祇園祭りの『ちまき』のニュースに思う事

祇園祭りで『ちまき』に似せたもの(本物のちまきなら一年間飾ることは不可能だと思うので、敢えて『らしきもの』と言わせて貰いました。)を縁起物として買う慣習をテレビのニュースで報道していました。そのニュースの中で、購入するのに数の制限はなく、16時まで販売している。との報道の後600円から1000円で売られているものをインターネットで3000円前後での販売提示がされているのに対して物議を醸しているとの事でした。インターネットオークションで買う人があるからの行為なのですが、その事に対して私なりの考えを述べます。確かにインターネットオークションで買った人も、祇園祭りで必死な思いで買った人も玄関先に飾ると言う行為は表面的には同じでも、わざわざ京都の祇園祭りに行って購入した人の思いなり祈りの気持ちには計り知れない違いがあると思います。その事と対比するのは全く違うのですが、四国八十八ヶ所で歩き団参をしている時に八十八ヶ所のお軸の判を頂くのを車で何十本と持ち込んでいる方をみかけます。恐らくそのお軸は販売目的だと思うのですが、一歩一歩歩いて判を頂かれた方の思いとは雲泥の差があると思います。確かに歩く事が難しい方が、バスやタクシーを使われてでもお参りされることを否定するものではありません。但し、自分の足で歩き一番一番札所を訪れ朱印を押して頂いたのは一番一番の思い入れがあり、床の間に同じように飾ってあっても意味合いが全く違うと思うのです。私は八十八番の中でも十一番の藤井寺から十二番の焼山寺の山越えが一番好きです。歩いているときはもう一山向こうまで歩かなあかん。めちゃめちゃしんどいな等と考えていても、焼山寺の山門が見えてくると足が軽やかになり元気になるのは何回歩いても同じ。こんな時自分の力だけで歩いたのと違うなと言う感慨深いものは歩いた者にしか味わえない感覚。「もう歩けない」と思いながら歩いていると自分のいたならなかった事が頭にもたげ、『これぞ懺悔』と思う瞬間。でも、日常生活では味わえない事だからこそ価値のあること。ちまき一つの題材でいろいろな事を書きましたが、結局のところ単なる仕事としてする事と思いを持ってするのでは全く違うと言う事が言いたかったのです。リピーターの皆さんこれからも誠心誠意の頑張りでやるべき事をしていきますので多大なるご支援を宜しくお願いいたします。

夏祭り2

令和元年7月15日

本日、本部施設で17時15分から経営戦略会議が行われるのに合わせて8月3日に行われる夏祭りの最終打ち合わせをすると決めて、実行委員長の伊藤係長をオブザーバーで夜勤明けにも関わらず出席させました。最初は各幹部からの提案をして貰い、不十分な点について、びわこ学院大学の烏野教授、副施設長と私が指摘をしながら会を進めていきました。各幹部がそれぞれの立場で資料を作成し、確かに積み重ねてきて今があると思っています。平成10年に事業開始した時は、施設見学に来た方々にすら挨拶が出来ず「どうして、挨拶をしないの」と聞くと『当然でしょ』とばかりに「忙しい」の連呼だったし、背丈にまで伸びた川辺の草を刈るのも私の仕事。冬場の除雪も私の仕事で(あの頃はめっちゃ降りました)職員によっては除雪したばかりの所にすっと車を入れて挨拶もせずに施設の中に入っていくのもいて・・・。しかしながら22年の積み重ねの中で施設外の仕事で留守をすることが多い日々ですが『平安之福』でいられることにしみじみありがたいなと思っています。私が『趣味は何ですか』と聞かれて『仕事です。』と迷うことなく言えるのも、今の状況があるからだと思います。施設が落ち着くのに3年を費やしその後は『地域の為に何をすべきか』『入居者さんに笑顔でいて貰うには何をすべきか』『家族の安心の為に何をすべきか』を考えながらの日々を過ごさせて貰った事により、今の状況が出来たと思っています。贅沢は言えません。自分の責任のもとで考え実践してきたのだから。今でも、小さい頃の虚弱で対人恐怖症の私がこんなでいるのを、中1で他界した母秋江さんが今現れたら仰天するのか失神(死んでいるので失神はないか)でも、きっと喜んでくれると思います。だって病気もせずに元気に飛び回っていて地域の為に汗をかいているんだから。母親だけでなく父親にもなんの恩返しが出来なかった分、入居者さん、利用者さんを親だと思って毎日笑顔を引き出す為に頑張りますので、リピーターの皆さん父親、母親同様に見守っていて下さい。

