物を大切にしない風潮にもの申す

自己本位の考え方を押し通そうとする風潮が日本でまかり通る時代になってきたのか、『謙虚』とか『奥ゆかしい』と言う言葉が殆ど死語のような状況になり、『キレる』と言う言葉がまかり通ってしまったり、『目立つ事が格好いい』と言う風潮がある中、今朝のニュースでイチゴ狩に来た客の常識外れな行動がテレビで報道されていました。
一つ目に報道されていたのは、イチゴを獲って最も美味しいところをほんの少しだけ食べて残りをごみ箱に捨てていて、大きなビニール袋に殆ど食べられていないものが入っている映像が映っていたのには何とも言えないやるせなさを覚えると共に食料がなくて飢えに苦しんでいる国の人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
また、もう一つの映像は採ったイチゴを投げ合って遊んでいたと言うものでした。一生懸命に丹精込めて作られた方の身になった時に言葉を失います。「食べ物を粗末にしない」「勿体ない」と言う考え方は何処に行ってしまったのか。日本が目指している方向は何処に向いているのかと嘆いていても何ともならないので、気が付いた者が気が付いた事を一つひとつ提案して実践していくしかないし、言い続けていくしかないと思うと空しくもありますが言い続けて行きます。

話題は少し変わりますが、今年の暖冬の影響で大根の成長が早くて収穫をしても規格外の大きさになって多くの大根を破棄しているとの報道を見た時に、私がウォーキングをしている時にキャベツを販売目的で作られている方が折角立派に出来たキャベツを蹴飛ばしてみえたので、話しかけると「育ちすぎて規格外だから売る事ができない。と言われて悔しくて思わず蹴飛ばしてたんや。」と言われて、私自身複雑な思いがしました。そして私の父親が生前、畑を趣味程度にしていたのを手伝っていた時に、大きな大根や白菜が採れた時に嬉しかった事を覚えていますが「大きいことは良いことだ」ではなくて『規格外』と言われては悲し過ぎます。大きく育って規格外になっても美味しく頂けるものを流通させて安価に手に入り美味しく食べて頂けるシステムが構築出来たら良いのだけれどと思っているのは私だけでしょうか。
私は昭和28年生まれなので文字通り『高度経済成長期時代の申し子』で、『消費は美徳だ』等と言われた時代に生きてきた人間ですが、私の施設運営の考え方は「無駄はしないで、楽しくわくわく感のある企画に大胆にお金を使うです。」そう言えば、4月8日(花祭りの日)には『マグロの解体ショーとマグロをいっぱい食べる』企画が計画されています。限られた予算の中でも提案出来る事に感謝しています。
リピーターの皆さん私の思いについて論評を頂けたら幸いです。

ターミナルケアについて私見を含め述べます

『ターミナルケア』と言うより『看取りケア』と言った方が分かりやすいのかも知れません。と考えている内に『ターミナルケア』と言う言葉は軽々しく使うものではないなと、今コラムを打ちながら思っています。と言うのは『ターミナル』を日本語に訳すと『終着』を意味するので(多分)、『終着』の迎え方には『緩和ケア』のように痛みを和らげる為に麻薬を使ったり、牧師さんやお坊さんに話を聞いて貰ったり、『ホスピス』のように癌を受け入れて死を全うするものもあります。また、自分の願いを形に表した生活をしたりと多種多様な形があると思います。当施設でも『看取り』は家族や入居者本人の了解を得て積極的に行っています。私は入居者さんの看取りは『眠るようなやすらかな死』を理想としてます。しかも、死の直前まで自分の口から食事を摂取して貰う大往生です。私は入居者さんが亡くなってのお通夜に出席させて貰った時にお寺さんのお経が終わって棺桶からお顔を職員と共に見させて貰った時にやすらかなお顔を見させて貰った時に『お疲れさまでした。これからも優・悠・邑を見守っていて下さい。』とお話が出来る瞬間が最もやりがいを感じます。『死ぬまで生きる』のであれば最後まで楽しくその人らしく生活して貰える為にそれぞれの入居者さんの気持ちに寄り添い形にしていく事を精一杯していきたいと思います。入居の条件が『要介護3』以上になり、自分の楽しみを形にしていく事が難しくなっている今であったとしても、その人らしくを追求していきたいと思います。

