眼科の定期受診に来ています

令和2年2月27日

9時からの予約がしてあったので8時35分に駐車場に入って「いつもと違って車が少なくて駐車が楽だな」と感じて車を停めて受け付けに行くと、いつもだと受け付けで整理券を取ってしばらく待っているのですが、本日は整理券を取ることもなく受け付けをして、眼科の待ち合いで座るとあまり待つことなく検査に呼ばれて、『いつもと違う何か』を感じました。

それは、「待ち合いの椅子が結構空いているのは変だ」と言う事です。個人的にはあまり待つことなく診て貰えるのは嬉しい事ですが、「この現象はコロナウィルスによるテレビ報道と外出を控えるようにとか、軽い症状なら受診は控えるようにとの情報によるものなのか」と思うと情報の出し方と言うのはしっかりとしなければいけないと思いました。

患者さんが少なくてもやるべき事は同じで瞳孔を開いての検査の為に点眼をするのですがなかなか瞳孔が開かなくて検査に時間はかかりましたが、先生による確認で手術後の経過は順調との事でしたので「ほっ」としてます。ところで待ち時間の間に新聞の記事を見ていたら『コロナウィルス』の記事が多くあったのですが、『渡辺智哲さん死去』との記事が目に入り、「どんな方か知らないけど」と記事を見ると新潟県在住で男性世界最高齢112歳との事。

記事の中で『今月12日、ギネス社から世界最高齢の男性との認定証を受け、ガッツポーズをして喜んでいた』と言う事は文字通り『ぴんぴんころりの大往生の老衰』と言う事か。喪主はお孫さんと言うことは長生きすると孫や曾孫の世話になると言う事。また、国内最高齢者の方は福岡県の117歳の女性だとも書いてありました。

やはり、女性は長生き何だとわかりました。でも、私の生母秋江さんは46歳、姉光子さんは23歳だったから、一般論として女性は長生きと言う事で一番ひ弱だった私が66歳ですからわからないものです。いやいや、私は150歳まで生きて自分の与えられた使命を果たさなければいけないので66歳位で音を上げるわけにはいかないし、新規事業はまだ何の形にもなっていないので、立派に完成させてから、関ヶ原町、大垣市、垂井町がトライアルとなり、円滑に運営が出来て岐阜県の高齢者施設の中で光輝く存在になり住民から信頼され地域の施設として、安心安全で幸せを醸し出す存在となるようになるまで頑張りたい。その為には膝が痛いとか腰が痛い等と言っているのではなく常にフルパワーで頑張っていきますのでリピーターの皆さん今まで以上のご支援、ご理解、ご協力を宜しくお願い致します

事業所内保育園の監査がありました

9時30分からの予定だったのですが、9時20分に は、関ヶ原町住民課から一人と県福祉事務所から二人の計三人の方が来て頂き、今はコロナウィルスの事もあり、玄関先で検温と手指の消毒をして貰い会議室に入って貰い先ずは名刺交換とご挨拶の後書類の確認をして貰いました。

保育園の対象者がいなくて長い間休園していたのを、生後半年の子の母親が就職するのを機に再開したのが昨年の12月で一人の園児に二人の保育士を配置して保育園を運営しているのですが、子育て支援として多い時には10人定員で8人の園児がいたのに。どうして少なくなったのかと言うと3歳時になると地域の保育園に行ってしまうし、それよりも何よりも職員が結婚しない。この傾向は男子職員も女子職員も同じです。経験を積んだ職員が増えていくのはありがたい事ですが「う~ん」と唸るしかない。ただ、今回園児は一人でも再開する意味は一人でも職員を確保したいのと、次々と入園してくれるきっかけになればとのあわ~い思いからです。何点かの指摘はありましたがすぐにでも出来る事ばかりだったので明日から早速対応するように指示しました。

書類を見終わってから保育園の視察に行って貰うと「小規模な保育所なのに完璧に設備が整っているので、休園していたのが勿体無い。」と言われて、つい私は調子づいて、「アンパンマンシリーズの大理石の置物やキティちゃんの置物もあるのにね」と言わなくても良い事を口走っていました。本館会議室から保育園まで歩いて貰う時にも「県の事業で大きな堰堤を造って貰う計画や土砂止めの工事を順次して頂いているのは、福祉避難所としての役割をしっかり担って欲しいとの狙いがあることも話をさせて貰いました。

