名古屋で会議があり、金山で列車を待っている時に不思議な事がありました。

19時20分にホームに着き列車の時刻を確認すると5分後に大垣行きがあり45分に米原行きがあることがわかり、米原行きまで待とうかなと考えて順番待ちの列に並ばなかったのですが、大垣行きがいつまでたっても来ないので不思議に思っていると、電子掲示板に米原行きの案内が出ている…。大垣行きはどうなったのかと思っていると、アナウンスが入り『大垣行きは30分の遅れであり、米原行きが先に到着しますだと…こらこら、それならそうと早くアナウンスせんか。大垣行きでなく米原行きに乗りたくて順番待ちしてなかったのだぞ。座れんかったら困るガヤガヤ…。ところが、米原行きが来てびっくり、だって、殆んど誰も乗ってないガラガラ状態だったので楽に席を確保出来たし。本日は昨日の研修の為に東京で泊まり新幹線を品川駅で待っていて感心しました。と言うのも列車が3分刻みに入ってきてしかも遅れる事なく…。せっかく、日本の列車は素晴らしいと思ったのに、30分も遅れるアナウンスが直ぐに出来んとはどうなったるの…。是は是として褒めるべきは褒め、駄目なものは駄目と言っていかねば…。

名古屋の地下鉄に乗って掲載物を見て思った事です。

吊るしてある掲示物が目に入りました。そこには、大きな文字で「ハイ」&『カラ」と書いてありハイの下に小さくボールとありカラの下にアゲと書いてありウィスキーの宣伝だったのですが、今どきハイカラと書いてあってピンと来るのは62歳になった私の年齢以上の方ではないのかと思うと現在酒の宣伝でターゲットとなっているのは60代以上なのかと…。しかし、ハイボールと唐揚げとのセットとは上手いこと考えるものですねと感心しきり…。だって、唐揚げは酒飲みの定番だし。

今週は当法人の敬老週間のイベントが続き・・・

今週は当法人の敬老週間のイベントが続きその間隙をついて出張があり、理事長として体力の限界に挑みます。

13日の日曜日から始まった当法人の敬老週間が始まり、初日は午前中に介護者教室ど午後は千巻経と言う格式のあるものからスタートしました。介護者教室では認知症をテーマにした企画がされ、前半は当法人の坪井認知症特任部長から当施設の取り組みの紹介をして、後半は岐阜経済大学の佐藤教授による講演を行いました。冒頭理事長としての挨拶の中で「継続は力なりと言っていながら今回久方ぶりの開催の為とピーアール不足のためか、参加人数が少なかった事については反省し次回までに体制を取りより良い提案を実施しますので今後とも宜しくお願いいたします。」と話ししました。参加して頂いた方々は大変良かったと異口同音に言って頂けたので、挨拶通りの展開をしていきたいと思っています。そして午後の企画であった千巻経には滋賀信行会の内藤会長さんを初め青年会の方々や中学生やお馴染みの幹部の方など総勢33名の参加を得て、尚且つ当施設の入居者、利用者で般若心経をしっかり唱えれる方などが一生懸命に唱えて下さったのでおそらく、五千巻は唱えて頂けたと思うので、間違いなく施設は浄化され、今後に幸せが訪れると確信しました。
二日目は関西落語の真打ちの笑福亭伯枝師匠の落語会があり、三日目四日目はバラ湯と薬草風呂を楽しんで頂いている時に愛知県名古屋市及び岐阜県の合同交流会があり名古屋の駅前で泊まり、今は東京で開催される自立支援研修会参加の為に新幹線の中にいます。明日は大垣の老舗寿司屋の寿司吉さんの握り職人さん全員の協力によるパフォーマンスがあるため東京から何とか間に合うように帰ってきて、ビールや冷酒を振る舞いたいと考えています、六日目はお馴染みになったクラウンアキオさんによる大道芸を楽しんで頂いて、(私は申し訳ありませんがその日は東京本部で役員会があり、クラウンアキオさんにはその日の夜にしか会えないのですが)最終日は映画鑑賞会でゆっくりして頂きたいと考えています。盛りだくさんの企画が出来るのも、楽しみにされる入居者利用者の方々がみえ、それを支えるスタッフがいてくれるから出来る事。これからもニーズに合わせた企画を実施して『今日一日楽しかった。』を日々心掛けたいと考えていますので変わらぬご支援をお願い致します。

