5時51分、少し遅い出発です。(一日坊主にはなりませんでした。)

令和1年6月7日

家の玄関先で靴の紐を結び直しながら「7時30分に朝食をたべるのか」と考えていて、「ぴーんポーン。コース変更」と言う事で青坂神社と妙応寺とお墓参りコースに決めて早速歩く事にしました。

1 3 

青坂神社の境内に足を踏み入れると、小学生や中学生時代に「ここで野球をして遊んだな。しかし、よくもこんな狭いところで野球をしたものだ」等と思いながら携帯で写真を撮りました。

2 4

途中で大きく切った丸太が積んでありました。「この丸太はかつては幟を揚げる時に使っていたものだ。幟を揚げる作業の時には紐の結び方もわからず肩身の狭い思いをしたな」と考え深いものがありました。

6  5 10 9 7

いよいよ神社の階段を昇りました。「確か100段はなかったな」と数えながら昇って行くと最初の踊り場で31段あり、「今上がっているところからトンネルになるんだ」と久しぶりのワクワク感です。引き続き階段を昇ると67段あったので階段の数は98段とわかりました。全部階段を昇ると爽快感と言うか達成感のようなものを感じています。再び階段を降りて行くと貨物列車がゆったりと走っています。「しかしながら最近の貨物列車は長くなったな」と感じているのは私だけでしょうか。お寺に行く近道で山道を降りていく途中に徳川家康が座ったと言われている石があったのですが、看板のみで場所移動したことを知りました。山道を下りる時に「若いときは飛ぶように下りたのに・・・。」

 12 17

山道を降りきるとマンボ(トンネルとは言いません)の中を歩いていて道沿いにある川を覗くと魚がいっぱい元気良く泳いでいました。私も子どもの頃はこの川の上流で水に浸かっていたな。(泳ぐ程広くないので、よく潜っていましたっけ)

14 13 15

曹洞宗の別格本山である妙応寺は流石に立派。今須がかつて栄えていた証しかな。本堂の中に入ると大きなチャイムの音がしてご迷惑だと考え本堂前でお経を唱えていて気が付いた事があります。それは、日めくりカレンダーがあり7日になっていたから『凄い』と思った次第です。本堂からお墓の方に歩いている時(616)住職がお経を唱えられていておリンの大きな音が聞こえました。

我が家のお墓でお経を唱えながら墓誌を見ると秋江さん、進さん、英子さんの三人の法名が書いてあり、あの世か天国かで三人はどんな関係で過ごしているかと考えると思わず笑えてきました。「親父と二人のお袋、私は元気に頑張っているので、少しは安心して仲良く三人楽しくやってね」と語りました。今日は関市での葬儀に参列して、全国老施協の動きも気になるので情報収集もしながら充実した一日にしていきます。リピーターの皆さんも鬱陶しい雨空ですが気分は爽快に過ごしてください。

18

(追記)最後の写真は私の家の橋向こうの倉庫のシャッターの絵ですがしみじみ見て写真に納めたものです。

 

午前5時09分歩いてます

令和1年6月6日

「ホーホケキョ」「ち、ち、ち」ほかの鳥のさえずりで、一旦止まって歩数を確認『2050歩』によしよし。521分初めて散歩されている方に会い「早いですね」とご挨拶。(ちなみに車には会ってません。)

9 10

途中若宮さんにお参りして、午前533分目的地の聖蓮寺に到着。本木戸が開いてないので横からそっと入ります。本堂前で四国遍路で覚えたお経を唱え、親鸞さんの像に手を合わせお賽銭をそなえようとすると私が以前歩いていた時のお賽銭がそのまま置いてありびっくり。

7 8

552分にようやく太陽が山から現れました。畑作業をされている方に声をかけると「若山さん?」と返ってきたので「はい」と答えると「久しぶりやね、どこか悪かったの」と言われたので「ばたばたでなかなか歩けなくて」と言うと「それならいいんやけど」には参りました。

