「ゼロから一代で成功した人に学ぶ」と言う書き込みに思うこと

2018.8.26

書き込みの中の一文を書きますと『私たちは、同じ様に生まれ、同じ様に学校に通い、同じ様に社会に出ました。にも関わらず、「あの人は信用できる」「「憧れる」「また合いたい」「あの人についていきたい」と言われる人がいる一方で、「あの人は信用できない」「嫌な奴」「二度と会いたくない」「もう一緒にやれない」と言う評価となる人がいるのは何故でしょうか。この違いをもたらす違いとは、いったい何なのか。それがコミュニケーション能力ではないか、と言うのが私の仮説です。』(中略)極端な話し、大学までは会話がおぼつかなくても、多少の差はあれど、親さえいれば生きていけるでしょう。しかし社会に出れば死活問題です。コミュニケーション力の差は人生の格差を生むと考えられます。(中略)『また、成功した人の口から、「そんなの意味ねーよ「やるだけ無駄」「どうせ自分は駄目だ」なんて言葉が出てくることはないのは何故か。それは、無意識のうちに自分の未来の可能性を信じているからです。仮に今、不遇な時代だと感じても、未来は変えられる、挽回できると信じているからです。』とのものでした。私自身はそんな大仰な生き方ではありませんが、確かにプラス思考でポディティブな考え方をしてきたな。他人からみたら大変な生き方をしてるように見える事を何と無くやってきたなと言う感じの生き方です。最近の私は「今の私があるのはお酒が飲めて、歌が歌えて、話しが出来るようになったお蔭だ。」と言っています。でも事実ですし。例えば、「辛い」と思った瞬間から本当に辛くなると思うので、辛いと思う前に、次の展開に楽しみを見つけるような・・・。でもこれは、今だから言えることで・・・。うーん。やっぱり素敵な人に恵まれたお蔭かな。運も実力の内とも言いますから・・・。禅問答みたいになって御免なさい。

7時33分発のひかりに乗り東京出張から施設に戻ります。

平成30年8月25日

新幹線の指定席が窓際を取れたし、東京の空は雲一つないので多分富士山は綺麗に見られるとニンマリしてます。これは、一生懸命に65歳の体に鞭打って頑張っている私へのご褒美と都合の良い事を考えています。時間は有効に上手に使うのが私の真骨頂。(かなりうぬぼれた考え方かな・・・)昨日の全国老人福祉施設協議会の報告をします。最初に開催された正副委員長会議は昨今度々起こっている災害について組織としてどのような対応と体制をとって行くかにかなりの時間を割き活発な意見が出ました。私も手をあげ「これだけ頻繁に災害が起きている以上、全国老人福祉施設協議会が「DWAT」と言う組織を提唱して具体的に動いているが、まだまだ各県全ての協力が得られているとは言い難い状況にあります。ちなみに岐阜県では1チーム5人で3チームをエントリーしました。是非ここにおられる役員の皆さんはご理解を頂き強固な体制を作っていくべきだ」と意見を述べました。また、次に行われた幹事の意見交換会では、会長から副議長の役割とは別に幹事会のスーパーバイザーと言う役職を任命して頂いたので、進行を担いながら、将来的に文字通りの幹部に為るための実行力を育てる為にどのようにすべきかを模索しながら、今回4回目の会だったのですが、ようやくその方向性が見えてきました。4回もかかったのは文字通りゼロからの築き上げだったからですが、流石に幹事の皆さんは全国から選ばれた強者なので形が出来たと言う事です。話をしていて、ふと思った事があります。それは、私が全国のお歴々の中で手をあげて意見を言ったり、若手の会で指導的役割を担えるのは何故かと言う事です。答えが出ました。それは、平成18年8月8日から全国の役員になり、その当時の中村会長に可愛がって頂く中で徹底して教えて貰ったのは「理事長であれば5年先10年先を見た情報発信をしろ。」と言う事と「遠慮は三流」と言う事を噛んで含んだように教えて頂いた事が今に生きていると改めて感じました。いっぱい中村会長には怒られましたが、結局暖かく見守って頂けたと言う事で、これもご縁を大切にしてきたからと思うとこれからも
出会いを大切にした生き方をしていきたいと改めて感じましたので、これから先ご縁を頂ける方の事を考えるとワクワク感でいっぱいです。65歳でもまだまだ頑張っていきますのでこのコラムも含め宜しくお願いいたします。

