昨夜は久しぶりに太田・花田と3人でしたたか飲みました。

平成30年9月9日

昨夜はしたたか飲みましたが18時過ぎから飲んでいたので流石に午前様になることなく朝の目覚めも良く3人で一緒の朝食の約束の時間には早いので、ホテルの18階にある準天然温泉「天空の湯」に入る事にしました。そこで、気が付いた事をレポートします。先ずは、朝早くの時間だったので大きなお風呂を独占出来たのは快適でしたが、「天空の湯」と言う名称に偽りあり!!だってお風呂に入っていて空など全く見えないので。そこで浴室だけでなく、空を探してうろうろしたら空を見つけました。それは脱衣場の向かいにリラクゼーション室と言う簡易ベッドなどが置いてある所のガラス越しに見えました。但し空全体の6分の1が。だって高い建物が邪魔してるし片側からの空だから。次に気が付いたのは天然石からのエネルギーが体を癒すと言う事で「準天然温泉」との事。上手いこと表現しとると感心させられました。そして最後に脱衣場のロッカーには感心させられました。と言うのは元々細いロッカーなのにそれを上下に不自然さがないような形で分けてある。これだと
狭いスペースを有効利用出来ると。お風呂一つでもこれだけの事を書いてしまう私は理屈っぽい性格なのか?いえいえそうではなくて、格好付けた言い方をするなら何と気付きの多い生き方。今日はボストン会設立30周年記念としての集まりなので、資生堂財団の事務局の方も参加しての会なので、夜は竹芝桟橋から屋形船にも乗る事になっていているので東京湾から見る風景を考えると今からワクワクしていますし、勿論かつての研修団のメンバーにあえるのにもワクワクしてます。しかしながら、30年が経過してもこの結束力は素晴らしいと思うと改めて私は人にご縁に恵まれているとしみじみ感じてます。過去・現在・未来共々恵まれた人生だと思うと感謝と言う言葉以外にはないなと思っています。

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お互いの思い込みでお互いがパニック

2018.9.8

本日は戸巻先生の叙勲祝の為に太田理事長(愛知県新城市)と花田理事長(福岡県岡垣町)と私が招待されて富士市に行く事はお話しましたが、3人が合流するのにしばしパニックになった事をお話します。太田理事長とは車両こそ違え同じ列車に乗り合わせていたので大丈夫だったのですが、花田理事長は前日から泊まられていたので新富士駅の改札口で合流出来るとメールで連絡したところ、ホテルにいますとの事だったので「何処のホテルですか」とメールしたら、花田理事長は本日の我々が泊まる予定のホテルの事だと勘違いされて「若山先生が富士は何もないので東京で良いと言われたじゃないですか」との返事に一瞬パニック。だって富士市での祝賀会に出ずに東京で待ってみえるのかと・・・。しかしこれは私の大いなる勘違いだったと言う事で無事にホテルグランド富士で合流出来て、祝賀会も終わり本日の主役の戸巻先生のお元気な姿もみることが出来てほっとして東京に移動して、今は竹芝桟橋近くのホテルで休憩をとり、18時から新橋で旧交を温めたいと考えています。3人は昭和の最後の年に資生堂財団からアメリカ研修に行かせて頂いた仲間ですが、一言で30年の経過と言っても、お互いに中味の濃い30年なので、色々な話題を口角泡を飛ばして語り合えるのをワクワクしながら楽しみにしています。後の結果は明日報告したいと考えています。

 

しみじみ感じました。新幹線こだまの凄さを

2018.9.8

昨夜は東京出張から午後10時前に帰宅し、今は新幹線で8時46分発の新幹線こだまに乗り新富士まで行き戸巻先生の叙勲の祝賀会に出て、30年前の海外研修団の同士だった太田理事長と花田理事長と合流し、本日の内に3人で東京まで移動して、明日から研修団「ボストン会」の同窓会があるので、他のメンバーを3人で待ちます。新幹線こだまの話題に戻ります。先ずは切符で岐阜羽島から新富士までの所要時間を確認してびっくりです。だって1時間45分かかるんです。これは、名古屋から東京までのぞみで行くよりもかかる計算です。今、三河安城駅で5分の停車だとアナウンスがありました。確かにこれだけゆっくり新富士まで行くのであればコラムもしっかり書けますし、何処からともなく「こだまでゆっくりもいいものです」との声が聞こえても、太田理事長とご一緒出来るからと思っていた身には堪えます。でも、コラムもしっかり書けるし、悪くないと考えるしかないか。災い転じて福となすが私の真骨頂だったはず。またまた、豊橋でも、何分か停まりました。私的には新幹線の中で走りたい気分です。そして何よりもこだまの凄いのは喫煙車両があり、8号車9号車は空席無しなのに、喫煙車両の10号車はガラガラで、タバコの煙でもやっているかと思っていたのですが、意外と気にならない位です。と言う事は、喫煙者人口が減っていると言う事か。等と書いていたらまたまた、浜松で5分停車するとのアナウンスです。私の今の原稿はまるで、こだまの動きを実況しているようだと考えていたら、ふと水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ・・・・・後からきたあのにおーい越され」。朝一のメールによる管理宿直からの報告に対し厳しく指摘し指導していた私が、このような歌を口ずさむのは、こだまのゆっくりに慣らされた証か?等と書いていたら、浜松では二本立の列車が通過していきました。イライラしてもしなくても10時30分には新富士に着き太田理事長にお会い出来るし、駅の改札口では先取りしている花田理事長とも合流出来るし、祝賀会は11時からだし、今日からの三日間は長いのだから、これからはボチボチと笑いの中で過ごせたらと考えてます。後20分程で着きますのでこだまからの実況はここまでにして、目をつむり楽しいことを夢見たいと思います。後20分になって気が付くとは私は他動過ぎだなと自重ぎみに思うのですが、このような生き方で50年走ってきたからこの生き方はなおりません。

