急いだ・・・!いそいだ!!

2018.9.7

2つ目の会議は18時までの予定でしたが会議の後半になって盛り上がり進行役の私は四苦八苦しながらも5分の延長で話をまとめ、次回の課題もしっかり伝えて、会議が終わって皆に挨拶だけして、7階から下に降り車道に出ておもいっきり手を挙げてタクシーを止め、18時33分発の新幹線に乗りたい事を運転手さんに告げると運転手さんは、何とか頑張ります・・・・、で目指す列車には乗れ、今は本日2つ目のコラムの原稿を書いてます。携帯電話で新幹線の切符を取った時に「B席」だったので嫌な予感はしたのですが、案の定隣の席には知らないおじさんが座っていてチョコレートを食べてます。(どうでも良い話しか)最近はコンスタントにこのコラムを書けているのは、新規事業の話しもようやく軌道に乗ってきたし、敬老週間の計画も10月の松茸バイキングの手配も出来たし、目が回るような日々ですが元気に飛び回れる自分の体に感謝です。

話しはは変わりますが、北海道地震で直下に近い所にあった施設の状況を1回目の会議の時には誤作動でスプリンクラーが作動して水浸しになり他の施設に移されたとの報告を聞きましたが6時終了間際に事務局から施設に土砂が流れ込んだが人的被害は施設を移っていたのでなかったとの報告を受け、スプリンクラーが誤作動をしたからこそ移動されていたわけで、不幸中の幸いとはこのことだと思いましたが、それよりも何よりも当法人の施設は平穏な日々で、敬老週間だ、松茸バイキングだと喜んでいられるのは「平安之福」と素直に感謝してます。だって、これだけ各地で災害が起きている時に平穏な日々でおれると言うのは、ある意味奇跡と言っても過言でないと思うから。平穏な日々に感謝すると共に非常時の準備を怠らないように理事長として布石を打って行きます。

 

本日午後1時から6時30分まで東京本部(平河町)で会議2本があり今は新幹線の中です

2018.9.7

新幹線の事を話題にします。私は岐阜羽島から乗ったのですが、結構空席があるにも関わらず指定を取った隣の席に座っている方がいる。新幹線の中ではゆったりしながら、コラムの原稿を書いたり食事をとりたいので基本的に隣の席は空けておきたいと考えています。そこで、車掌さんが通られたのを呼び止め「隣の席が空いている所と替えと欲しい」と言うと、暫くして車掌さんが戻ってきて「結構いっぱいなのですが10号車なら替える事が出来ます」との事で替えて頂き、移動をして、今はゆったりしながらコラムを打っています。本日は東京からとんぼ返りして、多分我が家に着くのは9時過ぎになり、明日は富士市で行われる資生堂研修団15期副団長の戸巻先生の叙勲のお祝いがあり、(先般もこの話題はしましたね)午前8時44分に岐阜羽島から新富士に向かわなければいけないので東京で泊まって新富士に行った方が体的には楽なようですが、一人で夕食をとるのも嫌だし、豊橋からは太田理事長とも合流し積もる話もしたいし。(いつもの事ながら話の内容が見えてこないので話題を戻します)太田理事長と同じ列車にするために、太田理事長が指定を取られている隣の席を関ヶ原駅に切符を買いに行ったところ、「隣の席どころか、指定席は1席しかありません」との事で勿論太田理事長の隣の席は空いてない。私が困った顔をしていると駅員さんが「喫煙車両なら空いてますよ」と言われたので、「今時喫煙車両があるのですか」と聞くと「こだまの車両には今でもあります」との事で、私は迷う事なく10号車の切符を手にいれ、太田理事長にメールで「喫煙車両の10号車は隣も空いてますので変更をかけて下さい。」と連絡したら、折り返し返ってきたメールには「喫煙車両は勘弁して下さい。新富士から宜しくお願いいたします。」との事。結局太田理事長は自分の健康を守るために、私との新幹線の中での意見交換の時間を拒否したのか。私の発想にはないパタンだな。きっと太田理事長は二百歳位まで生きるつもりなんだと思いました。今乗っている列車はひかりなので喫煙車両はありませんが、8号車9号車が空いてなくて、10号車だけは空いている現象も太田理事長と同じように考えられる方が多くいると言う事か。素晴らしい健康思考の方々の何と多い事か。私のようにケセラセラと言う考え方は古いのかなんじゃもんじゃ・・・・。私はそのような事にこだわるより、気のおけない方とお酒を酌み交わしながら武勇伝を語り夢を語りして、目を輝かした生き方の方が楽しくて元気が出て良いように考えているのですが・・・・。人それぞれと言う事で。