本日地元の今須中学校の『響発表会』に参加しました。

響発表会とは学年それぞれに1年間の調べ学習の成果を発表する企画で1年生が『高齢社会に生きる』のテーマで昨年6月に優・悠・邑施設長として施設の入居者の様子等を二時間程度話させて貰い7月には施設での体験学習をして頂き8月の夏祭りにも全員参加して貰った事等のご縁を頂いたので、1年生の発表の後の講評の役割を頂いていたので参加しました。例年同じテーマでの発表ですが、発表に対する内容は同じではなく、マンネリ感を全く感じさせないものでした。1年生の発表の後、2年生は『地域社会を考える』3年生は『国際社会を考える』と言うテーマでの発表も聞かせて頂き、これからの社会の中心者になるべき人材ばかりで少数精鋭の集団だといつもながらな感心し、関ヶ原町長や教育長もおみえになってみえましたが、過去を知り今を見つめ将来を展望する提案には正直タジタジだったのではなかったのかと思いました。こんな少数精鋭の集団である今須小中学校が後1年2ヶ月で関ヶ原に統合されるのは残念ですがこれも時代の流れと受け止めなければいけないのでしょうか。ただ、このような素晴らしい発表会は統合されてからも、何らかの形で残して貰いたいと切に思っています。リピーターの皆さん本日は2題について述べましたがそれぞれにご意見があればお聞かせ下さい。

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看護が上で介護は下

令和2年1月23日

確かに特別養護老人ホームの中で医療行為は看護職員しか出来ません。だから、業務の中で看護師に委ねなければいけない業務は間違いなくあります。しかしながら、だからといって『看護が上で介護は下』と言う考え方はおかしいのではないかと言うお話をします。

介護職員の中で、『いつもとは違う何かを感じてその方に添え寝をしていて異変に気付いた。』とか『いつもよりも落ち着きがないのでゆっくりとした対応をする事により落ち着かれた。』と言う状況はいっぱいあります。『特別養護老人ホームは生活の場』なのでその人らしい生活を過ごして貰う事に於いては介護職員の方が勝っていると思える場面が度々あります。

つまり、『看護』と『介護』の役割が違うだけでどちらが上と言う事はないのではないかと言う事です。但し、『看護職員』は国家資格をクリアしなければ看護職員にはなれませんが『介護職員』は資格が無くてもなれるのです。私は日頃から「介護職員は誰もがなれる。但し、優しさと一生懸命さがあれば。」と言っていますが、一生懸命に頑張っていればキャリアアップをする為の努力は必然だと思っています。

先般本部施設に来て頂いたサンビレッジ専門学校の小林校長先生も「介護学と言う教科書はあるが医療の観点からのものばかりで素晴らしい介護職員は沢山存在しているのに理論武装をした『介護学』と言えるものが出来ていない。」とのお話に私は思わず大きく頷くと共に「是非私が目の黒い内に完成させて下さい。」と言った次第です。『介護福祉士』の国家資格が出来た時に介護現場から多くの先駆者達が大学で教鞭をとるようになると共に医療サイドからも介護の養成校で教鞭をとられるようになりました。

特別養護老人ホームの建設が計画された当初はいわゆる『病院モデル』から出発した事は事実です。しかしながら長い年月を経て『生活の場』の追求をして、病院モデルからの脱却をした施設は多く見られるのに、『医療優先』的な考えを持っている施設が存在しているのも事実です。特別養護老人ホームでの『認知症ケア』であったり『寄り添いケア』の実践は介護職がイニシアティブを持って実践している事でその事実を声高らかに訴えていき、介護職の社会的評価を上げていく活動をしていかなければいけないとも考えています。リピーターの本日は私の思いで『介護』について語りましたが色々なご意見を頂けると嬉しいです。」

