またまた、週刊現代情報です。

令和元年5月5日

5月11日・18日号の『今週のへぇ~、そうなんだ』シリーズの「葛飾北斎は人生で93回も引っ越しをした」を読んで、日本人は生涯において平均して約3回は引っ越しをしている。そんな中で葛飾北斎は、90年の人生で93回引っ越しをしているとのことです。(父親の転勤で何度も引っ越しをされた方はあるでしょうが、流石に90回を越す方はいないと思います。)北斎は1日に3回も引っ越しをした記録もあるそうで、そこまで聞くと思わず『絶句』ですよね。では、何故そんなに引っ越しをしたのかには、諸説あるのですが、一番有力なのは、彼が『掃除嫌い』だったと言う説だそうです。北斎には、絵師である娘がいて、二人は絵に集中するあまり食器さえも持たず惣菜や饅頭を買い込んでは、包み紙やらゴミはそばに捨ておく始末。当然、部屋は散らかり「臭いし、狭いし、絵も描けない」と我慢できないと新居を探し始めたということです。何故、頑なに片付けなかったのか、現存する北斎の作品は3万点を超える。これは、70年間休ますに一日1枚描いたとしても間に合わない量。それ以上のペースで作っていたとすれば、掃除をする時間が惜しいのも理解できる。との記事を見て、私が掃除や片付けが苦手な事と北斎をダブらせるのは強引過ぎるかな。本日は『子どもの日』をテーマにしたバイキングだったのですが、ポテトサラダで鯉のぼりを形作ったり、筍を飾ったりして、バイキングを盛り上げているのはバイキングに対する思いが強く根付いてきた証だと思うと思わず「ありがたいな」と思いました。

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施設職員の対応に不十分性を感じる事も多々ありますが、思いを構築する職員がいる以上、大丈夫だとも考えています。尚、バイキングで飾りつけをした筍を湯がく為、寸胴を用意して湯がこうとするとデイサービスの北島部長が施設北側の竹藪で筍を掘ってきたので、大鍋に入りきらないほどの筍を湯がく事になったので、連休最後の日である明日は筍の味噌汁を作ることになり、本日最後の仕事で豆腐と油揚をゲンキーに買いに行き本日は終了です。リピーターの皆さん、明日の男の料理の味噌汁に乞うご期待。良ければ大鍋で炊く味噌汁食べに来て下さい。

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田圃祭りが始まりました

田植えの時期になると思い出す事があります。それは、我が家の田圃を休耕田にした時の事です。

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写真に写っているのは、多分休耕田なのでしょうが、レンゲが綺麗に紫色の花を咲かせていますが、我が家の田圃もレンゲの種をまき、綺麗に咲いたのは良いのですが、その当時は休耕田に対する補助金があり、レンゲの種を収穫して、私の記憶では5合の種を集めなければいけなくって、取っても取っても全然増えていかないのに途方にくれていたことを思い出しました。

最近の田圃の休耕田にはヒマワリを一斉に咲かせたり、コスモスを咲かせてみんなを喜ばせる実践がされているのを見て、レンゲの田圃も「綺麗だ」と思える観賞用であって欲しいと思っています。『レンゲ』と言えば、私が児童施設の指導員をしていた頃は、経営者がお寺の住職と言う事もあり、『花祭り』と銘打ち、子ども達と一緒にレンゲを摘み花御堂を作りお釈迦様に甘茶をかけてお祝いした思い出が蘇えってきます。レンゲが一斉に咲いていて「美しい」と思えるのは幸せな証だとつくづく感じています。

