本部施設で経営戦略会議が開催されました

令和元年11月17日

10時30分からの面接を終えてから明日からの4泊5日の出張での手土産を買いに行ったり、お通夜用のお線香を買いに行ったりして、施設に戻り書類の整理やクリスマス会の計画や招待者リストの検討をしていると、経営戦略会議の時間になり(17時15分)会議を始めていくと、提案する幹部の提案の中味が薄っぺらいと言うように思えたので、私は改めて「幹部であるみんなは理事長が今何を考えて実践してほしいかと言うことを理解した提案実践でなければならない。提案を聞いていると、職員はペーパーに落としたら何でも出来るとの提案だ。確かに性善説での考え方も良いけれども、出来てないところを出来るようにするには性善説の手法だけでは出来ない。綺麗事で実践するにはその前に厳しいハードルをこえなければいけない」と熱っぽく語りました。そして、「確かに22年前のような劣悪な状況ではないが、だからと言って今のままではせっかく築いてきたものまで駄目になってしまうので幹部のみんながそれぞれの現場で是は是、非は非の指導をして貰いたい。」とも熱っぽく語りました。会議の合間に垂井町の計画の支援者から何度も連絡が来たりしながらでしたが幹部職員に叱咤激励をしていると、入居者さんがたった今、息を引き取られたとの連絡を受け、家族への連絡と多賀先生への連絡を指示して会議の総括をして会議を終了すると何人かの職員が不思議な動きをするので訝しく思っていたら想定外の厚生労働大臣賞のお祝いの花束のサプライズ。多いに照れながらも「めっちゃ嬉しい」記念写真を撮って貰って事務所の机に花束を置いてからは亡くなられた方の対応。既に家族がおみえになっていたので、ご挨拶をすると共にお風呂に入れさせて貰う事と家まで送らせて貰う事をお話をして、その間に慌ててインスタントラーメンの買い置きを作り、慌てて食べるとお送りする準備が整ったとの連絡を受けて、家族が待ってみえるご自宅へお連れしました。そして、施設に帰り明日からの出張の打ち合わせをして家に向かって車に乘ったのが21時。それから家に帰りお風呂に浸かりながらと、お布団の中で本日の経過のみのコラムですが何とか今(午後10時21分)打ち終えました。明日からは出張での出会いを書けるので少しは中味が充実すると思うのですが本日は継続出来た事のみでお許し下さい。

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長野県飯田市に出掛けます(ました)

昨日までのスケジュールがタイトだったので昨夜は21時には爆睡して今朝もいつものように6時には目覚めていたのですが正直体がだるい。飯田に向けて8時には施設を出発する(飯田市にある萱垣会の70周年記念式典出席の為)と本日運転をしてくれる水野相談員に言ってあったのに私が施設に着いたのは8時10分前・・・。早速昨日花茂さんから届けて貰ったお祝い用の胡蝶蘭を車に積む時に一苦労。と言うのもあまりに胡蝶蘭が立派でなかなか車に収まらない。安定感を確保する為の箱からだし一先ず胡蝶蘭を入れてから箱に納める作戦で何とか積み、8時より少し遅れて出発。快晴のドライブ日和なのか車が多いですが助手席でゆったりしながら携帯でコラムを打っていると、東海北陸道に入りたい車なのか左側に車があるなかを無理矢理入ろうとしたのか車があるのがわかってない車なのかはわかりませんが左側を走っていた車がブレーキを踏み左に大きくハンドルを切りしばらく蛇行運転のようになりましたが何とか衝突を免れたのを目撃して改めて車は凶器にもなることを理解しました。

