地元の今須中学校の一年生に話をしてきました

7月2日に今須中学校の一年生の生徒が当施設において入居者さんと一日交流することになっていて、その前段として、6月26日に41年前に卒業した学校でたっぷり2時間講演してきました。演題については生徒さんが4月から「福祉の時間」で当施設の事を調べられ、疑問に思われた事を質問の形でまとめられたものに対して答える形で話しさせてもらいました。質問内容はそれぞれに的確なもので一生懸命に勉強されたことがよく分かりました。講演の後、担任の先生からは「心の思いを語っていただき、生徒にとっても心に響く話しで良かったです。」と言われほっとしてます。
講演を聞いて、福祉に興味を持っていただいた生徒さんの中から一人でも二人でも福祉の仕事についていただければ最高なんですが・・・・・。

中学時代パート1

中学に入学し新しい科目で英語が入ってきます。
その当時、仲が良かった私を入れた三人がそれぞれに、その当時安かった藁半紙を一しめずつ買って、一枚ずつ毎日その紙が真っ黒になるまで英語の単語を書いて練習する事にしたのです。三人の中で決めたこと、最初の3日間は確かに手が真っ黒になるまで書いて夢中になれたのですが、あまりカリカリ勉強したことがなかった私が一番にリタイアしてしまいました。その一番の理由は(理由ではなく弁解かな)指にマメができて鉛筆が持てなかったからです。何故こんなにすぐにマメができたかと言えば、今は理解できる事なのですが正しい鉛筆の持ち方が出来ていなかったから…。鉛筆どころかお箸もちゃんとした持ち方が出来ない。何故なら小さい頃から体が弱かった私は生きるのに精一杯で正しい鉛筆の持ち方や正しいお箸の持ち方は二の次三の次だったからです。お陰で、今も英語は苦手ですが、英語が苦手になったのはもう1つ理由がありますがそのことは次回に話をしたいと思います。職員達に継続は力なりと言っているわりには中学までの私はまるでだめ人間だったようです。

雑感パート2(普通では経験できない小さい頃の話)

前回の雑感で体が弱かったことは書きましたが、今回はどれほど弱かったかを具体的に書きます。私が生まれた頃私の家から200メーターも離れていない所に診療所があって本多先生と言う女医さんが見えました。すぐに高熱を出す私が小学校入学前に、学校へ行くのを一年遅らせたらどうかと言う話もあったそうです。母親はそんな事は忍びないと言って通常通り入学しました。その当時の母親は、学校に疾風を巻き起こしてばかりだったようです。例えば入学早々に遠足があったのですが、自分の息子の体力を信じられない母親は近所の同級生の母親を付き従えて、遠足本体の後ろからリヤカーを引いてついてきたり、冬のシーズンになると私の手と足はしもやけの為に手は肘のあたりまで、足は膝のあたりまでボンボンに腫れて、歩く事も鉛筆を持つ事も出来ない状態だったのを今でも覚えています。そんな私の為に母親は、その当時あっただるまストーブの柵を全学年に寄付をし、その代わりに息子である私の教室での席をだるまストーブの真ん前にするようにし、尚且つ、豆炭アンカに足が入るような袋を作り、それも学校へ持って行って良い許可までとりつけて、靴も足がボンボンで履けない私を中学に通っていた姉におんぶさせて登校する許可まで取り付けたのです。当時の私は何の疑問も持たず学校に行き、目の前の真っ赤に燃えているだるまストーブと豆炭アンカで熱くて熱くて、一日中ぼーっとしていて何の勉強をしているかもわからない状態で…。でも今母親の思いを図りしろうとするなら、多分カラダの弱い息子の為に母親ができることは何かと言う事を一生懸命考え行動に移したのだと思います。
今、介護の仕事に携わらせていただいているわけですが入居者さん利用者さんに対して何をして差し上げたら良いのかを考える方向性を母親が示してくれたのだと思うと、小さい頃体が弱かったのも今の自分を作り上げるのにも必要な期間だったのかも知れないと思います。
人生に無駄なし、全ての出来事に感謝!! 少し格好良すぎかな!?

