古木の紅梅が今年も咲きそうです。

平成29年3月23日

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私の父が若山家の分家として養子に来たのがシベリアに抑留され復員してからの昭和21年。私が中1の時に他界した母秋江さんに一目惚れして、今須の地に中古の家を買った時には写真にある紅梅の木が既に立派な花を咲かせていたと言う事です。先般、次男の嫁がその古木の木を見て太い枝の半分位に穴が空いていて、それでも華を持っているのを見て「凄いね。」と言ったのでしみじみ思いました。考えたら凄い生命力だと・・・・。

戦後72年たっていると言う事はやっぱり古木だし、大きく穴が空いていても立派に華を咲かせるとは!!。そして何より古木の紅梅を見て凄いねと言った次男の嫁の感性に嬉しくて改めて古木の凄さに気が付いたわけです。職員には目にしていてもスルーしてしまっていることはないのかと言っている私が恥ずかしくなった次第です。これからは、出掛ける度に頑張って咲いてくれてありがとうと言うと益々老木も頑張ってくれて綺麗な華を咲かせてくれるように思います。私も63歳で高齢者の仲間入り直前ですが古木の紅梅に負けない位に頑張っていきますので、いつまでもうっとうしいとは思わずに宜しくお願いいたします。

 

 

只今入院中です

平成29年3月11日

先週の土曜日(3月4日)の朝、熱が38度あり関ヶ原病院でいつも診て頂いている森島先生に本来は初診ではないので診て貰えないルールだとは知っていたのですが私の虚弱体質を良くご存知なのは主治医である森島先生以外にはいないと電話で粘り何とか森島先生に診て貰う事になり病院に行くと先ずは今の時期なら当然疑われるインフルエンザ。だから別室に案内され鼻からの検査。20分後にマイナスの結果が出て。次に血液検査。約1時間点滴用の部屋のベッドで横になり森島先生のみえる診察室へ。結果を見て即入院。何故なら炎症反応を示すCRPは27を超え、何時もは200までで治まっている(これでもかなり高いのですが)γGTPが882・・・・・。これでは入院しなければいけないと覚悟を決め、そのまま入院。結果的にはその日の夜から39度5の熱が解熱剤を飲むと治まりまた熱が出る。熱の経過表を見たら今日ナガシマスパーランドにお目見えした「あらし」より凄い結果に。(決して自慢出来る話ではないのですが)

今はようやく熱も下がりお風呂に入る事も出来ホッとしてしみじみ考えるに入院する前の約2週間位は出張も多く、夜間対応も何度かあり、疲れと睡眠不足による過労の結果なのか・・・・。なお、入院してからの10日の血液検査の結果は良くなるどころかCRPは31、γGTPはなんと1423と実に四桁にになり森島先生も流石に慌てられたように対応して下さり、今は熱も落ち着いたので、ようやくこの原稿を書けるまでに回復しました。週が開けた月曜日には改めて血液検査をして順調に数字が落ち着いたら退院できくるのではと考えています。しかしながら、高熱を出す名人と言われた(普通に言われたくないことですが)私も63歳になり5月16日には64歳になる私はもう傍若無人な生き方は出来ないなと今は思っていますが、さてさて、ずっとこの気持ちを持ち続けることができるか・・・・・・、少々自信がございませんが。

 

田舎者は困ります。

平成29年3月3日

昨年の9月に網膜剥離の緊急手術をしてから不定期ですが手術をして頂いた名古屋市立大学附属病院に受診しているのですが、正に本日が受診日で我が家を7時前に出て大垣から電車と地下鉄を乗りついて病院に来て、「さてさて、眼科の階は」と案内板を見ると眼科がない!?確かにアイセンターと言う掲示はあったのですが、違っていたら駄目だと思い、案内をして下さっているボランティアの方にお尋ねすると「3階ですよ」と教えて頂いたので「ひょっとしたらアイセンターと言うのがそうですか」と聞き直すと「そうですよ」と答えて頂きめちゃくちゃ恥ずかしい思いをしました。いくら私が英語が出来ない人間でも、流石に(アイ)が(目)だと言うこと位は知っていますが(アイセンター)と書いてあると別の建物なのかと勘違いした私はやっぱり田舎者なのかな…?でも日本人である私としては(眼科)と書いた後に(アイセンター)と掲示して欲しいなと思いました。勿論今話題になっている(教育勅語) を国民全員に覚えさせよとは考えていませんが。

