東の空より西の空が明るいです

5時10分にお墓参りの為に家を出たのですが、2つの事を思いました。

1つ目には「寒いな」と言う事で、2つ目は歩きだして気が付いたのですがタイトルの通り「東の空より西の空が明るいです」と言う事です。その現象は夜明け前で月の明かりが半端なく明るかったと言う事です。

特に今の時期は空気に透明感がある為なのか本当に綺麗でした。この様な事を若い時には感じませんでしたが今は・・。いやいや感性が豊かになったんだと思うのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。

妙応寺の六地蔵さんの前掛けと帽子が新しいのに替わっていました。私は自分では作る事が出来ないので気にはなっていたので新しくなっていて良かったと思いました。当然六地蔵様ですから6対作らなければいけないので、大変な労力だったと思いますので本当に有難い事だと思いました。

滋賀県の方から伊吹山文化資料館で旧徳山村の紹介を増山たづ子さんの写真を中心に開催されていると聞いていたので、午前中は和合でのカラオケを終えてから本部施設に移動して、昼食をとり終えた頃に家族会の吉田会長さんが家族会主催の誕生会におみえになり、誕生会が終わった後お見送りをしてから、米原市伊吹山文化資料館に行きました。

本部施設からはそれ程遠くはない所にあるのですが、行った事が無かったのでナビを頼りにして行ったのですが迷うことなくナビに案内して貰いました。

敷地の中には車が1台しか停まっていなかったので「開館しているのか」と怪訝な思いで入って行ったのですが、受付の窓口に人がみえたので「徳山展を見に来ましたが大丈夫ですか。」と言うと「2階に展示してありますが1階にも素晴らしいものが展示してあるので見て下さい。と言われたので、私が一番聞きたかった事を聞く事にしました。

「どうしてこの地で徳山村の紹介がされているのですか」と聞くと「私はダムで沈む前に考古学の調査で入らせて貰って関りを持ったので」と言われたので「私は26歳の時に増山たづ子さんの民宿で5カ月間居候をいていたので、私の方が時代的には早いですかね」と話をしてから館内を見て回りました。

先ずは1階を見て昔懐かしいものが一杯有り「私が小学生の時に持参した豆炭アンカがあったので「確かに今はそんな物を見る事は無くなったな。」と思った時に思い出したのは大学時代に郷土研究の会と言うサークルの顧問だった祝(はふり)宮静先生が言われた「1年に1回同じ場所で撮影をし続けて30年やり続けたら立派な研究になりますよ。」と言われたのを思い出しました。

感傷に浸りながら2階に行くと増山たづ子の天真爛漫な顔を見る事が出来、亡くなっても未だ健在と言うのは素晴らしい事だと思いながら一点一点見させて頂きました。

作品を見ていると26歳の頃の事が蘇ってきてなかなかその場を動く事が出来ませんでした。考えてみたら44年も前の事なので私にとっても若き日の良き思い出。

そう言えば増山たづ子さんの民宿から近い所でお世話になった近所の方が、女優志望だった娘さんと私を一緒にしようとされていたけど娘さんには相手にされなかったけど今、彼女はどうしているのか等と思っていると楽しい気分にもなりました。

リピーターの皆さん、太平楽な事を言っているのですがこれからも宜しくお願いします。

 

先ずは訂正とお詫びから

令和5年10月28日

先般のコラムで「歯医者に行くのを忘れてしまう程に忙しくて」的な事を書いたと思うのですが、事実は少し違っていたのでお詫びをして訂正をします。(私ってそんなに律儀な性格だったかな)実は歯医者の予約がしてあった10月24日は午後からは東京への出張はわかっていたのですが、歯医者の予約は9時だったので 十分に間に合う予定を立てていたのです。ところが、夜中にガラケー携帯の全く反応しない事件があり、スケジュール管理はガラケー携帯に入っているので見れないし、それどころか東京出張の時にいつものガラケー携帯が使えない時の状況を考えると大パニックで・・・。

