今年はお正月から大変です。

令和6年1月5日

元旦の16時過ぎに石川県を震源とした震度7強地震が発生して大垣の和合の施設で会議をしていたのですが大垣市でも震度4との事で会議をしていた理事長室のブラインドが結構長い時間大きく揺れていました。2日の日の18時前には羽田空港で飛行機同士がぶつかり両機共に燃え広がり、旅客機は乗客乗務員全員が火の中を脱出したと言う報道に安堵したのですが空自の乗組員が5人なくなったとの報道には地震が起きた能登に物資を送る為のものだったとの事で「まさか」との出来事でした。そして、3日の日には岐阜県高富で鳥インフルで少なくても50000羽は殺処分しなければいけないとの報道にも愕然としてしまいます。そんな中で私は本日岐阜県庁12階の健康福祉部の浅井次長さんに新年のご挨拶に老施協の事務局長と共に行って来ました。先ずは年始の挨拶と共に昨年無事に終わった全国大会のおを言ってから、物価高騰に対する補助金のお礼、ロボットICTの補助金のお礼を言った後は、石川県能登半島地震の話題になり、支援についてどの様にしていくべきかについて意見交換をしました。その他には2月に岐阜県と老施協役員との意見交換会と3月22日の総会での来賓挨拶の依頼もさせて頂き今年も色んな支援をしていただきたいと話をさせて頂きご挨拶を終えて次長さん自らエレベーターまで見送って頂きました。終了後は場所を福祉会館内の老施協事務局に移動して、リモート会議の東海北陸ブロック会長会議に挑みました。緊急の会議が実施されたのは石川県能登半島の地震に対してブロックとして何をすべきがについて話し合いをしました。先ずは状況把握をして支援出来ることを検討しました。DWATで派遣できる為の根回しについて今後検討していく事になりました。会議終了後はDWATの事務局を担っている県社協の担当者に来て貰い老施協が担う事の整理をしました。困っている状況に「お互い様」と言う事で出来ることは頑張って行って行きたいと考えています。先ずは募金を募って行きたいしDWAT隊員の確保をしていきたいと考えています。

箱根駅伝の結果を私の人生とダブらせてみました。

「本日のコラムは私の勝手な思いです。」とのお断りを入れた上でお話させて頂きます。

昨日まで繰り広げられた箱根駅伝で120%の結果を出したのが青山学院大学で80%の結果しか出せなかったのが駒沢大学だったと思います。私は中学校までは70%程度しか自分を出せなかった。それはこのコラムでも何度か取り上げている通り、母秋江さんの庇護(溺愛)の中での生活が心地よくて、弱い自分を演じている方が楽だったからだと思います。と言う事は母秋江が私が大人になるまで元気でいたら私の人生は全く違うものになっていたと思います。

高校時代から大学時代は父進の庇護の中ではありますが100%の自分を出す事が出来ました。しかし、この時代の100%はあくまでも父進の庇護の中での頑張りです。そして、大学を卒業しての教員時代は90%に落ちるのです。かなり好きな事を頑張ったつもりでも父進の教育界での影響力があっての事だったからです。そして父進に断りも無しに教員を辞し自分探しをした旧徳山村での5ヶ月間は自分自身のモラトリアムの時空なので評価は出来ません。

徳山村での生活を終えての13年間は生まれて初めて自らやるべき事を決めて自己責任の中での展開でしたから120%だったと言えます。但し、結果的には経営者にとって都合の良いものだった事を悟ると共に「自分の力で全て切り開いて行きたい。」との思いで38歳の時に児童養護施設を退職しました。その当時父進は健在でしたが私の行動に口を挟む事が無かったのは今になって思うには凄い忍耐力だったと思うようになりました。そして、どこにも所属しない生活を6年間経験さた時代は結果的には多くの素晴らしい支援者を得ましたので自分では150%だったと思います。

そして、法人認可を得て、特別養護老人ホームの事業を開始してからの25年は厳しい状況もたくさんありましたが、その都度理解ある支援者に恵まれて200%だと思っています。この200%は勿論多くの皆さんのご理解とご支援があってのものです。これからも、驕る事無く頑張って行く所存ですので、益々のご支援を宜しくお願い致します。