さて10連休も後半に差し掛かり残す所あと2日となりましたが、10連休の間は公の会議等が入ってこない分、連休明けにそのしわ寄せが来るのが怖いです。(現実に会議や出張が目白押しです。)但し、まだ2日あるのでまだまだ油断はできませんが、入居者さんんが極端に体調を崩されている方がみえないのはありがたいです。働き方改革で病院の休診も多いので、いざと言う時には困るので、これからは、働き方改革の対応の中で病気をしなければいけないとすると住みにくい時代に入ってきたようにも思いました。昔から言いますよね。「あちらをたてるとこちらがたたない」と。制度を作るのは本当に難しいものだとつくづく思った次第です。

働き方改革の意義がわからない

当法人は『介護老人福祉施設』であり、24時間365日介護サービスをする施設です。だから、マスコミ等が働き方改革について論じたりしていても、何とか職員の理解を得てローテーションを守りながら、頑張って入居者、利用者の生活を快適にするために頑張っています。

休みを与えるのは簡単です。だから休みを優先すると快適な生活を確保できないと言うジレンマの中で優先すべき事を理解した勤務を組むしかないのです。これだけ頑張っているのだから、社会的評価を高め、それに見合った対価が得られるような制度設計をしなくてはいけないのではないでしょうか。

本日も職員の頑張りにより、入居者さんを垂井祭りにお連れして喜んで頂けました。

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そして、施設に面した山の斜面の工事を岐阜県の補助事業でしていたたいているのを受け、『里山補助事業』(別の補助事業)の作業の一貫で伐採した木の搬入作業を25トンクレーンを駆使して祭日にも関わらず地元の方に実施して貰っています。(クレーンがでかいので木が小さく見えますが、作業をしている方に聞いたところ、どの木も樹齢100年以上の木だとの事です。)

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私も8時過ぎから、昨日休みの職員が持って来てくれた筍を大きな寸胴で大きな鍋を使用し湯がいています。(どのくらい大きいのかを理解して貰う為に一般に使用する火バサミと丁度、寸胴の中に収まる薪を並べて見ました。)

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沢山持って来てくれた筍も一気に湯がく事が出来ます。(12月の餅つきの時の火の番は快適ですが、本日は天気も良く気温も高いので、正直背中を汗が流れてます。)

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入居者が散歩を兼ねて、見学に来てくれました。

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「いっぱいの筍だね」とか「私の屋敷にも竹藪があり、昔は一杯食べた。私は筍を一杯たべても、ボロが出来ることもなくて今も顔はすべすべよ」とか、気分を弾ませてお話して下さいました。

そして、最後にトップライトが全開になっている写真は生活環境を良くするために天気が良いときは開けている写真であり、

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しゃくなげの写真は本館1階の中庭に立派なものが咲いているものです。

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施設にとって快適を理解して貰うには対価を求めないサービスが大切だと口はばったい言い回しですが敢えて書かせて頂きました。

昨夜の職員交流会で初めてお酒を飲んだ職員は元気に出勤していました。他2編

令和元年5月2日

初めてのお酒体験の割には生中1杯に冷酒を結構大きなグラスに何杯か飲んだ新人男子職員が心配で、家に着いた頃を見計らってショートメールを打ったのですが、返信メールが来なかったので心配していたところ、早朝の5時8分に送信されてきて、元気に早出の準備をしていることを確認して安心しました。初めて飲んだビールは「にがい」との感想だったので、冷酒の方が飲みやすいかと思い、冷酒を注文して、グラスに注いでどれだけも時間が経ってないのにグラスが空になっている。空になっているのでまたグラスに注いだのだけど、彼の顔は全然変わらないし酔った素振りもない。私はどのように対応して良いかわからないでいる中で、私が大学に入学してサークルの先輩で大学院に行っている方の下宿に行って、先輩にお金を頂き酒屋に行きウイスキーを買ってきて水もなし氷もなしの文字通りストレートのウイスキーをコップに並々注がれて3杯でダウンしたことを思い出しました。そんな私も65歳(今月16日で66歳。リピーターの皆さんにお祝いを期待しているわけでは決してありませんよ。)飲み方を知らない内には色んな武勇伝が出来るものですが、彼は「少し二日酔いです」と答えながら元気に仕事をしている姿に、上手なお酒の飲み方をして欲しいとマジで思いました。

