岐阜新聞の素描という企画に・・・

岐阜新聞の素描という企画に7月、8月の火曜日に執筆することは以前にもブログに書きましたが、この執筆の為に、朝目覚めて洗面と着替えをしたら事務所で原稿を書いたり、企画書に目を通し、8時前に家に帰りNHKの朝の連続ドラマ『まれ』を見ながら(日曜日は仮面ライダー)朝食をとり、再び事務所に行きバタバタの1日を送るという毎日なのですが、本日は東京出張(品川プリンスホテルで2泊です)なので、少しゆっくり目の行動にしようと思っていたのですが、習慣とは恐ろしいものです…!バッチリ目覚めて活き活き仕事が片付きました。勿論、早出の職員には挨拶もしっかり出来ました。本日は公益社団法人全国老人福祉施設協議会の研修委員会全員参加の初会合なので委員長として、委員の方々からがっかりされないように気合いを入れて頑張りたいし、明日は正副会長委員長会議なので、そちらも気を抜かずに頑張りたいと思っています。今は新幹線の中で原稿を書いているのですが、東京までには時間があるので、研修委員会への思い入れについても書いて行く事にします。
私が全国の役員に初めてなったのは平成18年8月8日。その時は総務委員会が新しく出来た時の幹事でした。それから、総括幹事、在宅委員会幹事、研修委員会幹事、国際委員会幹事、広報委員会副委員長と色々な役職をさせて頂きましたが、今回、研修委員会委員長を拝命したのには、本当に嬉しく思っています。と言うのは、中村会長がお元気だった頃、中村会長から『若山、お前はどの委員会で頑張りたい。』と言われた時に、間髪入れず『研修委員会で頑張りたいです』と言った時の中村会長の答えは『勉強嫌いのお前が研修委員会とは笑えるな』と言われたので、思わず『岐阜県では研修委員長で頑張っていますよ』とやや不満そうに言った覚えがあります。ところが、委員の発表があった時に、研修委員会幹事に抜てきされていて、中村会長の期待に沿いたくて一生懸命に頑張りました。そして今回は研修委員会委員長にまたまた抜てきされましたので、執行部の役員の方の期待に背くことなく頑張りたいと思っています。中村会長には、バカじゃアホじゃとろくさいと言われながらも、お茶の入れ方から官僚や政治家との接し方まで教えて頂いた事を忠実に守りながら頑張って研修委員長としての職責を汚さないようにしていきますので、天国でもきっと忙しくされているとは思いますが中村会長、私の事もしっかり見ていて下さい。

岐阜新聞に私の顔写真が載りました。決して、指名手配の写真ではありません。

昨日の岐阜新聞岐阜版に7月、8月の『素描』の曜日別執筆者の顔写真入りの紹介が掲載されていて、火曜日のところに私が紹介されていました。私の記事は7月7日が最初になるのですが、今からワクワクしてます。執筆内容については、私らしさと私の思いを全面に出していきたいと思いますので、私のブログを見て頂いている方も是非見ていただければ嬉しいです。
実は昨日お会いした何人かの方から、「素描に執筆されるんですね。楽しみにしています。」と言われ、プレッシャーを感じながらも嬉しくおもいました。

たまには格式ある内容にしてみました

自民党の谷垣幹事長が昨日(6月28日)NHKの番組で『文化芸術懇話会』での報道機関への圧力発言に対して「与党政治家は言いたいことを言いつのればいいという責任の浅いものではない。物事が進み、世の中がそれなりに治まる状況をつくることこそ与党政治家だ。」との発言に、私自身杉和会のトップとして身が引き締まる思いでした。そして改めて、元気だった頃の中村会長が何度も何度も噛んで含んだように「5年後10年後をにらんだ発信を責任持ってしていくことが大事だ。」と言われていたことを思いだしています。天国でもゆっくりはされていないと思いますが、次代を担う役員も頑張って良い提案を発信していきますので暖かい見守りを宜しくお願いします。

改めて、父親の凄さを知る事が出来ました。part㈼

昨日のブログで、父の凄さを書きましたが、父が不破郡郷土誌編集委員長をしていた昭和43年は私が中3で、母が他界したのが中1の時。この時期の父は父親として、時には母親や役も勤め、しかも、垂井小学校100周年事業のトップとしての役割もこなしつつ、編集委員長の大役をこなしていたのですから、今更ながら凄い父親だったと思います。いやいや、私も62歳になって息子の結婚の日取りも決まった今だからこそなのかも知れません。やっぱり、父親の存在は凄いと思いますし、決して追い抜ける存在ではないとつくづく思ったしだいです。

改めて、父親の凄さを知る事が出来ました

現在、史跡関ヶ原古戦場整備計画ワークショップの委員になったのを契機として関ヶ原の資料を、父親が大切にしていた書物が置いてある、物置で埃まみれになっているものを昨日見ていて、昭和36年11月3日発行の『ふわのあゆみ』と昭和43年5月30日をみつけました。その中には、興味深いものに関ヶ原の駅は1883年に既に存在していたとあり(ちなみに、新橋〜横浜に日本に始めて鉄道がしかれたのが1872年です。)びっくりしました。それよりも驚いたのは、昭和36年発行の最後のページに私の父親が『不破郡郷土誌編集委員会 常任委員』になっていたことです。その時、父親は50歳だったわけですから凄いと思いました。そしてもっと驚いたのは、この原稿をうちながら、改訂版の昭和43年の最後のページを見た時です。なんと『不破郡郷土誌編集委員長』としての父親が『編集を終わって』を書いている事に気がついたときです。こんなに凄かった父親だったのなら、もっと父親を大切にしておけばよかったと思っています。「孝行したい時に親はいず」・・・。天国のお父さん今、私も頑張っているのでお許し下さい。」

