2018年8月24日から連続更新していますが・・・。

連続更新しているコラムの話です。

5年7カ月以上毎日更新出来ているのに自分ながら感心感動しています。私は小学生の夏休みの日記すらまともに書けなかった私だからなおさらです。連続更新をする様になったのは、ホームページの充実を理事長として提唱している以上率先垂範する事が大切だと考えたのと、私のコラムのリピーターだと言う方が増えて来たことによります。

時には誤字や意味不明の文章であっても肝要な気持ちで読んで頂いている事にも感謝です。勿論、意味不明のコラムであっても私の言いたいことを理解して頂いているからこそ続けて見て頂けているものと思っています。

但し、最近は少し時間に余裕が無くて「短くて端的なものにしたい。」と弱気になる事がしばしばだったのですが、ホームページのリニューアルを法人としてする事になり、プレゼンテーションを実施して業者が決まって打ち合わせをしていく中で『理事長コラム』の重要性を再認識した事により、改めて頑張って書かなければと考えています。

多分私の計算が合っているなら2050回連続更新と言う事なのですが、振り返ってみるに「よくも2050回も毎日書くネタがあったものだ。」としみじみ思っています。時には実名で書いてひんしゅくを買った事もありましたが、とにかく書き続けるだけの『ネタ』がある生き方に自分自身『自画自賛』です。

正直ネタ探しに苦慮した事もありますが「書かなければいけない。」と言う使命感の中「これは」と言うネタに出会った時に今は通信が出来なくなった(ガラケーの番号をスマホにしたため)ガラケーの携帯でメモをして、時間を見つけてはコラムを書く様にしています。

但し、最近は時間を見つけることが出来なくて、仕事を終えてから書く事が多くなり負担を感じていたのですが、思いを新たにしてコラムの更新を頑張りたいと思っています。

GTO PART2

令和6年4月3日

『GTO PART2』と言いながらも反町隆史からの関連からのコラムです。GTOとは「グレート ティチャー オニズカ(鬼塚)」の略なのですが、教師役の『過激版』と言う事なのでしょうが、教師役の『ほんわか版』と言えば水谷豊さんが主役をされていた言わずと知れた『熱中時代』と言う事になるのですが、二人の教師役の共通点は水谷豊さんの長寿番組『相棒』と言う事になります。

リピーターの皆さんの中でご存じないといけないのでお断りしておきますが主役の水谷豊さんの相棒役を7年も務められたのが反町隆史さんなので不思議な縁を持たれていると思います。水谷豊さんが熱中時代をされていた時は私が25歳で神戸北小学校の4年3組の担任をしていた時で熱中時代の水谷豊さんが3年生の担任役で番組の中で「フィーバー」を起こしているのと変わらない様な先生をしていたのを思い出してしまいました。

役者さんは与えられた役柄に沿った演技をされて感情移入をされるのだと思うのですが私は芝居ではなくてそのまんまだったのですから45年前とは言え「良くも良くもあんな事がよく出来たものだ。」と自分の事ながら思っています。私の場合はぶっつけ本番で1回限りの事ですから「常に真剣勝負」と言う生き方だったのだと思います。但し、周りの方々にはかなりご迷惑をかけたと思います。その事は『GTO リターンズ』を見てしみじみ感じました。(気付くのが遅すぎると言われても仕方が無いのですが)だって、半グレ集団を一人でやっつけて生徒を救出するなどはありえない。

でも私も火中の栗を拾う事は数えきれないくらいにあった様に思います。火中の栗を拾うのは決して自分の為では無くて『組織の為』『相手の為』なのであります。正直「腹を括る」様な状況に置かれた事も数えきれないほどありましたが今も頑張れているのだから「まっ、良いか」と言う事で。でも言っておきますが植木等さんの歌われていた『スーダラ節』的な事ではありませんから。勿論植木等さんも役柄としてやられていたのですから・・・。悪しからず。