6 5 3 2 4 1

先程家にたどり着き携帯で歩数を確認すると7000歩を越えていて改めて散歩の凄さを感じました。と言うのは毎日ばたばたとうごめいていますが、お客様の対応があれば事務所から会議室に行ったり来たりで歩くくらい。たまに施設の内外を歩いてもせいぜい5000歩が良いところ。朝の冷気を感じ鳥の囀ずりを聞きながら快適に歩いて、湯船につかり、さっぱりしてから一日の仕事に入れる。何と幸せな事か。今日は今月24日に行われる研修会及び角田君を励ます会の会場の打ち合わせを岐阜グランドホテルで午前中に終えて午後は具体的な流れを猫田県議会議員と猫田事務所で行い、夜は大変お世話になった関市にあるかつての施設長さんで元軽費ケアハウス委員会の副委員長をしていただいたかたのお通夜があります。今日も一日ばたばたですが、ばたばたでうごめく事が出来るのは、職員が一生懸命頑張っていてくれるからと感謝しながら頑張ります。リピーターの皆さんこれからも社会福祉法人杉和会は地域の為に貢献しますので応援宜しくお願いします。

 

 

今須中学1年生に講話をしてきました

令和1年6月5日

例年今須中学1年生に6月は講話をさせて貰い、7月には施設での体験学習で入居者さんとの交流の時間を持ち、8月は本部施設で行われる夏祭りのイベントに参加して貰い、翌年3月には総合学習の発表会に招待を受け発表の講評をさせて貰うのですが、本日は今須中学校に講話をさせて貰いに行きました。

IMG_1943 IMG_1944

今須中学1年生総勢11名と教頭先生、担任の先生、副担任の先生を前にして1時間半しっかりとお話をさせて頂きましたが、今須っ子は「超まじめ」な為に私の得意な「おじさんギャグ」を連発しても全く受けなくてノリノリの講話になかなかならなかったのですが、真面目な聞き上手な面々だったので、聞き手に私が引きずられるようにして講話が進みました。話を姿勢が良いのと目の輝きに対して私自身エンジンがかかり、予定の時間がアッと言う間に来てしまい、質問の時間に食い込んでしまったのですが、担任の先生のご配慮により時間延長を認めて頂き生徒さんの質問にもしっかり応える事が出来ました。

先般、岐阜県老施協総会で講演して頂いた大谷徹奘師は自信を持って同じ話を聞き手に合わせて変えていく形だと言う事を師の著書とCDで確認して、「私もその流儀で行こう」と決めていたので、最初の話は私が小さい頃虚弱だった話から、『福祉』の語源の話をさせて貰いました。つまり、福祉の『福』にも『祉』にも『しめす辺』があり、『示』は神様にお供えする三方の事です。と言ったら、三方を知らないような表情だったので、「今も若山家では初なりのものやお土産などを頂くと仏さんにお供えします。」と講釈したりして・・・。最後には、『介護の仕事はやりがいがあり、尊い仕事なので10年後にはこの中の一人でも二人でも介護の仲間でいてくれたら嬉しいし歓迎しますと話して最後に83日が夏祭りなので是非協力して下さいと話をして講話を終了しました。

IMG_1945 IMG_1946

 

