本日も午前3時32分に携帯が鳴りました
前日携帯が鳴ったのは東京のホテルだったので携帯での対応のみだったので、指示した後は施設にいる職員に委ねて再び眠る事が出来たのですが、本日は私自身か自宅で寝ているわけなので着替えをして施設に出掛け看取りの対応としてドクターの対応と家族の対応をしました。(家を出て車を運転している時の車の温度計はマイナス2度。多分今年の最低気温だと思います。)
今回のケースは入居時に篤志献体の手続きをしてみえる方なので朝日大学に連絡して迎えに来て貰うだけだと思い話をしていたら、「葬儀はする」との事なので(このようなケースは初めてです。)家族の方の意向に沿った対応の為に、日勤の職員か来てから湯灌をするように指示をして、一旦我が家に帰り朝食をとりスーツに着替えて再び施設に行くと葬儀屋さんが迎えに来て下さったので出来るだけ多くの職員でお見送りをして、3日間留守をしていた時の書類の決済と郵便物の確認をしていると、10時30分からの約束をしていた方と11時からの約束をしていた方の対応をしていると11時30分に決裁をするために呼んでおいた和合の事務長が来て、決裁を済ませてから慌てて昼食を頂き、慌てて岐阜県庁に車を走らせ高齢福祉課、地域福祉課でそれぞれに話をしていて、四半世紀前の県庁での対応の変化に驚くと共に舞い上がることなくこれからも対応していきたいと思います。
再び施設に戻り本日のおそばせながらの新年会(18時30分から『しゃぶしゃぶの木曽路 』で開かれます。)までデスクワークをするつもりでいましたが、立て続けに電話が入り気がつけば17時45分で慌てて施設を出て、車に乗せて貰いまたまた気がつけば「今日のコラムが全く書けてない。」と言う事で助手席で携帯に原稿を打とうとするのですが、車が右に左に揺れてなかなか打つことが出来ずイライラしながら運転手に文句を言ってから思いました。自分が運転していたら全く打てないのだから文句を言うのは筋違い。
18時25分にしゃぶしゃぶの木曽路に着き私はお酒を少しと程々食べるのをしっかりして、2時間の時間はあっと言うまで、私自身は控え気味に飲むつもりだったのですが、ベテランの職員が若い職員の教育のつもりで理事長の私のところへお酒を注ぎにくるので「ここは飲まなあかん」と言う事で予定していたよりもかなり飲んでしまいました。だから、新年会の帰りの車の中でコラムを書くつもりだったのですが、車の中で寝てしまい、またまた『予定は未定であり決定ではない』ので、早め早めにコラムを打つようにしていたのですが、今日は午前3時30分からの大車輪だっとので、書けなかったのは仕方がないのですが、自宅に帰り水をしっかり飲んでシャキッとして何とか連続更新は出来ましたが、リピーターの皆さん内容に乏しいのはご容赦下さい。
「寝ます」