土砂崩れ防止壁の工事の状況を確認して感動しました

令和元年6月4日

施設の南斜面の土砂崩れ防止壁の工事を2015年度から岐阜県の補助事業として施設の西側から実施して頂いていて順次工事が進み、5年目を迎えて150メートルが完成して施設の出入り口まで完成したのを、今、工事をして頂いている斜面を登ってみました。その時の写真が下の写真何ですが施設を上から見るのもなかなか良いものだと思い、携帯で写真を撮りました。そして、山の上に登って分かったのですが、名神高速道路の下り車線を走る車をはっきりと見る事が出来るのです。と言う事は名神高速道路を走っている側からも私が立っているのがしっかり見えると言う事なんだから・・・。「よし、山の斜面にネオンサインでもつけたろか。」等と思ってしまう私は変なのでしょうか。施設の西側奥には今までの倍以上に大きな砂防を計画して頂いているとの話を岐阜県土木事務所の担当の方から聞いていますし、より安心出来る施設にしただけているのは本当にありがたい事です。この工事をして頂く為に岐阜県高齢福祉課を通じて何度も話し合いをしたのは事実です。何故なら、震度「7」にも耐え得る建物を建てさせて貰ったのも関わらず関ケ原町さんの「福祉避難所」の指定が頂けなかったからです。確かに「イエローゾーン」の斜面ではありましたが、防災備蓄倉庫を造り食料品、水の確保だけでなく、衛生用品、簡易トイレ、蓄電池まで揃え3日間の籠城が可能になるようにリスクマネジメントの権威者であるびわこ学院大学教授の烏野先生のご指導で確保させて頂いたのだから。勿論、災害などないに越したことはありませんが、5月の北海道で39度と言う異常気象だつた事を考えると「想定外」な事がいつ、どこで起きても不思議ではありません。いやいや、当地で起きなくても災害が起きた地区のお手伝いが出来る事も考えて・・・。これもまた、中村会長が健在な時に熱く語られていた『先を見る』事にも繋がると考えています。岐阜県の多大なご理解に感謝しつつ、当法人が出来ることをこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、当法人の展開も見守っていて下さい。

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昨日の『自覚悟』について、より突っ込んで書きます

令和元年6月3日

私は昨日の結論で『腹をくくる』と結び、書いた後からずっとしっくりこないなと思いつつ、私の人生ですから自分なりには理解し消化できたように思っていましたが、殆どのリピーターさんにとっては「なんのこっちゃねん」と言う書き振りだったと反省して、自分で問答をした結果を書く事にします。私は虚弱児で自分では何も出来なくて、いわゆる『自立』をしたのは38歳の時だとは何度も書きましたが自立をしたから『悟』を拓けた等とは全く思っていません。但し『自律』に向け努力したことは私自身誇って良い事と自負しています。「反社会、非社会の子どもに個別指導をしたい。」と言う思いだけで、児童養護施設の児童指導員を辞し、まっしぐらに突き進めるものと思っていた私には、いわゆる『腹をくくる』試練が一杯いっぱい待ち受けていました。砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』の詞をお借りするなら「夢中で駆けた時代もあった、振り向けば、雨や嵐の時代もあった」と言う事何ですが、雨や嵐は必ず時間と共に過ぎ去りますが『腹をくくる』事は決して時間が解決してはくれません。つまり、頼れるのは自分だけ・・・。(ここで、先般、嶋聡先生からのメール送信での通信を読ませて頂いた時に『成功者は運が強い』との事が書いてありました。)苦しんで苦しんでもう駄目だと思う試練が一杯あり、腹をくくった状態の時にいつも救いの手がありました。今から思うに、一生懸命に尚且つ純粋に行動している姿を多くの方が見ていて下さり、救いの手を差しのべて下さったから、土地もない、社会的地位もない、お金もない私が今こうして事業をしながら「地域貢献こそ大切」と声を張り上げて言えるのも支援をして下さった方々のお陰。施設が出来た当初は私自身が舞い上がり、施設もくしゃくしゃになった試練もありましたが、その時も腹をくくり、自ら施設長を辞し一職員として1年半の経験が今に生きていると思います。『腹をくくる』試練を一つひとつ乗り越えさせて貰って今があるのだと思うと『自覚』も『覚悟』も周りの方々によって築いて行くものだと気が付きました。色々な方の支援を頂くには日常での感謝こそ大事と言う当たり前のところにたどり着きました。『運も実力のうち』と言いますが『運』を引き寄せる毎日があればこそとも思いました。これからもたゆまぬ努力をしてまいる所存でおりますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

