人間ドック2日目です

昨夜は20時と22時に強烈な下剤を飲み、いつお腹が痛くなるのかと待ち構えていたのですが知らない内に熟睡していて、午前3時にお腹が痛くなり、トイレに30分ほど籠城してましたが、その後は朝まで痛くなることもなく、朝の目覚めは良かったしお腹が空いたのも意識しないで良くなったのは不思議な気がします。と言う事は一時の我慢をすれば空腹は乗り越えれると言う事か。だとするとガリガリになるのも夢じゃないと言う事か。これは、人間ドックでの大収穫かも知れないと一人ニヤニヤしてます。でも、この感覚は長くは続かないだろうな。だって、さっきも家に帰るなりいつもの大きなあられをバリバリ食べていたもんな。大腸検査は本日10時からで、人間ドックの最大の山場です。検査をして下さる先生はベテランそうで優しそうなドクターだったのでホッとして、お尻の部分に穴が開いている検査衣に替えて、検査台に乗るとお尻にバリウム?が入って(順調です)次に空気を入れながらドクターが「痛くなったら教えて下さいね。」と言われても、私のお腹には余裕が有る為か全然大丈夫だと思っていたらお腹が張ってきて、「仰向きになって下さい。」「右に向いて下さい。」「左に向いて下さい。」の指示に従い写真を撮って貰い約30分で無事に終了。着替えをして健康クラブの待合室でしばらく待っていると2日間の結果をドクターから聞きました。その説明はパソコンの画面をみながらありました。予想通りですがパソコン画面の数値を見ながらの説明に私は数字の多さは私でもわかります。多いときの留意事項を理解できていたら私にも出来そうだと思いました。何が言いたいかと言えば数字だけを追うのだったらコンピューター診断の方が間違いがないななどと思ってしまいました。お医者さんが必要なくなる日がくるのかな。外科の手術もロボットになる時代が。しかしながら、介護の分野はますます色々と難しい課題があり、コミュニケーション力も高めていかなければならない。コンピューターの精度がどれだけ高まっても複雑怪奇な人間の感情を理解することはできないから、介護に関わらなければいけない人材は質も量も増やしていかなければいけないと改めて思いました。2日間の人間ドックの時間に色々な事が考えられたのは良かったと思っています。お昼過ぎに終了して最後の確認をしていて病院内にあるレストランの昼食券を頂いたのでレストラン内のメニューを見るとカツ定食とか海老フライ定食とかもあったのですが、お腹は空いているはずなのにお腹が張っていたためか思わず「とろろ蕎麦をお願いします。」と言って温かい蕎麦を頂きました。

昼食後は北島部長と水野相談員が柿千切りに行ったとの事なのでお礼の煎餅を持って駆け付けると、北島も水野も柿の木に登り格闘中で柿を提供して頂いた方にお礼を言って施設に行くとバタバタとお客さんがおみえになり、話をしていると、認知症リーダー研修の発表レポートの施設長コメントを明日の朝までに書いてくれと西村課長が持ってきたので、コメント書くには西村のレポートを読まねばと読みだすと書類の確認とかバザー企画の相談とか色々あって、なかなかコメントが書けず、何とか私なりのコメントを書き終わり「あっ、本日のコラムが書けてない」で家に帰りお風呂に入り夕食を頂き今(午後9時15分)書くことが出来ました。読み直しはしませんので、リピーターの皆さん誤字脱字に意味不明の段ご容赦下さい。

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人間ドック一日目です

昨日の夕食は検査の前日と言う事で遅くても20時までに食べるように指導されていたので、昨日のコラムで書いたように大垣で通夜があり、家に帰っての夕食は出来ないと思い、またまたコンビニのおにぎりを車を運転しながら3個も食べましたが何となく満足がいかず、20時10分前に家に着いたのでカップに入ったメロンを慌てて食べて20時に間に合いました。(くだらない所に拘るのがヒロシ君らしい・・・。)

