岐阜県老施協西濃支部の理事会の後、岐阜支部との合同講演会がありました。

令和6年3月5日

講師の先生はウェルフェア・J・ユナイテッド株式会社の代表取締役社長の本間さんのお話でした。いわゆるコンサルティングをする会社の社長さんなのですが、話の内容は理路整然としていて、尚且つ自信を持っての話し方に共感すると共に私が児童養護施設の全国大会で自信を持って事例発表をしている時と重なりました。但し私の場合は私よりはるかに年上の方が聞いてみえてそれなりの実践をされている方々だったので「何を若造が言っとるか。そんな事を言っているけど何処までが本当の事なんだ。」との言葉が聞こえよがしに聞こえました。でも、私は「実績を示しているのに出来ないと決めつけるのは可笑しい。」と思っていました。流石にその時に声を大にして言う事は出来なかったのですが。

本日の場合は殆どん参加者が施設長さんで経営・運営に関わられている方ばかりで、介護業界の厳しい現実に身を置いている方なので興味深く聞かれていて、講演後の参加者の反応も良かったです。テーマは『報酬改正と今後の特養経営について』と言う事で、「2040年に勝ち残るため、強い経営を行う」との話の中で、『介護保険事業は利益が出る』とのメッセージの中で4つの評価として「1.赤字決算」「2.全国平均」「3.黒字平均」「4.ベストプラクティス」を示され「介護保険事業は、経営すれば、必ず利益が出る仕組みの制度である。経営していない、経営を知らないことが問題」と断言されての内容には自信に満ちたもので説得力があった。

また、『ケアの質が低い』との話しでは、「1.一般職だけでは無く、介護長すら利用者に対する声掛けを実施していない。2.利用者に笑顔が無い。利用者と職員のコミュニケーションがなく、フロア内が静まり返っている。3.食堂には食べかすが落ちていたり、物が出されたままの状態で、清掃・整理が出来ていない。4.ケアの質向上のための勉強の機会もない。」と断言されると「確かにその通りだ。」と思い、不充分な所もあるので施設長として改める所は改めていきたいと思った次第です。

『なぜ、赤字になり、なぜ、黒字になるのか?』とのテーマで『赤字の原因』では「1赤字の原因は、経営者が現場を知らない事が最大の原因。2.2代目、3代目の経営者の多くは、現場経験がない。3.良い医療・良い介護と職員の加配を混同している。4.働かない風土ができてしまうと、もはや歯止めが効かない。5.職員と本気で向き合う勇気と経営に関わる学習が不足している。6.現場のマネジメントから逃げていたら、100年経っても、経営は良くならない。7.現場管理職にマネジメント教育が実施されていない。」との指摘には私自身、まだまだ不十分な事もあるので経営・運営両面で気を引き締めて明日からはより頑張って行きたい。施設の経営が盤石で無ければ職員も入居者さん、利用者さんも快適にはならない事を再認識する事が出来たので素晴らしい講演が聞けた事に感謝です。

 

少しずつ進歩していますが・・・。

令和6年3月4日

今日もスマホの話で恐縮ですが「少しずつの進歩です。」車でのスマホの対応は余裕を持って出来る様になったのですが、スマホの操作で電話をするのに、13時30分からの岐阜県老施協常任理事会までに時間があったのでスマホでかけようとした時にもたもたしていると、それを見かねた事務局の加藤さんが親切に教えて下さるのですが、「ささっと」教えて下さるので申し訳なかったのですが、何度も何度も確認して何とかできる様になりました。全く昭和おじさんは困ったものです。出来る様になってきましたが、後は『習うより慣れよ』だと思います。

今月14日に東京からお客様がみえるので、大垣駅でのお迎えの時間の確認の為にスマホで連絡したのですが、出られなかったのですが15分後に折り返しの連絡を頂き慌てました。どうしてかと言うと、コールがされているのに電話に出る事が出来なかったのです。全くの「とほほ」です。まだまだ、色んな方にご迷惑をかけながらもスマホの操作が頑張って出来る様にします。

と言うのは常任理事会が終了してスマホの話になった時に、中西副会長が「ガラケーの携帯が使えなくなると聞いたので止む無くスマホに変えたのですが、使いだすと滅茶滅茶便利なので手離す事は出来ないし、こんなことならもっと早くスマホに変えておけば良かった。」としみじみ言われた時に思い出したことがあります。