 

本日お休みの女子職員が「昨日までたくさんの雨が降り、たくさんのタケノコが掘れたので持ってきました。」と恥ずかしそうに私に言うので、彼女の車の方に向かいだすと、「たくさんあるので台車を借りて良いですか」と言うので台車を持って行くと、車からダンボール3箱分を台車に乗せてくれました。自分の休みにわざわざタケノコを掘って持って来てくれた「入居者さんに喜んで貰おう。」と言う気持ちを大切にするために、またまた、明日は寸胴に大釜でタケノコを湯搔きたいと思います。

 

第一法規の依頼を受けて執筆した外国人介護職員の最終ゲラの締め切りが3日遅れた事の詫び文の中で「当施設の職員は色々な経歴の持ち主が多く、私は『アパッチ野球軍』(かなり古い話で恐縮ですが)的集団と言っているのですが、みんな優しくて一生懸命な職員ばかりです。」と書いたのですが、その手紙に封をした後のタケノコの話なのでますます、私の考えが確信に変わりました。

 

平成から令和になりました

平成の30年は私にとっての飛躍の時代だったことを昨日のコラムでも書きました。そして、明けた本日(5月1日)から令和の時代になりましたが、この時代を私自身どのように生きていきたいかについて述べる事にします。平成の締め括りとして4月28日に関ヶ原ふれあいセンターで『てるてる座600回記念公演』を成功裏に実施して、関ヶ原町民にとって、「杉和会ここにあり」的な事が出来、地域貢献の集大成が出来たのは平成かでのフィナーレに相応しかったし、令和への意気込みを表す事が出来たと自負しています。但し、平成の終わりにお腹が張る状況が続き令和初日にも完治していません。これは、令和では、『健康に留意しなさい。』とのメッセージだと理解しました。(ここで北島部長から連絡が入りました。)「理事長今日は大丈夫ですか。」「まだ本調子ではないけどどうして」「今日はじゃじゃで新人の歓迎会ですよ」(私は思わず)「うそ」(そう言えばそんな約束したな)「ごめん、これから向かうけど先に始めといて」(関ヶ原町内だから時間的にはそんなに待たせずにすむのですが、連絡を受けた時は湯船の中で、慌てて湯船から出て体を拭いて着替えて行きました。)令和の最初から大失敗。これは、『予定は直ぐに携帯のスケジュール管理に入れるべし』。さて、歓迎会は始めていたので迷惑はかからず、専門学校を卒業して就職してくれた職員(二十歳にはなってます)がお酒を飲むのは初体験の子がビールを中ジョッキ一杯飲んでけろっとしているので、「大丈夫か」と声を描けると「にがいです」との事で「それならば冷酒にしたら」で冷酒になって盛り上がって(但し私は飲酒なしで、やっこと大根サラダのみで頑張りました。)全員を見送り家に帰り2度目のお風呂に入り、お酒初体験の職員に大丈夫かのメールを打ち、令和初日の1日終了です。