 

探し物、忘れ物の毎日です

平成29年2月26日

施設に着いてから大切で無くては絶対に困ってしまう携帯を何と3日連続で家に忘れてしまい「私の奥様かをりちゃん」に施設に届けて貰う体たらく…〓。本日はと言うと、朝6時に施設に行き、書類に目を通したり、管理宿直をしていた係長にいろいろと話をして指導したり、来月に開催される理事会・評議員会の案内文を作成し、出勤してきた事務部長と打ち合わせをしたりしている内に9時前になり、慌てて家に帰り朝食を摂り、10時14分羽島発のひかりに乗り東京に行くため外出着に着替えてさて家を出ようとしたら名刺入れがないないないとあたふたして嫁さんにも迷惑をかけたら、カッターシャツの胸に納まっているのに気付き、次にまたまた、携帯が見つからずに、嫁さんの携帯を鳴らしても無くて施設に連絡して探しても無くて…またまたあたふたしていると嫁さんが「車の助手席に置いてあるよ」と外から声をかけてくれて一件落着。しかし、私のないない病は如何なものか?単に忙しいから仕方がないではすまされない。ひょっとしたら認知症の入り口なのかいやいやそんなはずないので、足を地においた生活をしなければと考えてはいますが!!所詮無理なのかな…。

 

眼科の待合室で聞くとは無しに聞いた会話

平成29年2月9日

「私はいつ死んでもええんや」と言われた方が、そのあと直ぐに、「肺炎はいややな。結構肺炎で死んでるしな。」結局この方は、もっともっと生きたいわけで人の気持ちは素直にとって良い場合と内面的なものを理解した上で会話しなければいけない事を改めて再確認しました。敢えて口はばったい事を言えば職員も入居者さんの思いをしっかり受け止めたケアをもっともっとして貰いたい。そうすれば対応にゆとりが出てくると信じて頑張って貰えれば最高何だけど・・・・・。

昨夜東京で泊まり9時ののぞみに乗り感動しました〓

平成29年2月2日

東京から10分で品川なのですが、品川を出てしばらくすると何と富士山が見えるではありませんか〓思わず写真を撮ろうと準備すると建物等で見えなくなり、またしばらくすると富士山が現れてカメラを向けるといなくなりで、何とか四苦八苦の末に撮れたのを添付しました。その時つくづく思いました。ブロのカメラマンはいわゆるシャッターチャンスをじっと待ち、一枚の写真を撮られる。あるいは、何十枚何百枚の写真を撮り、世に出る写真にされているのだと思うと私にはブロのカメラマンになる資格はないなと(もっともなるきもありませんが)遠くからでも見えると言う事は勿論雲一つない快晴〓そんな原稿をメールで打っていると車内放送で「右に富士山の全景が見えますので富士山をご堪能下さい。」確かに美しい富士山が見えましたが、今回は東京からも見えた事が言いたかったのです。

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あっとそれから、本日は昼からかつての入居者さんの共同墓への納骨を行うのですが、忌明けの日に実施する予定でいたのですが雪の為に延期していたのを本日実施するのですが 快晴の今日実施出来るのはかつての入居者さんが曇り一つない性格の方だった証ではないかと思っています。11時に羽島に着き車で施設に帰ったらお花やお供えを準備し納骨を終えた後は関ヶ原病院がこの4月から診療所になるので今後の対応について病院と打ち合わせをすることになっているので今日もバタバタですがバタバタで仕事出来るのも元気で生かされているからと感謝して頑張ります。昨日は介護についてシビアに書かせて頂きましたが、本日は少しソフトにまとめてみました・・・・。いずれにしても、これからも杉和会のホームページ並びに私のブログも宜しくお願いし、出来ればご意見等も頂けたら嬉しい限りです。

