2月は和合でのお参りとカラオケを頑張ります。

2月は和合でのお参りとカラオケを頑張ります。

 

2月は和合での入居者さんとの接点をより密にする為に昨日、私の予定が入っていない時に、午前10時30分からの時間が空いている時にはお参りを、午後1時30分からの時間が空いている時にはカラオケの予定を3フロアあるのでバランスよく入れてみました。その結果はお参りが11回、カラオケが10回入れ込むことが出来ました。そして昨日の今日で本日は午前10時30分からは2階のフロアでお参りを、午後1時30分からは3階のフロアでカラオケを実施する事が出来ました。午前10時30分からのお参りの為に時間より少し前に理事長室に置いてあるお参りセット(阿弥陀様も一緒です。)をゴロゴロと引いて行くと既に入居者さんは集まって頂いていたので、正信偈の経本を一人ひとりに「よろしくお願いいたします。」と言いながら配らせて貰い、導師役をさせて貰う事にして「お腹一杯の声を出してお願いします。」と言って正信偈を唱えさせて頂き、御文さんも読ませて頂きました。皆さんに「腹一杯」と言ったので私も精一杯の声で唱えさせて頂きました。入居者さんの多くの方が私と一緒に唱えて下さいました。その後、般若心経を中心にした四国遍路で覚えたお経を一心不乱に唱えてから少し私自身のお話をさせて頂きました。その話は私の生い立ちから四国遍路に参加させて頂いて今があるとの話です。入居者の皆さんは私の話にも一生懸命に耳を傾けて下さいました。お参りを終えて事務所に戻り入居者が食べられる普通食を頂きました。入居者さんと同じものを食べさせて頂くのは入居者さんとの話題作りにもなります。

13時30分からのカラオケに3階へ上がって行くと3階の入居者さんは私が来るのを楽しみにされていたようで、一様に笑顔で迎えて下さいました。最初の曲は皆さんお馴染みの水戸黄門のオープニング曲である『ああ人生に涙あり』を歌わせて貰ったら「水戸黄門は大好きで毎日見とるよ。時代劇は大好き」と言われる方があったので「水戸黄門も面白いですが私は暴れん坊将軍が好きです。」と返すと「私も見とるよ」と返ってきました。改めてコミュニケーションには同一の話題が必要だと思った次第です。その後も入居者さんが好まれるであろう曲を4曲歌わせて貰うと「私も歌いたい」との声が聞こえてきたので、早速曲目を教えて貰い歌って頂きました。一人歌われると4人の入居者さんが次々とエントリーをして下さり、私と交代交代で歌って貰い、締めの歌だけは山崎ていじの「浜防風」を歌わせて貰い、1時間15分の時間を楽しむ事が出来ました。締めの挨拶をすると「また来てね」の声が上がったので、私のモチベーションはしっかりあがりました。

カラオケ終了後は16時から『全国介護福祉政治連盟』の事務局会議がリモートで行われるので急いで本部施設に行き会議に挑みました。会議は17時30分に終了したのですが、会議中に5件の電話があったので折り返しの連絡をしてからコラムを今(19時)書き終えました。自分で言うのも変ですが本日も充実した1日でした。

生々しい話を聞きました。

令和6年2月1日

本日15時から、全国老施協東海北陸ブロック緊急会長会議がリモートで実施されました。議題は「石川県能登地方を襲った地震の影響による災害支援」で今回が3回目の会議だったのですが、被災から1カ月が経過して状況が分かってきた事と、派遣が具体的に行われている事と、義援金についてが主だった内容でした。その中でもブロック会長である愛知県の太田会長の挨拶の後、能登町の施設で被災に会われた紙谷副会長の具体的な話は、身につまされるものがありました。

その中でも強調されたのは、「当施設では元旦とは言え通常業務であったのが幸いしました。そして地震が発生したのが16時10分と言う事で職員も多くいたのも幸いしました。」と言われた後「職員の家も何らかの被害が無い者は一人もいない中で、1カ月が経過しても自前の職員だけで頑張っています。」との話をされました。当然紙谷副会長自身のご自宅も何らかの影響を受けられていると思いますが、紙谷副会長の冒頭の挨拶が「皆さん元気ですか。私は元気です。」と言われたのには驚きと共に、強靭な精神力をお持ちなのだと思った次第です。

