「お正月が過ぎたな」と気がつけば、本日は2月5日です。

本日は全国老人福祉施設協議会正副委員長拡大会議の為に東京へ新幹線で移動中ですが、明日、明後日は同じくセミナーがあり、セミナー終了後はケアポート板橋さんとの交流会の為に宿泊しますので三日間は東京から動けず、引き続き土曜日の朝一で羽田から宮崎に飛びボストン会団長だった日高先生のお墓参りをした後、花田先生の車で福岡に移動して、その日は博多で泊まり日曜日の夜にようやく新幹線で帰れる強行軍。本日も施設を出る前に養護老人ホームからの緊急入居のやり取りを関ヶ原町住民課としたり、若い職員の指導やフロア責任者に注意をしたりして、岐阜羽島駅で飛び乗り今は座席のシートにゆったりしながらブログの原稿を打っているのですが、今日は既に2月5日!!バタバタで自分をゆっくり振り返る事も出来ない毎日ですが、体調を崩す職員がいるなかでバタバタとお腹を抱えながらも頑張れる事に感謝しながら、とにかくは、3月22日に行う新規事業の竣工式までは休みなく振る回転でいきたいと思います。その間に4つの講演依頼も受けてるので今まで以上に健康に留意し、上手に時間を使って頑張っていきますのでますますのご支援宜しくお願いいたします。

なかなか読めなかった週刊現代の・・・

なかなか読めなかった週刊現代の名フレーズ珍フレーズ(執筆者向井万起男氏)の書き出しに「自分の人生に疑問や不満を抱いていない人などいない。誰もが心の片隅でホントはこんなはずじゃなかった。もっとマシな人生を送るつもりだったのにと思いながら生きている」と書いてあり、私は思いました。私にとって今以上の人生って何!?時には胃が痛くなるような出来事に出くわしても、睡眠が全く取れない状況になっても今を生きている事。素晴らしい職員や素晴らしい先輩や仲間に恵まれ幸せな巡り合わせの中で不足ない生き方に満足している私は冒頭の言葉の大方の人とは違う事に感謝。でも、中学を卒業するまでの私は虚弱児で対人恐怖症で将来の夢を語る事など出来ず、生きるのが精一杯だったから、今生きているのに感謝なのかもしれない〓しかし、その後の人生は奇跡に近い出逢いを貰い今があるように思っています。出逢いについては、一つひとつブログで書いていきますので、見てください。それから私に対する意見も宜しくお願いいたします。

今年初めての出張で今は東京です

昨日は国民的には成人の日でしたが、全国老人福祉施設協議会は時事通信ホールにおいて「60歳からの主張」発表・表彰式が行われエッセイ・小論文部門と川柳部門の優秀賞等の方本人の発表が行われ家族の方も大勢参加されており、和やかな中で素晴らしい催しになりました。私は広報委員会副委員長としての参加だったのですが、改めて全国老人福祉施設協議会のパワーを理解する事が出来ました。本日は全国老人福祉施設協議会正副委員長拡大会議が行われるのですが、会議において社会保障審議会等で話し合われている情報を岐阜県内の会員施設に情報発信出来る喜びと当法人の方向性を見極める責任を感じています。今月には補正理事会もあり3月には新規施設の竣工式もあるので今以上に気合いを入れてパワーアップしますので、激励等宜しくお願いします。

1月1日、2日と抹茶と共にお屠蘇として1日は福島の銘酒を2日は金粉入りのお酒を飲んで頂いたのですが

一言で言い表すと「お酒って最高」と言う事。ある男性入居者さんは「関ヶ原には三軒の飲み屋があって明け方の4時まで飲んでいたよ」と話されたので「それはすごいですね」と話を返すと「4時は早い方やったな」と自慢気に話される。また、女性の入居者さんの中でも豪快な飲みっぷりの方は「私の主人も息子も家では殆んど飲まなかったので私も飲まないようにしていたけど、私の家系は代々飲める家系だったので本当は大好きなの」と舌をペロッと出されて茶目っ気たっぷりでまたまた大きな盃でグイッと……!うーん、お酒って最高。これからのいろんなイベントでノンアルコールビールばかり出さずに本物で楽しんで貰いましょうよ…。だって昔から言うじゃ有りませんか、酒は百薬の長と!!こんな原稿を打っていたら耳の奥から聴こえてきました!飲める〓飲める〓飲めるぞ〓と!!今日は何をつまみに飲んで貰いましょうか……!