昨夜は夜ふかししました。

令和6年4月2日

夜更かしと言っても22時40分までですから、夜ふかしと言うほどではないのですが、最近の私にしては夜ふかしなのでをあります。何で遅くなったかというと、夕食の時に私の奥様かをり様が「21時からGTOがあるよ」と言われて「とても23時近くまで起きているのは無理だから、ビデオで録画をしておこう。」とセットはしたものの、21時になりチャンネルを合わせると21時ぴったりに番組が始まり、かつて聴いていた懐かしい音楽が聞こえて来たので「少しだけ見よう」と眠い目を擦りながら見ていると、だんだん目が冴えて来て結局最後まで見てしまったので、番組が終了したのは22時40分。番組が終了したので寝る体制に入ったのですが、なかなか寝付けなくて23時過ぎに寝た様に思います。

GTOの番組が最初に放送されたのは1998年と言う事ですが、その頃の私は本部施設が事業開始をしたばかりで、テレビを見る余裕など全く無くて、多分再放送で見たのだと思いますが、ネットで調べたところ1998年放送と言う事は26年前の番組ですから、主役の反町隆史は現在50歳と言う事なので当時24歳だったわけですが、26年経過したにも関わらず全く変わらない役柄でされているのには感動もんでした。そしてその頃高校生役で出演されていた窪塚洋介さん、小栗旬さん、池田博之さん、山崎裕太さんが、26年後の教え子として出演されていても、全然違和感が無いのにも驚くばかりです。最も驚いたのは、松嶋奈々子さんが主役の『鬼塚英吉』の奥さん役で、正直26年前と変わらない美貌でいたのも「凄い」の言葉以外出てきません。

私は知らなかったのですが、インターネット情報でGTOで共演したのが縁で本当の夫婦になっていたのには時代遅れだと言われても、これまた「凄い」ことだと思いました。夫婦共に26年前と変わらないで、役柄も変わらないでテレビの画面に出ているのを見て、これまた「凄い」です。

私は70歳ですから、26年前と言えば本部施設の事業開始で、自分自身にも借り入れもあったので施設長として慣れない職員集団の為に昼夜を問わず飛び回ると共に、先代理事長と共に市町村回りと、大学の非常勤と家庭教師と大車輪でしたが、今は職員の頑張りもあり、少し落ち着いた生活になった為か、体型は随分変わってしまいました・・・。確かに体型は変わりましたが情熱は変わらないので全力でこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも応援宜しくお願いします

快晴です~

令和6年4月1日

本日から令和6年度が始まります。快晴の空に素敵な予感を感じています。本日は10時から本部施設において辞令交付式があります。これも節目として襟を正す素敵な事だと感じています。今年度の新人の中には、法人として理学療法士の採用と共に20歳の男子を採用する事が出来、看護師も採用する事が出来ました。法人としての体制がより良くなるものと確信しています。

辞令交付式は定刻の10時に、五次副施設長の進行で始まりました。開会宣言は、本部施設の水野施設長が行い、先ずは新たに採用した看護職員、理学療法士、介護職員の3名に、理事長として私から手渡して貰いました。そして引き続き、本部施設で本館から新館に異動になった職員にも辞令を手渡してから、理事長としての訓示をさせて頂きました。新たな職員が加わり戦略が脈々と湧いてきましたので、その思いをしっかり伝えさせて頂きました。

その中で、理学療法士として入職した者は、地元出身で中学校時代に本部施設の場所を提供し、関ケ原町社協主催で実施された『ワークキャンプ』(2泊3日)に参加した経験がある者が仲間になってくれたと言う事ですし、看護職員については京都から滋賀県に家を購入したと言う事で、和合に配属した者はかつて和合に入居されていた家族の方からの紹介と言う事で、「ご縁を大切にしている法人」だからこその入職ではないかと思っています。

朝食の為に1階に降りて行く時に、毎日の様に日めくりカレンダーめくるのですが、本日は月始めで『4月の二十四節気』の紙が1枚余分に入っていて、その中に『清明(毎年4月4日頃)と言うのがあり、その中の説明書きに「すべての生命が生き生きとする頃。気候もすっかり温暖になり、澄みきった空のもと新芽が芽吹き、花が咲き、小鳥がさえずるにぎやかな季節です。」とありました。本日は正にその通りの日で、4月4日頃とありましたので、「3日後には桜が咲き、鶯が鳴くのか」と思うと(今須は少しズレるかも知れませんが)益々ワクワクしてきました。新たな年度を迎え益々頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