✳今は22時17分で、宿直者は寝てますのでこのコラムのアップは朝イチになりますが連続更新は出来たと言う事をご理解下さい。

新人職員に『喝』と再認識

最近一生懸命の中で失敗をした職員が元気なく落ち込んでいるとの報告を受けたので、遅出勤務の出勤時に会わせて別室で話をしました。

最初は何を言われるのかと緊張してたので、「失敗してから元気がないとの報告を受けたが本当か」とストレートに聞くと元気なく「はい」と答えたので、「仕事着の上下が黒だというのに表れとるな」と話しすると「どういう事ですか」と聞いてきたので、「格好からして私は元気がありません。と言っているようで、入居者さんに失礼だぞ」と言ってから「失敗はあってはならないけど、失敗を糧にして素晴らしい介護職員にして貰うんや。つまり、失敗した事を繰り返さない事で、入居者さんに恩返しするしかない。」と言うと大きく頷いたので思わず私は「私の今日の服を見て見なさい。背中には大きな鯛が描かれとるやろ。この絵を見た入居者さんはその事を話題にして話が弾み、お互いに元気を貰うんやぞ。」と話をして、「デイサービスの北島部長も失敗したり、やっていることが上手くいかなくて落ち込んでいる時に、今と同じように話をして今があるんや。勿論私も入居者さん、利用者さんからいっぱい教えて貰って今があるんだよ。」と話しして、勢い余った私は「私がこんなに話ができたり、色々な場面で動けるようになったのも、色んな失敗の中から学んだからや。中学生までの私は対人恐怖症の赤面症で失敗を恐れて何も出来ない子だった。高校生になりいっぱいいっぱい失敗したけど失敗を恐れず行動した事によって色々な事が学べた。勿論失敗した時は迷惑もかけたけど私に代わって謝ってくれた父親がいた。今回の失敗についてはフロアの責任者もカバーしてくれて事なきだったわけで成長の糧にしなさい。」と話ししている内に職員に目力が出てきたので、「今日から今まで以上に大きな声を出してフロアを明るくしてな」と話しして元気にお礼を言って指導は終わりました。

真面目だからこそ悩み苦しむ。その中で私を含めた職員は人生の大先達との関わりの中で成長させて貰える。何て素晴らしい仕事なのかと職員指導の中で改めて思いました。いやいや、指導したのは私ですが指導する側が教えられる事がいっぱいありました。そして、強く思ったのは『お世話させて頂ける事に感謝』と言う事でした。一生懸命に生きている事にも感謝です。リピーターの皆さん、こんな日々を頑張っている施設に来てみて下さい。

夏祭りのことがようやく書けそうです

夏祭りの事を題材にすると決めてから既に何日かが経過してしまっています。

確かに夏祭りを題材にしようとして書き出しても途中で話題が外れてしまい、書き直して全く違う内容になってしまっていたからです。今日は絶対に初心完徹で書きますので宜しくお付き合い下さい。

本日10時に児童指導員をしていた頃からお世話になっていた方が多分10年ぶりに施設に来て頂けると言うので、待っていると10年前と殆ど変わらないようにして、おみえになりました。おみえになった理由は幼馴染みのご主人が認知症で大変だとの相談でした。大体の話を聞いてから施設見学をして貰い、その後再びお話を伺っていて「立派なお仏壇を見たい」と言われたので会議室2から入って貰おうとして、一瞬躊躇しました。何故ならば夏祭り用の品物がところ狭しと置いてあったからです。でも、隠す事なく事情をお話してところ狭しと置いてあるところから入って貰う事にしました。