台風20号は関ヶ原にも影響を与えました。

平成30年8月24日

海のない岐阜県には波の影響はないし、強烈な台風は私が6歳の時の伊勢湾台風くらいで(もっとも、あまり記憶にありませんが)。但し、当法人の顧問であるびわこ学院大学の烏野教授の言い方を借りると「非常事態とはめったに来ないときに言う事ですが、これだけ頻繁に色々な所で色々な事が起きると非常の非をとらなければいけない状況です。」その通りだな。と思っていたら、昨夜の深夜の風は凄かったですね。しっかり活動してしっかり寝るのを心掛けている私ですが深夜の風は凄かったので流石に目が覚めました。ここ2日はご縁についてコラムを書くと決め、朝6時過ぎに施設に行って書類の整理をしてからパソコンでコラムの原稿を書いていたのですが、流石に本日は私の机に向かう前に施設の外の確認をして、大きな被害は入居者さんが家で丹精込めて育てられた盆梅の鉢が倒れていた(写真参照)位で、

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川の水も大した事なくて、ほっとして家に帰り朝食をとり、バタバタと着替えて、今は東京平河町の本部での午後からの会議の為に新幹線の中です。
時間を無駄にしない為に今は携帯の画面に向かって朝書けなかったコラムを書いてます。盆梅が倒れた位とのんびりとしたこと書いてますが、台風が直下だった所もあり、大変な思いをされている地域の方もみえるわけで、地域と共に歩む法人を目指しているわけだから平穏無事な内にしっかりとした体制を整えるのが理事長の責務。出来る事を精一杯していきますので、今後とも宜しくお願いいたします。

ご縁について書きます

2018.8.22

私が今、特別養護老人ホームを2施設も経営し150人の職員をかかえる社会福祉法人の理事長でいられるとは、小さい頃の私をご存知の方は誰も想像だにしなかったと思います。勿論私自身も・・・。

では、どうして今のような存在になれたのかを改めて考えてみると、結局は私が中学1年1月16日に他界した生母秋江が癌の痛みの中モルヒネによる治療しかなくおかしな言動しか出来なかった状況の中、1月2日の日に長姉、次姉、末っ子の私の順番に枕元に呼ばれ、いわゆる「遺言」を言われた言葉に帰すると思います。私に対する言葉とは『蒔かぬ種は生えない』と言うものです。しかしながらその言葉の意味を理解する程の能力を持ち合わせていなかった私がその意味を理解しアクションを起こせるようになったのは高校2年の4月7日に長姉が23歳の新婚半年目に急逝した事により凧の糸が切れてしまった4ヶ月がありその時の救世主が2人存在しています。一人は横着をして学校へ謝りに来てくれた父親進であり、もう一人は熊のような伯父松本伊三郎さんが四国遍路への道を開いてくれた事です。つまり、父進はその当時校長会長までしていた状況があったにもかかわらず、何度も何度も馬鹿な息子の為に学校へ足を運んでくれ息子を信じていてくれた事です。また伯父は、その当時四国遍路の責任者(総勢60人)で、その伯父から「団体の最後尾で歩け」の指示通りに歩いていて、本体から遅れて歩かれた当時76歳の女性の存在です。

その時の私はその女性にイライラしながら付いていき、声掛けの中から2つの事を学びました。一つは相手の身になって考え行動することの大切さであり、二つ目には高齢者の方の中には遠慮されるが額面通りに取ってはいけないと言うことです。

私は四国で学んだ事を実行に移すことが息子を信じてくれている父親への恩返しであり、母親の遺言にも応えることになると考え、高校2年の10月からは生徒会活動で私が出来る事をしてその時代に構築した友人は今も大切にしています。大学時代に民俗学のサークルに入り、ダムで沈んだ徳山村の調査に入った縁で、大学卒業後教員生活を辞め、自分探しをしていた時には徳山村の語り部であり、インスタントカメラで何10万枚もの写真を撮り続け写真集まで出版された増山たず子さんの経営されていた民宿に居候をさせていただいたご縁も大切なものです。

