人材確保の取り組み

令和元年9月24日

本日18時30分からデイサービスの職員と会食を共にして話し合いを持つので多分、帰りが遅くなり、自宅に帰ってからコラムの原稿を書くとなると、眠さとの戦いになり、書き終わった時には空が白々としてくるようでは次の日に堪えるので、時間を見つけてパソコンに向かってみても、本日閃くような話題もなく、キーをたたくことが出来ない。人が見ている前で話をするのであれば『ツクツクボウシ、ツクツクボウシ、ミーンミーン』と柱につかまって居直った行動を取ってその場をしのいだ事は何度かありますが、「ツクツクボウシ、ミーンミーン」を文字にしても面白くないので・・・。と言う事で前置きが長くなりましたが、表題にある『人材確保の取り組み』について常日頃、私が考えていることを述べさせて頂きたいと思います。

私が本館施設の事業開始をしたのが平成10年5月で、新館施設の事業開始が平成16年の4月でこの頃は大学、短大、専門学校、高校での新卒者の採用については殆ど苦労することなく採用出来ました。

しかしながら、平成18年8月8日から全国老人福祉施設協議会の役員として本部がある東京に行き、全国の役員さんから「人材確保の難しさ」について多く聞く機会があり、確かに当施設においても一人の職員を採用するのにも難しさを感じるようになりました。

そして、その事を言い表す統計として、介護福祉士養成校の学生が顕著に減ってきています。私はその当時の全国老人福祉施設協議会の中村会長から「5年先、10年先戦略を理事長であれば持っていなければいけない。」と言われていたので『人材確保に対する法人としての方向性を示さなければ』との思いの中から、その当時の21世紀財団の補助金を頂き事業所内保育所と同時に職員用宿舎をつくり、子育て支援体制の充実を図り、次の手立てとしてEPA介護福祉士候補生としてインドネシアから4人を迎え、最初に来てくれたシスカさんは、日本に来てもうすぐ10年になり、その間に結婚してインドネシアから旦那さんを呼び寄せ、今では2人の子どもにも恵まれ4人家族で頑張っているので、今も毎年2人ずつインドネシアから来て貰っています。

また、和合の施設には今年初めてベトナムから留学生を2人迎えました。そんな中で今戦略として考えているのは、残念ながら帰国した職員を、『特定技能』と言う新しい制度で改めて迎え入れればと考えています。その他にも『中高年者の雇用』『障害者雇用』『特別支援学校卒業者』『人材派遣の活用』等々と裾野を広げながら、全国老人福祉施設協議会及び岐阜県老人福祉施設協議会会員の皆さんにメリットになるような仕組みを構築出来たらと考えています。リピータの皆さんも何か良いアイデアがあれば教えて頂ければ幸いです。

※ 平成26年4月に事業開始した和合の施設の新規採用では70人の職員を採用出来たので、開所当初からフル稼働出来たのですが、確かに平成25年度の状況は採用が厳しい状況の中でも採用出来たのは大胆な予算を確保し広報活動として、ホームページの全面リニューアルと平行して新聞折り込みを1回当たり165000枚を7月、10月、1月と大胆に配布したのと精力的な学校回りが功を奏したのですがあれから6年が経過しているので、同じ手法だけで上手くいくとは思わないので、新規事業に際してはもっと凄いアイデアでの実践が求められると考えています。

マニュアルについて

令和元年9月23日

朝のニュースで、台風15号により9月9日未明からの千葉県の停電が未だ完全復旧していない事に対して、「地震によるマニュアルはあったが風水害に伴う停電のマニュアルがなかった。」とのコメントがなされていたのには違和感を持ちながらも、昨夜18時から行われた和合での研修及び全体会の折り、びわこ学院大の烏野教授のお話の中で、「マニュアルはどこかで作成されたものをそのまま活用しても意味のあるものにならない。何故ならば実際に運用する時に全く役にたたないから」との指摘を思いだしました。