 

急いだ・・・!いそいだ!!

2018.9.7

2つ目の会議は18時までの予定でしたが会議の後半になって盛り上がり進行役の私は四苦八苦しながらも5分の延長で話をまとめ、次回の課題もしっかり伝えて、会議が終わって皆に挨拶だけして、7階から下に降り車道に出ておもいっきり手を挙げてタクシーを止め、18時33分発の新幹線に乗りたい事を運転手さんに告げると運転手さんは、何とか頑張ります・・・・、で目指す列車には乗れ、今は本日2つ目のコラムの原稿を書いてます。携帯電話で新幹線の切符を取った時に「B席」だったので嫌な予感はしたのですが、案の定隣の席には知らないおじさんが座っていてチョコレートを食べてます。(どうでも良い話しか)最近はコンスタントにこのコラムを書けているのは、新規事業の話しもようやく軌道に乗ってきたし、敬老週間の計画も10月の松茸バイキングの手配も出来たし、目が回るような日々ですが元気に飛び回れる自分の体に感謝です。

話しはは変わりますが、北海道地震で直下に近い所にあった施設の状況を1回目の会議の時には誤作動でスプリンクラーが作動して水浸しになり他の施設に移されたとの報告を聞きましたが6時終了間際に事務局から施設に土砂が流れ込んだが人的被害は施設を移っていたのでなかったとの報告を受け、スプリンクラーが誤作動をしたからこそ移動されていたわけで、不幸中の幸いとはこのことだと思いましたが、それよりも何よりも当法人の施設は平穏な日々で、敬老週間だ、松茸バイキングだと喜んでいられるのは「平安之福」と素直に感謝してます。だって、これだけ各地で災害が起きている時に平穏な日々でおれると言うのは、ある意味奇跡と言っても過言でないと思うから。平穏な日々に感謝すると共に非常時の準備を怠らないように理事長として布石を打って行きます。

 

本日午後1時から6時30分まで東京本部(平河町)で会議2本があり今は新幹線の中です

2018.9.7

新幹線の事を話題にします。私は岐阜羽島から乗ったのですが、結構空席があるにも関わらず指定を取った隣の席に座っている方がいる。新幹線の中ではゆったりしながら、コラムの原稿を書いたり食事をとりたいので基本的に隣の席は空けておきたいと考えています。そこで、車掌さんが通られたのを呼び止め「隣の席が空いている所と替えと欲しい」と言うと、暫くして車掌さんが戻ってきて「結構いっぱいなのですが10号車なら替える事が出来ます」との事で替えて頂き、移動をして、今はゆったりしながらコラムを打っています。本日は東京からとんぼ返りして、多分我が家に着くのは9時過ぎになり、明日は富士市で行われる資生堂研修団15期副団長の戸巻先生の叙勲のお祝いがあり、(先般もこの話題はしましたね)午前8時44分に岐阜羽島から新富士に向かわなければいけないので東京で泊まって新富士に行った方が体的には楽なようですが、一人で夕食をとるのも嫌だし、豊橋からは太田理事長とも合流し積もる話もしたいし。(いつもの事ながら話の内容が見えてこないので話題を戻します)太田理事長と同じ列車にするために、太田理事長が指定を取られている隣の席を関ヶ原駅に切符を買いに行ったところ、「隣の席どころか、指定席は1席しかありません」との事で勿論太田理事長の隣の席は空いてない。私が困った顔をしていると駅員さんが「喫煙車両なら空いてますよ」と言われたので、「今時喫煙車両があるのですか」と聞くと「こだまの車両には今でもあります」との事で、私は迷う事なく10号車の切符を手にいれ、太田理事長にメールで「喫煙車両の10号車は隣も空いてますので変更をかけて下さい。」と連絡したら、折り返し返ってきたメールには「喫煙車両は勘弁して下さい。新富士から宜しくお願いいたします。」との事。結局太田理事長は自分の健康を守るために、私との新幹線の中での意見交換の時間を拒否したのか。私の発想にはないパタンだな。きっと太田理事長は二百歳位まで生きるつもりなんだと思いました。今乗っている列車はひかりなので喫煙車両はありませんが、8号車9号車が空いてなくて、10号車だけは空いている現象も太田理事長と同じように考えられる方が多くいると言う事か。素晴らしい健康思考の方々の何と多い事か。私のようにケセラセラと言う考え方は古いのかなんじゃもんじゃ・・・・。私はそのような事にこだわるより、気のおけない方とお酒を酌み交わしながら武勇伝を語り夢を語りして、目を輝かした生き方の方が楽しくて元気が出て良いように考えているのですが・・・・。人それぞれと言う事で。