朝起きて検査に持って行くものの準備をして、7時15分に家を出発。7時45分に病院の駐車場に着き、本来私が垂井町に朝一で届けなければ行けない資料を流石に7時に持っていくのは常識はずれと言う事で乾町会議員に委ねる為に本来8時30分受け付けのところを早くに待っていると乾町議も一流です。5分と待つことなく来てくださったのでしっかりと打ち合わせをすることが出来ました。人間ドックもしっかりしなければいけませんが、新規事業も頑張らねばとの心意気です。

乾さんとの打ち合わせも終えて、人間ドックの受け付けがある2階に行くと10人程の人が待ってみえ、8時30分にぴたり受け付けが始まり、受け付け後に更衣室で病衣に着替え先ずはウエストをメジャーで測る事から始まったのには笑えました。測った数字を聞くのが恐ろしくて聞くことが出来ませんでした。そして次に血圧測定体重・身長測定。その後も効率良く色々な検査があったのですが私は検査をお願いしている項目が多くて、他の方よりも多くの血液を採取されました。(血の気が多いので丁度いいってか・・・。)

検査の中で一番大変だったのは胃カメラではありません。だって、胃カメラは鼻からスルッと入ったら『余裕のよっちゃん』ですから。『だったら何なの』と言うと心電図の検査で階段を二段上って二段下りるを32回連続で行うのに、検査をして貰う方の号令に合わせてしたのは正直きつかった。心臓への負担は大したことなかったのですが、足元がふらついて年寄りみたい。いやいや年寄りの仲間何ですけど。

昨日は20時まで食べることが出来たので良かったのですが明日の検査はお腹の中を空っぽにしてかないと行けないので、とにかく朝食は無しで、お昼は病院で頂いた検査食を真面目に実行してます。取り敢えずお昼は砂糖無しの紅茶にビスケット6枚のみ。15時の間食は粉末のジュースを溶かして飲んでビスケット1枚のみ。メインディッシュの夕食は『な、な、何と・・・お湯に溶かしたコーンスープのみ。それでいて下剤はたっぷり飲まなければいけない。』今の私の頭の中に浮かぶのは美味しそうな食べ物のみ・・・。くそっ。こうなったら、明日検査が終わったら美味いものを一杯食べるぞ。だってガリガリになってまうから・・・。(絶対にガリガリにはなりませんが)ここは一つ『倍返しだ・・・』

大正7年2月生まれの入居者さんが亡くなられました

いつも穏やかに過ごされていた御歳101歳になられていた入居者さんが亡くなられました。毎週のように家族の方の面会はあり、その度ににこにこされていました。亡くなられる前日まで食事をしっかりと摂られていて、亡くなられてお棺の中のお顔を通夜のお経が終わってから見させて頂きましたが実に柔和なお顔で今にもお声を発されるのではないかと思えるような感じがしました。日頃私は『食事が食べれなくなったら枯れるように、しかも安らかな顔での死に顔であって欲しい』と言っています。そして、そう言うお顔こそが、我々介護に携わる者に対する最後の教えであり、メッセージではないかと思っています。最後の最後まで食事を楽しまれていた方なので『枯れるように』の表現は当てはまりませんが、家族の方と共に『大往生で、私の生き方最高だった。と思ってみえますね 』と話をした次第です。今夜もお通夜がありました。今日のお通夜は月1で本部施設へ和合の施設へ2ヶ月毎にボランティアに来ていただいている『てるてる座』の土台を支えて頂いていて、和合の竣工式典に際しても多大なご協力を頂いた『豊子姉』の突然の死の報を聞いた時には頭が真っ白になりました。私はその知らせを聞いた時、『色々お世話になったのに何のお礼も出来ていないな。』と痛切に思いました。その都度お世話になった時のお礼の挨拶はしましたが、お返しになることは何一つできてなかったのではないかと思っています。しかしながら、そんな私に対してもいつもにこにこの笑顔を送ってくださった事に対して感謝の言葉をお棺の中のお顔に対してつぶやいていました。暗い気持ちになることなくいたら、てるてる座の活躍や当法人の行く末を天国でにこにこしながら見守っていて下さると思っています。話題をがらりと変えます。本日16時からのお約束でインドネシア在住のご夫婦(元々は日本人)が本部施設に来て下さいました。訪問理由は『人材』の会社を経営されていて、かつてリクルートにお勤めだった方と共にみえました。私は当法人の人材の事もありますが、それ以上に岐阜県老施協会員のお役に立つ手立てはないのかと色々お話をさせて頂きました。それに私は今季から全国老施協総務・組織委員長として、会員確保促進の中心者なのでその観点からも何らかのアクションを起こせる起爆剤になればと一生懸命に話しました。いみじくも岐阜県高齢福祉課からは『人材』に特化した補助金を来年度は組んであるとの情報もあるので尚且つ頑張らねばと思っている次第です。リピーターの皆さん。私の人材に対する取り組みについても見守っていて下さい。