 

理事長コラムは2008年7月21日にスタートし10年が経過しました。

初めて執筆した原稿を読み返してみました。改めて第一回の原稿を書きますと『コラム発刊で誓います~継続は力なり   施設の事業開始から十年経過した今、「お蔭様で」等と言う通り一遍の言い回しでなく、自分を振り返り、施設の足跡を振り返りながら、思いつくままにレポートしていきたいと思います。職員にはいつも「継続は力成り」と言っていますので、頑張って書いていきますのでよろしくお付き合い下さい』と言うものでした。時には一ヶ月近くも書けていなかったりもしましたが、10年間続けてこれたのは、私の思いつくままの乱文にお付き合い下さった多くのリピーターの方々がいて下さったから。しかし、昔は10年一昔と言っていて、今はそのスパンが短くなっているにも関わらず続けている宏君に、誰かさんのパクリになりますが「自分を褒めてあげたい・・・。」私の原稿は、時には普通の方なら見逃してしまいそうな出来事を拡大解釈をして書いたり、事象について私なりの考え方を書いたりと文字通り思いつくままのものですが、継続出来た事に感謝です。思いが熱くなり長文になったり、書いているうちに話題が変わってしまったり、職員を叱咤激励するものであったり、私自身の思いをコラムでぶつけたり。でも言える事は、十年前と熱い思いは変わらない。いやいや、65歳になった今でも少年のような視点で書いている自分がいるのは一切成長していないと言う事なのか・・・。うーん、今日もわけの分からないコラムになってしまいました。

台風一過の一日になりました

2018.9.5

実は「台風一過」をタイトルに決め「いっか」の字に悩みました。そこで久しぶりに岩波書店の広辞苑を開いて見て核心を得て「台風一過」とタイトルを自信を持って書きました。但し、岐阜県内では昨日から16時現在停電している所があり、如何に大変な台風であったかが分かりますが、とにかく本日は晴天に恵まれホッとしてます。しかしながら『ピンチをチャンス』に変えるのが私の真骨頂。と言う事で朝早くに出勤し改めて施設の状況を確認すると共に9時になったのを確認して、岐阜県庁高齢福祉課長さんに電話。内容は、『こんなに自然環境が厳しい中、お互いが助け合える組織作りの為に岐阜県としても取り組んで欲しい。一朝一夕には出来ないにしても具体的に取り組んでいきたい。』と言うものです。「非常事態」と言うのがこれ程頻繁に起きてきて以上今までとは違うアクションを県老施協会長としてリーダーシップを取っていきたいです。

今週8日に富士市で海外研修団で副団長だった戸巻先生(扶蓉会理事長)の叙勲のお祝いがあり、愛知県の太田先生(和敬会理事長)とご一緒して列車を合わせようと連絡したところ台風で家の門が倒れたとの話しを聞いたので私は『ご先祖さんが新しい門にして益々繁栄するようにとの教えだからラッキーだと考えて立派な門を作ったらいいのでは』と話しをしたら、『相からわず、若山さんの発想はポジティブで素晴らしい』と言われました。いつも言っているように苦しい時ほど次のばら色の行方を想像したほうが楽しいですから。但し、楽しいプランはより楽しくするのは勿論の事ですがね。

台風が来るのを期待していたわけではありませんが・・・。

現在の天気予報は当たりますね。昼食を頂いている時に「徳島に上陸しました。」との情報が入り、15時にショートステイのお送りを予定していたのですが、昼食が終わり次第お送りする事にして、何かトラブルがあるといけないのと外の状況を把握したいとの思いから補助者として送迎車に乗りました。時に強い風にあおられたり、所によっては大粒の雨にフロントガラスを叩きつけられたり、道路の脇の所が川のように流れていたりで、天気の良い日には黄金色した田園風景に心地良さを感じていたのがしっかり実っている田んぼに限って稲が倒れていて・・・。15時台は風も雨も凄かったのですが、只今16時15分現在は雨、風共に小康状態です。(神戸に上陸したとの事なので台風の目に入ったわけではないと思います。)ちょうど今、NHKのニュースで確認したら、関ヶ原町で1時間の降水量が56.5ミリだと報道しました。その時、滋賀県高島市で90ミリを記録したとの報道がありました。とにかく、本日はデイサービスを休ませて頂き、利用者さんにはご迷惑をお掛けしましたが、その分明日からはより充実したサービスに努めようとデイサービスの責任者は一軒一軒お詫びと共に明日からの予定を連絡しています。

