インドネシアから来たEPA介護福祉士候補生に会って来ました

令和元年10月6日

10月4日に、今年6月にインドネシアから日本にやって来たEPA介護福祉士候補生に、4か月ぶりに豊田市の研修所で会ってきました。4か月前に日本に来たばかりの頃と比べると、二人共日本語での対応は段違いに上達しており、何よりも感心したのは、こちらの投げかけに対して一生懸命に答えようとする姿勢です。

法人側と候補生で、2021年3月までにどのようになっていたいかをビー紙にまとめる作業をしたのですが、下書きを鉛筆で書く時も分からない意味や漢字について一生懸命に聞いて覚えようとし、その姿勢には頭が下がる思いです。そして、後2か月後の12月には関ケ原の施設に来て生活する事に対する不安を払拭する為に、一生懸命に質問してくる事に対しては、迎える側である私としては、出来るだけ不安を払拭していきたいと考え、誠意を持って答えさせて貰いました。私が候補者の立場だったらきっと不安ばかりでこの研修所での生活での勉強三昧の生活にはとても耐えられないだろうし、そもそも異国の地で仕事をしながら、日本の国家試験に挑戦しようなどと言う発想にはならないから「よくぞ、頑張って来てくれました。」と改めて思った次第です。

インドネシアから来たEPA介護福祉士候補生の受け入れは今年で10年目になりますので、受け入れに対するハード面、ソフト面及び国家試験対策に対する体制は整えてきたつもりですが、その年によって多少の違いはありますが、当法人の強みは、施設の敷地内に職員用のアパートがあり、多くの(現在は5人)インドネシアからきた先輩がいる事です。

このような体制を取る事にしたのは、介護職員枯渇時代に対して色々な手立てを講じて裾野を広げなければいけないと考えたからです。その意味では、大垣にある優・悠・邑 和合には当法人でEPA介護福祉士候補生を導入した時から頑張っているシスカさんは、インドネシアから旦那さんを呼び寄せ2人の子どもを出産して育児休業も取り、今は施設から歩いて5分の所にあるアパートで立派に4人家族の生活している良きモデルがあります。また、今年の5月からはベトナム人留学生を2人(中部学院大学社会福祉学部)受け入れ、来年度は3人の受け入れも決まっています。

かつて、故中村博彦会長から「5年先10年先戦略を持って法人理事長としての職責を全うしなければ、法人経営は上手くいかない。」と言われ続けてきたので、その教えを守りつつ職員確保については常に裾野を広める事に汗を流していかねばと豊田の研修所に行って感じました。リピータの皆さん。社会福祉法人杉和会の理念に共感して頂けて良い人材があれば一報下さい。

 

我が家でのお祭りが今(19時21分)終わりました

9月25日に10キロの利平栗が我が家に届けられてから私の奥さまかをり様の祭りのゴングが鳴り、栗の皮剥きを「右手が痺れっぱなし」と言いながらも私は全く意に介さず知らん振りを決め込み、長男の嫁さんが途中から手伝ってくれ、10月2日で皮剥きをクリア(私は全くの他人事)3日からは最終的な買い物に奥さまかをり様は走り回り、私の役割は3日の日にお寿司屋さん(電話で)と肉屋さんに(直接に)注文のみの大活躍。

前日の昨日はインドネシアから来ているEPA介護福祉士候補生の中間発表会の為朝から豊田市に行っていて、16時に終了しての帰りに大垣インターで降りてドン・キホーテによりこの12月3日に4歳になる孫の翔と生まれて初めて一緒にお風呂に入る事になっているのでお風呂で遊べるおもちゃを沢山ゲットして家に帰り、しばらくすると孫の翔が来たので(勿論長男夫婦と共に)一緒にお風呂に入り体等一切洗わずお風呂の中でおもちゃで遊び(遊んで貰ってかな)夕食を共にして、しばらくトランプで遊び、私は2階で横になり、しっかり朝まで熟睡。