平成最後の日に思うこと

平成31年4月30日

平成の30年は私の人生にとっても意味深いものがあります。昭和の最後の年に資生堂財団による海外研修団の第15期生としてアメリカへ行かせて貰い、アメリカで行われていることが10年後に日本でも出来るのではないかとの大いなる勘違いにより、平成の世になってからは、児童施設の職員としての生き方より児童の個別指導で頑張ってみたい(施設職員になりたい者は一杯いるが、個別指導に活路を見出だす者は私しかいないと言う大いなる勘違い)との気持ちが強くなり、その方向でうごめきたいと考えながら2年後に児童施設の指導員を辞めようと、当時勤務していた法人の経営者に決意のほどを話したところ、今正に指導している子供達に迷惑をかけてでも辞めるのかと言われ、新しく採用して貰った指導員に2年掛けて引き継ぎをして、退職をさせてもらったのが、平成4年でその後は大学、短大、専門学校で非常勤講師を週13コマしながら、家庭教師もして、私がしたかった反社会、非社会の個別指導や不登校の親の相談にのったりして、2年間は個別指導に生き甲斐ややりがいをみつけていたのですが、若山家の家計は火の車。つまり、今までの預金を切り崩しながらの生活で、このままの状態を続けていくには、若山家では霞でも食べていくしかない状況の中、拠点作りをしないと理想を現実には出来ないと言う現実に気付き、情緒障害児短期治療施設の建設を志し、その構想を実現すべく、施設見学や土地探しや設計への思いを語り、設計士にパーツまで準備してもらい、その当時の岐阜県児童家庭課に行くと「ここ10年は高齢者のみに予算をつける」との結論を貰い、挫折の時期を経て色々な方の助言により、高齢者施設建設に大きく方向を変えて、当時の地元の民生委員会に協力を得て、実態調査をしたり、施設見学をしたり、土地探しや地元説明会等々をしながら平成10年5月に今の本部施設の本館の事業開始に漕ぎ着け、平成16年に新館を、そして平成26年には和合の事業も開始して、今は職員が150人の規模にまでの法人になりました。平成と共に私の人生も大きく育てて貰ったと言っても過言ではないと平成最後の日につくづく思っています。さてさて、令和の時代になり私も法人もどのような展開になるのか。但し、物語は自分自身が切り開くもの。勿論色々な方のご支援、ご協力無しには成り立ちません。平成から令和の時代になっても変わらず宜しくお願いします。

体重が確実に減りました・・・。きっとリバウンドがあるのでしょうが

平成31年4月29日

27日の朝からお腹が張った感じがあり、こう言う時は絶食が一番良いと今までの体験からわかっていたので、その日の昼食からは食べないようにしていたのですが、てるてる座600回記念公演の準備を終えてから、当施設敷地内にあるコミュニティーハウスで前夜祭があり(座員の皆さんはそのままお泊まりです。)食べ物や料理を副施設長がしっかり準備してくれて、座員の皆さんが喜んで食べて盛り上がってみえる場所で私だけが全く食べたり飲んだりしないでいるのは、失礼にあたると思い、皆さんが「可笑しいな」と気が付かれない 程度にお付き合いをして、(お酒は『夢は正夢』と言う縁起の良い酒を用意して、正直私はおちょこ3杯飲んだだけで、進め上手に徹しました。)カラオケもそれなりに歌い、但し、正直「早く終わりた」と思いながらも私なりに頑張ってお付き合いをして、21時過ぎに終了して家に送って貰って車を降りて家に入るまでのほんの10メートルを歩くのがお腹が張って歩くのが大変でした。てるてる座の開演前での準備不足があってもいけないし、座長さんからも音合わせもしたいとの連絡もあり、開演三時間前の10時に会場入りをして、既に会場入りしていた職員には、あまり調子が良くないと正直に話をしたので職員はいつも以上に機敏に動いてくれて正直頼もしかった。職員以外の方には悟られないように動くのですが、一歩一歩がお腹に響き、時には鈍痛もあり、冗談のようにですが「陣痛が始まった。」等と言っていました。朝食、昼食と抜いての頑張りの中で、砂田さんのコーナーでの『人生夢の途中駅』がお腹から声をだせるのか心配でしたが、結果としては逆に余分な力が入らなかったので、これぞ正しく『災い転じて福となす』。(具体的な経過は昨日のコラムで書きましたので、ここからは本日の様子を書きます)昨日から殆ど水分だけでしたが、朝になっても食欲がなく、あいからわずお腹は張った状態。朝食はおじやに梅干しで、昼食を抜き、今は19時18分で夕食を食べたいとも思わない状態です。お風呂前に脱衣場の体重計に乗ったら三キロは確実に減っていました。でも、体は軽くなったはずなのにお腹が重いし全然嬉しくない。やっぱり健康的に体重を減らさなければ意味がない。世のか中はままなりません。但し、体重が減った状態で健康を取り戻しても維持できたら最高。でも、無理だろうな。リバウンドと言う落とし穴があるもんなあ・・・。いやいや、為せばなる為さねば・・・。ストレスが多く際限なく体重が増えた私に妙薬があればリピーターの皆さん連絡下さい

