しっかりとデイサービスの在り方について検討しました。

昨年6月から「トラピ」と言うコンサル会社にデイサービス「えりかの里」の今後の方向性や現状の改善点についてのコンサルをお願いしていて、本日は年度が変わってからの事業展開について、トラピの3人の方に本部施設施設まで来ていただき11時から15時過ぎまで話し合いを持ちました。えりかの 里の伊藤係長、谷田主任と水野施設長に理事長である私を加えて総勢7名での検討会です。

最初に理事長である私から今の現状と今後への方向性について語り、トラピの責任者である鎌田さん、計画立案者の山崎さん、そして、実際の指導に当たって貰っている斎藤さんにも適時指摘をして貰いながら進めて行きました。話しに熱が入り、気が付けば13時を回っていたので、今須唯一の喫茶店に電話をして、皆さんにランチを予約して効率よく時間の節約をして昼食を食べて貰いました。

ランチの内容が充実していたのを、大阪、東京、福岡とそれぞれから来ていただいた三人三様に内容を誉めて貰いながら「田舎は物価が安いのでお値打ち何です。」と話をして、再び本部施設に戻りました。

昼食後は理事長である私と水野施設長は会議に加わらず2人の職員の意見がしっかりと出るように配慮しました。デイサービス事業経営は全国的に厳しい状況がある中ではありますが、地域のニーズに応えながらも効率性を求めて行く必要性を理解した展開になるようにしていくように、最終的な方向性については2月末を目途にして、断続的に決めて行くことに決まりました。もちろん「決めて終わり」と言う事ではありません。決めた事を利用者さんとその家族に理解して頂ける様に努めていかなければいけないし、地域の理解を得ていかなければいけないので単純な作業では有りませんが本日の話し合いで行くべき方向性は見えて来たと思います。地域のニーズに応えつつも経営の視点も理解した展開でなければ行けません。

最近よく耳にする「持続可能な」展開をしていかないと「職員に霞を食べて頑張れ」と言うわけにはいきません。「えりかの里へ行くのが楽しみだ」と言って頂ける様に職員一同で頑張っていかなければいけない。そのためには職員の処遇も良くしていかなければいけないし、職員のスキルも上げていかなければいけない。やるべき事は山積みですが一つひとつクリアしていきたいと考えています。

リピーターの皆さん素敵なアイデアを宜しくお願い致します。

我が家の2匹の猫について語ります。

令和6年2月10日

20年頑張って生きてくれた我が家で初めての飼い猫「リット」が亡くなり、真っ白な「おもち」が我が家にやってきて、少し我が家が明るくなったのですが、ある日奥様かをり様が玄関の戸を開けた瞬間に家出をした時の奥様は真っ暗な状態が続き(但し、我が家に戻る半年の間に奥様はなかなかやろうとしなかった足の手術が出来たので結果往来なのですが)「限界だ」とのタイミングで飼い猫第一号のリットにそっくりの「まる」が我が家に来て、尚且つ半年近くみつからなかっなかった「おもち」がインターネット情報で「そっくりな猫が掲載されています。」との情報を得て、保護していただいていた家に受け取りに行ってから、我が家には2匹の猫がいるのです。2匹になった当初はお互いに警戒していて、あとから飼いだした「まる」が先住猫の様に振る舞っていて私的には「まるは可愛くない。」と思っていました。最も「おもち」も私には警戒心を持ったままですが。昨夜2階の自室に行く途中で「おもち」だけが寝ていたので「チュールをあげて仲良くなろう。」とチュールを持って来て、椅子に腰かけてチュールを「おもち」にあげようかと思ったら「まる」が忍者の如く私の前に現れたのです。私は仕方なく「まる」からチュールをあげる事にしました。半分くらい「まる」にあげてから「おもち」を見ると大人しく座って待っていたので、残り半分を「おもち」にあげました。その時「まる」も大人しくしていたので、このような状況ならこれからもチュールを2匹共にあげる事が出来るなと思った次第です。そして本日は朝から仲良く重なる様に寝ていたので、私は「ようやく若山家の住猫になれたな。」と思った次第です。2匹共に仲良く長生きをしてくれたらと思いましたし、これからもチュールを機会ある毎にあげたいと思います。と言うのは、チュールをあげるときだけ2匹共に大人しいので・・・。

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「朝から気分が良い事がありました。」

 