保育所への視察は終わりまだ、指導講評が終わっていなかったのですが、職員の父親の葬儀がある旨を行って出掛けました。初めての葬儀所なので迷いながらも何とか着きお参りが出来、その後新規事業への進捗状況を報告に高齢福祉課長に会いに行くと健康福祉政策部長さんも会って頂けると言うことで、新規事業に対して県も真剣に考えて頂いていることが伝わってきて本当に嬉しかったです。部長さんへの挨拶が済んでから健康福祉政策課長さんに『DCATを含めた防災』の話を高齢福祉課に再び戻り『外国人材』の話をさせて頂きました。

帰りの車の中でつくづく思ったのは『アクションがアクションを呼び色々な展開が産まれる。正に積み重ねが大切なんだと。』リピーターの皆さんこれからも杉和会や県及び全国の動きにも目を光らせて下さい。但し、コロナウィルスの影響で色々な企画が中止或いは延期になってます。慎重にも慎重に尚且つ大胆に頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

世の中は三連休の3日目なのですね

昨日が日曜日だったにも関わらず午前中は新規事業でお世話をかけている地元の区長さんへの挨拶に行ったり、午後はショートステイ利用者の検討会をしたりしていて、18時からは和合の全体会で1日がばたばたで、日曜日の次の日が月曜日なのは当たり前なのですが本日が振り替え休日だとは『お釈迦様でも気が付くめえ』は大袈裟か。

日本は実に休日が多いなと思いませんか。『これが働き方改革なのか。』本日は第4月曜日と言う事で月一回の『カフェ邑』が開催されましたが、世間で『コロナウィルス』が騒がれているからか15人といつもより参加は少なかったのですが、意欲的参加者ばかりの中で来て頂いた方に理事長として話をさせて頂きました。その内容は「コロナウィルスの治療薬がまだわからないから怖い存在として世間を騒がしていますが、手洗い、うがい、空気の入れ換えをしっかり行うと共に笑いを得た生活をすることにより感染を防ぐ事が出来るのではないか」と話しました。そして、私が法人設立時にお世話になっていた吉田宏岳先生から「私は笑いの会会長です。笑いは元気の源、長生きの源です。」と教えて頂いた事も話しました。

15人の参加でしたが色紙に雛人形の工作を楽しんで貰ったり、カラオケを歌って貰ったり、お好みの飲み物(コーヒー、紅茶、ココア、リンゴジュース、オレンジジュース)とシュークリームを楽しんで貰い、もちろん和気あいあいのだべリングも。あっと言う間の一時間半が過ぎて、帰られる時にはそれぞれに良い顔をされていたように思ったのは私だけではなかったと思います。

コロナウィルスの治療薬がなく、治験もすぐには出来ないのでそれぞれにうがいや手洗いをして自己防衛をしなければいけないしマスクも必要に応じて着用するのですが、マスクは感染を防ぐと言うよりは他の方にうつさないエチケットと理解してます。当施設でも面会を自粛させて貰っていますが、自粛している以上入居者さんへの対応をより充実したものにしなければいけないし、職員がマスクを着用した時には職員の表情が分かりにくい分、『優しさ』を体で表す事をしなければいけないと思うし、声掛けもより充実させていかなければいけないので、より丁寧な対応が求められますが、『今日一日楽しかったよ。』は、コロナウィルスが怖いものであればある程求められるものだと思います。

私も新規事業の計画を進めながらも、尚且つ全国老施協の役割を担いながらも今ある施設にも迷惑をかけないどころかより充実するための切磋琢磨をしていきますのでリピーターの皆さんも私の動きにも少しはスポットを当てて頂ければ嬉しいです。

全国老施協の全国研究大会について

令和2年2月23日

令和2年度の研究大会鹿児島大会は11月に開催されるのですが、その日程に合わせて本部施設職員はグループもしくは個人で実践発表をするためのレジメを作成して具体的実践にそれぞれ取り組んでいます。

昨日の幹部会ではその実践の発表時期を研修担当課長が4月から5月に実施したいとの提案があったのですが、出席者の中から、「あまりに実践する期間が短か過ぎて場当的な内容になってしまうのではないか」との意見に対して、「全国大会に立派な発表を持っていくにはやもう得ないのではないか」との回答が出たのに対して「職員全体のレベルアップに着眼をおくためには、せめて7月までは実践をした発表にしてその後優秀な実践に対してみんなで協力して練り上げていくべきだ。」との意見集約が出来ました。

