東京の会議が15時前に終了し岐阜羽島に17時30分過ぎに着いて駐車場での出来事です

平成30年10月3日

岐阜羽島に着いて駐車場まで歩いて行くと何やら鳥の声らしきもので騒々しいのです。私の車のドアを開けて空を見上げると電線に数えきれない程のスズメが止まっていて囀ずっているのです。ずらっと並んでいる理由はわからないのですが見事としか言いようがありません。何でもそうですが数が揃うと力を迫力を感じます。何に対しても興味を持つ私はまだまだ若い感覚の持ち主なのかもしれないのかも。いやいやまだまだ若い者には負けません。何、勝負しようかだと。かかってこんかい。

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午前10時からの緊急理事会、午後からの副議長としてのヒヤリングが終わり今は新幹線で岐阜羽島に向けての走ってます。

平成30年10月3日

午前10時からの緊急理事会ではオブザーバーの立場だったので、会長らの説明を聞いた後、理事さんの意見を聞く立場でいろいろな意見が出ましたが、83歳の現役医師の石飛先生(看取りの第一人者)の長年の経験からの意見には重みがありました。理事全員の意見が行われた後、議長副議長にも話す機会を頂いたので、本会の厳しい状況からの脱却の為に何をなすべきかを熱く語らせて頂きました。昼食を挟んで午後1時から電通の方4名と経営戦略室長、副戦略室長に事務局2名を加えた8名の前で議長副議長の立場や今までの役員としての経験、県の代表者としての立場で考えていることを長期ビジョン、短期ビジョンで語らせて貰いました。議長はかつて在宅委員会の委員長と幹事の名コンビでしていた時の直接的な上司で(最も今も上司の関係ですが)阿吽の息で円滑に話をさせて頂いたので、予定の時間である1時間をはるかに越えて2時40分まで話をさせて頂きました。私も議長も今の厳しい状況を打破したいとの思いは同じです。何年か後には「あの頃は厳しい状況にあったけど今は頑張れているよと言えるようにしたいものだと思っていました。

5時30分に起きて東京出張の準備をして一旦施設に行き宿直者と打ち合わせをして、岐阜羽島まで運転して今は新幹線で東京に向かってます.

平成30年10月3日

朝日が眩しくて運転しにくかったのでゆっくりと走りましたが、時間に余裕があったので岐阜羽島始発の7時6分発に十分間に合ったのですが、朝から気分の良い事がありましたのでその事を書きます。それは、駐車場でお金を払う時に朝日が眩しかった為か私は千円札を出したつもりだったのですが、千円札を4枚数えてみえたので、私は「千円しか出してないよね」と言うと「五千円でしたよ」と答えて頂いたので私は「日の光が眩しくて間違えたようです。」と答えると「大丈夫です。」と言われ、ただただそれだけの話しなのですが、私の気分は爽やかになりましたし、私自身もっとお金を大切にしなければいけないと言う戒めだったように思いました。昨日内閣改造が行われたので新聞を買おうと売店に足を運ばせるとレジの前は長蛇の列。目的の新聞とお茶(爽健美茶)を買い、予定の列車に乗れた次第です。本日は10時から全国老人福祉施設協議会の緊急理事会があり、本会で起きているスキャンダルにどの様に最終決着をつけるかと言う大切な会議があり、午後からは2035年に向けてのビジョン作成の為に副議長としての意見陳述をする機会を頂いたので、全国の役員になって13年目と言う立場で(この間に、総務委員会幹事、在宅委員会幹事、総括幹事、国際委員会幹事、広報委員会副委員長、研修委員会委員長その間にも参議院選挙の総括責任者もさせて頂きました。)しっかりと話をしていきたいと考えています。※結果は帰りの新幹線の中で報告します。