それは平成9年度事業で、本館の計画の為の書類として建設計画と法人設立計画の作成をした時は、書類のひな形岐阜県高齢福祉課から頂いたのを、その当時はワープロで書式を作って数字を入れる時には電卓で計算して打ち込んでいました。当時の書類で按分計算する時は少数点以下3桁までの記入が義務付けられていて「何の為にこんな数字がいるのか」等と思っていました。ワープロですから、罫線も一つ一つ引かなければいけないのですが、27年前と言う事で若かったから出来たのかもわかりませんが、今以上の労力をかけてでも出来ました。

と言う事は『一生懸命さに掛けると言う事か』『能力が劣化しているのか』と嘆いてばかりではいけないので、中西副会長が言う様に「スマホは便利だ」と言える様に頑張ります。リピーターの皆さん昔から言いますよね。「為せば成る」と言う事で・・・。

 

本日もスマホ操作の情けないお話です。

令和6年3月3日

情けない話ですがスマホの操作がなかなか上手く出来ません。実は本日午前1時30分に和合の施設からスマホに連絡がありました。午前1時30分と言う時間での連絡ですから、緊急連絡に違いないので慌てましたが、音量が絞ってあった為にバイブのような状態になっていたのですが、何とかスマホを手にしたのですが結局上手くつながらなかったので私の方から連絡をする事にしたのです。スマホでは上手く操作が出来ず「とほほ」状態だったので家電の子機で和合に連絡を取り、本当に情けない話ですが「慣れないスマホでは上手く取れないといけないので家の電話にかけて下さい。」と夜勤責任者の伊藤課長に指示する体たらく・・・。

今回の連絡は機械の誤作動での対応だったので事なきを得ましたが連絡をしてくれた職員に申し訳ない事をしてしまいました。勿論誤作動についての業者への対応は出来たので午後に修理には来てくれましたので、そのような対応はしっかり出来ますが・・・。「習うより慣れよ」とは言いますが先が思いやられます。本部施設から和合の施設に向かう前に車の中でスマホが使える様に水野係長にセットして貰ったので、今迄と同じ様に電話に出る事もかける事も出来る様になったので、少しストレスが無くなりました。

実は車の中で五次副施設長に連絡をしたのですが五次副施設長は私より1回り若いのですが私と同じ様にスマホの操作に苦戦している様でお互いに何度かかけなおしました。和合でのカラオケを1階で終えてから岩田先生との予算理事会の打ち合わせを終えてから再び本部施設に戻ると水野係長が事務所にいたので「恥ずかしながら」とスマホの画面をシンプルにして貰うと共に操作の仕方をレクチャーして貰うのですが水野係長が簡単にすることを同じ様にしているつもりが出来なくて水野係長からはあきれられてしまわれてまたまた「とほほ」です。いまは「習うより慣れよ」「習うより慣れよ」と呪文の様に唱えながらスマホに振り回されないで出来る様に頑張りたいと思っています。しばらくは「忍忍」ですが昭和おじさんですが「今に見ていろ俺だって」

わざみの会に参加します。

令和6年3月2日

『わざみの会』とは、関ケ原町内にある小中学校のかつての校長先生とPTA会長が年に1度親睦を持つ会です。と言う事で現職の校長先生とPTA会長が世話役になり実施するものです。私は平成8年度~9年度にPTA会長をさせて頂いたご縁で出来る限り参加させて頂いています。

私が現職のPTA会長の時は小学校が3校あり、中学校も2校あったのですが今では小学校も中学校も1校ずつになってしまい寂しい限りです。私がPTA会長だったのは28年前ですが、毎年の様に参加させて頂いていたわざみの会には、私の父進が垂井小学校の校長時代(当時私は高校生)に垂井小学校でばりばり活躍されていた服部先生、大岡先生がいわゆる長老格でおみえになりお話するのも楽しみの一つでした。

(服部先生には大垣女子短大の非常勤講師の時に非常勤講師室でも大変お世話になりました。)コロナ感染症対策の為に久しぶりの開催ですが久しぶりに皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています。本日も10時30分から和合でお参りを1階の皆さんとして、本部施設に移動して昼食後は来年度の予算案を固める為に業者との打ち合わせをして、15時30分には家に帰り着替えをして関ケ原駅前の末廣まで送って貰い、会ではお酒を飲む為に家に帰ってからコラムを書くとなるとかなりきついので、いつもよりは量的に少ないですがここまででお許し下さい。

3月の和合での予定がようやく出来ました。

令和6年3月1日

本来であれば3月の予定なので、2月の内に予定を立てなければいけなかったのですが、途中までしか出来ていなかったので、10時30分からの3階でのお参りを終えてから予定を組みました。