とにかく、ドコモショップが開店する10時までにお店に着いて治して貰う事しか頭には無かったです。ガラケー携帯が動かなかった原因が充電器の劣化とわかり安心したところで本部施設に戻り早めの昼食をとり、余裕綽々で車に乗り岐阜羽島に向けて走りだししばらくしてから「議員の先生との写真を撮る為のデジカメを忘れた。」と言う事で本部施設に「車を停めて待っているのでデジカメを大至急持って来て。」と 連絡をして、急いで持って来てくれたデジカメを受け取り、これまた急いで再び岐阜羽島に向けて走り出して考えてみたら最悪予定していた次の列車でもギリギリだと言う事については以前書いた通りです。昨日スケジュールの確認をして抜けはないかと確認して歯医者の予約が抜けていた事に気が付いたのが全てです。新たな予約は昨日31日9時からでとれたので一件落着。

さて、本日は午前中は和合1階の皆さんとお経を唱えて、その後は本部施設に移動して午後からのハロウィンの確認と職員と入居者さんの出で立ちを確認して思った事は新しく購入したドレスとドン・キホーテで購入したかつらだけでは全く目立たない事を理解してのハロウィンにしなければ職員に軍配が渡る事になる。「う~ん。今年は職員に軍配が上がりそうだと思った次第です。いつまでも同じような内容ではインパクトがない。新しい職員の知恵も借りながらより良いものにしていきますのでリピーターの皆さんもがんばっ知恵をかして下さい。

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自分の事は後回しと言うか、忘れてしまうことが多いです。

令和5年10月27日

今はお墓参りを終えてお風呂に浸かりながら予定の確認をしていて気が付いた事があります。それは、11月の予定の確認をしてから10月の予定(過去の事を「予定」と言うのは変ですが)を見ていて、10月24日の午前中に親不知の抜歯の為の予約がしてあったのですが、24日は東京への出張があり「15時までに議員会館に着いていれば大丈夫だから、9時の予約なら大丈夫」と考えて予約の変更をしなくて24日のスケジュールは文字通り「予定は未定で決定ではない。」を地で行くような展開で午前中は目が回る様な時間が過ぎ、予定していた新幹線には乗れず、次の列車にも飛び乗る様な事態になり、午前中に歯科の予約が入っている事すら忘れていました。忘れてしまったもう一つの理由は、地元の歯科医院での応急処置で痛みが取れていたこともあったのですが・・・。お風呂の中の確認で予約していた事を完全に失念していたので改めて「自分の事は最後になるな」と思った次第です。

話題は変わって、週刊現代の記事【シリーズ 情熱の時代 第19回 東京ディズニーランド開園 1983年「夢と魔法の王国」がやってきた】を見て、考え深いものがあったので書く事にします。考え深い意味について先に書きます。(たいした理由では無いのですが。)実は私が結婚式を挙げたのは1983年5月で、結婚式前の日本の状況はディズニーランドが開園するとの情報が氾濫していた時期と重なります。と言う事で結婚式(5月26日)を終えた後は名古屋に泊まりました。と言うのは結婚式の日の夜に吉田拓郎のコンサートがあったからです。(その頃の私はこよなく吉田拓郎のファンでしたから)そして翌日には成田空港からハワイに飛び29日の日に日本に帰って来て、30日には開演間もない東京ディズニーランドに行きました。ディズニーランドに行ったのは月曜日だったので空いていると考えていたのですが、どういう訳か神奈川県の学校が振替で休みと言う事で大賑わい。と言う記憶しかありません。つまり、開園間もない東京ディズニーランドに行ったと言うご縁が言いたかっただけです。

週刊現代の記事に基づいて話を進めます。先ずは広大な土地を手に入れる為に元々「浦安」は漁師の町だったと言う事で、漁師の人たちとの土地の交渉と漁業権の問題を解決するのには想像もつかないくらいの苦労があったと思います。また、ディズニー社との交渉にも色んな配慮があったとも書いてありました。私は開園して40年も経過すれば飽きられても仕方がないと思うのですが「40年を経てもなお夢と魔法の王国は進化する」との見出しを見て、『現状維持では、後退するばかりである』と言ったウォルトディズニーの思想により常に進化を追求してきたからこそ、多くのリピーターを獲得したとの結びの文章には大きく納得した次第です。

