お盆真っ只中の恐怖

 かつての職員の対応の為に急遽長崎県佐世保市まで行く事になり、突然の事で指定席券を手に入れる事が出来ず、昨日も東京から名古屋まで立ちっぱなしで1時間40分・・・・。辛かったですが本日は京都から博多まで指定席の確保が出来ず、今もしんどい思いをしてます。人材確保には厳しさが増すばかりですが、それにしても大変です。急遽お盆帰省ピークの本日に行くのは無謀だった。最初は指定席が取れないので車で行く事も考えましたが、養老サービスエリアのガソリンスタンドに10台以上並んでいるとの話を聞いて車で行く事を断念。列車にして京都でのぞみに乗り車掌さんに直談判してみたものの「博多まで全くありません」との冷たい答え方。確かにその通りでしょうがもう少し言い方があるのではないかな…。とにかく私がお盆に移動するのは初めての経験で、ニュースなどで盆帰省する人は大変だと全く持って他人事だったのですが、盆帰省ではありませんが満員の列車に指定席券を持たずに乗ることの恐怖を味わっています。「恐るべし日本のお盆帰省」博多からはレンタカーを2日間借りての移動ですが、これもお盆価格なのでしょう。2日間で35000円を払わなければいけないとか。レンタカーの対応をしてくれた職員が言ってました。「博多駅前には全く車がなくて空港に一台のみだと」恐るべし日本のお盆価格。自由経済万歳と言う事ですかね。後30分程で博多に着くので愚痴もいっぱい言いましたが、腰が痛いし足は感覚がない状態なのでお許し下さい。

 

今は超満員の新幹線の中で立ってます

平成30年8月10日

本日は午後から厚労省大島老健局長による講演と交流会があるので東京へ出張だったのですが、明日はかつての職員の対応でどうしても長崎へ行かなければいけないので東京泊が出来なくて、しかも何時に終了するかがわからなかったので指定席は確保してなくて、新幹線のホームに行ってびっくりでした。自由席で何本か待てば始発だし大丈夫とたかをくぐっていたのが大間違い。「盆帰省を舐めていました。」4号車のデッキで東京から名古屋まで立ちっぱなしです。(多分)65歳の身には堪えます。但し、収穫もありました。と言うのは、交流会で大島老健局長と名刺交換をして、当法人のパンフレット、広報誌と岐阜新聞に連載してもらった私の記事の冊子をお渡しして、しかも、新卒の中卒の職員が介護で頑張っている事や全盲の方がマッサージ師として働いている事や支援学校の卒業生も働いている事をお話すると非常に興味深くメモを取って頂け、一度施設にもチャンスがあれば来たいとも言って頂けました。私の真骨頂です。ご縁を頂いた時のチャンスはしっかりゲッ
トするが出来ました。明日からの2日間も突然の長崎行きで指定は取れないことがわかっている大変な出張になりますが、法人の為に鞭打って頑張ってきます。立ちながら携帯電話でメールをしてますのでちゃらんぽらんの内容ですが(いつもかな)お許し頂きこれからもこのコーナーを見て下さい。

夏祭りが盛大に盛会に終える事ができました.

平成30年8月8日

今年の夏は「異常な酷暑」で、事前の情報として「鰻の蒲焼で食中毒190名」と言うのも有り、『例年通りの体制では駄目だ』との思いの中、職員の考え方は『例年通り』と考え方にギャップがあり、何度となく注意し指摘をして、それでも当日の対応にピリピリして、4日の夏祭りが終了しての2日間も『食中毒の報告はないか』とストレス全開。万全を尽くしたはずでも徹底出来たか不安の毎日。

本日、夏祭りから3日が経過した8月7日でイライラ、ドキドキが収まりつつある状況です。

そこで、改めて夏祭りの様子を書くことにします。

夏祭り前日の3日は17時には大方の下準備が職員の手で出来ていて、職員の動きには目を見張るものがありました。(7日の日はばたばたの一日でここまでしか書けず、8日午前6時40分から続きを書きます。)4日当日は、宿直の北島部長は5時過ぎから作業開始していて9時からはからのキャベツ切りから本格的に準備が始まり、コミュニティーハウスでは、準備をしている職員やボランティアの為の昼食準備を副施設長が一手に引き受けてくれサポート体制も万全。私は頑張っているメンバーを見ながらウロウロするばかり・・・。

