本日、関ケ原中学の入学式です
令和2年4月6日
本部施設の吉田部長が関ケ原中学校の入学式でPTA会長として午後から挨拶に行くと言う事だったのですが、午前中に全国老人福祉施設協議会総務・組織委員会の初めての試みで4月9日にテレビ会議を実施する為の試験的操作があるので、機械の操作をしに公休日だったにも関わらず来てくれたのですが、新型コロナウイルスの為の対応としての一貫とは言え大変な状況になっていると言わざるを得ないです。

ところで、入学式と言えば、今須小学校のPTA会長を平成8年度と9年度にさせて頂いたのですが、PTA会長2年目の平成9年度の入学式でのPTA会長としての挨拶は朦朧とした状態で何とか挨拶をしたのを、吉田部長と話をしていて思い出したのでコラムとして書くことにします。
平成9年4月と言うのは関ケ原町に高齢者福祉施設建設計画の申請の最終段階で、その当時の補助金申請は、県の担当者が申請書類の作成の為の指導をして、その書類を県の担当者が持って厚労省の担当者の審査を受けるシステム(今は地方分権で岐阜県での審査のみ)だったので、その当時の県の担当者も厚労省での審査直前ではピリピリしていて、入学式の前日に心配な書類の添付資料をあれこれ作成して欲しいとの連絡を貰い、その資料が結構な量のもので、しかも翌日には欲しいとの事で、連絡を受けたのが午後4時で・・・。夜を徹して資料が完成したのは午前9時30分。慌てて家に帰り、朝食と着替えを済ませて県庁に行き、資料の確認をして貰い、急ぎ県庁を出たのが11時30分。12時30分には学校へ行かなければいけないのに結局学校に着いたのは12時45分でした。
校長室に入って行くと校長先生が「遅いので心配してましたが会長さんのお顔を見たので安心しました。誠に申し訳ありませんが早速入学式会場に移動して貰えますか。」と言われ体育館に歩いていきながら、「バタバタしていて会長の挨拶は何も考えてないし、徹夜だったので頭がぼーっとしていて何も浮かんでこない。」と思っていました。何人かの挨拶があり、会長である私の出番になり、頭は朦朧としながらも何とかしっかりとした挨拶が出来たなとほっとしながら壇上を降りたのを思い出しています。
今コラムを打ちながら、私の生き方はいつも綱渡り。でもこんな生き方でかれこれ半世紀(高校生時代から)。先程も全国老人福祉施設協議会の平石会長との電話でのやり取りにしても、自分にプレッシャーを掛けながら『有言実行』あるのみの生き方しか出来ない私を心配して貰っている次第です。でも、良い事もありますよ。だって4月9日には13時30分から3時間のテレビ会議を体験出来るのですから。これもワクワクですよ。66歳になっても(来月には67歳)わくわく感を持った生き方が出来る事に感謝。