昔から言いますが「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」と・・・

昨日は22時にはベットに入って爆睡出来たので午前5時には目覚め、お風呂にゆっくり入り6時過ぎから荷物の整理をして、7時前にチェックアウトをして、東京発7時33分のひかりで今は岐阜羽島に向けて移動中なのですが、昨日はコラム打ちに集中していて、かなり通りすぎてから、富士山の写真を撮ったのですが、本日は昨日の二の前にならないように小田原辺りから携帯を構えていたのですが、あいにくの曇り空で「富士山出てきて」と念じていたら・・・。青空になってきました。凄い宏君は神か。いやいやこんなお腹の出た神は布袋様だ。等と自虐ネタを書いていると富士山が見えてきました。慌てて携帯を富士山に向けて撮ろうとするのですが、色々なものが邪魔をして上手く撮れません。ここは「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」でいくしかないと、めったやたらシャッターを押しました。さてさて幾つかは上手く撮れているのでしょうか。取り敢えず全部写メにして施設に送る事にします。

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さて、本日は10時には施設に戻り、中部学院大学、ジクウェルズ、自民党岐阜県連事務次長、寺内先生には連絡をして、その結果で職員に指示を出して遅くとも11時には富山に向けて出発しなければいけない。多分本日の帰りは早くて20時で最悪の場合は21時を過ぎるかも・・・。いやいや、いつもの口癖「予定は未定であり決定ではない。」だとすると・・・。考えたくないです。でも、元気に動けるのに感謝して頑張ります。(ここまでは8時52分現在です。後は富山の帰りに打ちます。)

今は20時50分で現在は福井の皆川会長を施設に送り、我が施設へ向けて水野相談員の運転で走ってます。ナビの到着予定は22時30分です。朝の段階では悪くても21時を過ぎるかもと考えていたより1時間30分遅れの到着です。あいからわす予定は未定であり決定ではありません。遅くなった大きな理由は石川県の久藤会長の計らいで、鴨料理を頂いたからです。なかなか鴨料理など頂けませんが、特別な許可を得て捕った鴨と言う事で美味しいはずですと言われても初めての体験なので比較ができませんが珍味でありました。

さて、朝早くにホテルをでて本部施設に着いたのが10時前で、車から降りたらけたたましいチェンソーの音に施設の南側の斜面を見るとたくさんの木が倒されていて、一段と日当たりがよくなっていました。22年前に鬱蒼としていたところがどんどん様変わりして行く姿にしみじみ充実感を持って富山に向けて出発して、今は帰る途中ですが、朝の風景を写真で改めて見ると疲れてはいるのですが、明日からのエネルギーが湧いてきます。

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とにかく私に与えられた使命を全うしていきますのでリピーターのみなさん益々の支援を宜しくお願いいたします。

ベトナム人留学生の入管許可がなかなかおりません

平成31年3月18日

中部学院大学社会福祉学部への入学が決まっているベトナム人留学生の入管許可が下りて来なくて、先週は木曜日、金曜日と関市にある中部学院大学国際交流センターの事務局との打ち合わせ関市まで行き、金曜日は大学からの帰りに税理士・行政書士の岩田先生のところにも相談に行き、土曜日の朝一で本部事務所の職員に指示を出し、日曜日に事務長にも新たな指示を出し、本日は午後からの東京での全国老人ホーム施設協議会主催の認知症フォーラムに参加する為に9時過ぎには施設を出発しなければいけなかったので、施設に行き事務所の職員二人に指示を出すと共に岩田先生にも電話で協力をして頂き、最終的に完成した書類に決済印を押すと共に中部学院大学国際交流センターの担当者に連絡を取り、私が大学に行けない為、事務所の職員に行かせる旨の話をして、岐阜羽島の駐車場に車を預け駅の構内の券売機で予約しておいた切符を受け取った段階で10時丁度。後15分あると言うことで売店で手土産に大垣の名産柿サブレを買ってホームに行くとタイミング良く列車が入ってきました。ところで、どうしてこんなに入管が難しくなったのかとイライラしていたのですが、今朝のテレビのニュースでその理由が分かりました。そのニュースとは、全国2番目に多くの留学生を受け入れている大学(ちなみに一番多いのは早稲田大学だとの事。この大学が一番であるのは必然かな)の学生の内で多くの留学生が行方不明になっているとの事。その大学が全国二番と言うのも驚きですが、行方不明の方の多さにも驚きでした。真面目に勉学と仕事をしたいと考えて日本への留学を志し、日本語検定の2級を所得してまでして、岐阜県まで来てくれる二人のベトナムの子に申し訳がないし、不安な思いでいると考えると、ずさんな留学生の管理をしている、その大学に対して怒りすら覚えるし、日本の留学生に対する評価が下がり外国人の受け入れが難しくなるのであれば残念でならない。今月25日に入国する予定でいたのにそれが叶わない。二人は心配だと思うので家族の方、勿論本人達の不安を払拭するために、事情を説明しに、説明をして安心して貰う為に当法人の職員を近々派遣したいと考えていますが、彼らのモチベーションが下がり日本への留学を駄目にしない為にも、派遣する職員には誠意ある対応に徹するように指示したいと考えています。

