岐阜駅前に出来た施設の竣工式に出掛けました。

平成31年4月25日

施設から関ヶ原駅まで送って貰いホームに行くと、我が施設でインドネシアからEPA介護福祉士候補生で来ている職員が椅子に腰掛けていて挨拶してきたので(勿論日本語で)「どこに行くの」と聞くと「岐阜市民会館まで行きます。」と答えたので「ここまではどうやって来たの」とまたまた聞くと「コミュニティバスで役場まで乗ってきて、そこから歩いて駅まできました。」と答えたので、またまた「岐阜駅からはバスに乗って行くの」と聞くと、はっきりとした声で「はい」と答えたので私は思いました。「岐阜駅からバスに乗って市民会館に私は行けるのか。本日の竣工式が駅前であると言うだけで事務所の職員に地図を検索させたりしている私自身が恥ずかしい。」と思いました。電車を待っている時にこの28日に開催される『てるてる座600回記念公演』にゲスト出演していただく関ヶ原三味線倶楽部代表の大塚先生から連絡を頂き話を聞いていて「公演前日には公民館で10時から16時まで練習してます。」とお聞きして、公演前にしっかり練習されるんだと思うと公演を牽引してきた私としては身が引き締まる思いです。(私もスペシャルゲストの砂田おさむさんのコーナーで本人を前にして彼の持ち歌『人生夢の途中駅』を歌うのだから練習しないのはとっても失礼な話なのでしょうが時間がないのが現実です。いやいや、私の口癖「時間は作るもの」に反しますね。)列車の中でコラムを打っていると、いつも夏祭りに香川県から駆け付けてくれるパフォーマーの高垣さんから連絡。流石に列車の中では会話が出来ないので竣工式典の会場のロビーから連絡して、8月3日のスケジュールを押さえて貰いついでに和合の施設は前日にイベントをして貰う事まで決めて、改めて本日の会場は岐阜駅前の一等地にドンと構えた高層ビルなので迷う事なく目的地まで来ることが出来ました。さてさて、この法人の理事長さんは堤修三さんなので(元厚労省)どんな凄いものでどんなこだわりがあるのか楽しみにして今は岐阜支部長と合流して会場に入るのをわくわくしながら待ってます。その後報告は後程と言う事で・・・。先ずは規模が違います。確かに駅前開発の一貫として出来たと言うことは充分理解出来ましたが、特養100床、ショート18床の他に高齢者住宅、賃貸住宅を揃えていて、JR岐阜駅まで歩いて5分の立地は言うことありません。(岐阜駅2階から直接行ける)早くに着いたので施設内を内覧させて貰いましたが、コンパクトな作りの中にも色々な工夫が施してありみるべきものが一杯ありました。竣工式は至ってシンプルでしたが、職員教育は出来ていると感じました。私自身は岐阜県老施協会長として来賓紹介をして頂きました。乾杯があり、堤理事長をはじめ役員の方々にご挨拶をすると共に、建築を受け持った岐建の社長さんをはじめ、色々な業者の方ともご挨拶をすると共に、会員施設の方々とも親しくお話をさせて貰い、無事に家に帰り少し休憩を取り、17時からお客様の対応や打ち合わせをして19時から全体会があり今は21時12分で家の湯船に浸かりながらコラムを打ってます。明日は滋賀県湖北にあるまんてんと言う施設から理事長以下3名が施設におみえになるので出来る限りのおもてなしをしたいと考えています。

岐阜県庁の駐車場に物申す

平成31年4月24日

本日午後から高齢福祉課での打ち合わせに行くために、いつもの駐車場に停めようと向かいながら、左手側に大きな3階プラス屋上に駐車出来る大きな建物が2棟あり、「これは凄いものが建ったな。」と思いながらいつもの駐車場の所に行き唖然としました。何故なら駐車場だった所のコンクリートは大きく、尚且つ、ことごとく壊されており、車が入れないようにフェンスがなされていて、私はようやく3階建の建物の意味を理解しました。私は感心するよりもUターンして、駐車場の建物に向かいました。そしてつくづく思いました。「駐車場が代わりましたので、当建物内に駐車して下さい。」との看板を大きく見えるようにしておくべきだろうがと。そして、駐車場の入り口を探すのに一苦労して、ようやく入ったと思ったら「どうも逆そうしているようだ」と気付き慌ててバックして・・・。何とかコースに乗り空いているスペースを探してぐるぐるして、1階は駄目、2階は満車の標示があり3階に行っても満車の標示なので雨が降っている屋上なら大丈夫かと上がって行き、グルっと一周しても空いたスペースがなく、仕方なく下まで下り、隣の建物に移り、先程と同じように空きスペースを探し回ったが全くなくて、警察本部の駐車場は一杯空いていたので、その駐車場に停めて県庁10階の高齢福祉課までは結構遠かったですが、私の健康の為には良かったかも知れませんが、雨が強く降っていたのはけしからん事でした。新庁舎が建つまでの辛抱なのでしょうが、県庁に来た方にとって、もう少し利用しやすい配慮をお願いしたいです。だって、私も新庁舎建設プロジェクトに参加して『誰にとっとも、より便利な建物ななるように』と言うコンセプトで話し合いをしたのだから、建設中も優しい配慮が必要だと思いました。決して私だけが大変だったわけではありませんよ。だって、ぐるぐると空きスペースを探していたのは私だけではなかったので。

