朝早くからバタバタです。

本日は午後2時から全国老人福祉施設協議会の広報委員会があり、今夜は東京で宿泊して明日は午前に全国社会福祉協議会の地域ネットワーク会議が、午後からは全国老人福祉施設協議会の役員会があり、完全に二日間東京にいなければいけないので、朝早くから幹部職員との新規施設の備品入札の指名業者の選定の為の打ち合わせをして10時前に岐阜羽島まで送ってもらい今は新幹線の列車の中。
今朝も4時に目が覚め、今後の新規事業の流れと体制を考えたり、インフルエンザの流行を窓際で防ぐ体制等を考えていると、そのまま朝になり……。うーん、60歳を迎えてこの忙しさは嘆くべきか喜ぶべきか。
ただ一つ最近ホッとしていることがあります。それは、予定が空いている限り精力的に面接会を実施した結果パート希望者も含めてですが90人もの職員を確保出来た事です。
介護・看護人材が集まらない状況の中、これだけ確保する事が出来たのは職員の頑張りの評価であったり、ホームページの年間アクセス数が40万件を越えたり、新聞折り込みの内容検討に3ヶ月もかけて評判の良い物を作成したり、学校へのお願いを精力的にした結果なのか……。
とにかくホッとしてます。

しかしながらまだまだしなければいけないことが山積していて、施設長室の片付けはいつの事やら……。あいからわず、自分の事は後回しの人生…。うーん、私がゆっくり自分の整理をするのは灰になってからかな……。うーん、これも人生か!?でも、何もない人生よりは何百倍も幸せ何だと思っています。そこで、「時間は作るもの」と言う言葉を念仏のように唱えてこれからも頑張りますのでこれからもよろしくお願いいたします。

中村会長、それはないでしょう。

最近私の耳に入ってきた事ですが、中村会長が昨年の6月に滋賀県彦根市で開催されたタウンミーティングが行われたときの出来事なのですが、タウンミーティングが終了しその後懇親会に引き続いての二次会に中村会長をお連れして、どうしてもその日の内に徳島に帰らなければいけないと言う事で、当法人の職員である吉田に運転をさせ米原駅までお送りする折りの出来事を今になって吉田が語った事を人伝に聞いた事を書きます。

その夜は激しく雨が降っていたのですが、駐車場の出口に料金所があり、中村会長が車に乗ると同時に私が出口の料金所へ脱兎の如く走っていき、中村会長が乗られている車を待たせる事なくゲートを通過させた時に中村会長が職員の吉田に対して「あれが裏表なく頑張れる施設長の姿だ。お前もしっかり目に焼き付けておけ」との話でした。私はその話を副施設長から聞いた時に胸が熱くなり込み上げるものがありました。(実は今も涙しています。)さりげない所作を見逃す事なく我が法人の職員にまで語って下さっているのに私には馬鹿じゃ、とろくさいの連発だったのに…。これからの私の動きも天国で見守っていて下さい。