台風が一段落したので、楽しい企画が決まりました事をリピーターの皆さんにも報告します。それは、正式に10月2日に月1回のバイキングで『松茸尽くしのバイキング』が決まりました。七輪の炭火で松茸を焼き(元気な方は自分で松茸を手頃な大きさに裂き金網で焼いて貰います。)松茸ご飯、松茸のお吸い物、松茸のてんぷらと松茸尽くしです。どうしてこのような企画があるかと言えば、正に入居者さんが若い頃はふんだんにあった食材なのに、環境の変化等によって地元で採れなくなり、松茸を話題にすることも無くなってしまったような状況の中、昔を懐かしみながら堪能して頂こうと10キロの松茸を予約しました。私も60年前の記憶が蘇ります。私の祖父の山に松茸が採れ、特別大きな松茸を自慢そうに顔のところに持っていった可愛い顔した写真があります。誰もが多かれ少なかれそのような体験をした方ばかりだからこその企画です。10月2日の当日はどのような会話が飛び出すかと考えるとワクワクしてきます。このワクワク感こそ生きる源。私にとってのワクワク感はやはり美味しいお酒とお食事で気の置けない方と杯を傾けながら武勇伝を語ること・・・。でもこれは私の勝手なワクワク感かな・・・。

責任のある対応

平成30年9月4日

昨日は朝イチで打ち合わせの為に施設に行きましたがほとんど外での対応だったのですが、デイサービスの責任者から大垣での対応をしている時に(20時)「台風が直下になったら困るので明日の営業について相談したい」とのメールがきたので、終了後に施設に連絡し「何かが起きてからでは遅いので中止の連絡をして下さい。」と指示をすると共に、自宅ではなくて施設に向けて車を向かわせ、途中でコンビニによりパンやお菓子等を買い施設に向かい、連絡状況を確認して、全ての方に連絡が出来た事を確認してから自宅に帰り、翌朝4時頃から心配だと考え今は午前4時を回ったところで起きて外を確認したら不気味な位静かですので、テレビをつけてもなかなか台風のニュースをしないので不思議だったのです。「これは、怪獣が台風をけちらかしたか」等と馬鹿な事を考えていたら、ようやく台風のニュース。今は四国に接近中で東海は昼からとの事で、あいからわずニュースは東京中心だと感じました。夜明け前から気合いを入れましたが、昼からの対応の為にもう少し
寝ることにします。朝早くからお騒がせしました・・・・・。

3日目にして、9月侵攻が始まりました

20018.9.3

朝イチで我が家の仏壇にお参りして、ご先祖様に気合いをいれてもらいましたがその時、母秋江さん、父進さん、姉光子さんからのメッセージが聞こえてきました。それは、「宏は私達が天国でゆっくりする時間を与えずに困ったもんやな」とニコニコしながら話しているのです。私の大学2年の時からの付き合いがある長浜の滋賀信行会の内藤会長も良くしたり顔で「仏ほっとけで願い事がある時に一生懸命に祈ればそれが人間ですよ」と。私も同感です。と言う事で、仏壇でのお参りを終えて、垂井町長との面談の前に施設で事前打ち合わせをして、7人中5人の理事を引き連れて垂井町役場に。しっかりと事前調整をして行ったので、町長さんからは私の考えていた到達点の80%までの言質を引き出せました。その報告をすべく間髪入れずに岐阜県庁高齢福祉課に報告をしてきました。どんな事業でも、事前、事後の根回しが大切。そのようにしてきた25年があるから今があり、天国での3人の根回しがあるから今があると思っています。但し、私が祈るのは自分の為ではなく、地域の為になると思っているから頑張れる。正直、自分の為ならば今の現状で十分過ぎるくらいです。でも地域の中で必要であれば65歳の身でも汗をかける。そして、たまに、美味しい酒を美味しく頂ければ幸せだと思っています。このような人生を歩ませて頂いている事に感謝しこれからも頑張りますので、このコラム同様宜しくお願いいたします。

 

8月があまりにハードだったので、スタートダッシュは明日からにします

平成30年9月2日

息つく暇もなかった8月が終わりホッとした二日間を過ごしました。つまり、施設での時間を少しにして、家でゴロゴロしてみたのです。今は午後8時30分であと少しで3日になり、新規事業の為の戦闘体制にしなければいけないのですが、私の場合は一般的に言う「再スタートを切るための充電期間」とはいかないようです。何故ならば走り続けた20年なのでゆっくりとした時間の使い方は全くわからなくて、まるで粗大ごみのようにゴロゴロしていて、返って体がだるい感じです。(我が家に今は8キロまで減りましたが、最大10キロまで体重があった17歳のリットと言う猫がいて、いつも私の進路をふさぐように寝ている猫がいるのですが、気付けばいつもゴロゴロしていても元気な猫に感心しています)但し、ゴロゴロしていても戦略は考え、明日のプレゼンの資料はばっちり作成しましたし、新規事業の為のネットワークも構築しましたので、今は格好良く「私は失敗しないので」と言えると思っています。但し、おごった考えでいるわけではありません。

