一昨日は息子二人を連れ遅くまで酒を飲んでいて・・・

一昨日は息子二人を連れ遅くまで酒を飲んでいて、昨日はウォーキングが出来なかったのですが今日は頑張りました。アラームを掛けずに寝ましたが、不思議と5時半に目覚めて、予定通り5時40分からウォーキングすることが出来「自分を誉めてやりたい」気分です。本日は快晴で既に日が昇り神様の降臨のようで、思わず家を出た玄関先で合掌してしまいました。ただ、明日からは後15分早く起きないと日の出と共の気持ちよさあるいは感動をいただけないなと思いました。本日もいつものコースを歩いていて先日火が点いていたお地蔵さんの前に行き、今日も火が点いていたのには素晴らしさを感じました。昨日はウォーキング出来なかったので、いつもより多分1000歩は多く歩きました。ますます自分を誉めたい気持ちです。

五日坊主と言うのがあるらしい

昨夜は優・悠・邑 和合で夜7時から全体会があるのに合わせ、岐阜経済大学の佐藤先生が5時におみえになる事になっていたので、早めに和合の施設に行き、佐藤施設長さんに雑談の中でウォーキングを三日坊主で終わらず五日頑張れましたと話しをしたら、「五日坊主ですか」とさりげなく言われたので、「こんな言葉があるのか」と感心するやら、生来のへそ曲がりで「よし五日坊主」とだけは言われたくないと、昨夜は全体会の後に歯科医の先生による研修と高橋看護部長による看取りケアの研修もあり10時の夕食だったのですが五日坊主と言われたくないと佐藤施設長さんに背中を押して頂いた格好で朝5時15分に起きてウォーキングが出来ました。有言不実行が正に有言実行になっているので頑張っている自分を誉めながら軽やかに歩きました。今日は土曜日と言う事の為か全く人に会う事もなく、ますます軽やかに歩きました。軽やかに歩いていると自然に歌やお経が口から出て、ますます元気〓本日歩いていて、凄い事に気が付きました。それは、ここ何年かは少し歩いてもゼイゼイと息が弾んでいたのに、それがない〓思わず家に着いてもそのまま家に入るのが勿体無くて家の前の車庫から鎌を取りだし、大きく伸びていたすすきとイタドリを刈りました。6日坊主と今度言われないように明日も頑張ります。有言実行最高です。

ウォーキング5日目を実行!不思議にも5時15分に目が覚めて

万歩計を腰にして歩いて、ウォーキングしての歩数が4867歩で僅かに5千歩に届きませんでした。5時30分から歩けば、まだまだ時間的にも体力的にも大丈夫なので、もう少しコースを考えたいと思います。

三日坊主にはならなくて頑張れました

昨夜は一ヶ月遅れの私の誕生会を職員が企画してくれ、したたか飲んで午前様だったのですが不思議と5時過ぎに目が覚め、しかしながら体が重いので布団の中でもたもたしていたのですが、何とか布団から脱出しウォーキングをすることが出来ました。

いつもよりはコースを短くしてしまいましたが、三日坊主にはならなかったのは、かつての私とは違う頑張りが出来たので意義深いものであると今はお風呂に浸かりながら思っています。つまり、どういう事かと言うと豆腐のような根性がこんにゃく位の根性になったということ…。今にみていろ、自分の責任で作った法人の借り入れの返済が終了する30年後の91歳までガンガンの体でいられるように、こんにゃくの根性を鋼鉄のようにして30年後に健康食品のコマーシャルに出れるように…
二日酔いでも三日坊主に終わらなかったので本日はテンション高いです。

小雨決行は結構で血行良いです…?

