遠慮は3流の話し

平成31年2月1日

本日はびわこ学院大学教授の烏野猛先生をお迎えして西濃支部生活相談員部会の研修を当法人本部の優・悠・邑で「「災害リスク」と言う新しい苦難と備えについて」をテーマにして行いました。開始時間は10時で終了は15時の調停場のものですが、参加者の皆さんは真剣に受講されていました。10時の開始時には東海北陸ブロック防災協定の為に福井県の愛全園の生活相談員2人も参加する予定でしたが、10時になっても施設にみえないので、愛全園の施設長に連絡を入れると11時30分から12時の間に到着するとの事だったので、「なるべく早く来て頂き、研修内容の意図を理解して貰いたい。」との思いから、11時30分前から首を長くして待っていたのですが、12時を過ぎても到着されず、結局12時15分に到着された次第です。しかも昼食は米原インターチェンジで降り、施設の入り口を通り過ぎ関ヶ原駅近くの食堂で食べてきたとの事で、私的には「愛全園の園長は私の話をどのように理解したんだ。」と言う思いと、「11時30分に着くと言う事は当方で昼食の準備をしているはずなのだから昼食を済ませてくるとは何事か」と言うことです。但し、この考え方は相手方には考えられない事なので致し方がないのでしょうが、私的には中村会長の口癖だった「遠慮は3流」の言葉を送りたい。仮に12時近くに施設に到着しても遠慮することなく堂々と「食べてません。」と言って頂いた方が気持ちが良い。それに遠くから参加して頂く方に出さないと思う方が不自然でしょ。くどくどと言いましたが、甘える所は甘えて素晴らしい仕事をして頂いた方が良いと言う事です。しかしながら、私の思いで一方的な考えを書いてしまいましたが、深呼吸をして考え直してみると色々な事が浮かんできます。1つには「相手の方に自分の思いや意図を伝える事の難しさ」であり、2つ目には「相手の方の立場を組み入れる事の難しさ」です。究極のところ私はまだまだ未熟だと言うことですかね。しかしながら、65年生きてきた生き方を変えるのも難しいし・・・・・。うーん、困ったこまったこまどり姉妹とおやじギャグを言って終わります。

2月9日付けの週刊現代の記事が最高なので紹介します

平成31年1月31日

記事のタイトルは「ハチャメチャだったけど、もう一度会いたい人を語り合おう」です。全てが興味深いのですが、特にインパクトの強いのをチョイスして紹介します。(但し私の主観で有ることをお断りしておきます。)先ずは俳優の勝新太郎さんです。ホテルで水を持ってきたボーイさんにチップを一万円も払われる理由に「俺はいろんなところで、一生懸命生きている人たちを見学させてもらっている。チップは生の演技への授業料なんだよ」(大胆且つ凄い探求心の持ち主だったと思いました。)次に大地喜和子さんの逸話をカルーセルさんが話しています。「「あわれ彼女は娼婦」」と言う舞台を私は最前列の席で見ていて、喜和子はスッポンポンで演じているから、すべて丸見えでした。終演後に彼女にそのことを告げると『だって、ヤッた後、シーツにくるまっているシーンなのに、パンツはいていたらおかしいだろ』って、とにかく芝居に命をかけていた。」」(役者魂の凄さをさらっとして、当たり前でないことを当たり前にしてしまうのは、やはり凄い。)次にダイエーを創業した中内功の強烈な逸話をノンフィクション作家の佐野眞一さんが語ってます。「たまたま中内さんと同じ飛行機に乗ることがありました。彼はエコノミー席に座っていたんですよ。『ファーストクラスではないんですか?』と私が尋ねたら、『ファーストクラスに乗ったら目的地に速うつくんかい』と。中内さんの人柄を表した出来事でしたね」また、『戦争による飢餓で苦しんだ日本人に腹一杯になるまで牛肉を食べさせたい』には食への思いがダイエーを大きくしたのだと思うし、中内さんの徹底した合理的考え方がダイエーの原動力だったのだと、改めて知りました。その一つの逸話がチラシの裏側にも宣伝を入れさせたとも書いてありました。今では当たり前のように行われている事ですが、当たり前でなかった時にその発想を持たれたのは私自身も見習わなければいけないと思いました。次に紹介するのは、元浜田幸一後援会幹部だった小泉義弥氏の浜田幸一さんの逸話です。「浜田先生は直言居士の政治家。アメリカが漁業交渉の時にアメリカが日本に対して『こちらの水域にいる魚は獲るな』と迫ってきたとき、先生は即座に『わかった。日本はアメリカの魚は獲らない。その替わりにアメリカの魚には全部星条旗を付けておけ。そうすればアメリカの魚は獲らない』と交渉の相手に言った。」(その当時の日本の状況を考えるとよくぞそんな事を言ったな。と思いました。)まだまだ紹介したいものはありますし、読み方の甘いコメントもあったと思いますが、私が言いたい事はリピーターの皆さんには理解して頂けたのではないかと思います。このような逸話を読むと私もまだまだ頑張らねばいけないともおもいますのでリピーターの皆さんにはますますのご支援をお願い致します。

