大好きな日本酒は控えましたが

 

昨日は東京のニューオータニで研修があり、長男も一緒だったので赤坂見附の和食屋に行き、板長おすすめの何故か岐阜の酒『三千盛』(私が岐阜から来た事をしっている)この演出は素晴らしいと思うのですが、純米吟醸『ドライ』と言うのが出てきたのですが、根っからの日本酒好きの私はどんどん飲みたいところだったのですが、今の私の体にはあまりよろしくないと言う事でおちょこ(かなり大きな)2杯で我慢して(長男が美味しそうに飲んでいるのを横目に)麦焼酎のお湯割を飲みました。

その後歌の歌えるお店に行きウィスキーを飲みながらしっかり歌いました。ボックス席にいた私たちの他にはカウンターに粋な雰囲気のおじさんが一人。(どう見ても普通のサラリーマンと言う感じではない)かなり歌って雰囲気が良くなった頃を見計らい(私の勝手な判断ですが)ボックス席に移り合流して楽しく歌と会話を楽しんでいて、名刺交換をすると『コピーライター』として独立されている方と分かり、私はコピーライターの職業の方とは面識がなかったのですが、名刺を頂いて改めて『コピーライター』の雰囲気を持った方だと思いました。

でも、コピーライターを職業とされている方にも歌を披露して貰おうと色々とアプローチして五木ひろしさんの曲をめっちゃ上手に歌われてから「今日は演歌ばかりなので私もつられて演歌にしました。」と照れながら話して頂きました。場に合わせた曲を選ばれしかも上手に歌われたのは『流石』だと思いました。一見キザに見える所作も全然嫌味に思えないのは、30年間業界にみえるからかなとも思いました。

(ここからは本日一日の経過を書きます)

昨夜は午前1時にホテルに帰り部屋で爆睡して6時40分に目覚めお風呂に直行してゆっくりお酒を抜き一旦横になり、再びお風呂に入り、シャキッとしたところで外出着に着替え平河町の塩崎ビルに9時に着き役員の方に挨拶をして定刻の9時30分から正副委員長会議が始まり園田参議院議員、久藤政治連盟会長、平石老施協会長の挨拶の後、『ケアニン』の試写会を見て(殆どの方がすすり泣き状態)その後事務連絡があり、会議終了後に『ケアニン』の原作者兼プロデューサーに挨拶をして、その後昼食。

13時から総務・組織委員会、広報委員会との合同会議でホームページとパンフレットの検討会をして、15時30分に終了して赤坂見附まで歩き、水野広報委員長と会食を共にして、その後歌も歌いに行き今は部屋でコラムを書いています。明日も戦略セミナーがあり、セミナー終了後は大垣に急ぎ帰り地元の県議の会が18時30分からあるので大車輪ですがリピーターの皆さん元気に飛び回っている私にご支援を宜しくお願い致します。

『師』と仰いだ吉田宏岳先生の事

令和2年2月3日

吉田宏岳先生の事はこのコラムでも何度も書いていますが敢えて『師』として、中村博彦先生に引き続き書く事にします。

吉田先生とは38歳に児童施設を辞めてから『教育と福祉を考える会』のお仲間にして頂いた事から始まります。勿論最初は私は末席も末席で小さくなっていて吉田先生は中央に座られ最初の挨拶をされている時に私は「大学の教授格の方ばかりの中で緊張する。」とばかり思っていました。

そんな存在の吉田先生でしたが、何回かの例会を重ねていったある日に吉田先生の家に行く事になり、私も同席させて頂く事になり、(運転手のような役割で)家に着くとそこは、お寺であり寺の1画に幼稚園もありました。私は寺の本堂を案内して頂きながら厚かましくも「何宗のお寺ですか。」とお聞きすると優しい眼差しで「真言宗豊山派なので長谷寺系のお寺です。」と先生に答えて頂いたので(多分目を輝かせながら)「お大師様のお寺ですか。私は高校2年の夏休みから四国八十八ヶ所を歩いていて、いつでもご案内しますよ。」とまるで少年のように答えていたのを今でも鮮明に覚えています。