具体例として災害マニュアルの準備するものの中に古新聞1か月分と言うのがあり、ある施設の相談員に確認したら、きちっと1か月分ありチェックリストにもチェックがしてあったので「流石ですね。ところでこの古新聞を災害時にどのように活用するのですか」と聞くと(しばし時間をおいて)「新聞ですから何もすることが無い時に読むんですよね。」と答えられたとのこと。施設長さんに聞いても同じような答えが返ってきたので、古新聞の活用方法について解説されたそうです。その内容は「雨が吹き付けるのに備えて、サッシのレールの所に古新聞を敷き詰めておくと雨が施設の中に入るのを防ぐと共に水を含んだ古新聞で汚れたガラス戸を拭けば簡単に汚れを落とすことが出来る。」と言うものでした。この古新聞の活用を理解していなければ古新聞は『不要の長物』と言っても過言ではないと言えるのではないでしょうか。

『災害』と一言で言っても、例えば5年前の広島市を襲った『土石流災害』。4年前の茨城県常総市では鬼怒川決壊による『大水害』。3年前は熊本県を中心とした『地震』。2年前には九州北部の『豪雨』。昨年は2月の福井市内を襲った『大豪雪』、7月の西日本『豪雨』、9月には北海道で『地震』。今年は6月~8月に九州南部・北部の『大水害』、9月の千葉県内の『大停電』と、災害についても被害の対応も違うわけで、一つの正解はなく、それぞれに違いを想定した対応マニュアルが必要なのですが、実際に起きてみないと(起きて欲しくはないですが。)理解出来ない事も多くありますので『想定外』と言う言葉がまかり通ってしまいがちです。「備えあれば患いなし」の為に汗をかき、「このマニュアルはどのような考えから出来たものなのか」を周知することが大切だと思いました。

この事から学ぶべきはマニュアルは失敗の中から学び、同じことを繰り返さないと言う事なのですが、『災いは忘れた頃にやってくる』との昔からの教えを生かしていきたいと思っています。このことはケアについても同じことが言えると思います。例えばマニュアルでしなければいけない事が5つあったとして、その内の1つを抜いても事故なく出来たとしても、何度かしている中で事故になる事も有り得ると思います。もし絶対に起きないのであればマニュアルの簡略化を検討すれば良いと思います。と言う事はマニュアルは常に徹底すると共に進化すべきものだと思います。

リピーターの皆さん本日は少しハードな話題でしたが、日々の生活の中で生かして貰えたらとの思いで書きました。このように書けるのは、防災備蓄及び対応について積極的に取り組んでいるからです。但し、完璧と言う事はないのでこれからもしっかり取り組んでいきたいと考えています。だって、3週間の停電は経験したことがないし、想定外がおきている以上真剣に国及び岐阜県と協議すべきだとも思っています。

 

千願経が立派に行われました

敬老週間の最後を飾るのにふさわしく千願経を滋賀信行会(本部は長浜)のご協力を得て行いました。千願経とは『般若心経』を皆さんで千巻唱えると場が清まり、幸せと健康長寿を叶えられると言う事で、入居者、利用者、家族、来賓、職員総勢150人で大きな声を張り上げて唱えました。21巻唱えたので『千巻』どころか『三千巻』以上唱えた事になります。滋賀信行会の青年部の方が例年よりも多く参加して下さったお陰だと思います。一週間を通しての敬老週間のイベントは本日で終わりましたが、日常の中でももっともっと楽しむ事を提案し実践していきたいと考えています。当面は10月3日の松茸バイキングを楽しんで貰うために職員と入居者、利用者で雰囲気を盛り上げて行くために頑張ってもらおうと考えています。しかしながら、よーく考えてみたら10月3日までに2週間もないのです。何とタイトな計画を立てて実践しているのかと、自分自身でもしみじみ呆れ返る状況ですが、入居者、利用者の方の嬉しそうな顔を見るとやるのは当然と言う結論にならざるを得ないです。さて、本日の千巻経にも多くの来賓の方が来て下さりました。そこで、元大垣市議会議員で当法人の評議員の山口さん、関ヶ原町議会議員の中川さんと今須地区長の松井さんに来賓としてのご挨拶を頂き、その後滋賀信行会会長の内藤さんに千巻経について話をして貰い、般若心経を21巻一気に腹から声をだして唱えました。般若心経を唱えながら高校2年の夏休みに始めて四国巡礼の歩き団参に参加した時の事を思い出していました。と言うのも私を四国に導いて下さったのは熊のようにでかくて鉄砲撃ちの伯父さんが熱心な信仰家で、母親代わりだった6歳上の姉光子が急逝しその当時凧の糸が切れたような生活で心が荒みわけのわからない日々を送っているときの導きで、その時の体験が私を福祉の道に導いてくれたと言っても過言でないと思っているから。その当時、荒んだ生活をしていなかったら伯父さんは四国への導きをしなかったかもしれないし、仮に四国に行ったとしても、大した収穫を得られなかったかも知れない。そう考えると人生に無駄なし。その時その時置かれた状況に精一杯向き合っていたら活路は拓けると言う事かな。そう考えると今日の参加者の中にかつて入居されていた家族の方が二人参加されていました。この二人の方を「たった二人か」と思ってはいけません。当施設ではご縁を頂いた方はとことんご縁を大切にすると言う証。勿論入居されている時は職員が一丸になってお世話させて貰い、亡くなられてからもご縁を続けて頂ける方は大切にする。そのスタンスが今日の千願経に多くの方が来て頂けたと言う事だと思います。つまり『点を線にし面から立体にする』と言う事。リピーターの皆さん本日のコラムは千願経の高揚感の中の原稿なのでかなり自己満足の世界かも知れませんがご容赦下さい。