てるてる座600回記念公演が無事終了しました

施設職員の対応でストレスを抱えていながら、てるてる座の記念公演に多勢の方が入場して頂けるのか、砂田さんの企画の中で飛び入り参加して『人生夢の途中駅』を上手く歌えるのか等と考えていて、イライラがお腹に貯まったのか、お腹がいつも以上に腫れていて、まるで『おおかみと七匹の子ヤギ』に出てくるおおかみのお腹に石を詰められたような感じで朝を迎えました。

こんなときは絶食に限ると朝食を抜き施設に行き、公演の準備をしていると、てるてる座の座長から「早く来て」の連絡。出来るだけ早く行きふれあいセンターの駐車場は一杯で役場の駐車場に入れてまたまたストレス。だって、13時からのお客さんはどこに駐車したら良いの。取り敢えず、てるてる座、フラダンス、三味線、砂田さんに挨拶をして、音合わせと会場設営と進行するヤマミーとの打ち合わせと砂田さんの出番の時の乱入方法(そんな大袈裟な事ではありませんが)を打ち合わせをしている間もおおかみのお腹状態は解消されず、一回だけ私の歌う曲の練習をさせて貰い、その段階で12時になり、ぼちぼち入場者がおみえになり、お客さんに挨拶などしていても、お腹の状態は良くならず、お陰さまで昼食も抜き。

こんな状態でお腹から声を出して歌えるのか心配してました。いよいよ13時になり、関ヶ原町自治会連合会長さんの挨拶の後、幕が開き、てるてる座の一部が始まりました。流石に600回の実績です。

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観客は和んだ中で楽しんでもらえ、2部はフラダンス、砂田、三味線と観客を魅了してくれ、私の出番もそれなりに満足がいくものでした。但し、開会前に私の姉が「こんな大きな舞台の前で歌えるの」とプレッシャーを掛けられましたが、「私は昔のひ弱な宏君と違うのだ」と心の中で呟いた次第です。

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三部では再びてるてる座さんの出番。トータル二時間を飽きさせる事なく終了し、会場の皆さんをお送りするときに沢山のスタンド花を頂いていたのを持って帰って貰う気遣いも出来、後片付けが終了したのが17時で施設に帰り事務長との打ち合わせ後には慌てて18時15分から行われる和合での全体会に出て、理事長としての総括をして、19時20分に会議は終わりその後、びわこ学院大学教授で当法人の顧問をしていただいている烏野先生と打ち合わせを終えたのが20時で、くたくたの中自宅に帰り湯船に浸かりながらコラムを書いて今は21時51分です。まだ、お腹の違和感はありますが少しは良くなってきたし、明日は家族会主催の誕生会もあるので頑張ります。リピーターの皆さん、長期休暇の方もあるでしょうが働き方改革よりやりがいのある生き方を選んだ私です。そんな生き方にもご理解下さい。