私が吉田宏岳先生を『師』と仰ぐのかと言うと一つには『これは凄いから形にしよう。』と思われた事は即実行されて、継続される事を私自身まねが出来たらと思った事です。何度か先生の家で布団を並べて寝ていても朝の勤行をされなくて「布団の中で唱えている。」と豪語されていた先生が四国霊場を先生と二人で歩いてからは「こんな素晴らしい事はない」と、毎月8日には朝早くから『ごま供養』を、第三日曜には『写経会』 を開催され、春と秋にはバス一台で巡礼の旅ツアーをされていました。勿論私は出来る限り写経会の時には時期に合わせて『山菜おこわ』『竹の子ごはん』『栗蒸しごはん』等を作って貰い皆さんに振る舞う事をしましたし、四国巡拝の折りは道案内をさせて貰いました。

また、私が法人を設立するときには人材の紹介や資金の提供もして頂きました。資金の提供では先生の家にお願いに行くと設立準備資金として1千5百万円の提供をして頂いた時には正直「私にそれほどの価値があるのか」と真剣に悩みました。

平成10年5月に本館施設の事業開始をして、正直私が舞い上がったのと、私の理念で押し通そうとした事により、職員がどんどんと退職した時のタイミングで理事会があり私は思わず大きな声を出して「施設長を辞めたらー」と叫んだ時にはいつも温厚な吉田先生が私の声以上に大きな声で「今の言葉は取り消しなさい」と言われて自分を取り戻した事がありました。

その時の体験から「どんなに厳しい状況になっても自分を見失う事の愚かさ」を知りました。勿論それからも自暴自棄になる場面が全くなかったわけではありませんが、大変な時に大きく深呼吸をしてから冷静に考えるようにしているつもりです。

私はまだまだ、吉田宏岳先生のようには出来ませんが先生の器の大きさをこれからも追い続けていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん私の動きにも興味を持っていて下さい。

『師』と仰いだ中村博彦氏の事

中村博彦氏は全国老施協の会長をされ、組織内候補として参議院の2期目の志半ばで他界された方です。

私は平成18年8月8日に役員として、東京の本部に行くようになってからは、正に『師』と仰いで可愛がって頂きました。最初はその頃出来たばかりの総務委員会の幹事として、各委員会のスムーズな活動を下支えすると共に幹部の役員の方々の発言を取りまとめ中村会長に報告するような立場でした。しかしながら、役員になったばかりの私はたくさんの役員さんの顔と名前もわからない、ましてや性格やお立場もわからない中で必死にうごめき、わからない事をその当時の福間局長に相談している場面を中村会長に見られたりするとめちゃくちゃ怒られたものです。

今の私なら「何故怒られるのか」が理解出来るのですが、その当時は「相談するのは仕方がないのに、どうしてこんなに怒られるのか。しかも私だけ」と思っていました。

しかしながら3ヶ月位経過した頃から『事務局に使われるのではなく上手に使う事をしなければ会の運営は上手に回っていかない。』と思うようになり、中村会長の頑固なまでの全国老施協への思いと先を見る力。それを支える情報の多さと理解の早さには驚かされっぱなしでしたが、少しでも中村会長のようになれたらと思って発言をしてきました。とは言え、中村会長との関係が最初から順風満帆だったわけではありません。だって、私との会話の中でどれだけ「ばかじゃ、あほじゃ、とろくさい」と言われた事か。

しかし私は単なる『イエスマン』だったわけではなく、納得がいかない時には反発もして、しかも、中村会長は自分が悪かったと思われた時には自分に対してのフォローをする柔軟性をお持ちの方だったと思います。

頭の回転が凄いと思ったエピソードを書く事にします。それは私が在宅委員会幹事をしている時の出来事なのですが、在宅委員会主催の研修会があり、中村会長が開会前におみえになり、私に「在宅に対する課題は何か」と聞かれたのでその頃の課題を三点お話させて貰うと、それに対しての疑問を私にぶつけられたのでそれに対してお答えして、確かにメモをとられてはいましたが、中村会長は演壇に立って、先程したばかりのやりとりに基づいて堂々と答えられていたのには驚きと共に感動しました。そして、中村会長が原稿を見ないで自信を持って話されるのは、項目を書き出される時には既に話す内容が頭の中にイメージが出来ているのだから凄いと思いましたし、私も 今は話しするときは項目だけ考えて90分の講義でも話をするようにしてます。だって、その方が自信を持って話をしているように見えると思うし聞いて貰っている方々の表情を見て話が出来るので話しやすいです。