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『思い立ったらすぐにやろう』

令和元年9月21日

週刊現代9月28日号の『週間運気予報』の5月生まれの書き出しです。その中で「日頃できなかったことを一気にやってしまえば後が楽になる。」とも書いてありました。この雑誌は昨夜我が家の新聞受けに届いていたのですが、気付いてなくて昨日気になった案件があり早朝6時に施設に行きその対応を終え朝食の為に家に帰って新聞受けの新聞を持っていこうとすると週刊現代もあり、朝食後にページをめくると冒頭の記事を見つけて、「これは私の為の予報だ。」と思った次第です。(このように都合よくプラス思考で考えれる私は幸せ者です・・・。いやいや楽天家ですかね。)朝早くからの対応に対する答えは直ぐには出ないものですが、私の母親秋江さん流に言えば『蒔かぬ種は生えない』けど種まきは出来たと言うことで、やがて芽を出し花や実を持つのかな。

もう一つ、気になる事は事務所内の私の机の上が書類で山のようになっていて、パソコンを操作するのにやりにくくて仕方がないのに、片付けも出来ない位にバタバタしていて、決して弁解するわけではなくて事実なのです。だって本日も9時30分のお約束のお客さんも予定より早くおみえになり、2時間近く話し込む事になってしまい予定は狂いっぱなしで。私の口癖『予定は未定であり決定ではない』だからこそ、時間を上手に使わなければと改めて思った次第です。

明日は、明日で午前中に人材関係の打ち合わせがあり、昼からは敬老週間の最後のイベントとして『千巻経』がありばたばたになるので、空いた時間を上手く活用して効率よく片付けをして世間が言う連休明けからはバリバリと地が足に付いた対応と共に新規事業についても頑張りたいと今は考えているのですが、机の上は綺麗になりましたが、ボランティア室の山のような荷物を考えると、またまた片付けは先送りかなー。いやいや、明日は出来なくても明後日は頑張って片付けようと今は豆腐、いやいやせめて、こんにゃく、いやいや鋼鉄のように固い決意で頑張りたいと思います。

今、原稿を打ちながら財務官僚が厚労省の官僚に対して「机の上が片付いてないのに良い仕事が出来るわけがない」と馬鹿にする風潮があると聞いた事があります。私は厚労省の官僚と同様と言うのはおこがましいですが、仕事を効率よくする努力をしていきたいと今は考えています。リピーターの皆さん机が綺麗になったら誉めてやって下さい。私は誉められて育つタイプなので・・・。

敬老週間5日目の本日は『バラ湯』です

令和元年9月20日

朝食を6時30分に食べ(早くに準備してくれた奥タマ『かをりさん』に感謝)7時過ぎに家を出て神戸(ごうど)にあるバラをビニールハウスで栽培しているかつて和合の施設の利用者さんのところに向かうのですが、正確な場所を把握していない私の為に和合の職員がコンビニの駐車場で待っていてくれていました。約束の時間は8時だったのですが8時10分前に私は駐車場に着いたのですが、既に車から降りて私を待っていてくれて「流石に出来る職員は違うな」と思い、車から降りてお礼を言ってから道案内をして貰う。