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一宮ジャンクションから中央道に入り車が少なくなるかと考えていたのですが紅葉を見に行く車なのか一向にスイスイと言う感じではありません。しかしながら予定通り10時前に会場に着き胡蝶蘭を水野相談員に運んで貰い萱垣理事長(長野県老施協会長)にもご挨拶をして控え室で時間になるまで待っている間に式次第と出席者名簿を確認すると凄くラッキーな事に気付きました。と言うのは式典での席が最前列でお隣の席が全国盲老人福祉施設連絡協議会事務局長の常磐勝範と書いてあったので指定された席に座られたのを確認して早速名刺交換をして、岐阜県で令和2年度事業で盲養護を立ち上げる事を話させて頂きました。そうしたところもう一枚の『壺阪寺住職』の名刺を頂き『ラッキーだ。この方こそ日本で最初に盲養護を始められた施設の責任者だ』と。その時は儀礼的な対応だったのですが式典が終了して昼食会場へ移動した時の席も隣の席だったので色々な話を熱くお話をさせて貰うと常磐先生もだんだん饒舌に話をして頂け「私が小さい時には盲養護施設が遊び場で良く抱っこして貰ったりして、今でも職員とは違う感覚を持っています。」との言葉をお聞きした時は『この方こそ文字通りの現場主義だ』と思いました。食事が終わり第二部の僧侶であり落語家の露の団姫師(つゆのまるこ)の記念講演の会場に移動する前に「常磐先生、是非施設見学とご相談に参りたいと思います。」と言うと「いつでも連絡して下さい。」とのご返事を頂き、改めて『活動的であるからこそ、このような出会いがあるんだ。』と思った次第です。でも、この出会いは私が盲養護の建設をすることをご存じの萱垣理事長のご配慮だとすると思わず手を合わせしまいました。記念講演では、波瀾万丈の露の団姫師のお話を聞き、全て終了してから飾ってあったお花が頂けるとの事でお花を頂いて、今は水野相談員の運転で施設に向け走っています。施設に帰ったら地元の方が相談があると言う事で一頑張りしなければいけないと考えています。しかしながらしんどい生き方ですが充実した生き方に感謝しかありません。66歳(年齢じゃ、あ~りません)まだまだ頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願いします。

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昨夜は久しぶりにしたたか飲みました

最高の越前蟹を頂いていると、ここは熱燗ではなくて冷酒が合うししかも、石川県の久藤会長が『菊姫』の差し入れをして頂き尚且つ福井の美味しい酒を提供して下さったので「こんな状況で飲まないのはとっても失礼」としたたか飲んだ次第です。昨夜のコラムに写真を撮ったのを掲載しましたが、その中にタグがあったと思いますがこれはまさしく『本物の証』と言う事を言いたかったのです。蟹をさばいて下さる方が上手と言う事もありますが、めっちゃ身がありましたし、みそが絶品でした。海のない岐阜では生涯に何回も食べれない贅沢をさせて頂きました。埼玉から総務・組織委員会委員の西川理事長のお目付け役?である私は8時45分にフロント前に彼女を呼び出し『遠慮は三流だ』と言う話をして、その後私は福井駅に向かい切符を購入し9時36分発の『しらさぎ』に乗り米原に向かっています。本日も午後から目一杯のスケジュールがありますが元気に飛び回れる幸せを噛みしめています。本部施設に戻り昼食を頂いた後13時過ぎに和合の施設に向かい、14時から乾垂井町会議員との情報交換をして、15時からは入居者さんと一緒にお経をあげて、カラオケを一曲披露しました。曲目は山崎ていじさんの『夜汽車』です。私的には疲れているわりにはしっかり歌えたと自惚れています。お参りに引き続き幹部会があり、18時前には終了して、今は家の風呂にゆったりと浸かっています。流石にバテてますが明日は長野県飯田市で長野県老施協会長さんのところの法人設立70周年記念式典が10時30分から開催されますし、次の月曜日から金曜日までは施設を空けなければいけないので体力を温存すべく車の運転は水野相談員にして貰い車の中で体を休めていきたいと思います。本来なら列車で行くべきなのですが、お祝いの花をバタバタの中で忘れていて、花屋さんにホテルから朝イチで頼むと「今市場に来ているので手に入れる事は出来るけど持っていかなあかんよ」と言われて、余裕のない事をしていると余分な仕事が出来るなと痛感しました。明日は天気も良いようなので助手席でドライブを楽しみ気分転換をして週明けからのスケジュールを頑張りたいと考えています。お風呂でも眠くて、夕食中も眠くてどうしようもないので本日のコラムは以上とします。

本日福井泊での出張です

出張の準備をして施設に行き11月9日岐阜新聞の『介護の日』特集3面特集の記事を20部岐阜広告の棚橋社長が昨日持ってきて下さったのと、DCATに参加した職員の写真とレポートと私が岐阜新聞に8回シリーズで書かせて頂いたかつての記事をコピーしたのを会長と専務にお渡ししたいと準備しました。

