これ程天気予報に神経を使ったのは久し振りです
令和5年11月28日
何度かは「天気にして下さい。」と言う事はあったと思いますが、過去を振り返ってみてもこれ程に真剣に思っったのは、平成18年8月8日以来だと思っています。
平成18年8月8日と言うのは、私が全国老施協の役員として初めて東京本部(当時は日枝神社の近くでTBRビルの2階に有りました。)にその当時出来たばかりの総務委員会幹事として行く日でした。勿論東京に出張に行くと言うだけなら雨であっても問題はなかったのですが、前日から地元の中学生(関ヶ原中学と今須中学)総勢67人が体験学習で施設に泊まっていて、尚且つその日に施設の夏祭りを予定していたのです。(出張は急遽に決まったので変更は出来なかったのです。)8日の夜には台風が直撃するとの情報があったのです。
主催は関ヶ原町社協なので施設側は場所提供をしているだけとは言え施設の責任者が不在になり、何かしらの判断をしたり、トラブルがあったらと考えると施設を留守にするのは大変な勇気がいることでした。7日の夜は施設に泊まっていたので早朝5時30分から玄関先で土下座をして線香を立てて真剣にお経を唱えて雲を切る祈りをあげました。そして身を切る想いで職員にお願いをして出掛けました。
結果的には天気予報よりかなり東にそれてくれ、尚且つ進路が早くて私が東京の本部を出るときには晴れていました。だから、夏祭りの最後にも間に合い有り難かった事を覚えています。それと同じ位に今はプレッシャーです。