「1回目の地震で廊下にある戸をしっかり握りしめていると、2回目の揺れは大きくど~んときて、これはただ事ではないと思いました。」と。「とにかく3階建てのしっかりとした施設であってもより安全な所へとの思いで、職員みんなで1階にエレベーターも使えない中誘導しました。年に2回実施している避難訓練をしっかり出来ていた事も幸いしました。」また「2年前に購入した3台の自家発電機が大いに役にたち、1日2回だった食事も3回にする事が出来ました。」との話しには当法人の施設でも大いに参考にしていかなければいけないと思った次第です。また、職員の団結力も素晴らしいものがあればこそです。

『ローマは一日にして成らず』なので、私も改めて一歩一歩頑張って行こうと強く思いました。今日の会議でまだまだ被災地でのご苦労は続くと思いました。と言う事は支援もまだまだ必要です。私は会議が終了後、支援の輪が広がる為に何をすべきかを考え、必要な方に連絡を取り私の考えを伝えました。

明日(2月1日)から第4陣が出発します。

令和6年1月31日

1月22日から第1陣は珠洲市に、第2陣は輪島市に盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の施設がある垂井町を出発して、1月27日から第3陣は金沢市に『養護老人ホーム和光園』がある飛騨市を出発しました。第1陣と第2陣は1月26日に無事に帰って来て、第3陣は明日帰って来る予定です。そして明日は第4陣が当法人本部施設『優・悠・邑』がある関ケ原町を8時に出発します。介護施設はどこも人材不足の悩みを抱えながら、しかも、インフルエンザやコロナウイルス感染症に罹患した職員や家族がいる中でも、「石川県能登地方を襲った未曾有の被害の中なので、何とか協力したい。」との思いの結果、岐阜県老施協として第4陣までで18人の派遣が出来ている事は会員施設の協力があったればこそと感謝しています。本日は午前中に岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会があり、午後からも研修があると言う事でしたが、午後からはリモートではありますが職員採用面談があるので、本部施設に帰って来て、その対応をして、面接を中抜けして中部電力保安協会の打ち合わせを終えてから、明日の派遣団が乗っていくレンタカー(荷物も沢山あるので10人乗り)を明日が早いので取りに行き、明日バタバタするのはいけないので寝袋や衛生用品や食料品等々を積み終わって、今は18時37分ですがようやく落ち着いてコラムを本部施設のパソコンで打っています。私が石川県の支援に行っても足手まといになるばかりだと思います。であれば下支えの仕事をさせて貰い、支援隊の方々に出来るだけ不便を掛けない様にすることが私に出来る精一杯の事だと思っています。今後も「出来る事・出来るだけ」の信念のもと出来る事を精一杯頑張っていきますのでリピーターの皆さんエールを送って下さい。そう言えば2月4日は『聖はじめ一座』が本部施設に来て楽しい時間を繰り広げてくれる時に言葉を選ばずに言うならば「どさくさに交じって」私が花魁になる日もいよいよカウントダウンに入って来ました。ワクワクする間も無く2月4日がやってくるのは少し残念ですが当日カツラを被り、化粧をして貰い、衣装を着付けて貰う時間にワクワクします。リピーターの皆さん「乞う、ご期待」

本日10時から本部施設で入札2本が執行されました。

令和6年1月30日

入札を行ったのは本部施設と和合の施設のロボット・ICTの入札です。昭和おじさんの私にとっては苦手な分野になるのですが、今後はより一層業務の効率化を求められる事は明白で、岐阜県を通じての補助金も頂けると言う事もあり実施しました。無事に入札が成立したので、4月からの運用が出来る様に工事をして頂く業者さんと施設側が上手く連携を図り円滑に出来る様にしていきたいと考えています。

ロボット・ICTの世界も日進月歩をしており、職員が使いこなせる体制を確立して業務の効率化を図っていきたい。私は職員がモチベーション高く仕事をしていく為には余裕を持った対応が必要だと考えています。その為に理事長として出来る事を精一杯にしていかなければいけないと本日の入札執行を終えてしみじみ思っています。