8時に家を出て和合の施設に向かっている時に垂井から大垣市に入る交差点の信号が赤だったので車を停めると右折するために停まっていたバスがあり、最後尾に座っていた子が私に向かって手を振っているように見えたので私も一生懸命に手を振るとガラス窓の曇りを手で綺麗にしてまたまた手を振ってくれたのです。そして、バスのガラス窓を開けてくれたのです。その時に信号が青に変わり車が動きだした時に私も車の窓ガラスをあけて「バイバイ」と言うと小学高学年くらいの女子だったと思うのですが「バイバイ」と手を振って応えてくれました。私にとっては爽やかな出来事でした。見知らぬ子がめっちゃ身近な存在になり爽やかな気分になった次第です。

我が家の2匹の猫について語ります。

令和6年2月10日

20年頑張って生きてくれた我が家で初めての飼い猫「リット」が亡くなり、真っ白な「おもち」が我が家にやってきて、少し我が家が明るくなったのですが、ある日奥様かをり様が玄関の戸を開けた瞬間に家出をした時の奥様は真っ暗な状態が続き(但し、我が家に戻る半年の間に奥様はなかなかやろうとしなかった足の手術が出来たので結果往来なのですが)「限界だ」とのタイミングで飼い猫第一号のリットにそっくりの「まる」が我が家に来て、尚且つ半年近くみつからなかっなかった「おもち」がインターネット情報で「そっくりな猫が掲載されています。」との情報を得て、保護していただいていた家に受け取りに行ってから、我が家には2匹の猫がいるのです。2匹になった当初はお互いに警戒していて、あとから飼いだした「まる」が先住猫の様に振る舞っていて、私的には「まるは可愛くない。」と思っていました。最も「おもち」も私には警戒心を持ったままですが。

昨夜2階の自室に行く途中で「おもち」だけが寝ていたので「チュールをあげて仲良くなろう。」とチュールを持って来て、椅子に腰かけてチュールを「おもち」にあげようかと思ったら「まる」が忍者の如く私の前に現れたのです。私は仕方なく「まる」からチュールをあげる事にしました。半分くらい「まる」にあげてから「おもち」を見ると大人しく座って待っていたので、残り半分を「おもち」にあげました。その時「まる」も大人しくしていたので、このような状況ならこれからもチュールを2匹共にあげる事が出来るなと思った次第です。そして本日は朝から仲良く重なる様に寝ていたので、私は「ようやく若山家の住猫になれたな。」と思った次第です。2匹共に仲良く長生きをしてくれたらと思いましたし、これからもチュールを機会ある毎にあげたいと思います。と言うのは、チュールをあげるときだけ2匹共に大人しいので・・・。

「朝から気分が良い事がありました。」

8時に家を出て和合の施設に向かっている時に、垂井から大垣市に入る交差点の信号が赤だったので車を停めると、右折するために停まっていたバスがあり、最後尾に座っていた子が私に向かって手を振っているように見えたので私も一生懸命に手を振ると、ガラス窓の曇りを手で綺麗にしてまたまた手を振ってくれたのです。そして、バスのガラス窓を開けてくれたのです。その時に信号が青に変わり車が動きだした時に私も車の窓ガラスをあけて「バイバイ」と言うと、小学高学年くらいの女子だったと思うのですが「バイバイ」と手を振って応えてくれました。私にとっては爽やかな出来事でした。見知らぬ子がめっちゃ身近な存在になり爽やかな気分になった次第です。