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14時45分に今須中1年総勢11名も含めボランティアと職員(フロア待機以外の)を玄関ホールに集めて最終打ち合わせを伊藤実行委員長を中心にして最後にいつもとは違った酷暑の中の夏祭りなので充分留意した対応をして貰うように話しをして(檄を飛ばして)

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15時30分のデイサービスの送迎を見送った後(本来17時までの利用者さんもみえるのですが諸般の理由をご理解願って全員帰って頂きました。)外会場の準備を1時間で終えると、来賓の方や一般客が続々とおみえになり、その時は作業用のつなぎ服をきていて「これではいけないと」汗でつなぎ服が脱ぎにくいのと体型がでかくなったのとで焦れば焦るほど脱げなくて、ようやく着替えたらまたまたお客様に挨拶をいていると、開会挨拶を理事長である私がするアナウンスがあり・・・。取材にきていた大垣ケーブルテレビの方にお話ししていると手作りのうちわに書いてあるメニューの数を数えて「25もある。」と大きな声。今年は事業開始20周年記念と言う事で、長くボランティアをして頂いている3団体(てるてる座、関ヶ原三味線クラブ、日赤関ヶ原)の表彰、来賓の挨拶、来賓紹介(来賓挨拶4名とその他の来賓15名)祝電披露(野田総務大臣・衆議院議員、棚橋衆議院議員、渡辺参議院議員、大野参議院議員、猫田県議会議員)で無事に終え、来賓の方を会議室まで案内して、

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外会場で開会宣言をすると上石津もんでこ太鼓で外会場は盛り上がり、模擬店で色々な飲食しながら地域の皆さんはクラウンアキオさんによるパフォーマンス、和道さんによる太鼓と楽しまれ・・・中会場は入居者さんと家族が、関ヶ原三味線クラブの生演奏に合わせて踊られたり、飲食を楽しまれ、てるてるさんの出番がありクラウンアキオさんの出番がありで19時30分には全て終わり、外会場は名残惜しい方がおだお見えになったりして。総勢800人での夏祭りは無事に終了しました。有料チケットは3000枚(1枚100円)売り上げ、模擬店の品物は殆ど無くなる盛況ぶりでした。

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職員の頑張りがあったのは当然ですが、おおぜいのボランティアに支えられ、そして地域の方々に愛される企画に成長させて貰えたからこその成功だと思います。かつての入居者の家族の方も「元気に楽しまれていたのを思い出したくて」と来て頂いた方もありました。つまりこの成功は20年の軌跡の結晶だと考えるとこれからも益々より信頼される施設となれるよう職員一同頑張っていきますのでこれからもご支援宜しくお願いいたします。

いつもの口癖ですが「予定は未定であり決定ではない」の話をします.

平成30年7月27日

今年の夏は言うまでもなく「酷暑」で台風12号が発生する前のほんの数日前までは8月前半までは35度以上の酷暑が続くと言ってたのに、今の気象データは衛星機器の発達により確実なものだと思いますので、今回はいわゆる、「想定外」の事態だったんだと思います。熊本での地震も日本の中では地震想定が低い所だった為か、地震が起きる前の保険会社は通常の10%引きの保険料だったと聞いてます。(間違いだったらごめんなさい)今の時代は科学の発達により、情報が簡単に手にはいるので、逆にその情報に惑わされ過ぎているのではないかと思います。私は昔から言われている「備えあればうれいなし」を杉和会理事長として推進しなければいけないし、現在、全国老人福祉施設協議会東海北陸ブロック会長として災害に備えた具体的な備えと具体的な訓練をしなければいけないと考えていますが、取り敢えず本日は本部施設において避難訓練がありますので、暑い中ではありますが、真剣に取り組み不安材料を洗い出し一つひとつ課題を解決していき、「予定は未定であり決定ではない」の想定外のリスクを一つずつ取り除いていければと考えていますが、当面の課題は8月4日の夏祭りが無事にそして盛大に行われるように頑張ります。朝5時過ぎからの原稿にしては過激だったらかも知れませんがこれも暑さの影響?とお許し下さい。

