早朝勤務が話題になっているようですが

岐阜新聞の『素描』の原稿依頼を受けてから、朝早くでないと原稿を書くのは難しいと考えて、「目覚めたら施設に行って原稿を書く」と決め、最初の内は宿直者を起こす形で始まったのですが、そのうちに宿直者が起こさなくても事務所の電気を点けて待っているようになり、「起こすから寝ていて大丈夫だよ」と言ってても、宿直者が起きて待っている現象が変わらなかったので、自分自身の立場を考えて自己反省をして、宿直者に迷惑がかからない時間は6時30分前後に施設に到着するのであれば大丈夫と考えて、本日も6時20分に自宅を出て、国道21号線を2Kと町道を2Kの4キロをいつも通り車を走らせていて「うん?」。何故ならば、国道でトラックに1台あっただけで、あとは全く車に出合う事無く施設に着いたからです。もう一つ気がついたのは国道21号線に平行して走っているJR東海道本線の上り列車にも出合ったのですが全くと言って良い程に乗客が乗っていませんでした。そして、ハタと気が付きました。「本日は日曜日。世の中の殆どの人は、まだ行動していないのだと。」
世間では早朝勤務が話題になっていますが、さすがに日曜出勤は話題にのぼりません。しかしながら、私の生活は月月火水木金金の生活。勿論、若山家での役割で仕事以外の時間も有りますから全て仕事と言うわけではありませんが・・・。でも、当然のことながら、早出の職員は6時30分過ぎから続々と出勤してくれて、元気な声で挨拶してくれて、改めて「ありがたい」と思いました。6月が昇給月で出来るだけの配慮はしたつもりですが、今以上に出来るようにするためには、国民の理解を得て、政治を動かしていくしかない・・・。ごめんなさい。私の悪い癖で話題が反れてしまいました。話題がそれたついでに?当法人の職員の中で、4人の子どもの父親を筆頭に、3人、2人の職員が多くいます。「決して、結婚したり子どもが出来たからと言って退職しなければいけない職場ではありません。」ついでに、女性職員で育休を取り、7月から復帰した職員は2人の子どもを連れて出勤し事業所内保育所に子どもを預けて頑張って仕事してますよ。『人材は人財』と思い頑張っている法人です。興味があったら杉和会の門を叩いてみて下さい。但し、都合の良い事だけを理解しては来ないで下さい。当法人のモットーは「頑張ったら頑張ったように」ですから。

ブログを書きましたのでよろしくお願いいたします

6日が全国老施協の研修委員会、7日が正副会長委員長会議があり、それぞれの日に夜の会食もあり品川プリンスホテルに2泊して、今は(午前8時30分)新幹線の中で、ブログを書いているのですが、本日は11時から関ヶ原斎場でかつての入居者さんの葬儀があり、参列させて頂き14時30分から関西電力の方と打ち合わせがあり、その後岩田先生との打ち合わせをさせて頂くと、多分バタバタの内に18時からの本部施設のフロア責任者会議になってしまうなと思うと、何と毎日が充実している事か!!今、車内アナウンスがあり『危険物の持ち込みはしないで下さい。』との事。今までは、このアナウンスを何と無く聞いていましたが、先般の焼身自殺により巻き添えにより亡くなられた方や怪我をされた方があったばかりなので、アナウンスしている車掌さんもおざなり的なアナウンスではなく、聞いている私の方も真剣に聞いていたように思いました。この事から学ぶ事が出来ました。それは指示をしても徹底しない事は、その指示についてピンときてないからだと、と言うことは、どうしてそのように指示したのかを理解出来るようなコミュニケーション能力を養うことこそ大切だと言うことを〓

