25年度下半期がスタートです!

社会福祉法人杉和会にとって大切な位置付けになる半年だととらえています。何故ならば来年4月に大垣市和合に新規事業が開設される為の体制を待ったなしで構築しなければいけないからです。今でも完璧な組織になっていないのに幹部職員を中心にして二つに分けなければいけないことの不安は計り知れないものがあるからです。全体会等ではアメーバ方式で頑張るんだと力説してはいますが、果たして上手くいくのか?正直不安が大きく、朝早く目覚めてブログの紙面で不安解消の根拠を探るべく原稿を打っている次第です。①オムツゼロへの挑戦②トランスファーへの取り組み③認知症への取り組み④地域貢献への積極的な取り組み等「今日1日が楽しかったよ」を具体的に展開することの大切さを実践してきましたが、理事長である私の思いを職員一人ひとりがどこまで理解しているのか?私が危機感を持って声を張り上げた時には、それぞれの職員が素晴らしい働きをしてくれていることは理解していますが、果たして私の目が分散する状況になる来春迄に幹部職員を中心ににして独立した展開に持って行かなければと言う意味で大切だと言う事。今、当法人の職員に求め、この下半期で確立すべきは、継続性と記録の大切さを理解すること。それぞれに素晴らしい能力を持っているのでかならずや確立出来る。いや、成し得なければいけない。地域貢献を展開するためにも頑張って確立しなければならない!!あと半年で新規事業が開始される不安を勝手に書いてしまいましたがリピーターの皆さんごめんなさい。不安で不安で…。

本日、中村博彦元会長の惜別の会の為に今は新幹線の中です。

惜別の会を前にして、中村博彦元会長との事を語る事にします。
私が全国老施協の役員としてその当時の本部事務所があったTBRビルに行くようになったのは、平成18年8月8日に委員会が立ち上がったばかりの総務委員会幹事として行くようになってから。事務所があった二階に行きどの部屋に入って良いのかわからず、ウロウロしているとその当時の中村会長が大きな声で話をされながらこちらに向かって見える。私はおもわず金縛り状態!?そんな私に気が付かれた中村会長が優しく声をかけて下さりほっとしたのを今でも昨日の事のように覚えています。でも、優しかったのはその日だけ!!顔を真っ赤にして怒られた事は数知れず、アホじゃ馬鹿じゃとろくさいと言われるのは当たり前。何度か、「もう馬鹿馬鹿しいから役員辞めて帰ったろ」と事務所前でタクシーをひろい新幹線で横浜辺りになった頃、中村会長から私の携帯に電話が入り「今日は帰っても良いけど、これからも頼むぞ。」そんなこと言われるならぼろかすに言わなければ良いのにと私は思いながらも、律儀に本部に行き、またまたアホじゃ馬鹿じゃとろくさい。これは私に対する叱咤激励だと考え、自分が出来る事は精一杯やることにして、在宅委員会、研修委員会の幹事をさせて頂いたり、総括幹事として委員会を横断的にみさせて頂いたり。その中でも一番印象に残っているのは平成19年度の全国大会が出来ないかも知れないと言う話を幹部の皆さんでされている席に同席させて頂いた時に私が思わず「岐阜県でやります。」と口走った時に何度も何度も「本当に大丈夫か」と聞かれ「頑張ってやらせて頂きます。」うーん、今から考えてもよくそんな事を言ったなと思います。でも、中村会長のお困りの顔を見たらそう言わなければいけない。岐阜県の会長を初め皆さんにどんなに頭を下げてでも、やり遂げようと思ったものです。元気そうに見えた五月には私に「岐阜県の会長になれたのは偉いな」と声をかけて頂いたのが最後の思い出ですが、よーく考えてみると中村会長には最初と最後に優しく声をかけて貰ったわけで、起承転結が出来てモヤモヤの部分も有りますが、中村博彦元会長と言う大きな大きな大きな柱が無くなった
今は中村会長の教えを理解しながら、皆さんと力を合わせて全国老人福祉施設協議会を科学的介護の中核として私なりに支えて行きたいと思います。中村会長、これからも天国で見守りながら叱咤激励をよろしくお願いいたします。

『半沢直樹』から学ぶ

職員から「『半沢直樹』は今や国民的指示を得た番組ですから決してマニアックではありませんよ。」と言われたので、断わり無しに『半沢直樹』の9月15日の番組の中から学ぶべき言葉がありましたので書き示し、私なりのコメントをしたいと思います。その言葉とは、出向先の近藤さんが部下の課長に言った「社長の指示にイエスとしか言わなければ仕事は作業になってしまう。作業であればロボットでも出来る。」との下りです。ロボットには血が通っていません。つまり、血の通った仕事をする事の大切さを教えてくれているのだと思うし、『自分の主体』を持って仕事をする事の大切さも理解しました。但し、介護の仕事は必ず相手がある訳ですから相手の身になって行うものであることから、より高度な対応が求められる訳です。話題が飛んでしまって申し訳ありませんが、私が現役でいる間に『介護学』の確立が出来て、介護福祉士の専門性が認められ、社会的認知を高めていけたらと・・・。朝からでっかい夢を語ってしまいました。いやいや!『夢は実現するもの。』共感して頂ける同士の皆さんメッセージを下さい。