 

理事長コラムは2008年7月21日にスタートし10年が経過しました。

初めて執筆した原稿を読み返してみました。改めて第一回の原稿を書きますと『コラム発刊で誓います~継続は力なり   施設の事業開始から十年経過した今、「お蔭様で」等と言う通り一遍の言い回しでなく、自分を振り返り、施設の足跡を振り返りながら、思いつくままにレポートしていきたいと思います。職員にはいつも「継続は力成り」と言っていますので、頑張って書いていきますのでよろしくお付き合い下さい』と言うものでした。時には一ヶ月近くも書けていなかったりもしましたが、10年間続けてこれたのは、私の思いつくままの乱文にお付き合い下さった多くのリピーターの方々がいて下さったから。しかし、昔は10年一昔と言っていて、今はそのスパンが短くなっているにも関わらず続けている宏君に、誰かさんのパクリになりますが「自分を褒めてあげたい・・・。」私の原稿は、時には普通の方なら見逃してしまいそうな出来事を拡大解釈をして書いたり、事象について私なりの考え方を書いたりと文字通り思いつくままのものですが、継続出来た事に感謝です。思いが熱くなり長文になったり、書いているうちに話題が変わってしまったり、職員を叱咤激励するものであったり、私自身の思いをコラムでぶつけたり。でも言える事は、十年前と熱い思いは変わらない。いやいや、65歳になった今でも少年のような視点で書いている自分がいるのは一切成長していないと言う事なのか・・・。うーん、今日もわけの分からないコラムになってしまいました。

台風一過の一日になりました

2018.9.5

実は「台風一過」をタイトルに決め「いっか」の字に悩みました。そこで久しぶりに岩波書店の広辞苑を開いて見て核心を得て「台風一過」とタイトルを自信を持って書きました。但し、岐阜県内では昨日から16時現在停電している所があり、如何に大変な台風であったかが分かりますが、とにかく本日は晴天に恵まれホッとしてます。しかしながら『ピンチをチャンス』に変えるのが私の真骨頂。と言う事で朝早くに出勤し改めて施設の状況を確認すると共に9時になったのを確認して、岐阜県庁高齢福祉課長さんに電話。内容は、『こんなに自然環境が厳しい中、お互いが助け合える組織作りの為に岐阜県としても取り組んで欲しい。一朝一夕には出来ないにしても具体的に取り組んでいきたい。』と言うものです。「非常事態」と言うのがこれ程頻繁に起きてきて以上今までとは違うアクションを県老施協会長としてリーダーシップを取っていきたいです。

今週8日に富士市で海外研修団で副団長だった戸巻先生(扶蓉会理事長)の叙勲のお祝いがあり、愛知県の太田先生(和敬会理事長)とご一緒して列車を合わせようと連絡したところ台風で家の門が倒れたとの話しを聞いたので私は『ご先祖さんが新しい門にして益々繁栄するようにとの教えだからラッキーだと考えて立派な門を作ったらいいのでは』と話しをしたら、『相からわず、若山さんの発想はポジティブで素晴らしい』と言われました。いつも言っているように苦しい時ほど次のばら色の行方を想像したほうが楽しいですから。但し、楽しいプランはより楽しくするのは勿論の事ですがね。