岐阜新聞の素描という企画に・・・

岐阜新聞の素描という企画に7月、8月の火曜日に執筆することは以前にもブログに書きましたが、この執筆の為に、朝目覚めて洗面と着替えをしたら事務所で原稿を書いたり、企画書に目を通し、8時前に家に帰りNHKの朝の連続ドラマ『まれ』を見ながら(日曜日は仮面ライダー)朝食をとり、再び事務所に行きバタバタの1日を送るという毎日なのですが、本日は東京出張(品川プリンスホテルで2泊です)なので、少しゆっくり目の行動にしようと思っていたのですが、習慣とは恐ろしいものです…!バッチリ目覚めて活き活き仕事が片付きました。勿論、早出の職員には挨拶もしっかり出来ました。本日は公益社団法人全国老人福祉施設協議会の研修委員会全員参加の初会合なので委員長として、委員の方々からがっかりされないように気合いを入れて頑張りたいし、明日は正副会長委員長会議なので、そちらも気を抜かずに頑張りたいと思っています。今は新幹線の中で原稿を書いているのですが、東京までには時間があるので、研修委員会への思い入れについても書いて行く事にします。
私が全国の役員に初めてなったのは平成18年8月8日。その時は総務委員会が新しく出来た時の幹事でした。それから、総括幹事、在宅委員会幹事、研修委員会幹事、国際委員会幹事、広報委員会副委員長と色々な役職をさせて頂きましたが、今回、研修委員会委員長を拝命したのには、本当に嬉しく思っています。と言うのは、中村会長がお元気だった頃、中村会長から『若山、お前はどの委員会で頑張りたい。』と言われた時に、間髪入れず『研修委員会で頑張りたいです』と言った時の中村会長の答えは『勉強嫌いのお前が研修委員会とは笑えるな』と言われたので、思わず『岐阜県では研修委員長で頑張っていますよ』とやや不満そうに言った覚えがあります。ところが、委員の発表があった時に、研修委員会幹事に抜てきされていて、中村会長の期待に沿いたくて一生懸命に頑張りました。そして今回は研修委員会委員長にまたまた抜てきされましたので、執行部の役員の方の期待に背くことなく頑張りたいと思っています。中村会長には、バカじゃアホじゃとろくさいと言われながらも、お茶の入れ方から官僚や政治家との接し方まで教えて頂いた事を忠実に守りながら頑張って研修委員長としての職責を汚さないようにしていきますので、天国でもきっと忙しくされているとは思いますが中村会長、私の事もしっかり見ていて下さい。

岐阜新聞に私の顔写真が載りました。決して、指名手配の写真ではありません。

昨日の岐阜新聞岐阜版に7月、8月の『素描』の曜日別執筆者の顔写真入りの紹介が掲載されていて、火曜日のところに私が紹介されていました。私の記事は7月7日が最初になるのですが、今からワクワクしてます。執筆内容については、私らしさと私の思いを全面に出していきたいと思いますので、私のブログを見て頂いている方も是非見ていただければ嬉しいです。
実は昨日お会いした何人かの方から、「素描に執筆されるんですね。楽しみにしています。」と言われ、プレッシャーを感じながらも嬉しくおもいました。

たまには格式ある内容にしてみました

自民党の谷垣幹事長が昨日(6月28日)NHKの番組で『文化芸術懇話会』での報道機関への圧力発言に対して「与党政治家は言いたいことを言いつのればいいという責任の浅いものではない。物事が進み、世の中がそれなりに治まる状況をつくることこそ与党政治家だ。」との発言に、私自身杉和会のトップとして身が引き締まる思いでした。そして改めて、元気だった頃の中村会長が何度も何度も噛んで含んだように「5年後10年後をにらんだ発信を責任持ってしていくことが大事だ。」と言われていたことを思いだしています。天国でもゆっくりはされていないと思いますが、次代を担う役員も頑張って良い提案を発信していきますので暖かい見守りを宜しくお願いします。

改めて、父親の凄さを知る事が出来ました。part㈼

昨日のブログで、父の凄さを書きましたが、父が不破郡郷土誌編集委員長をしていた昭和43年は私が中3で、母が他界したのが中1の時。この時期の父は父親として、時には母親や役も勤め、しかも、垂井小学校100周年事業のトップとしての役割もこなしつつ、編集委員長の大役をこなしていたのですから、今更ながら凄い父親だったと思います。いやいや、私も62歳になって息子の結婚の日取りも決まった今だからこそなのかも知れません。やっぱり、父親の存在は凄いと思いますし、決して追い抜ける存在ではないとつくづく思ったしだいです。