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松茸バイキングは無事に終わりました。

平成30年10月2日

昨日夕方10キログラムの松茸を届けて頂いて思わず記念撮影をしたことは書きましたが、本日は本番で入居者利用者の方がどんなに喜んで頂けるかをワクワクしながら見ていたのですが皆さん良い笑顔で話しにも花が咲いていたのが何よりでした。バイキングで松茸尽くしの匂いを嗅いでみえたわけではないでしょうがメンテナンスをお願いしている大倉商店の大倉社長、岐阜広告の棚橋社長、中部学院大学の先生とインドネシアの研修生、地元の中学生が職場体験で来ているのを巡回指導でみえた先生もお昼近くにみえたのでバイキングを食べて頂きました。特別参加していただいた方からは「永谷園の松茸のお吸い物でしか松茸の味はしらないので嬉しい」とか、「我が家で松茸を食べたのはいつの事だったか記憶にない」とか、七輪の網に乗っている焼き松茸を見て、カメラに収めたりしながら「こんな立派な松茸を焼くんですか」など賑やかな昼食となりました。それぞれに話ししなければいけないことがあったのでですが、とりあえず松茸のバイキングで盛り上がりました。インドネシアの研修生は先月来たばかりと言いながらもお箸を使って上手に食べていたのは印象的でした。皆さんから「どうしてこんなにふんだんに松茸を使ったバイキングができるのですか」との質問を頂いたので「日頃から必要のない電気を消したりして節約に心掛けているので出来るんです」と答えました。事実そうなんだし。この考え方をいつまでも続けていく為に、もっともっと職員が感動する場面を増やしていきたいと考えています。

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明日は松茸尽くしのバイキングです。

明日は松茸尽くしのバイキングなのですが、10キロの松茸が8個の箱に入っていて、とんちのような話しですが、大きい方の箱に4本入りと書いてあり、小さい箱に6本入りと書いてあったのです。そこで私は推理しました。「きっと大きい箱にはめちゃくちゃ大きい松茸が入っているんだ。」と。そこで興味津々の私は職員に「大きい箱を開けて」と思わず言ってしまいました。箱のテープを取り白い紙で包んであるのが見えた段階で松茸の匂いが醸し出され、包んであるのを開いてみると、一本目の松茸があまりに大きくて手にしてみると、職員が「こちらの方が大きい」との声に「その大きいのも出して。」と言って思わずポーズ。私のでかい顔が小さく見える・・・。決してそのような事はありませんが・・・。明日の本番でのバイキングでは、入居者さん利用者さんからどのような会話が飛び出すか。七輪で松茸を自分で裂いて焼かれる方からどんな会話が飛び出すか。箱から出して匂いをかいただけでワクワクしている私はまだまだ頑張ってやるべき事をしっかりしなければいけないと思った次第です。

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只今午前3時40分です

昨夜午後9時に我が家の西にある川が凄い勢いで流れているのを確認して、雨も風も強いのに緊張感が走っている時に施設の宿直者からメールで入居者の報告と共に「外も確認しましたが、今のところ大丈夫そうです。」との連絡があったので、私は思わず「土砂崩れでもあれば外の状況も連絡してもらわなければいけないけど、そうでなければ、台風が去った早朝に私が確認しに行くから施設内をしっかり確認して下さい。決して外には出ないように」と電話で連絡しました。(4時になり、NHKのニュースが始まりました。)今は山形県米沢市近くに台風があり、岐阜県は通りすぎたとの事がアナウンスされました。平成3年以降の記録では年に2回台風が上陸した記録はないとの事。我が家の西側の川はゴーっと凄い音がしてますので施設が心配ですが、NHKのニュースで岐阜県が大変な状況と言う報告はないので、もう少し寝て明るくなるのを待ちます。(以上、4時12分までの報告です。)2階に上がってきたら、我が家の猫リットが私を待ち構えていて、餌の請求をするのでしばらくそばに座って見ていると外で「ビュー」っと風が吹きました。改めて今回の台風は凄いものだと感じました。だって今は東北南部に台風はいるのですから。(朝起きて車の中から見た状況と施設外周の報告をします)まだ稲刈りをしてない田んぼの稲は倒れる事なくしっかり立っていたので、前回の21号よりは風は吹かなかったようです。(でも、結構吹きましたが)前回の台風で倒れた田んぼの中の小屋はしっかりとロープで縛ってあったので、(風はそれほどでなかったか)前回の台風で大屋根の瓦が飛び瓦屋さんが忙しいのかまだ直してなくて応急処置のビニールシートがはがれていて、業者さんに連絡したり、山の木が何本か倒れたり、鹿よけの柵が倒れていたりしたので、砂防工事をしている業者に連絡して直ぐに来て貰い打ち合わせをしたりして、最後に川沿いを確認すると竹が何本か倒れているのを確認しました。結果的には事前に得た情報の割には被害が少なかったので、肩を撫で下ろしていますが、被害が大きかった所には何か支援が出来たらと思うと共に理事長として備えの充実策を考えて実施していきたいと考えて早速、関ヶ原町の産業課へ行って相談していきたいと考えています。

