介護保険制度に物申す

岐阜新聞の一面コラムを見てのコメントを書いているうちに、今回の制度改正と報酬改定で感じたことを、リピーターの皆さんに知って頂き、ご意見を頂きたいと思いますので以下に述べます。

①今年度から実施される地域密着型構想は、都市部を中心とした地域をイメージしたものであり、岐阜県のように地域のエリア的な距離、また一部豪雪エリアを含んだ地理的条件を考え合わせると、在宅サービスをより細分化させた新たな地域密着は、現実にそぐわないものと言わざるを得ません。
② 国が目指している「個別化」はわかりますが、個別化は「個室」でないといけない、と言う発想です。これは、想像力の欠けた人の幻想であると思っています。個室であっても個別化できない介護なんて、ごまんと見てきましたし、また多少室であっても個別化しているケアはたくさん存在しているからです。例をあげるまでもなく、病院の集中治療室(ICU)は個室ですか・・・? 勿論大部屋での集中治療なわけです。逆に大部屋の方が、緊急時の対応に即しているからです。「私が将来、老人ホームに入るなら、個室の方がいい・・・」と言っている学識経験者や官僚がいますが、想像力の欠いた認識です。老人ホームに入る前に考えるプライバシーと、老人ホームに入るようになった際のプライバシーはまったく質の違うものですから。
山形県を例に出すまでもなく、宮城県との防災協定で、宮城県内の被災施設から利用者や職員を受け入れた山形県の「受け入れ施設」では、多床室をもつ施設の方が収容能力に長け、職員の動線もよかったことは経験からわかっていることです。
③今回の東日本大震災が起きる前、つまり平時における特養と言う意味では、地  域の一拠点に過ぎなかった傾向は否めないかもしれません。それは、地域とそれほど連携しなくとも、職員を含めたソフト面や、建造物からみたハード面でも、自己完結型で業務をなしえた性格があるからです。しかしながら、今回の被災地を見回しても、地域の中で唯一と言っていいほど建物自体が残り、かろうじて機能しているところが多かったのは、特養が代表的でした。そうした意味においては、特に被災地でのこれからの高齢者施設の設計には、多床室を多く抱えた「籠城」の機能を持たせた施設づくりが必要になるわけです。地域の避難所としての機能も十分に持ち合わせていますから。
④ 特別養護老人ホームの個室化を進める為に多床室の減額幅が大きくなっているが岐阜県の需要は多床室も多くあり、岐阜県条例で4人床まで認めていく方向が岐阜県高齢者安心計画により答申された。しかしながら、介護給付費分科会の大森会長は「特養の皆様も覚悟を決めていただきたい。」。池田委員「多床室の介護報酬をドスンと落とせばいいんです。」などの意見がなされているのは岐阜県のニーズとはかなり乖離したものと考えられる。
⑤ 岐阜県内の高齢者・要介護者数が増加するなか、特別養護老人ホームへの入居申込者数も年々増加しており、平成23年には16.780人となっています。そのうち、入居の必要数が高いと推測される要介護2以上で、独居又は家族介護が困難な在宅の入居申し込み数は、平成23年度で4.532人(全体の約27%)となっています。(資料参照:岐阜県高齢者安心計画)

「いつでも、何処でも安心出来る介護保険のシステムからは程遠い」と言わざるを得ません。
⑥財源難の中、消費税増税、介護保険料(1号、2号被保険者)もどんどん上がっていくのに、いざと言う時には使えないサービス。これは保険料負担者への信頼に対する不誠実と言わざるを得ません。
⑦マンパワーの確保は、介護保険の根幹としての課題だと言う事を考えた時、EPA による介護福祉士候補生を積極的に導入する観点からも、職員配置に加えていきより多くのマンパワー確保に努めていただきたい。