爽やかな目覚めです

令和元年11月4日

2拍3日の石川県での研修を終えて我が家の布団で私に合わせた特注の枕で寝て6時の関ヶ原町のチャイムで爽やかに目覚めました。石川県で夕食を共にしてお酒を頂き飲んでいるときは絶好調でも、朝の目覚めが絶好調とはいかないのでホテルの部屋でお風呂にゆっくり浸かり汗をかいてようやく爽やかになるのとはひと味違うといつもの事ではありますが思いました。(だったらお酒を控えればよいではないかと言う考え方が出てきそうですが、それでは私の活力が半減してしまうのです。多分・・・。)

今朝の目覚めは最高に良かったのですが、本日は実に朝から忙しいのです。と言うのも明日から2日間人間ドッグの為に病院にお世話になるのですが、その検査の前に痰と便の採取をしなければいけないので1年に1回しかしないことなので、やり方を忘れているので採取方法をしっかり読みながらなのでなかなか大変です。明日からの人間ドッグでは、毎年お医者さんから言われるのは「体重を減らして下さい」「中性脂肪が高いので気を付けて下さい」「γGTPが高いのでお酒を控えて下さい」のような事なのですが、耳にタコが出来てしまっていて聞く耳持たずになっている私の感覚は自分の事ながらどうなっているのやら・・・。でも、検査の結果例えば『脳ドック』の結果、「年齢以上に脳の萎縮が広いです。」とか、「大きな癌細胞が見つかりました」と言われたらどうしよう。と珍しくおどおどしてます。いやいや本当はおどおどなどしてません。

それより本日は東京から『エーデル』と言うコンサルが来るのですが「柿を千切りに来て下さい」と2軒の方から言われているのでどのタイミングで行くのが良いのかを考えてます。(ここまでの原稿は爽やかな朝に打ったもので、以下については今午後613分で19時からのお通夜までの時間で打ちます。)

エーデルとの中、長期ビジョンの打ち合わせは9時から始まったのですが、理事長がいて判断すべき案件について前倒しでして貰い、12時からの昼食休憩を25分送らせて延長して貰い、昼食を20分で済ませて柿千切りに参戦しました。北島部長と水野相談員は例の如く高い気にスイスイ登りどんどん柿を千切ってくれるので私は椅子に腰掛けながら吊るし柿に出来るように剪定をしました。私は剪定をしながら、大きな篭一杯になるまで飽きることなくできたのを見て「こう言う地味な作業をコツコツ出来るようになった事に我ながら驚いています。明日は利用者さんが柿むきをワイワイと言いながらして頂くのを楽しみにしてます。

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「おっと、18時30分なので通夜用の服に着替えて出掛けます。」時間を無駄にしない真骨頂に自ら拍手です。リピーターの皆さんこんな私ですがこれからも宜しくお願いします。

 

石川県能美市での研修で服部係長が進化を遂げています

令和元年11月3日

一日目は吉澤統括部長の助手に徹していて吉澤統括部長の実技指導のモデル役をするのみで、それ以外の時は受講者がされているのを見ているばかりでしたが、本日2日目と言う事で明らかに進化してます。

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と言うのは、自ら考えて動く事が出来ていたからです。例えばグループ活動の輪の中に入り親しく受講者の方と話をしたり、実技をしてみたり、参考になる場面の動画を撮ったり、ノートに覚え書きをしたりして頑張っています。そして受講者の方の質問にもしっかり丁寧に答えていました。服部係長がこの研修に参加したのは初めての事で戸惑いもあった事と思いますが、理事長として彼を指名したのは大正解だったと思っています。勿論、吉澤統括部長のさりげないフォローと昨夜の夕食時から今朝の朝食時に「服部係長に2日目の指導は任せた。基本は押さえたのだから大丈夫出来る。」と半分からかい気味にそして『マジだぞ』と言う風に絶妙な会話で『指導者としてのイメージが出来る素地』を作ってくれたのも多きかったように思います。