私の奥様かをり様と長男の嫁は多分4時に起きて祭りの煮炊きをしてくれていたようですが私は朝食も取らず施設に行き、9時30分まで施設にいて、その後花屋さんで仏様のお花を買いに行き、車の中に積んであった『ゼロのビール』を家に運んで行くと長男の嫁が「お父さん。このビールはノンアルコールビールと違いますよ。」と言われ「そんな事はない。ゼロと書いてあるぞ」と言うと(言いにくそうに)「このビールは糖質ゼロ、カロリーゼロで普通にビールですよ」と言うので、ビールなど買った事ない私は慌てました。

そして、いつも贈り物等で買い物をする酒屋さんに電話をして冷えたノンアルコールビールがあるか訪ねると、銘柄がバラバラなら大丈夫との事で慌てて垂井まで走る事にしました。何故ならば『仕事がある職員にもビールらしき味わいだけでもして貰いたい。』との思いからでした。

何とか職員の第一陣が来る事になっている11時までには家に着き、年に一度の我が家での職員の会食が始まりました。もうすぐ4歳になる孫の翔が我が家自慢の栗おこわのおかわりの接待に忙しくやや興奮気味に活躍してくれました。11時、12時、13時、15時と4グループに別れて職員が参加してくれ、16時からは姉夫婦、甥っ子家族、従兄弟等が順次来てくれて19時に残り物ですが勿体無いので、長男夫婦に本部施設に届けて貰い、従兄弟を長男の車で送って貰い、若山家のお祭りは終了し、私は樽酒を一杯じっくり飲んで全て終了。

このような行為がどのような展開を生むかはわかりませんがこれが私のスタンスです。賛否両論あるかと思いますが、リピーターの皆さんこれが私の生きざまですがこれからも宜しくお願いします。

忘れ物に気が付きながらそのままにした理由を探る

令和元年10月4日

昨日のコラムで、ショートステイの方の終了時の忘れ物に気が付きながらそのままにしておいて、ショートステイご利用者さんの家族の方からの連絡で指摘され利用者さんが怒られていて当法人が運営している「デイサービスを利用しない。」と連絡があったのを機に『どうして、忘れ物に気付いていながらその後の対応ができなかったのか』の検証をします。(本来、当法人の理事長が評論家のように述べるべきではないのですが私を含めた職員の反省と再生の為に敢えてコラムに書く事をお許し下さい。)

昨日私の所へその対応をした幹部職員が謝りに来て話を聞きました。そして、この一件を防ぐ手立ては、いくらでもあったにも関わらず、その一つも出来てない事に苛立ちを覚えています。一つには「ショートステイ終了時の午前中に荷物のチェックをしたのですが、この利用者さんは部屋におみえになることが多いので荷物をまとめる事はしなかった。」と、まるで利用者さんが悪いような弁解をしてから、「終了時に荷物を整理する時にはチェックをしてなくて忘れ物をしてしまい、次の日に部屋の片付けをしていて気が付いたが夕食前であったので夕食の準備を優先させてしまい、その後はその対応を忘れてしまいました。」との話を幹部職員がした時には、『正直に話するのは反省している証しだろうが余りにも幹部としての意識が希薄だ』と苛立ちながらも、『今回の失敗を阻止する手立ては、常日頃から言っている中で一つでも守っていたら防げたと幹部職員なのに情けない。この現状を打破するにはかなり大鉈を振るわなければいけない。』と覚悟をしました。

職員の話の中でフロアにいた職員に伝えてその後その事を忘れたような対応には目を覆いたくなるし、忙しいを理由にするのも自分を正当化しているようにしか思えない。仮に忙しくて手が離せない状況でもPHSを利用して事務所の職員に連絡して代わりに対応して貰う事も出来たと考えています。(現に、忘れ物を届けて謝りに行ったのは事務所の職員です。)また、忘れ物に気付きながら忘れてしまうのは責任感のなさとしか思えない。仮に人間ですから忘れる事が全くないとは言い切れませんが、常に職員には『大切な事、気が付いた事を直ぐに出来ない事もあるので、簡潔なメモを残して時間に余裕が出来た時に改めて具体的に書いたり、対応するように』と噛んで含むように言ってきたつもりですが、幹部職員がメモを残す事を実践出来てないのだから他の職員も出来ているとは言い難い現実があることに私自身ショックを受けていますし怒りすら感じています。