朝のお墓参りを済ませて家の中に入ると

令和5年10月26日

家に入ると体に温かさを感じました。「これが正に幸せ」と言う事だと思います。ウクライナでのロシアの侵攻によって、電気がない或いは燃料が思うように手に入らない状況で寒い冬を迎えられるのは大変な事だと思います。日本が戦火に怯えた時代を私は戦後生まれですからわかりません。終戦から78年が経過して「日本人は平和ボケしている。」と言われたりします。空襲警報が鳴り響き怯えながら耐え忍ぶ毎日等想像もしたくありません。そう言う意味では4時25分のアラームで起きて仏間でのお参りと妙応寺経由のお墓参りが出来るのは幸せな事だと思います。

昨年の6月から出張で家を不在にしていた時以外は毎朝2500歩を歩き大きな声で般若心経を唱える様になってからは風邪もひかないで要られる事にも感謝です。話はガラッと変わりますが、今朝の新聞の1面トップ記事には驚きました。大見出しに『性別変更の手術用件「違憲」』『生殖能力巡り最高裁』『特例法で初、国は見直しへ』具体的な内容としては『性同一性障害の人が戸籍上の性別を変更する場合、生殖能力をなくす手術を事実上求める性同一性障害特例法の規定(生殖能力要件)が憲法に反するかどうかが争われた家事審判で、最高裁大法廷は25日、規定を違憲、無効とする決定を出した。最高裁による法令の違憲判断は12例目となり、特例法では初めて。』その理由として『生殖能力要件について、医療の進歩により、現在では手術の必要がない人にも性別変更に当たって手術をするか、性別変更断念かの過酷な二者択一を迫っていると指摘。憲法13条が保障する「意思に反して身体への侵襲受けない自由」への制約は重大だと判断した。

裁判官15人全員一致の意見。卵巣や精巣の除去といった生殖能力要件に関し、最高裁が2019年に「現時点で合憲」とした結論を、社会情勢の変化などを踏まえ変更した。国は要件の見直しを迫られ、当事者には手術を経ない性別変更に道が開かれる。』との記事を読み、最近富に『多様性』なる言葉が使われ「何でもOK」的な発想があるように思う。確かに色んな考え方があって当然で、全ての人が満足できる解答があるとは思えない。但し、記事の中で『社会情勢の変化などを踏まえ変更した』との文面に「私は正直なところ正直社会情勢の変化なるものについていけない」と思っています。リピーターの皆さんの中には「何を言っているのか」とのお叱りを覚悟の上での発言であります。

岐阜県庁の新庁舎建設のユニバーサルデザインの検討会でも参加させて頂いた時にも、多様性を考えた時にトイレの表示をどの様にすべきかの話し合いもされました。この問題に対しての知識をさほど持ち合わせていない私ですが、男性から女性への性転換手術を日本で一番に受けられたカルセールマキさんはのお気持ちを聞いてみたい気持ちだけは持っています。正直炎上しかねない問題でしたが、これからも色んな形で討論されるのでしょうが私は見守りながらコメントしていきたいと考えています。

介護報酬改訂に私なりに一生懸命です。

令和5年10月25日

3年毎の介護報酬改訂が来年4月に迫っています。4月に改訂されるとは言え12月には大枠が決まりますので今が正に正念場だと思います。全国老施協が行った令和4年度の収支状況等調査によると令和3年度の赤字事業所が40%だったのに対して60%を越えたとの結果が出ました。コロナの影響と円安や世界情勢の不安定感による緒物価の高騰が顕著だった結果だと思います。

そんな中、岸田総理は賃金アップを謳われています。しかしながら、賃金アップをするためには、先ずは物価高による赤字の解消をしてその上での職員の賃金アップをしなければいけないのですが、介護報酬はいわゆる公定価格ですから大幅な介護報酬アップをしなければどの事業所も立ち行かなくなってしまい介護崩壊になってしまいます。優秀な職員を確保するには他産業に引けを取らない賃金にしない事には職員確保もままならない状況になってしまいます。

岸田総理は子育て支援に異次元な取り組みをすると言われています。私も子育て支援を手厚くすることを否定するものでは有りませんが、その原資を介護の予算を減らすような事は決して許されません。だって子育てを行う親にもやがては介護の関わりがやって来るのです。介護保険の仕組みは被保険者の介護保険料と税金から成り立つています。介護保険料を抑えた形で介護報酬の単価を上げていく為には税金の投入しかないのです。介護を担う職員のモチベーションとスキルを上げる為と介護を担う在宅介護を担う方の負担軽減を実現するにはしっかりとした介護報酬の根拠を確立しなければいけないと考えています。

