本日から2日間福島です

10月1日から2ヶ月間のお約束で当法人の係長が施設スタッフのボランティアとして福島県の施設で頑張っているので、激励の為に今は新幹線に乗っています。それなりに、当施設でも頑張っている職員ですが慣れない土地で施設の代表として頑張っているわけで、出発前には良い勉強になるから頑張ってこいと言ったままで…。弱音もはかず頑張っている職員と久しぶりにお酒を酌み交わしながら話が出来るのを楽しみにしています。

1ヶ月以上全く彼の事を考えなかったわけではありませんが、本当にバタバタの1ヶ月でした。昨日、理事会、評議員会が無事に終わり、新規事業の職員確保の目処がたった報告ができ、ゆったりした気分で携帯に向かいながら原稿を打っている次第です。本日から2日間は福島県の震災後の状況を見ての報告もしっかり出来るようにしたいと考えています。

昨日まで3日間和歌山市で全国老人福祉施設大会があり、本日は・・・

昨日まで3日間和歌山市で全国老人福祉施設大会があり、本日は全社協の地域ネットワーク検討会の会議が10時からと言う事で今は新幹線の中で原稿を打ってます
7月31日に中村常任顧問・参議院議員が亡くなられて初めての全国大会だったのですが二千四百余の参加者で盛大に行われました。私は正直、甲高い声で自信たっぷりのオーバーアクションで話して頂いた中村常任顧問がみえないのは寂しい限りですが、和歌山県老人福祉施設協議会小林会長、全国老人福祉施設協議会松本副会長を初め地元スタッフの方の努力により成功出来たことは素晴らしかったと思います。私自身はプログラムが進むにつれ、当法人の進むべき方向性が明確になると共により引き締まった舵取りをしていかないと大変な事になるなと言う気持ちになった大会でした。そんな中で福岡県で九十年の歴史を誇る法人の理事長であり、昭和の最後の年にアメリカ研修にご一緒させて貰った同士でもある花田先生と親しく旧交を温める事が出来たのは大変嬉しかったです。原稿を打ちながら、昨日のシンポジウムの中で淑徳大学教授の結城先生が「施設ケアと在宅ケアは車の両輪」の言葉を胆に銘じて、或いは社会福祉法人の使命は地域貢献だと言う事をより理解して、本日の検討会に臨みたいと考えています。

蘊蓄ある言葉を新幹線の書籍「ウェッジ」の中で見つけたので紹介します。

新刊の紹介で「Q・次の2つから生きたい人生を選びなさい」の著者の中の言葉で「あら探しをする」のか「いいことを探す」のか。「先延ばしにする」のか。どちらが良いかが明確な2択形式で進む本文からは「分かっているだけでは不十分、その選択を行動することが大切」と言うメッセージが伝わってくる。日々の小さな選択が、人生に大きな違いを生むとすれは、ありきたりな日常はチャンスの宝庫かもしれない。と言うものです。人生の中での大きな分枝点も日常での生き方によると考えた時、何事にも精一杯の悔いのない選択をすべきだと言う事を再認識しました。

昨日、岐阜放送で当施設の紹介をして頂いたのですが・・・。

施設の外観、事業所内保育所、職員アパート、食事風景、トランスファーテクニック、研修風景、私のインタビュー等々と順調に画面が映り、ルンルン気分で『改めて見ると自分の顔がでかいな』等と思いながら最後の場面になって頭が真っ白になりました。それは、デイサービスの新人職員が手引き歩行をしていたからです。杉和会が全国発信しているトランスファーテクニックは一体何だったのか。虚しさと悔しさの中、長い一夜が経過し、朝一番にデイサービスの打ち合わせで何故手引き歩行がいけないのか、新人教育の必要性と、気が付いた職員が即指摘する体制の重要性を話しすると共に理事長名で「手引き歩行禁止」の緊急通告を出しました。勿論何故手引き歩行がいけないかの理由は幹部職員が説明するようにとの但し書きをつけてです。

言い続けてきたつもりで、幹部職員を信じて頑張らせてきたのに・・・。少し落ち着いて思考できるようになった今、やっぱり阿修羅の如く還暦の身を鞭打って頑張らなければいけないのでしょうか・・・。

25年度下半期がスタートです!