リスクマネージメントでよく言われるのに、一つのアクシデントの中には多くのインシデントがあると。幹部職員に理事長として任命した職員がこの体たらく。この事を教えて下さった利用者さんとその家族に感謝して再生を誓い頑張っていきましのでリピーターの皆さん「何で身内の恥をコラムに書くの」等と思われる事無くこれからもご支援下さい。

責任ある対応とは如何なる事か

私は社会福祉法人杉和会の理事長としての立ち位置について常に考えて『今、何をすべきか』を考えて発言し行動するように心掛けています。本日は『まつたけバイキング』ですが、松茸の手配をお願いしていた方から「前日に確保が出来ないので当日届けます。」との連絡を貰っての報告を受け、直ぐに折り返し連絡すると、「頑張って良い品物を当日の朝5時に届けますので」との返事だったので厨房に確認すると「それなら大丈夫です。」との返事があったので、改めと依頼した方に「間違いなくお願いします。」と連絡して、昨夜もだめ押しの確認の連絡をして、本日4時30分に目覚め、施設に行き5時に届くのを待っていて、4時50分に管理栄養士からも心配して確認の連絡がありましたがその段階では来てなくて5時になったので依頼した方に連絡すると「今垂井から関ヶ原に入りましたので後15分で着きます。」との事だったのでその旨を厨房に内線電話で伝えると共に玄関先に台車を移動してそうこうしていると車が入ってきて、正直「これで入居者さん、利用者さんに喜んで貰える。」とホッとすると共に依頼した方も恐らく3時前には家を出られての対応だったと思うと、責任を全うする事によって信頼をかち取る事が出来るのだと改めて思いました。その意味で言うと昨日の報告書が私の机の上にあり、その中身を読んで責任感のなさが信頼をなくす典型だと思いました。その内容とはショートステイ終了時の荷物の忘れ物があり、次の日に気が付いたにも関わらず連絡もせずにそのままにしておいて、利用者さんの家族からの連絡であたふたした対応になり利用者さんが怒ってみえるとのものでした。その報告書を読み、私自身、職員の失敗はトップとしてしっかり対応して同じ失敗をしない事だと考え、即家に謝りにいきました。本日はデイサービスの利用日ではなかったのですがまつたけのバイキングと言う事で楽しみにされていたはずなのに「行きたくない」との発言をされているとの事。で、あれば尚更早い段階での対応こそ大切と考えての理事長としての対応でした。失敗や忘れる事は絶対にないとは言い切れません。だから失敗したらとにかく誠意を持って対応して同じ失敗を繰り返さないことこそ肝要だと思っています。お怒りの時には直ぐには許して貰えなくても、誠意ある対応によって次へと繋げていく事こそ大切です。そんな時には他人のせいにしたのではけっして次にはつながらないと思います。当施設も一歩一歩です。リピーターのみなさんも色んないみでご理解下さい。今は(16時39分)バイキングの確認をして、13時30分からの高齢福祉課との打ち合わせを終え、18時30分から地元の居酒屋での互助会による飲み会に備えて朝が早かったので家に帰り休憩を取りながらのコラム打ちでした。良く学び良く遊べの『遊び』も手を抜かないように頑張ります。一時間寝ます。リピーターの皆さんお休みなさい。

