白内障の手術の為入院し、・・・

白内障の手術の為入院し、(目以外は元気なので)色々な事を考えて、また、多くの方々に携帯して相談にも乗っていただけ、退院後は今まで以上に頑張りたいと考えています。

〓病院の食事の味付けが大変良くて、最初の内はべた褒めしていたのですが、3日位して、はたと気が付きました。それは、食器がやけに熱くて、あんかけのような物ばかりだと…〓これはきっとチルド食が提供されているのだと。しかし、今まで私は手作りにこだわりチルド食を否定してきた考え方で凝り固まっていたのですが、今後は効率性と質の向上と言う、一見相反するテーマに施設経営者として取り組まなければいけないと考えさせられました。
〓私は6年の無納税者の苦難の末に関ヶ原の地に今の本部施設本館を建てた者として建物を大切に使って、いつまでも綺麗な建物でありたいとの思いは人一倍強いと自負していたのですが、今入院している病院の経営者のメンテナンスへの徹底ぶりを患者サイドからも驚かずにはいられません。(転んでもただでは起きない私の真骨頂…。でも、普通は自分で言わない…〓)〓前回も書きましたが、何と言っても「ありがとうございます。」の言葉が徹底している。患者からするとありがたいし、出来ることは自分でやろうと言う気持ちになるのではないでしょうか。但し、我が法人での経験からものを言わせて貰うと、『何故、その様にするのか。あるいは、その様に言うのか』を理解出来るまでいい続けていかないとどこかで、『やらされ仕事』になってしまうので、私自身の自戒を込めてコメントしました。
〓先程も述べた効率性と質の向上の命題をクリアするためへの布石を杉和会のトップとしてどう打っていくのか〓その為には私自身の意識改革こそ肝要だと、じっくり考える時間を頂き理解しました。1964年の東京オリンピックの女子バレーボールを金メダルに導いた大松監督の「俺についてこい」の考え方を私は今まで信じて実践してきましたが、それでは現代社会では通用しないことを…〓つまり、理念はしっかり持ちつつも、常に状況分析をしてより良い方向性を突き進んでいかなければいけないと
〓社会保障制度について、大きく舵取りを変えようとしている中で、今以上に情報を得て分析をきっちりとして、間違えない舵取りをしなければいけない。私としては、全国に12000事業所が加盟している全国老人福祉施設協議会の中で情報の共有化と国に対する働きかけを今以上に頑張っていきたいと考えています。今後共叱咤激励を宜しくお願いいたします。

何とはなしにテレビを見ていて不思議に思った事。

それは多分子供向け番組だったのですが…。縫いぐるみをかぶったのが幾つか出演していたのですが、その内の一つが、出演者の腰あたりしかないのが元気に手を振ったり跳び跳ねたりしているのです。私は不思議に思ったのですが、その理由を知っている方があれば教えて下さい。

病院もサービス業界として頑張っています。・・・

病院もサービス業界として頑張っています。介護業界もうかうかしておれません。
白内障の手術の為入院患者としてサービスを受ける立場になり、ある意味カルチャーショックです。何と言っても一人ひとりの職員さんが患者である私に何かをさせた時に必ず「ありがとうございます。」といわれる事〓手術の間中、執刀医の先生は一つひとつ声かけと説明をしつつ、不安を取り除く声かけをして下さった事〓そして何より驚いたのは、食事が美味しいのとストロー付の容器にお茶が来て尚且つお手拭きまで付いてくる。医療界がここまでしてもらえるならば、介護業界も負けてはいられない!!退院後には早速、良い点を真似ていかねばと考えています。何事も無駄なく吸収したい私にとって、息子の結婚式までの忙しかった分の休養も兼ねての入院でしたが今は、これからの改革を考えるとワクワクしてくるし、今更ながら無駄のない生き方だなとしみじみ思います。