5時20分のアラームで目を覚まし、布団の中での準備体操の後に着替えて家を出ると今にも雨が降りそうだったのですが、いつものえいやーで家を出発!本日めでたく三日坊主達成。雨が降ると嫌なので早歩きに早歩きで(*昨日ウォーキングをしなかったのは、朝一で東京出張だったのであって、決して挫折したわけではありません。)一昨日のコースを一目散!!途中で雨足がきつくなってきたので少しランニングもしたりして…。一昨日40分かかったところを33分でクリア。しかし、小さい頃の私なら頭が雨で濡れただけで高熱を出していたのに、本日は熱を出さずに汗を出してる。実に嬉しい限りだ。ウォーキング中に感動したことがありました。それは、歩いている途中にお地蔵様があるのですが、ロウソクの火が灯っていた事です。思わず手を合わせ、そこからはお経をあげながらのウォーキングとなりました。産まれて百日目に5分も心臓が止まっていた私は今を生かされていると幸せを感じながらの日々の中、本日も感動の朝を迎えれた事に感謝して今日も頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。

一日坊主にならずにすみました

最近眠りが浅いので、朝5時に起きる事が出来ないと文字通り一日坊主になってしまいますので、5時20分にアラームが鳴るように携帯にセットして、1時30分に目が覚め、3時と4時にも目が覚め、うっすら明るくなってきたなと夢心地の時にけたたましい音楽〓しばらく布団にしがみついていて…。一日坊主にはなりたくない!と頑張りました!今日は早歩きに心掛け、腕を大きく振り、誰かに会いそうになったらコース変更しようと決めて頑張りました。途中でどちらに行こうかと思っている時に不思議と犬の散歩の方など三人に会い「これも運命?」とコース変更して…。でも結果的にベストなコースと自画自賛。途中から山側を歩いている時には山崎ていじの新曲「昭和男唄」を大きな声で歌ったりして…。ちょうど40分歩き、体にじとっと汗がにじむ位に歩けました。今はぬるいお風呂に浸かりながらメールを打っているのですが、ウエスト94センチのズボンが履けるようになるのはいつの事やら…!でもガリガリで体重が40キロなくて直ぐに高熱を出し入院を余儀無くされていた頃の事を思うと「幸せ」。それどころか貫禄があって良いとわけのわからないことをおっしゃる方もあるのを無理矢理納得して…。明日は11時までに霞ヶ関ビルに行かなければいけないので8時過ぎの新幹線に岐阜羽島駅から乗らなければいけないのですが、さてさて、3日目のウォーキングができますでしょうか?リピーターの皆さんさてさてどちらに期待されているのでしょうか…??

有言不実行?自分が軟弱だと理解しました!!

お腹がこれ以上出れない位になり、ガンマ何とかが異常な数値で、月に一回血液検査をして頂き、主治医の先生からは酒を控えなさいと判で押したように言われながら、酒を控える事は出来ない…!私の活力源だから…!毎日歩いてガリガリになってみせると宣言してウォーキングシューズを買ってあるのにいつの間にか何処かに片付けて、何処にあるのかわからない…。遂に本日朝5時に起きて決行しようとウォーキングシューズを履こうとして大苦笑!その靴は新品で札がついたまま!!とにかくハサミで札を切って出発。最初は意気込んで声を出しながら歩数を数えていましたが、二千を数えていつの間にかわからなくなり…。とにかく歩こうと橋を渡り名神高速沿いに歩こうと名神高速沿いの道まで歩いてからしばし躊躇?どうしてかと言うと草が高く生えている。しかしながら、躊躇していても埒があかないのでえいやーで歩きだし草の丈が一段と高いところにまで来て、またまた躊躇!どう考えてもジュクジュクで歩ける状態でない。「こんな所は誰も歩かないわけだ」

と後悔しつつも、またまたえいやーで歩いてまたまた後悔…だって、新品の靴が真っ黒になりましたから…。でも、めげずに歩くと今更ながらの発見も有りました。名神高速には、いっぱいトンネルが有ることや人が入らないようにフェンスが工夫してある事。また、滅多に人が入らない所の蜘蛛の糸はとてもしっかりしたものだと言う事等。うーん…梅雨に入ってからのウォーキングは一日坊主に終わらないで百歳まで生きて自分の責任で作った借り入れは還すぞと豆腐のような柔らかい決意で今はいます…。でも、朝早くのウォーキングは良いものだと思います。さて、家まで頑張って歩いて自分でシューズを洗いましょうか。

