いよいよ『かくた君の励ます会』です

本日岐阜グランドホテルにおいて『かくた君を励ます会』が行われるのですが800人分の椅子席を用意して「果たしてどれだけの参加者が来てくだれるのか」とか「雨が降って足元が悪くなるのは来てくださる方に申し訳ないな」等と考えていると朝早く目が覚め、我が家の仏壇でお経をあげ、スーツに着替えて施設に行き、荷物の確認をして、岐阜グランドホテルに行くのに時間があると思い、自分の高揚感を押さえる事も考え施設の仏壇でしっかりお経をあげました。ところで、本部施設の仏壇は設計の段階で私がわがままを言って仏壇の設置スペースを1間半(2、7メートル)にして頂きました。その理由は浜仏壇で三方開きにして、両サイドと天井にステンドグラスで製作してもらう特注にしたかったからです。その思いは仏壇も明るく楽しくなり、生活にメリハリがつけばと考えたからです。8時岐阜グランドホテルに集合で角田本人と岐阜支部長と共に施設へ後援会組織固めの挨拶回りをしています。1日で16箇所を回る強行軍。昼食はコンビニで購入したおにぎりやパンを移動中に食べなければいけなかったですが、食べる事が出来ただけラッキーと思っています。今(午後4時07分)最後の訪問先に向かってます。この調子なら、励ます会のある岐阜グランドホテルに17時までに行けそうだから、18時30分までに打ち合わせも十分できそうです。昼からは温度も上がり暑くなってきましたが、青空一杯になりましたので、励ます会が終了するまでは雨の心配もなさそうだから、励ます会が盛大に行われ、これを契機に『かくた』の名前が浸透して選挙戦に突入して立派な成績が出せるように支援していきたいと考えています。そう言えば昨日の携帯で撮った写真の中に、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利宣言をした時に座ったと言われている石の写真がありました。本日その写真を掲載して、家康さんにあやかって7月21日に高らかに勝利宣言をして、美味しいて嬉しい酒が飲めるように頑張りたいと思いますのでリピーターの皆さんも介護業界の為に汗を覚悟でいる姿をご理解して頂ければ幸いです。2019062305320201 2019062305321101

今(午前5時08分)列車をとらえました。次の列車がまたきました(午前5時12分)

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今(午前5時15分)また貨物がきました。

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10分の間に3本の貨物列車が通過したわけです。2台目の列車は同じ緑色の荷台だったので同じ運送会社のものだったようです。一時はトラック輸送に押されていたのが、盛り返してきたようだと感じました。

さて、昨日は若山家の氏神様である若宮神社で戦勝祈願をしたので、本日は体力温存の為に歩かないでおこうと考えていたのですが、目を覚ましたのが4時40分で天気も良いので「起きるべし」で「えいやー」と起き、本日は地域の氏神様である青坂(せいばん)神社から妙応寺に行き、若山家のお墓にお参りするコースに決めて歩き出し、青坂神社の急な山道を歩きながら小さい頃の事を思い出しました。

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この山道は線路を渡ってその当時あった公民館に行くのは子ども逹が危ないとつけて下さった道だな。子どもの頃は飛ぶように下りれたのになどと思いましたが、急で危ない所には丸太の木をさりげなく手すりのように置いてあったりして、思わず「今須の方は思いやりがあるな」と思ったりして・・・。

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若山家のお墓でしっかりお経を唱え、そのまま、我が家に帰るには想定した時間より早かったので、少し大回りすることにして、我が家の田圃の状態をみると言うコースに変更。鹿避けのフェンスを開けて入って行くとほとんどが休耕田になっていて草も刈ってないので背丈ほどになっていて、我が家の田圃はお世話をしていただいている方がみえるので草は刈ってあり、果樹の木を植えてもらっているので、隣の田圃に迷惑をかけてはいなくて「ほっ」として。

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ここまで来たなら違う踏み切りで帰ろうとして、お地蔵さんが安置されていたので、

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坂を下りて行くと『地獄谷』の大きな石碑があり、いつかはこの言われを調べてみたいと思いましたが、「今は角田君の事で全力だかね。」