1月14日に京都三弘法に行った時の事です。

1月14日に京都三弘法に行った時の事です。

2023.2.9

「何を急に1ヶ月近く前の事をコラムに」と思われたリピーターの皆さんがおみえになられたかも知れません。実は京都三弘法に行った時の事をいずれコラムに 書こうと考えていたのですが、有難い事に毎日毎日書く話題があったので今日に至ってしまいました。もう一つの理由は本日和合での会議で若い職員或いは外国の職員の指導が難しいとの話題が出たのも大きな理由だと思います。回りくどい前段になってしまいましたがそろそろ本題に入ります。京都三弘法の主宰は滋賀信行会青年部なのです。その為、それぞれのお寺でお経を本堂と大師堂で唱える時の導師は基本的には青年部の役員の方が担うのです。役員と言っても20代の方々です。そして参加者は殆どが経験豊かな方なのです。そんな中で事件が起きました。(そんな大袈裟な事では無いのですが。)仁和寺で本堂でのお参りを済ませて大師堂でのお参りの時です。本来であれば本堂でご本尊のご真言も唱えなければいけなかったのですが、若い役員の導師がご真言を飛ばしてしまったので大師堂でご真言を唱えたのです。私は「本堂で出来なかったので、律儀にも大師堂で追加したんだな。」と思っただけだったのですが、わざわざ青年部の責任者に「ご真言は本堂ですべきものだぞ。」と馬鹿丁寧に大きな声で指摘しているのです。私は若い役員の一生懸命さを失くすような事をわさわさ言わなくても良いのにと思いました。実は私にも苦い過去があるのです。それは、私と今の滋賀信行会の内藤会長が大学時代に総勢50名の責任者で先達の様にして行った時に私も導師を勤めさせて貰い、お経を間違えたら超ベテランの方に鐘と拍子木を奪われて次からは導師をさせて貰えなかった苦い過去があるからです。

若い者は失敗をしながらも成長していくもの。永い目で育てていかなければと言うお話です。本日は殆んどガラケーの携帯で打っていたのを一瞬の操作ミスで消してしまったので動揺を隠せなくて言いたいことだけを書きました。昨日同様ご容赦下さい。

聖人賢者にはなれない。

令和6年2月8日

本日は何故か自分の生き方について考えてみたくなりました。私の幼少期についてはこのコラムでも何度か書いてきました。そして、今の私の口癖は「生後半年で心臓が5分近く止まったので、その後の時間はおまけの様なもの。そんな中で自分の感性と出会いの中で今の自分が形成されたのだと思います。人間の顔は生まれた時は親の責任。しかしながら30歳になってからは自分の責任だと。26歳からの児童養護施設でのがむしゃらな展開によって、少しずつ自分の生き方を自分で決めれる様になってきました。しかしながら、児童養護施設での指導員としての展開では「わしがやらねば誰がやる」的なある意味「おごり」に近いものの中でうごめいた13年間だった様に考えています。

そして、「おごり」と「世間知らずの勘違い」により、児童養護施設の職を辞し、文字通り「自己責任の世界」に飛び込んだのが38歳の時です。今から考えても「無謀」な選択だったと思います。だって、「霞を食って生きて行くの」的な選択だったわけですから。但し、私的には「理想に燃えて」と言う事です。但し、現実はそんなに甘くはありませんでした。だから、私の理想に燃えたわがままに家族を巻き込んだのは、今も申し訳無く思っています。

何かをするときには、色んな方々が支援やアドバイスを頂けたのは本当に有り難かったです。私の展開の仕方は無欲から成り立っているので、かなりあぶなっかしいものがあったので、良くも悪くも今までやってこられたのが不思議なくらいです。もちろん、いつも上手くいくわけではありません。正直、自暴自棄になったり、この世と縁を切りたいと思った事もあります。そんな時には愚痴も出ますし、怒りを露わにした事も何も出来ないでいた事も度々です。「相手の身になって」を心掛けて色んな展開をしてきて今があります。但し、今も頑張れているのは、色んな方の支援や助言を頂けたからこそ。

「聖人賢者になれない。」と言うより、端的に言うと私は「凡人ですが、他の人より劣っていると思っているので、何事も120%で頑張ってきて今が有るのでは無いかと思っています。」正直今でもトラウマの様に覚えているのは、小学校5年の時の知能指数の評価が『99点』だった時に私は「標準点以下なんだ」と落ち込んだ事を覚えています。だからと言って特別な努力をした覚えはありません。リピーターの皆さんすみません。本日は私の心が乱れていて支離滅裂なコラムになってしまいました。連続コラム継続が出来た事だけでお許し下さい。

日曜劇場が面白い

令和6年2月7日

「VIVANNT」の大ヒットの番組から毎週日曜日の番組は録画予約をしてあって、疲れて寝てしまっても大丈夫な体制を取っていたのですが、現在放映している「さよならマエストロ~父と私のアパシオナート」と言う長いタイトルと私にとって聞きなれない言葉に、「格好をつけた番組に興味はない。」と決めつけて録画はしてあったのですが見ていなかったのですが、たまたま時間があり、再生してみたら私的に面白かったので4日放送分まで見ました。