週刊現代の人生のことばに素敵な文字が踊っていたので紹介してコメントします

(前略)「貧乏は夫婦の思い出話の宝庫」なのだから。戦中、戦後の食糧難時代、(中略)「貧乏だからこそ豊かなこころの時代」でもあった。今は、「豊かだからこそ、こころの貧しい時代」である。そう言えば、思い当たる事があります。平成9年の頃、施設計画の為のお金の工面をどうしたら良いかと子どもが寝たのを見計らって嫁さんと真剣に悩み苦しんでいたときの事を…。ただ、私の場合は施設運営でも、施設経営でも走りながら頑張っているのでこころ貧しいと言うのは当てはまりませんが、ぼそぼそと話をすることは皆無です。それどころか、デカイ声で堂々と話する機会が増えました。今日も大阪から民生委員の方が14人もバスでこられ、施設見学のあと12時までのお約束で話をして、質問を受けて回答していたら12時がはるかに回ってしまい、バスガイドさんが施設の外でうろうろうろうろ…!「こんな理事長は初めてで最高の研修になった」と異口同音でバスに乗られた。バスガイドさんには申し訳ありませんでしたが、時間延長しても満足して頂けた

と言う事は流石にボランティア精神が旺盛だからこそ民生委員の大役を受けられているんだて感じました。これからも長いお付き合いを宜しくお願い致します。

東京は凄い所ですね。

品川から山手線に乗るために階段を下りているときの出来事なのですが、「ドアが閉まります。後の列車にして下さい。」とのアナウンスがあった時に階段を脱兎の如く走り抜けた男性の方がドアが半分閉まりかかっているのをわかっているのに頭から突っ込む形でドアをすり抜け、見事にその列車に乗られたのです。私より後から来た方が乗り込まれたわけです。私はそれから5分後にきた列車にゆっくり乗ったわけですが、飛び乗られた方は慣れた形でそのようにされたわけだから、5分後に列車が来ることは百も承知で乗られたのですから、余程急いでみえたんだと思うと、東京の方々の生活はゆとりのない一杯いっぱいな生活何だなと、変に感動しました。もうひとつ感動したのは、昨夜東京八重洲駅近くで全国老人福祉施設協議会広報委員会の会合の後飲み会があり、夜の10時にやはり山手線で品川駅で降り連絡通路を歩いている時に井上委員長と共に「こんな時間にあふれんばかりの人がいる」と感動したわけです。関ヶ原では夜中に鹿の数では勝ちますが、人の多さも感動もんでした。

東京に引き続いての出張から帰って・・・

東京に引き続いての出張から帰って、久しぶりにかわした姉との会話がいけてると思い、姉の事を書くことにします。(姉がこのコーナーのリピーターだと言う事を意識しながら・・・)
姉:「東急品川駅での出来事を見たよ。」
私:「東京人はせかせか、あいそなくて、あれでは顧客満足は難しいで」
姉:「それより、東京で一人で羽田空港へ行けるて凄いな。随分大人になったな。」
※ :ちょっと待ってんか。私も還暦を迎えた結構大人何ですけど。

私が小さい頃、虚弱で学校をよく休んでいたために勉強が全く出来なかった事は何度も話してきましたが、そんな私に英語を教えてくれたり、夏休みの課題を手伝って・・・いやいや殆ど・・・・・研究・絵・感想文等々・・・。正直、小さい頃の私は姉が苦手でした。何たって母親代わりだった長姉のみっチャンが最高だったから・・・。次女の春ちゃんは怖い存在で・・・。でも、長姉が23歳で急逝してからは、お互いが支えあう関係になって、今では、姉から「会う人会う人、宏の事をお兄さん。」と言われると喜んでいる太平楽・・・。うーん、今回の原稿は姉にしか分からないような内容ですいません。本当は、長姉の急逝が、二人の性格や行くべき方向まで変えたと言う事です。詳しいことは後日談する事にします。

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