早起きは三文の徳

6時10分に施設から連絡。幹部職員には法人用の携帯を渡し「3コールで携帯に出ない者は三流だ」と言ってはばからない私は既に地元紙の岐阜新聞の一面コラムを読んでいて2コール目ででたので面目躍如!但し、施設手作りのヨーグルトが機械の電源が入ってなくて出せないのでどうしましょうとの事で、今から代替えを確保するのは難しいので、お昼に一品代替え品を付けることで対応する事を指示して、朝一にやることが変わった事を理解しました。それは、二度と同じ事が起きない為の対応と代替え品の指示を管理栄養士にする事です。ところで、岐阜新聞のコラムに素敵な内容が書かれていたので紹介し私のコメントも書きたいと思います。原文のまま少し紹介すると「「危うく「早起きは三文の得」と書きそうになったが、辞書では「早起きは三文の徳」。この諺では損得ではなく、人徳の徳をあてる(中略)企業は徳では食えず、損得勘定がすべて。だが、徳を積まない企業はなぜか消えてゆく。社会人にもなった新入社員。この謎解きを存分に楽しもう。」」と書いてありました。
以前に私のコラムで「陰徳」について書いた事を思い出し、嬉しく思うと同時に徳を貰う為に早起きをするのではなく、今日の筆者が書いているように、早起きをする習慣がつくと時間に余裕が出来、心に余裕が出来るので相手に対しても素晴らしい事が出来る。しかもパフォーマンスではなくて陰徳が。当法人杉和会の大きな柱は正に「陰徳」です。地域で愛され喜んで頂く為に新年度を迎えて、職員一同より頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いします。

石川県の施設長・事務長研修会で講演(小噺)をさせて頂きました。

石川県老人福祉施設協議会の今井副会長から石川県の施設長・事務長研修会で講演依頼を受け、簡単にお引き受けして、事務局の佐々木さんから何度も連絡を頂きながら講演の資料もぎりぎりにしか出せない落ちこぼれをして、演台に立ってからも何から話して良いのかが決まらず、中学を卒業するまで対人恐怖症の赤面症だったと言う、わざわざ岐阜からきた法人の理事長が話すようなものでないのから始めたのには自分自身もビックリ。しかも、頭の良い子にする話しをしていて、最終的な落ちの部分で若いきれいな女性検事の話しまでしないと意味がわからないのに、違う話題に行ってしまって・・・・・。研修を受けられた皆さんごめんなさい。でも、先進的な取り組みを意欲的に実施していることの一端でも理解してくださり、200人みえた参加者のなかから、一人でも二人でも当施設に来てトランスファーの研修に来てくださればと今は念じております。
私自身は、全国老人福祉施設協議会中田会長と一緒に昼食を頂きながら親しくお話しが出来、中田会長の施設(北海道)からも是非研修を受けてくれとお話しを頂いたのは非常に嬉しく思いました。

特定の研修が終了しました

特定の研修は不特定のように、50時間にも及ぶ座学があるわけではなく、8時間の座学と2回連続の手技が合格と言うものだったが、初日の8時間の座学の後を受けての二日目の試験については20人全員が合格点である90点以上をクリアされ、受講者の真剣さが伝わる結果となりました。また、手技についても次に実施する受講者が一生懸命に指導されているのを理解されようとした結果、午後3時頃までかかるのかと思っていたのですが午後0時30分には終了して指導看護師の方も正直「今日は早く終わって良かった。」と言う気持ちだったと思います。だって、不特定研修の演習は3日間共に午後8時を過ぎたのですから。これで、今年度の研修は全て終了。あとは2月16日に演習会場になった岐阜経済大学に機材の撤去をしにいくことと来年度の計画を立てるのみ。ああ!大切な事を忘れていました。研修委員会のメンバーと指導看護師さんには大変な思いと協力を頂いたので反省会とご苦労さん会を実施しなければ