携帯を新しくしました

平成31年1月30日

施設用の携帯はスマホではなくて所謂ガラケイです。1日に何回もこちらからかけ、かかってきて酷使をしていて昨年の8月22日から連続で1000字から2000字をガラケイの携帯を使って打っていたので、充電も毎日していたので充電をするところがしっかりと入らない状態でしていたので、携帯を少し動かしても外れてしまいその度にピッピピッピと音がして。

その現象にイライラしていたので、先週の土曜日にドコモショップに行ったらさらっと「予約のみ本日承ります。」と言われ「どんなに忙しいんや」とも一瞬思ったのですが、大勢の方がおとなしく待っているのを見てすごすごと帰って本日は堂々と予約がしてあったので15時前にお店に行って直ぐに対応してもらえました。私の今まで使っていた携帯には1200件以上の電話登録とスケジュールも1000件以上登録しているのでこの2つは新しい携帯に入れ替えて貰わないと大変だとお願いしたのですが「電話登録は出来ますがスケジュールの方は出来ません。」と言われて、少し粘ってお願いしたのですが無理だったので、本日までのについては、今まで使っていたのを温存しておき、明日からの分で入力してあるのだけ改めて打ち直そうと納得して、そのように対応する事にしました。

今まで使っていた携帯と見かけは同じなのですが、中身は微妙に違うので今までのように使いこなすには少し時間がかかると思いますが、充電の差し込み口はしっかりと収まってピッピピッピと言う嫌な音を聞かなくて良いだけよくなったと思っています。だって、寝ていて充電をしている時にピッピピッピと鳴ったりしたらリピーターの皆さんだって嫌でしょ。新しくなった携帯になっても頑張ってコラムを打ち続けますのでこれからも末長くリピーターでいてください。

あっとそれから、本日ドコモショップ大垣西店で対応してくださった男性スタッフの対応は完璧でした。具体的に言うなら何か私が対応すると、例えば私がサインをすると「どうもありがとうございます。」と気持ちを込めて言って頂けたのはマニュアル通りだとしてもゴミの回収に来た同僚の方にもしっかりとお礼を言われていたのはとても素晴らしかった。ひょっとしたら、私がとても派手な服を着て行ったので「ヤバイ人」と思われて、対応ナンバーワンの方を付けてもらったのか?いやいやみんな対応が良いのでしょう。だからこの店はいつもいっぱいのお客様なんだ。くどくど書きましたが、新しくなった携帯をぼろぼろになるまでコラムを書き続けますのでこれからもよろしゅうお願い致します。

