『ちゃん』『君』『理事長さん』と呼ばれて
令和2年5月19日
私が小さい頃は虚弱だった故に『骨皮筋衛門』等と揶揄されていて(今の姿からは全く想像も出来ない体型でした。)当然の事ながら外で遊ぶのは御法度だったからでしょう。(田舎の大事な大事な『お坊っちゃん』・・・)色白で極端な言い方をするならば「少し風が吹いても倒れてしまう」ような、そんな私だったのでその当時私の母秋江さんは私の小学校入学を一年遅らせようかと真剣に考えて、その当時今須にあった診療所の本多先生に相談したと何度か聞かされました。
そんな私が一年遅れての入学でなく無事に小学一年になった時の担任の先生が塚原外尾と言う女の先生で私が受け持って下さった時(一年から三年まで)は今から考えると若い先生だったのに随分威厳のある結構わがままな先生だったようですが(この感想は姉春子さんの感想です。)私は随分可愛がって貰った記憶しかありません。その頃の学校は随分とフレンドリーだったんだと思います。
塚原先生は私の事を教室では「宏君」と呼んで貰っていたと思うのですが、塚原先生が日直をされている時に母秋江さんの手作り料理を持って遊びに行った時には「ひろっちゃん」と呼ばれていたように記憶してます。これは塚原先生なりの使い分けだったんだと今になって思います。今から考えるにその当時の私は非常に甘え上手だったんだと自分の事ながら感心してます。
それから大きく時間が流れて私が社会福祉法人杉和会を設立し特別養護老人ホームの事業展開をして3年位経過した頃米原市の敬老会の記念講演に招かれた時に塚原先生も足が悪くて杖をつきながら講師控え室まで来て下さり「宏君が講演に来ると聞いていたので楽しみにしていて来たんやわ」と言われ「宏君やないね。講師様なんだから若山先生かな。それとも理事長さんと呼ばなあかんのかな」と言われたので私は「昔のままでひろっちゃんか宏君で大丈夫です。」と言うと「宏君も立派になったね。あの頃はお母さんの後ろに隠れるようにしていた子だったのに」と言われて、正直「塚原先生に誉められた。先生に誉められたのは、その当時の脱脂粉乳のミルクを先生が嫌いで誉められたい一心で飲んだ事位だから本当に頑張って来て良かった」と思いました。
その当時、50歳前だったと思うし、講演の講師に来ていた私でしたが、塚原先生の二人の関係の中では『ひろっちゃん』であり『宏君』で良いわけです。
さて、施設の入居者さんや利用者さんは、いわゆる『顧客』であり『高齢者』として敬う存在である以上『ちゃん』や名前を呼ぶのではなく名字で『⚪⚪さん』と呼ばせて頂き、『お世話させて頂く』『相手を敬う』事が大切だと考えていますし、相手の尊厳を大切にした日々の対応こそ大切だとも思います。少し話はずれてしまいますが、平成12年(西暦2000年)4月1日に介護保険が施行され『特別養護老人ホームが措置から保険に変わり福祉的意味合いをあまり意識しない法人も実際にはある事を否定できません。その意味で令和2年度事業で盲養護・養護老人ホームを開設出来るのは意味深いものがあると考えています。
リピーターの皆さん私の考え方に対して是非にも論評下さい。