予定の列車に間に合うように出発したのに今の時期は道路工事が何ヵ所かあり、ギリギリになり時間がない時に限って駐車場が一杯で、何とか駐車して駐車券を手に入れ車の中に置き、急ぎ切符売り場に行くと先客があり、新人の駅員さんなのかいかにも丁寧にされていて(決して悪い事ではありません。イラついているのは私の都合ですから)もう一人(多分)指導的立場の駅員さんが私に声を掛けて下さりイライラはなくなりました。こう言う配慮こそ大切だと改めて思いました。

予定の列車である『しらさぎ』に乗れて、本日福井に着いてからコラムを書く余裕は懇親会が終わりホテルに帰ってからだとお酒も入っていてるしなかなかしんどい思いをしなければいけないことが想定されるので、『しらさぎ』の車中で打ってます。今(午前10時47分)武生を出たのですが、北陸路は雲がどんよりしてますが、このどんよりに負けないで頑張りたいと思います。

本日の会議は二段構えで構成されていて、前段では総務・組織委員会がプランを立てさせて貰った全国老施協による『組織強化懇談会』の総務・組織委員長として東海北陸ブロックの役員から色々な意見を聞いて基本的には平石会長が方向性を示す形で進行し15時前になり前段の総括的な話を総務・組織委員長としてさせて頂き一旦休憩になり(10分)後段の東海北陸ブロック正副会長会議が始まる前に私は岐阜県会長の席に移動して会議が始まりました。この会議では石川県の久藤会長についで二番目に長く勤めさせて貰っているので(17年目)色々な立場で話をさせて頂きました。

17時15分に会議が終了して委員会の打ち合わせをしてから自分の部屋でコラムを打ってます。18時10分フロント集合でバスで移動して越前蟹を食べに行くのですが解禁したばかりの越前蟹を頂けるのをワクワクしてます。

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今日は冷え込んでいるので熱燗が合うな等と考えています。後は一杯越前蟹を頂き、お酒も一杯頂いての武勇伝をホテルに帰ってから書きたいので、多分このコラムのアップは明日の朝になるかと思いますがコラムは継続していると言う事で今(午後5時56分)から楽しんできます。すげえ。めっちゃうまい。こんな上手い蟹が一生の内で食べれるとは。しかも蟹のさばきはして貰えて『幸せ』。

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写真の通りの料理を頂いて今は絶好調で歌を歌ってます。夜汽車、昭和男唄。兄弟船エトセトラ・・・。これ以上は無理です。リピーターのみなさん御休みなさい

しっかり3時間の施設視察をして頂きました

福岡県筑後地区老人福祉施設協議会の施設視察依頼の連絡があった時に相手方から「二時間程度でお願いします。」との事だったのでその時の私の返事は「二時間なら受けません」と答えていました。そうすると相手の方が「もう少し短い方が良いのでしょうか」と言われたので私は「いえいえ、福岡県から来て頂いて二時間では申し訳ないし理事長の私の考え方も中途半端にしか伝わらないので、最低でも三時間は取って頂きたいと思っています。と言うと「長い時間だとご迷惑だと考えての事ですから、時間の事はお任せします。」と言われて依頼状が届き内容を見たら施設到着の時間が13時30分になっていたので私は思わず米原駅からバスでの移動と言うことで『昼食をゆっくり食べての施設入りは時間が勿体無い。』と考えて連絡をすると「昼食は新幹線の中でお弁当を食べます。」とのことなので私は思わず「米原に何時に着くのですか」と聞くと「13時30分についてバスに乗り込みます。」との返事に『一体何時に着くつもりをしているのか』とイラっとしているのを察知されたのか「14時30分には着きます。」の答えに思わず絶句。結局14時10分に着かれ、会議室でコーヒーを飲んで頂きながら私は行きなり1時間15分間『施設が出来るまでの経過と思い』を話させて貰い、その後休憩も取らずに2班に別れて施設見学をして頂きました。私が説明者となった班は時間がかかったのは言うまでもありません・・・。だって私の思いが行くところ行くところにあるんだから。施設見学を終えて会議室に入って頂き最後にステンドグラス入りの仏壇を見て頂くと歓声が沸いたなのには思わず嬉しくなりました。その後は施設が開設されてからの22年の紆余曲折を語ると共に全国老施協に関する動きや私の思いについても語らせて頂き、気が付けば17時15分でぴたりお約束の3時間。外に出ると既に暗くなっている中を大駐車場まで見送りに出て多くの参加者と熱く握手を交わしました。バスが名古屋に向かって出発したときには大きく両手を拡げ手を振りました。再び施設に戻り西川課長から依頼を受けていた『認知症リーダー研修の施設長コメント』を彼女のレポートを読んでから先ずは下書きを書き、清書をして署名捺印をして宿直者に渡し、時間を見ると18時15分で19時からのお通夜に着替えて行くにギリギリの時間で急ぎ家で着替えて斎場に行きました。通夜の最後の喪主の挨拶で「命を全うし眠るように父の所に行けたのは幸せだったと思います。」と長男さんが言って頂けたのは有り難かったです。家に帰り着いたのは20時を回っていてお風呂に直行して「コラムが全く書けてない」と言う事で湯船に浸かりながら打ち出しましたが500字を打つのがやってで、一旦コラムを打つのを止めて体を洗い、お風呂から出て急ぎ夕食を食べて今はベッドに横になりながら本日も連続クリアが出来ました。明日は一泊の予定で福井です。明日の楽しみは解禁になった越前かにを頂けると聞いてます。その辺については明日のコラムで書きますのでリピーターの皆さん楽しみにしておいて下さいIMG_4104IMG_4097IMG_4095IMG_4103