 

 

 

徳島に来ています

令和2年1月22日

全国老人福祉施設協議会の総務・組織委員会委員長として四国ブロック役員懇談会の為、徳島市まで私の車を職員に運転して貰い来ています。朝8時20分に施設を出発して、淡路島のパーキングで休憩を取りましたが12時前に会場であるホテルに着き職員と共に昼食を頂いて、徳島県会長の大塚先生にご挨拶をしたりしていると、続々と本部役員の方がみえたので、ご挨拶をして会場に入っていき四国ブロックの役員さんと名刺交換をしていると定刻の13時になり田中幹事の進行で懇談会が始まりました。

先ずは四国ブロックの小川会長、全国老施協の平石会長の挨拶の後、役員の紹介があり、懇談会の意見交換は愛媛県の菅原会長が意見の口火を切って下さり前半は愛媛県と高知県の役員さんが一人ひとり活発な意見を言って下さり、それぞれの意見に対する方向性や考え方を平石会長、木村副会長、峯田副会長や北條専務が答えて下さり和やかな中にも建設的な議論が出来、15分の休憩後、徳島県の大塚会長から順次、徳島県、香川県の役員さんに話をして貰い、前半と同じように平石会長を中心にして答えて頂き、予定の時間いっぱいの15時50分になりまとめの話を総務・組織委員長の役割としてさせて頂きました。

この懇談会は関東ブロックを皮切りに東海・北陸ブロック、近畿ブロック、東北ブロックと実施され今回が5ブロック目で、来週は北海道ブロックが予定されており、2月に九州ブロック、3月に中国ブロックで予定されており、私は総務・組織委員長として全ブロックの懇談会に参加させて頂くのですが、5ブロックを終了した今思う事は、それぞれのブロックで事情の違いはありますが、共通した意見としては①加入しているメリットがあまりない。②会費が高い。③情報が伝わってこない。④介護報酬の行方が心配だと言うものでした。この4点については、総務・組織委員会が責任を持って執行理事会に上申すると共に関係ある委員会に伝えると共に、具現化していけるようにしていかなければと思うと共に組織強化をして、非会員事業所に確実なメリットが見えるようにしたうえで、各ブロックに再びお邪魔してその説明をしっかりしていかなければと考えています。大

変重要な役割をお受けした以上、期待に答えれるように頑張っていきたいとも思っています。まとめの話の中で手前味噌な話もさせて頂きました。それは当法人のホームページのアクセス数が多いのは情報をしっかり発信していて、理事長コラムも一昨年の8月22日から毎日千文字前後書くようになって目覚ましくリピーターが増えた事も話しました。懇談会が終わりご挨拶をしていく中で、「帰ったら検索します」と言って頂く方を嬉しく思っていたら「私は毎日楽しく読ませて貰っているよ。委員長のコラムは決して格好を付けた文章でないから楽しい。」と言って下さる方がみえて私はめっちゃ嬉しかったです。

このように連続して1年5ヶ月続いているのは、いつも見て下さっているリピーターの方のお陰だと思っています。これからも飾らずありのままのコラムを書いていきますので宜しくお願い致します。

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テレワークのシステムも良いのでしょうが

今年7月、8月に東京を中心にオリンピックが開催され、その時期はホテルの予約も難しいようなので、全国老施協の役員会や研修会に対する配慮をしなければいけないようなのですが、その時期には会社への通勤に対しても配慮しなければいけない状況があると言う事で『テレワーク』の対応をしなければいけないし、これが正しく『働き方改革』とテレビで声高らかに言ってます。