冒頭に述べた様に介護報酬は最終的には国会で決められます。と言う事は国会議員一人一人に介護事業所の現状を理解してもらわなければいけないと言う事で岐阜県選出の衆参議員7名の方へのアプローチをしなければいけないと言う事で岐阜県内の事務所でお会い出来る方を除いて昨日と本日で参議院議員会館と衆議院議員会館を回っています。今は衆議院第二議員会館 で時間調整の為に受付前の椅子に腰掛けて本日のコラムを打ちながら待っています。この様な行為を地道に行う事によって介護報酬の基本単価を少しでも上げて貰いたいとの願いを込めています。政府は基本ベース6000円と言う話をまことしやかに流していますが、6000円と言う数値に根拠があるとは思えません。国は介護事業所がなくなってしまう事によって起きる大変さを理解されているのかと思わざるを得ない。高品質な介護は国民の安心を与える事を理解した考え方に終始して欲しい。

介護事業所は残余財産を多く持っているとの根拠のようなものを示す事が有りますが、老朽化した施設の改修費に対してまで残余財産と言う括りにされたら「改築をするのな」と言う事になるのではないでしょうか。

リピーターの皆さんもご理解とご支援をしていただければ幸いです。【余談】議員とのお約束が13時30分で昼食がまだだったので受付を済ませて地下1階の食堂で今はハンバーグ定食(和風・980円)を頼み、席を案内されたら「議員専用席」と書いてあり、4席の所を一人で独占して恐れ多い事です。恐れ多いと言えば13時30分にお会いした衆議院議員の先生は陳情を終えて写真も撮り帰ろうとするとエレベーターの所までお見送りをして頂きました。

 

 

夜中1時30分に真っ青です。

21時30分に眠りにつき、喉の渇きを覚えて目を覚まし何時かなとガラケーの携帯で時間を確認しようとするとガラケーの携帯がウントモスントモ動かない。「おいおい、ガラケーの携帯が動かないで東京出張は無理だ。」何度もガラケーの携帯をいじっても、ウントモスントモうごかない。

午後からの出張なので「朝イチにドコモショップに行く事にして寝よう。」と言う事で眠りについて、いつもだと4時過ぎには目を覚ますのですが目を覚めたのが5時10分と言う事で、いつもの様にベッド上で体操をしている時に「仏壇でのお参りをしないで水替えをして手を合わせるだけにしてお墓参りに行く事にしよう。」と考えて、てきぱきと行動をして妙応寺まで行くといつもは開いている大門が空いてない。「私と一緒で起きるのが遅かったのかな」と思うと同時に「本堂のお参りを後にして先にお墓に行く事にしよう。」とお寺の外周を回る形で六地蔵さまでお線香を供えてから、お墓に行きました。

お墓でのお経も終えて本堂の方に行ったのですがまだ大門は開いていなかったので、本堂のまえで般若心経を唱えて今須稲荷で本堂の分も含めてお賽銭を供えて、またまた外周を歩いて家に帰りました。その後お風呂に入り6時40分から朝食をとっている時に携帯ショップは10時からではないかと我が奥様が言うものですから少し焦りながらいつものお店の営業時間を調べると「9時から」と言う事で「流石にドコモショップ」と言う事で8時30分に家を出てドコモショップに行くと開店間際と言う事で直ぐに受付をして事情を話しして携帯を預けてしばらくすると、「当店の充電器で確認したら充電出来ていますから大丈夫です。」との事だったので一安心。ほっとしたところでもう一台のスマホのボタン操作が押しにくいと言うと、「楽々フォンは押しにくくなっていますので通常に戻します。」と言ってあっという間に治して頂き私は「今までの苦労は何だったのか。」と思った次第です。

