いとは言えません。だって、操作の仕方によっては簡単に消えてしまいますから。そこで、新たに昨年末に頂いていた手帳に手書きで書く事にしました。手書きであれば簡単には消せませんから。つまりダブルチェックをする事にしました。

一気に沢山の事を書く事は出来ませんが、本日の大谷師の言葉の様に『できるとき できること できるだけ』を実践する事が大切だと思った次第です。

話は変わって昨日は4月の陽気で温かったです。と言う事で、朝のお墓参りの時の妙応寺境内の木々は色づき出して何となく心躍る感じがしました。境内の花は驚く事に『梅』『桃』『桜』がそれぞれに咲いているのには驚きです。しかしながら『白』『濃いピンク』『薄いピンク』の花を楽しめたのは私が昨年の6月から基本的には毎日我が家の水を持参してお墓参りに行っているご褒美・・・。いやいや、寒かった冬から一機に春の陽気になったからですよね。こんな年も珍しいです。そう言えば我が家の紅梅も咲いてきました。太い所の幹は向こうが見える様な状態なのに咲いています。この紅梅の木が花を持つのは3月末から4月の初めですから、少なくても2週間は早いと言えます。

リピーターの皆さん寒暖の差が激しい時期ですお体に留意して下さい。

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弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス

令和5年3月16日

いつもの妙応寺の本堂の大谷師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、本日はこの言葉を見た瞬間に私が中心になって行ってきた事について走馬灯の様に頭に浮かんできました。26歳から38歳までご縁を頂いた児童養護施設においては、教員を退職して福祉の『ふの字』も知らなくて無手勝で提案して、なかなか提案が軌道に乗らない時には自分の指導力の無さに自信をなくしていると子どもの方から助け船を出してくれる子が現れて救われる事が度々ありました。但し、指導者である私が手を抜く様な提案には見向きもされませんでしたが、子ども達にとって少々厳しい提案であっても自分たちにとってプラスになると思った提案には喰らいついてきてくれて自信をつけていった様に思います。一杯失敗をしていく中で問題解決をした事によって私自身が成長していった様に思います。

児童養護施設を退職して大学の非常勤講師として講義をさせて貰った最初の講義で(大垣女子短大幼児教育課)講義時間は80分なのに60分も話をしたら話す事が無くなり立ち往生をして4月ですから決して気温が高くはないのに背中を滝の様に汗が流れた時に自分の準備不足を理解して次の講義からは絶対に学生さん達が飽きないでしっかりと聞いて貰えるような内容を準備しようとしっかりとした準備をする様に心掛けて講義に挑む様にしたら自分自身も講義の内容に自信が持てるようになりました。その甲斐があり、非常勤講師のコマ数は大学の非常勤講師を辞めるまでには週に13コマを持たせて頂ける様になりました。いよいよ、社会福祉法人杉和会を設立し特別養護老人ホームの建設に至るまでには紆余曲折がありましたが、最初にピンチが訪れたのは予定していた土地での地区での説明会に行って土地所有者の一人が大反対をされたのです。その時の土地の交渉は人任せにしていて安易に考えていたのです。

土地交渉が頓挫して私は「人任せでは何も良い結果は出ない。」との教訓を得て新たな土地については7軒の地権者に対して毎日の様に話にいき、今の本部施設の土地の了解も得て地区への説明会に望みました。ところが地区での説明会を開いてみると『水』に対する拘りが強く、当時は今須地区には下水の設備が出来て無くて、施設専用の合併処理浄化槽の設置の説明で暗礁に乗り上げ地元の業者さんからの説明では一部の方が納得されずに暗礁に乗り上げました。何ともならない状況の中私は合併浄化槽から出て来た水が完全にペーパーが溶けなくてもやった水であるとの指摘を受けました。そんな中で「綺麗な水です。」と言っても納得して頂けないので私はテーブルにあったコップの水を飲み干しました。そんなパフォーマンスをした事によって理屈では解決しないものが何とかなった事もあります。

本部施設本館の時ばかりではなく、新館の時も、和合の時の色々な厳しい状況をクリアしていく中からこれまた色んな事を学びました。今も盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の施設の大きな課題を抱えていますが何とか現状を打破してより強固な自分にそしてより強固は組織にしていきますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

お詫びと訂正から

令和5年3月15日

リピーターの皆さんに昨日の記述の中で私の勘違いにより間違った情報がありましたのでお墓参りから帰ってきてお風呂に入りながら改めて訂正させて頂きます。訂正すべき事は「貨物列車の明かり」と言う件(くだり)です。普通列車は確かに妙応寺さんを通過している時は明かりが本堂を照らしてくれていますが、貨物列車はけたたましい音はしていますが決して本堂を明かりで照らしてはいないのです。私の勘違いに今朝のお参りをしていて気がついたのです。これも、早くに日が登り辺りを明るくしていてくれるから気がついたのです。と言う事は段々暗くなるより段々明るくなる方が気分も明るくなるしこれからますます明るくなってきて、6月には、4時25分のアラームが鳴った時には既に外が明るくなっていると思うと今からワクワクしてきます。

本日は10時から本部施設においてフロア責任者会議が行われ、会議をしながらつくづく思うのは、今のメンバーで行う様になり随分検討する内容が充実してきた様に思います。と言う事はこのメンバーの次のメンバーを育てていく事に力を入れなければいけないと考えている事を今日のメンバーにも伝えました。

14時から視覚障害者協会の評議員会が岐阜市梅河町の生活情報センターで開催されるので昼食を頂いて少し時間があるのでコラムを少しでも打とうとパソコンに向かいました。(15時30分に評議員会は終了して本部施設に直ぐに帰って来てからバタバタとしていたので今は18時ですが、コラムの原稿柿を再開します。)視覚障害者協会の評議委員会の会場には13時50分に着くと山田視覚障害者協会の会長さんがいきなり「若山会長にお願いがあります。いきなりではありますが本日の議長をお願いします。」と言われたので「お断りする事ではないな」と思ったので「私で良ければお引き受けします。」と言って、

定刻の14時に山田会長(本日の立場は常務理事)の挨拶に引き続き私を議長に選任して頂いて議長の席に着き(いつもの席とは違ったのでおかしいとは思っていたのですが。)議事を進行するに当たって若干の挨拶をしてから議事に入りました。

5つの議題があり、山田常務理事さんが点字本を手でなぞりながらですが何の違和感も抱かされない様に説明される姿には驚きと言うより感動です。5つの議題毎に質問や意見がありましたが全ての議題が了承されて無事に議長の職責を終える事が出来ました。その後意見交換会の時間が持たれたので私も先般、健康福祉部の次長さんや高齢福祉課の課長さん係長さんと岐阜県老施協の役員との懇談会の時の話として「障害者の方の高齢化に伴う介護施設の受け皿についての提案があり障害者施設と岐阜県老施協との連携を今迄以上にすべきだ。」との」意見を述べさせて頂きました。リピーターの皆さん、何事も一生懸命に展開していると明るい方向性が出てくると改めて思った次第です。

 

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