無謀な企画

12月21日は恒例となったクリスマス会でした。企画は理事長としての私の挨拶、来賓の挨拶として西脇関ヶ原町長、藤墳県会議員、棚橋議員の代理の藤田秘書としていただき、その後の来賓紹介と祝電披露と粛々と行われた後、1部企画の各フロアの職員による催しものが披露され(それぞれに、準備と練習を業務の合間にしてくれた事に感謝です。)家族会と新規採用者の自主的参加等々で250人を越える参加者で、地域交流ホールは溢れんばかりで…。2部は山崎ていじの演歌ショー。余りに余興が盛り上がったので、私は乗り過ぎの企画を演歌ショーの間に差し込む事にしました。それは、カラオケの機械に採点させ、プロの演歌歌手と素人の私がガチンコ勝負をすると言うもの。しかも私は山崎ていじの持ち歌での勝負。職員が頑張ってくれたのだから私も頑張るんだと…。先に山崎ていじさんが歌われ山崎さんもプロのプライドから洒落はなしのガチンコ…。何と91点も出されてめちゃくちゃ焦りまくり…。しかも250人の前での歌披露…。いつものように歌えない歌えない…
。こぶしもしゃくりも上手くいかん…。さてさて、結果は…〓90点〓カラオケの機械が打ち合わせしたかのような一点さ〓無謀だったけど盛り上がったと信じている私なのです。

新幹線移動中に・・・

新幹線移動中にウェッジ1月号で作家の林えり子さんが「にっぽんの100人の青年」と言う記事の最後に「「泣いて泣いて泣いて人間になる。鳴いて鳴いて鳴いて家畜になる」」との言い伝えがモンゴルの遊牧民にある。馬場青年は数え切れないほど人知れず泣いてきた。そして、ほんとうに素敵な人間に成長した。」うーん、人を羨み都合の良いことだけに耳を傾けるのではなく頑張ってこそ本物の人間になれるのか。そう言えば私も辛辣な思いをいっぱいしてきて今があったなとしみじみ思いました。でも、私は多くの人に支えられ今があるので、馬場青年以上に感謝することを忘れないでこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

パパンパンと良い音がして

昨夜は夕方の5時30分からサラヤさんの協力を得て感染症の研修があり、その後全国老人福祉施設協議会による沖縄研修で発表する吉澤部長と武藤ケアワーカーの事前発表を行い、二人共に良いできであった事に満足して、その後私自身の沖縄行きの準備を終えて、家路に着き、先ずは冷えた身体を癒すためお風呂にゆっくりと浸かり、身体を拭いた後に鏡を見ながら思わずぽっかり突き出たお腹をたたくと…!?ポンポンパパ~ンと見事な程に音がして!ふと思いました。中学生の頃、テレビで相撲を見ていて土俵上の関取が塩をまいてからお腹をポンポンならすのに憧れた?事を。何故なら憧れていた同級生が保健委員で「若山君の体重少な過ぎ」と言われてショックでショックで。確かにその頃の私はガリガリで、出べそではないのに痩せている為に半べそ状態で…今はお腹の中に埋没しておへそを探すのに苦労する始末!でも、あの頃の私は直ぐに高熱を出して学校を休む日々だった事を考えると休みもなく毎日元気に仕事をさせてもらっている私は幸せなのかも…。障害物競争も俵一個お腹に乗っていることにしてもらいそのまま走れば良いので!?一等賞間違い無しだし!?うーんこの腹で頑張りますか。でも、今日は沖縄に行くために10時40分にセントレアから飛行機に乗らなあかんのですがシートベルトははまりますかね…。朝早くから訳のわからない呟きを書いてしまいましたがお許し下さい。

朝早くからバタバタです。

本日は午後2時から全国老人福祉施設協議会の広報委員会があり、今夜は東京で宿泊して明日は午前に全国社会福祉協議会の地域ネットワーク会議が、午後からは全国老人福祉施設協議会の役員会があり、完全に二日間東京にいなければいけないので、朝早くから幹部職員との新規施設の備品入札の指名業者の選定の為の打ち合わせをして10時前に岐阜羽島まで送ってもらい今は新幹線の列車の中。
今朝も4時に目が覚め、今後の新規事業の流れと体制を考えたり、インフルエンザの流行を窓際で防ぐ体制等を考えていると、そのまま朝になり……。うーん、60歳を迎えてこの忙しさは嘆くべきか喜ぶべきか。
ただ一つ最近ホッとしていることがあります。それは、予定が空いている限り精力的に面接会を実施した結果パート希望者も含めてですが90人もの職員を確保出来た事です。
介護・看護人材が集まらない状況の中、これだけ確保する事が出来たのは職員の頑張りの評価であったり、ホームページの年間アクセス数が40万件を越えたり、新聞折り込みの内容検討に3ヶ月もかけて評判の良い物を作成したり、学校へのお願いを精力的にした結果なのか……。
とにかくホッとしてます。