私は4年前までは、全国老施協の研修委員長等を務めていて、審査委員長を長くさせて頂いた経験から、最近の発表に物足りなさを感じていたので、そのことにものを言うにはしっかりとした発表を当施設の職員がして一石を投じたいと考えていたので、幹部会でこのような議論がなされたのは大変有り難く思うと共に幹部職員が理事長である私の思いを理解していてくれる事にも頼もしさを覚えた次第です。後はそれぞれに発表する内容に期待すると共に優秀なものに対して私自身がどのように支援していくべきかを考えて、尚且つ法人顧問の烏野先生(びわこ学院大学教授)の指導を仰ぎ立派な内容に仕上げていく事を楽しみにしています。

今までにも全国研修大会で沢山の発表を施設を代表して発表して貰いましたが、発表した職員の殆どが現在、幹部職員として頑張っていることから、このような学会発表形式のものに参加してスキルとモチベーションを上げると共に発表する強者との交流とネットワークを確立していくのは、極端な言い方をすれば素晴らしい仲間の構築になると言っても過言ではないと思います。発表することにプレッシャーを感じる事なく 堂々と発表出来ればこれからのケアに、或いは極論すれば生き方にも素晴らしい結果をもたらす事が出来ると思うので私も理事長として、一人ひとりの職員を支援していきたいと考えています。

リピーターの皆さん伸び代の大きい若き職員に対してもご支援とご理解を宜しくお願い致します。

コロナウイルス対策をすると言う事

コロナウイルスのニュースが連日報道されていて、当施設においても、職員及び入居者さんの手洗いとうがいの徹底及び窓開けによる空気の入れ替えと掃除の徹底は当然の事として行うと共に家族等の面会の自粛をお願いしているところですが、外部との遮断をする事によるメンタル面への配慮をする事が大切だと考えて本日は月1回のお参りをデイサービスの利用者と新館の入居者の2か所で実施する事にしました。

本館の仏間でのお参りはいつもと比べるとかなり参加人数は少ないもののお経は人数が少ない分いつも以上の声を張り上げて下さり、お経が終了した後の私の話は清々しい気分ですることが出来ました。

続いて新館1階の仏壇でのお参りに行くために本館2階の談話室のところを通って行こうとするとちぎり絵を一生懸命にされているので覗いて見てびっくりと共に嬉しさ一杯になりました。と言うのも未完成のものでしたがその作品は『宏君バージョンの布袋様』だったからです。

(写真参照)

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私が作品を見て喜んでいると、入居者さんもおおはしゃぎになりました。私をモデルにして頂いて話題にして貰えるのはめっちゃ嬉しいです。

新館でのお参り開催と言う事でいつもは参加されないような方も参加して下さり、いわゆる『禍を転じて福と為す』になったので、お経が終わってお話をさせて頂いた後、カラオケで吉幾三さんの『酒よ』を歌わせて貰い、またまた盛り上がって頂きました。

今、21時のチャイムが鳴りましたが先程、本部施設の戦略会議(幹部会)終わり、烏野先生から送信されてきたメールで東京の介護施設の職員から『コロナウイルス』が出たとの情報を得ましたので、当施設も大変な状態にならないように今一度気を引き締めた体制を取っていきたいと思います。見えない相手との戦いにはリスクを回避する事を実施しながらもストレスの回避の為にすべき事をしっかりとしていかなければいけないと思っています。

そして改めて、自分がわくわく感を持って企画して実践してないと入居者さん、利用者さんが芯から喜んで頂けないと思うので、さてさて明日は何をしてわくわくして貰おうかと考えると楽しくなってきます。リピーターの皆さんもご一緒に楽しんで下さい・

10時には施設に帰る事ができました。

令和2年2月21日

昨夜は四日市市の都ホテルに泊まらせて頂き、飲み会も22時には終了したので、早くに休む事が出来たので、朝は5時過ぎにはしっかり目覚め、ゆっくりとゆったりとお風呂に浸かり(浴槽が広くて良かったです。)お風呂の中で新規事業の遅れを取り戻す為に色々な方の協力を得なければいけない事の戦略を練っていて、荷物の片付けもぼちぼちしていると6時50分になったので福井県老施協の皆川会長(全国老人福祉施設協議会福会長)に朝食のお誘いの連絡をして朝食会場に行くと既に会場に来られていて、尚且つ三重県老人福祉施設協会の近藤会長もみえたので、昨日は立派にホスト役を勤められたお礼を言って3人で話をしながら朝食を頂きました。