ラジオ体操で夏祭り宣伝用のうちわを昨日同様配る為に6時過ぎに施設に行き、その後も頑張りました。

2018.7.24

一ヶ所だけの配布でラジオ体操に参加している子ども達がテンション高くて、そののりに合わせていたら、私自身のテンションが上がってしまい、施設で打ち合わせをした後家に帰り朝食を取りに行こうと車の所に歩いて行くと爽やかな風が吹いていたので、車に乗らず歩く事にしました。家までは約四キロ。半分位歩いた時に後悔しましたが、後の祭り。でも、学校の庭に面白い物を発見し、(写真参照)小学校の時の記憶が蘇りました。車に乗っている時には気づかない事に気づいたり、無になって歩いていると、素晴らしいアイデアが浮かんだり、たまには外を歩いてみるのも悪くないと思いました。まだまだ体力があることも証明されたし、今日も一日頑張ります。

 

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もともと5時40分には起きる予定だったのですが

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6時に施設に行き8月4日に開催される夏祭り宣伝用うちわをラジオ体操が行われている会場で配布する為に元気に起きる予定だったのですが、アラームが鳴る前に携帯がなり(ちなみに5時10分)施設の宿直者から「スプリンクラーの異常で警告音がなりました。」との事なので、起こされた勢いで着替えて施設に行きポンプがあるところから業者とのやり取りをしている職員の対応から「業者は確認に来なければいけないのに、朝が早いし来ないつもりだな」と感じました。私は何事も誠意を持った対応をしてくれる業者でないといけないと考えています。何故ならば特養の事業は年中無休の24時間体制だから、守るべきは入居者さんであり業者はそれをフォローする立場。「予定が入っている。」のを調整して飛んでくるのが当たり前。これが私のスタンス。かっこつけての考えではなく、それが当然。その為にメンテナンス契約をしているのだから。これができないのならば契約を解除してもやむ無し。例えば今回の集中豪雨で手が回らないなら致し方無いが…。山の斜面の工事をするため仮の道路を作っている所に大きな土嚢を積んでありその土嚢の袋が破れ土砂が沢山道路をに落ちているのが気になり監督に連絡すると直ぐに来てくれ対処をする約束をして施設の奥の砂防ダムの説明も聞いていると8時になり慌てて家に帰り朝食をバタバタで済ませ、本日10時からの認知症カフェに使うショートケーキを取りに行き、施設で本日全国老人福祉施設協議会の代議員会で提案する資料の印刷をしていると意外に時間がかかり10時14分発に乗るのは諦め10時46分にしてからもバタバタで、カフェに参加している皆さんにご挨拶をして岐阜羽島まで車で行き、駐車場に車を預け今は新幹線の中ですが、12時36分に品川に着き会議会場の品川プリンスホテルまで歩いて行くと1時からの会議前の打ち合わせ時間は殆ど無いけど、昨日副会長と携帯電話で打ち合わせしておいて良かった。代議員会では副議長で会議を円滑にする役割があり、代議員会後は全国介護政治連盟の役員会があり、今日もバタバタの1日であり、明日も6時からうちわ配りです。小さい頃冬場は霜焼けで靴も履けずに動く事が出来ず夏場は夕立に打たれて直ぐに熱を出した私が、春夏秋冬走り回れる事に感謝し、死ぬまで現役で頑張り・・・・いやいや、そんなことをしたら若い者に嫌がられます。まだまだ引き際を考える状況ではありませんが、いずれは・・・・・。うーん、あいからわず、分けのわからんはなしですみません。

 

本日も暑いので朝から大いなる勘違いをして大慌て

2018.7.18

 昨日は全国老人福祉施設協議会の正副会長委員長拡大会議が東京の平河町の本部会議室であり、その後参議院会館に移動し幹事による情報交換会があり、私は元総括幹事として、いわゆる幹事の生き字引として石川会長から幹事を指導するため幹事会のスーパーバイザーを任命されたので17時30分からの会議に出席してビシバシと若い幹事の皆さんに厳しい指摘をさせて頂きました。19時30分に終了して、会議室を出たところで福井県の皆川会長から経営戦略室長として参加していた委員会のヒアリングが終わったよとの事で一緒に幹事会に参加していた岐阜の田中君(信輪会理事長)と三人で情報交換をしつつの食事会をして、その後都市センターホテルで泊まらせてもらい、今は新幹線に乗っています。7時前にホテルを出たので7時33分発ひかりには余裕で乗ることが出来る状況で列車がまだホームになかったのと朝から暑かったので、待合室で座っていて昨夜のお礼を伝える為に皆川会長にメールを打っていて、ふと顔を上げると列車が止まっているので慌てて(充分時間はあるのに)列車に飛び乗り指定された席に着いて「?いつもより座席の座り心地が悪いしコンセントもない。」何となく列車内の掲示板を見ると名古屋止めの表示が。「これは、こだまで、今すぐに発車してしまうと10時からの施設内の研究発表会に間に合わない」私は頭が真っ白のままにこだまから降りたら隣のホームに本来乗るべきひかりが止まっている。やれやれ、この失敗を暑さの性にするのは頂けません。もっと落ち着いた対応をしなさいとの戒めだと思い直しました。私も65歳になった事だしなどと考えていますが、今の時代65歳はまだまだだとの考え方もあるしとりあえずマイペースで行くことにします。ひかりに乗って岐阜羽島に向かっていることだし。