午前は『お参り』で午後は『カラオケ』で3フロアをバランス良く、しかも出張、会議、施設のイベント等も考慮していくと、パズルの様でなかなか骨が折れました。と言うのは3月のスケジュールで会議や出張等が延べで37もあり(まだまだ入って来ると思います)、携帯のスケジュール管理はびっしりです。と言うより一日何もない空白の日は一日もありません。決して愚痴を言っているのではありません。元気に働けることに感謝しているのです。お参りとカラオケが入る日は目一杯計画しているのですが、お参りが12回でカラオケは9回と言う状況です。

最近自画自賛している事があります。それはお参りの声が凜として来て、お参り後のお話(講話)も上手になってきたように思います。また、カラオケの方も音域が広くなって来て、声量にも自信を持って歌える様になってきたと思っています。リピーターの皆さん、決して自惚れではありませんので。でもこの様になったのは、お経にしてもカラオケにしても一生懸命に聴いて下さる入居者さんが見えるからだと思います。カラオケについては、私の出番が無くなるのではないかと思えるくらいに、入居者さんも歌って下さいます。正直、70歳になっても今なお日々成長させて頂ける事に感謝です。最近では歌の合間に入居者さんとのおしゃべりも楽しくなってきました。

本日も私の歌が終わったタイミングで私のお腹をさすりながら、「赤ちゃん元気」と言われたのには参りましたが、そんな冗談が言い合えるのは、昨年8月から和合の施設長に就任して7カ月が経過しての成果だと思うと嬉しくなります。この調子だと4月に本部施設で実行した花魁を和合でやらせて頂いても大丈夫だと思っています。和合の施設においても「今日一日楽しかったよ」の毎日になる日も近いのではないかと思っています。リピーターの皆さん、ますます頑張りますので激励等をこれからも宜しくお願いします。

携帯がスマホになったら手も足も出ない

令和6年2月29日

今迄ガラケーの携帯でスケジュール管理も電話帳管理もメールのやり取りもアラームのセットも行っていて重宝していたのですが、施設の携帯をロボット・ICTの補助金を頂いて(全額ではありませんが)ハードもソフトも一新するのに合わせて施設携帯を全員スマホに買い替えたのです。

一昨日にスマホを渡され「翌日9時に一斉に新しいスマホの方に切り替わります。」との事で、昨日は石川県能登町へ災害派遣チームが関市にある特別養護老人ホーム『ほほえみ福寿』を8時には出発するとの事だったので、お菓子や飲み物を団員に手渡し激励する為に行き、その後、義援金の対応について岐阜県高齢福祉課に相談に行く為に岐阜県庁の駐車場に着いてから連絡をするのですが全く反応しないので時計を見ると9時3分と言う事でガラケーの携帯からではつながらない事に気が付き新しいスマホで書けようとしても情けない話ですがかけ方がわからず直接受付に行ってアポを取る体たらくを早速してしまいました。

本日も10時から福祉会館で会議があるので車を運転しながら話が出来るシステムだったのですがどうしたら接続できるかがわからず、電話が着信になっていても出る事が出来ず「この調子だと血圧が高くなるな」と思った次第です。メールが来ても手も足も出ない状態で、適当な操作をしている時にこちらから知らない内に電話をしていた様で会議中に「電話を貰いましたか」との電話に面食らい、先程などはスマホの着信が鳴っているので出ようとしても出れなくて「昭和おじさんには手に負えない」と思うばかりです。でも、昔から「習うより慣れよ」と言いますので頑張って色んな事をして間違ってかかってしまった時はしっかり謝ってめげずに頑張っていきたいと考えています。

ホームページの全面リニューアルをする予定です

令和6年2月28日

早いもので優・悠・邑 和合が事業開始をして10年が経過します。と言う事はホームページが前面リニューアルをしてからも10年が経過したと言う事です。『十年一昔』と言う風に良く言いますが、10年前のホームページとしては斬新で評価も高かったです。その評価の一つとして全国老施協の広報コンテストのホームページ部門で最優秀賞を頂きました。

あれから10年、『今日の優・悠・邑』『今日のえりかの里』『今日の優・悠・邑 和合』は毎日更新され3年前からは『今日の優・悠・邑 和(なごみ)』が加わり、理事長である私が「毎日更新して欲しい」と言っていたので、私も『理事長コラム』を2018年8月24日から毎日更新しています。(自分で言うのも何ですが、敢えて言うと「5年6カ月更新し続けていて、今なお更新し続けている事に驚きと感動です。」)私のコーナーも毎日続けている中で、リピーターの方も徐々に増えてきているのも有難い事だと思っています。