バテバテで午後から休みを頂き二時間寝たので頭がピュアになりました

先般講演頂いた大谷徹奘(てつじょう)師から頂いた事を書く事にします。大谷師の講演のキーワードは三つありました。一つに『よっぽどの縁』二つに『自覚悟』(じ・かく・ご)三つに『身心安楽』(しんじんあんらく)です。その中で今回は『自覚悟』について書く事にします。先ずは師の講演の説明をします。悟りについての話になり、本来『悟』は『自覚』と『覚悟』の二つの言葉からなり、『自』と『覚』を取り『悟』の意味になったと言われました。確かに『悟りとは』などと問われた時に何となく分かったように知ったかをしていたように思いますが『自覚』して『覚悟』をしたのが『悟』と言う本来の意味だと言われてみると、「スカッと」わかったように思いました。つまり、どこかの番組ではありませんが大きく「ガッテン」と言う事です。私はこのコラムでも書いたと思うのですが、『38歳の時に初めて自分で自分の事で決断した。』と。その決断とは13年も勤めさせて貰い、嫁さんも子どもも二人いる中での決断でした。つまり、ここでの決断は大谷師の言い方をするならば『よっぽどの決断』であり、その決断を許してくれた家族がいると言う事です。38歳で児童養護施設の児童指導員を辞しフリーの立場で大学、短大、専門学校で多い時は週に13コマの講義と家庭教師、そして本来したかった非社会、反社会の子どもたちの個別指導に取り組み、理想に燃えた『覚悟』はありましが現実問題としての『若山家の経済状況』を日本の制度は認めてくれず、私の覚悟は挫折に変わるしかなかったのですが、固くなな考えではなく、理想の形を変えていく事で自分の『自覚』が芽生え今の自分を作り、まだまだ『悟』の境地には程遠いですが『自覚』をする中から『覚悟』が作られたと思います。私の場合は『覚悟』と言う言葉より『腹をくくる』と言った方がより的確な言葉だと思います。と言う事は日本の制度が、社会が、地域が私の今の形を作ってくれたと言えるのかも知れません。正直、大谷師の講演内容とはかなりずれたものになってしまいましたが、リピーターの皆さん私の意を理解して頂きご意見を頂ければ幸いです。

