数学者の藤原正彦先生の企画が週刊現代にあったので書きます(少し前の記事ですが)
平成31年4月5日
私が藤原先生の事を知ったのは、盲養護の記念式典が東京であり、その式典のご案内を頂いたので参加させて頂いた中での記念講演でお話を聞いて素晴らしい方だと思ったのが最初です。一番印象に残ったのは難しい話をわかりやすく語り掛けるように話して頂いた事です。(ちなみにこの式典には秋篠宮殿下と紀子様もご出席され、秋篠宮殿下はご挨拶もされました。)さて、今回の紹介は記事の中で素晴らしい言葉が(私の見解でですが)一杯あったので紹介すると共にコメントします。①兄を病院に母親が連れて行くときに母親から留守番を命じられた時に『母親達が出掛けた途端、布団に入ってしまい、帰宅後に起きれば、留守番時間は実質ゼロになると。そうやって一人残された寂しさを見事に克服しました。』には、子どもの頃から数学者的な発想をされていたのだと思いました。②父親が就職難の時のエピソードで『当時は戦後の大変な就職難でしたが、父の伯父でお天気博士として親しまれていた藤原咲平が、中央気象台長をやっていたので、そのコネで父は気象台に就職できました。当時は日本の社会でコネは普通で、身元がしっかりしたコネは悪いことではなかった。』には、古き良き時代でお互いに支え合っていたのだと思います。今だとこれを「そんたく」と言うのでしょうか。③『小学生の時から数学は得意で、どんな問題も見た瞬間に解けた。三年生の頃、父が「1から10まで足すといくつか」と聞きました。小一時間ほど考えて、「1から9までの和は真ん中が5だから、5の9倍で45。だから答えは55」と言うと、すごく誉めてくれました。いい解き方をひらめいた時に誉めて貰えるのが嬉しくて、問題を出されると必死に頑張りました。』には、天才的思考力をお持ちでありながら、難解をわかりやすく解説する事を既に小学生の時から鍛練されていたのだと思いました。
まだまだ、一杯紹介したいのですが、本日は東京本部で午後から役員会がありその後もバタバタになりそうなので列車の中で昼食を頂かないと時間がないし、リピーターの皆さん中途半端なコラムでご免なさい。走りながらの毎日ですが、私に役割があれば120%で頑張るのが私のスタンスですので宜しくご理解頂き今後とも宜しくお願いします。