土砂崩れ防止壁の工事の状況を確認して感動しました

令和元年6月4日

施設の南斜面の土砂崩れ防止壁の工事を2015年度から岐阜県の補助事業として施設の西側から実施して頂いていて順次工事が進み、5年目を迎えて150メートルが完成して施設の出入り口まで完成したのを、今、工事をして頂いている斜面を登ってみました。その時の写真が下の写真何ですが施設を上から見るのもなかなか良いものだと思い、携帯で写真を撮りました。そして、山の上に登って分かったのですが、名神高速道路の下り車線を走る車をはっきりと見る事が出来るのです。と言う事は名神高速道路を走っている側からも私が立っているのがしっかり見えると言う事なんだから・・・。「よし、山の斜面にネオンサインでもつけたろか。」等と思ってしまう私は変なのでしょうか。施設の西側奥には今までの倍以上に大きな砂防を計画して頂いているとの話を岐阜県土木事務所の担当の方から聞いていますし、より安心出来る施設にしただけているのは本当にありがたい事です。この工事をして頂く為に岐阜県高齢福祉課を通じて何度も話し合いをしたのは事実です。何故なら、震度「7」にも耐え得る建物を建てさせて貰ったのも関わらず関ケ原町さんの「福祉避難所」の指定が頂けなかったからです。確かに「イエローゾーン」の斜面ではありましたが、防災備蓄倉庫を造り食料品、水の確保だけでなく、衛生用品、簡易トイレ、蓄電池まで揃え3日間の籠城が可能になるようにリスクマネジメントの権威者であるびわこ学院大学教授の烏野先生のご指導で確保させて頂いたのだから。勿論、災害などないに越したことはありませんが、5月の北海道で39度と言う異常気象だつた事を考えると「想定外」な事がいつ、どこで起きても不思議ではありません。いやいや、当地で起きなくても災害が起きた地区のお手伝いが出来る事も考えて・・・。これもまた、中村会長が健在な時に熱く語られていた『先を見る』事にも繋がると考えています。岐阜県の多大なご理解に感謝しつつ、当法人が出来ることをこれからも頑張っていきますのでリピーターの皆さん、当法人の展開も見守っていて下さい。

2019060410185601 2019060410190601 2019060410192001

 

昨日の『自覚悟』について、より突っ込んで書きます

令和元年6月3日

私は昨日の結論で『腹をくくる』と結び、書いた後からずっとしっくりこないなと思いつつ、私の人生ですから自分なりには理解し消化できたように思っていましたが、殆どのリピーターさんにとっては「なんのこっちゃねん」と言う書き振りだったと反省して、自分で問答をした結果を書く事にします。私は虚弱児で自分では何も出来なくて、いわゆる『自立』をしたのは38歳の時だとは何度も書きましたが自立をしたから『悟』を拓けた等とは全く思っていません。但し『自律』に向け努力したことは私自身誇って良い事と自負しています。「反社会、非社会の子どもに個別指導をしたい。」と言う思いだけで、児童養護施設の児童指導員を辞し、まっしぐらに突き進めるものと思っていた私には、いわゆる『腹をくくる』試練が一杯いっぱい待ち受けていました。砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』の詞をお借りするなら「夢中で駆けた時代もあった、振り向けば、雨や嵐の時代もあった」と言う事何ですが、雨や嵐は必ず時間と共に過ぎ去りますが『腹をくくる』事は決して時間が解決してはくれません。つまり、頼れるのは自分だけ・・・。(ここで、先般、嶋聡先生からのメール送信での通信を読ませて頂いた時に『成功者は運が強い』との事が書いてありました。)苦しんで苦しんでもう駄目だと思う試練が一杯あり、腹をくくった状態の時にいつも救いの手がありました。今から思うに、一生懸命に尚且つ純粋に行動している姿を多くの方が見ていて下さり、救いの手を差しのべて下さったから、土地もない、社会的地位もない、お金もない私が今こうして事業をしながら「地域貢献こそ大切」と声を張り上げて言えるのも支援をして下さった方々のお陰。施設が出来た当初は私自身が舞い上がり、施設もくしゃくしゃになった試練もありましたが、その時も腹をくくり、自ら施設長を辞し一職員として1年半の経験が今に生きていると思います。『腹をくくる』試練を一つひとつ乗り越えさせて貰って今があるのだと思うと『自覚』も『覚悟』も周りの方々によって築いて行くものだと気が付きました。色々な方の支援を頂くには日常での感謝こそ大事と言う当たり前のところにたどり着きました。『運も実力のうち』と言いますが『運』を引き寄せる毎日があればこそとも思いました。これからもたゆまぬ努力をしてまいる所存でおりますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