吉田宏岳先生パートⅡ

五番札所でお参りした後、お昼ご飯を頂くことになり、遍路宿で作っていただいたおにぎりを適当なところで食べようと思い座り込もうとしたところ、宏岳先生が「若山さん、そこにスーパーがありますよ」と言われたので、「何か追加で食べられるのですか」とお聞きすると「泡の出るものがあると元気がでるよ。」と言われたので、私も嫌いな方ではないので缶ビールを買ってきて飲みましたが、遍路道を歩いていて飲んだのは後にも先にもこの一回だけです・・・・・。勿論、6番札所安楽寺の宿坊でお風呂を頂きさっぱりしたところでビールを二人でがんがん飲みました。
巡礼の旅3日目は11番藤井寺の裏山から一機に急な登り坂を歩くのですが、1時間ほど頑張ったところで、見晴らしの良いところまで来たので休憩を取ることにしました。そろそろ休憩を終わって歩きだそうとしたところ、宏岳先生が「気付け薬を飲むのでもう少し待って欲しいと言われ、しばらくして、歩きを再開して10分もすると宏岳先生がフーフーとしんどそうな息をされているので、「宏岳先生。水筒の中味は何だったのですか」とお聞きすると、「ウイスキーを飲むと元気になると思って。」と答えられたのには、さすがの私もビックリでした。何とか12番の札所である焼山寺に着いた時に、宏岳先生がつくづく言われたのは、「遍路中には酒は厳禁だな。」でした。日程の都合で23番札所までは行けないと判断した私は、宏岳先生をどうしてもご案内したかった20番の奥の院である慈眼寺の岩場の行にお連れしました。慈眼寺の本堂の裏山の急な坂を登り、案内役の女性の方にそれぞれろうそく1本を貰い所謂鍾乳洞になった人が一人何とか通れるところの修行を体験して頂きました。岩場の行を終えて急な下り坂を歩いている時に宏岳先生がつくづく言われました。「こんな素晴らしい体験は広めなければいけない」と。宏岳先生の凄いところは、良いと思ったら即実行し継続される事。翌年の春から年に2回春と秋に団体をくんで実施された事。勿論私は先達として参加させて頂きました。

吉田宏岳先生との思い出

38歳の時に26歳から勤めていた児童養護施設指導員の仕事を退職し、フリーでの仕事として大垣女子短期大学幼児教育学科の非常勤講師や家庭教師や不登校児の個別指導(これが一番やりたかったこと)と自分で出来る事を精一杯展開している時に、吉田宏岳先生が主宰されていた「教育と福祉を考える会」と言う学会の一員に加えて頂き、それこそ初めてお会いさせて頂いた時には凄いオーラの為に緊張に継ぐ緊張だったのを覚えています。そして、何回か学会に参加させて頂いたある日、吉田宏岳先生のご自宅に行く機会があり、そこで宏岳先生の家がお寺であることを知り、「何宗のお寺ですか」とお聞きすると「真言宗豊山派のお寺だよ」と教えて頂いたので、思わず私は「空海が開いたと言われている四国八十八箇所の歩き巡礼を高校2年生の時からやっていて、50人位の団体の先達をしてました。」と話しをすると(これだけの会話をしたのはこれが最初だったと思います)その時はあまり興味を示されずに「そうですか」とのご返事にがっかりしたのを今でも覚えています。ところが、それからおよそ1週間後に私の自宅に宏岳先生自らの電話を頂き緊張しながら話しをした事を昨日の事のように覚えています。その内容は、ちょうど1週間後に1週間ほど時間が出来たので四国を案内して欲しいとの事でした。その時は「関ヶ原祭りの日からだ!でも、万障お繰り合わせだぞ」とドキドキしながら思ったものでした。その時は、アッと言う間に一週間が経ち、関ヶ原祭りの招待客はお昼の時間に来て貰い2時に米原駅まで送ってもらい宏岳先生と新幹線の中で合流して新大阪で降り伊丹空港から徳島空港までブーンと登ってブーンと降りて、徳島空港からタクシーで一番札所霊山寺前の遍路宿に6時過ぎに着き、遅くなったら食べようと考えて準備したお弁当を食べる前にひとまずお風呂に入り、宏岳先生の口癖だった「良く学び良く遊べ」とばかりにビールで乾杯。その後宏岳先生と枕を並べてぐっすり。翌朝は5時30分に起きて6時に朝食を頂き7時に一番札所霊山寺から宏岳先生との珍道中の始まり・・・・・。四国八十八箇所の歩き巡礼を経験された方はおわかりだと思うのですが(殆どないか・・・。)一番札所から三番札所までは国道沿いの歩道を歩く事になるのですが、その間の宏岳先生からの言葉は「弘法さんがこんな道を歩かれたはずがない。」と何度も言われ、その都度私は「四番からは間違いなく遍路道になりますので」と言うしかなくて・・・・・。ところが三番札所を過ぎて四番札所にさしかかって遍路道になったころからペースが上がり五番札所のお参りをした処で昼食を採ることになり・・・。
※ 次の宏岳先生との出会いレポートに乞うご期待下さい。