岐阜新聞小森記者に対するコラム

岐阜新聞の『素描』の原稿8回分が書けて、担当の小森記者にメールで送信が出来たので、本日はゆっくり出勤しようかと考えていたのですが、習慣とは凄いもので5時には目が覚め、ごろごろしているのはもったいないと思い施設で仕事をしようと自分の机につくと、ファックスやメールがいくつかあったので確認していると、その中に、昨日送付した小森記者からの返信のファックスがあり、目を通していてビックリ。昨日の昼過ぎに送信して直ぐに、送信の確認をした時に送信の確認は出来たとのやり取りをしましたが、ファックスの中でメールを開かれた時間は21時30分で印刷されたのが23時11分、施設へファックスが送信されてきた時間が23時48分・・・。いったい小森記者はいつ寝られているのか。新聞記者の方はよく『夜討ち、朝駆け』とは言われますが、驚き以外の何者でもない。うーん。新聞記者は超人的な生活をされて毎朝確実に新聞が届くようにされているので、これからは今まで以上にしっかり記事を読んでいかなければと思いました。

ブログが書けてないと、優・悠・邑和合の職員を通じて叱咤激励されました

午後7時から和合にて全体会がつきに一回開催され、その都度、理事長としての想いを会議の最後に述べさせてもらうので、昨日が正にその日。昨日も「初心を忘れず基本に忠実に頑張って下さい。」話をして、会が終了してからある職員が私の所に来て「僕の友達が理事長のブログが面白いので一週間に一度は画面を検索しているけど、載っていないので寂しいと言っといて、と言われた」と言われ、私こそ初心に返らなければいけない・・・。いやいや、少し弁解させて下さい。ここ二週間は朝5時には家を出て施設に行き、岐阜新聞の岐阜版の『素描』と言う欄に7月、8月の毎週火曜日に掲載される原稿を書いてて、朝食の為に8時前に帰り『まれ』を見ながら食べて、8時30分に施設に戻り、ばたばたの毎日何ですが。でも、今日は何故ブログが書けたかと言うと素描の原稿が昨日で8週分出来たタイミングだった事と叱咤激励された事が重なったからです。
ところで、和合の職員のお友達よ。職員に話してくれるのも良いですが、激励なり感想をホームページを通して頂けるともっと嬉しいのですが。なお、私のブログを楽しみにしている方が少なくとも1人はみえる事が分かったので、これからはもっと精力的に書きますので今後共宜しくお願いします。

びっくりしました。

4月の最後の土日に秋田まで私の車で片道800キロメートルを私が一人で運転した時(さりげなく自慢話になっていますか!?)の出来事なのですが…。朝早く出発し、順調に走れたお陰で午後5時には宿泊するホテルの駐車場に着き、フロントガラスが何故か汚れているのが気になったていたのでフロントガラスを拭いていて気が付いたのですが汚れの犯人は走行中にフロントガラスに飛び込んできた虫の死骸だったのです。その時には気が付かなかったのですが、無事に1600キロメートル走破した(またまたさりげなく自慢話になっていますか!?)翌日、車を洗おうとしてナンバープレートを見てびっくり〓と言うのもナンバープレートにびっしり虫の死骸がこびりついて模様のようになっていたからです。北陸から東北にかけては虫が多いのか、1600キロメートルを走ったからなのか。ここで長距離運転の留意点を体験者として…。〓早目の休息を。〓フロントガラスはこまめに拭く。〓片道800キロメートル何て決して一人で運転しないこと〓片道800キロメートルもあるのなら飛行機にしなさい。
*支離滅裂のレポートでごめんなさい。久しぶりの新幹線の中でのレポートなので許して下さい。

マニュアル通りなのかそれとも大いなる意図があっての事なのか

昨日は岐阜県老人福祉施設協議会の正副委員長会議に引き続き歓送迎会が行われ、終了後JR岐阜駅から関ヶ原行が有り、乗車した時は混んでいたので立っていたのですが、大垣で殆どの乗客が降りられ、私が乗っていた車両は私だけのような状態の中での管内放送に…「うん?」
その内容とは「皆様にお願いします。列車が混み合っているときにはお席をお譲り下さい。」
このアナウンスをするのであれば大垣までにすべきではないでしょうか。マニュアル通りにされているのか、それとも少ない人数に対する感化なのか。天下のJRの職員がこのレベルなのだから、当法人の職員についても徹底したマニュアルと共に臨機応変の対応が出来る経験と研修が必要だと感じた次第です。

昨日は9時30分から16時まで理事長として・・・

昨日は9時30分から16時まで理事長として、4月から職員となる新人研修で講義をしました。
5日間の日程でびっしり研修を受けて貰うのですが(ちなみに本日は岐阜経済大学の佐藤教授です。)一番最初に話をしたのは「理解したいことや大切だと思った事はメモをしなさい」と言う事からしました。せっかく良い話を聞いても忘れてしまうと勿体無いから。但しメモをしておくと忘れていたことをメモを見ることによって鮮明に思い出す能力を人間は持っているのだと話ししました。そしてその後は具体的な話をしたのですが、13名の受講者はしっかり私の講義を聞きメモを取ってくれていました。この結果が得られたので、朝5時に起きて6時23分品川発で帰って来て講義をしたかいがあったと言うもの。これで、新人の職員がスキルをあげ頑張ってくれたら至福の喜びを味わえるのですが…。

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