25年前に初めて事業を進めていたときとの比較で論じているのです。25年前は県庁に行っても「誰が来たんや」と言うような対応だったのが、今はそんな環境とは全く違うし協力して下さる方も沢山見えるし、現に明日のプレゼンは私を含めて5人で挑むし。そう言う意味では20年一生懸命に築いてきたものは大きいなとしみじみ感じています。と言う事で、二日間のモラトリアムの時間はありましたが、九月侵攻を頑張りますので、しっかりと見ていて下さい。

ある意味充実した八月が終わり明日から九月です

2018.8.31

何と言っても八月四日は夏祭りがあり総勢800人の大盛況。後片付けも終わりホッとする間もなく東京出張に引き続き長崎出張があり、21日に法人監査があり、二日間の人間ドックを受け、本日31日は介護保険による施設監査がありました。今は二三日前から痛かった歯の治療に来ていますが、治療が終われば来月の敬老週間の打ち合わせと監査が終了した打ち上げで飲み会があります。歯の治療の為の痛み止と化膿止めを頂いたのに酒が入ったら薬は聞かないだろうから、せっかく薬を頂いたけど薬は飲みません。酒で消毒と神経を麻痺させると豪語していますが、明日倍返しで痛くなったらと思いますが、ここはケセラセラで行きたいと考えています。杓子定規な生き方をしていない自分です。何とかなると思っています。さてさて明日から九月です。新規事業も具体的に進めなければいけないのでガンガン行きますのでいろんな意味でご協力下さい。

 

ご縁PARTⅡ(8月23日の原稿がアップされてなかったので、アップしました)

2018.8.30

昨日に続いて『ご縁』の話しをします。この話しをしだすと、あまりに多くの出会いがあり、しかもインパクトが強烈なのばかりなので、昨日の原稿も正直途中からかなり省略してしまいましたが、昨日の続きは私が元気で引退する時期(今のところ65歳になりましたが全く考えていません。だけども元気で引退と言うのは全く持って難しい・・・)に書くことにして、最新情報のご縁の極意のような話しをします。

8月10日に厚生労働省老健局長に就任された大島局長を囲む政策勉強会があり、その後、交流会では名刺交換もさせて頂いて職員雇用について色々な視点からお話しさせて頂いたのを興味深く聞いて、私の名刺にメモ書きもして頂けたので、お会いして1週間後の17日にパソコン打ちでA4用紙3枚、私の生き様を思いつくままにかかせて頂き、18日(土曜日)に投函し、どのようなアクションを起こして頂けるかを半ば期待してはいたのですが、鮮やかな直球で返ってきました。それは、土日をはさんだ20日(月曜日)の13時前に昼食をとっている時に受話器を持って血相を変えて職員が来たので何事かと思ったら「厚労省の大島老健局長さんからです。」との事で私も思わず口の中に入っていたものを飲み込み直立不動で話しをしていたと思います。大島局長の話しぶりで、私の手紙を興味深く読んで頂いた事が良くわかり、特に『若山さんの生き様は波乱万丈だけれども頼もしい生き方だ』と言われたのには涙が出るほどに嬉しかったしこれからもこのご縁を大切にしたいと思いましたし、これからのご縁にワクワクしています。

私は良く『理事長さんはお顔がひろいですね。』と言われるのですが、私だけが特別なのではなくて、それぞれの立場で出会いはあるのにその出会いを大切にするかしないかの違いだと私は思っています。その考えに至ったのは私が小さい頃、虚弱児で対人恐怖症の赤面症だった事に起因していると言う事です。つまり、小さい頃の私は話したいと思っても出来なくて・・・。つまりその裏返しだと考えています。だから職員には、『例えば研修会に参加して質問の時間があれば必ず質問しなさい。その質問が的を得たものであれば講師の先生は演壇から降りて名刺交換から出会いが始まる』と言っています。

私が小さい頃対人恐怖症の赤面症だった事は自分自身を反面教師にしたある意味稀有な生き方かもしれないし、生まれて半年目に5分近く心臓が止まったと言う事で心臓が止まってからの65年間がおまけの人生と考えると何と充実したおまけの人生なのかとも・・・。

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