中村会長の素晴らしさは例えば『行動の老施協』『労を惜しまず』などのインパクトのある言葉を提案して人を引き付けるのも素晴らしかった。時には真顔で私に『健祥会に来んか』と言われた時には『私も小さいながらも法人の理事長です。』と答えるような事があった事を心良く思い出しています。

リピーターの皆さんこんな私ですがこれからも宜しくお願いします。

『週刊現代』の記事の中から

『亀井静香の政界交差点』の書き出しに『政治家は大きく二つに分けられる。己の信念を貫き行動するタイプか、師の意志を引き継いで行動していくタイプだ。』と書いてありました。私はこの考え方は政界だけではないと思うので、少し私の考え方に基づいて述べてみることにします。

私の生き方は高校2年の4月までは師を仰ぐわけでも主体的に生きるのでもなく、手も足も出さないものだったと思います。それどころか誰かに甘えるだけの生き方だったと思うのです。この生き方に変化をもたらしたのは母親代わりの6歳上の姉の死がきっかけでした。私は姉の死によってやけくそにでも自分なりに動く事をやろうとしたのだと思います。暴れまくった高2の一学期があり、その年の夏休みに四国遍路に参加して、『先達の教えは絶対』と理解しました。そして、その頃から『やんちゃ』はしても『やりたいこと』を見つけれるようになってきたように思います。その頃から私は自分がしたいことを形にしていく為に、時には集団の中でリーダーに従ったり、自分がリーダーになったりしてきたと思います。

しかしながら大学を卒業するまでは、『遊びの域』を越えてはいなかったと思います。(当然の事ですか)大学を卒業して父進の根回しもあり教員になったものの自分の師を見つける事は出来ず、勝手に教員を辞し父に勘当された時も強い意志が働いたわけで無く、仰ぐべき師もなく・・・。

私が師と仰ぐべき人に初めて巡り会ったのは38歳で児童養護施設を退職して、フリーな立場で大学の非常勤講師と家庭教師と個別指導に走り回っている中で『教育と福祉を考える会』と言う研修集団(学会と言った方が分かりやすいかもしれません)の責任者をされていた当時日本福祉大学中央福祉専門学校の校長をされていた吉田宏岳先生に出会った時です。宏岳先生は優しい眼差しの中に厳しさを秘めた方で、宏岳先生の指示には何でも答えたいと必死だった事を覚えています。つまり、この時期に『相手の事を知り形にする』事の生き方を実践したのだと思います。

その間に紆余曲折があり、特別養護老人ホーム優・悠・邑の計画にしても、色々な方の師事を受けてきたように思います。確かに今は社会福祉法人杉和会の理事長として、間違いのない方向性を考えてのやり方ですが、よーく考えてみると、色んな事を考えて実践しているようでいて、色んな方の考え方を参考にしての方向性だと思うと、最初に書いた亀井静香氏の『己の信念を貫き』にしても最初から出来たわけではなく、色々な方の知恵の上で出来たものと思うと究極は『謙虚に聞き、最終判断をした事を信じてやり通す事なのかと。

リピーターの皆さん、疲れた頭のなかでグシャグシャの考えなので意味不明の点はご容赦下さい。

2回目のシャワー

昨夜は早くに部屋で休ませて貰ったので、6時には目覚め、6時30分から開始の朝食会場に行き、早々に朝食を済ませ部屋に戻り今回の出張で2回目のシャワーを浴びる事にしました。1回目の時にはシャワールームの狭さに早々とシャワーを済ませて全く満足がいかなかったのですが、1回体験した事でシャワールームの狭さは納得して入ったので違和感を感じる事なく、温まる事を念頭にしたので、温水と冷水を繰り返し浴びました。最初は冷水が冷たかったのですが繰り返している内に体が慣れてきてシャワールームから出ても体がホカホカになりました。自分で言うのも変ですが人間の適応力の高さは素晴らしいと思いました。