そうなると11日の放送が楽しみになっています。本日は和合の施設で10時30分から1階でお参りを、12時40分からは先般フォーラムホテルでの懇親会で隣になった方が施設見学にきて下さり、その後13時30分からは2階のフロアでカラオケを実施して、終了後は本部施設で決済があったので本部施設に行き、その後は時間が空いたので日曜劇場のタイトルをインターネットで調べながらコラムを書く事にしました。先ずは「マエストロ」は「巨匠や大音楽家、指揮者など音楽・芸術分野において指導的立場の人や名人」との記載がありました。これについては番組の中でも主人公の事を「マエストロ」と呼んでいたので「多分、指揮者の事だろう。」とは思っていたので納得したのですが、「アパッシオナート」については「熱情的」との意味が書いてあったので余計に理解出来なくなりました。

と言う事は「番組をしっかり見て情熱的の意味を理解するしかないな」と思った次第です。今まで4回目まで録画で見たのですがここまでのところ、「どうして娘が父親をあれほど嫌っているのかがわからないのです。」ところどころで「5年前の出来事が原因だ」と言う事までは理解出来るのですが、その実態は蚊帳の中で分からないのです。多分5年前の出来事が起きるまでは父親の言う通りの優等生の天才バイオリン奏者だったのでは無いかと思っているのですがあくまで私の憶測です。VIVANNTでは毎回毎回予測不能の事ばかりだったのが心地よかったので、この番組もその様な展開であって欲しいと思っています。今は録画技術が進んで番組を見損なっても或いは興味あるものを何度も見る事が出来るのは嬉しいです。

私が中学生の時(57年前)に勉強が出来る女子生徒の中には自分で見る事が出来ない時に番組の話について行けないといけないと言う事で母親に見て貰い、ポイントを教えて貰うと言う離れ業のような事をしているのがいたな。その子は今は極普通の主婦になっていますが。ところで私は母親大事にされていたのでテレビの優先権を持っていたので、見たい番組を見逃す事は無かったように思います。リピーターの皆さん今日は気楽なコラムになってしまいましたがこんな日もあっても良いのでは無いかと思っています。

 

小噺を一席

令和6年2月6日

昨日無事に石川県能登町の派遣から帰って来たチームが借りていたレンタカーを(10人乗りのハイエース)、午前中に返しに行かなければいけなくて、レンタカーの店の近くがいつも私のガソリンを入れているセルフの店と言う事で行ったのです。

さてさて、ガソリンスタンドはいつもの所ですからスムーズに入ったのですが、車はいつものと違うので先ずは給油口の開け方がわからず戸惑いながら何とか運転席の周りにあるのをみつけてクリア。次が難問でした。給油口が空き給油キャップを開けようとしたのですが、右に回しても左に回しても開かないのです。そこで、車を返却した後本部施設に戻る為に私を乗せてくれる為に付いてきてくれた水野施設長がお店の中に入り女性店員を呼んで来てくれたのですが、その時にその女性店員が私を見るなり「何だ、男の方なの」と言われたので私は思わず心の中で「はいはい男の私が出来なくて悪うございましたね。」と思っているとオイルキャップを簡単に開けられたので、今度は私が「お姉さん、凄い力何だね。」と言うとお姉さんは「そんな事は有りませんよ。少しコツがいるんです。」と言われたので、私は今更ながら「今は男とか女とか関係ありませ~ん」と大きな声で言いたいところでした。(小噺になっていなかったですか。)

本日13時30分から労働局や法務局が入っている岐阜市の合同庁舎で会議が有るので、お昼ご飯を12時前に食べたのですが、出掛ける直前にばたばたと対応しなければいけない事が出来、気が付けば12時40分。と言う事で急遽関ケ原インターから高速に乗り大野・神戸インターまで走ったので時間が稼げたので会議が始まる直前に合同庁舎5階の会議室に入る事が出来ました。討議内容は「氷河期時代の方に対する就職支援」と言う事で労働局、ハローワーク、岐阜県商工労働部、県社協人材センター等のメンバーが集まっての会議でした。この会議に参加させて頂き「働きたいのに働けない方と、働き手を求めている側とのマッチングがいっていない現状があるな。」と思いました。また、無業の方が岐阜県にどの位おみえになるのかの実体は、国の人口比率での基準で割り出している現状に対して「申告主義の不充分性」について指摘させて頂きました。つまり最近よく耳にする言葉で「80―50問題」「90-60問題」です。80歳を超えて要介護状態になったりゴミ屋敷状態になり50歳、60歳の方が引き籠っている事が顕在化してくると言う問題。つまり、実態を明らかにして対応すべきと言う事もしっかり意見を言わせて頂きました。