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本日は春の様な陽気ですが、国道21号線から本部施設に行く為の道を走っていると、両サイドに広がっている田圃には「まだまだ融けんぞ」と言わんばかりに雪があります。明後日2月1日からは石川県への派遣の第4班が当法人の本部施設を8時に出発する事になっているのですが、天気予報が雨もしくは雪だとの事で、どちらにしても寒さが戻ってくると思いますので、先程関ケ原で唯一色んなものの買い物出来る『ゲンキー』に行って温かくなる食料品を中心に買って来ました。

買い物に行く途中で銀行に立ち寄ると支店長さんが出てみえたので、「石川県の支援に入っています。」と話しかけると「理事長さんが先頭指揮で行かれるのですか」と聞かれたので「私が行ったら反って足手まといになりますので、出発するまでの準備をさせて貰っています。」と答えた次第です。22日から順次派遣出来ているのは岐阜県老施協の会員施設のご理解があったればこそなので、会員施設の方々も厳しい状況が理解されている証だとも思っています。まだまだ石川県能登地方の厳しさは続くと思いますので、より一層の支援体制が整う様に岐阜県老施協会長としてもより理解が深まる様に努めていきたいと考えています。

1月24日の雪について思う事

令和6年1月29日

あの日の雪の降り方は何だったのだろうかと思っています。「まさしくゲリラ雪」と言う事です。暖冬と言われている中で、関ケ原を中心にした局地的な雪。石川県能登地方(輪島市と珠洲市)に派遣した職員が、翌々日の26日に雪の為に帰れなくなるのではないかと心配したのですが、帰って来た隊員に聞いたところ「10㎝も降って無かった。」との報告に改めて「何で関ケ原だけなの」と思った次第です。

何故今更大雪になった24日の事をコラムに書くかと言えば「あれから1週間も経っていないのに、本日の気温は10℃以上で雪が降っていたのが嘘のよう」と言う事だからです。かつての雪は、一旦ドンと降ったらなかなか融けなくて、少しづつ少しづつ家の前の雪を川に捨てると言う作業が何日も続いたのですが、その様な作業はしなくて大丈夫。と言う事は「1月24日のドカ雪は何だったのか」と言う事です。名神高速道路ではトラックを中心にして全く動かなくて、自衛隊までが出動する事態だったと言うのに。

本日、大垣の和合の施設に行く時に我が家を出た時は、屋根にはまだまだあるな。と思いつつ関ケ原の駅前通りまで行くと、屋根の雪は半分になり、垂井まで来ると、屋根には殆ど雪は無くて家の陰にある位で、大垣の道路には全くなくて、和合の施設までいったら、北側の陰になるところにはそれなりに雪は残っていました。昼過ぎに、岐阜市下奈良にある岐阜県福祉会館に石川県への派遣についての打ち合わせに行き、車を降りたら太陽の光が温かくて「春の陽気だ」と思うとまたまた「1月24日の雪は何だったのだ。」と思いました。

打ち合わせを終えて、先般もお世話になった大垣にあるレンタカーのお店で2月1日から第4班が派遣される車の手配を終え、本部施設に戻って車を降りて感じたのは「空気がひんやりだ」と言う事で、雪の融け方は大垣や岐阜とは違うなと言う事でした。私がこんなに寒暖差を感じるのは、行動的に動いているのと私が住んでいる今須は山間地で気温が上がらないエリアだと思った次第です。但し、夏場は涼しいから、夏の事を思って今暫くは我慢我慢ですが「住めば都」と思う事にしています。だってリピーターの皆さん、私はプラス思考の人間ですから・・・。

小さい頃はヤセヤセで今はしっかり肉がついているわけは・・・。

 

体重を増やして肉を付けるのは今は簡単だと思っています。リピーターの皆さんだって簡単に答えがわかりますよね。答えは「暴飲暴食を続ける」と言う事です。早食いの習慣がついたのは26歳で児童養護施設の指導員になってからです。早食いがいけないのは同じだけの量を食べても満足感が無くて人一倍食べないと満足感が味わえなくなるからです。だから、どんどんと際限無く体重が増えてしまうのです。年末年始は少し体調を崩していて、食欲もなかったので、3キログラム以上体重が減りました。しかしながら最近は体調も戻り、少しオーバーワーク気味だったので家で大好きな冷酒を飲んだ時には異常な位に食欲が湧いてあっと言う間に体重が元通り以上に増えてしまいました。「わかっちゃいるけどやめられない。」と歌っていた植木等さん状態です。そんな事を考えているときにふと、小さいときの私の事を思い出しています。正直、小さいときは食べる事に執着がなくて、食べるのもゆっくりで、食べている時に眠ってしまうのも度々で・・・。但し、末っ子の長男だったので、好きな食べ物を残していても誰かに食べられる事はありませんでした。