10年前のホームページに対する考え方は、「世間一般の方に広く見て貰いたい。」と言う事で、項目もどんどん増えていき、殆ど見られないものも検索結果からも読み取れるような状態になってきていました。と言う事で、リニューアルの時期でもありました。今回のリニューアルはどの様な物にすべきかを考えていく中で、今あるものの中で残すものと無くすものの整理をすると共に、特に力を入れなければいけないものとして、『職員採用』に力をいれて、尚且つ学生さんが興味を引く様に動画やSNSも多く導入して行けるようにしたいと考えています。また、職員給与の手当の見直しもリンクさせていきたいと考えています。何故ならば、ここ何年かは新卒者の採用が無い事に危機感を持っているからです。また、入居を希望される方への資料提供にも力を入れて、他の施設との差別化も図っていきたいとも考えています。

当法人の考え方の一つに『今日一日楽しかったよ』があります。その『楽しかった』がホームページの中で表せる様にしたいと考えています。昨日のコラムでも「施設に入居して母は笑顔が多くなった。」と書きましたが、盛り沢山のものをシンプルに検索出来るように制作して貰える様に3月16日の業者のプレゼンで決定した業者としっかり共同して良いものにしたいと考えています。リピーターの皆さんリニューアルしてからも応援宜しくお願い致します。

本部施設の全体会がありました。

19時からなのですが早出で16時過ぎに勤務を終えた職員も含んで多くの職員が参加してくれます。18時30分には法人顧問の烏野先生(びわこ学院大学教授・学部長)も来て下さり定刻の19時に始まり、先ずはこの1カ月で亡くなられた方に全員で黙祷を捧げ、次いで、新しく役職に就いた職員と新しく採用した職員の辞令を手渡し引き続いて、五次副施設長、吉田副施設長、吉澤施設長、烏野先生、水野施設長と理事長である私が話をしていきます。

今回は石川県能登沖の地震についての話もあり、皆真剣に聞いてくれていました。私の話は、外国人材のスキルを上げていく為に外部講師の体制も確立させていくと話をして受ける側も真剣に取り組んで欲しいと先ずは話をしてから、ロボット・ICTの補助金28.000.000円を頂いたので宝の持ち腐れにならない体制を取り、業務の効率化を推し進めてより充実したケアを確立していきたい。新体制に合わせてホームページもリニューアルをしてより見やすいものにして、職員確保や施設の紹介がより充実出来る様にしていくことなどの話をさせて頂きました。

そして最後に、先般亡くなられた入居者の家族の方が「母は家族を守る為に必死に働いて来たので日常の生活では厳しい顔しか見た事が無かったけれど、優・悠・邑での生活では朗らかに生活していたのか、送って貰った写真は笑顔で写っていたし、死に顔も優しい顔をしていたので最後の生活は幸せだったと思います。」とのコメントを職員情報共有の『福祉見聞録』で水野施設長が書いているのを確認して、私は本当に安堵していますがより、高みを目指してみんなで頑張って行きたい。と話させて頂きました。

本日も一日バタバタで、全体会が終了後にコラムを書いているので頭の切れが悪いので今一のコラムになってしまいましたが今は21時と言う事で限界ですのでリピーターの皆さんこの程度でお許し下さい。

東海北陸ブロック臨時WEV会長会議

令和6年2月26日

検討議題は能登半島地震支援対策の4回目の会議です。先ずは前回までの報告をブロック会長の太田会長(愛知県)が開会の挨拶と共にされてから、被災施設の「緊急レポート」として輪島市にある特別養護老人ホーム「ゆきわりそう」の小泉氏からの報告を聞きました。その中で先ず最初に報告されたのは1月1日16時10分に地震が発生した日の勤務者が比較的幹部の職員が多かったので落ち着いた対応をして貰ったが、電気も水もこない状況で、職員は家に帰らずに頑張ってきたが、看護のリーダーがダウンして救急車で病院に搬送され入院する事態になった。

また。電気が来ない状況に対しては2台の発電機で何とかしのいだ。入浴支援のボランティアに支援して貰っているが週一の入浴の時の応援があると助かるとの話の後、石川県からは毎日の様に「入居者を全員避難させた方が良い」との連絡が来ていたが、元の生活に戻った時に職員がいない状況への懸念と全く収入が入らない事への不安もあり、重症者の避難以外は施設に留まって頑張っていたら、石川県の方針転換で施設に戻す考えになったのか、石川県からの連絡は一切なくなった。との報告をされた時には涙を浮かべながらされたのには言葉を失いました。

