三寒四温とは言いますが

平成31年4月2日

3月の中旬はポカポカ陽気が続き、「今年は暖かくて雪の少ない年でありがたい。でも、夏に渇水期の水不足が心配だ。」等と言っていたのが嘘のようにここ3日間はめっちゃ寒いし陽が照ってきたかと思うと雲に覆われ雨が降ってくる。今日も昼過ぎに出かけようとした時は晴れていたのに、帰りの際には関ケ原に入ると雨になり、今須に入ると、な、な、なんと雨がみぞれに変わり5度あった温度も1.5度・・・。絶句です。言う事なしです。住めば都とは言え・・・。でも、冬が過ぎ、春が来て、そして夏が来る。夏になれば都会の暑さは絶対に無いのです。暖かくなってくれば今須は最高ですよ。苦あれば楽ありです。負け惜しみではなく本当にそのように思っています。

しかしながら、三寒四温とは上手く言ったものです。但し、ご高齢の入居者にとって寒暖の差が激しいのは体にこたえます。衣服の調整や布団への配慮は勿論の事、昨日とは違う何かを理解した対応をする為には「習うより慣れよ」での観察力・洞察力が必要になってきます。その意味からいくと、退職者が少なく職員の平均勤務年数も高くなってきた今、より一層のスキルアップは「今日一日楽しかったよ」を実践する土壌が出来てきたように思っています。

昨日の入職式・辞令交付式の準備でも、私が施設に来てから、「掲示物(横断幕)を作るように」と言うと職員が涼しい顔をして「既に作って掲示してありますよ」と言われ、私は言う事なし。これまた絶句。本当に当施設の職員も頼りがいのある存在になったものだと。感謝、感謝です。21年前の立ち上げた頃には挨拶すら出来ず、利用人数が少ないと喜び、多いとブーイングが乱れ飛んでいた頃の事を思うと雲泥の差。しかしながら、そんな状況を変えるべく対応が出来たからこそ今があるとすると考え深いものがあります。厳しかった状況についてはリピーターになって頂いている方にも何れ語りたいと思いますが、10000字でも無理かなー。だとすると一冊の本にまとめますか。

 

無事に入職式と辞令交付式が行われました

2019年4月1日

定刻である10時から行われた入職式と辞令交付式が行われ、先ずは新規採用者6人一人ひとりに辞令書を手渡し、次に人事交流の職員にも手渡し、その後理事長である私の話をさせて頂きました。職員を確保することの難しい背景があるなかで当法人にきてくれた一人ひとりに対して思いを語りました。そして、本部職員になる者、和合の職員になるものの、それぞれに代表者が挨拶。本部の代表者は専門学校を出たばかりの職員が「がんばるぞ」の気持ちを全面に出した挨拶をして、和合の職員は社会人をながく経験し、改めて介護福祉士の専門学校を卒業した職員の挨拶で、それぞれに特色ある話をしてくれ満足していると、次には先輩の言葉を昨年、高卒で入職した職員の話しと続き、昨日下書き原稿は読ませて頂き『良くまとまっているし、法人側が狙っている事を言い当てた内容だった』とは思っていたのですが、しっかり話せるかと私自身がどきどきしながら聞いていたのですが、『案ずるより生むが易し』でしっかりと尚且つ聞きやすいスピーチでした。私は正直自分が話をするとき以上に緊張しながら「頑張れ、がんばれ。」「後少しだ」等と思いながら聞いていました。副施設長の閉会の言葉の後は記念写真で、全体写真に続いて、それぞれの施設に分かれて撮りました。写真撮影を終え、全員で地区の氏神様である天満神社にお参りして、心新たな気持ちでそれぞれの持ち場へと別れ、早速仕事をして貰いました。職員は如何に採用して如何に育てていくか、本日朝に降った行きで南に見える山は真っ白でした。さてさて、白色を如何なる色に染めて立派な介護職員にしていくか、リピーターの皆さんも見守っていて下さい。