本日は午後から野田聖子衆議院議員の新春互礼会が岐阜市内のホテルであり、午後6時からは彦根東福寺で護摩供養があり、家に帰っての夕食では遅くなるので岐阜から彦根に向かう途中のコンビニでフランクフルト1本、おにぎり2個、サンドイッチ1袋とお茶を購入して車の中で全て食べても満足感は一向になくて「これじゃ、体に良いことないよ。わかっちゃいるけどやめられない。」状態です。小さいときの状態の半分でも残っていればと思うばかりです。さて、彦根東福寺での護摩供養は今年最初の事だったためか静慈彰住職(静慈圓前官大僧正の次男さん)の気合いの入れようは半端無くて素敵なお参りになりましたので、今年は素敵な事がある予感です。但し、1月1日に起きた能登地方での地震による支援をしっかりとして、落ち着きを取り戻してから自分の為、社会福祉法人杉和会の為のお願いをしようと考えています。リピーターの皆さん。本日は20時過ぎに我が家に帰ってコラムは白紙状態で始めたので随分内容の無いものになりましたが、長い人生こういう日もあるよとの寛大な気持ちでお許し下さい。

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石川県能登地方支援隊からの報告

支援隊が昨日帰ってくる事はわかっていましたが雪による影響を心配していたのですが17時前に2チーム共に盲養護老人ホーム「優・悠・邑    和(なごみ)」まで帰って来たのでホッとしながら被災地の状況を隊員から聞く事が出来ましたのでリピーターの皆さんに情報共有をさせて頂きます。

第一チームは珠洲市にある長寿園の支援に入ったのですが、本来であれば定員が百人なのですが金沢の方の避難所に移動されており、残っている20人の方のお世話と共に職員が少なくなっていて出来ていない居室の掃除やベッドの掃除等を積極的に実施したとの事です。最近のコラムでも書きますしたが、珠洲市の考え方は入居者さんを通常の生活が出来る場所に順次避難所に移動させる避難対応型です。

それに対して輪島市にあるゆきわりそうはいわゆる籠城型で、ゆきわりそうの職員が疲弊している、あるいは退職して職員が少ないと言う事での支援です。但し、どちらの施設も電気は来ているが断水で給水には自衛隊の力を借りているのが現状です。そして、輪島市のゆきわりそうでは60人の入居者さんを2日に分けてほぼ3週間振りにお風呂に入って貰って入居者さんから大変喜んで貰えたとの報告に触れ、岐阜県から支援が出来たことを誇らしく思った次第です。

支援に行った隊員からの意見の中で「施設によって状況が違うので事前に情報を入れる事によって必要な物品は違うので、事前の情報は大切だ。」との事です。私なりに情報は派遣先の施設に連絡はしたものの不十分だったとの反省のもと、来週火曜日(30日)から追加で1チームの派遣依頼があったので、本日直接能登町の施設に連絡すると「土日に職員を休ませたいので土日の支援が欲しい。」との事だったので、火曜日からでは土日の日程にならないので、指示を頂いた全国老施協に連絡すると土曜日にも関わらず里中事務局長が対応して下さり、確認を取ってから連絡を頂いた結果、土日を挟むように2月1日からの出発でとの依頼を改めて頂きました。

その後直ぐにも各施設に連絡をしたかったのですが、本日は本部施設で13時30分から地元の方とジョイントカラオケが企画(月1回)されていたのでその対応をしてから(本日は黄色のドレスと赤のブレザーを着て頑張りました。)協力して頂く為の連絡を色んな施設にして、2月1日からのチーム構成の目処がたち安堵しました。

