「日本式介護」のアジア輸出は成功するか?と言うダイヤモンド・オンラインの記事を読み、私なりの見解を述べます

平成29年2月1日

介護事業者のアジア進出を政府が全面的に後押ししようとしている状況で、要介護5の方が要介護3になった施設の事例をあげている。その事実から安部首相は「できないことを手助けするのではなく、できるように導く」介護の推進を掲げキーワードは「自立支援介護」の徹底だと言い切られています。確かに私の施設においても入居当時、要介護4だった入居者さんが現在要介護1になって盆栽の管理やカメラで写真を撮って手作りの広報誌をパソコンで作られている方もありますが、全ての方がそのようになるわけではないし、むしろ加齢に伴い要介護度が高くなる方もみえます。だからこそ、一人ひとりにあったプランを立てて日々実践しているのです。尚、この記事の中で「自立支援介護の理論構成」として、「基本ケアは水分、栄養、排便、運動をパッケージとして管理」「1500mlの水分摂取、1500Kcalの栄養摂取、生理的規則的な排便、歩行中心の運動」と極めて具体的に提示されていますが、全ての方に、この提示が当てはまるならば、介護の仕事は楽なものと言え るのですが、そんな単純なものではなく、一人ひとりに介護すべき事が違うのです。確かに当施設においても1500ml以上の水分を摂取して頂き認知症の症状が消失した事例はありますが、1500mlを飲まれて体調をくずされた方もあります。つまり、介護はそれぞれの方の生き方、生活習慣、身体状況によっても違うと考えています。私は平成9年に今の施設を開設しましたのでいわゆる「措置の時代」を2年間経験したのですか、その頃の施設はいわゆる、最低限にすべき事をすれば良い的な考え方(勿論当施設は決してそのような事はしておりません)があった事を否定しません。 私が言いたいのは、自立支援介護は単純なものではなく、手法は多岐に渡っていると言う事。確かに日本は僅か24年で7%から14%に高齢者の割合がなった中で必死になって要介護高齢者を守ってきたわけで、これから高齢者対応に追われるアジアの国々が学ぶ面は多くあると思いますが極々一部の事例で政策を決めるのではなく、今の施設の現状をつぶさに理解して介護報酬等も決めて欲しいし都市部の現状と地方部の現状の違いも理解した政策を講じて欲しい。どちらにしても、安部首相が介護に着眼された事は嬉しい限りです。但し、現状把握に汗をかいて貰いたい。一生懸命に取り組んでても要介護度が厳しくなる方はあるのですから。

平成29年1月も今日を含めてあと2日・・・・・

年末年始に風邪をひき調子が出なくてスタートダッシュに失敗したこともあり、バタバタしている内に1月が終わってしまう。こんなことでは63歳7ヶ月の私は何も出来ずに高齢者の仲間になってしまう。先般、地元の中学校の研究発表会にまねかれ「高齢者とは何歳からだと思いますか」との質問に「60歳」と答えた生徒がいて「私も高齢者だと思われている」と思うといささかショックだったのですが、最近の風潮では「高齢者の規定を75歳にすべき」とか「生涯現役」とか言ってますが、歳をとっているのは事実なので、本日も我が家を6時過ぎに出て今は東京で10時からユニット検討会議の為今は新幹線の中なのですが、頑張れる内は叱咤激励で頑張ります。ところで、昨日我が家に配布された関ヶ原町の広報の表紙に関ヶ原町主催の成人式の写真が掲載されているのを見て思った事を書きます。そこには、西脇町長さん、澤居議長さん、中川教育長さんを中心に成人式を迎えた若者がそれぞれの思いを込めて写っていて、一際目立った茶髪にサングラスをかけた若者を見たとき43年前の私をダブらせてしまいました。その時の私は、ロングヘアーにパーマをかけていてその当時としてはメチャクチャ目立った存在だったように思います。そう言う意味では43年の歴史を感じます。

話は変わりますが、先般、全国老人福祉施設協議会主催の研究会議が長崎で開催され本部施設から2事例発表とポスターセッションにエントリーをして、奨励賞を頂きました。私は第2分散会で審査委員長の役割があったので奨励賞を頂いた発表は聞けなかったのですが、発表自体総じてレベルの高い中で頂けたのだから満足のいく結果となりました。研究会議が終了し頑張れたご褒美とご苦労さん会を兼ねて後泊をして、「良く学び、良く遊べ」。美味しい料理とお酒とカラオケ♪翌日はレンタカーを借りてグラバー邸と平和記念公園の見学と昼食は長崎チャンポン。グラバー邸ではグラバーさんが日本の将来は明るいと判断されて起業され坂本龍馬らとも繋がり素晴らしい事業家になられたことが良くわかり、平和記念公園では改めて今の平和は厳しい時代があってこそと思うと今を生きていることに感謝です。昼食の長崎チャンポンは流石に本場のチャンポンだけあって、スープ善し、チャンポンらしくいっぱいの具材に満足の極み。思い付くままの原稿ですみませんが、もうすぐ東京ですので・・・・。