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15時になり、6グループそれぞれに課題が出されグループで話し合いを持ち2日間の成果を発表仕合ました。この企画は吉澤統括部長にしては素晴らしいものだと思いました。いつも吉澤の事を『三流』と言っていますが今回は『二流』に昇格しても良いかな・・・と思っています。

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全ての演習が終わり私が最後に総括的な話をしました。先ずは、研修初日には研修に来た受講生の大半が「持ち上げない介護何て有り得ない。」と思っていた方の中で始まりましたが今は、直ぐにでも出来る事があると考えられている人も多くみえると思います。だとしたら、明日から出来る事から始めて下さい。そして、人材を長く勤めて貰うためにも今回受講されている方は指導的立場の方ばかりですので頑張って広めて貰えれば幸いです。その後押しの一助になるのならば今回使用したパワーポイントの資料は石川県庁にありますので活用して頂いても一向に構いません。

今(午後430分)は吉澤統括部長の運転で施設に向かっていますが、運転している吉澤は19時30分からバスケットの練習に行くとの事。これだけパワフルだから丸々八時間の演習をサポートをする職員がいたとは云えさらっとやれるのだと思いました。(しかしながら二流から一流にはなりませんよ、吉澤君)助手席に座っている服部係長はめっちゃ疲れた表情です。「まだまだ修行が足らん。」と言いたいところですが講師のデビュー戦だったので「良く頑張りました。本部施設でしっかりトランスファーを浸透させてくれる事を信じて合格とします。」リピーターの皆さんこれから頑張る服部係長にもエールを送ってあげて下さい。

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石川県能美市に来てます

令和元年11月2日

本日から2日間、石川県からの依頼を受け『介護の質の向上』研修で『トランスファーテクニック(持ち上げない介護)の指導者として私を含めて4人が能美市にある介護医療院陽(ひ)だまりに来ています。参加者は40人で参加対象者はそれぞれの施設や病院で指導的立場の方ばかりです。本日10時からの二時間は私がトランスファーテクニック導入の必要性についてのお話をさせて頂き、昼食を挟み13時~16時までは実践的な演習をするので和合の吉澤統括部長を中心に実施してます。午後からの演習に先立ち私が「椅子に深く座りそのまま垂直に立ち上がって下さい。」と声を掛けると「できません」との声が上がったので「自分が出来ない事を入居者さんにさせている事を理解して頂き、施設に帰られてから理事長さんや施設長さんに説得では納得して貰う為に垂直移動を強いていることと負荷を軽減することの有意義性について話を是非して欲しい」と話をしてから演習を始めて貰いました。私が北欧式トランスファーに出会ったのは平成19年に岐阜県の地で全国老施協研究会議が行われ最後の企画の記念講演にデンマーク在住の小島ブンゴード孝子さんの実技も交えた講演に文字通り目から鱗の状態であり、「職員を大切にする為にも導入したい。」と考え、その当時、県老施協副会長で研修担当だったので、翌年に岐阜県で小島ブンゴード孝子さんとデンマークの理学療法士であるニールセンに来て貰い飛騨高山市、関市、岐阜市、大垣市の4会場で研修を企画して同行させて貰った時に小島先生の家にホームステイをしながら研修が出来る事を知り、吉澤をデンマークに行かせる事を決断して、翌年には参加させるました。吉澤は帰国後にアクションを起こさないのに私は業を煮やし「デンマークでの費用を返すように詰め寄ると翌日には研修のプランを持ってきました。その中身は吉澤自身の勤務を早出ばかりにして、月曜から金曜までを同じプログラムにして、3ヶ月の行程が書いてあり見事にやりきりました。そのかいがあって、対外的に情報発信出来るまでになりました、その後介護支援協会の厚労省の補助金をいただいての実践ビデオの取材協力を得て色々な法人から研修依頼がきました。今では、『北欧式トランスファーの研修依頼を沢山受けてます。いつもの口癖ですが継続はちから。これからも切磋琢磨で頑張っていきますし本部施設にも服部係長と言うトランスファー指導を担える職員も育ってきましたのでリピーターの皆さんもこれからの経過を見守っていて下さい。実は本日も小松市内へ飲みに行きましたが連チャンは辛くて早くに帰りコラムをうっているのですが只今(午後10時03分)眠くてうたた寝をしながらの原稿なのでめろめろなものになっていると思いますから明日の確認が怖いですが以上とします。おやすみなさい