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そして、踏み切りを渡り、国道21号線を横切り、民家の間の小路を抜けるといつもの旧中仙道に出て、

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関ヶ原町が設置した文化財の看板をじっくり読むと、『問屋場』がかなりレベルの高いものであったり、

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今須宿には本陣が一つ、脇本陣が二つあり、国境として栄えていたことがわかりました。

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と言う事は、明治の始めに将来を見通せる方がいたら素晴らしい街造りがが出来たのではないかと思いました。しかしながら、もし栄えていたらひょっとして私は饅頭屋のおやじになってあたかも・・・。決して饅頭屋の親父が悪いのではなくて、生き方が変わっていたかもと思うと楽しいなと言うお話でした。

夏至の日の朝早く(午前4時52分)歩きました

令和元年6月22日

明後日6月24日は『かくた君を励ます会』があり、明日が行けるかの確証がないのもあり、本日朝イチで戦勝祈願に若山家の氏神様である若宮神社に散歩も兼ねてお参りしました。今須平井地区にある若宮神社は私の母方祖父(母秋江の父親で春吉さん)生きていれば、私の母秋江さんは大正9年生まれだから99歳で母秋江は末っ子で一番上の姉は20歳上だから生きていれば119歳、その父親だから21歳の子として140歳だから春吉じいさんの父親が若宮神社創建に尽力したので(つまり、150年位前なのかな)『若宮神社』の一文字『若』を頂いて『若山』と言う名字になったと聞いてます。私にとっては力の源である若宮神社。きっと良い結果を導いてくれると確信してます。

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(神様に対してめっちゃプレッシャーかけとるな)戦勝祈願を終えて、聖蓮寺でお経をあげようと歩いて行くと石垣の上に私が前回の散歩の時に落としたタオルが置いてありタオルの上に風で飛ばないように石が置いてある。

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私は思わず「ありがたいな」と手を合わせました。何事も目標持って行った方が形になると言う事を改めて知ったのは、歩いている時に「1・2・3」と数を数えながら歩くと歩くスピードも早くなるし、歩幅も広くなることがわかりました。そして、その時、中学2年の時のマラソン大会の出来事を思い出しました。それはスタートダッシュ宜しく思いきり走り、後続者にどんどん抜かれ、バテバテの時に自転車でしばらく並走して下さった担任の先生によってペースをつかみ、先生が「次の電信棒を目指せ」と言われ、次々と電信棒を目指して走って行くと自分のペースがつかめ、ラストスパートがかけれて10人位をごぼう抜き出来てゴールしたことを思い出しました。そして、午前6時02分に散歩から帰ってきました。本日の散歩での歩数は6345歩です。歩数的には大した事はありませんが、確実な歩みが出来ました。毎日は歩けませんが歩いた後の爽快感は最高ですので、無理のない程度に朝イチの散歩は実行したいと思います。そして明後日の『かくた君を励ます会』を沢山の参加者に助けられ無事に終えて、7月21日には早々と美酒を飲みたいと考えています。リピーターの皆さんも協力お願いします。