箱根駅伝100大会が2日間繰り広げられました。

令和6年1月3日

結論から言うと「勝負事に絶対は無い」と言う事です。と言うのは、絶対的王者」と言われていた駒沢大学が往路、復路共に二位に甘んじてかつて箱根駅伝では常勝軍団と言われていた青山学院大学の前評判は大したことがなかったのに、昨日の往路では新記録を打ち立てての堂々の優勝。本日の復路で絶対的王者と言われていた駒沢大学の逆襲がいつ仕掛けられるのかと思ってテレビを見ていても、青山学院大学と駒沢大学との差は開くばかり。

昨日のレース展開の中で私は決して駅伝の事を詳しくは知りませんがレース展開の中で青山学院大学の1番手が9位と出遅れたが2番手の走者が7人抜きの2位に浮上して勢いをつけ3番手が駒沢大学のエースに臆することなく、1位に躍り出て4番手の走者もその勢いのままに快走し5番手の走者も勢いのままに快走出来たと思います。青山学院大学の原監督のコメントをそのまま載せると「私自身が想定していなかった。誰一人勝つとは思っていなかったかもしれないが、たいしたもの。

学生たちが本当にプラスアルファ120%の力を発揮してくれた。」と述べられていて、本日の復路も往路の勢いのままに総合優勝を成し遂げた。勿論勢いだけでなし得る事ではなくて地道な練習の成果が往路でも新記録を樹立する結果となったと思います。勝負事には絶対は無いし毎回ドラマがあるから見てしまうのだと思います。

駒沢大学の走者も素晴らしい実力者ばかりであっても本来の実力を発揮出来なかったのだと思います。「気負い」によって或いは「使命感」によって・・・。とにかく勝負事に絶対は無い事をつくづく知る事が出来ました。城西大学の3位躍進には新しい歴史を予感するものだったとも思います。駅伝について何の知識も無い私の勝手な意見でした。

我が家の猫を紹介します

令和6年1月2日

我が家に20年いた猫「リット」はこのコラムでも何度か登場させましたが、天命を全うして、天に召されて私の奥さまはしばらく落ち込んでいました。実は私は最初の内はリットにとって天敵の様な存在だった様で、私が車を車庫に入れていると、今まで1階でのんびりしていたのが慌てて2階に行くと言うパターンでしたが、私が仕事の事で落ち込む事が多くて元気がないのを察知したのか急にスリスリするようになり、私の布団の上で寝るのが習慣になり、そうなると、私もいとおしくなったのですが、その様に仲良くなってしばらくして天国にいったのでそんな事ならもっと早くに仲良くなっておけば良かったと思っています。その後しばらくして、真っ白な猫「おもち」が我が家にやって来ました。

リットの事があるので最初から優しくしようと心がけたのですが、ある日お酒を飲んで帰り多分テンションが高かったのだと思うのですが、2階に上がって行くとおもちがいたので頭を撫でようとしたら逃げたので酔った勢いもあり大きな声でしつこく追い回してからは私の顔を見ると逃げると言う可愛げのない猫になってしまい、なかなか仲良くなれなくて、そんなある日、玄関から飛び出して探したのですが見つからず、その時の奥さまの落ち込み様は凄まじく家出猫のチラシを作り色んな家に協力を呼び掛けても見つからず家出猫が4ヶ月経過しても見つからないので、代わりの猫を10月に貰い受け「まる」と銘銘して飼い猫にしました。

まるはリットにそっくりな猫ですが私に言わせると「優雅さに欠ける」と言う事とどうも「まる」は自分が先輩猫だと思っているのか何となく威張っているようで「リット」に似ているけど「おもち」を可愛がろうとするのですが、まだまだ「おもち」はなついでくれません。どちらにしても「まる」は6キロで「おもち」は5キロで結構、猫としては重量級です。もっとも「リット」は最高に重い時は10キロはあっとので驚く事は無いのですが。池の鯉も大きな池の中で育てると大きくなるので、我が家では1階も2階も自由なので大きくなるのかと思っています。リピーターの皆さん。「おもち」と「まる」のファン投票をしたいのですがご協力頂けますか。

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お屠蘇の梯子をしました

昨夜は微熱があったのですが、若山家恒例の大晦日はすき焼きだったので、福井県の最高の酒「究極の花垣」を軽く飲み速攻で寝て3時間後に連続の咳が出て、それからはなかなか熟睡が出来ず、朝の目覚めが良くなかったので体が怠く微熱も有ったのですが10時から本部施設で5会場、14時から和合施設で3会場で「お屠蘇or抹茶&獅子舞い」が実施されるし、本部施設の南側にある村社「天満宮」のお参りもしなければいけないので9時過ぎに本部施設に行きました。