徳山村の5ヶ月を終えた私は福祉のふの字も知らないのに児童養護施設の指導員を小・中・高の教員資格を持っているならと紹介して頂いた方は今でもご指導を仰いでいます。そして、児童養護施設での一人ひとりの子どもとの関わりは大切にしてきました。時には湯気を出して怒ったり、泣いたりわめいたりしながら・・。その当時子どもの為にしてきたと思ってやってきたことは、実は私にとっての経験に脈々と生きています。

38歳で志しを持ち児童施設を辞し、6年間の所属を持たない無納税者の時代にはいわゆる報酬無き活動をいっぱいしていて「よくこんなにただ働きができるな。」との謗りに甘んじながらも、私が老人施設を造りたいとの思いを語った時にはその当時、福祉の重鎮と言われた吉田宏岳先生、その当時大垣商工会会頭だった河合達雄さん、地元で尽力して頂いた吉田儀一さん(現在家族会の会長)さんをはじめ色々なかたの協力を得て優・悠・邑は出来ました。

優・悠・邑が事業開始して21年目を迎えていますがこの間も多くのご縁を頂きました。これからもご縁を大切にした活動をしていきますので、今後共このコーナー共々宜しくお願い致します。

お盆真っ只中の恐怖

 かつての職員の対応の為に急遽長崎県佐世保市まで行く事になり、突然の事で指定席券を手に入れる事が出来ず、昨日も東京から名古屋まで立ちっぱなしで1時間40分・・・・。辛かったですが本日は京都から博多まで指定席の確保が出来ず、今もしんどい思いをしてます。人材確保には厳しさが増すばかりですが、それにしても大変です。急遽お盆帰省ピークの本日に行くのは無謀だった。最初は指定席が取れないので車で行く事も考えましたが、養老サービスエリアのガソリンスタンドに10台以上並んでいるとの話を聞いて車で行く事を断念。列車にして京都でのぞみに乗り車掌さんに直談判してみたものの「博多まで全くありません」との冷たい答え方。確かにその通りでしょうがもう少し言い方があるのではないかな…。とにかく私がお盆に移動するのは初めての経験で、ニュースなどで盆帰省する人は大変だと全く持って他人事だったのですが、盆帰省ではありませんが満員の列車に指定席券を持たずに乗ることの恐怖を味わっています。「恐るべし日本のお盆帰省」博多からはレンタカーを2日間借りての移動ですが、これもお盆価格なのでしょう。2日間で35000円を払わなければいけないとか。レンタカーの対応をしてくれた職員が言ってました。「博多駅前には全く車がなくて空港に一台のみだと」恐るべし日本のお盆価格。自由経済万歳と言う事ですかね。後30分程で博多に着くので愚痴もいっぱい言いましたが、腰が痛いし足は感覚がない状態なのでお許し下さい。

 

今は超満員の新幹線の中で立ってます

平成30年8月10日

本日は午後から厚労省大島老健局長による講演と交流会があるので東京へ出張だったのですが、明日はかつての職員の対応でどうしても長崎へ行かなければいけないので東京泊が出来なくて、しかも何時に終了するかがわからなかったので指定席は確保してなくて、新幹線のホームに行ってびっくりでした。自由席で何本か待てば始発だし大丈夫とたかをくぐっていたのが大間違い。「盆帰省を舐めていました。」4号車のデッキで東京から名古屋まで立ちっぱなしです。(多分)65歳の身には堪えます。但し、収穫もありました。と言うのは、交流会で大島老健局長と名刺交換をして、当法人のパンフレット、広報誌と岐阜新聞に連載してもらった私の記事の冊子をお渡しして、しかも、新卒の中卒の職員が介護で頑張っている事や全盲の方がマッサージ師として働いている事や支援学校の卒業生も働いている事をお話すると非常に興味深くメモを取って頂け、一度施設にもチャンスがあれば来たいとも言って頂けました。私の真骨頂です。ご縁を頂いた時のチャンスはしっかりゲッ
トするが出来ました。明日からの2日間も突然の長崎行きで指定は取れないことがわかっている大変な出張になりますが、法人の為に鞭打って頑張ってきます。立ちながら携帯電話でメールをしてますのでちゃらんぽらんの内容ですが(いつもかな)お許し頂きこれからもこのコーナーを見て下さい。

夏祭りが盛大に盛会に終える事ができました.