ホッとしたら、我が家の雪どけが出来ていない事を思いだし、急いで帰らせて貰い、しっかり1時間家の前の道路の雪どけをして、今はお風呂にゆったり浸かっています。文字通り「寸暇を惜しまず。」の1日でしたがリピーターの皆さんこの現象は心身共に充実しているからこそと感謝しています。蛇足の様になりましたが本日から5日間飛騨支部が金沢での支援に出掛けました。頑張ってくれる事を祈っています。なお、私は午前中に吉澤施設長と共にレンタカーの返却の対応もさせて頂きました。蛇足ついでに「ただ、旗を降っているだけの会長ではないですから、会員施設も協力して下さるのだと思っています。」

我が家の屋根から雪が

令和6年1月26日

朝、和合に向けて出勤するために玄関の戸を開けると屋根からの雪がドーンと落ちていて道路の向い側の車庫に行くまでに先ずは雪どけをして一汗かくことになりました。そして思ったのは「今回の雪は積もるのも早かったけど、屋根から落ちるのも早かったな。」と言う事です。屋根から雪は勢い良く落ちるので密度が重なるので、そこそこ重みが増しています。

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我が家の家の前の道路は県道なので除雪はしてあるのですが、大きな除雪車なので大きな塊を残して行くので、これまた大変です。朝は出勤前だったので、玄関前しかのけれなかったので、和合の施設から本部施設に向かう途中で一時間だけ我が家で途中下車をして雪どけをして15時ギリギリに本部施設に着き打ち合わせ対応をしました。

打ち合わせは一時間で終わると考えていたのですが意外に時間がかかり、16時25分に終わったので、直ぐに家に帰って雪どけの続きをしに家に帰ろうと考えていたところで珠洲市に派遣された吉澤施設長から「今米原を通過したので予定より早く施設に帰れそうです。」との連絡に、雪どけを後回しにして盲養護老人ホーム「優・悠・邑    和(なごみ)」に行き、無事に帰って来た労いを言いにいかねばと考えて施設に向かいました。

施設に着くと同じような時間に2班とも着いていたので荷物を降ろしてから会議室に集まって貰い、簡単に報告を聞き、それぞれに疲れていると思うので18時20分に解散をして急いで家に帰り玄関先の電気を頼りに雪どけを再開しました。頑張って雪どけをした甲斐がありかなり片付ける事が出来ました。

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雪どけは正直余分な仕事ではありますが、しなければ大変な事になるのでやるしかないのですが、全く生産性の無いものとつくづく思った次第です。本日はくたくたなのでリピーターの皆さん、ここだけでお許し下さい。

明日は石川県に派遣した記事をしっかり書きます。必ず読んで下さいね。

「シーパップ」が無いと熟睡出来ません

昨日は本部施設に行くどころか家にも帰れず、結局和合の施設のゲストルームで泊まることになったのですが、コンビニで買ったお弁当を食べながら大変な事に気が付きました。それは、私の体重が倍近くなり、首回りも36cmだったのが今は47cmのカッターシャツなので、首回りだけで10cm以上太くなった(とほほの話です。)訳で、喉の所にも「肉」が付いているので、いわゆる「無呼吸症候群」で呼吸が止まるのを防ぐ為に「シーパップ」と言う医療機器を装着して寝るのですが家に帰ることが出来なかったので当然ながら和合にはありません。もちろん車の中で寝るよりは温かい布団の中で眠る事が出来るのは良いのですが「シーパップ」が無いのは不安です。事実昨夜の眠りは浅かったと感じています。そんな中で、6時に起きて、施設の玄関先の雪どけをしてから、3フロアそれぞれに入居者さんの座ってみえるテーブルにご挨拶をさせて頂きました。入居者の皆さんはご挨拶をすると良い顔で応えて下さいました。その後は入居者さんと同じ朝食を頂きました。本日は時間に余裕があったので急遽では有りましたが2階と3階の皆さんとお経を唱えさせて貰いお話もしっかりとさせて頂きました。昼食を夜勤明けの北島部長と食べに行ったのですが行った先が一杯でお店で食べる事を諦めて、コンビニでおにぎりを買い車の中で食べました。その後は岐阜県福祉会館で13時30分から指導者向けの研修があり、13時過ぎに会場に行くと会長として挨拶をするように依頼を受けたので、挨拶は石川県能登地方襲った地震の支援に行っている状況を話しました。そして、私は昨日からきたきり雀状態で長靴にジャージのズボンに対する理由を話させて貰いました。15時40分に終了して、本日は迷うこと無く家を目指す事にしました。車に乗って直ぐにラジオを着けたら交通情報を聞く事が出来たのは良いのですが大垣の楽田から西は交通規制がされているとの情報。「冗談じゃない。楽田はもうすぐだぞ。」と思わず叫んでしまいました。但し、道路には雪は無いし「行けるところまで行くぞ」と進んで行くと楽田の交差点は楽々通過出来て進んで行くと今度は車のナビがうるさいくらい「右折してください。」と言うのですが、「まだまだ進める。」と言う事で垂井まで行くとラジオが「21号線の規制は全て解除されました。」との事です。「本日は私の勘が当たっていた。」と言う事で何の支障も無く家に着く事が出来ました。「本日はゆったりとお風呂に浸かって久々に大好きな冷酒を飲むことにしよう。そしてシーパップをつけて爆睡をしよう。」とお風呂前にコラムも書けたし「めでたし、めでたし。」リピーターの皆さんたまには良いですよね。