確かに『在宅勤務』で仕事が出来れば、通勤時間が削減され、家族や個人的活動に時間を有効に活用出来るし、また、『モバイバルワーク』と言って営業などで頻繁に外出する職種の場合に会社に戻らずの直帰するシステムや 『サテライトオフィス勤務』と言う方法でオフィス内にテレワーク専用の作業スペースを設ける事によって勤務時間を削減したりと、色々な工夫がなされるようになってきています。

勿論私はそのようなシステムを否定するつもりは全くありませんし、会議にしても可能な限りテレビ電話を活用して移動の時間を節約したり、いつでも会議が出来る利便性を有効利用することも大切だと思います。

しかしながら、当法人がしている介護事業は在宅にしろ施設にしろ要介護者のところに行かなければ出来ない仕事です。働き方改革で業務の効率化を求められているのはわかるのですがなかなか出来ないのが現実です。介護報酬で加算を取得するにはとにかく記録を書かなければならないし、継続的なケアをしていく為にも記録は必要です。ましてや、ケアの充実を図るのに『寄り添いケア』が大切なのだから介護の現場では『テレワーク』など程遠い存在と言えます。

関ヶ原には今のところ雪が降っていないのでありがたいのですが、たくさんの雪が降り交通渋滞やゆっくりとしか走れないときでも、早出の7時出勤の職員が遅刻をすれば朝食の対応ができません。ましてや厨房の職員は5時には出勤をして朝食の準備をしてもらわなければいけない。そうでなければ入居者の方々にご迷惑を掛ける事になる。どんな仕事も楽をしてお金が貰えるものは無いとは思いますが365日24時間体制の勤務をこなしている、介護に関わる方々に対して納得の行く評価をして貰えるように、業界全体で一丸となって取り組まなければいけないと思います。

意味じくも本日地元にあるサンビレッジ専門学校の校長先生と太田常務(余談ですが、私の前の支部長さんで約15年ぶりにお会いしましたが全くおかわりない姿に正直驚きました。)が本部施設に来て下さった時に私は「看護学はあるのに未だ介護学は確立されていないから軽く思われるので、私の目が黒い内に完成させて欲しい。」と熱く語ると小林校長先生も「介護学の教科書と言いながら殆どが看護師が中心になって執筆していて、医療的な視点からの内容だ。介護は生活的な視点に基づいて書かれるべきだ。」と小林校長も熱く語られたので、全く嬉しくなり、その後も色々な視点からお話をさせて頂きました。今までにも何度か岐阜県での会議でお会いしてましたが、このような話は正直始めてだったのでめっちゃ嬉しかったです。

介護の仕事について社会的評価を上げていき、誰もが羨む職業にしていくのが私のライフワークの一つであると確信しましたのでリピーターの皆さん今まで以上のご支援を宜しくお願い致します。

本日大寒なのです

令和2年1月20日

『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。つまり、1年で一番寒い時期だと言う事。実際は1月26日あたりから2月4日あたりまでが最も寒い。と説明していましたが今日の天気予報では23日は16℃で3月下旬の桜が咲く頃の気温だと言ってます。この現象は地球の温暖化の影響なのかは私にはわかりませんが今の時期に関ヶ原に雪がないのはありがたいような寂しいような複雑な気持ちです。意味じくも、本日岐阜県の北端に位置する神岡に施設がある神東会の理事長さん、施設長さんと事務局長さんが本部施設に来て下さったのですが、関ヶ原よりはるかに雪が降る神岡でも、雪はないと言う事なので、この現象は日本中でありがたい現象も困った現象も起きているのではないかと推察してます。

話は大きく飛んでオーストラリアでは山火事の猛威について連日報道されていましたが、本日は極端な雨が降り浸水した家が多くあったとの事。雨が降った事は朗報なのかも知れませんが、聞けば雨が降ってなくてからからになっていたので地面に染みていかなくて表面を流れた為に洪水になったと報道してました。このことから、自然の恵みについてもバランスが大切だと思いました。