雪が一段落しました

今日は久しぶりの青空で屋根の雪が重たそうに垂れ下がり、氷柱(つらら)の先からぽたぽたと滴が落ちています。昨日は午前5時から地元の方に駐車場及び施設内道路を除雪して頂いたので、コンクリート面がきれいに顔をだしています。しかも、敷地内のあちらこちらに山済みになっていた雪の固まりも、「また降って除ける所がなくなるといけないので」と言って除けて頂けたので、当施設の中はさっぱりとした状態です。当施設の事業開始の頃に雪が降ると朝から一日中雪解けをしても、どれだけもどけられず途方にくれた事を感慨深く思い出しました。

習慣?それとも使命感?

只今午前4時20分。雪が心配な日は4時過ぎには目が覚めて布団から起きて我が家の二階の窓から旧中山道の道路の状況を見ていると、宿直者からメールが届きます。(我が法人の職員は素晴らしい)そこで、おもむろに施設に電話して業者に連絡するかどうかのやり取りをします。本日は今の段階で15センチとの事!業者さんも施設の状況が分かってきたので、5時過ぎに私が連絡する事で打ち合わせが終わり、今は携帯のメールでホームページ用のブログを打っているのですが、ピタッと4時に目が覚めて以上の行為をしている私は偉いのかやり過ぎなのか!?でも、これが私のスタンスなので職員も大変だけど、私も叱咤激励だし、職員も叱咤激励と言う事で・・・。などと原稿を打っているうちに5時を過ぎましたのでこれから業者さんに連絡して私も施設に出掛けると言う事で・・・。やっぱりやり過ぎなのかな!?

吉田宏岳先生の夢をみました。

福祉の素晴らしさを包み込むように教えて下さった吉田宏岳先生の夢をみましたので一旦起きてブログを書きました。

いつも毅然として厳しさの中に優しさを持っていて下さった吉田宏岳先生の夢をみました。夢の中とはいえめっちゃ誉めて頂いたので嬉しくて嬉しくてたまりません!吉田宏岳先生との出会いについては、じっくりと時間をかけて書いていきたいと考えています。どんな先生だったかと一言で言うと・・・。
いやいや一言では語れないので明日にします。何故なら雪が積もれば朝4時に起きて雪解けをしていただく業者の方の誘導をしなければいけないのでもう一度寝ます。寝ながらの原稿ですいません。

関ヶ原に67 センチの積雪があったとテレビで報道しています。

テレビでそのニュースを見た人はへえ、そうなんだ!で終わりでしょうが、そこで暮らしている私は、明け方の4時に宿直者からの連絡により取りあえず地元で契約している業者さんに電話連絡で除雪の依頼をしてから、寒くない濡れても大丈夫な服を着て、いつもなら八分で到着する施設へ二十五分かけて行き、宿直者に指示して車の移動と業者さんとの打ち合わせをして除雪をしていただく。その間も雪は降り続いて、結局今日は1日中今須では降り続いていたのですが、私は除雪が一段落した8時過ぎに輪之内町で支部の研修会があり、3時に終了して、その時輪之内は晴れていたのに、関ヶ原で高速を降り関ヶ原の町に入った途端にまたまた雪が降り出し、今須に入ると猛吹雪で・・・でもでも、すめば都、雪解けで運動は出来るし、お風呂上がりのお酒は雪見酒で旨いし、負け惜しみでなく最高。でも、少しばて気味なのは確かです。明日も4時に起きるのをワクワクしながら、寝る事にします。

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