飛騨支部の役員さんは暖かかった

ホテルから歩いて5分のところに会議および懇親会を行う会場があり、驚いた事に岐阜支部長が駐車場のところで迎えてくれました。会場の玄関先は外国の方が記念写真を何組もとられていて、一瞬「ここは日本なのか」と疑ったりして。私も思わず写メで写真を撮り会場に入ると支部長さん、副支部長さんはみえており、役員の一人の方が時間を間違えてみえて、携帯で連絡をとり、定刻より5分遅れの16時5分に役員会が始まり令和元年の事業計画も無事に承認され、岐阜県老人福祉施設協議会会長としてご挨拶と共に人材を中心に話をさせて頂きました。役員会が終わり懇親会の準備の為、30分の休憩の後に、交流会が始まりました。飛騨は酒何処だから気合いを入れて飲まなければと思っていると副支部長の片岡施設長さんから乾杯発声のご指名を頂き乾杯のご挨拶をさせていただき、最初の一杯は生ビールを飲ませて貰い、後は熱燗に切り替え飛騨牛の焼肉で(全くきめ細かい霜降肉です)ガンガン飲みました。20時前に参議院議員組織内候補予定者の角田氏が来てくれて、それぞれに挨拶をして、一次会はお開きになり、大概飲んだのですが、二次会に歌が歌えるところに移動し、懲りる事なく『人生夢の途中駅』を歌いつつウィスキーをロックで頂き、角田氏と同じホテルと言うこととあまり夕食を食べられてないと言う事で、ラーメン店に行きまたまた、ラーメンと共にビールを頂きました。今朝は飲みすぎたと後悔しながらお風呂に入りましたが全く汗が出なくて「やばい」と思い、ベットの上で体操をして、再びお風呂に入るとタラタラの汗が出て、ようやくシャキーンとなり、時間がないので慌てて着替えと荷物の整理をして1階のフロント前に行き、しばらく待っていると全員揃ったので『かくた後援会加入促進』の為に角田さんを乗せ施設訪問に。昨日お会いした施設長さんだけでなく、土曜日にも関わらず、法人役員の理事長さんや常務理事さんがお向かいして下さり、角田氏を交えての情報交換をしてどの施設も暖かく迎えて頂けました。飛騨支部は面積が広いので、2日間の走行距離は482キロを走破しました。岐阜県老施協会長になり4期目(7年目)を迎えたのですが、支部長さんの協力と理解が得られていることに感謝して、18時前に岐阜羽島に角田氏を送り届けて、ホッとして、今は家の湯船に浸かりながらコラムを携帯に打ち込んでます。次回は10日に中濃支部を角田氏と共に回る事になってます。このように一生懸命に活動するのは介護を取り巻く環境が厳しさを増していて政治力も必要だと思うからです。リピーターの皆さんも熱いメッセージを宜しくお願い致します。

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今(12時09分)から飛騨高山に向かいます

令和1年5月31日

本日は飛騨支部の役員会と交流会があり車で走ってます。但し、運転については当法人の職員にして貰っているので、楽々でコラムを携帯に打ち込む事ができます。

明日は飛騨支部の会員施設の理事長さん、施設長さんをはじめ職員さんと親しくお会いしたくて一日かけて回る予定をしてます。岐阜県老人福祉施設協議会会長の職について三期6年勤めさせて貰い4期目になり、ようやく会員施設のニーズに合わせた対応に努めれるようになってきました。このように出掛ける事が出来るのは施設での対応がしっかり出来ているからであって私が偉いからではないと思っています。

岐阜県は明治になるまでは(江戸時代)美濃国、飛騨国の二つの国でしたので、少し前までは飛騨地区に行くのは『異国の地』のような感覚でいました。国府も一の宮もそれぞれにあり、美濃は濃尾平野に代表される稲作の拓かれた地であり、飛騨は山に囲まれた地と言うイメージがあり、児童施設に勤務していた時に高山の施設に出張で行くとなると朝6時には家を出ました。(今、東京で10時までにいく時も家を6時に出れば楽々です。)しかしながら、今は東海北陸自動車道を走れば二時間余りで高山に着くわけだし、もっともっと飛騨支部の方々と近い関係でいたいと考えています。飛騨支部の会員施設の介護人材に対する厳しさを理解して組織として何をしていくべきかを今日と明日で方向性を見いだせればと考えています。今回が役員会への出席は2度目ですが今日はどんな新たな出会いが出来るかワクワクしてます。

なお、明日の施設訪問に合わせて全国老人福祉施設協議会の組織内候補の角田理事と夜には合流できるので、角田理事の素晴らしさを出来るだけ多くの方が理解してくれたら嬉しいです。角田氏は宇都宮市議会議員で特養の施設長と言う立場を投げ捨て選挙戦に挑むのだから、私自身も岐阜県でしっかり浸透するように頑張りたいと思います。