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昨夜の私のコラムを今(午前6時00分)読み直してます。

令和元年11月1日

実は昨日のコラムは自分でも内容を全くと言って良いくらいに覚えていないのです。と言うのも前日の夜は垂井町での膝詰めの話し合いについての流れを考えていて、ウトウトっとする事はあってもしっかりとは寝てない状態で朝6時には行動開始していて、垂井町長さんとの話し合いの為に役場の駐車場に着き車を出ると、同席して貰う方の一人が私を見つけて下さり駐車場内で話をしていると和合の事務長が役場内から出てきて「皆さんお揃いです。」との事で役場内に入り暫くして役場の職員の方が会議室に案内して下さいました。話し合いでは町長さんに対して私なりにしっかり話が出来た事は昨日の寝ながら泣きたい気分ではありましたが書いた次第です。本日は昨日の話し合いによって大きく計画が進んだ事を受け、養護老人ホームの事を良く知っている長崎県の阿比留君に携帯で色々なアドバイスを受けながら計画の実践者である盲養護・養護老人ホーム設立準備室長の窪田君に携帯にて指示を出す事が出来るのを嬉しく思っています。今の私の事を『動』の人だと良く言われるのですが時期をじっと待つ事我慢強さも持っているのです。(かっこ良い事を言ってしまいました。)今は私の得意な『動』の時期がきました。まごおじしながら待っていた時。つまり、『時期は熟した』と言う事です。こうなると私の頭は次々と戦略が浮かびます。事業においての至福の時間だと思っています。今は明日からの2日間石川県長寿福祉課の依頼を受けて『トランスファー研修』の講師の為に吉澤統括部長の運転で移動中なのですが、明日の導入での講演二時間は気分良く話ができそうです。但し、講演は話し手と聞き手との共同作品ですから私としてはしっかりと傾聴してくれる受講者ばかりであって欲しいと願っています・・・。いやいや、介護な業界勤務のシフトで出張に出すのが難しい中、参加される方ばかりだから私が講師として聞きやすくて参考になるお話をさせて貰えれば大丈夫。珍しく予習もしたし、資料も揃えたのでこちらも『時期は熟した』と言う事で。今(午後5時41分)は18時にフロント前に集合してタクシーで約10分で小松駅前に行き私も含めて4名の職員で研修の前夜祭に行ってきます。良く学び良く遊べの遊ぶ方から頑張っていきます。したたか日本酒飲んだ明日に差し支えるのでほどぼどにします。『これが難しいんだな。これが』(明日のご報告に乞うご期待。いやいや武勇伝にはしませんからご安心を)