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EPA介護福祉士候補生

インドネシアから昨夜185名が豊田の研修所に来て、本日入校式が行われ当法人にも二人の23歳の女性が来てくれる事になっているので入校式に出席してきました。インドネシアから着た来賓の方が「今回来た185名の介護福祉士候補生は沢山の応募者から選ばれた優秀な方逹なので、この研修所で半年間、日本語、日本の風土、介護の基礎をみっちり学び、それぞれの施設で実践を学び、三年後には全員が介護福祉士に合格するように頑張ってほしい。」との挨拶に185人が声を合わせて「頑張ります」との元気な対応には感動しました。約1時間の入校式が終わり、当施設に来てくれる二人の子との面談が企画されていて、二人ともに、昨日の長旅の疲れをみせる事なく、一生懸命色々な質問をたどたどしくではありますがいっぱいしてくれました。『たどたどしく』などと書きましたが半年しか日本語の勉強をしてないのに話が出来るのには感心するばかりです。勿論異国の地に来た不安は一杯いっぱいあり、時には不安げな顔をするので、その都度「当施設には多くのインドネシアからの先輩がいるので安心して、わからない事は聞いたら良いよ」と話をしました。二人には法人で作った施設名が入ったキャリアファイル、ボールペン、ペンライトと、お菓子をプレゼントするととても喜び、逆に二人から施設へのプレゼントを貰い、玄関先で記念写真を撮り、私の車が見えなくなるまで見送ってくれました。ベトナムの留学生もそうだったのですが、一生懸命さが全面に出ていてめちゃ爽やかな気分になり、三好インターから高速に乗りしばらくすると事故渋滞に巻き込まれ、私は走行車線を前の車と間隔を開けてゆっくり(多分時速10キロ位で)走っていると走行車線でない、サービスエリアに入る車線を勢いよく走っていく車に苛つきながらも冷静に運転してサービスエリアから本線に入るところで無理矢理入ろうとしている車で大渋滞。私の車の前に無理矢理入ろうとする車の主は運転席側の窓を開けてタバコを持つ手を窓から出して当たり前のように前に出て・・・。私は日頃は間違った事には厳しい対応をするのですが、車の運転は『事故をするよりましだ。』で紳士的な対応。2キロ程ノロノロ運転で行くと、追い越し車線上でトラックとワゴンの事故現場で、追い越し車線を規制しているのがわかるところに来て、右側の車が走行車線に入ってくる中でルームミラーで後ろを確認するとギリギリの所までスピードを落とさず追い越し車線を走ってくる車が・・・。「どうやって走行車線に入るのか」と思っていると、頭の部分だけぶつかっても仕方がないようにして入れてくる。『ぶつかってから遅いのに』と思っていると何台もそんな車が・・・。日本が平和ボケしているのかなぁ。そう言えば今朝5時から歩いた神社の狛犬の口に手を入れて根性を正して欲しいと思いました。そしてまた、歩いていて我が家の南側の田圃を見てびっくり。何故なら全て田植えがしてない・・・。これで、日本の食は大丈夫なのか。などと嘆いていても仕方がないけど、今日お会いしたインドネシアの子とのギャップがありすぎだな201906211636120120190621163358012019062115130501201906211420410120190621054321012019062105161401

大谷徹奘さんの『今日の言葉』で成功のカギは「予」がつく言葉。予習・予測・予想・予備・予定・・・・・。

令和元年6月20日

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事務所にかけてある徹奘師のカレンダーを毎朝宿直者がめくってくれるのですが本日は垂井町役場で今年の統一地方選で新しく代わられた町長さんに9時30分にお会いする約束があり、朝早くから色々な思いを描きながら考えていて、8時45分に事務所を出るときに何となく、今日の格言をみたら表題のようだったのでしみじみ思いました。26歳まで予習など一切した事がない私が、諸般の事情があるからとは言え予め戦略を練っていた事には意味深いものを感じます。町長さんとの話し合いには「今後の対応をしっかり進める為に副町長も呼びます。」との町長さんのご配慮で人数も多いからと町長室の隣の会議室に場所を移動して行われました。

先ずは理事長である私が盲養護老人ホームの新設の必要性と養護老人ホームの全面改築の意義について説明すると共に今までの経過報告をしました。朝早くから話の内容の整理をしていたので、自分で言うのも変ですがスムーズに話す事が出来たと思います。しかしながら、前町長との引き継ぎがあまりされてないようで、改めて当法人側が入手している資料を提出していく事により、具体的に計画を進めていく建設的な話し合いが出来るスタートが切れたと思います。ある程度は『予測』していたので引き継ぎが上手く出来ていない事は腹の中に入れていたので、冷静に話し合いを進める事ができました。『予備』的なものとして今の現状を打破する副案を持ち合わせていたので、次回の話し合いが円滑にいくような形で話し合いは終了しました。

