3月2日付けの週刊現代の情報から
平成31年2月24日
『無私の人である。自分のために稼ぎたいと思ったことがない。趣味はないと断言もする。「何が楽しいのか」と聞くと、「人の笑顔」と即答する。この稀有な成功者はいったい何者か』との書き出しに目が止まり、誰の事かと表題を見ると、『男の人生には物語がある。「CoCo壱番屋」創業者 宗次徳次』と書いてあり読んで行くうちに多くの共感点と多くの参考点があったので、私の視点で書くことにします。
いきなり「私は1948年石川県生まれらしいんです。戸籍上ではそうなっています。しかし、物心がついたのは、兵庫県尼崎の孤児院。今も実の両親は知りません。」から始まり3歳の時に里親に貰われた家の養父がギャンブル依存症で養母は夫の暴力と借金に愛想を尽かして出ていき養父との二人暮らしは電気も止められローソクでの絶貧暮らし。そんな暮らしの中での述懐の中で「父は父なりに私への愛情があったのだと思います。怒ることはあっても、出ていけとは一度も言いませんでしたから。だから父への恨みは一切ありません。自分が不幸だとも思いませんでした。(中略)ただ、父が喜ぶ顔を見るのが、とても幸せな時間でした。」と語りには正直「そんな阿保な」と思いましたが、その記事の中でのコメントに『奇特な人である。幼い頃、貧しい暮らしを送った人の多くは、豪奢で楽な暮らしを夢見るが、宗次氏はそんな事は考えもしなかった。3足8980円の靴を愛用していると笑う。』私にはこのような生き方なとても真似出来ないが、この謙虚な生き方には共感して少しでも真似が出来る事はしていきたいと思いました。「父子二人の暮らしは、中学3年生の卒業間際、養父に胃がんが発覚し、闘病3か月で急死。その後、母子二人の生活が始まり「ようやく、電気と食事のある生活が始まりました。母は会社の賄い婦をしていたので、私のために余ったご飯とおかずを持って帰ってきてくれました。高校に入ると同時に食が満たされるようになり、本当にありがたかったです。(私たちにとって当たり前の事を『ありがたい』と思える生き方に感動を覚えました。)高校を卒業され不動産屋に就職されて、同年代の2~3倍の稼ぎだったにもかかわらず奥さんが始められて喫茶店オープンの当日、喜ぶお客さまの笑顔を見て、飲食店経営に心を奪われ、その日の夕方には不動産業を廃業して喫茶店を手伝う事に決められた。との件には舌を巻くしかコメントのしようがありません。『場末の喫茶店の店主だった私が、最初に作った標語が「お客さま/笑顔で迎えて/心で拍手」と言うのも実感のこもったものだと思いました。カレー店を作るために東京の有名カレー屋を食べ歩いて、結論は妻の作るカレーが一番おいしい。「ここのカレーが一番や」。で「CoC o壱番屋」が誕生。めちゃ凄いのは「25歳から53歳で引退するまで、まじめにコツコツやっていたら、知らない間に大きくなっていたというのが実感です。毎期の目標を必達で行くために、まずは誰より自分が一生懸命になろう、と思ってやってきました。失敗する経営者は、途中でよそ見をしたり、油断したりしたのではないかとしか考えられない。」のコメントを見て、当たり前がいかに難しいかをお知る思いです。そして、「趣味はない、と断言する。むしろ、41歳のときにゴルフを少しやった事を後悔している。とまで言う。趣味で自分が楽しんだとして、それを誰が喜んでくれるのか。宗次氏の心にあるのは『人の喜ぶ顔が見たい』それだけなのだ。」と解説しているがそんな生き方が出来るのは『稀有な生き方』としか表現出来ない。最後のまとめに「稼いだおカネはすべて寄付」の文字が並んでいて事実、貧困問題の解決に奔走する市民団体、学費に困る子供への奨学金などに寄付をする活動をされている。正に有言実行。私は寄付と言う形ではなく、地域福祉で貢献し続けて宗次氏のようにスケールの大きなことは出来ませんが、私なりに頑張っていきますので、リピーターの皆さんも社会福祉法人杉和会の活動を見守っていて下さい。