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2年目を迎える職員が遅出の為に10時に出勤してきて

明日行われる入職式で、先輩職員としての歓迎の挨拶をするように昨日頼んだ職員が遅出のタイミングで出勤してきたので「明日の原稿は書いたか」と話しすると、自分の持ち物からおずおずと出したので、私は『早速、頑張って書いてきたんだ。』と感心しながら『指名されて頑張ったんだ。』とも思い、原稿を読むとますます頑張って書いてきたことが分かる文章でしたので、「明日までに原稿を見ずに言えるようにするの」と聞くと間髪入れずに「無理です。原稿を見ながらで良いですか。」と言うので、「勿論、原稿を見ながらで大丈夫だから、落ち着いて役割果たしてね」と言うとニコニコしながら、現場に入る前のラジオ体操の会場に向かう背中に「明日はドレスアップしてくるの」と声を掛けると、こちらに振り向きながら困った顔をしたので『いかん、いかん。冗談が通じない状況なんだ』と反省しきりでの中、きっと彼女は明日の先輩の言葉をしっかり言ってくれると確信しました。ちょうど1年前に彼女は高卒の新人として入職式に挑んだのですが、その時の姿を浮かべると、この1年で成長したなと。入居者さんの対応に戸惑い悩み苦しんだ事もありましたが見事にその苦境を乗り越え逞しくなったなと。新卒者の定着率が低い昨今ですが、我が法人の職員は離職することなく頑張っているし、本当に日々成長している。本当に有り難いことです。明日は入職式と共に辞令交付式も行います。優・悠・邑 和合が5年が経過して初めての人事交流も実施するのですが、人事は理事長にとって最大の苦悩なのですが、法人全体の底上げをするための必然との思いで断行しました。一人ひとりの職員がその思いを受け止めてスキルアップしてくれると信じています。リピーターの皆さん、ますますの声援と支援を宜しくお願い致します。

本日、本部施設で杉和会の評議員会が開催されました

平成31年3月30日

 議題としては①2018年度の経過報告②2018年度の補正予算③2019年度の事業計画④2019年度の予算計画とあり、議長に谷口さん、議事録署名人に子林さんと淡川さんを指名して行いました。①の経過報告は約8ヶ月分だったので本部施設の説明をしながら自分でも随分多種多様な事をしているなと思いながら説明をしてました。②の補正予算については、介護職員に対する処遇改善加算での他の職種とのバランスを良くするために職員給与が増えた事による見直しが主で、施設経営が厳しさを増してきたことの説明に終始しました。但し、本部施設も和合の施設も入居とショートの合算での稼働率は98パーセントをクリアしている事により、収支のバランスは保たれている事を評議員の皆さんに理解して頂きました。③の事業計画で今まで以上に施設に地域に笑顔が醸し出すものにして、ますますの信頼を得られるものにする内容の提案をして、尚且つ、岐阜県での貢献を法人として展開する為、盲養護老人ホームの建設に向けた展開をしていく事も承認を頂けました。④予算については、人件費に対して手厚いものにすると共に盲養護老人ホームの準備金として1千万円を、新車購入に450万円を主にした計画についても承認して頂き⑤法人の充実残額については地域貢献の一貫で増床したり、新規施設の建設をしたので、充実残額と呼べる預金は精査した結果ないとの報告をすると共に、「このスタンスで法人経営をしていく」と言う事を理事長として宣言して全ての評議員から賛同を得て無事に評議員会は終了しました。けっこう日々ハードな日程をこなしながらも無事に評議員会を終える事が出来たのは21年の年輪によりスタッフが育ってきた証し。感謝すると共に今後ますますの展開をいつもこのコラムを拝読していただいているリピーターの方々にも理解して頂きますますの声援を宜しくお願い致します。

 

新規採用者の3日間の研修が終了しました

平成31年3月29日

1日目の最初に理事長として講義をさせて貰った時には、参加者の表情も固かったように思いましたが本日最後の研修である「トランスファー」の研修が終わり、最後の締めの話をさせて貰った時にはホッとしたこともあったとは思いますがそれぞれが明るい表情をしていたのには主催者の責任者としても安心しました。4月1日には本部施設である優・悠・邑に於いて入職式及び辞令交付式を実施するのですが研修初日のコラムでも紹介しましたが、そろぞれに特色のある経過で当法人を選んでくれた一人ひとりが、本日風が吹いている時にすいすい泳いでいた鯉のぼりのように気持ち良く仕事をして、立派な介護職員になって貰いたいと思っています。介護職員の3年目までの離職率が高いと言われている状況があるなか、当法人では3年未満で退職する職員は余程の理由がない限りないのは、とてもありがたいです。決してあまあまの指導をしているわけでもなく、是は是、非は非での対応をしながら、入居者さんの「今日一日楽しかったよ」と言って頂く事を一生懸命に考え実践し、移動移乗にトランスファーテクニックを徹底することによって腰痛を理由に対応が厳しいと言うことなく、介護が楽しいと言える職種にまで高めていきたいとも考えています。入居者さんの笑顔をエネルギーに変えれるのが最高ですがまだ、その域ではないので、今以上にスキルアップ出来る支援をしていきたいと考えています。リピーターのみなさんこれからの杉和会の展開を見守っていてください。