思いが熱い

平成31年4月23日

高校を卒業し本部施設に入職して2年目の女子職員が昨日、熱があり休みを取り本日午前3時に施設に母親から「高熱があり痙攣を起こしたので救急車で大きな病院に向かいます。」と宿直者に連絡があり、心配していたら改めて朝になり、やはり母親から「入院をせずに取り敢えず帰ってきました。」との連絡がきたとの報告を受けたので、私の方から職員の自宅に連絡すると母親が出られ「もともと高い熱を出す子なので家で寝させていたのですが、41℃まで熱が上がり痙攣のような症状だったので、救急車で大垣市民病院にいったのですが、扁桃腺の熱かもしれないので、改めて耳鼻科にかかって下さい。と言われ、取り敢えず抗生物質の薬を貰い、家に帰ってきました。」との事なので、私はその話を聞いて、私も7年程前まで度々40℃の熱を出し、ガタガタ震えがきて何ともならなかった事を思い出しました。

しかしながら、職員の母親の心配は計り知れなかったと思いましたし、私は自分の経験から「私は高い熱が出た時、うなされ続けましたよ。」と言うと職員の母親が「そう言えばうなされながら、『夜勤にいかなあかん』と何度も言ってました。」との事だったので、私は改めて「何とまじめな子なんだ。」と思いましたし、「法人の宝だ」とも思いました。だから、「しっかり病気を治して元気に復帰して下さい。病気の内は、他の職員でカバーしますから」と答えました。知識や技術はいずれ身に付くものだけれども、謙虚さ一生懸命さは天性のもの、宝物の職員を大切にして、素晴らしいものを今後拡散してもらえたら良いなと思いました。

リピーターの皆さん、今時の若者もまんざらすてたものでもありませんよ。

勝手な判断は絶対に駄目です

平成31年4月22日

ケアマネさんから、病気も治りつつあり、家で一人いるよりはデイサービスを利用した方が本人の活力の為にも良いと判断され、明日のお迎え時間の連絡をするようにとの事をデイサービスの残務整理をしていた職員に伝えて、デイサービスの職員が利用者さんの家に連絡したところ、元気のない話し方だったと勝手な判断をした職員が「明日はデイサービスを休んでゆっくりして下さい。」と言ったとの報告を受け、私は利用者さんの名前を聞いて、「この方は独居で一人で家に一日いるのは心配だからケアマネさんが連絡して下さったのに何たる対応」と感じたので、対応した職員に「どうして、そのような対応をしたのか」と聞くと「か細い声だったので、えらいのなら休んだ方が良いと判断しました。」との答えが返ってきたので、私は「利用者さんがデイサービスを利用される背景はそれぞれに違い、この方は同情的な話をして貰う事に喜びを持たれる方だから、か細い声を出されたからと言って安易に休んだらどうですかと言うのは間違っています。もし、明日休まれて大変な事になったら責任が持てないよ」と話をしました。「相手の状況が分からず、自分の感性だけで対応せず、分からなければ勝手な判断をせず上席者に相談し対応すべきだ」とも話をしました。また、送迎の時に添乗者が乗らないままに出発すると言う出来事が起きました。事務所の職員がすぐに気が付き機敏な対応をしたので、事なきを得ましたが、これも大変な事です。送迎から帰った職員に「今回は不幸中の幸いで事なきを得たが、一つの現象の中に内在しているものを洗い出せ。」との中から、①連携不足②添乗者と運転者の役割と見送り者の役割についてを徹底して話をしました。想定外と言われる事故もきちっとした対応をすることで未然に防げる事が多くあることを理解することができました。なお、明日は来ないと言っていた利用者さんはデイサービスの責任者の後からの対応で来ていただく事になりました。明日はデイサービスに来てよかったと思って貰える対応を期待するばかりです。リピーターの皆さんも私も『災いは忘れた頃にやってくる。』明日はデイサービスの出発前に徹底します。