その間にも昨日参加された方々が続々と朝食会場にみえてそれぞれにご挨拶をしていると8時を回りお別れの挨拶をして、一旦部屋に戻り洗面を済ませてチェックアウトをして、ホテルの玄関先に置いてある車に乗り込み先ずは施設まで行く為にナビゲーションを入れると、四日市インターから入るコースを示したので、時間は早くてもかなりの大回りだと思えるので、一先ず『員弁(いなべ)』まで行けば後は大丈夫と考えてナビゲーションを入れ直し車を走らせると、殆ど信号で止まる事もなくスムーズに走れ、員弁までナビゲーションで案内して貰い後は一本道と勝手知ったる・・・で10時までには施設に着きました。

そこからは、新規事業の打ち合わせや協力して貰う方々への連絡をしたりして。ようやく先が見えて楽しい作業になってきました。23年前に初めて事業に取り組んだ時もわくわく感一杯でしたが、その気持ちは何度味わっても同じです。いや、最初の時はがむしゃらでしたが、今は責任の重さも理解した展開なのでより重いものになっているかも知れません。

施設見学、施設概要の検討、業者や役所との打ち合わせ等々やるべきことを並べていくだけでも大変ですが、杉和会の理事長として、施設が完成して事業展開していく中で必ずや、「施設がここにあって良かった」と言われるような展開をしていくために頑張っていきたいと心新たにしています。だって、社会福祉法人は地域のセーフティーネットであり、地域に根差す使命を担っているのだから。リピーターの皆さん今後の杉和会の展開を理解して貰うと共に咤激励も宜しくお願い致します。

『四日市に来てます』

本日、東海・北陸ブロック正副会長会議が15時から開催され、会議の後、懇親会もあるので四日市で宿泊もさせて頂くのですが、午前11時から行われたかつての入居者さんの本葬に出席させて貰い、本葬終了後の12時前に家族の方にご挨拶をさせて貰い、急ぎ昼食をと思い早く出てくるラーメン屋さんで五目ラーメンを食べて四日市市に向け車を走らせようと胸算用をしてラーメン屋の駐車場に入ったら休み。「年中無休の店が何でやねん」と一瞬思ってよーく見ると改装中のようで「これでは休みでも仕方がないけど、近くの喫茶店も木曜日で休みだし、仕方がない。ここはコンビニで買い物して済ませよう」と向かいのコンビニでバタバタと買い、これまたバタバタと施設に戻って食べて(こう言う風だから痩せんのですよ全く・・・)12時30分に施設を出て、365号線の山の尾根伝いの道を走らせました。ナビの案内では2時間はかかるようになっていたのですが、殆ど信号も無く車も少なかったので14時前に到着して、おまけにホテルの方が玄関前に駐車するように誘導して下さり、ずっと進まなかった新規事業の案件がようやく具体的に進むとの情報が入ったら、何もかもが上手くいくものなのかと思うと共に岐阜県への挨拶もスムーズに確認取れたしこれからガンガン頑張れると言う事か。いやいや、上手くいくときこそ慎重にしかもしっかり確実に。絶対に勇み足はしないぞと思っています。1時間早くに会場のホテルに着いたので30分は余裕があるので、出来るだけ頑張ってコラムを打ってと頑張りましたが、会議をする部屋に移動しなければいけないので・・・。後の報告は懇親会が終了後に書きます。(続きを書きます。)17時10分に会議が終了して18時からの懇親会までに時間があるのでコラムを書く時間があると胸算用していたのですが、エレベーターの所で総務・組織委員会の担当副会長の皆川さんがパンフレット等の中間報告が聞きたいと私の部屋におみえになったので、話をしていてコラムは書けず、懇親会の時間になり、結局二次会が終了するまでコラムは書けず今(22時05分)残りの原稿を書いてます。本来なら令和3年度の事業の見通しがだった良き日なので祝杯をあげるべき日なのですが、かなわなかったのですが、考え方によっては会議に参加された皆で祝って下さったのだから喜ばなければいけないし、会議の中でもしっかり発言出来たので、これまた良しとしなければいけないと思います。そして、1日がバタバタだったのですが、新規事業の展開を考えるとワクワクしてきます。リピーターの皆さんまたまた大きなプロジェクトを抱えた私の動きにも期待して下さい。決して期待に背く事がないように頑張りますので。明日は朝イチで帰って先ずは今後の展開を整理することから始めようか・・・。