ところで神東会の幹部3人が揃って来ていただいたのは、2年前からEPAによる介護福祉士候補生の獲得について相談にのっていたのですが、今年インドネシアからの受け入れが二人出来た事のお礼の報告と受け入れに対する留意点を聞きにみえたとの事だったので急遽、窪田室長を和合の施設から呼び寄せ話を聞きました。また、同じような時間帯で中日新聞の記者さんが『口腔ケア』の取材で来て頂いたので、二つの話を聞くために行ったり来たりしながらも両方に迷惑がかからないようにしながら、私の持論や今後の見通しについても語る事が出来ました。特に中日新聞の記者の方には口腔ケアのみの話題でなく、介護人材、介護保険、引きこもりの問題など多岐に渡って話が出来ましたし、それぞれの課題に対して資料の提供もする事が出来ました。来るものは拒まずの姿勢でお客様には先ずは抹茶の接待から始め、入居者さんと同じ食事を提供しての対応は私が施設が出来る前に施設見学に行かせて貰った時に快く受け入れて下さった事に対する感謝の意味と、法人同士の繋がりを密にすることと広く広報をして貰い理解者を多くしたいとの思いからです。リピーターの皆さんこのようなスタンスです。ご理解とご支援をますます宜しくお願い致します。

大谷徹奘師の本日の日めくりカレンダーから

令和2年1月19日

『覚悟のない     道は行き止まる』を見て私の頭の中で稲妻が駆け巡ったように、私自身固まりました。

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正直、新規事業が八方塞がりで自分が動くわけに行かず正直毎日の日々胃が痛いです。しかしながら、徹奘師の今日の言葉を見た時に、平成8年度事業で順風満帆でいけいけどんどんだったのが、当時の岐阜県福祉事務所から「大垣市内に2ヶ所建設予定があるので、計画を白紙に戻す。」との一本の電話で、一時は頭が真っ白になりましたが、『絶対に関ヶ原の地に特養を建設する』との覚悟を強く持っていたので協力者も増えて来て、岐阜県にしても私の勢いに気圧された形で翌年の平成9年度事業での計画が復活しました。

この時には大変素敵な経験をしました。と言うのは『計画が頓挫した』と言う事で、何だかんだと私の所から遠ざかった人が殆どでしたが、逆に少数の理解者はギアを上げて支援して頂きました。ギアを上げてくれた方は今も大切な支援者です。但し、最初の計画は私が何もかもがむしゃらに動く事で動いていったのですが、今回の新規事業は自分が動きたくても動けない事情があるだけにストレスばかりが大きくなるばかりです。

しかしながら、本日の徹奘師の『覚悟のない道は行き止まる』の言葉を目にして、自分のおろかさや覚悟の無さを知る事ができました。私は福祉施設を建てるに当たって『金儲けをしよう』とか『有名になれたら』等と言う気持ちは一切持ち合わせていません。地域の為に役立つものを私が出来る限りしていきたい。

これからの日本の状況を考えた時に岐阜県に盲養護老人ホームがない、(未だ無い県は岐阜県、富山県、鳥取県、沖縄県の4県のみ)西濃圏域で揖斐郡と大垣市を除けた市町には西濃清風園があるが50年近く建っていて老朽化が激しくて入居率も低くなっているが『無しで良い施設ではない。』し福祉のセーフティネットとして存続させていかなければいけない。との思いの中で決断したこと。

私の中に『覚悟』が足らないから逆にストレスを貯めているのではないかと思うと徹奘師の言葉によって奮い立つ思いが脈々と沸いてきました。お金も土地もない私の取り柄は奮い立つような熱い思いを勢いに変えてきたのだし。今は私を支援して下さる方は立ち上げ当時よりはるかに多いのだし、覚悟を不動のものにして、新規事業にも取り組んでいきたいと考えています。リピーターの皆さん私の覚悟がぶれないように見ていて貰うと共に今まで以上のご支援宜しくお願い致します。

