中学一年の時の大ピンチについてお話します
令和2年3月8日
突然全く前後の脈絡無しに中学一年の時の大ピンチだったお話をするのは毎日のように新型コロナウイルスの話をしていてもあまり前向きな話が出来ないし実際に私の頭の中はコロナウイルスの影響を受けない事しかないのでコラムの題材が全く浮かばない中で、ふっと「私自身のピンチは何だったかな」と思考回路を変えた時に、第一のピンチは生まれて半年目に心臓が5分程度止まってから虚弱児の毎日だった事だけれども、この事は多分両親にとっては大変だっただろうとは想像出来るのですが、私の中では、ただただ甘えてただけでビンチだった思いはないのです。勿論両親に対する感謝の念はありますが。さて、私自身に自我が芽生えてからの大ピンチはと言うと小学時代の私はそれほど勉強をしないで、飛び抜けて悪くも良くもなかったと思うのですが、中学に入学して5月のゴールデンウィークが終わり学校の学習にもギアが入る頃に腸捻転で手術の為に長期入院をして久しぶりに学校に行き英語の授業を受けた時に頭が真っ白になった事です。どうしてかと言うと英語の先生が言われる話に全くついていけなくて・・・。他の教科も遅れたものを取り返す為に父進の計らいで(多分母秋江さんの意向)英語は春子さんに数学は光子さんに教えて貰う事になったのですが春子さんの教え方は「何でこんなことがすぐに理解できんの」的な教え方で、私は否応なく涙が溢れてますます春子さんに怒られたのを今でも悪夢のように思い出されます。(こう言う事を書くと後日春子さんから怒られるだろうな。でも今は怒られても泣かんだろうな)そう言う意味では数学を教えてくれた光子さんは優しかったし頭にすすっと入ったな。(これは完全に春子さんが怒り心頭だぞ)この時期の出来事によって英語は全く嫌いになったし、全く努力もしない人生に(そんな大袈裟な言い方をしなくても・・・。)数学はその後挽回して好きな教科になりました。ここでお断りをしておきますが英語が嫌いになったのは決して春子さんの責任ではありませんから。その当時の英語の先生が勉強が出来る子中心の教え方だったし、私が努力をしなかったのがいけないのであり、決してけっしてケッシテ春子さんが悪くはありませんので。(この書き振りは無駄なあがきかな)今の私ならばピンチをチャンスにする術をそれなりに持っていると自負していますが残念ながらその当時には出来なかったから今の私があるのか。でも、英語が出来なくても35歳の時にアメリカ研修に参加させて貰った時もさほど不便を感じなかったし、今は英語が必要な時には英語が得意な職員に頼れば良いし。私は私がやらなければいけない事をしっかりすれば大丈夫だと考えて頑張っています。しかし、中学時代には英語の先生に指名されないようにおどおどしていたのを50年以上前の事なのにしっかり覚えています。今、社会福祉法人杉和会は150人のスタッフと色々な関わりの方々を含めると多種多様なメンバーがいて、私自身本当に恵まれた環境にいる事に感謝して、ますます地域の為に福祉の為に頑張っていきますのでリピーターの皆さんこれからも応援宜しくお願い致します。