凄い一日でした

本日の活動は前夜の午後11時45分から始まりました。(熟睡をしたのは2時間だけ)その始まりは宿直者からの携帯への連絡から始まりました。その内容は入居者さんの看取り対応の連絡でした。心不全があり浮腫がみられていた92歳の女性の方が心停止との事で昨夜は夕食も食べて頂いてのものだったので驚きと動揺もあったのですが、お顔を見て、本当に安らかなお顔をされていたので『大往生』だと思いました。そのお顔はまるで眠ってみえるようで、『私もこうでありたい』と正直に思いました。家族と主治医の先生に連絡して双方ともに5時に施設に来て頂けるとの事で一旦家に帰り再び4時30分に起きて施設で家族と主治医を待っていると主治医の先生が先に来て下さり死亡診断書を書いて頂いていると家族がおみえになり主治医の先生からお話をして頂き、家族の方にお顔を見て頂くと家族の方が思わず『安らかな顔をして安心しました。施設で一年間お世話になっているときに面会に来ると「ここはええところや。バイキングは楽しみやし」といつも話してくれた。』と話して下さり私も思わず『ご縁を頂けて良かった。』と改めて思いました。そして、家族の方と話をしている間にお風呂に入って頂き綺麗に化粧も施しご自宅にお送りさせて頂きました。一旦我が家に帰り朝食を食べて10時からふれあい会館で行われる『管理者向けの事故防止研修会』に出掛け、事故に対する対応についての講義を聞きながら『やはり事故に対する考え方の中にも日頃からの家族や本人とのコミュニケーションが大切だ』と改めて思うと共に、講義に引き続きグループ討議になり、私は12時45分までに企業フェスの開会式に出席しなければいけないので、グループの最初に話をさせて頂きました。その内容は『当施設では、いざ事故が起きた時は理事長である私が全面に立って対応します。そして職員は同じ失敗をしないための対応を考えて実践して貰うのを基本としています。』と話をさせて貰い、中抜けさせて貰いメモリアルセンターに向かいました。会場入りすると県高齢福祉課の係長さんが目敏く私を見つけて下さり会場内を案内して下さり、ラッキーな事に健康福祉部長さんとも親しくご挨拶させて頂きました。開会式会場に行くと私には指定された席が最前列に設けられており恐縮しながら県の部長さんらとの名刺交換をしたりしていると定刻になり副知事さんの開会挨拶と主催者代表の挨拶の後参加者全員での『頑張ろー』があるとの案内があり壇上に上がる方のアナウンスが流れていて、私の名前を呼ばれてまたまた恐縮してしまいました。だって開会式前に挨拶させて頂いた健康福祉部長さんをさておいての指名だったので。結局壇上の中心の副知事も含めて7名だけが壇上での頑張ろーでした。開会式が無事に終わり壇上から降りると恐縮しつつ多くの方にご挨拶をさせて頂きました。本日の参加事業所は450事業所で参加者は3000人との事で面接会場を色々な方にご挨拶をしながら廻らせて頂きました。14時近くまで会場にいて施設に帰ると新規事業の室長が書類の確認に来たので昼食を後回しにして対応して15時に大変遅い昼食を頂き、その後12月5日から7日の予定がメールで来ていたので総務・組織委員会の幹事と電話での打ち合わせをすると共に全国老施協の専務ともやり取りをしていると17時前になり、全く集中力がなくなった事を理解したので早くに帰らせて貰い家に帰り30分だけ仮眠をとると頭がスッキリしたので今は(19時17分)お風呂の中でコラムをガラケーの携帯で打ってます。リピーターの皆さん私のご縁を大切にする生き方に拍手を・・・。