垂井町長との話し合いがありました

昨日は愛媛県松山市での全国老施協研修会議が終了後の帰宅だったので遅くなり尚且つ夕食を食べるタイミングが無くて、家に帰りあられやクッキーで終わろうとした為に『満足』がなくて、反って時間がかかり寝たのが遅かったのですが、本日は朝から垂井町長と新規事業の話し合いが持たれると言うことでなかなか寝付けず、ウトウトッとしたら関ヶ原町の6時のチャイムがなったのでベットから跳ね起き施設に出掛けると服部課長が宿直だったので、思わず『見えるか担当課長として、今すべき対応』について話をしました。彼はやると決めたらとことんやる奴なので私が話して理解した事は必ず成し遂げてくれると信じてます。その後、垂井町長を前にして言うべき事をパソコンのワードを活用して文章化しました。一晩掛けて思い描いていた事をパソコンの画面に打ち込んで行くので思いの外すらすらと文章が打てました。そして印字した文章を目で追いながら話す順番や話し方について考えていて、気がつくと8時を回っていたので慌てて家に帰り朝食を流し込み(こう言う食べ方をするから体重が増える事はわかっているのですが)そしてまたまた慌ててスーツに着替えて急ぎ垂井町役場の駐車場に車を停めると本日同席して頂く事になっている方が既に揃ってみえ、暫くすると会議室に案内して頂きました。本日は町長と理事長である膝詰めの話し合いなので緊張しつつも高揚感はありましたが比較的落ち着いた対応が出来ていると自己分析出来るくらいの余裕を持って挑めました。先ずはこの場の設定をして下さった方の進行で始まり垂井町長の挨拶に続き杉和会理事長である私が挨拶をさせて頂く事になったのですが、朝イチで話す内容を自分なりにまとめていた事をしっかりと話が出来たと思っています。そして私と副町長さんとのやり取りが何回か続き、必要に応じて測量会社の社長さんや高齢福祉課長さんが話をしてくださり、無事に話し合いが終わり、終了後に理事長である私にわざわざ垂井町長さんが近づいて話をして下さった事により、この事業についての不安な材料は払拭されたと思いました。一旦施設に戻り本日の話の内容をまとめてから岐阜県庁高齢福祉課長へ報告に行く事にして時間の節約の為にコンビニに行き昼食の為に焼きそばパンと稲荷すしとお茶を買い、車の中で運転をしつつ食べて、車を駐車場に停め県庁10階の高齢福祉課に入って行くと課長さんがアポ無しにも関わらず話を聞いてくださり、担当者も交えて話が出来ました。これで新規事業も一気に進んで行くと確信しました。施設に帰ると岐阜広告の棚橋社長が介護の日特集の打ち合わせで待ってみえたのでバタバタで話をして、その後19時から全体会がありましたが、私の高揚感とは反比例するように私が話している事が『糠に釘』のように私は感じたので少し肩透かしだったので少しがっかりすると共に何とか良い方向を見つけねばと考えてやるべき事はやれたと思っていますのでリピーターの皆さん今後の展開に期待して頑張りたいと考えています。

方向音痴の私は

令和元年10月30日

本日は研究会議の二日目で私は第3分科会の『人材確保後の育成・定着に係る取り組み』に参加する為松山市民会館に行き役員控え室がどこなのかを係員にお聞きするのですが聞いた係員が違う係員に聞きに行き教えていただいた通りに行くと2階に行ってまたまた1階に行ってまたまた2階に行って最終的には1階に会場があり当然のように役員席があると思っていたのですがなくて・・・。

会場が広くて多くの参加者がみえているのですがぱらぱらに座っている感じがしました。事例発表は自信を持ってそれぞれに発表されていたのですが、正直参考になるような事例はあまりなかったです。これは私自身の考え方が膠着しているからかもしれないので、参考になるところはしっかり聞きたいと思っています。昼食タイムになり 役員控え室に行くと平石会長、北條専務がおみえになったので色々なお話をさせて貰いながらお弁当を頂きました。

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2泊3日の予定でのスケジュールの中で昨夜は福岡県の花田理事長が総勢5人、埼玉県の西川理事長が総勢2人と当法人2人の合計9人で『たい飯』がメインの伊予鉄松山駅前で会食をしつつ会話を楽しみました。花田理事長はいつものように瓶ビールでアサヒスーパードライをガンガン飲まれたので私は西川理事長と熱燗をガンガン頂きました。このまま交流を終わるのでは『良く学び、良く遊べ』の精神に反すると思い、場所移動してカラオケに行きました。当然のように私はウィスキーのロックをガンガン飲みながら同時にそれ以上の烏龍茶を飲んで、これまた歌についても当然のようにトップバッターで歌いました。一曲目は山崎ていじの『夜汽車』を歌いました。その後も一杯歌いましたが一番受けたのは『三太郎』でした。「えっ、三太郎を知らんって言う方がおみえになるの。それは松村和子さんの『帰ってこいよ』の替え歌でちなみに一番は『桃から生まれた桃太郎』の繰り返しですからリピーターの皆さんも一度歌ってみて下さい。