ひるがの高原のサービスエリアで遅い昼食をとり(お腹が空いていたので大盛りのビーフカレーを食べました。)工事中の為に自動車道を清見インターで降ろされ、しばらく走って行くと温度表示が『12度』です。2、3日前には30℃あったのだから、思わず絶句。入居者さん、職員共々体調に気をつけて貰いたいと思いました。勿論、リピーターの皆さんも留意してくださーい。15時前に宿泊するホテルに着きチェックインをして、荷物を部屋に置きました。さて、飛騨支部の役員さんと忌憚なく話し合いをしてくる為に気合いを入れて会場に向かいます。リピーターの皆さん明日のコラムで良い報告ができるようにエールをお願いします。

目が回る忙しさ。でも、愚痴は言いません。感謝です。

朝一で(6時)施設に行き、宿直の事務長と本日15時から開催される杉和会理事会の打ち合わせをして書類の整理をして決済をして8時40分になり、慌てて家に帰り、スーツに着替え10時30分から行われる岐阜県社会福祉協議会理事会に出発。開催予定時間の15分前に会場に着き、先般行われた岐阜県老施協の総会に来賓として来て頂いた県社協の常務理事さんにお礼の挨拶をすると共に席に座られている委員さんにご挨拶をして席につくと県社協の事務局長さんが「定刻5分前ですが、参加予定の委員さんが揃われましたので開催します。」との事で会議が始まり、会長さんの挨拶の後議題の説明を事務局の方がされる中、進行していったのですが、その中で『人材確保』について私は敢えて手を挙げ質問しました。人材については切実な問題であり、費用対効果の面からも黙っているわけにいかなかったのです。私は単に企画をこなしていたら大丈夫的な発想にはなれないから敢えて質問したのです。そして回答を担当部長がされたのですが、あまり次回につながるものではありませんでしたが、会長さんや常務理事さんが理解をしめして頂けたのは良かったと思いました。予定の12時に会議は終了し、お弁当が出たのですが13時30分から本部施設で監事監査があるので10分もかからず食べ終わり、皆さんにご挨拶をして一番に帰らせて頂きました。13時過ぎに施設に着き、会議前の打ち合わせをして、13時30分から監事監査、理事会、評議員の選定委員会議と全てが終了し、和合の決済をすませて、17時から選定委員会に来て貰った垂井町会議員の乾さんと情報交換をして、18時過ぎに帰宅して、速攻でお風呂に入りながらコラムを打ったのですが、汗がしたたり落ちお風呂での限界を感じお風呂からでると食事の準備が出来ていたしお腹もぺこぺこで、コラムより食事を優先させて、食事に集中。食事を食べ終わると睡魔が襲いコラムを書く事が出来ず真剣に瞬間的に寝て、再びコラムを書いて、ようやくコラムが完成したのは20時40分。でも、考えたら21時前だから、これから寝たら明日からの飛騨支部との交流を大丈夫にしなければ。しかしながら、この充実した日々に感謝です。なお、飛騨支部では明日16時から開催される役員会に参加して、その後の懇親会と続き高山で泊まり、翌日は朝から高山より北の神岡に行きそこから順次南下して下呂までの行程で施設訪問をします。勿論下呂の施設を訪問したあとは本部施設まで帰るので、どちらにしてもハードです。リピーターの皆さん、こんなハードな生活をしている私に拍手をお願いします。

川崎市で児童ら19人が刺され二人死亡したと新聞に大きな見出しです

令和1年5月29日

スクールバスを待っていた6歳から12歳の児童が次々と包丁で襲われ、保護者を含む19人が刺され、二人が死亡、三人が重症で刺した男は直後に自分の首を刺して死亡したとのおぞましい事件が昨日起きたと報道されてます。痛ましい事件ですが、考えられない事が最近多すぎると思っています。テレビの報道での情報ですが、犯人は長い間家で引き込もっていて、少年漫画がいっぱいあったとのことから私なりの考えを述べるなら、誰とも会話せず、漫画の情報のみの世界で生きてきたとしたら、殺伐とした気持ちを外に向けた結果として、起こるべきにして起きたと言っても過言ではないと思います。漫画の中の人物は平面な世界であり、刺されて死んだとしても、鉛筆一本で復活させる事ができるが、現実の世界で包丁を使い刺したら死を迎えたり重傷者を出したりするのは当然の結果だと思います。ひょっとしたら、自分で首を切り付けた時も、痛みもなく、血が出ても死ぬと思っていなくて、復活すると錯覚していたのではないかと思ってしまうような出来事でした。しかしながら現実は残酷です。外務省に勤務していて信頼も厚く、素敵な父親だった方が被害者になられているのですから。引きこもりの方が何十万人といる現実に早く立ち向かい対処する事を望むと共に二度とこのような事件がおきない事も望みます。