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我が家でのお祭りが終わりました。

昨日から台風24号は伊勢湾台風以来の強いものだとテレビで言っていましたが、60人分のお祭りの用意は準備万端出来ているし、予約した栗蒸し・お刺身・お寿司・揚げ物等を今更キャンセル出来ないし。ここは、仏ホットケの根性出して祈るしかない。と言う事で、朝早く起きて洗面を済ませ仏壇にお参りして遮二無二お経を唱えました。そして、11時からの職員を主体にした招待客が次から次に来て、18時30分に全てのお客様が終了しました。台風の為に前倒しで来た職員もいて、多いときは20人位のお客様で目が回るような状況も有りましたが、何とかお客様に迷惑をかけないように無事に終わりました。最後のお客様には、残った料理やお酒を半ば強制的に持って帰って貰いました。だって、私は家での晩酌の習慣はないし、家には二人しかいないのに山ほどの残り物を何日も何日も食べるのは嫌だし。職員がお客様できて「遠慮」されると中村会長から真剣に怒られ、どうして駄目なのかを教えて頂いた事をその都度話ししました。本日お客様で来てくれた職員が、明日への
活力を持ってくれたならば嬉しいなと思っている次第です。今20時48分で、テレビを点けてニュースを確認すると、これから台風24号が迫っているようです。少し東よりの太平洋側を通るようで満潮との関係で厳しい状況だと言ってます。関ヶ原町でも1時間に40ミリメートルが降ったと言ってます。明日の早朝まで油断できないようです。今は何も出来ませんが台風の後対応を夜明けを待ってしていきたいと思います。どこまでいっても「施設ファースト」です。当たり前です。命懸けで施設をつくったんだから。少しオーバーかな。でも正直な気持ちです。

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関ヶ原町老人クラブ連合会主催の地域医療の講演会が地元のお寺である妙応寺で行われました

2018.9.29

開会の挨拶は当施設の家族会会長の吉田儀一さんがされたのですが、その挨拶はいつもに増して熱く語られたものでした。そのあとは「やすらぎ」の保健師さんから健康寿命についての話があり、最後に記念講演のような形で関ヶ原診療所の島崎所長さんが話をされました。その中では関ヶ原町の中で地域医療の大切さをかたられたのですが、当施設も補完的な役割を担わなければいけないので、より一層の連携の必要性を感じました。関ヶ原町は少子高齢化による人口減が著しい町なので、具体的に人口減の右肩下がりの現象を少しでも緩やかにする具体策を地域医療だけでなく多面的に提案し実践していく事が喫近の課題だと改めて思いました。一般参加で町長さんや町議会議員の方もみえたので今回の企画をきっかけとして、真剣に取り組んでいって貰いたい。私も微力ながらお手伝い出来ることは頑張っていきたいと思っています。少なくとも私は現在65歳だから30年後の95歳の時に限界集落として消滅してないように努力しなくてはと考えています。私は、福祉と歴史の町としての具体的な方策をすればと思うのですが。関ヶ原町の住民が他の市町に移り住むようではいけない。誇りを持って住み続ける為の方策。ある政治家が言ってました。一度訪れて二度三度と訪れたくなるには美味しい食べ物があることと。私が知っている限り私が中学生の時(50年前)には関ヶ原町には和菓子やさんが5軒はありましたが今は一軒です。美味しいものがあるお店には列をなすのもい問わない国民が増えているのに、そのような現象は関ヶ原町で見たことがない。私は、知恵と努力と支援があり、広報活動をしっかり行えば可能だと考えているのですが。但し、補助金頼りの企画では限界があります。熱い思いで規格外に頑張れる若者はいないものか。いやいや、私達の年代の者がそのような人物を育てる努力をしなければ。関ヶ原町が消滅しないために。