本日長男の結婚式です

いつものように6時前に起き本部施設に来て、朝から雨が降っているので畑や花壇の水撒きをしなくてもいいので事務所での決裁等を始めようとしたのですが、いつものような集中力が出てこなくて落ち着かないので(やっぱり人の子の親・・・当たり前か)ここは居直って『人の子の親』としての思いをブログにします。
私自身も長男と同じ30歳で結婚しました。私の場合は父親が既に72歳と言う年齢でしたので私の父親にしてみると「小さい頃何ともならなかった虚弱児の息子が、結婚することになった」と言う事で感涙状態だった事を覚えています。そこで、昨夜の私の奥様かをりさんとの会話を紹介したいと思います。かをりさん「あなたは子どもが産まれても仕事優先で、毎晩11時過ぎの帰宅で、日曜日だけは朝早くからの仕事だったので7時頃に帰れるので子どもが『今日はお父さんとご飯が食べれる』と喜んでいたよ」との攻撃的とも取れる発言に旦那様である宏君は「まるで母子家庭のような家だったんだな」と答えると「お義母は大変な人だったし子育ても私だけで、唯一の理解者はお義父さんだけだったから大変でした。」と言われ、宏君は「そんな状態でもちゃんと結婚してくれる息子に育ててくれてありがとう。」『うーん、家の中では存在感なかったのか』今更思い知らされた。そんな父親だったけど私の奥様かをりさんは旦那様である宏君を良く支えてくれて若山家の繁栄の為に愚痴一つ言わないで頑張ってくれた。
本日結婚する長男の誠に贈る言葉は、私の実母である亡き母秋江さんの遺言である「蒔かん種は生えない。一杯いっぱい種を蒔け」をそのまま贈ると共に『どんな事にも挫けない度量を磨け』と『素晴らしいヒューマンネットワークを築け』です。また、本日、多くの方に祝福されて若山家の嫁になり私をお義父と呼ぶことになる志穂さんにも一言、「旦那様をしっかり支えて、自己犠牲も厭わずでいて欲しい。古い考え方かも知れませんが、良き見本が直ぐ側にいますので宜しく。」
なんか私的な事をブログにしてしまい申し訳ありませんが、直接に言えなかった事を活字にしてしまいました。

赤とんぼがたくさん飛んでます

8月2日に入居者・家族・地域・来賓・ボランティア・職員を含め700人を超える盛大な夏祭りが行われ、既に3週間を経過し、今年の夏は事のほか暑い日が多かったのですが、熱中症の症状になる方もなく、今朝6時過ぎに畑の水撒きに来てビックリ。と言うのも赤とんぼがいっぱい飛んでいたからです。そこで改めて思うのは日本の四季は明確に訪れると言うことです。
法人運営も大変な問題が山積していて、イライラする事も多いのですが、今日のテーマの事を考えていて、私が好きな地元の演歌歌手で砂田おさむさんの『風雪挽歌』の2番の歌詞を思い出しました。「弱音は吐くなと岩木山 根雪賭解(と)ければ 春も来る」・・・。厳しい冬を耐えれば春が来る事を信じて、これからも頑張っていきますので、今後共宜しくお願い致します。
なお8月25日に岐阜新聞の岐阜版『素描』の2ヶ月間、週一の連載の最終回です。岐阜新聞を購読されている方は是非読んでみて下さい。

ばたばたしていて緊張した出来事なのにブログに紹介出来なかった事を書きます

緊張した出来事は8月11日12時23分に携帯が鳴り画面を見た時から始まりました。登録がしてない番号で、その声は野太いく、やばい人からかなとますます緊張していると、「参議員議員の末松です。」との事。今度は違う意味で緊張すると共に思わず『先生、どうして私の携帯番号が分かったのですか』と思わずお伺いすると、『全国老施協の天野局長に教えて貰いました。』(「こら天野!末松先生に携帯番号を教えたなら教えたと連絡してこんかい!」)次に末松先生が言われた言葉にまたまたビックリと緊張。『今日まで東京なのですが明日は時間が取れそうなので和合の施設を2時間ほど見学させて貰えませんか。勿論、理事長はお忙しいと思いますので、職員を1人付けて頂ければ結構です。それから、家内も神戸から来て合流しますので、和合の施設へはどのように行けば良いですか』との事だったので『名古屋で合流して頂いて在来線で大垣に出てタクシーで来て下さい。』と返事して携帯を切った後、緊張を解す為に深呼吸をして問題整理をして、これは私らしくない対応だったと考え、末松先生にこちらから連絡。『先程、在来線で大垣へと言いましたが、岐阜羽島で奥様と合流して頂ければお迎えに参ります。』と話して了解を得たので『何時のお迎えになりますか』とお聞きすると、『時間については、家内から連絡が行くと思いますので。』との事。暫くすると奥様から電話があり『岐阜羽島までお迎えに行きます。』と話しするとご遠慮されたので(さすがです)『末松先生には了解して貰いましたので』と話しをすると『それではお願いします。時間については直ぐに調べて連絡します。』で結局、10時30分のお迎えになる。
翌日、奥様が先に神戸から着かれ、10時29分に末松先生も着かれ、無事に車に乗って頂き、緊張しながらも運転して、優・悠・邑 和合の先ずは理事長室でご挨拶と共に介護のことで話しが盛り上がり、施設見学に行く時間がどんどん遅くなり・・・。施設のお昼ご飯を食べて貰う時間が遅くなり、とにかく1時前に優・悠・邑 和合を出て、予定にはなかった関ヶ原の本部施設の見学もして頂く事になり、今度は本部施設の職員に緊張が走り・・・。
取りあえず米原3時51分の新幹線ギリギリまで施設見学と意見交換で盛り上がり、最後は列車に間に合わないといけないと最後まで緊張。2時間のご予定を5時間以上の企画にしてしまったのは大変申し訳なかったのですが、私的には緊張の中ではありましたが末松参議員議員ご夫婦と有意義な時間が持て、結果的には良かったなと言う今回はかなり訳の分からない話でした。でも、末松参議員議員ご夫婦を東京と神戸から呼び寄せたご縁は、中村会長のご生母の通夜の席で名刺交換をさせて頂き、翌日に当法人のパンフレット等と共に「一度来ていただければ幸いです。」とのアクションに応えて下さった訳で、このようにエネルギッシュな先生とは永くお付き合いしたいと考えていますので、ホームページ上で申し訳ありませんが、『今後共末永く宜しくお願いします。