本日は東京本部で会議の為に出掛けます

令和2年2月19日

昨日のどんよりした雪雲はなく快晴の中、「間もなく名古屋です」とアナウンスしてます。本日は総務・組織委員会と広報委員会合同による四者会議と業者によるプレゼンテーションが行われます。2日前に広報委員長さんから夜の情報交換会の誘いを受けましたが、翌日に三重県四日市市で東海・北陸ブロック正副会長会議があるため宿泊は無理な事をお伝えしたので、本日は会議終了後直ぐに帰る予定です。

書き初めに『快晴』と書いたのは昨日雪が降って富士山の雪景色を見ることが出来るのは、私が頑張っている事に対するご褒美だと勝手に思っています。先程、すかっとした富士山が見えたので慌てて携帯機能のカメラで富士山をとらえる事が出来ました。上手く写っているかはわかりませんが写メ送信をしますのでリピーターの皆さんも見て下さい。

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最近はテレビを点けても、新聞を見ても『コロナウィルス』の話題ばかりで、ワイドショーもその関連が多いので、私は今新幹線に乗車しているのですが、当然のようにマスクをして、適時お茶で喉を潤しています。目に見えないし、何処にウィルスが付着したり浮遊したりしているかわからないものとの戦い❔なのでリスクを減らす手立てをするしかないので、持ち物の中に目の所を拭いても良いクリーンコットン(これはひょっとすると商品名かも)、アルコール付きティッシュに喉スプレーを準備しました。

マスコミ情報では、クルーズ船への日本の対応に批判があるとの事に私は『初めての経験で、情報が殆どないなかでの手探りでの対応に準備が追い付かないとの批判は、一生懸命に対応されている方々に失礼だと思うし、現に治療に当たった医療スタッフまで感染している事を考えると、如何に情報が無いかと言えるのではないでしょうか。私はいつも職員らに言っているのは「批判はどんな時でもどんな状況でも出来る。自分なりにベストを尽くし精一杯自分なりに行動する事。そして自分がした事に結果的に不十分が理解できた時には次に生かせば良いのではないか。」と言ってます。今回のコロナウィルスにはまだまだこれからも関係される方々に汗をかいて頂き終息に向かって努力していただき、同じような混乱が起きないような提案を示して頂ければと切に願っています。

今までにも不治の病と言われたのを克服してきた歴史があります。私を産んでくれた母秋江さんは53年前に癌で他界していますが、ひょっとしたら今の時代だったら完治していたかも知れません。しかしながら、あの頃では難しかったと言う事で、その事を語りだすとわけのわからない話になりますよね。(ここで品川駅に着いたので中断して今は帰りの列車の中です)私は66年前に、つまり、生後半年の時に心臓が5分近く止まっていて、何故か復活した事はこのコラムでも書きましたが、運が良くて、あるいは生きてしなければいけないことがあって神様仏様が生かして頂いたのかはわかりませんが。

本日の会議は全国老施協の新しいパンフレットの構想を検討して組織強化と新規加入につながるものを作る為に行われました。『数は力』をより強固にする為に『労を惜しまず』で頑張りますのでリピーターの皆さんもご理解とご協力を得られれば嬉しいです。

ようやく雪が降りました

令和2年2月18日

昨日の宿直者に、「雪の状況を午前3時の段階で報告してくれないと、業務に支障を来す事もあるので連絡を下さいね。」と言ってあったので、律義に午前3時1分に宿直者からメールが送信されてきました。その内容は『お疲れ様です。夜間度々、外の状況を確認しておりますが今のところ雪は降っておらず、積雪はありません。』メールが送信されてきた時は、「今日も特変があったのか」と泡を食いましたが、「雪がない」との報告に「ほっ」とすると共に若干苦笑気味・・・。その後再び眠りにつき6時に起きるとカッカかっかと言うか津々と言うべきかしっかりと降っていて、屋根の上には10㎝程の雪があり道路も白くなっていました。

