週刊現代の人生のことばに素敵な文字が踊っていたので紹介してコメントします

(前略)「貧乏は夫婦の思い出話の宝庫」なのだから。戦中、戦後の食糧難時代、(中略)「貧乏だからこそ豊かなこころの時代」でもあった。今は、「豊かだからこそ、こころの貧しい時代」である。そう言えば、思い当たる事があります。平成9年の頃、施設計画の為のお金の工面をどうしたら良いかと子どもが寝たのを見計らって嫁さんと真剣に悩み苦しんでいたときの事を…。ただ、私の場合は施設運営でも、施設経営でも走りながら頑張っているのでこころ貧しいと言うのは当てはまりませんが、ぼそぼそと話をすることは皆無です。それどころか、デカイ声で堂々と話する機会が増えました。今日も大阪から民生委員の方が14人もバスでこられ、施設見学のあと12時までのお約束で話をして、質問を受けて回答していたら12時がはるかに回ってしまい、バスガイドさんが施設の外でうろうろうろうろ…!「こんな理事長は初めてで最高の研修になった」と異口同音でバスに乗られた。バスガイドさんには申し訳ありませんでしたが、時間延長しても満足して頂けた

と言う事は流石にボランティア精神が旺盛だからこそ民生委員の大役を受けられているんだて感じました。これからも長いお付き合いを宜しくお願い致します。

東京は凄い所ですね。

品川から山手線に乗るために階段を下りているときの出来事なのですが、「ドアが閉まります。後の列車にして下さい。」とのアナウンスがあった時に階段を脱兎の如く走り抜けた男性の方がドアが半分閉まりかかっているのをわかっているのに頭から突っ込む形でドアをすり抜け、見事にその列車に乗られたのです。私より後から来た方が乗り込まれたわけです。私はそれから5分後にきた列車にゆっくり乗ったわけですが、飛び乗られた方は慣れた形でそのようにされたわけだから、5分後に列車が来ることは百も承知で乗られたのですから、余程急いでみえたんだと思うと、東京の方々の生活はゆとりのない一杯いっぱいな生活何だなと、変に感動しました。もうひとつ感動したのは、昨夜東京八重洲駅近くで全国老人福祉施設協議会広報委員会の会合の後飲み会があり、夜の10時にやはり山手線で品川駅で降り連絡通路を歩いている時に井上委員長と共に「こんな時間にあふれんばかりの人がいる」と感動したわけです。関ヶ原では夜中に鹿の数では勝ちますが、人の多さも感動もんでした。

東京に引き続いての出張から帰って・・・

東京に引き続いての出張から帰って、久しぶりにかわした姉との会話がいけてると思い、姉の事を書くことにします。(姉がこのコーナーのリピーターだと言う事を意識しながら・・・)
姉:「東急品川駅での出来事を見たよ。」
私:「東京人はせかせか、あいそなくて、あれでは顧客満足は難しいで」
姉:「それより、東京で一人で羽田空港へ行けるて凄いな。随分大人になったな。」
※ :ちょっと待ってんか。私も還暦を迎えた結構大人何ですけど。

私が小さい頃、虚弱で学校をよく休んでいたために勉強が全く出来なかった事は何度も話してきましたが、そんな私に英語を教えてくれたり、夏休みの課題を手伝って・・・いやいや殆ど・・・・・研究・絵・感想文等々・・・。正直、小さい頃の私は姉が苦手でした。何たって母親代わりだった長姉のみっチャンが最高だったから・・・。次女の春ちゃんは怖い存在で・・・。でも、長姉が23歳で急逝してからは、お互いが支えあう関係になって、今では、姉から「会う人会う人、宏の事をお兄さん。」と言われると喜んでいる太平楽・・・。うーん、今回の原稿は姉にしか分からないような内容ですいません。本当は、長姉の急逝が、二人の性格や行くべき方向まで変えたと言う事です。詳しいことは後日談する事にします。