昨夜は角田君を励ます会の後、赤坂見附で飲みました

平成31年1月29日

当法人から四人がトップセミナーに引き続き角田君を励ます会に参加して、食事も出ましたが凄い人で(700人)あまり食べれなかったし、せっかく法人から四人も参加したので赤坂見附にある馴染みの店「あんど」に連れていき和食を大将お任せで頂きました。最初の一杯は生ビールと烏龍茶で乾杯。一杯は生ビールにしましたが、「和食に合うのは熱燗やろ」と言う事で、熱燗二合を頼んだらおちょこが小さいとクレーム!?をつけたら二合の徳利が6、7杯で終わってしまうような大きなおちょこで・・・。最初の内は烏龍茶を飲んでいた職員は泊まらない予定で飲むのを控えていて、20時にはお店を出て帰る予定だったのですが、スマホ情報で新幹線が動いていないとわかり、急遽ホテルを予約して泊まる事に。(いつもの口癖である予定は未定であり決定ではないの決定的バージョンです。)それからはガンガン熱燗を飲んで(二合を多分七本)しっかり食べて。お腹一杯のまま帰ると健康に悪いからと歌を歌えるお店をあんどの大将に案内して貰い。そこでウィスキーのロックをガンガン飲んで歌は多分調子に乗って七曲は歌いました。私たち四人以外にお客様がいなかったのでお店の方にも大切にしてもらい居心地も良かったので。お陰様で6時に目覚めてもまだお酒が残っている感じなのでゆっくりお風呂に浸かり13時からの会議にシャキッと参加出来るように早目の昼食をとり、12時過ぎには会議がある会場に行き役員さん達と話をしていて定刻の13時に会議が始まり16時終了予定が17時10分に終了。17時33分発のひかりに乗りたいとバタバタっと片付けタクシーを停めて、運転手さんに東京駅丸の内側まで急いで欲しいと告げて、東京駅丸の内でタクシーを降りたのは17時20分。丸の内の連絡通路を走った走った走ったつもり・・・・。携帯電話でタクシーの中で予約しておいた切符を券売機で受け取り、またまた走りました。18番ホームに着くと列車は既に停車していて、「まもなく発車しますので御乗車の方はお乗り下さい。」のアナウンス。指定された座席に着くと列車は動き出しました。ところで、会議が1時間以上延びたのは活発な意見が多く出て非常に良い雰囲気だったので、会議に参加しているメンバーも延長したことに批判的な方はみえませんでした。勿論私はいつでも必ず意見を言うのですが、本日は五回も手をあげ発言させて頂きました。私達の業界は介護報酬を頂いて事業を営んでいるのですが、より素晴らしい展開をするには適正な報酬単価を確保しなければいけないので、頑張って良い方向に行くようにとの想いで会議を行っています。充実感に満ちた中で新幹線の座席でコラムの原稿を書いていると幸せな気分です。今の調子で頑張りますのでこれからも宜しくお願いいたします。

 

今日、明日の2日間東京です

平成31年1月28日

今は新幹線の中です。(現在の時間9時16分)東京駅に11時10分に着き、宿泊するホテル(シングル8500円)に荷物を預け12時30分からの会議に挑みます。いつもと違ってホテルに荷物を預けるのは最初の会場が参議院議員会館の地下の会議室ですので荷物をたくさん持っていると検査が面倒だし、会議会場を三回移動するので身軽な方が楽だとの判断で予定より早い新幹線に乗った次第です。私の長男である優・悠・邑和合の事務長も参加するのですが、私は岐阜羽島からで長男は名古屋から乗車するので議員会館で合流するように昨夜の和合での全体会終了後に打ち合わせたのですが、(20時30分)「行った事がない」と不安そうでしたが、1がなければ2、3とつながらないし私も不安だった事をクリアしてきたのだから、自分でクリアすべきだと。(そんなに大袈裟に言う事ではありませんね)。参議院会館での会議は全国介護政治連盟と角田後援会の合同会議があり、来る7月に行われる参議院議員選挙に向けた活動についてと組織強化の話し合いです。その会においてもしっかり意見を言いたいと思っています。但し意見を言う以上はしっかりと役割を果たしていくのは当然の事とも考えています。参議院会館の会議が終わると憲政記念館に移動して、トップセミナーと角田君を励ます会があります。明日は全国老人福祉施設協議会正副会長委員長拡大会議があります。この2日間私に与えられた役割をしっかり果たしていきたいと考えています。(本日の日程がバタバタになりコラムが挫折するといけないので行きの新幹線の中で予告編のような形で書きました。)