人生の道半ば(人生夢の途中駅)

産まれて直ぐに(百日目)心臓が止まり暫くして(五分後)復活。止まった時の母親の嘆きは計り知れず、その後の人生病気と背中合わせ。毎年11月から2月までは霜焼けで両手両足ぼんぼんに腫れて、小学3年までは6歳上の姉に背負ってもらって学校へ。目に入れても痛くないと思っていた母親はその当時の校長先生に直談判して教室の座席をストーブの前の席にお願いすると同時に豆たんアンカに足が突っ込める袋を作り学校へ持って行く許可まで取り付ける…肝っ玉母さん。ストーブが入ってからはぬくぬくの毎日で、お陰で勉強はそぞろな毎日で。お陰でいわゆる「落ちこぼれ」。それでも「落ちこぼれ」のレッテル貼られなかったのは、教育者として名を馳せている父親と今須生まれでチャキチャキの母親がいたから…。その当時の母親の耳に息子が落ちこぼれだと言っていると聞いた瞬間、噂している家に怒鳴り込んだ事でしょう。小学1年当時の通知表なるものが見つかりました。算数が4で図画工作が1で、あとは2と3で…。担任の塚原先生が甘あまに
点けてこの成績…。今更ながらうーん「立派な成績」と言わざるを得ない。霜焼けの話をします。霜が降りる頃になると私の両手指から肘にかけてと両足指から膝にかけて、ボンボンに腫れて決して大袈裟ではなく手は軍手をしているようで、学校から帰ると目の中に入れても痛くないと思っている母親がゴボウの湯がき汁と水を用意して待っていて、熱い湯がき汁と冷たい水に手を入れて、手を出す度に母親が手を擦ってくれて、その頃の私は痛いことされて嫌やなくらいにしか思っていなかったと思うのですが、長男が結婚して、次男も結婚したいと言っている62歳の父親としては、痛いほど中1で他界した母親の気持ちがわかるような気がします。しかしながら、母親以上に(比較するものではありませんが…。)38歳の時に他界した父親は息子である私の行動にイライラしていたはずなのに、ずっと忍耐強く見守っていてくれた事に今更ながら感謝すると共に感動すら覚えています。と言うのも、昨日私の次男から携帯が入り、全く私に言わせると無計画な事をいい募るので、イライラ
しながら話をしている自分があり私の父親である進さんは、器の大きな人で、息子である私の事を心配しつつも信じていてくれた事に今更ながら気付きました。そう考えると、父親の法名は『至心院釈善進』。全く持ってぴったりだと思います。私も、いずれ法名をつけられる時が来て、立派な父親であったと言われて、地元の方々からも若山が頑張ってくれて良かったと言われるようにますます精進しますので、今後共にご支援ご声援宜しくお願いいたします。
*死んでからの事を心配するには、後20年はしゃかりき頑張らせて頂かなければ…〓

白内障の手術の為入院し、・・・

白内障の手術の為入院し、(目以外は元気なので)色々な事を考えて、また、多くの方々に携帯して相談にも乗っていただけ、退院後は今まで以上に頑張りたいと考えています。

〓病院の食事の味付けが大変良くて、最初の内はべた褒めしていたのですが、3日位して、はたと気が付きました。それは、食器がやけに熱くて、あんかけのような物ばかりだと…〓これはきっとチルド食が提供されているのだと。しかし、今まで私は手作りにこだわりチルド食を否定してきた考え方で凝り固まっていたのですが、今後は効率性と質の向上と言う、一見相反するテーマに施設経営者として取り組まなければいけないと考えさせられました。
〓私は6年の無納税者の苦難の末に関ヶ原の地に今の本部施設本館を建てた者として建物を大切に使って、いつまでも綺麗な建物でありたいとの思いは人一倍強いと自負していたのですが、今入院している病院の経営者のメンテナンスへの徹底ぶりを患者サイドからも驚かずにはいられません。(転んでもただでは起きない私の真骨頂…。でも、普通は自分で言わない…〓)〓前回も書きましたが、何と言っても「ありがとうございます。」の言葉が徹底している。患者からするとありがたいし、出来ることは自分でやろうと言う気持ちになるのではないでしょうか。但し、我が法人での経験からものを言わせて貰うと、『何故、その様にするのか。あるいは、その様に言うのか』を理解出来るまでいい続けていかないとどこかで、『やらされ仕事』になってしまうので、私自身の自戒を込めてコメントしました。
〓先程も述べた効率性と質の向上の命題をクリアするためへの布石を杉和会のトップとしてどう打っていくのか〓その為には私自身の意識改革こそ肝要だと、じっくり考える時間を頂き理解しました。1964年の東京オリンピックの女子バレーボールを金メダルに導いた大松監督の「俺についてこい」の考え方を私は今まで信じて実践してきましたが、それでは現代社会では通用しないことを…〓つまり、理念はしっかり持ちつつも、常に状況分析をしてより良い方向性を突き進んでいかなければいけないと
〓社会保障制度について、大きく舵取りを変えようとしている中で、今以上に情報を得て分析をきっちりとして、間違えない舵取りをしなければいけない。私としては、全国に12000事業所が加盟している全国老人福祉施設協議会の中で情報の共有化と国に対する働きかけを今以上に頑張っていきたいと考えています。今後共叱咤激励を宜しくお願いいたします。