新しい充電器を購入して本部施設に行き銀行の決済を本部施設と和合の分をして、11月からの人事異動の辞令を作成して早い昼食を頂き(おにぎり二個と焼きそば)いて、岐阜羽島に向けて車を走らせ本日は地元の議員と衆参の議員会館でお会いするのにデジカメを持って行くのを忘れていたのに、本部施設に戻っていると時間がないと言う事で車を広い所に停めて本部施設の職員に持って来て貰う事にして、車から降りて待っていてデジカメを受け取ると岐阜羽島に急ぎました。「まだ、10分はあるから大丈夫」と考えながらいつもの駐車場に乗り入れようと思ったら「満車」の表示が・・・。隣の駐車場を確認しても「満車」もう一つの駐車場に移動すると係員の方がみえて「一番奥に2台はあります。」と言われたので「入ります。」と言って入場すると確かに2台分は空いていたのですが「めっちゃ入れにくいところ」と思ったのですが、「時間も無いし頑張って入れよう。」と何とか駐車スペースに入れて荷物を車から出して脱兎のごとく走り、乗車券を購入して、エスカレーターに乗って、半分位のところで「列車出発します。」のアナウンスが・・・。

「これ以上後の列車では議員会館のお約束の時間に間に合わない。」と言う事でエスカレーターですが「ごめんなさい」と言いながら荷物を抱え走りました。(もちろんお客様がいないのを確認して)何とか列車に乗り込むと同時に列車は走り出しました。列車に乗って気がついたのは客席が一杯で名古屋までは立っていて、名古屋で多くの方が降りられて座る事が出来てコラムを東京に着くまでに打てました。このコラムを本部施設に送信したら議員会館の対応に集中して17時からは全国老施協の制度政策検討会議に挑み、その後は本来6月に役員改選の新旧役員交換会が延び延びになっていたのが実施されます。明日も議員会館での陳情があるので頑張ります。リピーターの皆さん私の来年の介護報酬改正についての全力の展開を見ていて下さい。

 

日々のくりかえし これに飽きた人が負け

今朝の大谷徹奘師の言葉には正直、生意気な言い方になりますが「少なくとも今の私には当てはまらない。」と思いました。だって今の私は良いか悪いかは別にして毎日が刺激的であり、表現を変えると「充実した日々」 であり、「まだまだ成長しなければいけない状況」と言う事なのだと思います。そんな事を考えていて、1973年に森繫久彌さんが60歳にして83歳の「恍惚の人」を演じられた映画の事を思い出しました。

私はかつて、とっても親不孝な人間でありながら父進さんに対して「私が一杯困り事を作るから親父は惚けんのだから、これも一つの親孝行や」等ととんでもない事を平気で言っている、わけのわからない人間でした。話を恍惚の人に戻しますが、「恍惚」から「痴呆」に変わり今は「認知症」と言われているものです。1973年と言うのは半世紀前と言う事ですから50年も前に恍惚の人を世に出した有吉佐和子さんは実に先を見られている方だったのだと思います。表題の「飽きる」と言う事は絶対にありませんが「トーンダウン」してしまうと「やるべき事」が出来ない状態になってしまうので、常に緊張感を持った生活を送っています。こんな生活が出来るのは、頑張って頑固に頑張って来たからだと思うのですが、一体いつからからこんなに頑固な性格になったのか。大変な事も一杯あったと思うのですが振り返ればとっても幸せな人生・・・。いやいや、まだまだ頑張って行かなければいけないし、80代、90代でもかくしゃくと頑張られている方から言わせれば「60、70鼻たれ小僧」と言われてしまいそうなので「はい、はい私はまだまだ未熟者ですから咤激励をよろしくお願いします。」

明日は今月2回目の東京への出張ですが、会議の合間を縫って岐阜県選出の議員の先生の所へ陳情に行きます。陳情の内容は来年の介護報酬改正についてこの物価高、賃上げ機運が高まっているのに政府は僅かな報酬アップを目論んでいる事に対して衆参の地元の先生に厳しい窮状を訴えて理解をして頂き介護の業界の火が消える事の無いようにして頂く為に頑張って来ます。だって制度政策は最終的には国会で決めるわけですから。議員の先生方に理解して頂く為の資料は本部職員にも協力して貰い完成しましたので後は明日と明後日の2日間で理解が得られる様に頑張ってきます。こんな状態ですから「飽きる」等と言う言葉は今の私の辞書にはありません。リピーターの皆さん少しかっこ良すぎですか・・・。