関ヶ原の雪は半端無い

関ヶ原の雪は半端無い

 

朝目が覚めた6時に外を窓越しに 見ると5cm位だったので、「天気予報で脅された割には大したことなかった。」と思って7時前のNHKの天気予報を見ながら朝食にしようと1階に下りてテレビを点けると天気予報で岐阜市内で14cmと言っているのを聞いて「風が強くて雪が東の方へ流れたので、風が治まったら関ヶ原に強く降るかも知れないな。」と思い朝食後の休憩を取らずに8時前に家を出て和合に向かいました。かなり強く吹雪いていたので時速30キロ位で走って、渋滞をする事無く垂井まで来て大垣に入りしばらくは走れたのですが、パタッと車が動かなくなり、20分程全く動かなくて、その後もジリジリとしか動かなかったので、Uターンをして、旧道を走る事にしました。この頃は吹雪いて前を見るのも大変な状態になり、ゆっくりと走りました。但し、ばたっと止まる事はなかったのですが、かなり大回りをしたので、10時過ぎにしか和合の施設に着きませんでした。情報によると関ヶ原がとんでもない状況になっていると聞いたので昼食のカレーライスを頂いた後、関ヶ原の本部施設に行く事にしました。国道21号線は渋滞をしていると考えて旧21号線を走る事にしました。後少しで垂井に差し掛かる信号手前で、全く動かなくなったので、左折をして養老方面から垂井を抜けて関ヶ原に行く事にしました。ところが、どの道も混んでいて、その度に迂回して、上石津町牧田まで来て、国道365号線が全く動いていなかったので旧道の生活道路に入り、途中まではすんなり行けたのですが、対向車でにっちもさっちも行かない状態で地元の方も多く出ていて下さり、地元の方から「このままでは何ともなら無いからUターンした方が良い。」と言われて、Uターンする事にしたのですが、その時は何人もの地元の方が誘導をして頂けたのは本当に有り難かったし、教訓として、「雪の時は狭い道には入ってはいけない。」と言う事です。再び国道に出たら、やはり全く動いていないので、車から降りて前のトラックの運転手に状況を聴くと「10時から百メートルも動いていない。」との事だったし、そのタイミングで交通情報が入り、関ヶ原を中心にして東西南北の道が交通止めになっているとの事で、本部施設に帰ることも家に帰ることも諦め和合の施設に泊まることにして、またまたUターンをして、しかも、かなり大回りをして和合施設の手前のコンビニでお弁当を買い、和合に着いたのが17時30分。正直、疲れました。

19時のNHKニュースのトップは関ヶ原で30キロの渋滞で大変な状況だと言っていたと言う報告を受け「私の判断は正しかった。」と考えていたら、本部施設の水野施設長から、国道21号線の渋滞の為に帰宅出来ない職員が多くいるとの事で年末に突いたお餅や頂き物のカップ麺や飲み物を提供するとの報告に、本部施設はコミュニティハウスやゲストルームなど、いざと言う時に泊まれるところがたくさんあり、今回は私は和合で一人お弁当を食べるのみで残念ですが、本来だと私が「合宿だ。」と言って災い転じてと行くのですが・・・。でも、違和感無く泊まってくれる事に感謝です。そして、もう一つ嬉しかったのは、関ヶ原の雪情報が全国ネットだったので、心配をして、連絡をしてくれた方が何人かあったのも感謝、感謝です。

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