道案内は目的地はすぐだったので、8時丁度に着き、作業をされていたのか何度も大きな声で「おはようございます。」を連呼すると私のところに来て下さり思わず「9時だと聞いていたので、直ぐに入れ換えます。」と言ってバケツ2杯に山盛りになっているバラをビニール袋に。「流石に一万円分のバラの花の量は半端でないな。入居者さん、利用者さんの嬉しそうな顔が目に浮かぶ。」と思わずわくわくしてきました。

そして、22日の千巻経の時に来て頂く方にも立派なバラの花を見て貰いたいと思い「3千円分の売り物のバラをわけて下さい。」と言うと「たくさんの量になりますよ。」と言われたのですが「大丈夫ですからお願いします。」と言うと冷蔵庫の中から持って来て下さり1本ずつ丁寧に選んで下さいました。多分1本100円の計算で30本のはずなのに沢山余分に入れて下さり凄い花束になり13000円の現金をお支払し車に乗りました。

施設に向かう車の中もバラの匂いに満足して、施設に着き車を停めると待ち構えていたように職員がバラを受け取りに来て、私が玄関に入ると既にテーブルに新聞紙を敷きバラの花を並べている。私は思わず並べられたバラを写メで撮っていると、新館、本館、デイの職員代表者がビニール袋を持って来てバラを入れ始める。紅一点の新館の職員は情け容赦なしにどんどんビニール袋へ。デイの北島部長は一つひとつ吟味しながら大切にビニール袋へと入れ方は三者三様。ただどの職員もバラの花をお風呂に浮かべて入られる入居者さん利用者さんの笑顔を思い浮かべるとワクワク顔であった事は間違いなし。浮かれている時に思わず記念写真。職員がワクワクしながら企画をすることが大切だと改めて思った次第です。

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寿司吉のパフォーマンスです

令和元年9月19日

敬老週間の4日目は「寿司吉の板さん」総動員のパフォーマンスです。理事長自らお寿司を握るわけにはいかないので、謙虚に寸胴を活用した味噌汁作りの担当を受け持ちました。10時から火をつける予定をしていたのですが、9時には既に着火準備が出来ていたので着火剤を割り木に点け、しばらくすると勢いよく燃えて、大きな鍋のいっぱいの水は15分でお湯になり、「お寿司を食べるのはたしか・・・12時からだったよね」と言う事で「早いことは良いことだ」と余裕を持ってくべる薪を少しづつに調整して中に入れる具をしっかり煮込むことにしました。

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里芋、大根、油揚げを先ずは煮込み、11時になったタイミングで1500グラムの味噌を溶かせ(もちろん、赤味噌)味噌が溶けた段階で10丁の豆腐を入れていよいよ完成と言う段階で大勢の入居者さんが見学にみえて、入居者さんのテンションが上がりっぱなし。見学に参加された方に味見をして貰うと、「薄い」「濃い」「丁度いい」などと様々な意見が出て私は思わず「どっちやねーん。」でも、それぞれの入居者さんの顔はとーっても良い顔。

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施設の中は「寿司食いねー」の曲が全館に流れていて、寿司吉さんが持ち込んで下さった屋台では板前さんが一生懸命にお寿司を握って下さっている。入居者さんもお寿司を食べる前からにこにこ顔。私は改めて「日本人ならお寿司は最高のご馳走何だと。」12時から入居者さんに食べて貰う予定でしたが、全てが順調に行ったので11時50分から食べて頂こうと、事前にお茶を飲んで貰い喉を潤して貰い、準備万端になったところで、『寿司吉』のオヤジさんにご挨拶を頂き、

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お寿司がそれぞれに運ばれ食べられるのですが、「ゆっくり食べて下さい」と言ってはいても好きな食べ物だから飲み込みも早くて1皿目に出た6貫を食べられた方が次の4貫を3皿目の4貫と、結局14貫をしっかり食べられました。1貫が大きくて食べれない方は職員がハサミで切って食べる配慮もしてくれたので、みんな綺麗に食べて頂けました。勿論、お寿司には『ビール』と言う事でビールも美味しそうに何倍も飲まれる強者もおみえになりました。私が2時間以上かけて作った味噌汁もお代わりをして頂けて私自身も満足、満足。今回の味噌汁は正に「男の料理」そのもののように大胆に作ったのが良かったのかな。