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[ITO]春休み今須学校カフェに参加してきました

[ITO]春休み今須学校カフェに参加してきました

 

「ITO」(今須地域起こし協力会)は私も卒業した今須小学校・中学校が令和元年廃校になり、「廃校になった学校の活用を何とかしなければいけない。」と言う事で、当法人の理事であり、本部施設の家族会会長の吉田さんが骨を折って下さり出来た組織です。会長は発足当時の今須地区長だった松井厳さんで吉田さんが事務局長さんです。「このままでは今須が駄目になる。」との思いで設立されました。私も今須で事業をしている限り、また吉田さんにも松井さんに大変お世話になっているので、何らかのお手伝いをしなければとの思いでいたのですが、本日は春休みイベントを開催されるとの事で本部施設からポップコーンの提供をすることにしていたので一昨日にアミカ(業務用スーパー)でポップコーンの材料と容器を購入して来ていたので、12時からのスタートだったので11時20分に水野係長を従え本部施設を出発して旧今須小中学校に行きました。

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ポップコーンの準備は水野係長に任せて会場内を見て回り、ついでに旧校舎の中を見て回りました。その中でガラスケースの中に運動会の優勝旗を見つけました。その優勝旗には「令和元年度 赤団」と書いてあったので「この年の運動会が最後だったのか」と思うと改めて寂しさを感じました。

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12時開始と言う事でしたので水野係長は早速ポップコーンの商品作りに取り掛かると甘い匂いが立ち込めて雰囲気が良くなり、臭いに誘われた子どもさんが何人か来たので「お金は要らないから貰って」と言って手渡すと喜んでくれました。大人の方は志を置いて行かれる方もありました。12時になると食券の販売が始まり私はいの一番にチケットを買いました。(カレーライス野菜サラダ付き500円)私が購入するとあっと言う間に長蛇の列になり、松井会長さんに「今須にこんなにたくさんの子どもがいたんですか」と思わず言ってしまいました。

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バザーの品物がなかなか売れない様なので丼とお椀のセットを交わせて頂きました。(2点で1000円)12時30分からはマジックショーがあり引き続き江州音頭が始まったのですが13時30分から本部施設で誕生会があるので施設にかえり、吉田家族会会長がおみえになるのを待っていると、「カレーライスの売れ方が凄かったので家で昼を食べて来た。」と言われたのには「凄い配慮だ」と思った次第です。

今回参加させて頂いて一番思った事は中学生・高校生のボランティアの子が本当に一生懸命動かれていた事です。(勿論、大人のボランティアも多くみえましたが)このエネルギーがある限り今須は大丈夫だと思いますがお祭りの要素だけでは限界があるので、永続的なものの構築を考えて行かなくてはいけないと思っています。リピーターの皆さん良い考えがあれば教えて下さい。

ホームページリニューアルのプレゼンを実施しました

以前からホームページに当法人は力を入れており、全国老人福祉施設協議会のホームページ部門で平成19年度には特選を頂きました。その時のコンセプトは「継続性のある進化するホームページ」を念頭において、業者さんとの協議を重ねて完成させました。その後、平成26年に優・悠・邑 和合の事業開始のタイミングで大幅なリニューアルを行い今回10年ぶりのリニューアルです。

今回のリニューアルの最大のテーマは『人材確保』です。本日のプレゼンではプランが明確になっている業者を指名したいと考えています。「日々進化するホームページ」を継続する為には職員の理解と協力が無ければいけません。その為には旗振り役の理事長である私が率先垂範しなければいけないとの思いで『理事長コラム』を毎日書かせて頂いています。毎日書いている事を根拠として、出来ていない時には間髪入れずに指摘して継続性を担保していく。但し現在の状況は抜けなく継続出来ているので、その状況をクリアしつつ『職員確保』の為に如何に魅力あるホームページとしていくか。その為には給与面の改正もしっかり実施していく事も大切です。

その点については職員幹部からの提案もして貰うと共に社労士の意見も取り入れながら改正案を作成して理事会及び評議員会の承認を得て、来月から施行していきたいし、ホームページやハローワークや高校・専門学校・短大・大学への情報にもしっかり反映させていきたい。人材確保は質と量の両面が確立されて有効なものになり、入居者さんの笑顔につながると信じて頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん常に前向きで頑張りますので益々の応援宜しくお願い致します。