本日から明日にかけての動きを書いてみます。

本日は朝5時30分に起床し、寝汗をかいていたので軽くシャワーを浴び、着替え後に施設に着くと、ラジオ体操でうちわを配る約束をしていた、北島部長と吉田部長が待っていてくれ、早速、施設がある新明地区のラジオ体操が行われる場所に行くとお世話になっている方々の顔があったのでご挨拶をしている時に2人の部長が手際よくうちわを配ってくれたので、ラジオ体操中に移動して貝戸地区にも配れました。今では優・悠・邑の夏祭りは定着して期待されるイベントになった為か、『メニューが増えたな』とか『しっかり飲まして貰う』等の声を多く頂き嬉しく思いました。うちわ配りを済ませ、一旦家に帰り朝食を済ませ、再び施設に行き、五次部長と8月4日に行われる岐阜県による法人監査の事前資料の確認をして、岐阜県健康福祉政策課に資料を届け、その足で岐阜羽島に行き、今は午後からの全国老人福祉施設協議会研修委員会に間に合うように新幹線の中でブログを書いています。今夜は宿泊して、朝早くに起きて、10時から地元の高校生三人が就職を前提にした施設訪問に来てくれるので頑張って帰り、午後は中部学院大学の先生の論文の打ち合わせの為におみえになり、夜は夏祭りのお寿司の発注(助六百人分と夏祭り反省会用の寿司)の打ち合わせと…何と充実した日々!!仕事が出来る喜びを味わいながら、これからも頑張っていきますので応援宜しくお願いいたします。

良い傾向なのか?

朝早くに施設に出勤するようになって約2ヶ月。我ながらよく頑張っていると思います。マラソンで頑張った選手が「自分を褒めてあげたい」と言ったのが流行った時がありましたが、62歳の私としてもそのような心境です。それはともかくとして、昨日も大車輪のような動きだったのですが・・・。少し披露すると朝一で約1000字のブログの原稿を書き、朝食の為に一旦家に帰り、再び施設に行き、天気が良いのでジャガイモの収穫をして、その後草刈をして、一緒に草刈をしてくれた職員とカレーを食べていると1時を回ったので、慌てて和合の家族会の設立総会があるので車を走らせて行くと既に記念講演をお願いしている岐阜経済大学の佐藤教授がお見えになっていて、慌ててご挨拶をして、その後は家族会でご挨拶やご家族からの質問に答えて最後の締めの佐藤先生の講演を聞いて、佐藤先生にお礼の挨拶をしていたら4時を回ってしまったので、5時からの本部施設での幹部会に間に合うように車を走らせ、途中ではたと気が付きました。お昼もカレーだったけど、幹部会ではより美味しくなったカレーを食べるんだったと。そこで、車を停めかをりさん(ちなみに私の奥さんです)に携帯で「スーパーでお漬物を買う時間がないので紅しょうがとお漬物を準備しておいて」と連絡して、その後家によって嫁さんが準備してくれた物を慌てて受け取り本部施設に着くと5時5分前・・・。幹部職員とカレーを頂き(私は2杯たべました)幹部会終了が7時30分。全くもって充実した毎日。
※ここまで書いたのは実は昨日の朝なのですが、昨日も、事業所内保育所監査、岐阜県老施協正副委員長会議、関ヶ原町地域ケア会議とあり、会議終了後困難ケースについて話をしていたら、珍しく嫁さんから6時40分にメールが入り、7時から我が家で親父の月参りがある連絡で、またまたバタバタで家に帰り着き車を車庫に入れていると住職の車が家の前に停まったので玄関を開け仏壇のローソクに火を灯し、ようやく落ち着いたような事で・・・。1日遅れのアップになった弁解を長々と書きました。これだけバタバタの毎日ですが、日々充実していることに感謝しながら、只今午前7時15分。今日も1日頑張ります。