この寸胴での味噌汁作りはもう一つの理由がありました。その理由とは先般の台風15号により未だ電気が無い不便な生活を強いられているとの報道がなされていますので、電気が無くても200人分の味噌汁を簡単に作れると言う実証もしたかったからです。どちらにしても、皆さんが事故もなく喜んでお寿司を食べて頂けた事に安堵すると共に次回は10月3日に『松茸尽くしのバイキング』もきっと喜んで頂けると思いますので、職員一同ギアを上げて頑張りますのでリピーターの皆さんも一緒に楽しんで頂けたらと思っています。

ところで、当施設が、「寿司だ」「松茸だ」と企画を実践出来るのは、光熱水費等々を節約して捻出して入居者さん、利用者さんの喜びを企画しています。そうでなければ10億円宝くじにでも当たらなければ出来ませんよね。だからこそ「地道にコツコツで大胆に楽しむ」この発想を確実なものにしていくには入居者さんとその家族及び職員の理解が無ければ実現しなくて、理事長である私は旗を振っているだけなんです。

本日は東京出張です

令和元年9月18日

公益認定社団全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議が東京平河町の塩崎ビル7階で13時から開催される為、今(10時07分)は岐阜羽島で列車を待ってます。

私はコラムの原稿を書いて本日私が会議で提案すべき事をまとめる事にします。(一石二鳥と言う事です。)私はこの6月から総務・組織委員会委員長の任にあり、

①全国の会員施設に有益な組織であることを理解して貰えるように会員の要望を円滑にお聞きして、可能な限り要望を形にする為に各委員会と連携を取り形にしていく事

②新規会員を増やす為に加入する事によるメリットを分かりやすく広報する為に各委員会の連携を図る

③各委員会の幹事(若手の役員)に本会がまとめた2035ビジョンの推進役になれるような方向性を示していく。と言う役割があり、委員会のメンバーは、担当副会長、正副委員長、委員4人、幹事の8人で構成されており、事務局員がサポートをする体制です。

大きな組織ですので(全国を8ブロックに分け会員施設は12000施設です。)委員会のメンバーはしっかりとした考えをもって頑張って役割をしていかなければいけないと考えています。当面は総務・組織委員会が中心になって開催する『タウンミーティング』『ブロック代表者会議』『会員促進会議』『2035の会』(幹事との意見交換会)の企画と実施の充実を図っていきたい考えています。

但し、本日の会議では先般大きな被害が出て未だ完全復旧に至っていない台風15号について、情報収集に努め、今後の展開に生かして行く事が肝要だと考えています。つまり、全国組織として速やかな援助体制を取る為に何をすべきかをしっかり検討しなければいけないと言うこと。災害はいつ、どこで起きるか分からないし、災害の被害についても多様化してますので、早急にプロジェクトを立ち上げていく必要性を熱く語りたいと考えています。勿論、岐阜県老施協会長として、岐阜県に対して防災関係の陳情をより具体的にしていかなければいけないし、県の組織としてもすべき事の具体化に向けて実行すべき事が山積みです。

勿論、当法人についてもより充実した備えを検討し具現化していかなくればいけないと考えています。災害が実際に起きてから慌てずに対応するためにやるべき事を考えるとオーバーヒートを起こしそうです。でも、帯状疱疹で頭がガンガン痛くて眠れなかった事を考えると全然頑張れると思っています。やるべき事をやりきって週明けからは垂井町で計画している盲養護老人ホームと養護老人ホームについても頑張ります。(やっぱりオーバーヒートしそう)リピーターの皆さんこのコラムで頑張っている状況を書きますので激励のメール等を頂けると嬉しいです。

昨日の落語会の報告

敬老週間の初日は笑福亭伯枝師匠による落語会で初日と言う事で、理事長である私の開会の挨拶に引き続き来賓挨拶として、自民党岐阜県連会長代行の猫田県議会議員、西脇関ヶ原町長、松井関ヶ原町議会議長、淡川連合自治会長にしていただき、その後理事長である私から改めて来賓紹介をして祝電披露と進め、今回衆議院の予算委員長に就任された棚橋衆議院議員をお待ちしていたのですが、待ちきれず笑福亭伯枝師匠の独演会を始めてこれから面白くなると思って何となく外の駐車場を見ると一台の車が入って来て「棚橋議員がおみえになった」と言う事でマイクを持って玄関先に走りながら「棚橋議員がお忙しい中、駆けつけて頂けましたので、ここでご挨拶を頂きます。」と話をして棚橋議員を玄関で出迎えていると、笑福亭伯枝師匠は流石に噺家のプロです。