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家族会主催の誕生会が開催されました

平成31年1月27日

29年4月から家族会主催の誕生会を開催して頂くようになって22回目の開催だったのですが、1月誕生日を迎えられる方が多く最年長の方は大正10年1月18日生まれの満98歳で9日違いの大正10年1月27日(正に本日が誕生日)の98歳の方、97歳、96歳、92歳、92歳、91歳、91歳、90歳と9人おみえになり、最年少の方が73歳で総勢15名の方の誕生会でした。誕生日を迎えた方の家族も15名参加して頂け盛大に行われました。先ずは、家族会会長の吉田儀一さんの思いのある挨拶の後、施設長である私が挨拶をして、その後誕生日を迎えた方の担当者が選んだ誕生プレゼントを吉田会長から一人ひとりに手渡して貰い、ケーキと飲み物を家族の方と共に食べて頂きしばしの団欒の後、最年長の方から順番に「ハッピバースデイ」の歌をみんなで歌いました。(つまり、15回歌いました)歌を歌う前にお名前と年齢を進行している吉田部長が紹介するのですが、それぞれに良い顔をされていました。その中で特に微笑ましかったのは、90歳になられた男性入居者さんの紹介をした時に、その男性の方が大きな声で「わしの歳は90歳になったのか。まだ70歳くらいだと思っていた。」と言われて、参加者全員大爆笑。すべてが終了して、「70歳くらい」と言われた方の所に行って「90歳だよ」と背中を叩きながら言うと家族の方共々にまたまた大爆笑。そして、「90歳でもお元気だから。70歳と言っても大丈夫かも」と言うと「うんうん」とうなずいてみえました。そぜぞれの日に行っていた時はフロアで誕生日の紹介くらいだったのが大勢の方でお祝いすると1+1=2ではなく3にも4にもなることが継続した結果として職員共々理解できた事例と言えるのではないかと思っています。これからも入居者さん、家族、職員共々わくわく感のある企画を頑張ってしていきたいと考えていますのでご支援ご協力を今後とも宜しくお願い致します。

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1月7日から視聴していた「陸王」見終わりました

平成31年1月26日

主役を務めていた役所広司さんの一言一言の重みを感じながら、メモを取りたいと思って取っている内に次の場面になってしまい、次の言葉に感情移入をしてしまうと前の言葉を忘れてしまったり、涙で文字が見えなくなったりでなかなか控える事ができなかったのですが,何とか聞き取ったのを紹介しますと「なまじ本当の事を知らない方が本当の事を知ることが出来る。」「越えなければいけないのは自分自身だ」「値段が付かないものにも価値があるものがある。」『挑戦しなければ勝ちもなければ負けもない』どの言葉もうんうんと肯くばかりです。私も38歳で児童養護施設の指導員を辞し、いばらのような道でしたが、色々な事に挑戦してきたからこそ今があると思うと、陸王の社長(役所広司)のようなスケールではありませんが私もいっぱい物語が語れると改めて思いました。ところで、メモをし損なって悔しがっていましたが、良く考えてみたら、ビデオなのだから巻き戻して確認すれば大丈夫なのに、次の展開が見たくてその余裕がなかったのですが、もう一回じっくり見て、しっかりメモをしたいとおもいます。