雑感パート1

色んな方からよく「どうして休みなく仕事が出来るの」と聞かれます。私はそんなときに必ずこう答えます。
「私の父親から聞いた話しなのですが、私は生後百日目位の時に心臓が止まって、母親が泣きながら私の唇に水を付けていてその後どういう加減か解らないが息を吹き返して、それからも、度々高い熱を出して、我が家の縁の下には酸素ボンベがいつも置いてあったと言うことです。だから、生きているかぎり生かされていると思うと人の為に頑張りたいと考えています。」と。
少し格好良すぎのようにも思いますがこれが私の思いであることは間違いありません。私の母親は私が中1の時に他界しました。その母は私に対して、文字通り目の中にいれても痛くないような育て方だったので、仲良くしている姉からはその頃の話になると今も嫉妬されます・・・。
そんな母親が私に残してくれた言葉があります。

それは・・・。
「蒔かん種は生えない」
と言う言葉です。確かに私の母親は養子娘でわがままで気前がよくて親分肌で。そんな母親を父親はこよなく愛していたように思います。母親の言葉を今、実践したことが私の人生にとって大きく影響し、今正にそのことに感謝し、改めて母親の大きな懐で生かされていると思うと“感謝”“感激”“感激”です。

インドネシアに行ってきました。

インドネシアから来年、介護の現場に来てくれる候補者の若者達と面談するためにインドネシアへ行ってきました。ズバリの第一印象は久しぶりに目の輝きの素敵な若者達を見たなという事です。自分で言うのも変ですが30年前の自分とダブらせてしまいました。強い志をもって飛行機で8時間以上かかる所に来て、仕事をしながら勉強しようとされているわけだから、当然と言えば当然なのかもしれませんが感動しました。この若者たちが日本に来て、一生懸命さと優しさで仕事をされたら現在いる職員たちも含めて取り仕切られてしまうかもしれないなと言う感じさえしました。今は日本に行きたいと言う一念で日本の勉強をされているということですが、自己紹介を兼ねて名前を書いてもらったら、何とカタカナで書いてくれたのには驚きと同時に感動を覚えました。会話についても、一生懸命に日本語で応えようとしている姿には感銘しました。日本は不景気で就職先を探している方はいっぱいみえる割には人材不足が解消されていない今、頑張りたいと言うインドネシアの若者が大勢いることに日本の現実に違和感すら覚えたのは私だけではなかったと思います。

7時発の新幹線に乗りました。

昨日17時から全国老人福祉施設協議会在宅委員会が主催している作業委員会が行われ遅くなりましたので泊まらせて頂いたのですが午前中に施設での打ち合わせを入れておいたので6時に起き今は列車の中です。
さて、昨夜の作業委員会の事を考えると、いつもの事ながら作業委員会に出てくる若手のメンバーはよく勉強していると、改めて自分の不勉強さを反省すると同時に当法人の施設職員は大丈夫かなと不安になります。このブログを法人内の職員も見ていることを意識してのメッセージなのですが!?
改めて、井の中の蛙にならないように、自戒と叱咤激励のために。いつまでも、やればできると言う段階で足踏みしないように…。

久しぶりの東京出張

平成19年度の全国老人福祉施設研修岐阜会議でデンマーク式トランスファーテクニックの講習に参加して、職員の離職者を減らすためにも、入居者様の残存機能を生かすためにも導入すべきだと考え平成20年度の岐阜県老人施設協議会の研修に小島ブンゴード孝子さんをお招きし、岐阜県内4会場で講演と演習をして頂きはや一年。今年も小島ブンゴード孝子さんがデンマークの理学療法士であるニールセンさんを連れ、講習会活動をされると言う情報をキャッチしたので直接、小島先生と交渉をして2日間当法人に来て頂く事になりました。せっかく来て頂くのであれば、事前に基本的な事を理解しておいた方がより効果的だと考えて、昨年デンマーク在中の小島ブンゴード孝子さんの家にホームステイして研修をして来た職員の尻を叩いて頑張らせています。単に尻を叩くだけではいけないので、ハード面の充実も図らねばと言う事で午前中車椅子の検討会を業者も呼んで開催し、今、列車に飛び乗り東京に向かっています。職員もようやく本気になってきたので今後の展開が楽しみです。