しかしながらまだまだしなければいけないことが山積していて、施設長室の片付けはいつの事やら……。あいからわず、自分の事は後回しの人生…。うーん、私がゆっくり自分の整理をするのは灰になってからかな……。うーん、これも人生か!?でも、何もない人生よりは何百倍も幸せ何だと思っています。そこで、「時間は作るもの」と言う言葉を念仏のように唱えてこれからも頑張りますのでこれからもよろしくお願いいたします。

中村会長、それはないでしょう。

最近私の耳に入ってきた事ですが、中村会長が昨年の6月に滋賀県彦根市で開催されたタウンミーティングが行われたときの出来事なのですが、タウンミーティングが終了しその後懇親会に引き続いての二次会に中村会長をお連れして、どうしてもその日の内に徳島に帰らなければいけないと言う事で、当法人の職員である吉田に運転をさせ米原駅までお送りする折りの出来事を今になって吉田が語った事を人伝に聞いた事を書きます。

その夜は激しく雨が降っていたのですが、駐車場の出口に料金所があり、中村会長が車に乗ると同時に私が出口の料金所へ脱兎の如く走っていき、中村会長が乗られている車を待たせる事なくゲートを通過させた時に中村会長が職員の吉田に対して「あれが裏表なく頑張れる施設長の姿だ。お前もしっかり目に焼き付けておけ」との話でした。私はその話を副施設長から聞いた時に胸が熱くなり込み上げるものがありました。(実は今も涙しています。)さりげない所作を見逃す事なく我が法人の職員にまで語って下さっているのに私には馬鹿じゃ、とろくさいの連発だったのに…。これからの私の動きも天国で見守っていて下さい。

福島にて

10月1日から福島県へ当法人を代表してボランティアとして出向している伊藤係長を励ます為に出向先の双葉郡広野町に行くため昨日岐阜羽島を9時11分発の新幹線に乗り東京へ。
乗り換えの為に山手線で上野駅まで行き、新幹線の改札口を目指して歩いて行くと目指す列車の案内掲示がない!駅員の方に12時発の「スーパーひたちの掲示がないのですが」と聞くと「スーパーひたちは新幹線ではありませんので、あの機関車の所を右に行って下さい」と言われて唖然!!
新幹線ではなかった事を知らなかった私は久しぶりに赤面状態。無事にいわきにつき取り敢えずホテルに荷物を置いて広野町にある花ぶさ苑に行こうと考えて改札口を出るときに広野行きの列車時間を確認すると、4時過ぎまでないとの事。ちなみに列車時刻を確認すると5分前には出たばかりだと親切に教えて頂いたが、時刻を決められる方の不親切な事はこの上無い!4時過ぎまで待っていては何のために来たのか分からなくなるのでホテルからタクシーを呼んで頂き花ぶさ苑に行く事に。
40分程で施設に着くと玄関先で伊藤係長だけでなく高野施設長を筆頭にして事務所の職員の方のお出迎えを受け会議室で高野施設長さんから震災時の状況をお伺いしてたいへんだった事と今も全く厳しい状況は変わっていなくて、行政側のちぐはぐな対応が伝わって来ました。
その一つの現象が施設に面した所に仮設住宅があり、殆どが空いているとの事。ボランティアで出向している伊藤係長は毎日最低40分かけていわきから通っているとの事!?うーん、何とか有効利用が出来んもんかな…。
また、行政が決めた原発20キロ圏内と30キロ圏内での対応の違い。現場の状況を理解して決めているのかと腹立たしい思いを福島県に来て初めて味会う気がしたと共に申し訳ない気持ちになりました。
高野施設長さんからの話を聞いて、同じ仲間として私自身何が出来るか懸命に考えて実践していかねばと、帰りの列車の中でメールを打ちながら思っています。
昨夜は伊藤係長の慰安を兼ねていわきの駅前の居酒屋で食事をして歌が歌える店をと飛び込んだ店が70歳になる女性の方が一人でされている店に入ったのですが、そこでも、生々しい話を聞きました。
避難所で三日間過ごしたが食べ物にも事欠いた話にも縦割り行政と現地を理解しない上から目線に怒りを覚えたが、一番印象的だったのは三日目に自分の店の確認に行き店は大丈夫でほっとはしたが駅前に全く車もなく人がいないのにはびっくりしたとの事。
うーん、いっぱいいっぱいやらなければいけない事があるな。先ずは、この大変な状況を全国老人福祉協議会の同士に伝え、震災時の思いを風化させてはいけないと改めて訴えて行きたい。文字通り百聞は一見に如かず!微力ながら私なりに頑張っていきますので高野施設長さんを初め花ぶさ苑の皆さん頑張って下さい。そして、私達で出来る事をこれからも教えて下さい。

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