慌てることなく、座を白けさせることなく棚橋議員の挨拶につなげて頂け、ご挨拶を頂いた後、またまた落語の世界に入って頂けました。落語の中で私の事を「始めて理事長さんにお会いした時、裏営業の親分かと思いましたが実際にはメッチャ優しい方でした。」と過激なジェットコースター並みに上げたり下げたりと私をいじる場面もあり、和やかに進んでいき、インドネシアからきた男子職員が師匠と共に高座に上がり小話と共にうどんを食べる所作をして貰い笑いを醸してくれました。やはりインドネシアの子にはユーモアのセンスがあり盛り上がってきました。次に新人職員の多賀君も高座に上がり桃太郎の話を『た』抜きで話すコーナー『た』を抜かずに間違えるとはりせんが炸裂。このコーナーは爆笑につぐ爆笑でした。

師匠は今年の2月に大腸癌のステージ3がみつかり大手術をされたと言う事で3週間入院されて、病気をして久々の外泊との事でしたがあいからわずの元気さだったので、夕食を一緒にさせて頂き、(流石にお酒はのまれませんでしたが)二軒目のお店では女の子を口説くまめさは流石でした。そう言えば私は帯状疱疹で入院して、二合のお酒をのむのがやっとだったのに、昨夜は浴びるほどのめたので、私は完全復活ですかね。

新しい施設の計画の為にもこの完全復活は嬉しい限りです。やはり私はお酒の量が健康のバロメーターかな。リピーターの皆さん完全復活の私の今後の活躍にエールを送って下さい。

『あおり運転』にもの申す

令和元年9月16日

毎日のようにあおり運転についての報道がなされています。確かに高速道路上で無理やり車を停めさせ、怒鳴り声をあげながら停めた車を運転していた被疑者の方を情け容赦無しに殴る様子が映り、尚且つあおり運転をした車に乗っていた女性がガラケーで写真を撮り続けているのまで報道されていたのを見た時には私自身「アングリと言うか唖然と言うか思わず絶句」でした。

但し一部の報道で「煽られる車も悪い」と言わんばかりの報道にも驚かされました。この発想は「下手なドライバーは運転するな」と言わんばかりに思えたからです。運転される方は、正規に免許を取られたわけで運転する権利があるのです。運転される方が全てプロのレーサーのように運転出来るわけでなし、車の免許を取った限りにおいては交通ルールを守るのは当然の事。自分の車がめっちゃ走る車だから「ルール通りに走る車は邪魔じゃ」的な発想はどこから生まれるのかと考えていた時、正にこの答えが出たと思える記事が今朝の朝刊に掲載されていました。

その記事とはあおり運転をして運転席からエアガンで相手の車に撃った容疑者の発言に「相手の方が危険運転をした。」とか「パッシングやクラクションでどいてもらおうとしたが、ブレーキを踏まれぶつかりそうになり、腹が立った」と供述しているのを読んで私の考えがまとまりました。

その答えとは『自己中心的な考え方』と言うものです。つまり、「自分はもっと早くに走りたいのに前の車がどいてくれなかった。私はパッシングやクラクションで警告したのにどかなかったお前が悪いのでエアガンで撃たれても仕方がない。」と言う正常な日本人なら理解出来る事を理解出来ない方が増えていると言う事。私が常に言っている「相手の気持ちになったケア」と言うのが空しく響いてしまう。

確かに私が運転している日常の中でも、片道複数車線の所で車間距離がそんなに空いていないにも関わらず右に行ったり左に行ったりする車を見かけて、「そんな運転をしてどれだけ時間を短縮出来るの」と思ったり、高速道路で追い越し車線が複数台連なっていて追い越しが出来ない事が分かっていて、車間距離を殆ど取らずに「早くどけ」と言わんばかりの車がいます。

私は事故に巻き込まれたくないので、無茶な車がミラーに入ると素直に走行車線に入る事にしてます。相手を殴った容疑者は『代車』でしたし、エアガンで撃った容疑者は盗難車で、ナンバープレートを偽造していたとの事。この心理は『自分だとわからなければ何をしても大丈夫』との発想なんでしょうか。かなり以前の知識で「完全犯罪は成り立たない。何故ならば犯罪を犯したと言う自責の念があるから、必ず犯人はボロを出す。」と言うのを記憶していたのですが、あおり運転をする方には当てはまらないのでしょうか。