 

岐阜柳ヶ瀬にある山本山でお昼を頂きました

令和元年5月28日

本日10時から中部学院大学関校舎(昨日北島部長から「中部学院大学は中津川ではなくて関ですよ」と指摘を受け、「そんなこと知ってるよ」と言うと「コラムに中津川と書いてありますよ」と言われ「ごめん、訂正しておいて」との笑えない会話がありました。)で岐阜県地域福祉課主催の『外国人介護人材検討会』があり、遅れてはいけないと、昨夜は東京から夜遅く帰ったのですが、朝8時30分に家を出て、順調に着き来賓用の駐車場に車を入れると担当の職員が待っていてくださり、会場に入り健康福祉部次長、地域福祉課の課長、係長、主査の方に挨拶をしてから、各委員さんにご挨拶をすると検討会が始まり、EPAによりインドネシア介護福祉士候補生を10年前から導入している法人での立場と、岐阜県老人福祉協議会のかいいん状況から意見を述べさせて頂き、二時間の意見交換会が終了し、岐阜市内にあるトーカイの小野木社長との打ち合わせがあり、約束の時間までには時間があったので、久しぶりに柳ヶ瀬にある山本山の味噌煮込みうどんを食べる事にしました。正直10年ぶりです。10年前に食べたのはお酒を飲んでの〆で食べたのですが、その時は味噌煮込みうどんの前に漬け物(食べ放題でーす。)をつまみにビールを飲み、うどんは腹一杯の状況の中食べたものです。(お腹が出るわけだ・・・)そして本日は、シンプルに味噌煮込みうどんを頼むと「ご飯と漬け物は食べ放題です。」との事。10年前の記憶では、漬け物は白菜のみだったと思うのですが、白菜の他にきゅーりとたまねぎもあり、「ますます進化している。」と思いました。(最近も柳ヶ瀬で飲む事はありますが、締めのうどんはしてません。)1時過ぎにお店に入ったので比較的空いていた為か、店員さんが「漬け物のおかわりはいかがですか。ご飯は大丈夫ですか。」と親切に来て頂いたので、「お漬け物を頂けますか。」とおかわりをして、あまりに親切だし時間もあったのでアイスクリーム(味噌煮込みうどんを食べて大概熱くなったので)を追加して頂きました。トーカイの小野木社長との打ち合わせを終え施設に帰り全体会の準備をバタバタとしていると17時から約束してあった業者の方が来て、打ち合わせが終わると全体会の最初に講義をして頂く歯科医の先生がみえ、講義の後は事務長、烏野顧問、副施設長と話をしてもらい最後に私が理事長としてまとめの話をして、本日の全日程を終了。家に帰ってからコラムを打つには気力が持たないといけないと、職員と話もしながらコラムを打っていると、全体会を終えた職員から、「国道を出た我が家の前辺りで事故をしているので気を付けて」との連絡を何人かから貰い、「我が法人の職員は素晴らしい」と思うと疲れが吹っ飛んだような気分で一日がおえれてありがたいと思った次第です。リピーターの皆さんも我が法人の職員達を誉めてあげて下さい。