本日は快晴で富士山が綺麗だったと思うのですが、本日バタバタでコラムが打てないといけないと思い、列車の中で黙々と携帯に打ち込んでいて、シャッターチャンスを逸しましたが何とか撮れた写真と・・

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施設を出る前に玄関前の花が綺麗だったので、それも添付しました。今日彼岸の入りとか。「暑さ寒さも悲願まで」とか申しますので、これからは綺麗な花を楽しむ余裕を持ちながら頑張りますので、リピーターの皆さん今後ともこのコーナー共々宜しくお願いします。

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本日、本部施設で介護者教室が開催され・・・

平成31年3月17日

本日の介護者教室は、2部構成で行われました。

1部は岐阜ヤクルト販売株式会社の方が「腸内細菌」の話をして頂いたのですが、講師の方が自己紹介の時に、会社の健康診断でメタボ予備軍と指摘されて体重を減らされた話がありました。その話を興味深く聞いていると76kgの体重が57kgになり、ウエストは96cmから76cmになったとの事なので、思わず「どのくらいの期間で、どのような事をして体重を落とされたの。」と機関銃の如く聞いてしまいました。するとその答えが「期間はおよそ4年です。」とのこと。また「毎日、10000歩を夕食後に歩きました。」との事。講師の方は多分、頑固にやり続けられたのだと感心すると共に、「どうして夕食後なのですか」と再び聞くと、「夕食前に歩くとお腹が余計に空いてしまって、たくさん食べてしまうでしょ。」とサラッと言われたのには驚きと共に感動してしまいました。

しかしながら、素晴らしい数値を残されたわけだから私も得意の有言実行をしたいのはやまやまですが、私の事だから何だかんだで続かないだろうな。いやいや、120歳まで生きるにはこの位の努力は当たり前にできなければいけないのでしょうが、体重を減らす事にトラウマがあるのです。一つには、私よりお腹が出ていた方が突然スマートになられたかと思ったらアッという間にこの世を去られてしまわれた方がある事。二つには私自身がガリガリに痩せていた時は病気ばかりしていたのに、ウエストが3桁になってからは風邪一つひかなくなった事です。うーん。しかしこれは体重を減らす努力をしたくない為の屁理屈にしか聞こえない。正直、膝も重いし(決して痛くはありません。)靴下を履くのも苦労しているのでやはり何かアクションを起こさなければ・・・。「お付き合いが多くて食べたり飲んだりして体重が増えるのは職業病だ」等と言ってる場合ではないよね。とことん悪くなる前にアクションを起こさなければ・・・。でも(まだでもと言うのか)布袋様のようなお腹がなくなるのもな・・・。

ネクタイが短いです

平成31年3月16日

いつもいつも感じていたのですが、私がネクタイを絞める時にネクタイが短くなってしまい、何度も何度も締め直しをしなければいけない状況があり、私の奥様かをりさんに、「どうして短くなるの」と聞いてみました。すると、しらっとシビアに「若い時の首周りは何センチだった。」に対して宏くんは「37センチ」と答えると、私の奥様かをりさんが「今は何センチ」と返してきたので、再び宏君は「48センチかな」と答えると私の奥様かをりさんが「11センチも首が大きくなったんだから、その分ネクタイが短く感じても仕方がないわね。」と言われて、返す答えがない。(事実は小説よりも奇なり・・・)でもでもアメリカのトランプ大統領のネクタイは滅茶苦茶長いぞ。(きっとトランプ大統領のネクタイはオーダー何だろうなー。)