「日本式介護」のアジア輸出は成功するか?と言うダイヤモンド・オンラインの記事を読み、私なりの見解を述べます

平成29年2月1日

介護事業者のアジア進出を政府が全面的に後押ししようとしている状況で、要介護5の方が要介護3になった施設の事例をあげている。その事実から安部首相は「できないことを手助けするのではなく、できるように導く」介護の推進を掲げキーワードは「自立支援介護」の徹底だと言い切られています。確かに私の施設においても入居当時、要介護4だった入居者さんが現在要介護1になって盆栽の管理やカメラで写真を撮って手作りの広報誌をパソコンで作られている方もありますが、全ての方がそのようになるわけではないし、むしろ加齢に伴い要介護度が高くなる方もみえます。だからこそ、一人ひとりにあったプランを立てて日々実践しているのです。尚、この記事の中で「自立支援介護の理論構成」として、「基本ケアは水分、栄養、排便、運動をパッケージとして管理」「1500mlの水分摂取、1500Kcalの栄養摂取、生理的規則的な排便、歩行中心の運動」と極めて具体的に提示されていますが、全ての方に、この提示が当てはまるならば、介護の仕事は楽なものと言え るのですが、そんな単純なものではなく、一人ひとりに介護すべき事が違うのです。確かに当施設においても1500ml以上の水分を摂取して頂き認知症の症状が消失した事例はありますが、1500mlを飲まれて体調をくずされた方もあります。つまり、介護はそれぞれの方の生き方、生活習慣、身体状況によっても違うと考えています。私は平成9年に今の施設を開設しましたのでいわゆる「措置の時代」を2年間経験したのですか、その頃の施設はいわゆる、最低限にすべき事をすれば良い的な考え方(勿論当施設は決してそのような事はしておりません)があった事を否定しません。 私が言いたいのは、自立支援介護は単純なものではなく、手法は多岐に渡っていると言う事。確かに日本は僅か24年で7%から14%に高齢者の割合がなった中で必死になって要介護高齢者を守ってきたわけで、これから高齢者対応に追われるアジアの国々が学ぶ面は多くあると思いますが極々一部の事例で政策を決めるのではなく、今の施設の現状をつぶさに理解して介護報酬等も決めて欲しいし都市部の現状と地方部の現状の違いも理解した政策を講じて欲しい。どちらにしても、安部首相が介護に着眼された事は嬉しい限りです。但し、現状把握に汗をかいて貰いたい。一生懸命に取り組んでても要介護度が厳しくなる方はあるのですから。

平成29年1月も今日を含めてあと2日・・・・・

年末年始に風邪をひき調子が出なくてスタートダッシュに失敗したこともあり、バタバタしている内に1月が終わってしまう。こんなことでは63歳7ヶ月の私は何も出来ずに高齢者の仲間になってしまう。先般、地元の中学校の研究発表会にまねかれ「高齢者とは何歳からだと思いますか」との質問に「60歳」と答えた生徒がいて「私も高齢者だと思われている」と思うといささかショックだったのですが、最近の風潮では「高齢者の規定を75歳にすべき」とか「生涯現役」とか言ってますが、歳をとっているのは事実なので、本日も我が家を6時過ぎに出て今は東京で10時からユニット検討会議の為今は新幹線の中なのですが、頑張れる内は叱咤激励で頑張ります。ところで、昨日我が家に配布された関ヶ原町の広報の表紙に関ヶ原町主催の成人式の写真が掲載されているのを見て思った事を書きます。そこには、西脇町長さん、澤居議長さん、中川教育長さんを中心に成人式を迎えた若者がそれぞれの思いを込めて写っていて、一際目立った茶髪にサングラスをかけた若者を見たとき43年前の私をダブらせてしまいました。その時の私は、ロングヘアーにパーマをかけていてその当時としてはメチャクチャ目立った存在だったように思います。そう言う意味では43年の歴史を感じます。