改めて、父親の凄さを知る事が出来ました

現在、史跡関ヶ原古戦場整備計画ワークショップの委員になったのを契機として関ヶ原の資料を、父親が大切にしていた書物が置いてある、物置で埃まみれになっているものを昨日見ていて、昭和36年11月3日発行の『ふわのあゆみ』と昭和43年5月30日をみつけました。その中には、興味深いものに関ヶ原の駅は1883年に既に存在していたとあり(ちなみに、新橋〜横浜に日本に始めて鉄道がしかれたのが1872年です。)びっくりしました。それよりも驚いたのは、昭和36年発行の最後のページに私の父親が『不破郡郷土誌編集委員会 常任委員』になっていたことです。その時、父親は50歳だったわけですから凄いと思いました。そしてもっと驚いたのは、この原稿をうちながら、改訂版の昭和43年の最後のページを見た時です。なんと『不破郡郷土誌編集委員長』としての父親が『編集を終わって』を書いている事に気がついたときです。こんなに凄かった父親だったのなら、もっと父親を大切にしておけばよかったと思っています。「孝行したい時に親はいず」・・・。天国のお父さん今、私も頑張っているのでお許し下さい。」

岐阜新聞小森記者に対するコラム

岐阜新聞の『素描』の原稿8回分が書けて、担当の小森記者にメールで送信が出来たので、本日はゆっくり出勤しようかと考えていたのですが、習慣とは凄いもので5時には目が覚め、ごろごろしているのはもったいないと思い施設で仕事をしようと自分の机につくと、ファックスやメールがいくつかあったので確認していると、その中に、昨日送付した小森記者からの返信のファックスがあり、目を通していてビックリ。昨日の昼過ぎに送信して直ぐに、送信の確認をした時に送信の確認は出来たとのやり取りをしましたが、ファックスの中でメールを開かれた時間は21時30分で印刷されたのが23時11分、施設へファックスが送信されてきた時間が23時48分・・・。いったい小森記者はいつ寝られているのか。新聞記者の方はよく『夜討ち、朝駆け』とは言われますが、驚き以外の何者でもない。うーん。新聞記者は超人的な生活をされて毎朝確実に新聞が届くようにされているので、これからは今まで以上にしっかり記事を読んでいかなければと思いました。

ブログが書けてないと、優・悠・邑和合の職員を通じて叱咤激励されました

午後7時から和合にて全体会がつきに一回開催され、その都度、理事長としての想いを会議の最後に述べさせてもらうので、昨日が正にその日。昨日も「初心を忘れず基本に忠実に頑張って下さい。」話をして、会が終了してからある職員が私の所に来て「僕の友達が理事長のブログが面白いので一週間に一度は画面を検索しているけど、載っていないので寂しいと言っといて、と言われた」と言われ、私こそ初心に返らなければいけない・・・。いやいや、少し弁解させて下さい。ここ二週間は朝5時には家を出て施設に行き、岐阜新聞の岐阜版の『素描』と言う欄に7月、8月の毎週火曜日に掲載される原稿を書いてて、朝食の為に8時前に帰り『まれ』を見ながら食べて、8時30分に施設に戻り、ばたばたの毎日何ですが。でも、今日は何故ブログが書けたかと言うと素描の原稿が昨日で8週分出来たタイミングだった事と叱咤激励された事が重なったからです。
ところで、和合の職員のお友達よ。職員に話してくれるのも良いですが、激励なり感想をホームページを通して頂けるともっと嬉しいのですが。なお、私のブログを楽しみにしている方が少なくとも1人はみえる事が分かったので、これからはもっと精力的に書きますので今後共宜しくお願いします。

びっくりしました。

4月の最後の土日に秋田まで私の車で片道800キロメートルを私が一人で運転した時(さりげなく自慢話になっていますか!?)の出来事なのですが…。朝早く出発し、順調に走れたお陰で午後5時には宿泊するホテルの駐車場に着き、フロントガラスが何故か汚れているのが気になったていたのでフロントガラスを拭いていて気が付いたのですが汚れの犯人は走行中にフロントガラスに飛び込んできた虫の死骸だったのです。その時には気が付かなかったのですが、無事に1600キロメートル走破した(またまたさりげなく自慢話になっていますか!?)翌日、車を洗おうとしてナンバープレートを見てびっくり〓と言うのもナンバープレートにびっしり虫の死骸がこびりついて模様のようになっていたからです。北陸から東北にかけては虫が多いのか、1600キロメートルを走ったからなのか。ここで長距離運転の留意点を体験者として…。〓早目の休息を。〓フロントガラスはこまめに拭く。〓片道800キロメートル何て決して一人で運転しないこと〓片道800キロメートルもあるのなら飛行機にしなさい。
*支離滅裂のレポートでごめんなさい。久しぶりの新幹線の中でのレポートなので許して下さい。

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