お参り中に何故か頭に浮かんだこと

令和6年3月29日

午前中に和合の施設の1階で正信偈と御文さんを入居者さんとご一緒に唱えさせて頂いてから、四国遍路で覚えた般若心経を中心にしたお経を腹の底から唱えている時に何の脈絡も無く、38歳で児童養護施設を退職してフリーでのうごめきの中で大学等への非常勤講師や家庭教師の他にフリースクールを地域交流ハウスの一角でさせて貰っていたのですが、フリースクールを展開していた時の30年以上前の事を何故か思い出しましたので、全てのお経を終えてからのお話の中で入居者さんを前にしてお話をさせて頂きました。

その話と言うのは30年以上前の事で、今で言う『ヤングケアラー』の中学1年男子の事を思い出した事を話ししました。どんな話をしたかと言うと【その子の両親は建設現場の日雇いで生計を立てていて、その日の賃金を貰うと夫婦揃ってパチンコに行き閉店の時間までパチンコに講じて、パチンコで儲かった時には優雅な夕食を楽しんでご機嫌になって家に帰ってくるのですが、稼いだお金を全て使ってしまった時には家に帰って中学1年の子が夕食を作ってないと言って怒りだし虐待になることも度々で、しかも、中学1年の子に糖尿病で目が不自由になった祖母の世話をさせていて、祖母の病院の付き添いも中学1年の子させていたので、段々と中学校にも行けなくなり、いわゆる不登校になっていたので中学校と私で協議をして、「学校へ行けなくても私が行っているフリースクールに通えるのであれば、出席扱いにする。」と言う取り決めをして勉強に取り組みました。私は勉強を教えるのですが、それ以外の事は中学1年の子に学ぶ事が多かったし、家庭環境は劣悪な筈なのに決して親の悪口を言わない子で、正直学ぶことが多かった。今でもしっかり記憶にあるのは、その頃から外米の輸入が盛んになった時期で、その子の言う事に感心や感動をしてしまいました。

と言うのは、ある時「先生、タイのお米を食べた事ありますか。」と言うので「食べた事ない。」と言うと「タイ米は安いので食べてるよ。日本の米より長細くて、決して美味しくはないけど、チャーハンにするとそれなりに食べれるよ。」と言うのです。私はその話を聞いて複雑な気持ちになりました。】と話をすると入居者さんは私の拙い話を一生懸命に聞いて下さいました。リピーターの皆さん、こんな話もたまには聞いて下さい。

いよいよ認知症の始まりでしょうか。

令和6年3月28日

本日11時から社会福祉法人経営者協議会の理事会・総会に引き続き講演会が岐阜市内のホテルであるので10時40分に地下の駐車場に車を入れ、3階の会場に行くと車のキーがポケットの中に無くて「キーを入れておいたリュックサックを持っていない。」と言う事に気が付き慌てて車に戻ると車はロックされていなかったのですが、無事にリュックサックはあったので、車のキーだけポケットに入れてロックされるのを確認してから再び会場に行きました。

11時からの理事会を無事に終えて昼食を頂いてからメールや電話の着信の確認をすると「予定は未定であり決定ではない。」と言う状況になりました。と言うのは、理事会が始まる前に経営協の会長(私の前の老施協会長)にご挨拶と共に「本日は烏野先生の講演があるので講演まで参加します。」と言っていたのに和合の施設からのメールを確認して詳しい事を聞く為に連絡して「私が和合に行き対処すべきだ」と判断して総会と講演をキャンセルして和合の施設に向かいました。トラブルのための対応をしていて色んな事が見えてきたので、その対応をして「さてさて、本部に行ってコラムも書きながら書類の整理をしよう。」と思ってリュックサックを方に掛けた時に1本の電話が入りその対応の為に色んな所に電話をしていると、電話を掛けた事により、次々と電話をして、気が付いたら16時30分が過ぎていて「本日のコラムを書くのも遅くなりそうだ。」と急いで本部施設に帰って来ました。