夜中に看取りの対応をして父進の事を改めて思いました

令和元年10月2日

横浜、東京泊と連泊して昨日は朝7時の東京発の新幹線に乗り、9時30分には岐阜県庁での打ち合わせをして、12時前に施設に帰り18時30分までバタバタの1日で、お風呂に入り夕食を頂き21時過ぎにベットに横になったら直ぐに眠りについたのですが22時に携帯でのコールがあり目を醒ますし携帯に出ると、夕方から肩呼吸をされていた入居者の方が天寿を全うされたとの連絡を宿直者から受け、直ぐに施設に行き、家族対応をしていると嘱託医の先生が来て下さり死亡診断書を書いて頂き、今後の話をして、家族の方を関ヶ原町役場にお連れして埋火葬許可申請や斎場の使用申請の書類のお手伝いをして、家族の家にお送りして再びベットについたのは次の日の午前零時45分。流石に直ぐには寝れなくて、目をつぶると父進さんの葬儀の事を思いだしました。父進は明治最後ですから45年生まれですから私が38歳で天国へ召されたのですが(私と違って聖人のような生き方でしたから間違いなく天国だと思います・・・。)私が生まれた時に父進さんは既に42歳だったので私は38歳と言えど平均寿命以上を生きたので「私がもう少ししっかりするまで生きて欲しかった。」との思いはありますが、生まれてからずっと心配と迷惑ばかりかけて恩返しが何も出来なかったので申し訳ない気持ちで一杯なのですが、前にもこのコラムで書いたと思うのですが、私は生まれてからずっと心配と迷惑しかかけてこなくて誉められた記憶がなかったのですが、私が38歳の誕生日の時に父進さんが私に向かって「宏より優れた経歴だと思っていたけど宏のように大学で講義をすることはなかったので、それだけはよかったぞ」と言われて嬉しかったのですが、それからまもなくして体調を崩して病院に入院してその年の8月12日に他界したのですがあれから28年。6年の紆余曲折があり、社会福祉法人を設立して特養の定員が208人で職員を150人までの規模になり地域での貢献も出来ていて岐阜県老施協会長で全国老施協総務・組織委員長の任まで任されている事私の姿をを父進は予想だにしなかったと思うと「今生きていたら」と思うことが全くないと言うと嘘になります。何が言いたいかと言うと『人の生き死にはままならない』ですが、与えられた寿命を精一杯生きられたのなら満足しなければいけないし、父進は私の38歳の誕生日に息子である私を褒めてひょっとしたら今の私の姿を夢に見てホッとしたのかもしれないな。私は父進に親孝行が出来なかった分、地域の高齢者の方に喜んで頂けるようにこれからも頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん昨夜は夜中の対応があり思考力ゼロでのコラムですので題材は良かったけど中身はなかった事を私自身承知してのコラムアップですが次回はがんばりますのでお許し下さい。

いつもと違う

令和元年10月1日

ボストン会での横浜泊に引き続き全国老施協代議員総会があり東京泊だったのですが昨夜は早くに休ませて頂いたので5時30分からゆっくりとお風呂に浸かり今は(午前6時59分)7時発の列車のシートに座っています。
「何がいつもと違うのか」と言うと、いつものようにホテルをチェックアウトしてタクシーの中で携帯で新幹線の切符の手配をして、料金表示がいつも慣れた13・・・円の数字ではなく14・・・円との画面になったので「操作を間違えたかな」としばし考えていて「あっ、今日から消費税が上がったんだ。」と。

そこで、一昨日、愛知県の太田先生の隣の席を取る為に(結果的には隣はとれなかったのですが)岐阜羽島駅のチケット売り場に行くと長蛇の列。しかもあまりチケット購入に慣れていないと思われる方が多く、駅員さんが丁寧に質問に応えられていて私的にはイライラしながら「販売口が3席あってこんなに並んでいるのだから1席分対応してないのはけしからん。

これも『働き方改革の賜物か』」等と思ったのと、駅員さんとお客さんのやり取りを聞くとは無しに聞いて(イライラしているとめっちゃ鮮明に聞こえてくる。)いると来月分のチケット購入者が殆どでしたので「消費税2パーセント節約のお客さんなんだ。」と理解した事を思いだしました。本日は岐阜羽島に9時には着いて岐阜県庁に行き防災関係の打ち合わせをしてから施設に戻る予定です。(ここまでの原稿は『朝のおむすびセット5百円』(以前と同額。これが噂の『軽減税率か』を食べながら打ちましたが続きは、後程と言うことで)今は(午前8時48分)は名古屋で乗り換えこだまに乗っているのですが、出張に持っていった鞄をしみじみ見て思い出した事があります。