勿論これからしなければいけないことは沢山あることは承知してます。だって10億円のプロジェクトなんだからそれは覚悟の上です。徹奘師の教えを持って挑めたので上手くいったとも考えられるし、家を出る前にお仏壇に手を合わせ『文殊菩薩様』『不動明王様』にお願いしたし、自分一人の力では決してないと思っています。でも、私はつくづく思うのですが、私のご先祖様は私がいっぱいいっぱいお願いするので大変だと思うのですが、願いを聞いてもらえるのはみんなの事を思ってお願いしているから聞き入れて下さるのだと思っています。と言うことはラッキーではなく、必然なのかもと勝手な考えを書いてます。リピーターの皆さん。今はやらなければいけないことがいっぱいあって理路整然とした文章で無いことをお許しください。

 

 

介護の代表の角田君を励ます会が6月24日に岐阜グランドホテルで開催されます

本日13時30分から岐阜県老施協正副委員長会議があり、その後岐阜グランドホテルに移動して6月24日に開催される『かくた君を励ます会』の最終打ち合わせをしました。打ち合わせに立ち会ったメンバーで「どのように盛り上げるか」を話し合いながら打ち合わせをしていると、だんだん過激になってきて、例えば「若いスタッフが同じジャンバーを着た方がいいのでは」とか「角田君の入場では名前を書いたプラカードで誘導して貰おう」とか「若い職員に角田君の幟で賑やかに歩いた方がいいのでは」との意見が出たら「だったら、スポットライトで照らした方が良いのでは」との提案があったら「角田君のテーマソングを流すべきだ。」と言うことで、角田後援会に連絡すると『ロッキーのテーマソング』を宇都宮の大会では流したとの事で、その事を話すと同席していた副会長が「準備します。」との言質を貰い『瓢箪から駒』のように次から次に話がまとまりました。このわくわく感がみんなに伝わったら、きっとおおぜいの支援者が参加してもらえると思います。どうしてこんなに一生懸命熱くなるのかと言うと『介護を守る為に背水の陣』で宇都宮市会議員を辞し、特養の施設長も辞めた角田君が参議院議員として44歳の若さで暴れまくり介護を守る為の礎となって貰う為に我々が出来る事を精一杯やるしかないと考えて、『出来ることは全てやる』との思いでいます。選挙に挑む我々は素人集団ですが、岐阜県で立派な成績を出して、角田を立派な政治家に育ててこの介護の業界を磐石にしていきたい。これは、単に我々の業界の欲得ではなくて、社会保障のセーフネットを守る事だと信じています。リピーターの皆さんも私のこのコラムを見て賛同して貰えるなら、6月24日に岐阜グランドホテルに18時30分に集合してもらえたら嬉しいです。

朝イチで宿直をしていた幹部職員と話をしました

自分なりに一生懸命に頑張ってしているのは理解できるのですが、例えば先般の経営戦略会議(幹部会)において、フロアの現状指摘に対して建設的な考えを全く言えず、ボクシングで言えばノーブローで「何とかしなければいけない。」と言う事が全く伝わってこなくてひんしゅくをかってしまい、ますます口を開けない状態になっていたのでそのことについて「なんとかすべき」だと話をすると「言われたことに対してすぐに答えれない。」と言うので、私の体験談を話ししました。

「私が育った今須地区は1学年当たりの人数が少なくクラス替えは全く行われないので、保育園から中学校を卒業するまで小さい頃のイメージを替える事が難しく私自身は対人恐怖症の赤面症を演じ続けて何も言えない存在だった。小学6年の時の事だけど、『接吻』と言うのを辞書で見つけた同級生が面白可笑しく伝えて、クラス中に広まり、担任の先生の知るところとなり、私も友達から聞いていたのに、意味が理解出来てないままに笑っていたのだと思います。私が笑っていたので友達は私が理解したものと思ったんだと思います。担任の先生が「この話題について知っているものは手を挙げろ。」と言われて、私は理解していなかったのが本当ですが、「知っている仲間」として手を挙げながら、「意味を説明しろ」と言われたらどうしょう等と考えていました。今の自分は納得がいかなければとことん聞くし納得いくまで喧嘩してでも議論する人間になりましたが、このような性格になるのには、劇的なきっかけがないと難しい。私は母親代わりの一番上の姉が23歳でなくなった事が大きかったと記憶している。」