和合でのやり取りが本部施設でも引きつって何本かの電話対応もしなければいけない中で和合の施設から電話があり「これはまた何かあったのか」と緊張しながら受話器をとると「理事長のリュックサックが事務所にありますよ」との内容に「どれだけ忘れ物をしたら良いのか」と自分自身で「いよいよ認知症の始まりなのか」とつぶやくと「理事長は忙しいから仕方がありませんよ」との助け船が入ったのを額面通り受け取って良いのかと悩んでいます。リピーターの皆さんはどう思われますか。ご意見下さい。

久しぶりに青空です

令和6年3月27日

昨日まではどんよりとした雨雲があり、近いところだと傘をさすまでもない位の雨が降り、正直鬱陶しい感じでしたが、朝5時に目覚めて外を見ると綺麗なお月様がまだみることができて、爽やかな一日の予感がありました。

本日は岐阜県庁20階で10時から会議があるのですが、会議終了後に360度のパノラマを見るのが楽しみになりました。10時からの人材の検討会は定刻に始まり、健康福祉部の次長さんの挨拶から始まり、中部学院大の飯尾教授の進行で、最初に事務局側の説明からるる行われました。その後は各委員からの質問や提案をする時間になり、いつもの事なのですが私が一番に話をさせて頂きました。

私の提案は、老人福祉施設協議会で行っている外国人材の確保と質の向上について、岐阜県のサポートのお願いと当法人で実施している事について述べさせて貰いました。私の後に引き続き各委員さんからそれぞれの立場で提案があり、座長の飯尾教授が適確に意見集約をして頂き、それを受けて次長さんが閉会の言葉と共に県として取り組むべき事を話して下さり終了しました。

終了後は次長さんや高齢福祉課長さんらに挨拶をしてから部屋を出て、20階の廊下を一周してパノラマの様に景色を楽しんでは写真に収めました。但しその写真ホームページに掲載する知識が無いので、リピーターの皆さん、掲載は後日と言う事にさせて下さい。全くトホホの話しですみません。

昨日の「今日の優・悠・邑 和合」に掲載されていた事の詳細を書きます。

令和6年3月26日

昨日の中日新聞の文化欄の「俳句コーナー」に入居者さんの作品が特選になった朝の出来事が書いてありました。私は入居者さんが言われる所の『社長さん』の立場で改めて私のコラムで書く事にします。私は朝の職員と入居者さんのやり取りを知らずに13時30分から3階でのカラオケに行きました。昨年8月に和合の施設の所属となってから、出来る限り私が出来る事として『お参り』と『カラオケ』をさせて頂き、少しずつ私がそれぞれのフロアに行くことを楽しみにして頂く方が増えて来ているので、いきなり元気になる歌である、鳥羽一郎さんの「兄弟船」から始めて入居者にも歌って貰いながら、1時間程度楽しんで貰い最後の曲として北島三郎さんの「まつり」を歌って終わった事のご挨拶をしていると、いつもお参りの時に抹茶を振る舞って下さる入居者さんが私に近づいて来て「社長さんに見て貰いたいものがあります。」と言って中日新聞を手渡されたのです。

そこには、俳句コーナーで入居者さん本人が特選になられた句と共に講評が書かれていました。先ずはその句には『食膳に部長の摘みし蕗の薹(ふきのとう)』とあり、講評には『キーワードは「部長」。社長でもなく課長でもなく、ましてや同僚でもない。一句にこの肩書を入れたことで、あれこれと想像のふくらむ不思議な作品となった。

いただいた蕗の薹の食べ方は、天ぷらか、蕗味噌か・・・。これまた想像が広がる。』とあり、3階のフロアに俳句の主人公である部長がいたので、何度も何度もこの句を詠みあげると部長は照れに照れていたのですが俳句を投稿された入居者さんから「部長さんは良く気が付くし良く動いてくれる。」と最大級の誉め言葉を頂いたので私からも「部長は私の元で17年間頑張ってくれているんですよ」と話をすると部長は「そんなに大した事していません」と言ったので「遠慮は5流だぞ」と返しました。

施設の中で入居者さんも職員も弾んでいるのを感じて私もとっても幸せな気分になりましたし、記事をわざわざ見せて頂くと言うのにも感謝です。リピーターの皆さん当施設はこんな施設です。コロナ感染症対策の一段落したので、興味のある方は是非遊びに来て下さい。

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