15時前に会議が終了して、本部施設に帰る前に介護労働安定センターが合同庁舎近くにあるので寄らせて頂き、突然の訪問だったのですが支所長さんと結構な時間意見交換をして、本部施設に帰るとロボット・ICTの工事の打ち合わせをしていたので挨拶と最終的な工事日程の確認をして、今は18時40分でようやくコラムも完成しました。毎日色んな事があるのでコラムの題材には苦労しませんのでこれからも頑張ってコラムを書きますので、リピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

 

昨日の花魁道中の余波・・・。

令和6年2月5日

本日10時から岐阜県老施協常任理事会が開かれるので、昨日の花魁道中の写真と聖はじめ一座のパンフレットを準備して会に挑みました。また、移動中に姉の春子さんに(久々の登場です。)電話して昨日のコラムの感想等を聞くと、「よくあそこまでやれるな。」との感想だったので、私は「入居者さん利用者さんの為なら、例え火の中水の中で頑張ります。」と話をしてから、「私の花魁の時の写真は、誰かに似て無いか」と改めて聞くと春子さんの見解は「春吉おじいさんにそっくりだと思います。」との見解に私は正直がっかりしながら「秋江さんの面影はないか」と言うとまたまた「春吉爺さんにそっくりなの」とダメ出しをされたので、少しがっかりしながら「秋江さんは春吉爺さんの娘だから面影は有るはず。」と言って電話を切りました。正直、春子さんは父進さんに似ていると言われていたので、私が秋江さんに似ている事に嫉妬しているのかな・・・。

12時前に理事会が終わり、事前に準備した写真とパンフレットを出す前に事務局の方で昨日の私のコラムに掲載されていた写真を大きく映し出してくれて、昨日の花魁道中の話がし易くなり、ひとしきり昨日の話題で盛り上がりました。聖はじめ一座の内容は聖はじめさん自体プロの歌手であり、もう1人の女性の方もプロの歌手であり、ベリーダンスの女性のかたもプロであり、唯一花魁の2人はプロではありませんが、見る限りは花魁そのもの。この総勢5人の方が入れ替わり衣装を変えて登場されて花魁道中も入れて1時間30分たっぷりとして頂いたのですが、最後のアンコールによる「ふるさと」まで入居者さん利用者さんはしっかり楽しまれました。当然ながらプロの方がたですから多少の出演料はいりますが、私はあれだけ入居者さん利用者さんが楽しんで貰えたので私的には「お値打ち」と考えて、「他の施設でも楽しんで貰えたら」との思いで写真とパンフレットを持参したわけです。役員の方々はそれぞれに興味を示して下さり、「若山会長に言ったら手配して貰えますか」と聞かれたので「それでも構いませんが、聖はじめさんの携帯番号を教えても良いと了解を頂いているので教えます。」と番号を言うと、皆さんしっかりメモして下さいました。役員の中にはイベントの時にお願いしたい。との意見も出ました。私は今までにも良いご縁を頂いた時には出し惜しみなく紹介してきたのですがこのスタンスはこれからも続けていきたいと考えています。

 

今は12時20分で未知の世界にドキドキです・・・。

令和6年2月4日

11時25分、聖一座のメンバー2人がみえて、会議室にご案内をすると黙々と化粧に取り掛かられて、11時40分に座長である聖はじめさんがみえて、しばらくしてから打ち合わせをさせて頂きました。その時に聖はじめさんから「理事長のお化粧は13時からにしましょう。」と言われてから「本当に花魁の姿になるのか。」と高揚感が高まりました。(直ぐに、その気になるスイッチが入るのは自画自賛です。)私の出番は企画の中盤で花魁道中の時に恐れ多くも花魁の中心になるとの打ち合わせに若干の動揺はありますが堂々とやり切りたいと考えています。

その為には「成り切る事」が肝要だとも考えています。リピーターの皆さんにお断りですが私は決して「目立ちたい」のではなくて、入居者さん利用者さんに喜んで貰いたいからです。昔から言いますよね「笑う門には福来る」と。私の想いに賛同してくれた男子職員2人がドレスを着て参加してくれるとの事で嬉しい限りです。13時から化粧に取り掛かる前にカツラが上手く被れる様に頭にテープを巻いて貰うのですが結構きつく巻かれるのです。そして化粧をして貰うのですが、本格的な化粧は初めてなのでやって頂く一つひとつが新鮮でドキドキしたものです。

