本館事業開始(平成10年5月18日)してからの波乱万丈
令和2年3月23日
5月15日に開催した竣工式典は多くの来賓をお迎えして出来たのですが、その準備で地元の今須小・中学校の体育館のパイプ椅子をお借りに行った時にその当時の教頭先生と共に体育館に入って行っても椅子を運ぶ為に来ていた職員は挨拶も出来ないような状況だったんで、竣工式までに「お客様を迎える」とはどの様なことなのかを徹底的に話をして、各エリアの説明をスムーズに出来るように何度も何度も練習させる事によって、職員一人ひとりの気分の高揚を図った事により無事に出来ました。18日からの入居開始により、5月末で入居が5人、6月で15人、8月で25人で満床の50人になったのは10月3日でした。どうして5か月近くもかかったかと言うとその当時は特別養護老人ホームは老人福祉法の『措置制度』だったからです。その為、当時の理事長と共に各市町村への挨拶も精力的に行いました。ところが満床になって一段落と思った時に事件が起きました。それは、私が大学の講義を午前中で終えて14時頃に施設に帰って行くと、その当時の関ケ原町の担当者の方に電話するようにとの事で「何事か」と慌てて電話すると、担当者の方にいきなり、「ショートステイの定員は何人ですか」と言われたので(「何で今更」と思いながら)「20人ですが」と言うと「現在ショートステイの利用は何人か」と言われたので「4人です」と答えると「まだ16人も利用出来るのに、どうして利用を断るのか」と言われたので私自身状況がつかめず「少し時間を下さい。」と電話を切り、その当時の指導員(今の生活相談員)を呼び説明を聞くと、「現場が今でも忙しいのに受けれるわけないと言ってます。」と答えたのにはあきれ果てましたが、それがその頃の現実でした。と言うのは、緩やかにしか入居が無かった為に『ゆったり』の動きのなかでしか動けなくなっていたのです。そこから、私と職員との戦い(本来あってはいけない事ですが)が始まり「施設長は現場の事を知らずに偉そうに」とのそしりを受けながらも、国の基準以上に職員配置をしている事や収支状況を良くする事によって給料も良くする事が出来る事、『今日一日楽しかったよ』の実践が大切だと言い続けましたが、1年目の年明けの頃から退職者が白い封筒を持ってくる職員が多く出て、胃に穴が開くのではないかと言う日が続きました。ただ、その頃は新たな職員確保が出来る頃だった事は幸いでした。もし、今のような状況だったら法人自体が瓦解していたかも知れません。2年目になり、職員との乖離をなくしたいとの思いから、理事会の承認を経て、自ら施設長を下りて現場での仕事を1年半させて貰う中から職員との意思疎通を図り、今に至っています。もしも私が職員の気持ちを理解しないままの状態であったら・・・。今の杉和会は存在すらなかったかもしれません。