『師』と仰いだ中村博彦氏の事
中村博彦氏は全国老施協の会長をされ、組織内候補として参議院の2期目の志半ばで他界された方です。
私は平成18年8月8日に役員として、東京の本部に行くようになってからは、正に『師』と仰いで可愛がって頂きました。最初はその頃出来たばかりの総務委員会の幹事として、各委員会のスムーズな活動を下支えすると共に幹部の役員の方々の発言を取りまとめ中村会長に報告するような立場でした。しかしながら、役員になったばかりの私はたくさんの役員さんの顔と名前もわからない、ましてや性格やお立場もわからない中で必死にうごめき、わからない事をその当時の福間局長に相談している場面を中村会長に見られたりするとめちゃくちゃ怒られたものです。
今の私なら「何故怒られるのか」が理解出来るのですが、その当時は「相談するのは仕方がないのに、どうしてこんなに怒られるのか。しかも私だけ」と思っていました。
しかしながら3ヶ月位経過した頃から『事務局に使われるのではなく上手に使う事をしなければ会の運営は上手に回っていかない。』と思うようになり、中村会長の頑固なまでの全国老施協への思いと先を見る力。それを支える情報の多さと理解の早さには驚かされっぱなしでしたが、少しでも中村会長のようになれたらと思って発言をしてきました。とは言え、中村会長との関係が最初から順風満帆だったわけではありません。だって、私との会話の中でどれだけ「ばかじゃ、あほじゃ、とろくさい」と言われた事か。
しかし私は単なる『イエスマン』だったわけではなく、納得がいかない時には反発もして、しかも、中村会長は自分が悪かったと思われた時には自分に対してのフォローをする柔軟性をお持ちの方だったと思います。
頭の回転が凄いと思ったエピソードを書く事にします。それは私が在宅委員会幹事をしている時の出来事なのですが、在宅委員会主催の研修会があり、中村会長が開会前におみえになり、私に「在宅に対する課題は何か」と聞かれたのでその頃の課題を三点お話させて貰うと、それに対しての疑問を私にぶつけられたのでそれに対してお答えして、確かにメモをとられてはいましたが、中村会長は演壇に立って、先程したばかりのやりとりに基づいて堂々と答えられていたのには驚きと共に感動しました。そして、中村会長が原稿を見ないで自信を持って話されるのは、項目を書き出される時には既に話す内容が頭の中にイメージが出来ているのだから凄いと思いましたし、私も 今は話しするときは項目だけ考えて90分の講義でも話をするようにしてます。だって、その方が自信を持って話をしているように見えると思うし聞いて貰っている方々の表情を見て話が出来るので話しやすいです。
中村会長の素晴らしさは例えば『行動の老施協』『労を惜しまず』などのインパクトのある言葉を提案して人を引き付けるのも素晴らしかった。時には真顔で私に『健祥会に来んか』と言われた時には『私も小さいながらも法人の理事長です。』と答えるような事があった事を心良く思い出しています。
リピーターの皆さんこんな私ですがこれからも宜しくお願いします。