夏祭りに多くの参加を頂いた事に感謝すると共に・・・

夏祭りに多くの参加を頂いた事に感謝すると共に準備から片付けまできっちりしてくれた職員及びボランティアに感謝。

いつもの口癖である「継続は力なり」を現実のものにした夏祭りになった事にまずは感謝申し上げます。当日は朝からどんより曇り空で今にも降りそうな天気でしたので朝一で屋根から駐車場のフェンスにかけて大きなブルーシートを設置する作業から始まった夏祭りでしたが、皆さんの熱気に押されたのか雨も降らずに無事終了する事が出来ました。参加者は700人を超え、模擬店の種類と数量の多さには驚きと感謝です。ちなみに、ネギマは1300本、焼そばは800食。これは蓄積と地域の方々のご理解とご協力の賜物と言う事で感謝感謝です。地域に根ざした施設の展開が形になりつつあると言う事で、これからも地域に愛される施設にするべく努力を職員共々していきたいと思いますので、これからも宜しくお願いいたします。

 

介護福祉士資格が合格し・・・

介護福祉士資格が合格し、インドネシアへ一時帰国し現地で結婚式を挙げ再び杉和会に帰ってきたシスカの旦那さんが関ヶ原にやって来ました。

シスカの旦那さんはかつて研修生として3年間茨城にいたことがあるので、日本語はある程度出来るのですが、制度的な事をしっかり理解出来ていないようなので、ジクウェルズに連絡して制度的な資料をメールで送って貰ったり、新居となるアパートの改修や電化製品の手配をしたりしておいたアパートへの荷物の搬入の指示を事務部長にしたりと、結構手間はかかりましたが、シスカはいずれ杉和会の中心的役割を担える人材と思っているので対応しました。介護人材枯渇時代を嘆いていても何も解決しないのですから、このようなアクションこそ大事だと自画自賛のお話でした…。

 

EPA介護福祉士候補生の面接会にジャカルタまで行って来ました

バタバタしていて帰国して1週間が経過した今報告するのは恐縮ですが、余りにインパクトの強いものでしたので敢えて報告します。8月31日関西国際空港を12時発のジャカルタ直行便に乗る為にナビでは3時間かかると言うことなので施設を7時に出て、順調に行けたので、出発3時間前に着き、余裕を持って出国の手続きが出来、7時間の飛行機の旅を楽しみ、ジャカルタに無事に着き、到着ロビーにかつて杉和会の職員だったアミンとアミンの奥さんのおで向かいを受け、ここで先ずはほっとしました。何故なら入国手続きは、何も悪いことをしているわけでもないし、すんなり行ったのですが、何と言っても日本語が通じないから……。アミンの案内で車に乗り1時間でホテルに着き、チェックインして部屋でお風呂に入り少し体を休ませホテル内で食事を済ませ夜はぐっすり眠りまして爽やかな朝の食事は日本から持ってきたのり瓶と梅干し。うーん何とヘルシー。その後9時開始で16時30分までの面接会に挑んだのですが、通訳は気心がわかっているアミンなので安心。(結果的にはアミンの奥さんも大活躍)4人1組で約20分ずつの面接。どの組の候補生も、実に良い目をしていて驚かされるのは日本語を学びだして1月、2月と言う事なのに片言とは言え話が出来る。勿論具体的な話になるとアミンが通訳してのものだけれども。とにかく、日本に来て一生懸命頑張りたいとアピール。うーん、今の日本人にこれ程のアピールが出来る者がいるのかと…。正直、15時位になって疲れを感じましたがそれぞれに目を輝かして席に着くので、こちらも手を抜くわけにいかず…。次の日も同じパターンでその日の夜に飛行機に乗って帰るわけで、一体ジャカルタらしいものはなんだったのかとなるのはいかにも虚しいので、面接会終了時にアミンにインドネシア料理をゆっくり味わえる所をホテルのフロントで確認するように話にしたところ、タクシーで10分程の所に宮廷料理を食べさせてくれるところがあると言うので、タクシーに乗りびっくり〓。バイクや車がうじゃうじゃ…。特にバイクの多さと渋滞と道の悪さにびっくりした。でも、雰囲気のあるお洒落な建物に案内され満足し料理を頼むと館内を案内してくれて、行くとこ行くとこ凄い美術品や装飾品に楽器があり、ブラボー!!席に戻ると料理が来ていて、肉料理が中心だったので赤ワインを頼み、料理も赤ワインも最高。これでジャカルタ観光は必要なし。満足して部屋でぐっすり眠り、またまた9時からの面接会に挑み、前日同様、素晴らしい人材ばかりで…。全員杉和会の職員にしたいくらい。来年、上手くマッチングが出来て、いずれ杉和会の中核になってくれれば。無事に二日間の面接会を終え、夜中の飛行機で翌朝の8時過ぎに関西国際空港に着き、施設まで車を運転して、その後も仕事をしていた私は超人的。でも、このくらい頑張れなければ、良い施設にはならんと思いこれからも頑張ります。