そこで私の奥様かをりさんがダメ押しのように「反り繰り返っているお腹を凹ませたらちょうどの長さになるんじゃない。」とのたまうので、私は完全にノックダウンです。体は重いし、動きも遅い。「こんな体に誰がした。」と都都逸風に言ってみても空しいだけ。しかしながら、体が成長した分ネットワークも大きく成長したぞ。あかんことばかりでないぞ。家では晩酌しないけど外でのお付き合いでお酒を一杯飲んで、好きでないものもたくさん食べ(それ以上に美味しいものも食べていますが・・・。)成長してきた『青大将』が「アナコンダ』になった・・・。これは立派な職業病・・・。でも自分の体は自分で守らなければ。朝一には県会議員の事務所開きに参加して、これからは、参議院の会が岐阜であるので(17時から)出かけて多分この会でも食事が出ます。これまた修業で頑張ってきます。

 

 

昨夜は地元の素材を生かした料理を頂きました

平成31年3月15日

『たらのめ』『ふきのとう』の天婦羅を頂いたのですが、極めつけは『熊の肉のなべ料理』でした、私は基本的にはいわゆる『下手物』と言われる食材は苦手ですし、日常的には食べません。しかし、食事に誘って下さった方が「理事長、熊の肉は最高ですから是非召し上がって下さい。」と言われたので鍋の中を見ると、油でぎたぎた・・・。私は肉は赤身と決めているし「これは大変な食べ物だ」と思ったのですが、ここは勇気を振り絞って食べました。けっして「めちゃくちゅ美味しい」ものではないし、油でぎたぎただし・・・。ここは大学時代に培った役者魂で飲み込むしかない。このような状況は衆議院議員の先生と焼き鳥やに行き生肉を飲み込んだ時以来か・・・。あの時もにこにこしながら「美味しいですね。」と言ったっけ。今回は、生飲み込みをするまでには至りませんでしたが、美味しそうな顔を作り何とか食べました。苦手な物を食べるのは命がけだと思いながら「これまた修業」と考えています。しかしながら、昨夜布団に入ったのは11時30分位でしたが、5時30分には目覚め昨夜お風呂に入っていないので1階のお風呂場まで歩いていく時に感じたのは、朝起きた時にはいつも基本、腰が痛いのですが、「あれっ」と思う位に痛くない。これはひょっとしたら熊の肉の効用かも。だとするとこれからも、熊の肉を食べると良いのか等と私の奥たまかをり様に話すると、「熊の肉を食べるより自分のお腹の肉を何とかした方が良い。」としらっと言われて返す言葉が見つからない。」でも、布袋様のお腹で幸せを呼ぶお腹だと言われる為には、ガリガリの布袋様では洒落にならないので、何を言われてもガンガン飲んでガンガン食べるぞ。そして世界平和に貢献するぞ。こんな分けの分からない事を言ってるのは昨夜の酒の性。いやいや熊肉で元気な頭の回転をしているのかも・・・。リピーターの皆さんはどう思われますか。

介護事業における人材確保

当法人にはEPAによる介護福祉士候補生が本部に11人と和合に1人の合計12人がいます。その内2人は介護福祉士の国家資格を取得していて和合の職員は母国であるインドネシアで結婚式を挙げて旦那さんを大垣に呼び寄せ今は子ども2人も授かり4人家族で和合の施設に5分とかからないところから出勤してます。この4月からは和合の施設にベトナムから中部学院大学に留学する学生2人来てくれる事になっています。昨年4月からは中学を卒業した男子を採用しましたが、いつもニコニコと頑張っていてくれます。ちなみに、この4月からは和合にも中学卒の男子が入職します。本部施設にはかつての利用者さんの家族が介護を終えた女性が60歳になってから介護職として働いていて、昨年70歳で介護福祉士の国家資格を取得し、生き生きと働いていますし、若い職員にフォローして貰いながら頑張っています。デイサービスには全盲の職員がマッサージ業務で頑張ってます。洗濯業務をしている方はもうすぐ80歳になるような方も頑張ってます。足に障害を持った職員もパソコン業務を頑張っています。今後は児童養護施設でバーンアウトした子を再生してマイナスをブラスにしていく展開をしていき、人材確保で裾のを広げていきたいと考えています。