しだれ桜につぼみが付いてます

優・悠・邑家族会が発足されたのが、2008年でその時から毎年、植樹を記念として実施してきたのですが、一番最初に植樹したしだれ桜の木も年々大きくなり、今年は立派な花を咲かせてくれそうで、一杯のつぼみを持っています。最初に植えた時には「そんなに間隔を開けていいのか」と言っていたのですが、今では「こんなに狭い間隔で植えたのは誰じゃ」と言われそうな感じになっています。5年先、10年先を見越しての展開をしなくてはいけないといつも言っている私としては、恥ずかしい限りです。10年ひと昔とは良く言いますが全くその通りだと思いました。家族会も最初は手探り状態で何から手を付けてよいのかも分からなかったのが、月一の誕生会は立派に開催出来ていますし、5月の総会にもおおぜいの家族の方が来ていただけるようになったし、6月の供養祭への参加、8月の夏祭りへの企画協力、9月の千願経への参加、12月のクリスマス会と盛りだくさんの協力をして頂いてます。現在の家族会の会長さんは「関ケ原に老人施設を設立する会」の代表世話人でもありましたので23年にもわたるお世話をして頂いているのですが、会長さんの勢いが凄いので、もしかしたらしだれ桜も「頑張って咲かなければ」と思っているのかもと思うのは私だけでしょうか。

来年度新規採用者の研修を本日から3日間実施します

平成31年3月27日

新規採用者は4人で再採用が1人です。新規採用者の内訳は中卒1人、高卒1人、専門学校卒1人、社会人を結構してきて、専門学校で資格を取得して来たのが1人。全く違う経歴の者ばかり。中卒の雇用は2年連続で、現在厚労省老健局の大島局長からも興味深く見て貰ってますが、本当に頑張っているので今年も採用しました。再雇用の方は和合で1年職員を経験して、専門学校で介護福祉士を取得し訪問介護を2年経験し和合の施設が近くて生涯頑張りたいと復帰したいとの思いが強く、現在働いているところに了解を取り付け再雇用に踏み切りました。本来であれば、和合の新設時にしっかりと研修を受けているので、受講は必要なしと判断していたのですが、理事長の講義だけは受講したいとの事で本来仕事だったにもかかわらぜ、私の講義を聞く許可を貰っての飛び入り参加をしてくれました。最初の講義は理事長である私のお話でした。講義の最初はまず、「人間の記憶は忘れたものもきっかけがあれば思い出す事が出来る。そのきっかけを作るにはしっかりメモを取ること。」と話しして、次には、私の母親秋江さんの遺言である「蒔かぬ種は生えない」と言うことと、学ぶ姿勢の大切さについて語りました。また、素晴らしいケアは思いを持って実践することであり、それを形にしていくには情報をしっかり手に入れなければいけないとも話ししました。また、ケアにとって最も大切な事は相手の身になって行う事こそ肝要であるとも語り、虚弱だった子供の頃、溺愛してくれた母秋江と黙って見守ってくれた父進がいてくれたからこそ今があるとも語りました。そして、ご縁を大切にする生き方が人生を豊かにするとも語りました。まだまだいっぱい話をしたかったのですが、職員になってからぼちぼち語る事も大切だと考えて、二時間の講義を終えて、慌てて昼食を頂き、大垣に移動して11の施設に挨拶に行き本日の日程は終了しました。昨日もバタバタで、本日の講義資料も出来ていなかったので、朝6時に施設に行き二時間かけてレジメ等の資料を作成出来たので何とか聞きやすい講義内容になったと自分では思っているのですが、ぎりぎりの綱渡りは65歳の身には少しきついですかこんな不器用な生き方しか出来ない私ですが今後とも宜しくお付き合いお願いします。

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懐かしい言葉を聞きました

平成31年3月26日

NHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」は、インスタントラーメンからカップヌードルまでを世にひろめた物語なのですが、今、放映されている時代背景は1970年に開催された大阪万博の頃です。主役である万平・福子の夫婦に生まれた次女が大学生で世の中を謳歌していて伸び伸びと生きている姿を表している中で、「ウーマンリブ」とか「ナンセンス」と言う言葉が飛び出してきたときには、私も1970年代に大学生活を楽しんでいた者として、声高に「ウーマンリブ」を訴える女子に対してとろくさい男が増えたし、その現象を苦々しく思っていました。また、日常会話のように「ナンセンス」と言う言葉を口にして誰よりも自分の考えが正しい等と思っていた学生時代を思い出しながら、一日に何回となく「ナンセンス」と言っていたのに、今は誰も使わない、殆ど死語に等しい言葉になってしまったのは何故だろうと考えていて、そう言えばその頃は「ノンポリ」等と言う言葉もよく使われていたな等と考えていて、私はしみじみ考えました。いわゆる「ノンポリ」と言う学生が殆どであった時代に私はどうして、いろんな現象を熱く語ってきたのかを・・・。それは私の周りには不思議と熱く語る友達が多かったと。でも類は友を呼ぶで私も熱く語る生意気な学生だったのかと。「まんぷく」に出てくる次女はパンタロンにへっぷを履いていますが、私もあんなだったな。当たり前にロン毛で・・・。ガリガリで・・・。絶対に今の私からは想像出来ないけど、熱く語るのだけは今も変わっていない。いやいや、熱く語る私でなければ宏君でなくなる。だからこれからも熱く語り続けますのでリピーターのみなさん、これからも熱く語るコラムを宜しくお願いします。ほんとにつくづくしんどい生き方ですが、まぁ良いか・・・。