本日からデイサービスに異動になったお祭り男の伊藤係長が待機していたので、先ずは天満宮にお神酒とお塩を持つと共に昨年のお札を持って出掛けました。天満宮の篝火は大きな株が燃えており お札などはあっと言う間に燃えました。本殿でお願い事をしっかりとして、本部施設に戻ると獅子舞いの準備も整っていたので早速新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスの順に回りました。入居者さん、利用者さんから大歓迎を受け、獅子舞いに頭をがぶっとされながらも皆さんいい顔をされていました。

その後昼食に餅を焼いて頂き、それを食べた後は獅子飾り、鐘や太鼓とお酒を積み込み和合に向かいました。お酒のつまみがないとの事だったので、途中でえびせんをコンビニで買って和合に着き、1階、2階、3階と順次回りましたが和合にもお酒が好きな方は大勢おみえになり、4合瓶二本ととっておきの愛知の酒一升も封を開けましたので結局一升以上を振る舞った様です。和合の栄養士さんによると「いつもは4合瓶一本で良かったから今日は凄く飲まれたのですね」との事だったので「雰囲気が良かったんだと思います。」と話をしました。お屠蘇の梯子は大成功だったと思います。和合でも多くの笑顔が貰える様に頑張って行きたいと考えています。

本日は大晦日です。

令和5年12月31日

私の仕事は年中無休なので、午前中は本部施設の正月の花を買いに行き、午後からは和合に行き、昨日ついたお餅を本部施設から持参した道具を使って切りました。道具を使うと楽しいくらいに簡単に切れるので、袋詰めを手伝ってくれた伊藤副施設長と佐々木事務員にも体験して貰いました。「やって見せ、やらせてみる。」事は大切だと思ったからです。切り餅を本日出勤している職員に5切れずつビニール袋に入れて配る予定です。手つきのお餅だから美味しいと思って貰えたら嬉しいです。

餅切りも1段落したので3階、2階、1階の順に今年最後のお参りを急遽ですが、することにしました。入居者さんは有り難いものです。お経をあげるとの理解は早く、しっかりと参加して頂けました。移動できる仏様を持参して実施します。正信偈と般若心経を大きな声で多くの入居者さんが唱えて下さり、お経を終えてからは「明日からは新しい年を迎えます。お屠蘇にとっておきのお酒を準備しましたので、お酒を飲める方は楽しみにしていて下さい。お酒が駄目な方は抹茶を用意してます。その他にも獅子舞も特別参加します。頭をかじって貰ってより頭を良くして下さい。とにかく、毎日を楽しくしていきますので、来年も宜しくお願いします。」と話をしました。

最後になりましたが、リピーターの皆さん、ますますこのコラムを愛して下さい。

2日連続の餅つきです。

昨日は本部施設での餅つきで、本日は和合て餅つきが実施され、私は8月から和合の施設長ですから本日の餅つきにも当然の様に参加しました。朝ご飯を6時45分から頂き、7時15分に家を出て和合に向かいました。今朝は年末年始の休みに入っている会社が多い為か信号にも殆んどひっかからずスイスイ走れたので、8時前に和合の施設に着きました。本日は本部施設から風避けの板と大きな金バケツを借りたのを運ぶため久しぶりにキャラバンを運転したのですが運転席が高いので乗り降りは大変でしたが、運転自体は大丈夫でした。和合の施設に着き伊藤副施設長に風避けとバケツを降ろして貰い、火を炊く釜戸、ちぎり餅の会場と入居者を集めての餅つきをする2階のフロアを行ったり来たり。8時40分に釜戸の回りに盛り塩をして回りにお酒を振る舞いました。和合の施設ではこの様な行為はなかった様ですが、しっかりと実施してから釜戸に火を点けました。今は着火材があり、薪もしっかりと乾いているので直ぐに燃え上がりました。火を点け一時間しっかりと薪をくべたので蒸した状況を確認したのですが、蒸した米を食べたのですが、「まだ固い」と思い、後10分蒸して2階の餅つき会場に持って行きました。昨日は力自慢の助っ人が大勢いたのですが、本日はあまり慣れてない男子職員でしかも杵が特大のが無くて手間取りましたがちぎり餅を2臼とのし餅を2臼を12時前に突き終えました。本部施設施設は30キロを和合は12キロを同じように12時前に終えた差は何だったのかをしっかりと分析する必要を感じています。とわ言え2日間の餅つきは無事に終わりました。気が付けば明日は大晦日です。お正月の準備をしっかりとして、明日は午後から和合の施設長として、各フロアで感謝の気持ちを込めてお経を唱えて気持ち良く新年を迎えたいと考えています。