予定が目まぐるしく入ってます

本日14時から岐阜県老施協の一般社団法人化の検討会があり、昼食後に岐阜県福祉会館に行き16時30分までしっかり討議をして、その後県社協の事務局長と団体振興部長との打ち合わせがあり、18時過ぎに施設に戻るとメールが何通かきていて、その中に全国老施協からのものに12月4日から6日のスケジュールが来ていました。事前に承知していたとはいえ、4日が東京で宿泊で11時15分から夜までみっちりのスケジュールで翌日は午前中に大阪に移動してこれまた、その日は宿泊させて貰い翌朝は8時過ぎの飛行機で伊丹空港から秋田に飛んでの息つぐ間もないスケジュール。事前に理解していたとはいえ、改めて『まいったな。健康に充分気を付けなければ』と思いつつ今週も福井での一泊があり、来週は18日が埼玉の大宮で泊まり。19日、20日は茨城の日光で泊まり、21日は東京で泊まりのスケジュールが待っています。この過密スケジュールは全国老施協総務・組織委員長を拝命し組織強化と拡大と言う役割を担う事になったからです。勿論お引き受けした以上は全力でやり遂げたいと思うと共に当法人の組織強化と新規事業についても精一杯やらなければ本末転倒になってはいけないので気合いを入れて頑張ります。有り難い事に今は携帯のメールで逐一施設の情報が来るシステムが確立して、必要に応じて連絡や指示をすることが出来る体制になっています。私がこのように走り回れるのも頑張っている職員がいればこそと考えています。勿論気になることはガンガン話をしますし、現に明日も宿直者の職員の気になることを朝イチで行って話をしていきたいと考えています。基本的に出張は土日祝日には入って来ないのでその時間を有効に使って行こうと考えて実践してます。現に昨日も日曜日でしたが芋煮会で入居者さん利用者さんと盛り上がりましたし、玄関先で火の番をしていたので面会に来て頂いた家族の方とも親しくお話が出来ました。明後日13日には福岡県から30人の施設関係者が施設見学と理事長である私の話と交流会を(三時間)して下さる企画があるので、施設回りの確認を朝イチでさせて頂きました。だって、博多から新幹線に乗り米原から貸し切りバスできて頂くのにみっともない所を見せる訳にいかんでしょうが。これは決して見栄とかではなくて最大限のおもてなしであると考えています。当法人は見学だとか研修によく来て頂くのですが、そのことによって施設も充実するので有り難いと思っています。先般電話にて『毎日コラムを書いてます。』と話をすると『よくそんな時間がありますね。』と言われたので即座に『時間は作るものですから』と答えると『そりゃーそうですが』と言われて改めて思ったのは時間が無いからこそ時間を大切に出来ているのだと思いました。リピーターの皆さん過激な生き方の私を益々ご支援下さい。

芋煮会を開催しました

令和元年11月10日

一言で総括すると『やって良かった』です。

何と言っても快晴の天気に恵まれ、私が施設に行った時には全ての準備が出来ていて、10時前にお酒とお塩で周りを浄め着火剤を木に付けてから着火すると簡単に火が点き火力が強い(ガスなんか問題になりませ~ん)ので、20分もしない内に大鍋の水は湯と化しその中へ大根、れんこん、ゴボウなどなどをざば~っと入れ・・・もちろんもちろん里芋も。その後、だしの素もドバっと入れ、隠し味の清酒を少々・・・いやいや並々と入れてぐつぐつ煮ていると・・・。