昨夜夜中の午前2時過ぎに森岡副委員長から『こんな時間にすみません。明日はホテルを11時に出ますので宜しくお願いします。』と言う内容のメールを頂き、彼の几帳面さと真面目さに改めて感心しました。と言うのは、私も北海道の役員さんに森岡君を通じて二次会へ誘われたのですが、私は既に自分の部屋にいたのでお断りしたのですが、彼は律儀にお付き合いを午前2時までしたのは凄いと思いましたし、遅くなっても翌日の予定をきっちりしてくるのは凄いと思いました。勿論私も直ぐに返信メールで『ありがとう。了解しました。』と返しましたが。

11時にフロント前での合流なので部屋でゆっくり過ごし、片付けは出来ているので、これから(午前10時49分)部屋を出ます。今(午後3時03分)無事に羽田に着き、森岡副委員長のエスコートで京急線の乗車口まで案内して貰い品川まで行く電車に乗り座りながらコラムを打ってます。先ずは、森岡副委員長の細やかな対応に感謝です。そして、千歳空港で森岡副委員長の持つ、JALの素晴らしいカードの威力で検査場も並ぶことなく、しかもゆったりと通過し尚且つ、専用の部屋で飲み物や食べ物が準備してあり昼食を済ませる事が出来ました。(ちなみに無料です。)なお、飛行機の中では隣の席を手配して貰っていたのでしっかり話が出来たし、森岡副委員長の提案力は素晴らしいものがあります。彼の提案を形にする事が委員長である私の使命だと考えています。

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しかしながら、28日のお昼を食べてから東京平河町にある全国老施協本部に行き、委員会の事前打ち合わせをして、皆川副会長と会食を伴う意見交換をして、その日は東京で泊まり(全国町村会館ホテル)29日は10時からの会議に間に合うように行き、昼食を急いで食べて12時30分から総務・組織委員会と広報委員会の合同会議でパンフレット作成の打ち合わせをして、13時30分からの正副委員長会議があり、私は総務・組織委員長としてブロック懇談会の報告もさせて貰い、会議終了後に羽田から札幌に行き2泊して、今は新幹線で一路岐阜羽島を目指しています。不思議なものです。我が家が段々近づいてくるに従い疲れが増してくるようです。岐阜羽島からは車の運転もあるので家に着くまでほっとは出来ませんが取り敢えず4日間の強硬スケジュールは終わりに近づいていて、家に帰ったら、いの一番に我が家の湯船に浸かって体を労りたいと思います。リピーターの皆さんこんな生き方しか出来ない私ですがフレーフレーと応援宜しくお願いいたします。

日本は広い。でも飛行機は早い

東京から札幌までは1133キロでちなみに車で16時間43分かかるとグーグル情報で知りました。確かに距離はあるのですが、昨夜19時40分に羽田を発った飛行機で千歳空港には21時過ぎには着き千歳から札幌に電車で移動して22時過ぎにはホテルに着きました。もっとも、スムーズに移動出来たのは全国老施協の正副会長委員長会議に出席していて、森岡副委員長と仲が良い旭川市の千野幹事が案内してくれたから。

ホテルでは藤居総務・組織委員(滋賀県老施協会長)が早くに着いていて我々を出迎えてくれたので、チェックインを済ませ部屋に荷物を置いて千田幹事の案内で、すすきのにあるお寿司やさんに四人で遅い夕食を頂きました。お腹が空いていたのを差し引いても『北海道を満喫』しました。特にフグの白子を炙ってから握って頂いたのは絶品でした。千野幹事が二次会を誘ってくれたのですが、森岡副委員長も私の名代で埼玉県に行って疲れているので(現象的な出来事として、埼玉から羽田空港に行く為の電車で乗り越しをして空港内の待ち合わせをしていたところへ慌てて来ると言うアクシデントがありました。)千野幹事に丁重にお断りをしました。

結局昨夜は午前零時にホテルに着きそのまま部屋で寝て、本日は午後からの会議なので午前中はゆっくりしてます。ゆっくりついでにお風呂に入ろうとしたらお風呂がない。つまり、シャワールームのみで、しかも、めっちゃ狭い。お風呂に入ると身も心もリラックス出来るのですが身体は温まらないし満足感はなし。しかも、あと一晩泊らなあかん・・・。