福島にて

10月1日から福島県へ当法人を代表してボランティアとして出向している伊藤係長を励ます為に出向先の双葉郡広野町に行くため昨日岐阜羽島を9時11分発の新幹線に乗り東京へ。
乗り換えの為に山手線で上野駅まで行き、新幹線の改札口を目指して歩いて行くと目指す列車の案内掲示がない!駅員の方に12時発の「スーパーひたちの掲示がないのですが」と聞くと「スーパーひたちは新幹線ではありませんので、あの機関車の所を右に行って下さい」と言われて唖然!!
新幹線ではなかった事を知らなかった私は久しぶりに赤面状態。無事にいわきにつき取り敢えずホテルに荷物を置いて広野町にある花ぶさ苑に行こうと考えて改札口を出るときに広野行きの列車時間を確認すると、4時過ぎまでないとの事。ちなみに列車時刻を確認すると5分前には出たばかりだと親切に教えて頂いたが、時刻を決められる方の不親切な事はこの上無い!4時過ぎまで待っていては何のために来たのか分からなくなるのでホテルからタクシーを呼んで頂き花ぶさ苑に行く事に。
40分程で施設に着くと玄関先で伊藤係長だけでなく高野施設長を筆頭にして事務所の職員の方のお出迎えを受け会議室で高野施設長さんから震災時の状況をお伺いしてたいへんだった事と今も全く厳しい状況は変わっていなくて、行政側のちぐはぐな対応が伝わって来ました。
その一つの現象が施設に面した所に仮設住宅があり、殆どが空いているとの事。ボランティアで出向している伊藤係長は毎日最低40分かけていわきから通っているとの事!?うーん、何とか有効利用が出来んもんかな…。
また、行政が決めた原発20キロ圏内と30キロ圏内での対応の違い。現場の状況を理解して決めているのかと腹立たしい思いを福島県に来て初めて味会う気がしたと共に申し訳ない気持ちになりました。
高野施設長さんからの話を聞いて、同じ仲間として私自身何が出来るか懸命に考えて実践していかねばと、帰りの列車の中でメールを打ちながら思っています。
昨夜は伊藤係長の慰安を兼ねていわきの駅前の居酒屋で食事をして歌が歌える店をと飛び込んだ店が70歳になる女性の方が一人でされている店に入ったのですが、そこでも、生々しい話を聞きました。
避難所で三日間過ごしたが食べ物にも事欠いた話にも縦割り行政と現地を理解しない上から目線に怒りを覚えたが、一番印象的だったのは三日目に自分の店の確認に行き店は大丈夫でほっとはしたが駅前に全く車もなく人がいないのにはびっくりしたとの事。
うーん、いっぱいいっぱいやらなければいけない事があるな。先ずは、この大変な状況を全国老人福祉協議会の同士に伝え、震災時の思いを風化させてはいけないと改めて訴えて行きたい。文字通り百聞は一見に如かず!微力ながら私なりに頑張っていきますので高野施設長さんを初め花ぶさ苑の皆さん頑張って下さい。そして、私達で出来る事をこれからも教えて下さい。

本日から2日間福島です

10月1日から2ヶ月間のお約束で当法人の係長が施設スタッフのボランティアとして福島県の施設で頑張っているので、激励の為に今は新幹線に乗っています。それなりに、当施設でも頑張っている職員ですが慣れない土地で施設の代表として頑張っているわけで、出発前には良い勉強になるから頑張ってこいと言ったままで…。弱音もはかず頑張っている職員と久しぶりにお酒を酌み交わしながら話が出来るのを楽しみにしています。

1ヶ月以上全く彼の事を考えなかったわけではありませんが、本当にバタバタの1ヶ月でした。昨日、理事会、評議員会が無事に終わり、新規事業の職員確保の目処がたった報告ができ、ゆったりした気分で携帯に向かいながら原稿を打っている次第です。本日から2日間は福島県の震災後の状況を見ての報告もしっかり出来るようにしたいと考えています。

昨日まで3日間和歌山市で全国老人福祉施設大会があり、本日は・・・

昨日まで3日間和歌山市で全国老人福祉施設大会があり、本日は全社協の地域ネットワーク検討会の会議が10時からと言う事で今は新幹線の中で原稿を打ってます
7月31日に中村常任顧問・参議院議員が亡くなられて初めての全国大会だったのですが二千四百余の参加者で盛大に行われました。私は正直、甲高い声で自信たっぷりのオーバーアクションで話して頂いた中村常任顧問がみえないのは寂しい限りですが、和歌山県老人福祉施設協議会小林会長、全国老人福祉施設協議会松本副会長を初め地元スタッフの方の努力により成功出来たことは素晴らしかったと思います。私自身はプログラムが進むにつれ、当法人の進むべき方向性が明確になると共により引き締まった舵取りをしていかないと大変な事になるなと言う気持ちになった大会でした。そんな中で福岡県で九十年の歴史を誇る法人の理事長であり、昭和の最後の年にアメリカ研修にご一緒させて貰った同士でもある花田先生と親しく旧交を温める事が出来たのは大変嬉しかったです。原稿を打ちながら、昨日のシンポジウムの中で淑徳大学教授の結城先生が「施設ケアと在宅ケアは車の両輪」の言葉を胆に銘じて、或いは社会福祉法人の使命は地域貢献だと言う事をより理解して、本日の検討会に臨みたいと考えています。