平成13年11月23日に生まれた我が家の猫『リット』のお話

令和2年1月18日

今朝、私が朝食を取っている時に電気ストーブの前にマットが敷いてある所(特等席)で気持ちよさそうに寝ていた我が家の猫『リット』が2階に行く戸を前足を挙げてカリカリとして、『早く戸を開けろ』とばかりに元気よくカリカリとしている。いつもの事ながら「憎めんけど鬱陶しい」と思いつつ戸を開けに行く私なのです。

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3年位前までは私が帰って来たら、玄関先に悠々と座っていても、慌ててどこかに逃げていくのが常だったのに、ここ3年は私にも図々しい態度(むかつき半分、可愛いさ半分)です。我が家の猫『リット』が如何に長寿であるかについて一般社団法人 日本ペットフード協会の資料に基づいて紹介しますと、2015年の調査では、全体の平均寿命は15.75歳で2014年が14.82歳なのでほぼ1歳近く伸びており、平均寿命は年々長くなっています。

また、家の外に出ない猫の平均寿命は16.4歳とのことですが、我が家の猫『リット』は18.2歳なので平均寿命をはるかに越しているわけです。猫年齢早見表によると猫年齢は生後3年で28歳になり、その後は3か月で1歳ずつ歳を重ねていくとの事なのでもうすぐ89歳になるわけです。そんな我が家の猫『リット』が流れる水しか飲まないので2階の自分の部屋にしかない流れる水を飲む為に階段をヒョコタンヒョコタンと階段を上る姿は痛々しい感じもしますが、私が89歳になった時に「ゆっくりにでも階段を上れるのかなーと思うと我が家の猫『リットは素晴らしい』と思わざるを得ないかな。だとすると少々厚かましいのは許さなあかんのやろな。

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でも、その人間の心理を見抜く猫の頭の良さには舌を巻かざるを得ないな。私の奥様かをり様は、我が家の猫『リット』を溺愛しているので、鬱陶しいと思う事もあるようですが大概の事は許してしまうので、とことん厚かましい猫になってしまっていますが、私にとっても可愛い存在になっているので「まっ良いか」リピーターの皆さんはこんな我が家の猫『リット』についてどう思われますか。

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  • 昨日のコラムの1行目に「指示待ち」と書くべきところを「支持待ち」と書いてしまいました。これはいくら何でもひどい意味の間違いなので訂正してお詫びいたします。

本部の体制

令和2年1月17日

昨日、本部施設の幹部会があり、痛感したのは、幹部職員の中にも「支持待ち」的な発想の職員がいる事に半ば驚き半ば不安を感じました。自分の考えで突き進んでしまうのも困りますが、自分の考えを持たないのでは幹部職員とは言い難いからです。それとも、理事長としての私に遠慮して、意見が言えないのであれば、私の手法も考えなければいけない事になるので悩んでしまいます。勿論、22年前の施設の状況と比較したらはるかに良くなっていることは理解しているのですが、入居者さん利用者さんの事を思うとよりよくなることを望むのは当然のことです。

但し、素晴らしい計画を立てて実施していたことが、いつの間にか形骸化していて唖然となる事もあり、言い続けることの大切さを改めて噛みしめています。職員の都合で変えられてしまうものについては、どのような経過でその様なシステムになったかを理解させ、『初心忘れずべからず』を全うさせていきたいと思っています。本部施設においては、かなり意見を戦わせた会議が出来るようになってきましたが、「当然理解出来ているだろう」と思っていることが理解出来ていない時には熱くなって語る事もしていかなければいけないし経験が少ない職員にはハード面の充実によって働きやすい環境も作っていかなければとも考えています。