と話して、今でもとっさに意見が出ないのであれば、後日しっかりとした答えをレポートしていく習慣を付けたらどうかと話ししました。

『うさぎとカメ』の話ではありませんが、スタートダッシュが良いから何でも素晴らしいとは言えない。きちっとした提案を後日する習慣をつけ継続していけば評価は必ず変わるから頑張れと話をしました。今でこそ、私は『瞬間湯沸し器』のように対応出来るようになりましたし、納得いかない事は徹底的にしなけれは気がすまないように思われていると思うのですが、最初から出来た訳でないのだと言うことを熱弁を振るって話をしました。

本当に理解して実践してくれたらきっと今以上に素晴らしい職員になると確信しています。リピーターの皆さんも『地道にこつこつ』頑張りましょう。

特養の『サンシャイン美濃白川』に行ってきました

サンシャイン美濃白川の施設は、当法人が施設設立の準備をしていた時に(24年前)当時岐阜県社協で事業部長をされていた後藤卓郎先生(その後柳城短期大学教授)の紹介で施設見学に行かせて貰った時からのご縁ですが、久しぶりに行かせてもらい、車の中で地名等も理解しながら走らせていて、『上麻生』と言う地名が出てきて、私が11歳の時ですから55年程前に父親が新任校長として赴任した時の夏休みに父親に連れていって貰った事を走馬灯のように思い出しました。55年前に東海道本線は既に電化されていたのですが高山本線は蒸気機関車でトンネルの手前で慌てて窓を閉めているのが不思議な光景だったのを先ずは思い出しました。そして、次に思い出したのは、地元の小学生の子たちと一緒になってソフトボールをして遊んだのですが、全く打てずエラーばかりしてひんしゅくをかい、めそめそ泣いていて父親がタオルを渡してくれた事を思いだしました。そうなんです。私は小さい頃泣き虫の弱虫だったのです。次に吊り橋があり、めっちゃ高い所によわよわしそうな吊り橋をドキドキしながら渡り終えたらその後、バイクで悠々とゆらゆら揺らしながら渡られるのを見てまるでサーカスの曲芸のように見えたのを思い出しました。その当時の吊り橋は決してしっかりしたものでなく、歩く度にゆらゆら揺れていたと記憶しているのですが、今日改めて見たのは吊り橋ではなく頑丈なものでした。そのように考えると私も55年が経過して自分で言うのも変ですがたくましくなり、設備面も充実した事が分かります。そして、サンシャイン美濃白川を訪問させて頂き、24年前に訪問した時は『児童養護の事はわかっていても高齢者福祉の事は何もわかってなくて勢いだけだったけど、今は少しは高齢者福祉についても語れるようになったな。』と考えると、55年前の私、24年前の私と今の私の姿に自分自身驚くばかりです。私自身がそうなんだから、リピーターの皆さんはもっと驚かれている事と思います。でも成長しない人などあり得ないから「まっいいか」

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昨夜はしたたか飲みましたが・・・

令和元年6月16日

昨夜は杉和会の理事・評議員・監事の方の他に選定委員の乾さん、家族会会長の吉田さん、顧問の烏野先生に幹部職員の総勢20名が地元の料亭「末廣」で懇親会を持ち、したたか飲みました。私の場合は日本酒の冷酒を頂くと飲みすぎる傾向があるようです。特に昨夜は辛口の「三千盛」だったからなどと酒の銘柄の性にするのは自分でも如何なものかと思っています。朝風呂に入り体調を整える事に余念がありませんでした。と言うのも本日10時から「父の日コンサート」で私が歌を披露して男性入居者さんにガーベラの花を1本1本お配りする企画があったからです。(ちなみに、ガーベラの花言葉は「希望と前進」です。)先ずは、昨日まで悩んでばかりいて選曲出来なかった選曲作業をしました。選曲は1曲目は山崎ていじの「夜汽車」、2曲目は鳥羽一郎の「兄弟船」、3曲目は北島三郎の「北の漁場」、4曲目に堀内孝雄の「いとしき日々」5曲目に山崎ていじの「おまえしか愛せない」ラストは北島三郎の「祭り」で行こうと決めて、9時45分から練習を始めると早々に会場に来て下さった方が熱心に聞いて下さるので何ら本番と変わらない状況で歌わせて貰い、練習をしながら途中で着替えをしようと考えて、3曲歌った段階で副施設長に1曲歌って貰う事にして、(曲は「月月火水木金金」仕切り直しをして「父の日コンサート」を始めました。進行を水野生活相談員にして貰い、緑色のブレザーで登場。