高知県流のお酒の飲み方に感動

昨日は高知県老人福祉施設協議会井上会長の計らいで総会の後の研修会での講演で、バタバタの準備だったので、一抹の不安の中演壇にたった時に小さい頃の対人恐怖症の赤面症の面が出たらどうしようとドキドキしながらマイクを取りましたが、自分で言うのもおかしいのですが堂々と話が出来たのは良かったです。考えてみたら自分が実際に展開してきた事を話しただけだから、受講していた方にとっても聞きやすかったのか乗って話が出来ました。ただ、縁台がないところに足が行き空中遊泳した時には驚きましたが。5時までのお約束を5分程延びてしまいましたが無事に終り、その後の懇親会には驚きました。と言うのは取り敢えず主賓だった私の所へお酒をつぎに来ていただいた時に話をしている私の目の前で自分の盃につぎ、飲み干してから私に盃を渡され飲み干して返盃するとまたまた返盃。何回返盃を繰り返したら良いのかわからず、何回も…。何人かの方が後ろに見えても返盃が続く。こんな調子で2時間してようやくお開き。勿論二次会三次会とお世話になり、空港まで送っ

て下さった井上会長は私と天野局長を見送った後飲み直しをされたとか。うーん…。良い経験が出来ました。井上会長以下役職員の方々には大変お世話になりました。講演中でホームページを見て頂くように言ったので随分手抜きだと思いますが……お礼申し上げます。本当に色々お世話になりありがとうございました。

昨日は東京の砂防会館で全国老人福祉施設協議会の役員会があり・・・

昨日は東京の砂防会館で全国老人福祉施設協議会の役員会があり、今は高知県老人福祉施設協議会の招きを受けたので羽田空港への移動の為に電車に乗ってます。
品川プリンスホテルに泊まり本日は高知で泊まりで昨日の資料と一日分の着替えを宅配で送る手続きで一階の係りの対応が今一だったので2階へ8時10分前に行ったら何人かのお客さんが並んでみえたので、お願い出来ますかと聞いたら8時からですので、しばらくお待ち下さい。だと。時間が気になったので一階に行き着払いのみになりますがと言われ、急いでいますのでお願いしますと言うとのんびりのんびりやられてイライラ…。何とかホテルを脱出して京急品川駅に行き駅員の方に羽田空港まではどうすれば良いのかとお尋ねすると、めっちゃ早口に410円の切符を買って1番へと答えると次のお客さんがいるわけでもないのにまったくこちらを向いていない。何とか羽田空港国内線駅に着き右に行くのか左に行くのかわからずうろうろ…。何とか今は同行してくれる天野局長を見つけホッとして搭乗を待っています。

随分前の週刊現代の記事を見て今の私の心情を表しているように思えて気になりブログの原稿にしました。

それは「西本聖から江川卓へ」と言うタイトルで最後に「人は越えられない壁があるから、成長できるんだと思います。許せないならそれでいい。いつかその経験が、人生の肥やしになるでしょう。」と言うものでもう一つ「江川卓と言う存在があったから長く選手を続けられた」と言うものです。今の私は、お陰様で大垣市和合で新規施設の事業でバタバタの毎日で、振りかえりの意味も込めて、本部施設の中堅及び幹部職員を一同にかえした会議を実施したのですが、一人ひとりの提案を聞いているうちに今の本部施設の問題点が浮き彫りになってきて、熱を帯びた会議になり、会議が終わりその後苛々してたのですが…。この記事を見て胸の支えが取れたように思えたからです。私自身理事長として今の現状に満足するのではなく先進的で素晴らしい事業展開をしてみえる施設をいっぱい理解して目指す方向があるからこその焦りだと思えたからです。会議の中で職員はそれぞれに精一杯の提案をしたのです。至らない所が見えてきたと言う事は、まだまだのびしろがあると言う事。烏野先生

から指摘を受けたアメーバ方式で頑張るしかないし、より良くしていくためには、目指す方向が鮮明になればなるほど頑張れるので、血圧を上げる考え方ばかりせずに体調を整えて信念に基づき60歳の体にむち打ち頑張って行きますので、職員も目指す方向をしっかり決めて頑張って貰いたい。そのような展開をしていけば、みんなが幸せになれると信じて叱咤激励です。

覚え

新幹線の雑誌で素敵な言葉が有りましたので紹介します。

その言葉は「浄土につづく二河白道」です。二河白道とは現世と浄土をつなぐ一本の白い道をさしている。との説明がありました。昨日は23歳の時に急逝した母親代わりだった姉の命日でこの記事を見た時に、まだまだ私自身が浄土に行くのは早いけど姉、父、母は遠いところから私を見守り応援してくれているから頑張れる。いずれ私もこの二河白道を渡ることになるのでしょうが、小さい時に体が虚弱でガリガリだった私がここまで頑張れたのは偉かったなと三人揃って誉めて貰えるように、これからも頑張っていきたいし、二河白道で会えるのを楽しみにして血圧高いのを気をつけながら頑張りますか。

ホッと一息は新幹線の中だけ!?