 

本日から全国老人福祉施設協議会研修会議長崎大会が開催されます。

私は昨日長崎で正副会長委員長拡大会議があり先取りで長崎に来て、今は全体会会場に11時に役員は集合することになっているので少し時間があるので携帯メールでこの原稿を打っている次第です。本会議の参加人数は2500人を越えたと昨日の会議の席で聞いたのですが、会場の準備をされた長崎県の役職員の方々の努力は並大抵でなかったと思います。本日は長崎ブリックホールで全体会があり第26代海上幕僚長古庄氏の記念講演があったり、ジャパネットたかた創業者の高田氏の特別講演があったりと盛りだくさんの企画があります。そして明日は事例発表会(いわゆる学会形式)があり、当法人からも本部施設の服部係長と若園係長が発表します。私はと言うと第一分科会第二分散会の審査委員長を仰せつかっているので、明日は評価者としてしっかり審査したいと思うと共に先進事例を当法人でも取り入れれるものは取り入れていきたいと考えています。明日は研修会議が終了したら、発表した二人とそれをサポートした二人と、その四人を指導していただいた佐藤先生を囲んで後泊をして反省会と言うか慰労会と言うかをして、せっかく長崎に来たので翌日は市内観光をして帰る予定をしてます。私としては法人の理事長として、これを機会にして職員全体のモチベーションとスキルが上がる事を期待している次第です。尚、事例発表会の結果は大会後にしっかり報告したいと思っています。

昨夜の役員歓迎レセプションの1コマ

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頓珍漢な夫婦の会話

昨日は関ヶ原も久しぶりの寒波に見舞われ、施設の除雪車で雪解けをして汗をかき、着替えをした後、帰宅し玄関先が山のような雪の塊状態だったので、雪が降りしきる中、雪解けを終え、家に入るなりお風呂に入り冷え切った身体を癒しながらゆっくり湯船に浸かっていたら、いつもより長めのお風呂だった為かそれとも食事の都合の為か私の奥様かをりさんが脱衣場のガラス越しに「おでんわ(は)しましたよ。」と声掛けられたので「だれにしたの」と宏君が応えると「何わけ分からん事言っとるの。おでんが出来たから早く出て。」と言われ、宏君は思わず絶句。だって、「お電話しましたよ」と聞こえたんだから。今更ながら「は」「わ」の日本語の複雑さを知ると共に奥様とのコミュニケーション不足の賜物なのかと反省し、しつこいくらいにお風呂からあがって「お電話」と「おでんは」のすれ違いについて大笑いした次第です。

年末に体調を崩し29日の餅つきに火の番を張り切ってしたことで決定的なだめ押しになり、今年のお正月は寝正月になってしまい、寝ながら色々な事を考えましたのでその事を書き年頭の挨拶とします。

〓寝正月を出来るのも、365日24時間、頑張ってくれている職員がいればこそと思うと、改めて19年の重みを感じました。
〓63歳の私の体は若いとき(今も若いつもりですが)とは違い無理の利かない体なのだと考えたら疲れたとか、調子が悪いときは早めに休養をとる。
〓忘年会の連チャンは決して肝臓に良くない。(わかっているのに「ノーサンキュー」が言えない生き方なので…〓
〓ゆっくり体を休める時間があったので、色々な戦略を練る事ができました。
等々です。

結果オーライで良かった事として、例年、元旦に多賀神社でのご祈祷をして頂くのですが、3が日が済んでからのお参りだったので、車の駐車も近くに置くことができ、何と言っても、丁寧にご祈祷をしていただけたので良かったと思いました。

本日は1月11日で今は新幹線の中。実は知事選の告示日を間違えて朝7時に家を出て水産会館前での出陣式に行って、誰もみえないので、変だと思い、棚橋衆議院議員の藤田秘書に連絡を取ると「会長、明日ですよ」と言われ(と言う事は、本日東京から遅く帰って明日も7時には家をでるのか・・・・。)少々早く東京に着きますが、プラス思考の私は考え方を変えて、それでは本部事務所に早く行って事務局長をはじめ事務職員にしっかり年頭の挨拶をして全国の役員さんにも余裕を持って挨拶が出来ると今は思っています。
年のはじめの勘違いを良い方向に持っていき今年も頑張りますので今年も宜しくお願いいたします。

快晴の富士山をゲット!しました。

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レスリングをしている方が「気合いだ!!気合いだ!!」と頑張らせているのを真似をしていたら遂にダウン