ささやかな気分転換にと年末にチラッと見た「陸王」をアマゾンで購入して少しずつ見てます

2019012517530000.jpg 2019012517520001.jpg陸王は百年続いている老舗の足袋の製造会社が足袋作りのこだわりの中から斜陽業界からの脱出を狙ってマラソンに適したシューズメーカーとして、世界で戦えるまでの会社になる為に苦労しながらもたくましく育っていく(まだ全部を見てないので多分そうなるのだろうと今のところ勝手に思っているのですが)物語です。「零細企業だから出来る事がある。ただお金の為だけにしているわけではない」の件を見た時にテレビでの事だとはわかっていても思わず涙腺が緩くなってしまいました。また、「しつこくしつこく頑張っていくのが私の会社なので」では私の法人設立と施設の建設とその運営をダブらせてしまいました。陸王では一生懸命の中から協力者が現れたり素材の提供者が現れたりしていますが、これはテレビでの話だと簡単には言ってしまうことが出来ないくらいに私の人生でも素晴らしい出会いがあり、その都度大きな助けを頂いてきた。正にテレビでの世界で起きたような事が起きていました。資金が無くて頭を抱えている時に寄付の話が飛び込んで来たり、補助

事業の話がまとまったり、素晴らしい仲間に巡りあったり・・・・・。うーん。夢なら覚めないでと言う感じです。今までの出来事に甘えることなくこれからも頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。

※写真には何の意味合いも脈絡もありませんが、一昨日の日に頂いた服が私の好みにぴったりフィットしたので記念写真を撮っただけです。どや、良く似合うだろ。(自分でそのように思っているだけなのでしょうが。自分が満足できたらよろしいじゃ、あーりませんか。)

 

新幹線が駅でもない所で停止しました

平成31年1月24日

本日は岐阜羽島7時6分発の始発で東京に行き全国老人福祉施設協議会の本部施設がある塩崎ビルに9時30分に着き、10時からの理事会前にいろんな役員さんとも話をして難解な問題がある理事会にオブザーバーとして出席させて頂き、オブザーバーではありましたが、石川会長のご理解を得て意見を言わせて頂きました。途中から感情が入り過ぎたかなと思えるような状況もありましたが、私の全国老人福祉施設協議会への思いは参加された皆さんにもわかって貰えたと思います。12時終了の予定が延びましたが理事会としても決定事項がまとまり、13時33分東京発のひかりに乗り岐阜羽島に向かいましたが、駅でもない所で停止してしまいしばらくしてから車内アナウンスがありました。それは、先行している車両が停止しているのに従い停止しました。との事で、何故前の車両が止まっているのか、どの程度で運転再開するのかの説明は一切なし。アナウンスする立場の車掌さんも状況を把握されていなくて説明が出来ないのであれば、せめて状況がわかり次第アナウンスします。くらいの事を言って欲しかったです。今日は早い時間での帰宅だから良いとしても、これが最終列車だったりしたら、不安が増幅するのではと思いました。立場が違えば答えたくても答えられない事もあるでしょうが、少なくとも乗客ファーストの対応ではなかったと思いました。私の事業も顧客があってのものなので私も決して他人事でなくとらえなくてはと思った次第です。

 

65歳を過ぎると睡眠時間は減るのかな

平成31年1月24日

昨夜はくたくたで10時30分に寝たら早朝4時30分に目覚めて(でも、良く考えたら6時間は寝てる)如何にも早いので横になっていて、5時30分に起きて行動開始。先ずはうがいと歯磨きをして、スーツに着替えて、本日東京での会議用の資料を印刷するのと施設での決裁書類の対応の為に施設に行き(宿直者を私の都合で起こす事になり申し訳無いことをしました)今は新幹線の中で予定ではおむすび弁当を食べるはずでしたが、無くてサンドイッチとコーヒーになりましたが贅沢は言いません。あっ、悪い癖です。本題から外れてしまいました。睡眠時間の事を書いていたんだ。65歳を過ぎるとやるべき事が出来ないと頑張らねばと自然に睡眠時間を減らすことになるのか。でも65歳の今、いっぱいやるべき使命が有ることには感謝しかありません。しかしながら、体力を過信してはいけないので、コラムを一段落させて少し目をつむる事にします。

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