社会福祉法人杉和会にとって大切な位置付けになる半年だととらえています。何故ならば来年4月に大垣市和合に新規事業が開設される為の体制を待ったなしで構築しなければいけないからです。今でも完璧な組織になっていないのに幹部職員を中心にして二つに分けなければいけないことの不安は計り知れないものがあるからです。全体会等ではアメーバ方式で頑張るんだと力説してはいますが、果たして上手くいくのか?正直不安が大きく、朝早く目覚めてブログの紙面で不安解消の根拠を探るべく原稿を打っている次第です。①オムツゼロへの挑戦②トランスファーへの取り組み③認知症への取り組み④地域貢献への積極的な取り組み等「今日1日が楽しかったよ」を具体的に展開することの大切さを実践してきましたが、理事長である私の思いを職員一人ひとりがどこまで理解しているのか?私が危機感を持って声を張り上げた時には、それぞれの職員が素晴らしい働きをしてくれていることは理解していますが、果たして私の目が分散する状況になる来春迄に幹部職員を中心ににして独立した展開に持って行かなければと言う意味で大切だと言う事。今、当法人の職員に求め、この下半期で確立すべきは、継続性と記録の大切さを理解すること。それぞれに素晴らしい能力を持っているのでかならずや確立出来る。いや、成し得なければいけない。地域貢献を展開するためにも頑張って確立しなければならない!!あと半年で新規事業が開始される不安を勝手に書いてしまいましたがリピーターの皆さんごめんなさい。不安で不安で…。

本日、中村博彦元会長の惜別の会の為に今は新幹線の中です。

惜別の会を前にして、中村博彦元会長との事を語る事にします。
私が全国老施協の役員としてその当時の本部事務所があったTBRビルに行くようになったのは、平成18年8月8日に委員会が立ち上がったばかりの総務委員会幹事として行くようになってから。事務所があった二階に行きどの部屋に入って良いのかわからず、ウロウロしているとその当時の中村会長が大きな声で話をされながらこちらに向かって見える。私はおもわず金縛り状態!?そんな私に気が付かれた中村会長が優しく声をかけて下さりほっとしたのを今でも昨日の事のように覚えています。でも、優しかったのはその日だけ!!顔を真っ赤にして怒られた事は数知れず、アホじゃ馬鹿じゃとろくさいと言われるのは当たり前。何度か、「もう馬鹿馬鹿しいから役員辞めて帰ったろ」と事務所前でタクシーをひろい新幹線で横浜辺りになった頃、中村会長から私の携帯に電話が入り「今日は帰っても良いけど、これからも頼むぞ。」そんなこと言われるならぼろかすに言わなければ良いのにと私は思いながらも、律儀に本部に行き、またまたアホじゃ馬鹿じゃとろくさい。これは私に対する叱咤激励だと考え、自分が出来る事は精一杯やることにして、在宅委員会、研修委員会の幹事をさせて頂いたり、総括幹事として委員会を横断的にみさせて頂いたり。その中でも一番印象に残っているのは平成19年度の全国大会が出来ないかも知れないと言う話を幹部の皆さんでされている席に同席させて頂いた時に私が思わず「岐阜県でやります。」と口走った時に何度も何度も「本当に大丈夫か」と聞かれ「頑張ってやらせて頂きます。」うーん、今から考えてもよくそんな事を言ったなと思います。でも、中村会長のお困りの顔を見たらそう言わなければいけない。岐阜県の会長を初め皆さんにどんなに頭を下げてでも、やり遂げようと思ったものです。元気そうに見えた五月には私に「岐阜県の会長になれたのは偉いな」と声をかけて頂いたのが最後の思い出ですが、よーく考えてみると中村会長には最初と最後に優しく声をかけて貰ったわけで、起承転結が出来てモヤモヤの部分も有りますが、中村博彦元会長と言う大きな大きな大きな柱が無くなった
今は中村会長の教えを理解しながら、皆さんと力を合わせて全国老人福祉施設協議会を科学的介護の中核として私なりに支えて行きたいと思います。中村会長、これからも天国で見守りながら叱咤激励をよろしくお願いいたします。

『半沢直樹』から学ぶ

職員から「『半沢直樹』は今や国民的指示を得た番組ですから決してマニアックではありませんよ。」と言われたので、断わり無しに『半沢直樹』の9月15日の番組の中から学ぶべき言葉がありましたので書き示し、私なりのコメントをしたいと思います。その言葉とは、出向先の近藤さんが部下の課長に言った「社長の指示にイエスとしか言わなければ仕事は作業になってしまう。作業であればロボットでも出来る。」との下りです。ロボットには血が通っていません。つまり、血の通った仕事をする事の大切さを教えてくれているのだと思うし、『自分の主体』を持って仕事をする事の大切さも理解しました。但し、介護の仕事は必ず相手がある訳ですから相手の身になって行うものであることから、より高度な対応が求められる訳です。話題が飛んでしまって申し訳ありませんが、私が現役でいる間に『介護学』の確立が出来て、介護福祉士の専門性が認められ、社会的認知を高めていけたらと・・・。朝からでっかい夢を語ってしまいました。いやいや!『夢は実現するもの。』共感して頂ける同士の皆さんメッセージを下さい。