指導するとは何と難しいことか

究極の指導は「やって見せ、やらせてみせて、ひとつずつ」だとはわかってはいると思うのですが、先輩職員の中には「自分がした方が早く出来るし効率が良い」と考えて、教える事より仕事を優先させてしまい、結果として新しく入った職員がいつまでも出来ない状態を作ってしまうことが時として起きる。そして、いざ仕事を任せようとして、こんなに出来なかったのかと唖然としてしまうこともある。赤ちゃんが可愛い笑顔を見せてくれて大人が大喜びすることがある。この現象(笑顔を見せてくれること)について私は、赤ちゃんを大人がにこにこしながら見ているのに対して、赤ちゃんが真似をしている。そうすると真似をされた大人がより一層にこにこして、またまた赤ちゃんがその真似をしてより一層素晴らしい笑顔になるのではないかと思っています。笑い声の絶えない家庭にはほんわかとした雰囲気が醸しでるのと同じです。(例えとして提案したのが良かったかは分かりませんが何とか理解して下さい。)また、仕事としてすることには何事も「思い」がなければいけない。つまり、『この利用者にこの行為を行うのは、このような理由がある』と言うこと。もしそのような事を考えず行ったら、結果として行えたとしても、それは単なる作業になってしまう。例えば、移乗・移動を行う時に、居室から食堂へお連れするとして、単に移動ができたとしても、利用者さんが出来る事まで奪ってしまってもいけないし、無理矢理行った事により痛い思いをさせてもいけない。つまり、一人ひとりの状態・状況を理解して行うべきであると思うのです。それが、優しさであり、専門職としての仕事だと思います。ケアは職員と利用者さんとの共同作業です。新人の内には出来るように努力するのも優しさだと思うし、出来ないところをフォローするのも優しさだと思います。多職種連携も優しさの中から生まれると思います。介護を志す方はみんな優しさを持って来てくださっているので、それを引き出す努力や配慮を経営者の端くれとして頑張りたいと考えていますので、リピーターの皆さんの応援これからも宜しくお願いします。

来月5月5日に満100歳になられる方の相談を受けてます

平成31年4月20日

法人立ち上げ前からお世話になっている方からの相談を受けていて、(伯父さんとの事です)今回2度目の訪問と言う事で、比較的リラックスをしてお話をさせて頂きました。元々目は見にくかったとのことですが、今年の3月になり全く見えなくなり、独居と言う事でお身内の方から夜も含めて一人での生活に不安を持たれての相談だったのですが、今年の5月5日に満100歳になられるのに、未だ大きな会社の重役として週5日は午前中だけとは言え元気に出社されて、色々な相談にのってみえるとか。尚且つ、目が見えなくても、慣れた所だからと3階にある役員室まで階段で行かれるとの事。このパワーはどこから来るのかに興味を持った私は相談を受けている立場だと言うことをさておき「大正何年生まれですか」とお伺いすると「大正9年生まれだからこの5月で満100歳になります。」と答えられたので、私は思わず「申年ですか」と言うと「そうです」との答えが返ってきたので、私が中1の時に他界した母親と同い年だとわかり何か因縁めいたものを感じました。そして、その方から「大きな取引に躊躇されていた、その当時の社長に、絶対に取引すべきだと進言してその取引を成功に導いた事が今の会社にとって大きかった。」と言われた時には、やはりこの威厳ある態度は自信の表れなんだと思いました。そして、「私は病気知らずで医者嫌い。足の骨が折れたらしい時も手術を拒否したら自然に治って今もしっかり歩けている。」には、本当に人間にも治癒力と言うものが限りなくあるのだと感心しました。また、「私は50代の頃の体重が65キロだったのが今も服を着ていて67キロだから殆ど変わらない。だから、服は昔からのが今でも着れる。」と言われた時に、相談依頼をされた私の20年前を知っている方に「若山先生は随分変わられましたわね。」と言われ、私は思わず絶句と苦笑でした。目は不自由になられていても、かくしゃくとお話をされ、昔の話しだけではなく、最近の出来事もしっかり記憶されているのには思わず脱帽でしたね。目が見えなくても行動力のたくましさには驚きですが「まだまだ、若い者には負けやせん。」の気構えが図抜けているのと、我慢強さと精神力と記憶力が毎日の糧になってるのだと思いました。学ぶところばかりで相談はこちらがしたい位でしたが、お手伝いさんがおみえにならない時間帯への配慮については計画して配置もできたので、多少のお手伝いはできたのではないかと、実は安堵しているしだいです。