しかし、殴った容疑者の方の逮捕されてからの様子を見る限りにおいては、「自己中では世の中通用しない」と理解してもらったように見えたので、これを契機に再出発して欲しいしあおり運転などが無い安心した日本再生に向けた取り組みを日本全体で考えていきたい。(あおり運転からめっちゃ大きな課題になってしまいましたがリピーターの皆さんも手をつないで運動して貰えたら嬉しいです。)

この12月3日で4歳になる唯一の孫に初めて遊んで貰いました

令和元年9月15日

長男夫婦共に日曜出勤で保育園は当然のように休みなので、ようやく『じいじい』の番が来て『お守りをするはず』の私が『遊んで貰う』結果でした。

朝8時には長男が出勤しなければいけない(長男の嫁はその前に出勤)との事で、6時30分に朝食を食べ、7時15分にチャイルドシートを取り付け我が家を出発。目的地は養老町にある「養老ランド」。(ナガシマスパーランドではまだまだ乗り物が過激過ぎると思ったから)養老ランドをインターネットで検索すると「昭和を思い出すレトロな遊園地で、乗り物に乗る待ち時間は一切なしで開園時間は9時」との事。長男のアパートを8時過ぎに出発して、8時20分には養老ランドに着いたので、あまりに早い到着になってしまったので、駐車場の管理人もいない状態だったので車の中で待っていると、8時55分に私の車と後1台が止まっていたので料金を取りにみえ(300円)支払いを済ませチケット売り場に行き、取り敢えず入園料1600円と共に乗物券2000円分購入して、本日初運転の乗り物に乗りました。

1回当たり200円(乗り物によっては100円)の券もあっという間に使い切り、またまた2000円の券を購入し(結局6000円分)、10時から開園した「動物広場」に行き、ウサギに餌をあげるのにいたく孫の翔(かける)が気に入り乗物券200円で購入して2回目の購入の時ウサギが餌の入ったケースに突進して買ったばかりの餌が全部ばら撒かれてしまい、ウサギは落ちた餌を必死に食べている姿を見て、「せっかく昨日ウサギさんの事を褒めたのに」と思ったしだいです。

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その後も色々な乗り物に乗ったのですが、1回100円の乗り物に孫と一緒に乗ろうとしたら、係員の方から「この乗り物は12歳以下ですのでお客さんは乗れません。」(確かに私が乗るにはスペースが狭かったです。)園内のレストランで食事をするのに食券を購入するのに孫の翔は当然『お子様ランチ』を頼むものと思っていたら、普通に『うどん』を食べたいと言うので不思議な子だと思っていたのですがペロッと食べてたのには驚きました。

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昼食後もレストランの隣にある乗り物に乗ったりしていたのですが、園内の出口の所に新幹線の乗り物があり「最後に乗る」と言うのでお金を入れようとしたらこれが何と「10円」なのです。そしてもう一つ驚いたのは、この乗り物は40年前から稼働していると言うのですから立派なものです。

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今回の表題は「孫に遊んで貰った」としたのは、孫の翔の手を引きながら歩いていて階段を下りる時には翔の方が早くて『手を引いて貰っている状態だったからです。養老ランドの感想としては、確かに乗り物を乗るのに順番を待つ事もなく忙しい位に乗れたし、昭和の遊園地と言うのも正しい表現ですが、乗り物がはげはげだったのは頂けません。私ですら、児童養護施設の指導員時代には遊具のペンキ塗りをしてはげはげな乗り物にはしなかったですよ。ましてやお金を取るのだから館内が暇な時にぼちぼちとでも塗ってほしいな。

16時位に家に帰る予定でしたが、じいじいが疲れてしまい、14時には我が家に帰ってきましたが、無事に遊んで貰えました。

本日は17時15分から本部施設の幹部会(戦略会議)があったので、16時には施設に行き書類の整理をして会議に挑み会議終了後にコラムを打っているので打ち終えたのは21時前になってしまいましたが、くたくたの中ですが本日もクリア出来たことを自分で誉めています。リピーターの皆さんもパチパチパチパチとして下されば嬉しいです

 

 

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