そして、8月3日には例年焼きそばは700食を大きくて分厚い鉄板で炭火では追い付かないのでプロパンで作るのですが、17時からの開催ですが開始と共に焼いていては追い付かないので15時30分から汗びっしょりになって焼いて貰うし、ネギマも1000本を焼いて貰うし、その他にも30種類位の模擬店を実施するし、ヨーヨー釣りや金魚すくいや輪投げなどで楽しんで貰える企画やパフォーマーによるバルーンアートや玉乗り、砂田おさむによる演歌ショーに和太鼓の特別出演と盛りだくさんで、入居者の家族は入居者と一緒に模擬店を楽しんで貰えるように人数に会わせたテーブルを用意する事もお話しました。そんなお話をひとしきりしてから仏間に案内すると一軒半のスペースに収まっている仏壇に驚かれたので、「三方開きだから一軒半のスペースが必要なのです。」と言いながら正式に三方に開きました。そして、天井には西国浄土に行く龍を両サイドには昔の楽器をステンドグラスで長浜の黒壁館のデザイナーに作って貰い、彫り物は醒ヶ井の奥に行った所にある彫り物の里の方に作成して貰いました。とお話すると四人の方がそれぞれに感心感動されているのが伝わり、「この仏壇で幸せを頂いて貰えた。」と思うと、24年前の無茶な思いが今に生きているとしみじみ嬉しくなりました。

さて、私は正直会議室2があのような状態とは知らなかったのですが、フラフラになるまで私が外部の仕事をこなしている時に、着々と8月3日の夏祭りの準備が進んでいることに感謝すると共に、21日の参議院選挙が終わってからは私も夏祭り一色のモードでいきたいと改めて気合いを入れました。

リピーターの皆さんも良ければ頑張っている姿を見に来ていただければ嬉しいです。

北島部長笑える話だけど納得いかんことは追求しろよ

昨日、私の都合で(岐阜での対応があり)

全国老施協の総務・組織委員会の四者会議が15時30分からの開始になり、(みんなに迷惑をかけなくて間に合いました)四者会議後の会食の予約を17時30分にしていたのですが、丁寧に議論したので、結局委員会が終了したのが18時20分で、委員会終了後タクシーでの移動だったのですが、東京と言う所は雨が降りだすと途端にタクシーが拾えなくなるところで、結局森岡副委員長の機転でずっと手前でタクシーを確保(出来る男は違う。流石に徳島県商工会の副会頭だ)してくれて、結局タクシーに乗ったのは18時45分で時間が遅れる連絡はしておいたものの料理の都合もあると考えてタクシーの中から携帯でお店に連絡したつもりが施設で管理宿直をしていた北島部長につながっていたのに、予約しておいたお店だと思い込んでいる私は「岐阜の若山ですが、今タクシーに乗ってお店に向かっていますので、後10分位で着きますので料理をある程度作っておいて下さい。」と一方的に話をすると、北島部長が(この段階では北島部長と私は思ってない)要領を得ない話し方なので(私は若いお店の職人だと思い込んでいるので)「とにかく大将に伝えといて」と言うと北島部長は何の事かわからないまま「伝えときます。」と答えたので携帯を切って何となく変な対応だったなと今かけた番号を見てびっくりです。それは本部施設の番号だったのです。だから慌ててもう一度施設にかけ直して、「ゴメンごめん」と謝りつつ、「例え理事長からの連絡でも変な内容だと思ったら聞き直せ」と話しして、つくづく思いました。最近インドネシアから来た介護福祉士候補生が、意味をしっかり理解もせずに返事をしてトラブル事があるとの報告を受けていたので、立場変わればそういう言う事になるのだと。北島部長の場合は「みんなに確認してもう一度連絡するつもりでした。でもびっくりしました。」との事。疑問に対して直ぐにアクションを起こそうとしたのは流石ですが、もう一皮むこう。と言う事で