蘊蓄ある言葉を新幹線の書籍「ウェッジ」の中で見つけたので紹介します。

新刊の紹介で「Q・次の2つから生きたい人生を選びなさい」の著者の中の言葉で「あら探しをする」のか「いいことを探す」のか。「先延ばしにする」のか。どちらが良いかが明確な2択形式で進む本文からは「分かっているだけでは不十分、その選択を行動することが大切」と言うメッセージが伝わってくる。日々の小さな選択が、人生に大きな違いを生むとすれは、ありきたりな日常はチャンスの宝庫かもしれない。と言うものです。人生の中での大きな分枝点も日常での生き方によると考えた時、何事にも精一杯の悔いのない選択をすべきだと言う事を再認識しました。

昨日、岐阜放送で当施設の紹介をして頂いたのですが・・・。

施設の外観、事業所内保育所、職員アパート、食事風景、トランスファーテクニック、研修風景、私のインタビュー等々と順調に画面が映り、ルンルン気分で『改めて見ると自分の顔がでかいな』等と思いながら最後の場面になって頭が真っ白になりました。それは、デイサービスの新人職員が手引き歩行をしていたからです。杉和会が全国発信しているトランスファーテクニックは一体何だったのか。虚しさと悔しさの中、長い一夜が経過し、朝一番にデイサービスの打ち合わせで何故手引き歩行がいけないのか、新人教育の必要性と、気が付いた職員が即指摘する体制の重要性を話しすると共に理事長名で「手引き歩行禁止」の緊急通告を出しました。勿論何故手引き歩行がいけないかの理由は幹部職員が説明するようにとの但し書きをつけてです。

言い続けてきたつもりで、幹部職員を信じて頑張らせてきたのに・・・。少し落ち着いて思考できるようになった今、やっぱり阿修羅の如く還暦の身を鞭打って頑張らなければいけないのでしょうか・・・。

25年度下半期がスタートです!

社会福祉法人杉和会にとって大切な位置付けになる半年だととらえています。何故ならば来年4月に大垣市和合に新規事業が開設される為の体制を待ったなしで構築しなければいけないからです。今でも完璧な組織になっていないのに幹部職員を中心にして二つに分けなければいけないことの不安は計り知れないものがあるからです。全体会等ではアメーバ方式で頑張るんだと力説してはいますが、果たして上手くいくのか?正直不安が大きく、朝早く目覚めてブログの紙面で不安解消の根拠を探るべく原稿を打っている次第です。①オムツゼロへの挑戦②トランスファーへの取り組み③認知症への取り組み④地域貢献への積極的な取り組み等「今日1日が楽しかったよ」を具体的に展開することの大切さを実践してきましたが、理事長である私の思いを職員一人ひとりがどこまで理解しているのか?私が危機感を持って声を張り上げた時には、それぞれの職員が素晴らしい働きをしてくれていることは理解していますが、果たして私の目が分散する状況になる来春迄に幹部職員を中心ににして独立した展開に持って行かなければと言う意味で大切だと言う事。今、当法人の職員に求め、この下半期で確立すべきは、継続性と記録の大切さを理解すること。それぞれに素晴らしい能力を持っているのでかならずや確立出来る。いや、成し得なければいけない。地域貢献を展開するためにも頑張って確立しなければならない!!あと半年で新規事業が開始される不安を勝手に書いてしまいましたがリピーターの皆さんごめんなさい。不安で不安で…。