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朝一でエネルギーを使いました

令和元年5月27日

本日東京本部で開催される全国老施協理事会に引き続いて行われる(場所は参議院議員会館地下一階会議室)全国介護政治連盟の会議に対する提案書を作る事を昨夜和合での全体会から帰って、いつもより遅い21時過ぎのお風呂の中で思い付き、入浴後ベットに入り眠りについても、提案書の事が頭から離れずぐっすりと眠る事が出来ないまま4時30分に目が覚めカーテン越しに外を見ると白々としていて、改めて夜明けが早いことを実感して、「エイ、やー」とベットから飛び起きたのが5時30分で、今、施設に向かうと流石に宿直者に迷惑がかかると思い関ヶ原町の6時のチャイムがなるのを確認して家の外に出るとお日様が輝いていたので東の空に丁寧に手を合わせると共に深々と一礼をして車に乗り込み施設に着き、提案書作成の為にかつての資料を引っ張りだし、資料をまとめながら、私の思いを頭の中で整理しつつ進めていきました。提案書が完成して事務所の柱時計を見ると8時を回っていたので、慌てて家に帰り、バタバタと朝食を摂り、いつものようにシーパップを片付けると共に着替えをカバンに詰め、忘れ物はないかと考えていて、明日、東京を7時ののぞみに乗り、中部学院大学(関市)、に引き続いて行く事になっているトーカイ本社での資料をキャリアファイルに入れたまま忘れた事に気付き、施設に連絡をして時間がないから届けて貰おうと連絡したが、見つからないようでらちがあかないので、もう一度施設に行き結果的に一本後の新幹線に乗り今は新幹線の車中です。一本遅い列車になったので、列車の中で昼食を済ませて時間を稼ぐべく、おにぎりを頬張りながら携帯でコラムを打ってます。さてさて、私が早くから気合いを入れて作成した提案書で、全国介護政治連盟の方々は共感して頂けるのか若干不安もありますが、私の思いが通じるように熱弁を奮いたいと考えています。リピーターの皆さん、17時30分からの会議で思いが無事に伝わるように応援して下さい。

本日家族会主催の誕生会に引き続き家族会の総会が開催されました

令和1年5月26日

大正生まれの方は一人で後は昭和生まれの方でした。この意味では平成の時代になった時に『明治は遠くなりにけり。』が、令和の時代になり初めての誕生会では『大正は遠くになりにけり』だと感じた次第です。誕生日のお祝いは何歳になっても嬉しいもので、誕生日の方も家族も同席されていて、それぞれに嬉しそうなお顔を見る事が出来ました。私も家族会の吉田会長の後に挨拶をさせて貰い、私自身が5月に誕生日だとお話したら、それぞれにはハピバースデイの歌を歌う時に私もみんなで巖って貰いました。

誕生会に引き続き家族会の総会を行い、決算報告や役員改選を行い、明日実施されるカフェの案内、6月に行われる供養祭と介護者教室の案内及び8月3日に予定されている夏祭りの案内について話させて貰いながら、自分で話ながら「イベントの多い施設だな」とつくづく思いました。勿論こんなにも多くの事をこなせるのは地域の皆さん、家族の皆さんの理解と協力及び職員の頑張りがあっての事だと思うと、話をしながら目頭が熱くなってきました。これも22年目を迎えた積み重ねがあったればこそと思います。総会の議案が終わりティタイムをしたあと、外に出て貰いライラック10本を今年の記念樹として植えて貰いました。

本日は朝一で地域の『ごみゼロ』運動に参加させて貰い、このあと18時15分からは和合の全体会がありますので、家族会終了後と全体会の為に移動する間隙を縫ってコラムを書きました。明日はまたまた東京出張で全国老施協の理事会があり、その後全国介護政治連盟の役員会があり、東京で泊まらせて頂き、次の日は朝7時発の新幹線で岐阜羽島に行き、そのまま関市にある中部学院大学での岐阜県主催の外国人材の検討会に出席するスケジュールが待っていますが、全力で与えられた役割をしていきたいと考えていますので、ギターの弦がプツンと切れないようにリピーターの皆さんますますのご支援宜しくお願い致します。

 

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