本日は10時から岐阜都ホテルで老施協の正副会長委員長会議と午後からは17時まで研修があるので5時30分に起きてお風呂に入り7時発の新幹線に乗りもうすぐ岐阜羽島です。くたくたな状態ですが10時から岐阜県老施協の正副会長委員長会議で13時から17時までは徳島県の枡田さんの処遇改善の研修です。良く学び良く遊べで頑張ります。 しかしながら、趣味が『仕事』とは言っていますが流石にハードです。リピーターの皆さん頑張っている宏君に絶大な拍手をお願いします。

一粒の米粒と四国団参でのお醤油のお話

令和元年7月11日

朝食を頂いていて、食べ終わったと思っていた自分の茶碗を見て、一粒の米粒が残っている事に気が付き、お箸で摘まんで食べました。その時に思い浮かべたのは、一粒の米も田圃を耕し、水を入れ籾を撒き、田植えをして、肥料や水の管理をして、頭が垂れるまでに育てて稲刈りをして、最終的に精米をして、米をかしお米を炊いてようやく茶碗によそってもらって、はじめて食べる事が出来る。一粒の米もみんな同じようなプロセスをたどっているのだから大切にして、感謝の気持ちを持って頂くのは当たり前。そんな事を考えている時にふと、滋賀信行会青年会に所属していた20代の時に四国八十八箇所巡礼の歩き団参で小学生から高校生を中心に60人位の団体の責任者を現滋賀信行会会長の内藤と一緒にさせて貰った時に宿坊で夕食を頂いている時に、多分小学4年位の元気な男の子が、おかずに並々とお醤油をかけた時に私はその男の子に、「自分でかけたお醤油は全部飲みなさい。」と言うと「そんなん飲めへん」と平気で言ったので、「米1粒、醤油1滴でも、あって当たり前と思うな。そのことがわからんのなら全部飲め」と言うと、「これからは気を付けます。」との事で、参拝中の食事の時のかけもののかけ方はそれ以降めちゃくちゃ慎重にお互いに声掛けをしてかけていたのを思い出しました。こんな事を思ったのは角田君の参議院選挙も一人ひとりへの誠意ある声掛けにより一票一票を積み重ねていくのだと感じているからかも知れません。本日は11時から参議院岐阜選挙区から出ている大野候補の岐阜県老施協主催の会があり、各支部長さんが一生懸命に声掛けをしていただいたお陰で大勢の方が集まってくださり、無事に終わり、今は15時30分から東京本部事務所で行われる『総務・組織委員会の四者会議に出席するために今は列車の中です。昨夜は家にバテバテで帰ってからコラムを打つことになり、大変な思いをしたので(泣きながら)本日もこれ以降の時間は会議後に役員だけでの食事会もあるので、ホテルに着いてからのたうち回るのはいやなので、新幹線の中でコラムを頑張りました。(追記)午前の会の時、大野候補のお母さんとご挨拶すると、「会長さんとは一度お会いしてますよ」と言われ「参議院会館で中村先生とお会いしましたね。」と言うと「10年位前ですね」と返されて、大野候補のお母さんは流石に元参議院議員だけに記憶力抜群と舌を巻きました。私も80歳を越してこの記憶力でいられるのでしょうか。もしそうだったら『矍鑠』と言う言葉が似合う人間でいられるのですが・・・。