台風が来るのを期待していたわけではありませんが・・・。

現在の天気予報は当たりますね。昼食を頂いている時に「徳島に上陸しました。」との情報が入り、15時にショートステイのお送りを予定していたのですが、昼食が終わり次第お送りする事にして、何かトラブルがあるといけないのと外の状況を把握したいとの思いから補助者として送迎車に乗りました。時に強い風にあおられたり、所によっては大粒の雨にフロントガラスを叩きつけられたり、道路の脇の所が川のように流れていたりで、天気の良い日には黄金色した田園風景に心地良さを感じていたのがしっかり実っている田んぼに限って稲が倒れていて・・・。15時台は風も雨も凄かったのですが、只今16時15分現在は雨、風共に小康状態です。(神戸に上陸したとの事なので台風の目に入ったわけではないと思います。)ちょうど今、NHKのニュースで確認したら、関ヶ原町で1時間の降水量が56.5ミリだと報道しました。その時、滋賀県高島市で90ミリを記録したとの報道がありました。とにかく、本日はデイサービスを休ませて頂き、利用者さんにはご迷惑をお掛けしましたが、その分明日からはより充実したサービスに努めようとデイサービスの責任者は一軒一軒お詫びと共に明日からの予定を連絡しています。

台風が一段落したので、楽しい企画が決まりました事をリピーターの皆さんにも報告します。それは、正式に10月2日に月1回のバイキングで『松茸尽くしのバイキング』が決まりました。七輪の炭火で松茸を焼き(元気な方は自分で松茸を手頃な大きさに裂き金網で焼いて貰います。)松茸ご飯、松茸のお吸い物、松茸のてんぷらと松茸尽くしです。どうしてこのような企画があるかと言えば、正に入居者さんが若い頃はふんだんにあった食材なのに、環境の変化等によって地元で採れなくなり、松茸を話題にすることも無くなってしまったような状況の中、昔を懐かしみながら堪能して頂こうと10キロの松茸を予約しました。私も60年前の記憶が蘇ります。私の祖父の山に松茸が採れ、特別大きな松茸を自慢そうに顔のところに持っていった可愛い顔した写真があります。誰もが多かれ少なかれそのような体験をした方ばかりだからこその企画です。10月2日の当日はどのような会話が飛び出すかと考えるとワクワクしてきます。このワクワク感こそ生きる源。私にとってのワクワク感はやはり美味しいお酒とお食事で気の置けない方と杯を傾けながら武勇伝を語ること・・・。でもこれは私の勝手なワクワク感かな・・・。

責任のある対応

平成30年9月4日

昨日は朝イチで打ち合わせの為に施設に行きましたがほとんど外での対応だったのですが、デイサービスの責任者から大垣での対応をしている時に(20時)「台風が直下になったら困るので明日の営業について相談したい」とのメールがきたので、終了後に施設に連絡し「何かが起きてからでは遅いので中止の連絡をして下さい。」と指示をすると共に、自宅ではなくて施設に向けて車を向かわせ、途中でコンビニによりパンやお菓子等を買い施設に向かい、連絡状況を確認して、全ての方に連絡が出来た事を確認してから自宅に帰り、翌朝4時頃から心配だと考え今は午前4時を回ったところで起きて外を確認したら不気味な位静かですので、テレビをつけてもなかなか台風のニュースをしないので不思議だったのです。「これは、怪獣が台風をけちらかしたか」等と馬鹿な事を考えていたら、ようやく台風のニュース。今は四国に接近中で東海は昼からとの事で、あいからわずニュースは東京中心だと感じました。夜明け前から気合いを入れましたが、昼からの対応の為にもう少し
寝ることにします。朝早くからお騒がせしました・・・・・。

3日目にして、9月侵攻が始まりました

20018.9.3

朝イチで我が家の仏壇にお参りして、ご先祖様に気合いをいれてもらいましたがその時、母秋江さん、父進さん、姉光子さんからのメッセージが聞こえてきました。それは、「宏は私達が天国でゆっくりする時間を与えずに困ったもんやな」とニコニコしながら話しているのです。私の大学2年の時からの付き合いがある長浜の滋賀信行会の内藤会長も良くしたり顔で「仏ほっとけで願い事がある時に一生懸命に祈ればそれが人間ですよ」と。私も同感です。と言う事で、仏壇でのお参りを終えて、垂井町長との面談の前に施設で事前打ち合わせをして、7人中5人の理事を引き連れて垂井町役場に。しっかりと事前調整をして行ったので、町長さんからは私の考えていた到達点の80%までの言質を引き出せました。その報告をすべく間髪入れずに岐阜県庁高齢福祉課に報告をしてきました。どんな事業でも、事前、事後の根回しが大切。そのようにしてきた25年があるから今があり、天国での3人の根回しがあるから今があると思っています。但し、私が祈るのは自分の為ではなく、地域の為になると思っているから頑張れる。正直、自分の為ならば今の現状で十分過ぎるくらいです。でも地域の中で必要であれば65歳の身でも汗をかける。そして、たまに、美味しい酒を美味しく頂ければ幸せだと思っています。このような人生を歩ませて頂いている事に感謝しこれからも頑張りますので、このコラム同様宜しくお願いいたします。

 

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