昨夜の本部施設の経営戦略会議と銘打った幹部会での話です

平成31年4月19日

平成10年5月に事業開始した頃の話を幹部職員にしました。今は当たり前に出来ている事も色々な貴重な体験の積み重ねにより出来てきた事をしみじみと語りました。例えば、床が濡れていても「忙しい」との理由で後回しにして転倒されてから後悔したり、バイキングで刻みの食事を提供している方が普通食で提供していたロールキャベツを詰まらせ、救急搬送して貰い、その当時の外科の先生に上手に取ってもらい、最初はガーゼのハンカチのように見えたのが実はロールキャベツのキャベツでその時は事なく済んだ事に感謝してしばらくの間は我が施設のメニューからロールキャベツが消え、テーブル席の配置をしっかり検討するようになったり、お餅つきをして、小さな小さなお餅を提供するように指示してあったにもかかわらず、その当時の職員が入居者さんが食べたいといったのでと食べさせ、喉に詰まらせた事があり(この時も上手に取れました)それ以降の餅つきでは、蒸しの為に火の番をしている私が対応する職員をホールに集め、何故いけないかを話しして徹底を図っています。歴史と言うもの、伝統と言うものは貴重な体験を乗り越えて出来るものと思うと、日頃私が言っている『ご縁』を大切にして、ご縁を頂けた方とはとことんのお付き合いをしていかねばと改めて考えています。本日も朝一人残念ながら亡くなった方があり、看取りとしての対応をして、家族の方の相談に乗り、その後、私の自宅の町内の方でかつてデイサービスの運転手をして頂いた方の葬儀に顔を出し、今は新幹線の中でコラムを携帯に打ち込みながら昼食を頂いています。一人でもくもくと食べるのには少し悲しい面もありますが、その分いっぱい食べてます。多分この量は二人分だと思いますが、満たされない分を量でカバーしているとリピーターの皆さんはご理解下さい。(こんなことだから体重は一向に減らないのだとはわかっているのですが)東京では緊急理事会ですので、しっかり言うべき事は言ってきます。

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知ってましたか

平成31年4月18日

関ヶ原町議会議員選挙の火蓋がおとされて3日が経過して朝イチで家の玄関先の郵便受けを見たのですが目指すものが入ってない。目指すものとは関ヶ原町議会選挙の投票用紙です。しかしながら、投票用紙はないのです。私の奥さま「かをり様」に聞いてみると、「新聞を取りに行った時にどこかに置いたのと違うの」と、まるで私が犯人のような事まで言われたので「ここは無実であることを立証しなければいけない。」と関ヶ原町選挙管理委員会に聞いてみると「一昨日に投函したので今日には届くと思います。」との答えが返ってきたので、私は知っていたのですが敢えて「期日前投票は投票用紙がなくても大丈夫ですか」と聞くと「投票用紙なしでも大丈夫ですよ」とさらっと言われたのでその時私は「あなたにとっての常識は町民のほとんどの方は知らないと思いますよ」と言い返したかったですが、こう言う対応しか出来ない職員に指摘をしても仕方がないと思い直して、言葉を飲み込みました。そして改めて思いました。私は26歳から福祉一筋できた私の常識が福祉の事をあまり理解されていない方にとって分かりやすく話が出来ているのかと、改めて自問自答する良い機会となりました。本日は17時15分から本部施設で幹部職員による経営戦略会議が行われ、その席でも入居者さんに対して上から目線になっていないかの検証を幹部職員に促しました。20時前に戦略会議を終え、かつてデイサービスで長いこと運転手をしていただいた方の通夜には間に合いませんでしたが幹部職員と共にお参りに行き、本日はバタバタでコラムを書く時間がなかったので、午後9時52分の今、携帯でコラムを打ってます。明日は全国老施協の緊急理事会があるので東京に出張ですが、頻繁に出掛ける事が出来るのも当法人の職員が頑張っていてくれるからと改めて思いました。リピーターの皆さん頑張っている当法人の職員も誉めてやって下さい。そして、アップが午後9時57分になったことについてもお詫びします。