バテバテで何も浮かばないので8月3日の夏祭りのイメージを書きます。

令和元年7月10日

あと24日で夏祭りだと言うのに諸般の事情で本日も7時40分に家を出て中濃支部長の案内で中濃支部の施設を回ってきました。どの施設も岐阜県老施協会長の私が来ると言うので有り難いことに歓迎して貰いました。12施設を9時から18時の9時間かけて、しかも、時間短縮の為に、昼食は施設の試食をさせて貰いながら。全ての訪問を終え中濃支部長の施設を出ようとした時に本部施設からメールが入り、利用者の請求の決済をして欲しいとの内容に、明日は午前中は参議院選挙の応援に出掛け、終了後直ぐに岐阜羽島に行き東京での初めての『全国老施協の総務・組織委員会の四者会議』がありそのまま東京で宿泊して、次の日は東京を7時発の新幹線に乗り、岐阜都ホテルで岐阜県老施協正副会長委員長会議に出席して、午後からは引き続き都ホテルで研修会が17時まであるので丸2日決済を延ばすわけにいかないので19時過ぎに施設に戻り、約300枚の決済印を押して、事務長と打ち合わせを終えて家にたどり着いてお風呂と夕食を済ませると21時30分。この段階で8月22日から連続更新しているコラムが書けて無い事に気が付きましたが、頭が空っぽで題材すら浮かんでこない。頭に浮かんでこないと余計に頭は真っ白。ここは、何も考えなくても出来る8月3日の夏祭りを題材にすれば少しは原稿らしくなって来るのではと居直った原稿にしてしまおうと考えていたら、だらだらと原稿を書いたら630文字が書けましたので、表題の夏祭りの原稿でみんなが盛り上がって貰いたいのはやまやまですが明日に譲って明日書きます。とりあえず今日のコラムはクリアと言う事で。(今日の格言「コラムは継続更新に意義があり」・何がカクゲンや)

夜にあまり眠れず肩がバンバンに張ってます

令和元年7月9日

夜中に眠りが浅いのは考える事が多くて緊張している為か肩がめちゃめちゃ凝っていて体調が最悪だと感じているのですが、一生懸命に話をしている時はえらさを忘れているのか大丈夫なのですが、運転をしていてハンドルを持っているときは肩をぐるぐる回しながらの運転です。

14時から岐阜清流プラザで行われた『ねんりんピック実行委員会』は予定通りに終了し、16時からのトーカイ本社での打ち合わせが17時過ぎまで行われ、しんどい思いをして、ようやく施設に帰り着き石垣のところを見たら、『夏祭り』の大きな看板が見えて「しっかり盛り上がってきたな。」と思い、車を定位置のスペースに入れる前に屋根のといを利用して提灯がずらっと吊るされ、玄関を入るとデイサービスから食堂にかけても提灯が吊るしてあり、夏祭りのワクワク感が涌き出て疲れが吹っ飛ぶような気持ちになりました。22年の積み重ねを感じる瞬間でした。そして、しみじみ提灯を見ると紅白の赤の部分が薄くなっているのを見て、「これも歴史を感じるな」との思いと、最初に提灯を購入する時は何件かお店を回って「早く予約してくれれば大丈夫ですよ」等と言われたな。今ならインターネットで直ぐに手配できるのに。

ポスター 看板  正門 ちょうちん

気分良く施設に帰り、北島部長から卒業した高校に夏祭りのポスターとボランティア募集のチラシを持って行ったとの報告を受け、ますます気分良くしているところへ一本の電話。その内容は北島部長が届けた高校の校長先生からで、「ボランティア募集のチラシに責任者の依頼文もないし、ボランティアの為の留意点もない。このようなものはどこの学校でも認められません。」との事だったので、責任者として取り敢えず謝ったのですが、職員がよかれと思い行った行動に「責任者が知らない間にこんな対応をさせてどうするんだ」的な内容に対して、岐阜県教育委員会は公共の建物だからいけないと言う杓子定規な解答をするのか当職員の主体性を評価してくれるのか確認したいと思います。今回の事は職員の勇み足なのか、それとも理事長の管理不足なのか・・・。悩ましい限りですが、「卒業した学校の後輩に施設を知って、介護を知って今後の良き担い手を育てていきたいと言う職員の思いをどのように形にすべきかをしっかり見極めたいと思っています。リピーターの皆さん私の考え方には無理があったり傲った考え方がありますでしょうか。

七夕

 