平成30年8月8日

今年の夏は「異常な酷暑」で、事前の情報として「鰻の蒲焼で食中毒190名」と言うのも有り、『例年通りの体制では駄目だ』との思いの中、職員の考え方は『例年通り』と考え方にギャップがあり、何度となく注意し指摘をして、それでも当日の対応にピリピリして、4日の夏祭りが終了しての2日間も『食中毒の報告はないか』とストレス全開。万全を尽くしたはずでも徹底出来たか不安の毎日。

本日、夏祭りから3日が経過した8月7日でイライラ、ドキドキが収まりつつある状況です。

そこで、改めて夏祭りの様子を書くことにします。

夏祭り前日の3日は17時には大方の下準備が職員の手で出来ていて、職員の動きには目を見張るものがありました。(7日の日はばたばたの一日でここまでしか書けず、8日午前6時40分から続きを書きます。)4日当日は、宿直の北島部長は5時過ぎから作業開始していて9時からはからのキャベツ切りから本格的に準備が始まり、コミュニティーハウスでは、準備をしている職員やボランティアの為の昼食準備を副施設長が一手に引き受けてくれサポート体制も万全。私は頑張っているメンバーを見ながらウロウロするばかり・・・。

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14時45分に今須中1年総勢11名も含めボランティアと職員(フロア待機以外の)を玄関ホールに集めて最終打ち合わせを伊藤実行委員長を中心にして最後にいつもとは違った酷暑の中の夏祭りなので充分留意した対応をして貰うように話しをして(檄を飛ばして)

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15時30分のデイサービスの送迎を見送った後(本来17時までの利用者さんもみえるのですが諸般の理由をご理解願って全員帰って頂きました。)外会場の準備を1時間で終えると、来賓の方や一般客が続々とおみえになり、その時は作業用のつなぎ服をきていて「これではいけないと」汗でつなぎ服が脱ぎにくいのと体型がでかくなったのとで焦れば焦るほど脱げなくて、ようやく着替えたらまたまたお客様に挨拶をいていると、開会挨拶を理事長である私がするアナウンスがあり・・・。取材にきていた大垣ケーブルテレビの方にお話ししていると手作りのうちわに書いてあるメニューの数を数えて「25もある。」と大きな声。今年は事業開始20周年記念と言う事で、長くボランティアをして頂いている3団体(てるてる座、関ヶ原三味線クラブ、日赤関ヶ原)の表彰、来賓の挨拶、来賓紹介(来賓挨拶4名とその他の来賓15名)祝電披露(野田総務大臣・衆議院議員、棚橋衆議院議員、渡辺参議院議員、大野参議院議員、猫田県議会議員)で無事に終え、来賓の方を会議室まで案内して、

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外会場で開会宣言をすると上石津もんでこ太鼓で外会場は盛り上がり、模擬店で色々な飲食しながら地域の皆さんはクラウンアキオさんによるパフォーマンス、和道さんによる太鼓と楽しまれ・・・中会場は入居者さんと家族が、関ヶ原三味線クラブの生演奏に合わせて踊られたり、飲食を楽しまれ、てるてるさんの出番がありクラウンアキオさんの出番がありで19時30分には全て終わり、外会場は名残惜しい方がおだお見えになったりして。総勢800人での夏祭りは無事に終了しました。有料チケットは3000枚(1枚100円)売り上げ、模擬店の品物は殆ど無くなる盛況ぶりでした。

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職員の頑張りがあったのは当然ですが、おおぜいのボランティアに支えられ、そして地域の方々に愛される企画に成長させて貰えたからこその成功だと思います。かつての入居者の家族の方も「元気に楽しまれていたのを思い出したくて」と来て頂いた方もありました。つまりこの成功は20年の軌跡の結晶だと考えるとこれからも益々より信頼される施設となれるよう職員一同頑張っていきますのでこれからもご支援宜しくお願いいたします。

いつもの口癖ですが「予定は未定であり決定ではない」の話をします.