本日、中村博彦元会長の惜別の会の為に今は新幹線の中です。

惜別の会を前にして、中村博彦元会長との事を語る事にします。
私が全国老施協の役員としてその当時の本部事務所があったTBRビルに行くようになったのは、平成18年8月8日に委員会が立ち上がったばかりの総務委員会幹事として行くようになってから。事務所があった二階に行きどの部屋に入って良いのかわからず、ウロウロしているとその当時の中村会長が大きな声で話をされながらこちらに向かって見える。私はおもわず金縛り状態!?そんな私に気が付かれた中村会長が優しく声をかけて下さりほっとしたのを今でも昨日の事のように覚えています。でも、優しかったのはその日だけ!!顔を真っ赤にして怒られた事は数知れず、アホじゃ馬鹿じゃとろくさいと言われるのは当たり前。何度か、「もう馬鹿馬鹿しいから役員辞めて帰ったろ」と事務所前でタクシーをひろい新幹線で横浜辺りになった頃、中村会長から私の携帯に電話が入り「今日は帰っても良いけど、これからも頼むぞ。」そんなこと言われるならぼろかすに言わなければ良いのにと私は思いながらも、律儀に本部に行き、またまたアホじゃ馬鹿じゃとろくさい。これは私に対する叱咤激励だと考え、自分が出来る事は精一杯やることにして、在宅委員会、研修委員会の幹事をさせて頂いたり、総括幹事として委員会を横断的にみさせて頂いたり。その中でも一番印象に残っているのは平成19年度の全国大会が出来ないかも知れないと言う話を幹部の皆さんでされている席に同席させて頂いた時に私が思わず「岐阜県でやります。」と口走った時に何度も何度も「本当に大丈夫か」と聞かれ「頑張ってやらせて頂きます。」うーん、今から考えてもよくそんな事を言ったなと思います。でも、中村会長のお困りの顔を見たらそう言わなければいけない。岐阜県の会長を初め皆さんにどんなに頭を下げてでも、やり遂げようと思ったものです。元気そうに見えた五月には私に「岐阜県の会長になれたのは偉いな」と声をかけて頂いたのが最後の思い出ですが、よーく考えてみると中村会長には最初と最後に優しく声をかけて貰ったわけで、起承転結が出来てモヤモヤの部分も有りますが、中村博彦元会長と言う大きな大きな大きな柱が無くなった
今は中村会長の教えを理解しながら、皆さんと力を合わせて全国老人福祉施設協議会を科学的介護の中核として私なりに支えて行きたいと思います。中村会長、これからも天国で見守りながら叱咤激励をよろしくお願いいたします。

『半沢直樹』から学ぶ

職員から「『半沢直樹』は今や国民的指示を得た番組ですから決してマニアックではありませんよ。」と言われたので、断わり無しに『半沢直樹』の9月15日の番組の中から学ぶべき言葉がありましたので書き示し、私なりのコメントをしたいと思います。その言葉とは、出向先の近藤さんが部下の課長に言った「社長の指示にイエスとしか言わなければ仕事は作業になってしまう。作業であればロボットでも出来る。」との下りです。ロボットには血が通っていません。つまり、血の通った仕事をする事の大切さを教えてくれているのだと思うし、『自分の主体』を持って仕事をする事の大切さも理解しました。但し、介護の仕事は必ず相手がある訳ですから相手の身になって行うものであることから、より高度な対応が求められる訳です。話題が飛んでしまって申し訳ありませんが、私が現役でいる間に『介護学』の確立が出来て、介護福祉士の専門性が認められ、社会的認知を高めていけたらと・・・。朝からでっかい夢を語ってしまいました。いやいや!『夢は実現するもの。』共感して頂ける同士の皆さんメッセージを下さい。

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