入院4日目を迎えてますが
入院生活の報告ばかりだと同じ空間の中で同じようなスケジュールをドクターや看護師さん等のスタッフのお世話で過ごすのみで、変化を捕らえて書くとすると対応の善し悪しを書き連れることになり、段々と書き振りが悪くなるので本日は『今日は何の日』的な事を書く事にして『昨年の今日は何をしていたかな』と考えていて、めっちゃインパクトがあった日だったと実は今ニンマリしています。昨年の今日は急遽長崎に職員二人を引き連れて行ったのです。この事はこのコラムでも書いているのですが敢えて書きます。(書きながら日にちが一日ずれている事に気が付きましたがこのままの勢いで書かせて下さい。)8月9日に突然長崎県警から電話がありました。それは当施設の行方不明になっていた職員が「長崎県で保護されたとの事で迎えに来て欲しい」との内容で「直ぐにも来て欲しい」との依頼だったのですが、こちらも体制を取らなければいけないし、しかも私は明日の東京出張は代わりが利かないので「11日なら何とか対応します。」と答えると「それでも結構ですから来て下さい。」との事で実は10日の出張は遅くなる予定だったので、ホテルの予約をしていたので当然帰りの列車のチケットは取れておらず、事情を話して19時には東京駅に行き予約は全くとれない中、新幹線のホームに行ってびっくり。何故ならば自由席の所は人だかりで1本2本の列車をやり過ごしただけでは何ともならないと腹を据えてドアの所まで一杯の所に潜り込みドアの所で一歩も動けずしかも、隣の方は若い女性だし・・・。私は両手を挙げた状態のいわゆるホールドアップの金縛り状態で岐阜羽島までの2時間を我慢して、翌11日には朝イチの米原発の新幹線で大阪乗り換えで(大阪までは大阪止めのこだまだったので座れました)博多までのほぼ4時間は全く座れない状態で足はだるいは腰は痛いはで大変な思いをしましたが何とか博多でレンタカーを借りて長崎の目的地のホテルに着きかつての職員と合流し取り敢えずそこでじっくり話をしながら食事をして、ホテルに泊まり翌朝から警察やその他ご迷惑をかけた所に謝りに行き、かつての職員に「当法人でもう一度頑張れ」と言う事で午後の新幹線で帰ってきました。(帰りの指定は取れましたので座れました。)ちなみに今はかつて以上に頑張って仕事をしています。一度『縁』を結んでまた頑張りたいと言う職員は貴重な戦力です。これからもますます頑張ってくれると信じてます。だって『縁』と言う字は『えにし』と言うことですから。今日は一年前の事を熱く書きましたが、昨年が入院の日々だったらこんな事は出来ないので、やはり健康にはしっかり留意した生活を退院後はしたいと今は考えています。(『今は』は反省してない証しか)