中学時代の同級生が集まりました

平成31年3月13日

34人しかいない同級生の内12人も集まり夕食を地元の喫茶店でしました。昨年の暮れに当法人のコミュニティハウスで同窓会をして貰った手前もあり、バタバタの1日ではありましたが集合時間である18時より若干遅れての参加でしたが参加させて頂き、殆どが昨年集まったメンバーだったので、何人かにお礼の挨拶をされて、中学校時代出来が悪かったわたしとしては、恐縮至極。取り敢えず4月の地方選挙に出る同級生の話題であーでもない、こーでもないとひとしきり話した後で、夕食のメニュー決め。たった12人のメニューがなんだこんだでなかなか決まらない。お店の方が数の確認をすると14人分ありやり直し。お互いに65歳を過ぎるとややこし過ぎ。何とかダブリの分をみつけて、ようやくメニューが完了。順番にお膳が運ばれ夕食を頂いていると、中学時代に卓球部の部長をしていたN君が「たまにホームページを覗くと「話題が豊富で凄い。」とまたまた褒めて貰えて、改めて昨年8月22日から連続更新出来ている事に、マラソンの有村さんではないけど「自分を褒めてあげたい。」と思った次第です。実は12人中6人が当施設にご縁を頂いていて、改めて生まれ育った今須の地で頑張れている事に感謝です。20時に会が終了して駐車場へ移動中に、英語が抜群に出来たY君が私のところに近づいて来て、「昨年の同窓会でコミュニティーハウスに行ってみて、凄いものを建てたとビックリした。」と、これまたお褒めの言葉を頂き、自信がなくておどおどしていた私が50年の年輪を重ねた重みをひしひしと感じている次第です。これからも地元の為に汗をかきたいと改めて思った次第です。(朝からバタバタだったので家に帰り湯船に浸かりながらのコラムですが、キリンさんの首を長くして待っていてくださったリピーターさんお待たせしました。また、遅くなってご免なさい)

渋滞を緩和するには高速道路が必要だと再認識しました

昨日、関ヶ原インターチェンジが事故の為に上り線が閉鎖されていて岐阜羽島まで大変な思いをして行った事はこのコーナーで書きましたが、今日の朝刊で4台が絡んだ事故で死亡者も出て6時間以上関ヶ原から大垣間が閉鎖していたとの記事が掲載されていました。関ヶ原から閉鎖されていた為に上り線の車は全部、関ヶ原でおろされた為に国道も大渋滞で動かなかった事を知りました、朝の混雑とも合間って私はイライラしながら、施設へ車のスピーカーでの通信をしながら抜け道をたどり、何とか一本後の列車に乗れたのですが、よーく考えてみるに、高速道路がなかったら毎日昨日のような大渋滞が起きると言うことなのでしょう。町つくりをしていく為には、車の台数が増えていくのに比例して、道路の整備をしていかないと、「車なんか誰が買うか。毎日渋滞して役に立たん」と言うことになり、結果として車の購買力が落ちてしまう。ここで思うのは、町つくりにしても、防災対策にしても『後追い』で施策をするのではなくて、10年先、20年先を見越した計画が大切だと、今回の事故によって改めて理解しました。さて、本日の写真は岐阜県の事業で施設の上流に大きな砂防と施設の南斜面に山崩れ防止の工事を5年計画てして頂いているのですが、山肌が整備されて山の木が倒れやすくなった所があり地元の有力者の方から『里山事業』をこれまた岐阜県の全額補助でやってはどうかの提案があり、お陰さまで補助を付けていただき、本日は正に木の伐採が盛んに行われている現場で写真を撮ったしだいです。これもまた、地震対策でありリスクマネージメントだと思っています。あってはならない事ですが、東南海で大きな地震が起きれば、土砂災害の可能性があります。いやいや、それよりも斜面をしっかりして貰う事により福祉避難所として大いに活躍出来ると確信してます。これぞ正しく将来を見据えた対応と自画自賛してます。但しこれが実現したのは地元の皆さんの理解と岐阜県の理解があったればこそです。これからも未来ビジョンを持ちながら頑張りますのでますますのご理解ご支援を宜しくお願い致します。

 

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改めて「予定は未定であり決定ではない」を嫌と言うほどに知りました