バテバテで午後から休みを頂き二時間寝たので頭がピュアになりました

先般講演頂いた大谷徹奘(てつじょう)師から頂いた事を書く事にします。大谷師の講演のキーワードは三つありました。一つに『よっぽどの縁』二つに『自覚悟』(じ・かく・ご)三つに『身心安楽』(しんじんあんらく)です。その中で今回は『自覚悟』について書く事にします。先ずは師の講演の説明をします。悟りについての話になり、本来『悟』は『自覚』と『覚悟』の二つの言葉からなり、『自』と『覚』を取り『悟』の意味になったと言われました。確かに『悟りとは』などと問われた時に何となく分かったように知ったかをしていたように思いますが『自覚』して『覚悟』をしたのが『悟』と言う本来の意味だと言われてみると、「スカッと」わかったように思いました。つまり、どこかの番組ではありませんが大きく「ガッテン」と言う事です。私はこのコラムでも書いたと思うのですが、『38歳の時に初めて自分で自分の事で決断した。』と。その決断とは13年も勤めさせて貰い、嫁さんも子どもも二人いる中での決断でした。つまり、ここでの決断は大谷師の言い方をするならば『よっぽどの決断』であり、その決断を許してくれた家族がいると言う事です。38歳で児童養護施設の児童指導員を辞しフリーの立場で大学、短大、専門学校で多い時は週に13コマの講義と家庭教師、そして本来したかった非社会、反社会の子どもたちの個別指導に取り組み、理想に燃えた『覚悟』はありましが現実問題としての『若山家の経済状況』を日本の制度は認めてくれず、私の覚悟は挫折に変わるしかなかったのですが、固くなな考えではなく、理想の形を変えていく事で自分の『自覚』が芽生え今の自分を作り、まだまだ『悟』の境地には程遠いですが『自覚』をする中から『覚悟』が作られたと思います。私の場合は『覚悟』と言う言葉より『腹をくくる』と言った方がより的確な言葉だと思います。と言う事は日本の制度が、社会が、地域が私の今の形を作ってくれたと言えるのかも知れません。正直、大谷師の講演内容とはかなりずれたものになってしまいましたが、リピーターの皆さん私の意を理解して頂きご意見を頂ければ幸いです。

飛騨支部の役員さんは暖かかった

ホテルから歩いて5分のところに会議および懇親会を行う会場があり、驚いた事に岐阜支部長が駐車場のところで迎えてくれました。会場の玄関先は外国の方が記念写真を何組もとられていて、一瞬「ここは日本なのか」と疑ったりして。私も思わず写メで写真を撮り会場に入ると支部長さん、副支部長さんはみえており、役員の一人の方が時間を間違えてみえて、携帯で連絡をとり、定刻より5分遅れの16時5分に役員会が始まり令和元年の事業計画も無事に承認され、岐阜県老人福祉施設協議会会長としてご挨拶と共に人材を中心に話をさせて頂きました。役員会が終わり懇親会の準備の為、30分の休憩の後に、交流会が始まりました。飛騨は酒何処だから気合いを入れて飲まなければと思っていると副支部長の片岡施設長さんから乾杯発声のご指名を頂き乾杯のご挨拶をさせていただき、最初の一杯は生ビールを飲ませて貰い、後は熱燗に切り替え飛騨牛の焼肉で(全くきめ細かい霜降肉です)ガンガン飲みました。20時前に参議院議員組織内候補予定者の角田氏が来てくれて、それぞれに挨拶をして、一次会はお開きになり、大概飲んだのですが、二次会に歌が歌えるところに移動し、懲りる事なく『人生夢の途中駅』を歌いつつウィスキーをロックで頂き、角田氏と同じホテルと言うこととあまり夕食を食べられてないと言う事で、ラーメン店に行きまたまた、ラーメンと共にビールを頂きました。今朝は飲みすぎたと後悔しながらお風呂に入りましたが全く汗が出なくて「やばい」と思い、ベットの上で体操をして、再びお風呂に入るとタラタラの汗が出て、ようやくシャキーンとなり、時間がないので慌てて着替えと荷物の整理をして1階のフロント前に行き、しばらく待っていると全員揃ったので『かくた後援会加入促進』の為に角田さんを乗せ施設訪問に。昨日お会いした施設長さんだけでなく、土曜日にも関わらず、法人役員の理事長さんや常務理事さんがお向かいして下さり、角田氏を交えての情報交換をしてどの施設も暖かく迎えて頂けました。飛騨支部は面積が広いので、2日間の走行距離は482キロを走破しました。岐阜県老施協会長になり4期目(7年目)を迎えたのですが、支部長さんの協力と理解が得られていることに感謝して、18時前に岐阜羽島に角田氏を送り届けて、ホッとして、今は家の湯船に浸かりながらコラムを携帯に打ち込んでます。次回は10日に中濃支部を角田氏と共に回る事になってます。このように一生懸命に活動するのは介護を取り巻く環境が厳しさを増していて政治力も必要だと思うからです。リピーターの皆さんも熱いメッセージを宜しくお願い致します。

