非常勤講師での初めての講義は・・・。
令和2年3月28日
38歳に児童養護施設のカリスマ的指導員(自分で言うか・・・。でも、事実ですから)を辞し文字通りフリーになり、一番最初に非常勤講師をさせて貰ったのは、当時の大垣女子短期大学幼児教育学科の3部生(※3部生とは働きながら学校に来ている学生で、午前中講義があれば午後から仕事、午前中仕事であれば午後から講義)の学生に養護原理の講義をする事になりました。
私は児童養護施設の指導員時代になる前もなってからもいわゆる専門書なるものは一切読んだことがなく、自分の思いを実践する事だけでやってきましたので、『養護原理』と言う授業がどのようなものかも知らずに講義をお引き受けしたのです。私の辞書に『予習と言う文字はない』等と豪語していた私ですが流石にそんなわけにはいかず当時80分授業に見合っただけの準備をしようと教科書を開いて見ても全く面白くないので、最初の講義は私の福祉感を伝えて学生の気持ちをゲットしようと考えたのですが、いざ、何を話そうかと考えても何も出てこない。何かとっかかりの仕込みがいるなと考えた私は、父進の書斎から岩波書店の『広辞苑』を借りてきて(その頃の私が広辞苑なんて洒落たものを持っているわけがないでしょう。
ちなみに今な手元に常に置いていますが。)『福祉』と言う言葉の意味を調べました。(と言う事は『福祉』が何たるかもその時まで知らなかったと言う事です・・・。)その中に「福祉の福にも福祉の祉にも『示すへん』がある。この示すは元々何を意味するものだったかと言えば、神様にお供えをする三宝を表していて、誰もが豊かで幸せな生活を送る事を意味している。」と書いてあったのです。
その時、この意味からイメージ出来るものとして私はかつて読んだ漫画の中で(私の愛読書は漫画ですから)手塚治さんの『ブッタ』があり、その中でお釈迦様に何もして差し上げれないと思ったウサギが燃え盛る火の中に飛び込み自分を食べて貰おうとした行為を思い出しました。それは、豊かな国で無ければ福祉は成り立たない。今の日本は豊かな国になったからこそ福祉が語れるのだ。との意味を理解して初めての講義に挑みました。そしていざ話をしていて私の中では80分の講義になると思って挑んだのですが、実際には60分の時間も持たず、初めての事なので「今日は早いですが以上です。」等と厚かましい事が言えずに4月だったので決して熱くない時期だったにも関わらず、私の背中は滝のように汗が流れたのを覚えています。
また、今から考えたら「この先生は大丈夫か」と思われても仕方がない失敗もしたから乗って話が出来なかったとも言えるのです。それは『しめすへん』と言わなければいけないところを『ねへん』と言ってしまい、学生から指摘されて「そうそう、そうとも言うけどそれは昔は示すを書いていたけど今は『ネ』を書くのだから『ネへんで良いの』などとわけの分からんことも言って胡麻化したものの動揺していたから。考えてみたら非常勤講師時代も波乱万丈だったので、リピーターの皆さん、明日も阿保な話にお付き合い下さい。(こんな事してると、リピーターの皆さんが逃げてまうかな・・・。