夏祭りが大成功の内に終了したと思ったら・・・

夏祭りが大成功の内に終了したと思ったら、今は敬老週間の準備に追われています。

700人からの参加を得た夏祭りが終わり、ホッとする間もなく、関西落語会の真打ちである笑福亭伯枝師匠による落語会。大垣の老舗寿司屋である寿司吉の職人五人による寿司握りのパフォーマンスと満足がいくまでの食事と飲み物。勿論お酒やビールの好きな方には準備もしてます。その他、各フロア対抗によるカラオケ大会。デイサービスの責任者である北島副部長によると大物演歌歌手の飛び入り参加があるかも……〓とか。その他にも、パン食い競争や玉入れ競争等の運動会や薔薇風呂やヨモギ風呂を楽しんで貰ったり、滋賀信行会さんの協力を得ての千巻経等々!!
うーん…。我が施設の職員は入居者さんの笑顔を引き出そうと頑張っていてくれる。この事は本当に有り難い。あと少し、科学的介護の為に個別ケアの提案に伴う実践により喜びを知り、介護の醍醐味を知ってくれたらこの上ない喜びなのですが…。夢は形にしてこそ生き甲斐になる。うーん…。その事を理解してくれるまで、根気強く頑張りますか……〓

 

夏祭りまでに後4日です

私は昨日今日と東京の本部事務所で社会福祉法人の課税阻止に向けた対応策の為に出向き、今は帰りの新幹線の車中なのですが、携帯に入力させているスケジュール表を見てビックリ〓何故なら夏祭り迄に後4日しかないからです。頭で理解していたつもりなのですが…。ここは、職員の頑張りを信じて、私は理事長・総合施設長の仕事を粛々とさせてもらい、夏祭り当日は開会式での挨拶とお客様のおもてなしに徹する事にしますか…。しかし、信じて見ているのは大変な事だとしみじみ思います。そう考えると、私の父親は凄かったな。小さいときは虚弱な私を見守り、高校生・大学生の頃は私のわがままを理解して、父親の意に反して教員を辞めた時も静かに見守り…。うーん、親父のような生き方が出来ない。度量の狭い私を天国でまだまヒヤヒヤしながら見守っている親父殿、何とかして下さい。

 

5時の目覚めで、ウォーキングを頑張りました。

東海北陸ブロック研修三重大会から施設へ帰り車で帰り、二日間留守をしたのでバタバタで打ち合わせをして、本日行われる優・悠・邑 和合で行われるお祭りの計画が上っすべりになっていないかの確認に行く。計画はしっかり出来ていたが、初めての試みなので何が起こるか分からないのでより余裕のある実施をお願いし、もう一度本部施設に戻り、打ち合わせをして家に帰り、ゆったりとお風呂に浸かり身体を癒し、夕食を済ませると、疲れがどっと出てきたのでベッドに横になると即熟睡〓〓〓。だからこその朝の早い目覚め。時間を有効に使うと言う事はこう言う事ですか。しかし、よーく考えて見るとガンガン仕事をして寝るだけですか。いやいや、充実した毎日と言う事なのだと思います。だって、病気や怪我をしたら、こんな事しておれませんし、感動的な日の出を見ることもできないのですから。

 

2014ー25=89。謎々のようなテーマですみません

答えの89は、西暦を昭和の年に計算し直した数字なのですが「ふーん、昭和も遠くなったな」と振り返ったわけでなく、実はラジオ体操が始まって90年だと放送されていて計算したもので。その折ラジオ体操に第三ラジオ体操なるものが存在し短い期間でなくなり、今復活する運動が展開されているとの事に対するコメントがしたくて…〓。あいからわず私の説明はコンパクトにならんな…〓。
第三ラジオ体操なるものを実際に見て、この存在が短い期間で終わった理由がわかったように思いました。その理由は明解です。動きが複雑で一般には難しかったからだと思いました。この事から施設の職員の指導にしても、単純明解なものが良いのではないかと考えました。でめ、単純明解な指導って滅茶苦茶難しい。うーん…〓。悩ましいですが、頑張って取り組むことにします。

 