2019053117410301 2019053117432801

今(12時09分)から飛騨高山に向かいます

令和1年5月31日

本日は飛騨支部の役員会と交流会があり車で走ってます。但し、運転については当法人の職員にして貰っているので、楽々でコラムを携帯に打ち込む事ができます。

明日は飛騨支部の会員施設の理事長さん、施設長さんをはじめ職員さんと親しくお会いしたくて一日かけて回る予定をしてます。岐阜県老人福祉施設協議会会長の職について三期6年勤めさせて貰い4期目になり、ようやく会員施設のニーズに合わせた対応に努めれるようになってきました。このように出掛ける事が出来るのは施設での対応がしっかり出来ているからであって私が偉いからではないと思っています。

岐阜県は明治になるまでは(江戸時代)美濃国、飛騨国の二つの国でしたので、少し前までは飛騨地区に行くのは『異国の地』のような感覚でいました。国府も一の宮もそれぞれにあり、美濃は濃尾平野に代表される稲作の拓かれた地であり、飛騨は山に囲まれた地と言うイメージがあり、児童施設に勤務していた時に高山の施設に出張で行くとなると朝6時には家を出ました。(今、東京で10時までにいく時も家を6時に出れば楽々です。)しかしながら、今は東海北陸自動車道を走れば二時間余りで高山に着くわけだし、もっともっと飛騨支部の方々と近い関係でいたいと考えています。飛騨支部の会員施設の介護人材に対する厳しさを理解して組織として何をしていくべきかを今日と明日で方向性を見いだせればと考えています。今回が役員会への出席は2度目ですが今日はどんな新たな出会いが出来るかワクワクしてます。

なお、明日の施設訪問に合わせて全国老人福祉施設協議会の組織内候補の角田理事と夜には合流できるので、角田理事の素晴らしさを出来るだけ多くの方が理解してくれたら嬉しいです。角田氏は宇都宮市議会議員で特養の施設長と言う立場を投げ捨て選挙戦に挑むのだから、私自身も岐阜県でしっかり浸透するように頑張りたいと思います。

ひるがの高原のサービスエリアで遅い昼食をとり(お腹が空いていたので大盛りのビーフカレーを食べました。)工事中の為に自動車道を清見インターで降ろされ、しばらく走って行くと温度表示が『12度』です。2、3日前には30℃あったのだから、思わず絶句。入居者さん、職員共々体調に気をつけて貰いたいと思いました。勿論、リピーターの皆さんも留意してくださーい。15時前に宿泊するホテルに着きチェックインをして、荷物を部屋に置きました。さて、飛騨支部の役員さんと忌憚なく話し合いをしてくる為に気合いを入れて会場に向かいます。リピーターの皆さん明日のコラムで良い報告ができるようにエールをお願いします。