心機一転

なかなかブログの原稿が書けない状況に自己矛盾を感じていたのですが昨夜、寝る前にふっと思いつきました。出張が多く新幹線に乗る機会が多いんだからその時間に原稿を書けば結構書けると!
早速、今新幹線の中で書いているのですが、後はいつもの口癖である継続は力なり!!頑張ります。
さて、今朝は出張前に施設に行って施設の和室にあるステンドグラス入りの仏壇でお経をあげ、新たな決意をしてから出掛けようと考えていました。有言実行と言う事で5時30分に起きて施設に直行して最近お参りしていないことに対して手を合わせてお詫びしてから、正信偈とお文さんを読み、四国遍路で耳で覚えた般若心経を中心としたお経をあげ、誓いを新たに原稿を書いています。今回の誓いはよーく考えてみると初心に返って頑張りますと言う事に原稿を書きながら気がつきました。そのことを教えてくださった仏様はやっぱりエラい!?頼るべきものがあった事に感謝!!もう一言言えば高校二年で四国遍路に導いてくれた熊のように怖そうだったおじさん、そこからつながって福祉に導いてくださった諸先生方や諸先輩の方々。そして施設を留守にしている間、頑張ってくれている職員と家を守ってくれている家族に感謝!!
感謝、感謝でこれからも頑張って行こうと思っていますので、ブログを見ていただいた方々これからも叱咤激励よろしくお願いします!?

「こもりかご」

「こもりかご」を紹介したカレンダーを見つけました。その中で、「昔の農作業は、家族全員で仕事をするため、小さいこどもをこもりかごの中に入れて畦に置き、安心して農作業に励んだ」と説明してあった。そうすると、昔の子どもは小さい頃から親の一生懸命に仕事をして汗を流している姿を見て育っている。現代社会では、ほとんどの家庭で親が仕事をしている姿を見て育っていない。
このことから思う事は、最近の介護職員の確保が全国的に厳しいという状況です。この傾向を顕著にしているのがあたかも3k職場であるかのようなレッテルを貼った一部のマスコミの影響を受けた親であったり、進路指導の先生である大人が介護現場を志そうとしている若者にブレーキをかけているようにも思える。介護の現場が人としての尊厳を大切にしながらお世話させていただき、専門性とやりがいをもって頑張っている現場職員もたくさんいることを声を大にして訴えていかなければと「こもりかご」の説明を見たのを機に思い文章にしてみました。
なお、私の記事を見られた方、また、このホームページを見られた方からのご意見ご要望を戴けるとうれしいのですが・・・。

正月早々、職員に「陰徳」について語ってしまいました。

私が児童養護施設の指導員として勤務していました20代の頃、勤務していた当時の理事長さんは妙心寺派の厳格な僧侶だったのですが、私のことを非常に可愛がって下さり、色々な話をして下さいました。
その中で特に心に残っている言葉に「陰徳」という言葉があります。具体的な話としては、「目立つことをして、みんなに認めて貰う事も大切だけれども、誰も見ていない所でコツコツと人の役に立つことをすることが大切だし難しい。」と諭すように話をして下さった。このことは私の生き方を大きく変えた教えの一つであります。
正月早々仕事が良く出来、良く気がつく職員ですが、職員からあまり信頼されていない職員に「陰徳」の話をしました。真意が伝われば素晴らしい職員になるのだけれど・・・・。

1 285 286 287 288 289 290