 

東海北陸ブロック研修岐阜大会が無事に終わった事に感謝。

平成30年7月16日

7月12日の朝は7時40分に荷物を積み施設を出発して9時前にメイン会場である国際会議場に着き、施設で準備した飲み物やお菓子を控え室に運び、この大会でとてもお世話になった方に山梨の友達が送ってくれたワインを飲んでもらおうと思い準備してきたのを車から降ろそうとした時に思わずワインを落としてしまい1800mlのワインが駐車場の飲み物になってしまった。私はその時プラス思考で考えました。「この1升のワインは大会を無事に終える為の清めの酒だと。」その後受け付け会場に行くと既に大勢の若いスタッフがいて動きまわっていてくれる。「ありがたいなー。」そうこうしていると、集合時間である10時になり全員集合でのスタッフ打ち合わせ。「こんなに多く来てくれているのかと思うと「ありがたいなー。」21世紀委員会の長谷部委員長の進行で打ち合わせが始まり最初に大会長である私がご挨拶。そこでは、お礼と共に2日間が参加者1000人が実りある成果と快適な空間を醸して貰える様にするために爽やかな挨拶の徹底をお願いしました。このことは2日目の終了でバスでの見送りまでしっかりして貰えた事に対して「ありがたかったなー。」11時30分からの開催前の運営委員会まで私は落ち着きなく熊のように国際会議場と都ホテルを行ったり来たりしていると、岐阜広告の棚橋社長から「大会長の若山会長はどーんと構えてじっとしてなさい。」と言われたので、「高校生になって性格が変わり多動な人間になったものが、こんな時にじっとしているわけにはいかないの」と苦笑いしながら答えるのがやっと。都ホテルでの運営委員会が始まり、いよいよ本番。役員の皆さんと昼食を頂き、国際会議場の開会式場に移動するとアトラクションのてるてる座が始まるところ。600回以上出演をしているてるてる座のステージは流石に盛り上がっていて、多くの役員の方から「素晴らしいアトラクションですね。」とお褒めの言葉を頂きましたので、「先程、長良川艶歌を歌われた方が大番頭で舞台道具作成のオグラッチで踊りを披露したのは本物の芸妓さんでこんちゃんです。」と答えると共に「てるてるさんの発祥の地は優・悠・邑なんです。」と、何と無く自慢したくなって・・・。アトラクションのステージが終わり、舞台袖で待機していて緊張感はピーク。緞帳が開いていよいよ開会式。開会の辞の述べるのは大会長である私です。岐阜放送の武田アナウンサーの進行で私の紹介がされている時に思いました「バタバタしていてしっかりとした原稿を作ってなかった。」・・・。結局、私の思いで話しをさせて頂きました。(後日談ですが、大会で久しぶりにお会いした方から、「会長さんの話しはとてもわかりやすくて誠意を感じました。」と言われてお世辞にしても嬉しかったです。)開会式、基調報告と順調に進み、記念講演は前ソフトバンク社長室長の嶋聡さんによる講演でちなみに嶋さんは高校を卒業するまで海津市で生活されていて実家には今でも弟さんが家を守ってみえるとの事です。私の嶋さんに対する知識と言えば最近の週刊現代で「トヨタとソフトバンクの合併?」的な記事で対談されているのを見て凄い方だなと思った程度だったのですが、講演を聞いていて『この方はさりげなくソフトバンクでの事を話されているが苦労を苦労とは思われない稀有な方だ』と思い、話しに引き込まれました。この講師を探し当ててくれた窪田研修委員長にも「感謝です。」(講演が終わり、講師控え室で話をしていて本当に人間味のある方だと改めて感動しました。)一日目の研修が終わり、交流会にも360人もの参加を頂き、ここでも舞台での挨拶をさせて頂きましたが舞台に立つと参加者の多さに爽快感と感動で涙が出そうでしたが、いつもの調子で「良く学び、良く遊べで遊ぶ時間を大切にしましょう。」と元気に挨拶。交流会のお酒のメニューに日本酒がないとのことだったので、ここは事前に会長の我がままで岐阜の名酒で三千盛、氷室、長良川の四合瓶をそれぞれ10本で30本用意し酒飲みの会長の存在感をだしました。(絶対に余って二次会に持ち込みOKの許可を得ていたのですが全部交流会で飲んで頂けました。)交流会にはプロの演歌歌手山崎ていじさんのショーも企画して盛り上がりました。翌日13日は8分科会に分かれて事例発表として日頃の成果をして頂きました。12時過ぎには全ての分科会が盛会のうちに終了しました。