いよいよ明日がてるてる座600回公演です

13時30分にプロの演歌歌手砂田おさむさんが音響のセッティングに来て下さる事になっていたので本当なら関ヶ原ふれあいセンターで合流しなければいけなかったのですが、どうしても13時から垂井で打ち合わせをしなければいけない仕事が入ったので、吉田部長に先に行って打ち合わせをするように頼み、結局14時30分にふれあいセンターに行き砂田さんにお会い出来、当日の原稿の打ち合わせをして一旦施設に戻り、バソコンで明日の進行の原稿を打ち、てるてる座のメンバーと砂田さんと吉田部長がセッティングしているのを見守っていると、砂田さんが作成してくださったDVDで流れる演奏にのって、明日の本番でスペシャルゲストの砂田さんの本番中にスペシャルゲストのスペシャルゲストとして歌う砂田さんの持ち歌『人生夢の途中駅』を明日の舞台となる所で2回もおもいっきり歌わせて貰いました。そして、17時になり、当施設内のコミュニティーハウスでてるてる座のメンバーと前夜祭を行う為に少しは準備をしなければいけないので帰り、準備の最終チェックをしていると、てるてる座の大番頭の小倉っちから、「これから帰る」との連絡を貰った時は、全員が揃うのを待つばかり。18時30分に私の乾杯で始めたのですが、酒を飲まない人は烏龍茶、それ以外のお酒を飲める方は銘酒『梵』の『夢は正夢』を飲みました。正に銘酒。美味しかったので1000ミリリットルがあっと言うまになくなり、お洒落な瓶と箱はてるてるの座員の亀ちゃんが持って帰る事になりました。そして飲食をしっかりしたあとはカラオケタイムになり、流石に役者ぞろいです。めちゃ上手い歌を聞くことが出来(勿論私目も歌いました。しかも5曲も・・・。)21時30分になり、明日が本番と言う事でお開きになり、自宅まで送って貰い今は(22時38分)コラムを打っているのですがメチャ眠いし明日が本番だから寝ます。リピーターの皆さん明日私が上手く歌えるように祈っていて下さい。

カンナくず

昨日職員が掘ってくれた竹の子を大きな寸胴で茹がくようにこれも昨日の内に職員がセットしておいてくれたので、出勤して書類の整理をしたあと点火式をしようと思い焚き付けはいつものように新聞紙でしようとしたら薪のそばにカンナくずが置いてあるので「誰が準備してくれたのかはわからないけど気が利いているな」とひとしきり感心してから、カンナくずをくるくるまとめて焚き付けにすると見事に火がつき、「楽勝に火が点いた」と薪をどんどん入れて楽しいくらい順調に薪が燃えている時に本日のお客様である滋賀県西浅井の施設である『まんてん』の方が2台でみえる。1台目は理事長夫婦の車で、もう1台は施設長さんの車でした。理事長さんは2度お会いしているので、直ぐに私だと気付いて頂けたのですが、施設長さんは初めてであり、まさか火を燃やしているのが理事長だとは思われなかったようで、名刺交換をするまではぎくしゃくしてしまいました。火の番は相談員に任せ、さっそく会議室で話をしたのですが、施設見学が主の目的だったはずなのに、私は、私の思いを話だし『どうにも止まらない』到着予定の時間より20分も早く着かれたのに、施設見学になかなか行けない。何とか案内になった時も、一つひとつの説明をしながら歩いて行ったので、12時が遥かに過ぎて昼食になりました。皆さんが昼食を済まされて時間が勿体無いと言う事で『トランスファー』のビデオを見て貰い、その後職員確保とスキルアップについて意見交流をしました。15時までの予定だったのが15時30分まで熱が入り、垂井町の副町長さんが建設課長さんと補佐を引き連れこられ、私はお客様のお見送りも出来ない体たらく・・・。その後もばたばたとお客様がおみえになり、そんな中で、外線が入りました。その相手の方は家族会の会長さんからで、内容としては、「朝、29日の家族会主催の誕生会でカンナくずを使うので持って行ったが、ちゃんと置いてあるか」とのこと。私は思わず絶句。だって、「素晴らしい焚き付けだと思っていたのに」と思いながらも正直に「焚き付けにしました」と言うと「燃えてしまったなら仕方がない」と寛大な対応をしてもらい感謝です。リピーターの皆さんも理解してもらえますよね。一生懸命の中の失敗ですから。

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