平成31年3月11日

本日は全国老人福祉施設協議会理事会が東京平河町の本部ビルがある塩崎ビル7階で開催されるので時間に余裕を持った対応を66歳を迎える5月までに習慣付けようと、岐阜羽島10時13分発に乗るために9時20分前に施設を出たのですが、関ヶ原インターを入ろうとすると前の車が変な動きをしているのに、まずは「いらっ」。右側のゲートから入ると名古屋方面は通行止めで、係員の誘導でゲートを出ると、メチャ混んでいて車が進まない。裏道を通り何とか少しは進み流れが出てきたように見えた所で本線に合流したら、直ぐに動かなくなり、高速道路の閉鎖がどこまでなのかを知らないことにはどちらに向かって良いのか分からないので、本部施設に連絡すると「養老では駄目なので大垣インターに向かって下さい。」との事で知らない道をナビを頼りに走っていくと大垣インターの表示があり一先ず「ほっ」。今は岐阜羽島のこだまからのぞみに名古屋で乗り換えて東京に向かっているのですが、改めて「予定は未定であり決定ではない。」を知りました。今回は一本遅れで済んだので車内でお弁当を頂けば会議に遅れる事はないのです良かったですが、今の時代は想定外と言われることが沢山おきます。いみじくも本日は3月11日で8年前の今日、東日本大震災だったわけで、一本遅い列車になった事をごたごた言うことではないか。ただしもう一つ言わせて下さい。それは車内販売でお弁当とお茶を買おうとしたときです。私はうっかりして一万円札しか持ち合わせてなくて、申し訳なさそうに一万円札を出すと、「お釣りがありません」と言われたので小銭でも払えないかと財布の中身を確かめてもないので、困って思わず商品を返して昼食なしでも「お腹には蓄えがあるし一食抜いても大丈夫」と自分に言い聞かせていると、販売員の女性の方はおもむろに五千円札と千円札を数えて、「大丈夫です。」だと宣われたので、この販売員の女性の方は釣り銭を数えるのが面倒だったのか、お金がどんたけあるのかも分からずに仕事をされているのか、どちらにしても私は恐縮をして一万円札を出した次第です。あと40分で東京に着きますが今は雨もあがり良い天気になってますので、取り敢えずお弁当を頂いて、本部での理事会に臨み頑張って行きます。(帰りの列車の中では疲れて、コラムが書けないといけないので、行きの列車の中で本日のコラムはクリアです。)

午前6時、午後6時でも明るいです

平成31年3月10日

6時過ぎに起きて施設に行き、入居者さんや職員に挨拶をする為に車を走らせていても、つい最近までは暗くて、楽しくなかったのですが、今朝は明るくて「頑張るぞ」とテンション高く行くことが出来ました。そして、昨日は東京から帰り午後からフォーラムホテルで行われた会議に引き続いての研修会を終えて、途中でタイヤ交換をした車を取りに行っての帰りにも午後6時を過ぎても明るくて、このまま家に帰るのが申し訳ない気分になりました。(実際には東京から帰ってからの大垣での対応だったので直帰させて貰いました。)

しかしながら、入居者さんの傍に行ってご挨拶をするとそれぞれに良い顔をして頂けるので、正直一日の中で一番楽しみな時間だと思います。「朝早くから大変ですね」と言って頂く方もあるのですが、私自身は入居者さんや職員から元気を貰っているので大変だとは決して思っていません。

写真の盆梅の話をします。この盆梅は入居者さんが自宅で丹精込めて育てられたものが、「施設に入居して息子が水をやってくれないので駄目になってしまう。」と言われたので、出入り業者の植木屋さんにユニックを持ってきて貰い家まで行って運んできたものです。新館の入居者さんなので、イベントが本館で行われた時は必ず、職員の水のやり方に注文をつけられるのですが、今は綺麗に咲いている盆梅の花に満足のようです。この入居者さんは施設に入居される前は病院で全く気力がなくて、歩く事すら忘れてしまわれたような状態で、入居当初は眠れないとの訴えも多く、薬への依存も多かったのですが、今は盆梅や盆栽が生き生きしてきたのと同様に生き生きとしたメリハリのある生活をしていただいてます。今朝も朝食にコーヒーで好みのジャムやバターをパンに付けて食事を楽しんでみえました。

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