一つは垂井町会議員の乾さんは私のコラムを見て頂いているのか、「これが噂の鞄ですか」で盛り上がったし、先般のボストン会の折り太田先生が「いい鞄だね」と褒めて貰ったので「今年の5月16日の私の誕生日に幹部職員から贈って貰ったんです。」と答えると、太田先生から「羨ましい限りですね。」とまたまた誉められたので、めっちゃ気分良くなった事も思いだしました。9時30分に岐阜県庁に着き9階の健康福祉政策課の防災担当主査に突然アポ無しで行ったにも関わらず、課長さんまで同席して頂き、建設的な話が出来ました。

その後、10階の高齢福祉課に行くと課長さんを中心にした会合が行われていたのですが課長さんが目敏く私に気が付いて下さりここでも、しっかりと話が出来、気分良く施設に帰り、施設で今問題になっているかいせん対策についての根回しをして、尚且つ西濃振興局福祉課に行き皮膚科の先生の往診を合法的に出来る方法の検討をして、あすの打ち合わせに抜けが内容に確認をして今は(午後7時10分)お風呂にゆったり浸かりながらコラムを打っている次第です。

ひょっとすると今夜看とり対応をすることになるといけないので、夕食を頂いたら速攻で寝て万一の対応に備えたいと思います。リピーターの皆さんバタバタの日々ですが足を地につけた対応に心掛け頑張りますので私の生き方にエールを送って頂けたら嬉しいです。

消費税10パーセントの穿った見方

令和元年9月30日

消費税が8パーセントから10パーセントに明日、10月1日からなると言う事でテレビ等でも色々と物議を醸しているのですが、例えばティッシュペーパーを1箱100円で100個買って10000円で消費税800円が1000円支払うので200円の差の為に100個を購入したとして、みんなが沢山買って消費税が上がってからティッシュペーパーがばったり売れなくなったら『100個買って頂いたら3個おまけします』的なセールスがあったら、何の為の買いだめだったかわからなくなる。消費税アップ前セールは買うことを躊躇していた方の背中を押す効果もあるかもしれません。つまり、大きな買い物での2パーセントは大きいからです。そこで思い出すのは、平成1年から3パーセントの消費税がつくようになった時、その前年に海外研修にアメリカに行った折りやたらと『ノータックス』と言う文字が観光客に目につくように書いてあったのを不思議に思っていて、翌年にその事を理解した次第です。そして、私にとって問題になったのは、平成9年の3パーセントから5パーセントになった年に本館施設を立てたので、約10億の建物だったので、2パーセントで2千万を余分に準備しなければいけなかったのは大変だったし、そのお金を支払った時は必死な思いでお金を捻出したなと思い出してます。平成9年度事業で法人設立と特養建設をしている時に昨日、今日と行われたボストン会が実施された時に会員メンバーから色々な面で心配をかけたり、多方面に協力して貰った事を改めて思い出しました。

 

『ボストン会』の例会報告

 

『十年一昔』と言われる中で、尚且つ時代の流れはどんどん早くなっている中で31年が経過し私自身も児童養護施設の一指導員から社会福祉法人理事長でいますし、団長はざんねんながら亡くなられたし、都庁職員だった方が退職されていたりと状況が変わっていますが、昨日参加した8名のかたが横浜で集合したら31年がワープしたように31年前の話題で盛り上がって最高でした。今回の幹事は31年前資生堂福祉財団事務局長だった守谷さんは83歳で矍鑠としておられ、ピシッとした性格はあいからわずで計画は緻密で舌を巻くばかり。幹事を引き受けてくれる団員は少なくなってきましたが、団員の一人でも参加する方があったら後10年でも20年でも続けていきたいです。おいおい20年後だと私は86歳だぞ・・・。まっ良いか。リピーターの皆さん私はこんな生き方ですが今後とも宜しくご支援下さい。