午後からの懇談会は厳しい発言も頂きながらも一つひとつ誠意を持って話をしていくなかで今後の方向性は出てきたと思います。懇談会後は引き続き交流会もあり、この席では和気あいあいとした雰囲気の中、会議以上にそれぞれが色々な方とお話をする事が出来ました。今(午後8時40分)は自分の部屋でコラムを打っているのですが、体調の事を考えてビール1杯と麦焼酎のロックを1杯のみ頂きました。今までの私は「お酒を飲む」と言うのは浴びるほど飲んでいたのでこのような飲み方は異様なのですが、体を壊さない程度に美味しく頂く事を念頭においた飲み方をしていきたいと思います。

懇親会の隣の席には昨年9月末まで厚労省の審議官をされていて、10月から全国老施協の専務理事に就任して頂いた北條氏と親しくお話をさせて頂き私が知らない疎開の話をして頂けたり、外国人材について話をして、制度上の矛盾点等について話をすると紳士に聞いて頂き全く偉ぶった感じがなくて、それどころか全国老施協について一生懸命だと言う事がひしひしと伝わってきました。

リピーターの皆さん、全国老施協は平石会長を中心に高齢者福祉の分野で頑張りますので見ていて下さい。勿論私も頑張りますので。

朝7時からの朝食を皆川副会長と共にとる事からスタートです

令和2年1月29日

皆川副会長の日常は午前4時の朝食から始まるそうです。ホテルでは朝食は7時からなので不満なようです。つまり、日常の生活リズムでは朝4時から行動開始で施設への出勤前に情報収集と整理をしているのだと思うと私はまだまだ『甘い』と思うと共に『上には上がいるのだ』と思っています。でも、私も法人設立前には『三時間睡眠で頑張っていた』と思うと同時に『昔の名前で出ています。』と言われないように、より切磋琢磨をしていきたいし素晴らしい方の流儀を少しでも見習いたいと思っています。

(朝食時の会話と様子から)全国町村会館ホテルはバイキングではないのでお互いに和食を頼み食べながら(皆川さんの食べるペースは私よりはるかに早い。✳私も大概早いのですが・・・。)話をするのに一番気になる朝4時からの行動パターンを聞くと、朝食後は出勤準備をして施設には5時30分には着いて仕事をしているとさらっと言われて私は思わず「職員が大変だ」と言うと、またまたさらっと「理事長室の電気が一番早くつく」と言われて私は複雑な気持ちになりました。お互いに本部事務所で10時から別の会議があるので9時30分にフロント前で合流して一緒にホテルを出る事にしたのですが、『5分前行動』の皆川さんの事ですから9時15分には部屋を出る予定をしてます。

今(17時00分)は19時40時発の千歳行きの飛行機に乗るのに早々と羽田空港第一ターミナルの検査場をクリアして(サスペンダー、革靴、ベルトがチェックされ、おまけに鞄の中にペットボトルが入っていて確認されましたが)一人で時間になるまで待つことにします。どうしてこんなに遅い時間の出発なのかと言うと、総務・組織委員会副委員長(徳島県)の森岡君が全国老施協正副会長委員長会議を途中で抜け私の名代で埼玉県に行ってくれていて、同じ飛行機に乗るようにしたからです。(搭乗券は森岡君が手配してくれました。)但し、平河町から羽田空港までは一人でいかなければいけない。私は羽田空港を利用するのは2度目で1回目に空港行きの電車に乗るとき(品川で)不快な思いをしたのを覚えているのですが、浜松町からのモノレールは案内板に従って何とか行く事が出来ました。(けっこうな距離を歩きました。)

先程森岡君からメールがあり18時40分には合流できるとの事なので、安心して本日の正副委員長会議で総務・組織委員長として5ブロックの役員懇談会の報告と今後の展開について15分を頂き話をさせて頂き、私なりの組織に対する思いも語らせて貰いました。私の話は常に実践に基づく話を熱く語る手法ですし、語るべき話の項目のみを事前に考えて聞いて頂く方の納得度に合わせて話をするようにしているのですが、リピーターの皆さん、私は中学を卒業するまで対人恐怖症の赤面症だったんですよ。私がどんな経過で今があるかはいずれじっくりこのコラムで語る事にします。