3月22日に予定通り竣工式を三百人を超すお客様に来ていただき、式典は多くの方に立って頂きながらのものになり、申し訳ないやら嬉しいやら…。二階の食堂である祝賀会会場は、何もなかった時はめちゃくちゃ広く感じたのに身動き出来ない位の参加を得て、これまた嬉しい悲鳴。祝賀会も三輪理事による万歳三唱で皆さんのお見送りをして(記念品は優・悠・邑の文字入り煎餅に、杉和会と優・悠・邑と焼き印が押してある枡とお酒の三品。勿論三品共に大垣に本店があるもの)。ホッとする間もなく全国老人福祉施設協議会の鴻江副会長(熊本県)と山本副会長を本部施設がある関ヶ原へお連れして、16年の集大成を見ていただこうと車で移動中に携帯が入り「石川県の久藤会長が見えました」。施設の手前で久藤会長が乗られている車に出会ったので車を止めご挨拶をして施設に着き副会長二人に施設内をしっかり見て頂き岐阜羽島までお送りして、竣工式を終えた優・悠・邑 和合に行き次の日からの内覧会の打ち合わせをして…‥!それからも、バタバタの日々が続き気が付けば本日26日は全国老人福祉施設協議会の総会等があるため朝イチで施設に行き竣工式のお礼状等の打ち合わせ。そんな中で建築確認等の書類をお願いしているコンサルタントの社長から「今日中に理事長印が欲しい」との連絡!時間がないので岐阜羽島駅で落ち合う事になったが、これまたギリギリ〓〓しかもエクスプレスカードの暗証番号が3月16日から変わったとかでいつものようにして切符を手に入れようと思ったら出来ん!!とにかくホームに着いたら列車がサーっと入ってきて…‥!と言うわけで、今は新幹線の座席にゆったりと座りながらブログを打っているのですが…‥。体重が若い頃の倍になったのだから身体を2つに分けれたら良いのですが!?こんなバタバタの中の仕事では良い仕事は出来ない…‥。任せる所は任せて肝心な時にバシッと決めれる理事長・総合施設長に早くならなければいけないのになれない。誰か妙案があれば教えて下さい。

 

バタバタでは良い仕事が出来ないのに……。

一年に一回している人間ドックがお昼で終わり、病院の部屋で打ち合わせを兼ね昼食を取り、施設に着き事務部長に昨日からの経過報告を受けていると、新規事業の委託業者である日本ゼネラルフーズの面々4人の方が見えたので、竣工式典での祝賀会と事業開始に向けての話をして、その後、入居者の受け入れ体制の打ち合わせを幹部の職員を集めて行い、あれよあれよの間に午後5時を回り、羽島まで名神高速で送って貰い今は新幹線で東京へ向かっています。と言うのも明日10時から全国老人福祉施設協議会主催の研修で介護人材の話をするから前泊するためです。明日は明日で講演の後、全国社会福祉協議会の会議、全国老人福祉施設協議会広報委員会の会議があり、夜遅くに岐阜に帰る事になりそうです。仕事があるのは確かに有難い事ですが、これだけ過密だと地に足着いた仕事が出来ているのか不安になることがあります。しかしながら、竣工式は目の前に控えているし、その他にも与えられた事はしっかりやり遂げなければ。小さい頃は虚弱でガリガリだった私が肥満な体になったけれど病気をしない体になったので…叱咤激励叱咤激励頑張りますので…〓応援を宜しくお願いします。

週刊現代に・・・

週刊現代に小笠原道大選手の特集記事「拾われた男」の逆襲と言うのがあり、その最後に「賢者は険しい未来に身を捧ぐ。愚者は心地よい過去に身を浸す。不惑の求道者は間違いなく前者である。」とありました。私は60歳の還暦を迎えてもしんどいしんどいと言いながら夢を追いかけるバグーのような生き方しか出来ないので、未来に身を捧ぐ生き方だけれども、勿論小笠原道大選手のような成功者ではないけれども、地域の安心感を築くために生き続けようと考えています。優・悠・邑 和合の竣工式までのカウントダウンが始まっていて幹部職員が頑張っている今、共に夢を追いかけれる喜びを感じながら60歳の体に鞭打って頑張っていきますのでますますの応援宜しくお願いいたします。

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