本部施設のお餅つきが行われました。

8時15分に施設に着くと夜勤明け休みの次の日なので公休日のはずの伊藤係長が「今や遅し」と言う様な顔で待っていたので「予定通り8時30分の火入れにするぞ。」と指示を出し、水野係長に上手く火が回るように木を組んで貰い、着火材を付けた木を水野係長から受け取りチャッカマンで火を点け木を組んでくれた下の所に入れるとしばらくして勢い良く燃え上がりました。

8時30分の点火でしっかりと一時間燃やしたので9時30分に蒸した米の状態を確認すると軍手をした指で確認すると大丈夫に思ったのですが、慎重を期して蒸した米を食べて見ると「やや固い」と感じたので「あと10分。」と言う事で9時40分までしっかりと蒸して石臼のある地域の交流ホールに伊藤係長が持って行き1臼目の突きを開始しました。

本日は高橋工務店から子どもさんも含めて多くのつきてがきてくれ、西川課長のお父さんと弟さんも来てくれ、たぎり餅の働き手に五次家の高校2年と小学6年の娘さんもきてくれました。五次家の娘さんは小さい頃から毎年来てくれているのですが、今年は2人ともにしっかりと働き手になってくれて、素晴らしい成長期を遂げていると思いました。

最初の1臼目は蒸すのに一時間以上かかりましたが、その後はちぎり餅4臼、のし餅3が順調に出来上がり12時には突き上がり、片付けも要領よくてきぱきとしてくれたので、地域でお世話になっている家に届けに行き、全ての作業が終了したのを見届けてから明日和合で実施される餅つきの準備の為に和合に行きました。準備をしていて、外で火を炊くのに風避けがないので本部施設の風避けを借りに行き、明日の餅つきの段取りも終えて明日に備えて早くに家に帰らせて貰い、朝からお腹が張っていて、絶食状態だったのですが和合の帰り道に猛烈にお腹が空いてきたので、ゲンキーでパンと牛乳を買い、17時と早い時間でしたが夕食を食べて、コラムが今(19時過ぎ)書けたので明日に備えて寝ることにします。

リピーターの皆さん私の生活はこんなものなのであります。勿論自分で決めた生き方なので何ら不満は有りませんが。ただ、「明日天気にしておくれ。」と言う事で。

花魁のカツラ合わせと衣装合わせのお話をします

令和5年12月28日

昨日山崎ていじさんをお見送りしてから、花魁(おいらん)のカツラ合わせと衣装あわせに、聖はじめさんと花魁の格好で踊られる方が来て下さった事についてお話します。

「何故理事長自ら花魁なの」との話しからします。その話は、4年前の山崎ていじを招いてのクリスマス会が非常に盛り上がり、クリスマス会の終了時に私が司会者のマイクを取り上げて「来年も山崎ていじさんに来て貰いますが、その時に私が花魁になって乱入します。」と言ったで、年が明けて聖はじめさんにカツラ合わせをして頂いたのですが、コロナウイルス感染症対策の為に実現出来ていなかったので、12月になってからは「今年こそ花魁をやる」と誰かれなく宣言していたのですが、『一日遅れのクリスマス会』が近づくにつれて、当日の流れをイメージすればするほど「私が花魁の準備で浮かれている余裕はない。」と言う気持ちが強くなり、聖はじめさんには「年明けにするから」と連絡しておいたのが、昨日の聖はじめさんと花魁らしき人とのカツラ合わせと衣装あわせだったのです。