何とはなしにテレビを見ていて不思議に思った事。

それは多分子供向け番組だったのですが…。縫いぐるみをかぶったのが幾つか出演していたのですが、その内の一つが、出演者の腰あたりしかないのが元気に手を振ったり跳び跳ねたりしているのです。私は不思議に思ったのですが、その理由を知っている方があれば教えて下さい。

病院もサービス業界として頑張っています。・・・

病院もサービス業界として頑張っています。介護業界もうかうかしておれません。
白内障の手術の為入院患者としてサービスを受ける立場になり、ある意味カルチャーショックです。何と言っても一人ひとりの職員さんが患者である私に何かをさせた時に必ず「ありがとうございます。」といわれる事〓手術の間中、執刀医の先生は一つひとつ声かけと説明をしつつ、不安を取り除く声かけをして下さった事〓そして何より驚いたのは、食事が美味しいのとストロー付の容器にお茶が来て尚且つお手拭きまで付いてくる。医療界がここまでしてもらえるならば、介護業界も負けてはいられない!!退院後には早速、良い点を真似ていかねばと考えています。何事も無駄なく吸収したい私にとって、息子の結婚式までの忙しかった分の休養も兼ねての入院でしたが今は、これからの改革を考えるとワクワクしてくるし、今更ながら無駄のない生き方だなとしみじみ思います。

本日長男の結婚式です

いつものように6時前に起き本部施設に来て、朝から雨が降っているので畑や花壇の水撒きをしなくてもいいので事務所での決裁等を始めようとしたのですが、いつものような集中力が出てこなくて落ち着かないので(やっぱり人の子の親・・・当たり前か)ここは居直って『人の子の親』としての思いをブログにします。
私自身も長男と同じ30歳で結婚しました。私の場合は父親が既に72歳と言う年齢でしたので私の父親にしてみると「小さい頃何ともならなかった虚弱児の息子が、結婚することになった」と言う事で感涙状態だった事を覚えています。そこで、昨夜の私の奥様かをりさんとの会話を紹介したいと思います。かをりさん「あなたは子どもが産まれても仕事優先で、毎晩11時過ぎの帰宅で、日曜日だけは朝早くからの仕事だったので7時頃に帰れるので子どもが『今日はお父さんとご飯が食べれる』と喜んでいたよ」との攻撃的とも取れる発言に旦那様である宏君は「まるで母子家庭のような家だったんだな」と答えると「お義母は大変な人だったし子育ても私だけで、唯一の理解者はお義父さんだけだったから大変でした。」と言われ、宏君は「そんな状態でもちゃんと結婚してくれる息子に育ててくれてありがとう。」『うーん、家の中では存在感なかったのか』今更思い知らされた。そんな父親だったけど私の奥様かをりさんは旦那様である宏君を良く支えてくれて若山家の繁栄の為に愚痴一つ言わないで頑張ってくれた。
本日結婚する長男の誠に贈る言葉は、私の実母である亡き母秋江さんの遺言である「蒔かん種は生えない。一杯いっぱい種を蒔け」をそのまま贈ると共に『どんな事にも挫けない度量を磨け』と『素晴らしいヒューマンネットワークを築け』です。また、本日、多くの方に祝福されて若山家の嫁になり私をお義父と呼ぶことになる志穂さんにも一言、「旦那様をしっかり支えて、自己犠牲も厭わずでいて欲しい。古い考え方かも知れませんが、良き見本が直ぐ側にいますので宜しく。」
なんか私的な事をブログにしてしまい申し訳ありませんが、直接に言えなかった事を活字にしてしまいました。