話は変わりますが、先般、全国老人福祉施設協議会主催の研究会議が長崎で開催され本部施設から2事例発表とポスターセッションにエントリーをして、奨励賞を頂きました。私は第2分散会で審査委員長の役割があったので奨励賞を頂いた発表は聞けなかったのですが、発表自体総じてレベルの高い中で頂けたのだから満足のいく結果となりました。研究会議が終了し頑張れたご褒美とご苦労さん会を兼ねて後泊をして、「良く学び、良く遊べ」。美味しい料理とお酒とカラオケ♪翌日はレンタカーを借りてグラバー邸と平和記念公園の見学と昼食は長崎チャンポン。グラバー邸ではグラバーさんが日本の将来は明るいと判断されて起業され坂本龍馬らとも繋がり素晴らしい事業家になられたことが良くわかり、平和記念公園では改めて今の平和は厳しい時代があってこそと思うと今を生きていることに感謝です。昼食の長崎チャンポンは流石に本場のチャンポンだけあって、スープ善し、チャンポンらしくいっぱいの具材に満足の極み。思い付くままの原稿ですみませんが、もうすぐ東京ですので・・・・。

 

本日から全国老人福祉施設協議会研修会議長崎大会が開催されます。

私は昨日長崎で正副会長委員長拡大会議があり先取りで長崎に来て、今は全体会会場に11時に役員は集合することになっているので少し時間があるので携帯メールでこの原稿を打っている次第です。本会議の参加人数は2500人を越えたと昨日の会議の席で聞いたのですが、会場の準備をされた長崎県の役職員の方々の努力は並大抵でなかったと思います。本日は長崎ブリックホールで全体会があり第26代海上幕僚長古庄氏の記念講演があったり、ジャパネットたかた創業者の高田氏の特別講演があったりと盛りだくさんの企画があります。そして明日は事例発表会(いわゆる学会形式)があり、当法人からも本部施設の服部係長と若園係長が発表します。私はと言うと第一分科会第二分散会の審査委員長を仰せつかっているので、明日は評価者としてしっかり審査したいと思うと共に先進事例を当法人でも取り入れれるものは取り入れていきたいと考えています。明日は研修会議が終了したら、発表した二人とそれをサポートした二人と、その四人を指導していただいた佐藤先生を囲んで後泊をして反省会と言うか慰労会と言うかをして、せっかく長崎に来たので翌日は市内観光をして帰る予定をしてます。私としては法人の理事長として、これを機会にして職員全体のモチベーションとスキルが上がる事を期待している次第です。尚、事例発表会の結果は大会後にしっかり報告したいと思っています。

昨夜の役員歓迎レセプションの1コマ

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頓珍漢な夫婦の会話

昨日は関ヶ原も久しぶりの寒波に見舞われ、施設の除雪車で雪解けをして汗をかき、着替えをした後、帰宅し玄関先が山のような雪の塊状態だったので、雪が降りしきる中、雪解けを終え、家に入るなりお風呂に入り冷え切った身体を癒しながらゆっくり湯船に浸かっていたら、いつもより長めのお風呂だった為かそれとも食事の都合の為か私の奥様かをりさんが脱衣場のガラス越しに「おでんわ(は)しましたよ。」と声掛けられたので「だれにしたの」と宏君が応えると「何わけ分からん事言っとるの。おでんが出来たから早く出て。」と言われ、宏君は思わず絶句。だって、「お電話しましたよ」と聞こえたんだから。今更ながら「は」「わ」の日本語の複雑さを知ると共に奥様とのコミュニケーション不足の賜物なのかと反省し、しつこいくらいにお風呂からあがって「お電話」と「おでんは」のすれ違いについて大笑いした次第です。

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