ボストン会の為本日は横浜に出掛けます

令和元年9月29日

昭和最後の年に資生堂福祉財団主催で厚労省が後援しての企画である海外研修団に参加させて貰い、アメリカの児童福祉事情を目の当たりにして、この研修団参加が私の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。(この事についてはいずれ本にしてまとめたいと考えています。)特に印象に残った地名を頂き『ボストン会』と銘銘して年に一回団員の交流会をランダムに幹事を引き受けて開催しているのですが本日は横浜の守谷さんが幹事を引き受けて頂き実施されるので新幹線の中ですが今からワクワクしてます。

本来なら豊橋から乗ってこられる愛知の太田一平先生(全国児童養護施設協議会副会長)と合流して親しく話をする予定でしたが、本日は日曜日日と言う事もありバラバラに乗っています。『予定は未定であり決定ではない』と言う事です。私が研修団で参加したのが35歳で31年経過したので66歳。

私も比較的若手の参加でしたので本日幹事を引き受けて頂いている守谷さんは資生堂財団事務局長としての参加で50歳を少し越えた参加だと思うので80歳を越されているわけですが、今もコーラスボランティアをされていてお元気です。17人の構成メンバーでしたが今は12人程の参加になっていますが、今も続いている団体は3団体位しかないと聞いていますし、今も研修は続いているのですが、最近の団体は2、3年しか続かない傾向があるとの事。この現象は今の日本の状況を表してしるのかも知れません。

でも、31年も続いているのは驚異だとも言えます。いやいやこれは日本が長寿国で75歳までの現役が当たり前に語られるのと相関関係があるようにも思います。昭和から平成になった頃は私も時間に余裕もあったのでボストン会の事務局長をかってでて、『THE ボストン』と言う機関誌を作成したり、年に一回の交流会の連絡も全て取り仕切ってやらせて貰いました。だから幹事が見つからない時は、私が幹事を引き受け継続を軌道に乗せたように思います。

このボストン会のメンバーには私が高齢者施設の建設に向けて走り回っている時には、心配もかけたし、情報も貰ったりしたので平成10年に本部施設本館竣工式典の折りは団長以下沢山の団員が来てくれました。固い絆で結ばれているボストン会。本日の参加メンバーが誰なのかはわかりませんが、その分も含んで楽しみです。

なお、明日は午前中に横浜市の福祉事情の後援を横浜市福祉サービス協会専務理事・事務局長がして頂ける企画もあり、私は明日午後から全国老施協の代議員総会があり東京への移動をしての予定もあり、昨日コラムに書いた事を職員に委ねてタイトなスケジュールをやりきり施設に帰ったらよりバージョンアップで頑張りますのでリピーターの皆さん益々のご支援宜しくお願いします。

逆転の発想で頑張るしかない

令和元年9月28日

昨日、皮膚疾患があると言う事で家族が病院にお連れして頂けた入居者さんが、『疥癬』であるとの診断が出ました。その事の報告を受けた時は、本部施設が事業開始をして2年目に入った時期に(平成11年)ですから20年前に、「綺麗で新しい施設」と言う思い込みの中で疥癬が出て、私の知識不足もあり対応が遅れ、全館に拡がり厳しい状況になってから、薬を塗布してシャワーで洗い流しを全員にして、部屋の清掃を徹底してピリピリの1か月だった事を思い出しました。

その時の学びから①ショートステイの開始日には必ずお風呂に入って貰い身体状況を確認する。②ベットメイキングの折りにベット周辺を綺麗にする。③常に清潔保持に努める事を徹底し実践してきたはずなのにと思うと忸怩たる思いがありますが、私自身徹底の為に汗をかいていたかと言うと職員に特に幹部職員に任せていたし、信頼もしていたので俄然としてしまう思いもあるが、起きた現実から目を背ける事は出来ないので、理事長として出来得る事をして、早期解決をして再構築と恒久的な徹底を図る為の方策を講じて行きたい。20年前とは違い、一人目の診断と同時に私自身行動に移しているので、この意を職員が汲んで頑張ってくれることを信じて頑張っていきたい。