『巨人』の事part2と夏祭りの準備

令和元年7月8日

今朝は6時50分に家を出て、恵那文化センターで東濃支部長と8時30分の待ち合わせで合流して東濃支部長の案内で東濃支部の施設の挨拶回りをして、18時15分に施設に戻り、昨日のコラムで書いた巨人の原稿の予言が当たっているなら昨夜の巨人の勝利はないと、新聞も全く見てない状態で施設の職員に確認すると「理事長の言う通り巨人は負けました。」と聞き、私は巨人にとって疫病神か、何なのか。とつくづく思った次第です。但し、巨人が負けた事を差し引いてもお釣りが充分に出るものを私は施設に入る手前の駐車場で目撃しました。それは、8月3日の夏祭りの看板設置の作業を何人かの職員がしていてくれた事です。12時間近く施設訪問をしていての疲れがイッキに吹き飛んだ気持ちになりました。私はたまに夏祭りの打ち合わせで最終的に判断する位の事しか出来ていないのですが、職員は私が見ている見ていないは関係なく頑張っていてくれている。私は思わず目頭を熱くして「ありがたいなぁ」とつぶやいた次第です。このように出きるようになった職員の思いに対して理事長として応えていくには介護事業に対する評価を高めて、職員に対する社会的評価を高めるため汗をかくしかない。人材枯渇時代にやりがいを持って安定した生活を保証するまでには至っていない事に対して具体的に対処していかなければと思った次第です。『ローマは一日にして成らず』とか『千里の道も一歩から』とか言いますが、施設の事業を開始して22年目でつくづく思うことは間違いなしに年輪を重ねて来たと思うし、理事長である私の思いを形にしてくれる職員が増えてきた今だからこそ、じっくりと5年先、10年先を睨んだ展開をしていかなければと考えています。今の現状に甘んじる事なく頑張って邁進していきますので、リピーターの皆さんこれからもご支援ご協力宜しくお願いいたします。

『巨人』の事

令和元年7月7日

『巨人』と言っても『デカイ人』ではありません。勿論野球の話です。

若山家は『巨人ファンでなければ若山家の人間にあらず』のような雰囲気があり、(私がそのようにしたのかな・・・。)私もはずかしながら巨人ファンです。但し今は『多分』と言うくらいの程度のファンです。私が巨人ファンになったのは50年以上前でその頃はテレビで必ずと言って良い程に、巨人戦のナイターをやっていました。そして「巨人・大鵬・玉子焼き」と言われる位に圧倒的に巨人ファンが多かった時代です。そんな中、違うチームに鞍替えした多くの方がいるなかでバリバリの巨人ファンの特徴は巨人が勝った時は新聞の記事のいの一番にスポーツ欄を見てご機嫌になるのですが、逆に負けた日はスポーツ欄を見ることもしない・・・。実は私もその一人です。しかしながらかつては、名古屋ドームのバックネット裏で巨人戦があると観戦によく行っていたのに最近は足が遠退いていて、「私が好きな選手は一番が王さんで、二番が長嶋さん、その他に広岡さんに黒江さん、土井さんに赤い手袋の柴田さんに渋いバッターだった国松さんに末松さんで吉村も良かったし高橋由も良かったな。ピッチャーは堀内さんに8時半の男の宮田さん。キャッチャーは勿論森さんだよ。」とすらすら名前が出てくるのに、今は「阿部と坂本と・・・。うーん。後はだれがいるんだ。」程度しか名前が出てこない。たまに、テレビで巨人戦を放映していて私がみていてしばらくすると、相手チームがばかばか打ってしまうシーンがよくあり、私は基本的にテレビで野球観戦もしなくなり、最近は忙しさもあり、新聞でスポーツ欄を見る事がなかったのですが、本日は久しぶりにスポーツ欄を見たら『G進撃7連勝』が目に入ってきて、記事に目を通すと断トツの首位。これは全く気持ちの良い記事だこと。

しかしながら今コラムを携帯で打ちながら反省してます。「リピーターの皆さんは何の事」と思われた方も多いと思いますので告白します。(そんな大袈裟な事でないか)それは・・・。私が強い勢いに乗っている巨人の姿を確認したので、今日からは調子を落とすのではないかと・・・。つくづく感じています。私の思い込みにお付き合いして下さったリピーターの皆さん申し訳ありませんでした。いやいや、この記事が現実になったら嬉しいやらイライラするやら。私自身、絶不調の中身があるのかないのかわからないコラムに終始したことをお詫びします。但し、明日からはバタバタの日々になり尚且つ8月3日の夏祭りまでは息つく隙もないので、今日のところはご容赦下さい。

 

 

 

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