今は松山からの『特急しおかぜ』に乗り岡山に向かっています。岡山からの新幹線は9分の乗り換えは忙しいですが頑張ります。家に着くのは21時過ぎになり明日は9時から垂井町役場で町長さんも出て頂いて新規事業についての話し合いがあり、夜も本部施設で全体会があり明後日から3日間は石川県長寿福祉課からの依頼を受けて『持ち上げない介護』の研修に行く事になってます。この研修依頼は3年連続です。と言うことは石川県の期待が大きいと言うことなので疲れているは理由にならないので頑張らなければと考えています。

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帯状疱疹で8月に入院をしたものの、その後は頑張れている事に感謝してこれからもまっしぐらに進んで行きますのでリピーターの皆さん今後ともご支援宜しくお願いします。

 

 

 

 

鏡に写ったのはまるで『布袋様』

本日から全国老人福祉施設研究会議愛媛会議が2日間にわたってあり、それに合わせて昨日に正副委員長会議と役員交流会があり、前泊をさせて頂いたのですが、ホテルで朝起きて異様なものを感じたのでそちらの方を見たら大きな鏡に映されていた私の姿でした。

最初はびっくりしたのですがよ~く見るとまるで布袋様。(自分で言うかな。)このふくよかな姿は私が小さい頃憧れていたその当時の相撲取りだった若秩父のようで改めて『よくぞこのような体型になった』と思いました。

と言うのは私は小さい頃食べても食べても40℃近くの高熱を出す文字通りの虚弱児で、ガリガリの体型でガリガリな体にコンプレックスを持っていました。今でも覚えている事として、いわゆる『出臍』でもないのにガリガリ故におへそが出ているように見えるのもコンプレックスでした。「えっ、今はどうか」ですか。心配しなくても肉の中、遥か彼方にのめり込んでいます。こんな調子だと私の肉はふくよかなままだろうな。

こんな考え方を後押しするような記事が『週刊現代』に載っていました。その記事では「高血圧だから早死にすることはない」とか「肥満だから早死にするのは違う」等との記事を読んで「よしよし」「うんうん」と納得してます。

さて、朝食に行きバイキングで食事を取って来て座ろうとすると、左側に本日の災害のシンポジュームのシンポジストの災害対策委員長が浮かぬ顔をされていたので話を聞くと「全く打ち合わせが出来てなくて不安だ」との事だったのでここは『一肌脱がねば』と思いこの企画のコーディネーターの烏野先生に連絡すると共に残りの3人のシンポジストにも連絡して貰い無事に打ち合わせをして貰い、今正に立派に話をして貰っています。災害のシンボジウムの前にはテノール歌手の秋川雅史氏の『夢のある人生』と言う演題で話をして貰うと共に歌も2曲歌って頂きました。講演の中で私なりに『深い』と思ったメモをリピーターの皆さんにも紹介します。

『夢を持ったら言葉にする』で歌手になっての夢は『紅白に出る』だったとの事ですが2003年に実現して『目標を叶えたら次に何をするのか。目の前の仕事をこなしながら何を夢にするのかを考えてオペラに出る為に努力するだったがいくつになっても完全な形にならない』と言われた時には「自分に厳しい方だ」と思いました。

次に『夢はいくつになっても持っていなければいけない』『今と言う時間が一番若いと思える人生』『常に夢を持つ人生は幸せな人生だ』の言葉には私自身大きく頷いた次第です。2曲の歌を聞きながら私は高校時代の音楽の権先生がその当時のバリトン歌手で「声は口からではなく頭のてっぺんから出すのです。」と言われたのを思い出しました。あの頃の私は(いやいや今でもそうかな)直ぐにその気になるので私もテノール歌手になろうと頭から声を出す訓練をしたものです。今は演歌を腹から出して歌ってます。

研修1日目が無事に終わり、その後私は総務・組織委員会の三役会議を緊急に開きました。この後は福岡県の花田理事長さんの職員と埼玉県の西川理事長さんの職員で親しく飲み会と情報交換会を開く予定です。ここは、『良く学び良く遊べ』で、飲んで食べてガンガン話するぞ。

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