びっくりしました。

令和5年10月22日

本日は午前中に和合での対応をするために7時30分過ぎに家を出て、7時50分に垂井にあるパン屋さんの前を通ったら開店前だと言うのに駐車場に車が一杯で、玄関先からずらっと並んで見えたのにはびっくりしてしまいました。驚いた理由は二つです。一つ目は、私も地元の人間だと思うのですが、それ程興味のない店なのに多くの方が開店前から並んでいると言う現象です。二つ目の理由は35年前に資生堂財団の研修団の一員に選ばれ(第15期「ボストン会」)アメリカに行き、ホワイトハウスの見学出来る列が物凄く並んでいて、一旦最後尾に並んだものの、最後尾の方に「見学できるのか」と聞くと「そんな事はわからない」と言われたので「そんなのに並んでも仕方がない。」と言って並ぶのを止めた記憶が蘇って来ました。あれから35年で日本の方の考え方も随分と変わったのだと感じた次第です。

ところで、一番最初に玄関先に並ばれた方は一体何時に並ばれたのかとも思った次第です。本日は、本来の予定は和合の施設で午前中に2回の入居者さんとのお経があり、午後から1階の方とのカラオケを予定していたのですが、本部施設で施設内のお祭りに理事長がいなくては困ると言う嬉しいオファーがあったので、和合での朝の申し送りの時に、お参りを9時30分からに、カラオケを10時30分からに変更して貰い実施する事にさせて頂き実施しました。お参りについても皆さん一生懸命に唱えて下さりホッとした次第です。

11時30分に終了して本部施設に行く前に朝の申し送りの時に気になった方の部屋に行って、その報告をしていると家族の方がおみえになり、家族対応での救急対応をされるとの事でその対応をしていたので、和合の施設を出たのは13時少し前になったので、とても13時30分には間に合わないと言う事でその旨を連絡すると、「理事長を待っています。」との事で本部施設には13時32分に着いて交流スペースに入って行くと、既にスタンバイオーケーの状態だったので「あと5分だけ待って」と言って施設長室で冷めたうどんを急ぎ食べて、デイサービスから順次5か所のフロアを回りました。

やる事は同じで私が北島三郎の「まつり」を歌っている所に神輿軍団が来て「わっしょいわっしょい」引き続き「まつりと言えばたい焼きだ。たい焼きは無いけどおよげたいやきくんを歌います。」でまたまた神輿でわっしょいわっしょい。最後は皆さんと共に健康祈願の万歳三唱の後お菓子まきをして終了。5ヵ所で90分だったので移動時間を除くと1会場では15分程度ですから、それぞれの会場の方にとっては「嵐」の様な時間だったと思いますが、みんなで盛り上がれたのは最高でした。毎日がお祭りと言うわけには行きませんが「本日は楽しかった」と職員共々満足しています。リピーターの皆さん、コロナも小康状態ですし、そんな施設に遊びに来てみませんか。

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星がいっぱい

表題に星がいっぱいと書きましたが、正確に書くならば、東の空には無くて西の空にいっぱいと言う事です。そんな事を考えているときに「天才バカぼん」の主題歌が頭の中に浮かびました。「西から昇ったお日さまが東にし~ずーむ♪♪それでいいのだ♪それで♪いいのだ♪天才バカぼん♪バカぼんぼん♪♪てんさ~い♪一家だ♪バ~カ♪ぼんぼん♪」朝からこんな歌を思い浮かべたのは自分自身に元気をつけようとの意味があったのか・・・。いつもの様にお墓参りにいった時の妙応寺の大谷徹奘師日めくりカレンダーの言葉は「ほしいのは    自分に負けない    心です」とありました。「う~ん。負けないように頑張っていても今の自分では何ともならない事があるし・・・。でも絶対に負けるわけにはいかない。」と意を強くしてます。ちなみに本部施設の」事務所のには「何を そんなに あせっているの」とありました。「う~ん。落ち着いている様でもどこかで焦っているのかな」と思っている次第です。