その後、石川県老施協と石川県社協からの報告と全国老施協事務局長と災害対策委員長からの報告を受けた後各県からの報告になら最初に岐阜県老施協として私から意見を述べさせて頂きました。最初に岐阜県の派遣チームが今回発表された「ゆきわりそう」での派遣から帰って来た時の報告で「2日間に分けてお風呂に全員入って貰う介助をしたらとても喜んで貰いモチベーションが上がりました。」との報告をさせて頂きました。そして、岐阜県では隊員登録の方が72人に増えましたので、引継ぎも円滑に行く様に能登町の特別養護老人ホーム鳳寿荘に5日ずつ4名~5名のチームを組んで派遣できる体制を取っています。と報告させて頂きました。

その後それぞれの県の代表者からの報告を受け、この派遣は長期にまたがるとの考えの中、今後の派遣の在り方についてもさせて頂き会議が終了しました。会議の中での話の中で当法人もいざという時の為にしておくべき事を改めて確認しました。例えば電気自動車の場合、電気の活用が出来る。但し、ガソリンが無くなっては使えないのでガソリンは半分になったら必ず満タンにすること。給水用のポリ容器は多く確保しておくこと。発電機を準備して燃料の確保も怠りない等々今すぐしておくべきだと思いました。リピーターの皆さん、参考になったのなら即実行してください。

優・悠・邑 和合の施設2階のお経のあとでの話から

10時30分を回っているのに気が付き、慌ててお参りグッズを押しながら2階に行くと既にお参りが出来る様に皆さんが集まって頂いていたので、経本と数珠をそれぞれの入居者さんに職員から配って貰っている間に、阿弥陀様、蝋燭立て、線香立てを準備し、「正信偈から始めます。今日は気温が低いですが大きな声で唱えて頂いて体が温かくなるようにして下さい。私も大きな声で唱えますので。」と言ってお経を唱えさせて頂きました。

正信偈の後、御文さんを読み、引き続いて、私が滋賀信行会の団参である四国八十八箇所で覚えた般若心経を中心にしたお経を唱えている時に、私が大学生で50人ほどの団体の先達をさせて頂いている時の事が頭に浮かびましたので、お経を終えてから講話の様に話をさせて頂きました。

その話を本日はさせて頂く事にします。その当時の滋賀信行会の団参は1番札所がある霊山寺の最寄りの駅(坂東)から23番札所薬王寺まで全て歩きです。団体は最年少は小学1年生から最高齢は75歳の方までと年齢層は幅広い50人程度の団体です。

1日目は6番札所『安楽寺』までは比較的起伏の少ない遍路道で何のトラブルもなく歩く事が出来ました。

2日目11番札所『藤井寺』までも問題なく歩けたと思います。

そして3日目は藤井寺の裏山から急な山道になります。この工程では12番札所『焼山寺』までの山の昇り降りを繰り返し焼山寺は海抜1200mある山の頂にあるので、朝7時に出発をして焼山寺に早い方は12時過ぎに着いているのですが、しんがりは2時間以上遅れての到着となります。その他にも20番札所『鶴林寺』の道は最後の上りは険しいものがあり、21番札所『太龍寺』の山越えも大変ですが、本日お話をさせて頂いたのは20番鶴林寺の奥の院『慈眼寺』の行場での話をしました。

『行場』と言うのはいわゆる『修業の場』のことです。そこは慈眼寺から急な坂を約20分歩いたところにあり、行場に入る前に身を清め男女共にパンツの上に白衣をまとうのみです。行場に入る前にそれぞれに1本の蠟燭が手渡されます。と言うのはその行場はいわゆる洞窟で人一人が通れるくらいの所なのです。実際には相撲取りの方でも通れると言うのですが時には通れなくなるアクシデントが起きます。その時に通れなくなったのは当時小学4年生の男児でした。その子は正直落ち着きがなくて先達である私の言う事がなかなか聞けなかった子です。洞窟の中では先頭を行く洞窟の事を知り尽くした方の言われる通りに進む事を約束して貰い、先頭の方が例えば「右足から進んで」とか「左向きになって左足がついたら左足を」とか言われた通りに進むのです。

ところがその4年生の子は自分が体が華奢だから大丈夫と思ったのか指示に従わなかった為か、身動きが出来なくなってしまいました。前にも後ろにも行けない中「体が通れますように」と全員で般若心経や不動明王様のご真言を唱えて30分後には何とか抜け出す事が出来ました。その後その子は指示に従う様になりました。この現象は「仏さんが罰を与えた」のでは無くて「戒めて頂いた」と思っています。と言う話をさせて頂きました。入居者さんはお経も含めて一生懸命に参加して頂いた事に感謝です。

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