平成30年7月27日

今年の夏は言うまでもなく「酷暑」で台風12号が発生する前のほんの数日前までは8月前半までは35度以上の酷暑が続くと言ってたのに、今の気象データは衛星機器の発達により確実なものだと思いますので、今回はいわゆる、「想定外」の事態だったんだと思います。熊本での地震も日本の中では地震想定が低い所だった為か、地震が起きる前の保険会社は通常の10%引きの保険料だったと聞いてます。(間違いだったらごめんなさい)今の時代は科学の発達により、情報が簡単に手にはいるので、逆にその情報に惑わされ過ぎているのではないかと思います。私は昔から言われている「備えあればうれいなし」を杉和会理事長として推進しなければいけないし、現在、全国老人福祉施設協議会東海北陸ブロック会長として災害に備えた具体的な備えと具体的な訓練をしなければいけないと考えていますが、取り敢えず本日は本部施設において避難訓練がありますので、暑い中ではありますが、真剣に取り組み不安材料を洗い出し一つひとつ課題を解決していき、「予定は未定であり決定ではない」の想定外のリスクを一つずつ取り除いていければと考えていますが、当面の課題は8月4日の夏祭りが無事にそして盛大に行われるように頑張ります。朝5時過ぎからの原稿にしては過激だったらかも知れませんがこれも暑さの影響?とお許し下さい。

ラジオ体操で夏祭り宣伝用のうちわを昨日同様配る為に6時過ぎに施設に行き、その後も頑張りました。

2018.7.24

一ヶ所だけの配布でラジオ体操に参加している子ども達がテンション高くて、そののりに合わせていたら、私自身のテンションが上がってしまい、施設で打ち合わせをした後家に帰り朝食を取りに行こうと車の所に歩いて行くと爽やかな風が吹いていたので、車に乗らず歩く事にしました。家までは約四キロ。半分位歩いた時に後悔しましたが、後の祭り。でも、学校の庭に面白い物を発見し、(写真参照)小学校の時の記憶が蘇りました。車に乗っている時には気づかない事に気づいたり、無になって歩いていると、素晴らしいアイデアが浮かんだり、たまには外を歩いてみるのも悪くないと思いました。まだまだ体力があることも証明されたし、今日も一日頑張ります。

 

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もともと5時40分には起きる予定だったのですが

2018.7.23

6時に施設に行き8月4日に開催される夏祭り宣伝用うちわをラジオ体操が行われている会場で配布する為に元気に起きる予定だったのですが、アラームが鳴る前に携帯がなり(ちなみに5時10分)施設の宿直者から「スプリンクラーの異常で警告音がなりました。」との事なので、起こされた勢いで着替えて施設に行きポンプがあるところから業者とのやり取りをしている職員の対応から「業者は確認に来なければいけないのに、朝が早いし来ないつもりだな」と感じました。私は何事も誠意を持った対応をしてくれる業者でないといけないと考えています。何故ならば特養の事業は年中無休の24時間体制だから、守るべきは入居者さんであり業者はそれをフォローする立場。「予定が入っている。」のを調整して飛んでくるのが当たり前。これが私のスタンス。かっこつけての考えではなく、それが当然。その為にメンテナンス契約をしているのだから。これができないのならば契約を解除してもやむ無し。例えば今回の集中豪雨で手が回らないなら致し方無いが…。山の斜面の工事をするため仮の道路を作っている所に大きな土嚢を積んでありその土嚢の袋が破れ土砂が沢山道路をに落ちているのが気になり監督に連絡すると直ぐに来てくれ対処をする約束をして施設の奥の砂防ダムの説明も聞いていると8時になり慌てて家に帰り朝食をバタバタで済ませ、本日10時からの認知症カフェに使うショートケーキを取りに行き、施設で本日全国老人福祉施設協議会の代議員会で提案する資料の印刷をしていると意外に時間がかかり10時14分発に乗るのは諦め10時46分にしてからもバタバタで、カフェに参加している皆さんにご挨拶をして岐阜羽島まで車で行き、駐車場に車を預け今は新幹線の中ですが、12時36分に品川に着き会議会場の品川プリンスホテルまで歩いて行くと1時からの会議前の打ち合わせ時間は殆ど無いけど、昨日副会長と携帯電話で打ち合わせしておいて良かった。代議員会では副議長で会議を円滑にする役割があり、代議員会後は全国介護政治連盟の役員会があり、今日もバタバタの1日であり、明日も6時からうちわ配りです。小さい頃冬場は霜焼けで靴も履けずに動く事が出来ず夏場は夕立に打たれて直ぐに熱を出した私が、春夏秋冬走り回れる事に感謝し、死ぬまで現役で頑張り・・・・いやいや、そんなことをしたら若い者に嫌がられます。まだまだ引き際を考える状況ではありませんが、いずれは・・・・・。うーん、あいからわず、分けのわからんはなしですみません。

 

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