本日(1月28日)から31日まで出張です

令和2年1月28日

今(13時00分)は名古屋で乗り換えの『のぞみ』を待っているのですが朝から11時30分まで施設で仕事をして、早目の昼食を食べ岐阜羽島まで車を運転して4日間の駐車料金2千4百円を支払い(手渡しなので間違いはありません。)『こだま』で名古屋で降りた次第です。15分近くの待ち時間でコラムを打ってます。(時間を無駄にしない真骨頂と自画自賛です。残りの原稿は東京に着くまでに多分打つ事になります。但し予定は未定であり決定ではありませんが)本日は明日の会議の事前打ち合わせを全国老施協本部がある平河町塩崎ビルで15時30分から行いますが雪の心配もなく十分対応出来そうです。(これも、あくまで予定です。だって1分後に何が起きるかわかりませんから)

本日は全国町村会館で泊まらせて貰い明日は午前中は会員促進の為のパンフレット作成の打ち合わせを総務・組織委員会と広報委員会合同でさせて貰い午後は正副委員長会議に出席して会議の冒頭、平石会長から依頼を受けている、各ブロックの懇談会の途中経過を話すように言われているので、打ち合わせ後は総務・組織委員会担当皆川副会長との夕食を共にしての報告と情報交換をして、早めに宿泊するホテルに帰り話す内容を考えたいと考えてます。

明日は17時までの会議後はそのまま羽田空港に行き19時40分発千歳行きで北海道に飛び札幌での北海道ブロック役員懇談会に備えます。北海道ブロックでは懇談会後に交流会もあるので結局札幌で2泊することになります。だから、またまた、移動距離の多い3泊の出張になるわけです。

どうして総務・組織委員長である私が全国8ブロックの役員と膝詰めの懇談会をするのかと言えば公益社団法人の内閣府による監査によって会費の不正流用が指摘され、色々な問題が噴出し会員離れが顕著でしたので組織が正常化して強固な組織にして高齢者福祉をしっかり守っていかなければいけないとの志しにブレがないと思って頂いての総務・組織委員長の任命だと認識した私は、是は是、非は非の考え方をしっかり述べてきました。

その中から一番大切なのは各ブロックによって抱えている問題は違う事を痛切に感じた事と事務局を上手く使う為には若手の人選をしている『幹事』をしっかり鍛える事だと考えて活動してきました。勿論私の考えが全て正しいとは思っていませんので、私の手法も是は是、非は非で傾聴も大切だとの考え方でこれからも頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん全国老施協の動きにもご理解を頂けたら嬉しいです。

具体的施策を示していかなければ

『8050問題』が一時クローズアップされましたが、マスコミもあまり取り上げないのか、私が情報を得られていないのかはともかくとして、気が付いた者が何らかのアクションを興さなければいけないと考えてはいるのですが、私が38歳の時に児童養護施設の指導員を辞し在宅で児童問題について個別対応をしたいと無鉄砲な展開を志し、見事に挫折して、今は高齢者福祉の展開をしているのですが、あの当時挫折した理由は志が高くても霞を食べて生きていく事は出来ない現実がありました。

つまり、私が35歳の時に資生堂福祉財団が資金援助をして下さりアメリカ視察研修に参加させて貰った時の児童に対する支援体制の充実が30年前の日本ではなかったと言う事です。(最も今の状況もそれほど変わっていませんが)

前置きが長くなりましたが、『8050問題』について述べます。8050問題とは80歳の親が50歳の子供を支える事で、内閣府統計で40歳以上のひきこもりが61万人と推計される中、ひきこもり当事者とその家族の為の支援団体が資金調達を始めたとの事です。その団体名は一般社団法人『OSDよりそいネットワーク』と言うそうです。『O』親が『S』死んだら『D』どうしようと言う、ひきこもりの親の声を受け、平成27年に発足したとの事です。何故ひきこもりの問題が社会問題化しないかと言うと『一部の家庭の問題』と言う捉え方が一般的な考え方だろうと思います。

私が25年前に特別養護老人ホームを造ろうと考えた時が正にそうでした。『認知症』(当時は痴呆症と言っていました)についても「私の家には関係ない」と考えていた時代でしたが、認知症の方が700万人に急増した今切実な問題です。但し、ひきこもっていた方が50歳になられて親が抱えるのは無理ですので社会問題化してくるのは自明の理だと私は考えています。私はそんな方を一人でも二人でも社会に適応出来るようになるようなお手伝いがしたいのです。勿論、簡単な事ではないし、困難が待っている事も理解してます。しかしながら、社会福祉法人の責務として、やらなければいけないことだとも考えているからです。