本日は岐阜県健康福祉政策課長とDWATの打ち合わせを9時からするお約束をしていたので、十分な余裕をみて7時30分に家を出て、今須の坂を上っていてレッカー車が停まっていて恐らく雪によるスリップだと思うのですが道から大きくはみ出していて今にも山肌から落ちそうになっていた車を確認しました。そんな中でしたので私は時速40キロ程度で走っていると、後ろの車が車間距離を縮めた運転をしてきたのですが、こんなときにスピードを上げるのは愚の骨頂とスピードを維持して走行しました。十分な時間をみていたので良かったのですが、大垣を過ぎ旧穂積町に入ると大渋滞でのろのろ状態。改めて『予定は未定であり決定ではない』。しかしながら、今須の家を出た時にはしっかり降っていた雪も大垣に入ると屋根に薄っすら載っている程度で、長良川の橋を渡って岐阜市内に入ると快晴で太陽が眩しい。

県庁内の話し合いではしっかりと持論も含めて話をして、10時30分からは岐阜県老人福祉施設協議会正副委員長会議の為に岐阜県福祉会館に場所移動をして会議に臨みましたが検討すべき案件が多くあり、予定の時間を30分も超えてしまい14時からの面接に間に合わせる為に昼食は取らずに施設に向け車を走らせると揖斐川の橋の手前から殆ど動かない状態。「これは朝の渋滞とは違う」と先が見えない分イライラが募りました。結果としては、和合の施設に入る信号の手前でトラックが横を向き2車線とも塞いでいて側道を通るように警察の方に誘導して貰いながらの運転だから、ノロノロ状態も止む無しかな。

14時前に何とか施設に到着したので、昼食を掛け込んでいると面接者の方がみえたので、会議室に行き、私とひと回り年下の男性で介護の経験はないとの事でしたが、お話をしていて意欲的で笑顔が爽やかだし謙虚さも持ち備えていると判断したので、「あなたよりはるかに年下のフロア責任者に仕える事になりますが大丈夫ですか。」と聞くと「頑張って色々な事を教えて貰い頑張りたいと思います。」と言う答えが返ってきたので、「採用の方向で考えていきます。」と言ってその後施設見学をして貰いました。

新しく仲間を迎えることは嬉しいものです。いつまでも初心を忘れず頑張って貰いたいと考えています。明日は東京での会議の為に日帰り出張です。雪は小康状態になり大丈夫だとは思いますが新幹線やタクシーに乗る事になるのでコロナウイルス対策をしっかりしていかないと『不要不急以外は云々』と言われても行かなければいけないので気を付けたいと思いますがリピーターの皆さんも私の健康を祈って頂ければ嬉しいな・・・。

 

愛すべき猫、その名は『リット』

令和2年2月17日

午前3時26分に携帯が鳴り、熟睡していた私は何とか携帯に出て看取りの方が息を引き取られた旨の連絡で、多賀先生と家族への連絡を指示したところ、多賀先生も家族も6時には来て頂けるとの連絡を再び宿直者の吉田部長から貰い、今のところの対応は夜勤の職員と宿直者の吉田部長に任せて私自身は5時30分に行動開始しようと決めて、携帯のアラームを5時15分にセットして再び寝ました。直ぐに眠りにつけて5時15分にセットしたアラームが鳴ったのですが、覚醒するまでに少し時間がかかったのだと思います。

しばらくしたら枕元でガサガサと音がするので「何事か」と枕元を凝視すると、我が家の猫『リット』が枕元に座ってマスクの入った箱をなめているではありませんか。そしてその顔は「早く起きなければいけないよ。」と言っているようで、可愛さが倍増しました。だって、こんな事は初めてだし、私の車の音がしただけで玄関先にいても慌てて2階に逃げていくような状況だったのに・・・。不思議ですよね。

鬱陶しい位甘えてくればくるほど愛すべき存在になってくるのは猫の魔力にかかっているのか。それとも、10年以上我が家にいる内に我が家の猫『リット』は13歳の時に他界した母秋江さんの感情が備わったのか。いやいや、そんな大げさな事ではなくて、私の事が『危険な人物』から『安全な人物』になり、『完璧になめられた存在』になったのかも知れません。しかしながら、『なめられた存在』であっても「可愛いものは可愛い」と言う事は猫とはまっこと不思議な生き物と言わざるを得ません。

この関係は主従関係が逆転したと我が家の猫『リット』は思っているかも知れませんが我が家の猫『リット』に言いたい。「あまりいい気になるなよ。あまりに調子ずくと100倍返しだ。」とは言え、猫の人間観察力は凄いので「ヤバい」と思ったら得意の猫撫で声で甘えてきたら許してしまうんだろうな。

 

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