研修大会後は、全国老施協の金澤常務理事に本部施設へ来て頂く事にしていたので、役員の方々にお礼を言って12時30分に会場を後にしました。本部施設に着いて関ヶ原で唯一自慢出来る鰻丼を食べて頂くと金澤常務は大好物で鰻が二段になっているのを喜んで頂けました。昼食の後、施設見学をご案内して、その後は17時近くまで色々な話しをさせて頂き、岐阜羽島駅まで送り届け研修大会の長い二日間は終了しました。今回は大会長としてのカラーが出せたと思いますがこれも偏に私の思いを理解してくれた役員並びにスタッフがいてくれたから。本当に感謝・かんしゃ・カンシャの大会でした。

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今回の集中豪雨で思うこと

平成30年7月9日

岐阜県内のひるがの高原では1000ミリメートル以上の降水量であったと報道されました。(ひるがの高原は関ヶ原からは遠くて、全く状況が違います。)1000ミリメートルと言えば1メートルですよ。まんべんなく1メートル降った雨が低い所へ流れれば・・・・。考えただけでも恐ろしい。そりゃ、多くの方が心配して連絡をしていただけるのも有り難いし理解が出来ます。今回の豪雨で一番降ったのが岐阜県なのですが、大きな被害がなかった理由を名神高速道路を岐阜羽島まで走らせて理解しました。それは、揖斐川も長良川も護岸から護岸までの幅が広くて頑丈なものだと言う事。つまり、多くの水が一時に流れて来ても耐えうる事が出来るのと、揖斐川の上流には徳山ダムでの調整が出来る事があげられると思います。でも、天候不順が多くなった今、山の整備も欠かせないとも思っています。目の前の儲けも大切ですが、何十年先への布石も大切だと痛感した次第です。

プレッシャーの中でも充実した毎日に感謝

平成30年7月9日

本日は午後から東京本部で正副会長委員長会議があるので10時13分発のひかりに岐阜羽島から新幹線に乗り今は列車の中ですが、昨夜は緊急対応で夜中に何度も報告や相談があり、職員や家族に対して話しすべき事を済ましたり、昨日までの岐阜県に出ていた特別警戒警報に対して各方面から連絡を頂いていたので、本日の会議の中でお礼と経過報告をすべく資料を作りバタバタっと9時25分になり、車に乗り込み無事に予定通りの列車に乗れた次第です。集中豪雨はようやく落ち着き12日からの大会は予定通り開催できそうですが(いつもの口癖「予定は未定であり決定ではない」で言うならば、その日にならないとわかりませんが)あと大会まで3日となり緊張感一杯ですが、私一人で大会を動かしていくわけではないし、スタッフを信じ関わりを持っている方々に支えてもらい進めて行く・・・。わかってはいます。でもプレッシャー。この心理は私が小さい頃「対人恐怖症の赤面症」だった頃の後遺症なのかも。但し始まったら腹を据えて頑張れると信じてます。これは
38歳でサラリーマンを辞めて6年間の無納税者の生活と20年の施設経営で培った経験かな。人生を一生懸命生きてると神様の贈り物もあるのかな。いやいや、仏教的には「陰徳」のお陰かな。毎日我が家のお仏壇にお参り出来ないけど手を合わせる事の大切さを知っていることも幸運を醸し出しているのかな。最後は勝手な事を書いてしまいましたが、これもプレッシャーの一つだと好意的に理解して許して下さい。本日の会議が終わり岐阜に帰ったら、完全に東海北陸ブロック研修大会岐阜大会に完全シフトにします。その為には施設の入居者や利用者が穏やかに過ごして頂けるように先ずはお願い致します。

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