昨日は岐阜県による施設監査が実施されました。

誰もがそうなのか、それとも、私だけの事なのか是非にご意見を頂きたいのですが、監査が午前9時30分から実施されると言う事なのに、施設長室も事務所の私の机の上も整理されていない状態で、日頃しっかりしておけば良いものを、自分の事は後回しになる私のスタンスの為で。「これではまずい」と目が覚めたのは午前5時。もう寝とれないと着替えをして施設へ。
事務室の電気が点いていないのに窓が空いているので、網戸を開けると、椅子がごそごそ動き宿直だった事務部長が起きてくる。
「こらこら、徹夜をしたのか。」
いつもコツコツと仕事をしている事務部長も自分の仕事がとことんだったのか。
施設内に入り、すぐに片付けに入れば良いものを、ますは施設内の見回りにいく私は何者!?夜勤者に気付いた事を指摘して、事務室に戻ろうと新館の一階のパブリックスペースのところまでくると、音楽がなっているわけでもないのに音がする。気になり夜勤者に聞くと「よくしてますよ」。おいおい、原因究明しなあかんやろ!!機械室などを確認してもよくわからない。
そこでメンテをお願いしている業者に連絡すると、「音については知っていて何度か探ってみたが原因はわからないままです。」と言うので、「そんな責任感のないことではいかんだろう」と言うと、直ぐに向かいます。結局緊急用の階段の通風口の網戸にホコリがたまり風が吹くと音楽を奏でているように聞こえたと言う事で一件落着。
しかしながら気が付けば7時30分。いつになったら自分の事が出来るの?それから、遮二無二片付けた片付けた!!ようやくきれいになったと思った瞬間、事務部長が「岐阜県の方も岩田先生もおみえになりました」の声。私は今まで遮二無二に片付けていたことなどなかったかのように駐車場へお迎えに。会議室に案内して、ご挨拶をして、しばらく私の方から施設のあらましや、今実施している事をお話させてもらい、その後施設内を案内してハード面の思いを説明しました。いよいよ書類確認。午後4時過ぎに指導講評を受け無事終了。
監査の日に幹部3人が実習指導者養成研修でいなかったので無事に終了したことを3人それぞれに携帯で伝え、これからの記録の持ち方を話して、次への体制が出来た状況で本日はまたまた、広報委員会の為に東京へ出張。何と充実した毎日か。
昨夜は父の祥月命日のお参りの後、お仏壇でお経をあげながら親父と久し振りに向かい合えたし、今日も頑張ります。

二日連続でJRに岐阜西駅から乗って名古屋に出かけました。

二日間共に最後尾に乗った関係上、車掌さんの動きがよく分かりましたので、当法人の職員に戒めを込めて感じたことを書く事にします。昨日は車掌室に男性2人と女性1人が見えたのですが、その内の女性の車掌さんの動きが気になりました。それは、どの様に見ても立ったまま寝ているように見えたからです。その時思い出しました。私も学生時代に二日続けての徹夜をした時、始発のバスを待ちながら立ったまま寝ていた事を。だから、余程その車掌さんは疲れてみえたのか、はたまた、業務が退屈だったのか。私の場合は、学生の気楽さと言う事で済むと思うのですが、プロとしては…。それに比べると、今日の車掌さんの対応は素晴らしかった。とにかく、確認の声が大きくてきびきびしていて気持ち良かった。しかも、車内での声掛けは適度な声で!!ウーン、この差は何なんだろう!?これは、職員教育だけではいかんともし難い仕事への姿勢かな?我が法人の職員は今日の車掌さんのような職員でいて貰いたいものです。※昨日の車掌さんは居眠りではなく目をつむられていただけかもしれません。でも、何もなくて当たり前の業務であっても注意を怠らないでいてください。乗車する者は対価を払って安全だと信じて列車に乗っているのですから。当法人の職員は常に全力投球で優しく接していると思っているのですが、もし違う職員がいたら改めて下さい。

一昨日に引き続き今日も東京出張です。

一昨日は全国の役員会で本日は月刊老施協の編集会議の為に東京へ出張です。大垣の和合の建設も順調で職員確保と体制作りの為に時間がない中での岐阜県の会長としての打ち合わせ等々…。時間は作るものと言う事で今をときめく半沢直樹が夜中に仕事をして大逆転したのであれば(マニアックな話題ですみません)私は朝早くの仕事をとばかりに宿直者の部長との打ち合わせと明日の理事会の準備をして岐阜羽島まで送って貰う間も24年度の収支報告が出来ていない施設に電話して。今は新幹線の中でブログの原稿を打っています。若い頃病弱だった私は病気になったら駄目だと言う事で活動的でなかった生活だった事を考えると、なんと充実した毎日か。これもひとえに健康であればこそ。健康に感謝してこれからも頑張りますので、リスナーの皆さんご意見や励ましの或いはお叱りの返事を待ってます〓