先ずは聖はじめさんに頭を覆う帽子の様な物を被らせて貰い、その上で額の所にテープを滅茶苦茶強くグルグルに巻いて貰い、その時点で鏡を確認すると、目が少し吊り上がっているのが分かりました。「これで見栄えが良くなるぞ。」と思った次第です。次にカツラを被らせて貰ったのですが、「結構重い」と正直に聖はじめさんに言うと、「これに飾りをいっぱい付けるので、もっと重くなりますよ。」と言われて「花魁になると言うのは大変だね。」と言うと「1時間もそのままでいたら頭が痛くなりますよ。」と聖はじめさんに言われて、プレッシャー状態に陥りました。衣装を着せて貰う為に立ち上がると、真っすぐに立っているつもりでいても『頭でっかち』状態でフラフラでした。着物を何枚か着るのですが、私のお腹は人一倍なので普通の人なら白い紐が二重には届くのですが二重には出来なくて、一重での結びになり何度もやり直して貰いました。花魁らしい帯を結んで貰う時も、悪戦苦闘して頂き着付けをして頂くのが申し訳ない想いでしたが、何とか衣装を着せて貰い鏡で自分の姿を見ながら「小梅太夫よりはましにしてよ」と聖はじめさんにマジでお願いしたら「綺麗に化粧しますので大丈夫です。」と言って頂きました。

そこで、私の花魁の日取りを年明けの2月4日の日曜日に決めましたのでリピーターの皆さん、良ければ怖いもの見たさでも結構ですので来て頂けると嬉しいです。勿論その日は「聖はじめ一座」による聖はじめさんによる歌(聖はじめさんは名古屋音大声楽家を卒業されているのです。)と鵜飼船で踊りを披露する大学生に踊りの指導をしている方による花魁での踊り、今は『セクシー 田中さん』で有名になったベリーダンスもある盛りだくさんです。私が花魁になるのはグリコのおまけ程度のものですが何度も言いますが「怖いもの見たさで行くのも一考」と思われるリピーターの皆さんも是非に来て頂ければ・・・。

一日遅れのクリスマス会が実施されました

令和5年12月27日

昨日、本部施設で一日遅れのクリスマス会が行われました。朝から伊藤係長が中心になって準備がされていました。本部施設では23人の来賓及び招待客があり本館、新館の入居者さん及びデイサービスの利用者さんで120人なので職員を入れると総勢170人は優にこれる人数が本館玄関を入った交流スペースに集いました。13時前から猫田県議、木村県議、西脇町長を初めとした来賓や招待客の皆さんが続々と来て下さり、メインゲストの山崎ていじさんも来て下さったので、いつもの事ながら開会宣言が(進行担当の伊藤係長)されるまで落ち着かず走り回っていました。先ずは主催者挨拶を理事長である私と家族会会長の吉田さんがして、来賓挨拶を猫田県議、木村県議、西脇町長の順にして頂き、あとの来賓及び招待客については肩書きと名前の紹介のみにさせて頂き、次の祝電紹介も棚橋衆議院議員、野田衆議院議員のみ文面まで紹介して残りの武藤衆議院議員、渡辺参議院議員、大野参議院議員については名前のみの紹介としました。いよいよ山崎ていじが登場してテレビやラジオでお馴染みのプロの演歌歌手の歌を堪能して貰いました。山崎ていじさんの曲は私も良く歌わせて貰いますので我慢ができず「浜防風」と「お前しか愛せない」には乱入させて頂きました。昨日は、クリスマス会が終了後に18時30分に座長のお店「カラオケくんくん」に山崎ていじさんをお招きすると共に日頃ボランティアでお世話になっている方も交えて飲食を楽しみながらカラオケも楽しみました。本日も午前は和(なごみ)で午後は和合で「2日遅れのクリスマス」を勿論山崎ていじさんの歌謡ショーで楽しんで頂きました。但し、山崎ていじさんは12時から「FM845」の生放送があった為、11時に和(なごみ)のクリスマス会が終了後、ファックスで送信されてきた多くのメッセージをまてめ(放送内で紹介するリピーターの原稿)てから、職員が作ってくれた味噌煮込みうどんを食べて頂き、12時からの番組に挑んで貰いました。進行役の方と携帯でやり取りをして、ファックスで送られて来た原稿を実に軽妙に紹介され、山崎ていじさんの歌が流れた後、約束通り12時23分からは約3分間進行役の方の質問に答える形で飛び入り参加させて頂きました。終了後は和合に移動して14時からの「2日遅れのクリスマス」に挑みました。和合にも、家族会の役員の方や地域の方も来てみえて、私は「お前しか愛せない」をフルで歌わせて貰いました。終了後は山崎ていじさんを見送り、花魁のかつらあわせをと着物あわせをさせて頂いたのですが、その話は笑えるので明日のコラムに譲ります。

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