 さて、9時30分から本部施設の職員が昨年手作りしてくれた神輿(重量37キロ)を「チーム伊藤」総勢12名ので地域を練り歩くのですが、中心者である私のテンションが低くてはいけないので、9時前に本部施設に行くと「チーム伊藤」の責任者である伊藤係長が既に準備を整えていて順次「チーム伊藤」のメンバーが揃って来たのですが、「雨が心配だ。」と話をしていたので、大きな声で雨封じのお祈りを声高らかに天に向かってして「これで大丈夫」とみんなの前で宣言すると「あ~ら不思議」お日様が雲の間から出て来てきました。(決してはったりでは無くて事実なのであります。)9時30分になり、施設の玄関先で記念写真を撮り、その後、施設の南側にある天満神社に行き私が先導で2礼⒉拍手1礼のお参りをしてから地元新明地区を鐘と太鼓に合わせて大きな声で「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声と共に神輿を中心に練り歩きました。家の前まで来て待っていて下さる方も多くあり、その都度「〇〇家 家内安全、健康成就」と声を掛け、神輿を大きく3回掲げ「万歳、万歳、万歳」と大きな声を張り上げました。元気な子どもさんが来てくれた時には神輿を担いで貰ったりして記念写真を撮ったりもしました。無事に本部施設に帰って来ると寒い日であったにも関わらず背中がびっしょりと言う事で良い汗をかきました。昨夜は色々な事を考えていて殆ど寝ていなかったのですが「チーム伊藤」及び地域の方々に元気を頂いた勢いで和合に行き、職員との懇談の後、地域のボランティアとのカラオケが13時30分から予定されていたので急いで本部施設に向けて急いだのですがお約束の13時30分には間に合わない旨を連絡して先に始めて貰う事にして、本部施設に帰ってからは、ボランティアさんの歌を聞きながら急いでおにぎりと焼きそば(UFO)を掛け込み5曲目からの参加となりましたが、お神輿行列で元気を頂きそれでもいつもよりは若干元気が無かったのですが、逆にその影響で余分な力が入らなくていつも以上に上手く歌えました。こういうのを「怪我の功名」と言うのでしょうか。それとも「禍を転じて福と為す」と言うのでしょうか。とにかく明日からもしっかり頑張りますのでリピーターの皆さん応援よろしくお願いします。

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まだまだ夜明けが遅くなる

いつもの様に4時25分のアラームで目を覚まし左向きに寝返りしてカーテン越しでは有りますが外を見たらまだまだ真っ暗です。軟弱だった頃の私であればきっと「こんなに暗くては歩くのも危険だし歩くのを止めておこう。」と言う事になるのでしょうが、今の私は「暗いの何かエンやこーりゃ。」と言う事でいやいや、それどころか「また、楽しからずや。暗いからこその発見があるはず。」とのプラス志向。我ながらこんな考え方が出来る事に感動してます。マラソンの有森さん流に言うならば「自分を誉めてあげたい。」と言う事なのでしょうか。

本日は朝から盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)に行き、入居者さんと共にのお経とカラオケ2曲(和合で乗って頂ける曲)舟木一夫の『銭形平次の主題歌』と杉良太郎の『遠山の金さんの主題歌・すきま風』を歌わせて頂き、終了後は職員の全体会に参加して、吉澤施設長と共に打ち合わせを兼ねて昼食を頂き、打ち合わせが長引いたので、急いで和合の施設に移動して地域の方々とのサロン『そわか』で挨拶をさせて頂いてから、職員との懇談をして、これまた終了後本部施設に移動して明日実施される予定の(今は18時で雨が降っていますが必ず晴れます。)地域の中を施設の職員が昨年作成した神輿を担いで練り歩くイベントの打ち合わせをして16時からのリモート会議に参加しました。

今は3施設の移動を余儀なくされている分忙しく走り回っている形ですので家に帰るといつもクタクタなのですがクタクタの割には全く食欲が落ちないので何とか頑張れています。明日は鐘をや太鼓を打ち鳴らしながら施設がある地区の38軒の家を練り歩くのですが、コロナの影響で祭であっても賑やかな事が無くなっている状況の中、ボランティアを買って出た多くの職員と共に賑やかに盛り上げたいのでさてさてどんな派手な衣装で参加しようかと今からワクワクしています。いっその事おちょぼ稲荷の参道のお店で先般購入したドレスを着ようか。でもそれはあまりにも違和感があり過ぎて地域の方々から変な誤解を受けては逆効果だし・・・。「う~ん。悩ましい」などと悩むのも「また楽しからずや」明日は地元の皆さんに元気を頂いて貰う為に頑張ります。多分岐阜新聞の取材があるので来週のタイミングで掲載して下さる予定なのでそれもリピーターの皆さん楽しみにしていて下さい。

 

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