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いつのまにかギャラリーにお客様で一杯になり「寒いな」と言われる方には火の近くに来て貰うと「あったかいな。火がありがたい季節になったな」等とワイワイガヤガヤと。そんな中、水野相談員のアイデアでまだ味噌の入っていない、いわゆる出汁だけを紙コップに入れて、皆さんに振る舞って貰うとギャラリーの皆さんは大盛り上がり。中には「美味しいけど水くさいな。」と言われる方もありましたので、「この後八丁味噌をたっぷり入れてお昼の食事に提供しますから楽しみにしていて下さい。」と言うと「そりゃ楽しみだ」とまたまた盛り上がりました。

11時40分になり各エリアに大鍋に入れて運ぶ事にして、一つ目に入れてつくづく感じたのは大釜から一杯くらいよそっても全然減った感じがしないな。大鍋5つに入れてもまだまだ余裕で残っています。夜勤明けで誘導を手伝ってくれた職員にも労いの言葉を添えて食べて貰うと「美味しい」の連呼に気を良くした私は「これぞ正しく男の料理」等と言いながら『おかわり自由』で賄いました。お昼休憩に来た職員にも振る舞いながら「美味しいですか。美味しかったら原稿用紙30枚感想文を書いて下さい。」等と冗談を言いながらわいわいがやがや。

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の後私も味わいながら頂いていると、先般つるし柿の柿を提供してくださった高木さんが「大きな柿が千切れたので持ってきた」とわざわざ来て頂いたので一緒に食べて頂くと「大きな釜で炊くと美味いな」と言われて「昔はお葬式では大きな釜で料理した味噌汁が美味かったけど今はしなくなったけど、やっぱりこうやって食べると美味いな」としみじみ言われたので「高木さん私が男の料理で大胆にしたから美味しいんです。」と言って大笑いしました。

災害など絶対に無いのが良いのですが、当施設の炊き出しの体制は完璧ですよ。薪には元旦に飾った竹を花屋さんからいっぱい貰って用意してあるし、次はご飯を炊く大釜も頂いたので近い内に炊き込みご飯を作って皆さんに振る舞おうかと考えてます。リピーターの皆さん私のワクワク感を理解して頂けますか。

 

 

11月11日は介護の日です

令和元年11月9日

11月11日を『介護の日』と決めたのは舛添要一氏が厚生労働大臣の時。決められた当時は、それぞれの地域で色々な企画があり、社会的認知がされてきたと思っていました。ところが、舛添要一氏が大臣を辞められ何年かが経過すると、何となく形骸化してしまっているように思うのは私だけでしょうか。(※ 本日の岐阜新聞に岐阜県老人福祉施設協議会が大きく介護の日に合わせるように記事を掲載してますのでご一読下さい。)介護の業界も介護人材が枯渇しているのにこの現状で良いのかと憂いでいるのです。岐阜県に於いても2025年までに7000人の介護人材が不足すると予想を立てています。勿論、岐阜県としても手をこまねいているわけではなく人材の確保の為に鋭意努力はして頂いてます。私も岐阜県老人福祉施設協議会会長として裾野を拡げる為に何をなすべきかに心を砕いています。例えば、中高年者雇用、障害者雇用です。具体的に私が仕掛けたのは岐阜県教育委員会に働きかけて『支援学校』の中に「高校」を卒業した後に必ず就職口が見つかる為の職業訓練に特化したものを作って確実に就職できるレベルにまで持って行けばマッチングもスムーズにいくのではないかと考えました。そして、今、岐阜市と大垣市に『特別支援学校』が出来もうすぐ卒業生も排出します。この発想は、優・悠・邑 和合に支援学校の卒業生がいて、一生懸命に頑張って介護の仕事につけるまでになった職員がいるからです。こう言う学生を発掘するには高校の時から介護の勉強をしてもらえればと考えたからです。勿論、介護だけではなくて「クリーニング業」「清掃業」「園芸」等々と色々な事が考えられます。最近は国の施策で外国人介護福祉士のマッチングも積極的に行おうとされています。勿論、当法人は10年前からEPAによるインドネシア介護福祉士候補生の受け入れを行っていますし(12月にも新たに2人がやってきます)今年度からはベトナム人の留学生も2人が在籍してます。(来年度3人も内定してます)また、当法人には2人の現役中卒者がいます。本部施設には2年目で当たり前に働いています。(ただし、18歳未満ですから夜勤業務はしてません。)昨年8月に厚生労働省老健局長に就任された大島さんにその話をしたら「是非とも成功事例になるように立派な介護職員に育てて下さい。」と言われたものです。私は固定概念に捕らわれることなく裾野を拡げたマッチングをしていきたいと考えています。何故なら、介護の仕事は『優しさと一生懸命さ』が最も大切だと考えているからです。勿論、一生懸命に頑張っていると、スキルを上げたいとの必然が芽生え『介護福祉士』『ケアマネージャー』の資格を取得したいと思うようになるものです。そして今私が新たに導入しようと考えているのは、児童養護施設を退所して、社会的バーンアウトをした若者の受け皿になることを考えています。(究極的には刑に服した方の社会復帰も念頭に置いています。)当法人には1Kのアパートを20部屋所有しているし、食についても入居者さんと同じものを提供できると言うメリットを最大限生かしたいとも考えています。私が平成6年に児童の施設の建設を諦め高齢者の施設の事業展開に業種を変えると決めたのは、「バーンアウトした子達の受け皿になれたら」と言う整理の仕方をしたから。と言う事はこれから事業の集大成に入ると言う事か。まだまだ頑張らなければ本来の思いが達成しないと言う事ですので、リピーターの皆さん、私の今後をしっかり見届けていて下さい。