 

 

久しぶりに在来線に乗りました。

平成31年3月25日

岐阜までは大抵車で行くのですが、本日は岐阜県老人福祉施設協議会の役員会、総会、講演会に引き続き、全国老施協の役員として今さんと太田さんがみえるので、岐阜県役員との意見交換会があり、お酒も頂くので、当初は荷物も沢山あるので、職員に送って貰おうと考えていたのですが、本日は地元の小学校の卒業式への招待があったり、施設で月一回のカフェがあったり、ショートのお迎えが何件かあり、岐阜に11時までの対応は無理との事で在来線での移動となった訳です。しかしながら、久しぶりに関ヶ原駅に行くと、『関ヶ原観光交流館』(多分このような名称だったと思います。)では、関ヶ原合戦の歌が流されていて、「関ヶ原駅の雰囲気が変わった。」と思っていたら、関ヶ原駅の玄関先に桜の木があり花が咲いているのです。本部施設がある今須では梅の花が真っ盛りなのに・・・。関ヶ原駅に、列車がくる20分前について、少しぶらぶらしようと考えた瞬間に電話がなり、その後は後から後から電話がかかり、20分はあっと言う間に過ぎてしまいました。今日の講演を聞いて 60歳代はまだまだ元気だし 色々活躍しなければいけないし、生涯現役で100歳まで現役だと言われて勇気がでました。岐阜城の麓の料亭で全国の役員との交流会を持ちしたたか飲みました。したたか飲んで歌を歌ってます、夜汽車、北の漁場、北空港などなどめっちゃ歌ってます。今600字しか打てていませんがたまにはご容赦ください。リピーターのみなさん明日はしっかり書きますので。希林さん御待たせしました。

バテてます

平成31年 3月24日

昨日は朝7時40分の品川発に乗って羽島から車を走らせ10時に関ヶ原ふれあいセンターで4月28日に行われるてるてる座600回公演記念興行の打ち合わせに若干遅れそうだったので、てるてる座の大番頭のおぐらっちに連絡をとり、10時5分に着き、楽屋、舞台、ホール、機材を見せて貰い、てるてる座さん、フラダンス、三味線、砂田さんの控え室もばっちり手配が出来、音響や照明については知識豊富な吉田部長とおぐらっちに任せ、かつてのデイサービス利用者さんの葬儀に出て、焼香を済ませ、垂井に野田聖子衆議院議員(現在衆議院の予算委員長)がみえるとの事で、そちらにも顔を出させて頂いて、施設に帰りバタバタで昼食を頂いていると(慌てて食べるから一杯食べてしまう悪循環で、ますますお腹が噴火寸前)14時からホームページのアクセス状況の報告に来ることになっている、ホームページ制作をしていただいたドアの戸松社長がみえて、「いつ、休憩するのだ」でも、忙しく動けるのは喜ばしい事と・・・。本日は10時から関ヶ原診療所の事務長さんがみえるので、日曜日の楽しみである『ゲゲゲの鬼太郎』を見て、慌てて施設に行き、しっかりと意見交換して、お昼を頂いたら18時15分からの和合での全体会までゆっくりしようと一瞬思ったのですが、「明日の資料の準備が出来ていない」と言う事で、職員の協力を得て150セットが出来ました。出来た時には流石に疲れが体に出てきて思考力ゼロの状態になったので15時30分に家に帰り17時まで休んでから和合の全体会に行こうとして、途中で田中屋煎餅で注文しておいた優・悠・邑の焼き印入りの煎餅を貰いに行こうと思っていて、何となく嫌な予感がしたので電話すると「本日の閉店は17時です。」とさらりと言われたので、横になれるのは16時15分までだと考えアラームをセットして30分しっかり寝たら、頭もすっきり。但し、関ヶ原の交差点の信号のシステムが変わりスムーズに走れず、どう考えても17時に田中屋煎餅店に着かないと思い、連絡するとお得意さん特典で閉店時間が過ぎても大丈夫との事で、焼き印入り煎餅をゲットして、車に商品を積み、車でお店の前を通るとしっかりシャッターは閉まっていました。思わず絶句・・・。いやいや、私を待って頂いた事に感謝すべきか。和合での全体会も無事終わり、車の燃料での走行が後90キロと言う事でセルフのお店で燃料を入れて(セルフでの対応が出来て偉いでしょ)今はお風呂でコラムを打っているのですが何とか22時前に仕上がりました。リピーターの皆さん、大変遅くなりましたが見て頂いてありがとう。キリンの首になったリピーターさんに感謝。

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