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山崎ていじのキーは高いので2つ下げるべきだったのに下げてなくて・・・。でも何とか調子よく歌えたので波に乗って歌えました。これは私の真骨頂である『禍を転じて福と為す』と言うことか。3曲歌って副施設長に歌って貰っている間に赤のブレザーに替えると共に喉を潤し(本当は金色のにしたかったのですがみつからなかったので)残り3曲を歌い切りました。

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途中で入居者さんから花束を貰ったり、感謝の言葉を貰ったりしてとても良い雰囲気ですることが出来ました。こんな調子なら月1回はやれそうだと思った次第です。そう言えば、新館の面会に来て面会札を返しにきた方が玄関先で立ち止まり・・・。きっとあの状況は聞きほれていたのではないかと自惚れています。

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午後は『供養祭』があり、かつての入居者の家族の方も多数参加して下さり、久しぶりの再会をお互いに喜び合う事が出来ました。私自身は一人ひとり亡くなった方の思い出を頭に浮かべながらお経を聞いていました。無事に供養祭が終わり、家族のお見送りをしてから、事前にお供えを頂いた方の所にお供えをお持ちして(5件分)今は17時15分からの本部幹部会を待っています。取り敢えずコラムも書けたので家に帰って少しはゆっくり出来るかな・・・。

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6月13日の写真撮影をした中で書ききれなかった事を書きます

実は本日も5時前に目を覚ましたので歩こうとしたのですがバテバテで二度寝をしてしまい、午前中は先般梅を提供してくださった家にお礼にいったり、明日午前の企画に『父の日イベント』があり、そのための準備の為に買い物にいったりして、「午後4時から評議員会があり、その後は法人関係者の懇親会が関ヶ原駅前の末廣であり、多分この時間(13時32分)にコラムを書かないと更新記録が途切れてしまう。でも、頭の回転が悪い絶不調での苦肉の策で3つの写真について書きます。

一つ目は朝日を背に歩いていて自分の影がメッチャ長くてしかもスマートなのに感動して撮ったものです。ここまでスマートで足が長くなくても大丈夫だけど、せめて・・・。いやいや、健康で元気に歩けてバリバリ仕事が出来る事に感謝だし、人を見かけで判断する人は無視むし・・・。

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二つ目は伊吹山の写真ですが、大学に行っていた夏休みの5年間(少し長くないか)は伊吹山の9合目の売店でそばを湯がいたりしてバイトで徹夜をしたり、徹夜の後に人が足らないと言う事で特別手当てを貰ってその当時にしては多額のお金を稼がせて貰って、北海道を1ヶ月も放浪の旅をしたり楽しい思い出が一杯だなと久しぶりに伊吹山をじっくり見て思いました。

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三つ目の写真は現在の小中合併校の写真の中にかつては今須にも診療所があったななどと感傷に浸りながら歩きました。私が通っていた頃は小学校が手前にあり、グランドを挟み中学校がありました。中学校へは渡り廊下で行けるようになっていて、渡り廊下の途中に給食室があり、お茶などを取りにいったななどと考えながら歩いたり、診療所には本多先生と言う女医さんがみえたので生まれて半年目に心臓が止まった私が今も元気でいるのは本多先生のお陰だな。あの頃の診療所は重厚な建物だったななどと、歩いていると昔の事を思い出すきっかけにもなるのだとしみじみ思った次第です。本日は歩けませんでしたがせめて週に2回は頑張って歩き、今須再発見と歳時記的なもの等をいっぱい書いていきたいと考えていますのでリピーターの皆さんも一緒に楽しんでいただければ幸いに思います。

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