 

非常放送設備更新工事の入札が厳粛に行われました

令和元年11月8日

11時からの実施予定でしたが、早い業者は10時30分には会場入りされており、入札執行をする側も緊張感が走る思いでした。理事2名と監事2名の執行者と指名業者4社が揃ったので、11時少し前に入札を始める事が出来ました。儀礼的ではありますが、五次事務長が出席者の確認をしてから、理事長の挨拶をさせて頂きました。

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挨拶の中で「今回の入札で選ぶ業者は1社ですが、4社共に地元の業者さんですし、私は17歳の時から四国遍路をさせて貰い、『ご縁』の大切さを常に考えながらの生き方をしてきたので、4社共に今後ともお付き合い願えればと思います。特に来年令和2年度事業で盲養護・養護老人ホーム80床を垂井町において計画をさせて頂く予定をしております。今後も地元の社会福祉法人として頑張らせて頂きますので地元の業者さんとしても宜しくお願い致します。」と挨拶させて貰ってから、監事さん2名の見守りのなか、垂井町に拠点を持たれているハシモト電気さんに落札して頂きました。

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入札を終え、6日に垂井町に新規事業の資料を乾町議に持って行って貰ったままでは申し訳ないと考え、垂井町の健康福祉課に行くと運よく課長さんと課長補佐さんにもお会いでき「来週にでも地区の説明会が開催出来るように努力します。」との言葉を頂き、一生懸命に頑張ってきた事がようやく上手く歯車が回り出したと感じる事が出来、気分良く施設に帰って玄関ホール(正式には地域交流スペース)まで来るとおおぜいの入居者さん、利用者さんが干し柿の皮むきをされていてめちゃめちゃ元気な声が聞こえてきました。そして改めて思いました。皆さん仕事をしている時の顔は生き生きされているなと。生涯現役の時代においても、何らかの障害を持たれた事によって特養に入居されたり、デイサービスを利用されたりしている方であっても、『何もできない』とか『必要のない人』とか言う考え方ではなく『出来る事をして頂く』事によって存在感を示して頂く事が『活力の元』と考えて今回のような企画を多く持っています。但し、柿千切りをしてくれた北島部長、水野相談員そして何と言っても柿を提供して下さった番場さんと高木さんの存在も大きいです。この企画に参画して下さった全ての方が入居者さん、利用者さんの笑顔が引き出せるとわくわくして頂けた事が素晴らしい企画になった結果だと思います。仕事であっても単なる『作業』ではないとの考え方を改めて知る機会になりました。

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リピーターの皆さん楽しい企画が盛り沢山の優・悠・邑に一度いやいや何度でもおこしや~す。

                     

 

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