昨日対応したのは、清掃業者に来て貰い消毒も含んだ検討、リネンの業者に来て貰い今後の対応を検討し、「疑わしくは疑え」で疥癬の恐れがある入居者さんをリストして貰い、大垣にある皮膚科に受診以来の連絡をすると「明日12時30分に3人の予約を入れますので、12時15分までに来てください。」と言って頂け「ありがたい。一生懸命の中から必ず活路が見いだせる。」と思いました。本日、施設を11時25分にでて、12時35分から順番に診て頂き、検査もして頂けたのですが、結果は疥癬虫は見つからなかったとの説明を頂きました。塗り薬の処方を頂き、「もし、疥癬虫がいる時はこの薬で発見しやすくなりますので、決して疥癬虫がいないと言う事ではないので経過を教えて下さい。」との事でしたので、疥癬撲滅の為に職員一丸になって対応しなければと意を強くし、高齢者の皮膚トラブルは多いので今後、皮膚科の先生の協力を得られないかとの話もさせて頂き、詳しくは後日に話し合いを持つお約束まで取り付けました。『禍を転じて福と為す』の引用がぴったりとしたものではありませんが厳しい状況だからこそ毅然と取り組んでいきたいので、敢えて、コラムに書きました。

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

 

やばいです

令和元年9月27日

今(20時57分)現在コラムが全く書けていないし、盲養護老人ホーム及び養護老人ホームの建設に対する戦略を考えていたら昨夜は眠りが浅く、5時30分に起きて朝風呂に入りシャキッとして施設に行ったのですが予定以上にしなければいけない事があり、結局夕食を食べながらうつらうつらして(『子どもか』の謗りを受けそうですが)バタバタはしてましたが、今コラムに書く題材がなくて(2年後には書く事が出来る題材はあるのですが今は取り上げれない)本日届いた週刊現代でネタ探しをしていても『寝た』等と親父ギャグを飛ばすのが精一杯。ギャグにもなっていないか。瞬間に寝て、少し書いてまたまたもがきながらコラムを書いていたら、週刊現代でようやく見つけました。ネタらしきものを。

そのタイトルは『オックスフォード大の最新研究で明らかに、  野菜中心の食生活が「脳卒中」の原因だった』とあり、詳しく読んでコメントしなければいけないのですが、如何せん詳しく読む気力がないので中身を読まずに見出しだけでコメントする暴挙をお許し頂きコメントします。

大抵お母さんは子どもには「野菜を食べなさい」が定番ですし、「肥満はだめだから野菜を頑張って食べなさい」のパターンが多いと思うのですが、最近では痩せているより肥満の方が長生きすると言う説もあったりして、私自身はニンマリしているのですが、結局は『ほどほどの摂取』が大切と言うパターンなのかな。但し、最近私自身階段を上ったりすると息切れをするので『まずい』と思い豆腐のような決意で「食事後は何も食べない。」と朝は決意しているのに、夕食後に大好きな大きな大きなあられがテーブルに嫌みのように置いてある。「食べないでおこう。」と思えば思うほど、悪魔の囁きが耳元で囁かれる。その声とは「我慢するストレスの方が体に良くないよ」と。そして、テーブルに置いてあり、「いつまでもそのままにしておくと湿気ったらもったいない。」と言う事で本日も半分寝ながらですが食べてしまいました。そしてまた朝になって後悔する。仕方がないよね。私の体は青大将からアナコンダになったんだから。

結局本日のコラムは終始意味不明のものになってしまいました事をリピーターの皆さんにお詫びすると共に人生は山あり谷ありです。等と居直った言葉で締め括ります。✳こんな原稿なのに一時間もかかってしまいましたが、昨年8月22日からの継続は出来たと言う事でお許し下さい。

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