中村全国老人福祉施設協議会元会長のお墓参りに徳島県まで行って来ました。

片道300キロメートルは秋田市800キロメートルに比べたら大した距離ではないのですが、EPA介護福祉士候補生のアミンが残念な事に二度の国家試験に合格しなかったのでインドネシアに帰国することになり関西国際空港まで送った次の日と言う事で帰りの運転はバテバテでしたが、思いきって中村全国老人福祉施設協議会元会長のお墓参りに徳島県まで行けたのは最高でした。事の成り行きは東京で行われた研修会で中村本部長と関さんにお会いし、命日迄にお墓参りに行けたらとお話しさせて頂いていたことを関さんがしっかり覚えていて下さり6月半ばにわざわざ連絡を下さり実現した次第。1時過ぎに行く事を事前に中村会長の秘書だった尾崎さんと確認していて、予想以上に早く着きそうだったので、四国八十八ケ所一番札所の霊山寺にお参りする事にして駐車場に車を入れて、お参りモードになったところで尾崎さんから電話を頂いて…。お参りだけは済ませ本部施設にナビ頼りで何とか着くと、玄関先には尾崎さんと枡田さんが待って頂いていて先ずは恐縮。その後、応接室に案内して頂くと中村理事長の他に本部長、関さん、枡田さん、田村さん、尾崎さん、森さんとそれぞれお忙しい方が来て頂き、その後、記念館に設置された中村会長の銅像や庭を見学させて頂き、その後田村さんの案内で元の記念館で生前の元気なお姿をビデオで見せて頂き、続いてお墓参りと本宅でのお仏壇でのお参りをさせて頂き、それぞれにお経を真剣にあげさせて頂き、不十分だった私の働きを詫びると共にこれからも全国老人福祉施設協議会を見守って頂く事をお願いして、高速のインターチェンジのわかりが良い所まで田村さんに誘導して頂きました。今回の体験で改めておもてなしの大切さを痛感しました。私も大概おもてなしには自負するものを持っていましたが、組織として出来ている事に中村会長の凄さを改めて知ることが出来ました。中村会長、これからも私を叱咤激励して見守っていて下さい。

朝、5時30分には晴れていてウォーキング日和でした。

秋田市への運転約1600キロメートルの疲れを癒す事なく東京への出張等をこなし、昨夜は9時過ぎにはバテバテの状態で「今日こそ早くから寝るぞ」と考えて、お風呂も夕食も済ませたところ、メールが入り10時過ぎに大切な電話が入る事になり、頑張って起きていると10時過ぎに律儀に電話が入り、その内容が今後の展開を素晴らしいものにするものだったので、その後、その内容を報告しておくべきだと考えて電話をかけたりしている内に11時を過ぎてしまいましたが、朝の目覚めは5時。私は歳をとったから早く目覚めるようになったのか?昨日は雨が降っていたので中止したウォーキングでしたが、外を見ると目映いばかり…!勇気を持ってウォーキングの準備をして玄関前で東の空を見ると太陽が神々しく輝いているので思わず合掌!。いつものコースをウォーキングしていて、前回とは違う感じをいっぱい持ちました。まずは、紫陽花が雨が降って元気になり色も鮮やかになった事。川の水が増えた事。川のせせらぎの音が元気になった事。草に雨が含んでいたのでウォーキングシューズが濡れて汚れた事等々。あんなに綺麗に輝いていた太陽が今は雨雲の中に隠れて雨が降っていて、私がウォーキングするために輝いていてくれたのかと思うと、これからも叱咤激励でウォーキング頑張って行かねばと思っています。気付きも多く体調も良くなるウォーキングは辞められません。でも、ブログのようにウォーキングも頑張りますので励ましの返信がいただければ…。

 

秋田市まで秋田杉を見に行って来ました。

秋田市は遠かった。実に走行距離は、何と1550キロメートルを越えました。片道およそ10時間を行きも帰りも一人で運転しました。自分としても1日10時間を2日連続運転するとは思いませんでしたが、出来ました。そして、昨夜は9時過ぎの帰宅となりましたが朝5時には目覚めて5時30からウォーキングを貫徹。自分を誉めたい気持ちです。何故秋田市まで車で出掛けたかと言えば、岐阜経済大学の佐藤先生が本来秋田市出身で引退後に故郷である秋田市で思いのこもったログハウスを建てる夢を持って見えたのですが事情により秋田市では家を建てない事になり立派な材料が朽ちてしまうのは残念だとのお話しを頂き、急遽秋田市まで杉の材料を見に行ったしだいです。片道およそ10時間も運転してると色んな事があります。例えば、秋田市にある温泉宿で食事を頂きながら(勿論美味しい地酒も飲みながら)「海辺を走ることが少なかった。」等と言っていたのが天に聞こえたのか帰りの道で高速に入り損ねて道を間違え海岸沿いの細いグネグネの狭いトンネルを幾つも通らないと進めない道を1時間以上走る羽目になったり、高速道路の追い越し車線を走っていたら道路の中央分離帯を歩いている人がいてビックリ〓そのあと5分後には対向車線をモウスピードで三台のパトカーが走り抜けて行ったり。色々な意味でアクションを起こすといつもと違う何かが起きます。今、メールを打っていて携帯がなり昨日のお礼ですと佐藤先生から電話を貰う。流石に一流の方は違うな!!ログハウスは絶対に完成させて地域の方や学生や職員の憩いと交流と研修の場にするぞと強い思いになってます〓今後の展開を期待していて下さい。

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