巨人軍が長野のサヨナラホームランでサヨナラ勝ちをした記事を見て思わずスポーツ報知を買いました。

記事の中で「部長に怒られたら200ポイント運がたまる」と言う大きな見出しがあったので読んで見ると萩本欽一さんが書かれた本の紹介でした。サブタイトルは「ダメなときほど運はたまる」とあり、中身を読むと「運だけで生きてきたと自称する萩本さんは、つらいことや苦労することがやってきた時、確実に運がたまっているのに、みんな愚痴をこぼしたり、ヤケになって運を使っちゃう」と紹介しています。なかなか蘊蓄のある欽ちゃんだから言える言葉だなと思いながら、私自身思い当たる事があります。それは色々な方から「若山さんはそこまでブラス思考で羨ましい」と。でも、私だって落ち込む時もあれば一寸先も見えなくて布団から抜け出せなくて、嫁さんが然り気無く枕元におにぎりもお茶を置いてくれた事も何度かあったんですよ。でも、いつまでも自分が蒔いた種を刈らないわけにはいかないので奮い立って頑張ってピンチをチャンスにかえてきただけ。ウーン、新幹線の中では思った事を上手く書けないので、改めて朝一で続編を書きますが少しでも私の思いが伝わったら嬉しいのですが

「映画「「ふるさと」」公開30周年 原作者ら思いで話に花」の記事をを見て、ビックリしたこと

「ふるさと」と言う映画は1983年(約30年前)に公開された旧徳山村(ダムで沈んだ村)を舞台にした映画で、原作者は同村出身の平方浩介さんなのですが、その記事を見てビックリした事を書きます。
時代は1979年にさかのぼるのですが、折角採用された教員の職を辞し、父親から実質的に勘当され(?)徳山村で民宿をされていて、インスタントカメラでバカバカ写真を撮り、写真集を何冊も出された徳山村の語りべの増山たづ子さんの民宿でお客さんの食事をつくると言う事で居候を決め込み、5ヶ月間お世話になった時に、学校の先生をされていて、増山さんの甥にあたる平方浩介先生は一緒にお酒を頂いている時に、(当時私は26歳)徳山村の行く末について熱く語られていたのを昨日のことのように覚えています。そして早朝にその記事の中の平方先生の写真を見て、全然変わられてないなと思ったのに時間は34年も経過している。そして驚いたのは平方先生の年齢が77歳と書いてあり、私と17歳しか違わない事に驚きました。計算してみるとその当時の平方先生は43歳!
とにかく、平方先生の若々しい写真を見て朝から嬉しかったし、大垣で「ふるさと」が上映されるとの事。是非その節は再会して親しくお話ができたらと今から楽しみにしています。

我が法人の職員は本当に頑張ってくれて有り難い

8月3は夏祭りの準備に多くの職員がきてくれて正に準備万端。4日は夏祭り本番で地元の中学生が8名、さくら高校の生徒が1名、中部学院大学の学生が2名、その他日頃お世話になっている業者関係の方も大勢準備に来てくださり感謝感謝。日赤ボランティアの方が8名着付けの為に3時に来てくださり一気に夏祭り〓5時半からの開会式には棚橋衆議院議員の代理で藤田秘書が来てくださり、そのほか藤墳県会議員に西脇町長、中川町議会議長、山根自治会長を始め大勢の来賓の方が。そして50組からの家族の方が。とにかく、総勢700人を超す参加者。あいにく6時過ぎに雷を伴う雨に見舞われたが、それにもめげすパフォーマンスをしてくださった高垣さんのガッツで参加者の方も帰られることもなく無事に終り、片付けもあっと言う間に終り黒子に徹してくれた職員に感謝〓5日の片付けも頑張ってくれたおかげで6日の今日は安心して東京本部で開催される広報委員会に参加出来る幸せ〓腰が痛いしバテバテ等とは言っておれない!?これからも頑張っていきますので、改めて応援宜しくお願いいたします。

ショックです

昨夜は全国老人福祉施設協議会の石川会長が名古屋でお泊まりになったので、ご一緒させて頂きましたが、朝から仕事のお約束をしていたので名古屋からの列車に飛び乗り、何の気なしに掲示してある物を見て、おもわずショック〓それは外国語レッスンのECCのレッスンの中に英語がない。日本語しかしゃべれない私は何者!!

1 277 278 279 280 281 282 283 284 285 294