体制上の話としては、本日早朝4時30分に施設携帯から新館床暖のエラー音がなったとの連絡があり、宿直者とのやり取りや業者とのやり取りをしました。携帯が鳴れば直ぐに反応する対応は施設が事業開始してからこの22年欠けることなく行ってきて、「立ち上げ時と比べたらはるかに少なくなったと言うものの深夜及び早朝の対応はしんどくなってきたな」と思うと、体制面についての検討を今からしていかなければいけないと考えています。ところで、早朝に業者への連絡を宿直者に連絡をさせて、電話での対応で応急処置的な事はしてくれたのですが、確認に来るのは週明けになるとの報告を受けたので、業者への連絡を直接私がしました。そして業者の方には、「特養は365日、24時間うごめいているので、入居者さん利用者さんにご迷惑が掛からないようにと緊急時の対応も含めたメンテ契約をしているんだからきちっとした対応をして貰わなくては困る。」と連絡したところ、午前中に来てくれて不具合のあるところを限定してくれしっかりとした対応が出来ることになりました。

業者の方に不具合の説明を聞いていると12時を回ったので、昨日の幹部会で提供したカレーライスが残っていたので急遽温めて貰い喜んで食べて貰いながら色々な話をしました。気は心と言う事ですかね。より関係を深く出来たように思いました。リピーターの皆さん私の生き方はこのようなものなのですがどう思われますか。私的には『柔』と『剛』を駆使した展開と考えているのですが、私の自惚れですかね・・・。

 

 

私が13歳の今日(53年前)が母秋江が天国に召された日です。

令和2年1月16日

本日は朝9時からお昼過ぎまで東京から規定等のアドバイスをして頂く為にコンサルティング会社の方に来て頂いての検討会があり、昼食を頂いてから17時過ぎからの本部施設幹部会までに時間があったので、姉春子さんに姉光子のお墓が新しくなった事を聞いていたので一緒にお参りに行くかと連絡すると「行く」との事なので、急いでお花を買いに行きお墓のある駐車場に行くとすでに姉春子さんが待っていてくれたので一緒に行き新しく整備されたお墓を見て少しばかりショックでした。

と言うのは、50年間は姉の墓だけが別になっていて嫁ぎ先で除け者にされているように思っていたので、「これで嫁ぎ先の一員になった。」と喜んでいたのですが、新しくなった墓誌の中に確かに入ってはいたのですが、嫁ぎ先のご両親とは一線を引いたその他グループの中に入っていたのは私的には正直不満でしたが、私が小さい頃鬼のように怖かった姉春子さんは「一緒の墓誌に入ったんだから良しとしな」と仏さんのような発言。ここはどんだけ年を重ねても年を越せない姉に従うか。

般若心経を唱えてから姉春子さんに「今日は母秋江さんの命日だけど一緒にお墓詣りに行くか」と聞くと「一緒に行っても良いの」と聞くので私は「当然やろ」と答えて妙応寺のお墓に移動して、「53年前のお葬式の日は大雪でお葬式会場になった妙応寺まで家からの雪融けを地元の方々にして貰う事から始まったね。今日は暖かい日でありがたいけどあの日は大変だったね。」と話をしていて、「進さんはねずみ年で生きていれば108歳の年男で秋江さんはちょうど100歳になるんやな。母秋江は私が13歳の時に亡くなり、父進は38歳の時だから今生きていたらとのイメージは出来んな。」と姉春子さんにしみじみ話をしました。

母の命日で珍しくじっくりお参りが出来たので思わずこんな内容になりましたが、私はつくづく思うのですが(全く自己本位の考え方ですが)、もし私が13歳の時に母秋江さんが、17歳の時に母親代わりだった姉光子さんが、そして38歳(児童養護施設を退職したタイミング)の時に父進が他界したことにより今の私があるように思うのは極端な考え方なのか。リピーターの皆さん、私は本当にそう思っているのです。つまり、母秋江、姉光子、父進の思いを私は形にしただけ。いやいや3人共天国で私の為に走り回っていてくれたからこそ今の私があると思っているのです。だって小さい頃どうしようもない甘えん坊の私が厳しい状況でも立ち向かう事が出来るんだから。『感謝』しかありません。やっぱり私にとって1月16日は特別な日なんです。

 

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