昨日は岐阜県による施設監査が実施されました。

誰もがそうなのか、それとも、私だけの事なのか是非にご意見を頂きたいのですが、監査が午前9時30分から実施されると言う事なのに、施設長室も事務所の私の机の上も整理されていない状態で、日頃しっかりしておけば良いものを、自分の事は後回しになる私のスタンスの為で。「これではまずい」と目が覚めたのは午前5時。もう寝とれないと着替えをして施設へ。
事務室の電気が点いていないのに窓が空いているので、網戸を開けると、椅子がごそごそ動き宿直だった事務部長が起きてくる。
「こらこら、徹夜をしたのか。」
いつもコツコツと仕事をしている事務部長も自分の仕事がとことんだったのか。
施設内に入り、すぐに片付けに入れば良いものを、ますは施設内の見回りにいく私は何者!?夜勤者に気付いた事を指摘して、事務室に戻ろうと新館の一階のパブリックスペースのところまでくると、音楽がなっているわけでもないのに音がする。気になり夜勤者に聞くと「よくしてますよ」。おいおい、原因究明しなあかんやろ!!機械室などを確認してもよくわからない。
そこでメンテをお願いしている業者に連絡すると、「音については知っていて何度か探ってみたが原因はわからないままです。」と言うので、「そんな責任感のないことではいかんだろう」と言うと、直ぐに向かいます。結局緊急用の階段の通風口の網戸にホコリがたまり風が吹くと音楽を奏でているように聞こえたと言う事で一件落着。
しかしながら気が付けば7時30分。いつになったら自分の事が出来るの?それから、遮二無二片付けた片付けた!!ようやくきれいになったと思った瞬間、事務部長が「岐阜県の方も岩田先生もおみえになりました」の声。私は今まで遮二無二に片付けていたことなどなかったかのように駐車場へお迎えに。会議室に案内して、ご挨拶をして、しばらく私の方から施設のあらましや、今実施している事をお話させてもらい、その後施設内を案内してハード面の思いを説明しました。いよいよ書類確認。午後4時過ぎに指導講評を受け無事終了。
監査の日に幹部3人が実習指導者養成研修でいなかったので無事に終了したことを3人それぞれに携帯で伝え、これからの記録の持ち方を話して、次への体制が出来た状況で本日はまたまた、広報委員会の為に東京へ出張。何と充実した毎日か。
昨夜は父の祥月命日のお参りの後、お仏壇でお経をあげながら親父と久し振りに向かい合えたし、今日も頑張ります。

二日連続でJRに岐阜西駅から乗って名古屋に出かけました。

二日間共に最後尾に乗った関係上、車掌さんの動きがよく分かりましたので、当法人の職員に戒めを込めて感じたことを書く事にします。昨日は車掌室に男性2人と女性1人が見えたのですが、その内の女性の車掌さんの動きが気になりました。それは、どの様に見ても立ったまま寝ているように見えたからです。その時思い出しました。私も学生時代に二日続けての徹夜をした時、始発のバスを待ちながら立ったまま寝ていた事を。だから、余程その車掌さんは疲れてみえたのか、はたまた、業務が退屈だったのか。私の場合は、学生の気楽さと言う事で済むと思うのですが、プロとしては…。それに比べると、今日の車掌さんの対応は素晴らしかった。とにかく、確認の声が大きくてきびきびしていて気持ち良かった。しかも、車内での声掛けは適度な声で!!ウーン、この差は何なんだろう!?これは、職員教育だけではいかんともし難い仕事への姿勢かな?我が法人の職員は今日の車掌さんのような職員でいて貰いたいものです。※昨日の車掌さんは居眠りではなく目をつむられていただけかもしれません。でも、何もなくて当たり前の業務であっても注意を怠らないでいてください。乗車する者は対価を払って安全だと信じて列車に乗っているのですから。当法人の職員は常に全力投球で優しく接していると思っているのですが、もし違う職員がいたら改めて下さい。

一昨日に引き続き今日も東京出張です。

一昨日は全国の役員会で本日は月刊老施協の編集会議の為に東京へ出張です。大垣の和合の建設も順調で職員確保と体制作りの為に時間がない中での岐阜県の会長としての打ち合わせ等々…。時間は作るものと言う事で今をときめく半沢直樹が夜中に仕事をして大逆転したのであれば(マニアックな話題ですみません)私は朝早くの仕事をとばかりに宿直者の部長との打ち合わせと明日の理事会の準備をして岐阜羽島まで送って貰う間も24年度の収支報告が出来ていない施設に電話して。今は新幹線の中でブログの原稿を打っています。若い頃病弱だった私は病気になったら駄目だと言う事で活動的でなかった生活だった事を考えると、なんと充実した毎日か。これもひとえに健康であればこそ。健康に感謝してこれからも頑張りますので、リスナーの皆さんご意見や励ましの或いはお叱りの返事を待ってます〓

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