13時30分からの会議が終わり少し背中の辺りがぞくぞくしたので、熱燗で喉を消毒して体を温めたら元気になると過信していた私はお寿司屋さんで三合ほど飲み鰻などの元気が出そうな物をつまみにして、飲んでいるときは背中のぞくぞく感も治まり絶好調の中、代行運転で帰る道すがら、うたた寝をして家に着いたらぞくぞく感が倍増・・・・。家に入り熱を測ったら私の奥様かをりさんから機関銃のように叱られ解熱剤と冷ピタを頭に張り、機関銃の嵐の中、布団に潜り込み夜中に寝汗を一回だけかき、今は関ヶ原病気で診察を終えて薬を待ってます。ちなみにインフルエンザの結果はマイナスでした。今日1日ゆっくり休んで(ただし、夜の全体会は参加します)明日からは年末までに片付けなければいけない事を頑張ります。63歳で過信は禁物です〓気合いだ!!は止めにします。

やっぱり東京は大変なところです

昨日は全国老人福祉施設協議会の研修委員会が18時20分までありその後望年会(全国老人福祉施設協議会は忘年会とはいわないので)があり、15分ほど委員会のメンバーと一緒にワイワイ話をしながら会場まで歩いていき、2時間飲み放題のセットで冷酒をしたたか飲み、その後歌える店に二次会希望者五人で行き私が一番に勿論山崎ていじの夜汽車を歌い、その後五人が順番に得意な歌を多分7、8曲歌いましたか。本日は11時には施設に帰らなければいけないので午前様にならないようにお店を出てびっくり〓〓何故ならばどしゃ降りの雨と風。おまけにタクシーは全く拾えず、タクシー乗り場に行ったらタクシーは一台も無くて長蛇の列…。仕方がないのでホテルまでどしゃ降りの雨と風の中を歩きました。お陰様でコートはベタベタ。でも背中は汗をかいていてお酒は抜けましたので体調は万全で施設に帰ってバリバリ活動します。しかしながら、東京は雨が降ると情景ががらっと変わる凄い所だと改めて理解した次第です。本日は雲一つない快晴で昨夜の雨は一体なんだったのか〓

凄まじい車に遭遇しました !!

昨日は午前中に岐阜県社会福祉協議会の理事会があり、午後からは公認会計士の先生による法人の書類指導があり、その中で岐阜県に提出した書類の差し替えがあることを指摘を受け、公認会計士先生の指導の後、訂正書類が出来たのが5時過ぎ。昨日は午後7時から和合において全体会があることがわかっていたので、6時を過ぎても高齢福祉課の担当者はおみえになると思い岐阜県庁へ車を走らせているときの出来事です。(あいからわず、前置きが長くてすみません。)車が大垣市内に入り車が混んできた時に何となく危険を感じルームミラーを見ると私の後ろの車が猛然と近づいてきたのです。あと1メーターの距離(決して大袈裟な表現ではありません)で相手が急ブレーキです〓そして、その後その車の様子を観察すると急ハンドルをきって右へ左へ。あっという間に見えなくなりました。確かにBMWのX3ですから良く走るし足回りがしっかりしていることは私も同じ車に乗っているのでわかりますが、如何にも世の中を舐めた運転でした。自分が事故をする のは自業自得だとしても巻き沿いにされる方は大変迷惑だし自分の人生も台無しになります。暴走運転の方は、要らねお節介かもしれませんが事故をする前に安全運転を実践して下さい。尚、高齢福祉課の担当者はまだ仕事をしてみえたので書類の差し替えは出来ました。

東京は凄い所です。

いつも、県内を走り回っていても、万歩計は5000歩がやっとなのに、これからまだ、食事にでるのですが既に7000歩をクリアしてます。東京人が元気に早歩きなので元気なのだと実感しました。玄関から玄関まで車移動している私のお腹が富士山のようになる理由がわかりました。出張以外の時は機械を使って頑張って歩きます。有言実行の私が宣言しましたので、富士山から伊吹山位になるようにリピーターの皆さん応援宜しくお願いいたします。

インドネシアのEPA介護福祉士候補生が新たに二人仲間入りしました。

昨日、豊田のHIDA研修センターでの半年間の研修を受けた二人を迎えに行き施設到着後に先ずはインドネシアの先輩六人に会わせいろんな事をアドバイスするように話をして本日は朝早くから水野相談員の運転で買い物に行き、午後からは役所の手続きに行きます。私はと言うと東京で会議があり今は新幹線の中なのですが、いろんな事を他の職員に任せれるようになった分、仕事の幅が拡がった事に感謝しつつ、次の戦略を練る時間がある事にも感謝してます。さて、二人のインドネシア介護福祉士候補生はと言うと、日本語の会話もしっかりしてますし関ヶ原での生活にも順応は早いのではないかと感じました。本部の施設ではこれで八人のインドネシア介護福祉士候補生の在籍になり和合の施設には子育てをしながらバリバリ仕事をしているシスカと言う良き手本があるので彼らの活躍を楽しみにしながらも、他の職員も良い刺激を受けながら切磋琢磨してもらえればと考えています。

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