赤とんぼがたくさん飛んでます

8月2日に入居者・家族・地域・来賓・ボランティア・職員を含め700人を超える盛大な夏祭りが行われ、既に3週間を経過し、今年の夏は事のほか暑い日が多かったのですが、熱中症の症状になる方もなく、今朝6時過ぎに畑の水撒きに来てビックリ。と言うのも赤とんぼがいっぱい飛んでいたからです。そこで改めて思うのは日本の四季は明確に訪れると言うことです。
法人運営も大変な問題が山積していて、イライラする事も多いのですが、今日のテーマの事を考えていて、私が好きな地元の演歌歌手で砂田おさむさんの『風雪挽歌』の2番の歌詞を思い出しました。「弱音は吐くなと岩木山 根雪賭解(と)ければ 春も来る」・・・。厳しい冬を耐えれば春が来る事を信じて、これからも頑張っていきますので、今後共宜しくお願い致します。
なお8月25日に岐阜新聞の岐阜版『素描』の2ヶ月間、週一の連載の最終回です。岐阜新聞を購読されている方は是非読んでみて下さい。

ばたばたしていて緊張した出来事なのにブログに紹介出来なかった事を書きます

緊張した出来事は8月11日12時23分に携帯が鳴り画面を見た時から始まりました。登録がしてない番号で、その声は野太いく、やばい人からかなとますます緊張していると、「参議員議員の末松です。」との事。今度は違う意味で緊張すると共に思わず『先生、どうして私の携帯番号が分かったのですか』と思わずお伺いすると、『全国老施協の天野局長に教えて貰いました。』(「こら天野!末松先生に携帯番号を教えたなら教えたと連絡してこんかい!」)次に末松先生が言われた言葉にまたまたビックリと緊張。『今日まで東京なのですが明日は時間が取れそうなので和合の施設を2時間ほど見学させて貰えませんか。勿論、理事長はお忙しいと思いますので、職員を1人付けて頂ければ結構です。それから、家内も神戸から来て合流しますので、和合の施設へはどのように行けば良いですか』との事だったので『名古屋で合流して頂いて在来線で大垣に出てタクシーで来て下さい。』と返事して携帯を切った後、緊張を解す為に深呼吸をして問題整理をして、これは私らしくない対応だったと考え、末松先生にこちらから連絡。『先程、在来線で大垣へと言いましたが、岐阜羽島で奥様と合流して頂ければお迎えに参ります。』と話して了解を得たので『何時のお迎えになりますか』とお聞きすると、『時間については、家内から連絡が行くと思いますので。』との事。暫くすると奥様から電話があり『岐阜羽島までお迎えに行きます。』と話しするとご遠慮されたので(さすがです)『末松先生には了解して貰いましたので』と話しをすると『それではお願いします。時間については直ぐに調べて連絡します。』で結局、10時30分のお迎えになる。
翌日、奥様が先に神戸から着かれ、10時29分に末松先生も着かれ、無事に車に乗って頂き、緊張しながらも運転して、優・悠・邑 和合の先ずは理事長室でご挨拶と共に介護のことで話しが盛り上がり、施設見学に行く時間がどんどん遅くなり・・・。施設のお昼ご飯を食べて貰う時間が遅くなり、とにかく1時前に優・悠・邑 和合を出て、予定にはなかった関ヶ原の本部施設の見学もして頂く事になり、今度は本部施設の職員に緊張が走り・・・。
取りあえず米原3時51分の新幹線ギリギリまで施設見学と意見交換で盛り上がり、最後は列車に間に合わないといけないと最後まで緊張。2時間のご予定を5時間以上の企画にしてしまったのは大変申し訳なかったのですが、私的には緊張の中ではありましたが末松参議員議員ご夫婦と有意義な時間が持て、結果的には良かったなと言う今回はかなり訳の分からない話でした。でも、末松参議員議員ご夫婦を東京と神戸から呼び寄せたご縁は、中村会長のご生母の通夜の席で名刺交換をさせて頂き、翌日に当法人のパンフレット等と共に「一度来ていただければ幸いです。」とのアクションに応えて下さった訳で、このようにエネルギッシュな先生とは永くお付き合いしたいと考えていますので、ホームページ上で申し訳ありませんが、『今後共末永く宜しくお願いします。

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