目が回る忙しさ。でも、愚痴は言いません。感謝です。

朝一で(6時)施設に行き、宿直の事務長と本日15時から開催される杉和会理事会の打ち合わせをして書類の整理をして決済をして8時40分になり、慌てて家に帰り、スーツに着替え10時30分から行われる岐阜県社会福祉協議会理事会に出発。開催予定時間の15分前に会場に着き、先般行われた岐阜県老施協の総会に来賓として来て頂いた県社協の常務理事さんにお礼の挨拶をすると共に席に座られている委員さんにご挨拶をして席につくと県社協の事務局長さんが「定刻5分前ですが、参加予定の委員さんが揃われましたので開催します。」との事で会議が始まり、会長さんの挨拶の後議題の説明を事務局の方がされる中、進行していったのですが、その中で『人材確保』について私は敢えて手を挙げ質問しました。人材については切実な問題であり、費用対効果の面からも黙っているわけにいかなかったのです。私は単に企画をこなしていたら大丈夫的な発想にはなれないから敢えて質問したのです。そして回答を担当部長がされたのですが、あまり次回につながるものではありませんでしたが、会長さんや常務理事さんが理解をしめして頂けたのは良かったと思いました。予定の12時に会議は終了し、お弁当が出たのですが13時30分から本部施設で監事監査があるので10分もかからず食べ終わり、皆さんにご挨拶をして一番に帰らせて頂きました。13時過ぎに施設に着き、会議前の打ち合わせをして、13時30分から監事監査、理事会、評議員の選定委員会議と全てが終了し、和合の決済をすませて、17時から選定委員会に来て貰った垂井町会議員の乾さんと情報交換をして、18時過ぎに帰宅して、速攻でお風呂に入りながらコラムを打ったのですが、汗がしたたり落ちお風呂での限界を感じお風呂からでると食事の準備が出来ていたしお腹もぺこぺこで、コラムより食事を優先させて、食事に集中。食事を食べ終わると睡魔が襲いコラムを書く事が出来ず真剣に瞬間的に寝て、再びコラムを書いて、ようやくコラムが完成したのは20時40分。でも、考えたら21時前だから、これから寝たら明日からの飛騨支部との交流を大丈夫にしなければ。しかしながら、この充実した日々に感謝です。なお、飛騨支部では明日16時から開催される役員会に参加して、その後の懇親会と続き高山で泊まり、翌日は朝から高山より北の神岡に行きそこから順次南下して下呂までの行程で施設訪問をします。勿論下呂の施設を訪問したあとは本部施設まで帰るので、どちらにしてもハードです。リピーターの皆さん、こんなハードな生活をしている私に拍手をお願いします。

川崎市で児童ら19人が刺され二人死亡したと新聞に大きな見出しです

令和1年5月29日

スクールバスを待っていた6歳から12歳の児童が次々と包丁で襲われ、保護者を含む19人が刺され、二人が死亡、三人が重症で刺した男は直後に自分の首を刺して死亡したとのおぞましい事件が昨日起きたと報道されてます。痛ましい事件ですが、考えられない事が最近多すぎると思っています。テレビの報道での情報ですが、犯人は長い間家で引き込もっていて、少年漫画がいっぱいあったとのことから私なりの考えを述べるなら、誰とも会話せず、漫画の情報のみの世界で生きてきたとしたら、殺伐とした気持ちを外に向けた結果として、起こるべきにして起きたと言っても過言ではないと思います。漫画の中の人物は平面な世界であり、刺されて死んだとしても、鉛筆一本で復活させる事ができるが、現実の世界で包丁を使い刺したら死を迎えたり重傷者を出したりするのは当然の結果だと思います。ひょっとしたら、自分で首を切り付けた時も、痛みもなく、血が出ても死ぬと思っていなくて、復活すると錯覚していたのではないかと思ってしまうような出来事でした。しかしながら現実は残酷です。外務省に勤務していて信頼も厚く、素敵な父親だった方が被害者になられているのですから。引きこもりの方が何十万人といる現実に早く立ち向かい対処する事を望むと共に二度とこのような事件がおきない事も望みます。

 

1 220 221 222 223 224 225 226 227 228 294