話題を少し変えて少子化問題の観点から8050問題がそんなに簡単な問題でないことを述べます。(元々こちらの方が得意分野です。)1990年の『1.57ショック』と言うのがあります。これは前年の1989年の合計特殊出生率が1.57と「ひのえうま」と言う特殊要因により過去最低であった1966年の合計特殊出生率1.58を下回った事が判明した時の衝撃を指しているのですが、衝撃が走ってからもその数値は改善されずに今は少子高齢化の波の中で人口現象が大きな問題になっています。私は全ての問題の根底は『自分さえ良ければ』との考えに取り付かれている方が多いからだからだと考えています。勿論そんな考えの方ばかりでないことも承知してますが多くの方がそうなのではないでしょうか。

国は『互助の精神を』と言っていますが『笛吹けど踊らず』のような傾向が強いのが現実ではないでしょうか。

『豊かな日本の構築』と引き換えにしたとは言いたくありませんが、『所得倍増論』から見えてきたものがあるのか。とにかく今の現実を直視して10年先20年先を見通した展開をしていく同志を多く募れたらと考えているのでリピーターの皆さんもエールを送って下されば嬉しいです。

中国の武漢から発症した新型ウイルス(コロナウイルス)について

令和2年1月26日

インターネット上の情報ですが26日午前0時現在(日本時間同1時)の報告では発症が確認されたのは1975人死者56人で重症者324人で過去24時間で発症者は688人で死者は15人増えて近日中に3000人を超えるとの情報もあり、武漢への出入りを完全に規制しているとの情報があります。中国では春節(日本で言う正月)を迎え長期休暇を利用しての大移動の時期を迎えているので、色々な面に混乱や被害が出ている事が予想できます。日本において冬は乾燥期になるので、特に『手洗』『うがい』の徹底を促していても、実際に喉が痛くなってからとか咳が出てから慌てて手洗、うがいをしたりしても『時、既に遅い』と言う事もよくあるパターンです。今回の武漢から発症したと言われているコロナウイルスでの肺炎は新型と言う事もあり、なかなか見つけにくかったとのことでしたが、マスクの着用などのいわゆるエチケットの面で対応が不十分であった事は否定できないのではないでしょうか。ただし、病院での従事者が防護服を着ての映像を見ると「もっと早くからの対応」が出来なかったのかなと思う面もあります。『備えあって憂いなし』の考え方を徹底するのは難しいと思います。だって、結果を見てからの批判はどこからでも出来ますから。

疲れましたがコラム頑張ります

今(20時43分)家に帰りお風呂に浸かりながら本日二つ目のコラムを書きます。と言うのは、午後は家族会主催の誕生会があり、引き続き法人理事会があり、その後誕生会の片付けと明日の認知症カフェの準備をして、コラム一作目の『コロナウィルス』の文章を完成させ気が付くと16時30分を回っていたので、慌てて片付けをして和合で17時30分から行われる研修会及び全体会の前に法人顧問の烏野教授と打ち合わせをする約束をしていたので愛車に乗り込み和合に行くと既に烏野先生が喫茶でコーヒーを飲みながら待っていて下さったので慌てて喫茶に行き(私はお子様なのでココアを飲みながら)打ち合わせをしていると研修が始まると言う事で研修会場に行き一時間の研修を受講してその後の全体会では理事長の講話の中で本部施設職員が看取りを行った時のレポートの概略版を資料として配り話をしました。看取りについてはこのコラムでも最近取り上げましたが、「入居者さんからの最後の教えを大切にする事がこそ介護力を上げる」と熱弁(と言っても10分程度)を振るいました。ここ3日程は色々と考える事があり一旦目が覚めると眠れないのですが、本日は忙しく程好い疲れを感じているので眠れそうです。

✳一作目が500字程度で最近の私のコラムとしては不満足と言う事でお風呂に浸かって頑張りました。リピーターの皆さんこの頑張りに拍手を・・・。

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