早朝勤務が話題になっているようですが

岐阜新聞の『素描』の原稿依頼を受けてから、朝早くでないと原稿を書くのは難しいと考えて、「目覚めたら施設に行って原稿を書く」と決め、最初の内は宿直者を起こす形で始まったのですが、そのうちに宿直者が起こさなくても事務所の電気を点けて待っているようになり、「起こすから寝ていて大丈夫だよ」と言ってても、宿直者が起きて待っている現象が変わらなかったので、自分自身の立場を考えて自己反省をして、宿直者に迷惑がかからない時間は6時30分前後に施設に到着するのであれば大丈夫と考えて、本日も6時20分に自宅を出て、国道21号線を2Kと町道を2Kの4キロをいつも通り車を走らせていて「うん?」。何故ならば、国道でトラックに1台あっただけで、あとは全く車に出合う事無く施設に着いたからです。もう一つ気がついたのは国道21号線に平行して走っているJR東海道本線の上り列車にも出合ったのですが全くと言って良い程に乗客が乗っていませんでした。そして、ハタと気が付きました。「本日は日曜日。世の中の殆どの人は、まだ行動していないのだと。」
世間では早朝勤務が話題になっていますが、さすがに日曜出勤は話題にのぼりません。しかしながら、私の生活は月月火水木金金の生活。勿論、若山家での役割で仕事以外の時間も有りますから全て仕事と言うわけではありませんが・・・。でも、当然のことながら、早出の職員は6時30分過ぎから続々と出勤してくれて、元気な声で挨拶してくれて、改めて「ありがたい」と思いました。6月が昇給月で出来るだけの配慮はしたつもりですが、今以上に出来るようにするためには、国民の理解を得て、政治を動かしていくしかない・・・。ごめんなさい。私の悪い癖で話題が反れてしまいました。話題がそれたついでに?当法人の職員の中で、4人の子どもの父親を筆頭に、3人、2人の職員が多くいます。「決して、結婚したり子どもが出来たからと言って退職しなければいけない職場ではありません。」ついでに、女性職員で育休を取り、7月から復帰した職員は2人の子どもを連れて出勤し事業所内保育所に子どもを預けて頑張って仕事してますよ。『人材は人財』と思い頑張っている法人です。興味があったら杉和会の門を叩いてみて下さい。但し、都合の良い事だけを理解しては来ないで下さい。当法人のモットーは「頑張ったら頑張ったように」ですから。

ブログを書きましたのでよろしくお願いいたします

6日が全国老施協の研修委員会、7日が正副会長委員長会議があり、それぞれの日に夜の会食もあり品川プリンスホテルに2泊して、今は(午前8時30分)新幹線の中で、ブログを書いているのですが、本日は11時から関ヶ原斎場でかつての入居者さんの葬儀があり、参列させて頂き14時30分から関西電力の方と打ち合わせがあり、その後岩田先生との打ち合わせをさせて頂くと、多分バタバタの内に18時からの本部施設のフロア責任者会議になってしまうなと思うと、何と毎日が充実している事か!!今、車内アナウンスがあり『危険物の持ち込みはしないで下さい。』との事。今までは、このアナウンスを何と無く聞いていましたが、先般の焼身自殺により巻き添えにより亡くなられた方や怪我をされた方があったばかりなので、アナウンスしている車掌さんもおざなり的なアナウンスではなく、聞いている私の方も真剣に聞いていたように思いました。この事から学ぶ事が出来ました。それは指示をしても徹底しない事は、その指示についてピンときてないからだと、と言うことは、どうしてそのように指示したのかを理解出来るようなコミュニケーション能力を養うことこそ大切だと言うことを〓

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