 

夜中の出来事

平成30年9月28日

昨日歯を抜いた事はコラムに書きました。私は、精神的な苦痛にはかなり自信がありますが、身体的な苦痛には自信がないので、歯を抜いた後に痛みを伴ったら嫌だと考えていたのか完全な熟睡は出来なかったようです。おかげさまで歯はどんとした感じはありましたが痛みを感じる事はありませんでしたが熟睡出来なかった為か夢うつつの中で、私の産みの母秋江さんとの小さい頃のやり取りを思い出していました。それは冬になると霜焼けで手も足もぼんぼんに腫れて(既に何回も書いていますが)夜中に痛くて泣いていると隣で添い寝していた母秋江さんが私の胸の所をさすってくれるのです。しかしながら私は眠れずにいても母秋江さんは夜中ですから胸をさすっている手が止まりうつらうつらしだすと私はわざと動いたり痛そうに甘えた声を出すと、再び胸をさすってくれるのです。今から考えたらめちゃくちゃ甘えん坊でそれを許してくれていた母秋江はどれだけ私の事を可愛く思っていてくれたのかと考えると夢うつつの中ですが、そこまで愛してくれた母秋江さんには感謝しかありません。よく考えると、13歳の時にこの世から天国にいった母秋江さんは私の生涯分の優しさを13年に濃縮して注いでくれていたんだと思います。(そのように書くとこのコラムを読んでくれている姉春子さんは「私はどうなるの」と怒るだろうな。)熟睡出来なかった為か午前3時30分にお手洗いに行こうと廊下に出ると私の足音に気付いのか我が家の猫リットが年寄りとは思えない足取りで私の前まで歩いてきて、私が歩く前を尻尾を上げてジグザグに歩き、自分の食べ物の器の前で止まり、まだ食べ物はあるのに食べすに私の方を見るので新しい物が欲しいのだと考え、新しい物を入れると食べだしたので食べる様子を見ていると、満足したのか食べるのを止めたら自分が寝る所へすたすたと私の方を見ることなく歩いて行きました。「こらこら、感謝の気持ちがないんかい。」でも私も小さい頃は母秋江さんの愛情が当たり前だと思っていたので私の小さい頃とリットはどっこいどっこいなのかも知れません。昔から「親孝行したい時には親はいず」と言いますが、私の場合はあまりに早い別れだったので、親孝行したいと思う状況になることもなかったのですが、母秋江さんの事をご存知な方が利用されると母に出来なかった事を出来ないかと思い色々な企画して充実した気持ちになる今の自分がいるのは変でしょうか。そう言う意味では今の仕事は必然だったのかとも思っています。

歯を一本抜きました

平成30年9月27日

歯医者さんは大嫌いです。診療台に乗って機械音がするだけで「神様仏様助けて下さい。」と思う程です。だから、少々歯が痛くても我慢してなかなか歯医者さんに行かなかったのですがとことん我慢が出来なくなり、先般歯医者に行ってレントゲンを撮って頂いた写真を見てビックリ。何故かと言うと痛かった歯は元々かぶせた歯だったのですが虫歯で完全に歯茎の所まで到達していて本来白い歯がある所が歯茎が見えてピンク色でした。そして歯医者さんが「治療の余地なし。歯を抜くしかありませんね。」と言われたので、「20年前から介護審査会でご一緒していたのだから抜かずに治療して下さい。」と先生に訴えると「いくら若山さんの頼みでも出来ないものは出来ません。抜きましょう。」でしぶしぶ了解して本日、麻酔をかけて貰い抜くことになりました。しばらくすると、先生が「歯を抜く道具が上手くひかからない」と言われ色々と苦労されていたのですが「もう抜けましたよ」と言われても信じられませんでした。何故なら全く痛みを伴わなかったからです。「こんな事なら
もっと早く歯医者さんに来れば良かったと思った次第です。しかしながら、抜いた後の対応が私の場合いい加減なので夜中に痛くなったりしたらどないしょ。仕方がないベッドの中で一人しくしく泣きますか。

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