いちご大福のルーツ

平成31年4月17日

NHKの今朝の情報番組で34年前に「いちご大福」が誕生したルーツについて報道していた。その番組の中では東京都新宿区住吉町の「大角玉屋」が発案者として紹介されていたが、改めてインターネットで検索してみると『元祖』を名乗るお店は、その他にも東京都板橋区「一不二」、群馬県前橋市「金内屋」、三重県津市「とらや本家」三重県伊賀市「欣榮堂」、滋賀県大津市「松田常磐堂」など多数存在するが、昭和後期になって登場した新しい商品である事は間違いないとの事です。いちご大福の製造法の特許を保有しているのは「大角玉屋」であると言う事からNHKでの紹介では「大角玉屋」が一番と言っているように思いました。但し、番組の中で私自身が印象に残ったのは、いちご大福を発案するまでは、和菓子がなかなか売れずにアイスクリームや駄菓子を販売して何とかお店を維持していたと言う事といちご大福の評判を聞きつけて同業者がバス3台で見学に訪れたとの件でした。そしてつくづく感じたのは、売り上げが伸びずに困っている時に打開策として『あずき』と『いちご』の一見ミスマッチのような組み合わせで取り組まれたのが昭和の終わりと言うのも意味深いものを感じましたし、苦肉の策からの新発想には古い概念を打ち破ろうとした、平成の世の前夜との意味にもとれる考え方は少し強引過ぎますか。その意味から言えば平成から令和に変わる今の時期だからこそ出来る、安部総理になり代わった言い方で言えば「イノベーション」と言うことでしょうか。この発想は、とことん困り、悩んだ末の逆転発想だと思います。そして、30年前に人気となりバスが3台も見学に来たとのお話には安堵感と共に高揚感を感じました。その発想から「ぶどう大福」「オレンジ大福」「ピーチ大福」「メロン大福」「ブルーベリー大福」「柿大福」「トマト大福」などバリエーションが広まった事を考えるといちご大福は画期的だったと言う事でこの逆転の発想は学ぶべきものが多いと思います。リピーターの皆さん私も規定概念にとらわれずこれからも頑張りますので今後とも宜しくお願いします。

 

熱い戦いが始まりました

朝7時30分に家を出て、歩いて選挙事務所まで行くと既に10人位の方が来てみえ、本部長、副本部長や候補者本人にも挨拶をして、出陣式前の最終打ち合わせをしていると、8時をまわり地元門前地区の方を中心に親戚の方、同級生の方等がおおぜい駆け付けて下さり、関ヶ原町役場に手続きに行って下さった方が持ち帰って下さるグッズを待っていたのですが、ポスター掲示場所は二番との連絡を貰ってから10分が経過し20分が経過しても、一向に役場から帰らない。待ちきれずに役場に行った方に連絡すると、まだ役場で手続きをしているとの事。選挙事務所で待っている方に申し訳ないので、司会を仰せつかっている私としては「ここは小話でもでもして、場を和らげなくては」と思ったのですが、地元の長老の方々をまえにして何を話して良いのかが分からずイライラして思わず「役場にクレームをつけなきゃ腹の虫が治まらない」とばかりに携帯で連絡して話をしだしたタイミングで役場に行っていた車が帰ってきて、ようやく出陣式が私の開会挨拶から始まりました。私は話をしながら、イライラしていたので、ドキドキする暇もなかったのは不幸中の幸いだったかと自嘲ぎみに思いました。本部長、副本部長、来賓の方と順次挨拶をして頂き、候補者本人の挨拶と順調に進行して、祝電披露を3通読むのですが、3通目の原稿が見つからず一瞬慌てましたが何故かファイルの下にあるのを見つけ事なきを得ました。祝電披露の後はだるまの目入れだったのですが、だるまが会場の一番奥にあり、だれがだるまを運び持っているのかが徹底してなくて、少しもたつきましたが、そこは臨機応変に対応が出来たので、場数を踏んでいる成果かなと自惚れています。目入れの後は頑張ろう三唱で、すべてのセレモニーが終わり閉会を宣言して、候補者を乗せた車と随行の車に乗り込んで貰い選挙事務所を選挙カーが出発して出陣式は無事に終わり熱い5日間の選挙戦がスタートしました。狭い関ヶ原町で10人が立候補されたので、出陣式後に施設に向かった時には何台もの選挙カーに出会いました。さてさて、来る21日にはどんな結果になることやら。どの候補者も悔いのないように戦い、戦いが終わったら、当選される8人の方は、それぞれに関ヶ原町民の為に汗をかいて欲しいと願うばかりです。

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