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化粧の後は着物を着付けて貰い正直「重い」と思いました。13時40分に開始するので「いよいよ出番だ。でもまだカツラを被っていない。」と焦ったので聖座長に聞くと「開始して30分後に出番ですよ。」と言われて「これから30分待つのか」と思った次第です。30分の間に聖さんの歌に合わせて本格的な花魁2人が踊られたり、ベリーダンスに合わせてプロの歌手が歌われたりと入れ替わり立ち代わり衣装を替えて披露されるのを控室になっている会議室で感心しながら見ていました。

私が中心になっての花魁道中が近づいてきて座長にカツラをつけて貰いました。改めて「カツラは重い。」と思いました。着物を引きずっての花魁道中で歩くのは大変でしたが何とか中央まで進む事が出来て予定には無いご挨拶をさせて頂きました。当然私の第一声は「私綺麗ですか」から始めました。その時入居者さん利用者さんが大きく手を叩いて下さったので、改めて入居者さん利用者さんの優しさと頓智の上手さを感じました。その後もショーが続き、最後に出演者全員を座長さんが紹介される時に私の事を「ひろ奴姉さん」との紹介で会場が盛り上がって下さったのも有難かったです。

その後アンコールコールがあり、皆さんで童謡唱歌である「ふるさと」を合唱したのですが私は入居者さん利用者さんの席に行き一人ひとりに挨拶をして回ると「理事長さん綺麗やよ」との声に頓智の効く入居者さん利用者さんが多くみえて有難いと思った次第です。これからも素敵な笑顔でいて頂く為に頑張っていきたいと思います。でも、終わっての感想は良かったと言う事ですが正直疲れました。

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朝起きようとしたら・・・。

朝起きようとしたら身体中が鉛の様に重いのです。腰辺りは鉄の腹巻きをしているようで、足は鉄の鎖を付けているようで、頭もヘッドギアをしているように重いし、とにかく最悪でした。「何でだろう」と考えていてふと思い当たるのは1月24日に関ヶ原を中心に襲ったゲリラ雪で当日は2時間近くかかって和合の施設に行き、本部施設が心配だからと12時30分に和合の施設を出て渋滞に巻き込まれては道を変えて最終的には本部施設どころか家にも着かずに結局17時30分に和合の施設に戻り、和合の施設に泊まり、次の日には朝6時に目覚めて施設の玄関先の雪をどけ、「我が家の雪もどけなければ」との思いで和合の施設を15時30分に出て我が家の屋根から落ちた(例年の雪とは違い早くに屋根から落ちました。)重い雪を川に捨てる作業をして、翌日も家の前の道路を拡げる為(車がすれ違いが出来る様に)雪解けをしたのです。

24日は雪の中をトータル7時間運転して、25日と26日には雪解けをしたのが今になって体の変調になっているとしたら無理をしてから1週間が経過していると言う事ですからトホホの話しです。だって若い時には体にダメージがあった時は直ぐに体が痛くなると言うから。1週間後の変調は正に「歳・年・とし・トシ」と言う事でしょ。

明日は私自身が花魁にならなければいけないのに大丈夫なのかと一抹の不安があります。と言うのは、昨年の暮れにかつらあわせをした時に頭がフラフラする位にかつらが重かったし、その時にかつらあわせをして下さった聖はじめさんの話では「まだまた飾り物を付けるのでまだまだ重くなりますよ。」との事だったし。

少し話がずれますがお付き合いで会食をしたときなどは苦手な食べ物が出た時にも美味しそうに食べながら呑み込む芸当が出来るのです。その真骨頂が私よりはるかに格上の方達とフランスに行った時に「若山さんエスカルゴ美味しいから食べなさい。」と言われて目の前に出てきたのはどう見てもカタツムリです。私は唾を一杯溜めて飲み込んだのを今も鮮明に覚えています。何が言いたいかと言うとそんな時には嫌な顔をしない対応が出来ると言う事です。だから、きっと明日は重いかつらも衣装もしっかり着てお化粧もバッチリして貰う事になると思います。そして、入居者さんの驚きと笑顔が見られる事を今から楽しみにしています。

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